2013年8月31日土曜日

地の果て



 トウカイテイオー騎乗の岡部幸雄が「地の果てまで走る」と宣言すれば、メジロマックイーン騎乗の武豊が「天まで昇る」と応じたのは92年・春の天皇賞でした。2006年に天に召されたメジロマックイーン号を追いかけるように、トウカイテイオー号の訃報が伝えられています。


 91年の皐月賞では大本命に推した筆者は、ダービーでトウカイテイオーを無印にしました。パドックで見せる「ひょこっ、ひょこっ」と歩く歩様から、あの脚ではダービー2400mの激闘に耐えられず、レース中骨折・競走中止と読んでいたからです。ダービーを圧勝して二冠を制し、筆者の予想は「大外れ」となりましたが、予想通りレース中に左後肢を骨折していました。繋が柔らかく、これがあの素軽い走りと抜群の切れ味を生む源泉ではありましたが、骨折と復活を繰り返すドラマチックな競走生活の原因ともなりました。


 トウカイテイオーを語るのに、92年のジャパンカップや、93年の劇的な復活劇となった有馬記念を書かない記事は当ブログだけでしょう。筆者にとっては、予想を外しながらもレース中骨折を読み切ったダービーが最も印象に残るレースでした。


 「トウカイテイオー栄光の蹄跡」によると、 岡部幸雄は「やはり何回も怪我して休んだことが、マイナスになったんだろうね。鍛えるべき時に鍛えられなかったことが、一番のネックだったんだと思う」、田原成貴は「バネのある柔らかそうな馬」と語っていたとのことです。実際に騎乗したトップジョッキーの言葉が最も真実に近いものだと考えます。


 ドラマチックな復活劇からトカイテイオーを「底力のある競走馬」と考える方が多くいるかもしれませんが、筆者の評価は180度逆のものでした。父・シンボリルドルフの底力を受け継いでいるとした方がドラマ性を強調できるのかもしれませんが、シンボリルドルフのレースぶりとは全く違うものです。筆者は、ルドルフの父・パーソロンと、母系に入るプリンスリーギフトから受け継いだ「素軽さ」こそがトウカイテイオーの真の姿であったと考えています。ルドルフとは違う「儚さ」がつきまとう競走人生でした。




 

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