2019年7月29日月曜日

「戦後編」開始のお知らせ


 甲子園大会終了後、「戦後編」をスタートさせていただきます。


2019年7月28日日曜日

昭和20年 東西対抗 第4戦


12月2日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 2 0 0 1 0 4 東軍 2勝2敗 0.500 白木義一郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 西軍 2勝2敗 0.500 笠松実

勝利投手 白木義一郎 2勝0敗
敗戦投手 笠松実        0勝2敗 

二塁打 (セ)大下弘、(巨)千葉茂

勝利打点 (名)加藤正二 1

猛打賞 西軍(急)下社邦男


白木義一郎、戦後初の完封

 東軍は初回、二死後大下弘が右翼フェンス近くまで飛ばす二塁打、加藤正二のライト前テキサスがタイムリーとなって1点を先制する。

 東軍は5回表、楠安夫が四球、千葉茂が三塁線を破る二塁打を放って二三塁、三好主の左中間大飛球にセンター呉昌征が追い付きながら捕球できず記録はヒット、千葉は三塁に残り、白木義一郎の三ゴロの間に千葉も還って3-0とリードを広げる。


 東軍は8回表、白木がレフト前ヒット、古川清蔵は四球を選んで一二塁、金山次郎の二ゴロで古川は二封、金山が二盗を決めて二三塁、ここで打席には当たっている大下、ピッチャー笠松実は逃げずに勝負を挑んだがレフトへタイムリーヒット、東軍が4対0で逃げ切った。


 練習を積んでいた白木義一郎は緩急自在のピッチングで西軍を完封。白木は昭和21年には30勝をあげて戦後最初の最多勝利投手となる。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。


2019年7月27日土曜日

昭和20年 東西対抗 第3戦


12月1日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 3 0 0 0 0 0 3 6 東軍 1勝2敗 0.333 森井茂
1 0 2 2 2 0 1 1 X 9 西軍 2勝1敗 0.667 丸山二三男

勝利投手 丸山二三雄 1勝0敗
敗戦投手 森井茂        0勝1敗 

二塁打 (巨)三好主、(急)下社邦男、(近)丸山二三男、(神)呉昌征
三塁打 (セ)大下弘
本塁打 (セ)大下弘 1号

猛打賞 東軍(セ)大下弘 2 西軍(近)丸山二三男


大下弘、6打点

 西軍は初回、四球と東軍サード三好主のエラーなどで1点を先制する。

 東軍は3回表、森井茂のヒット、西軍サード藤村冨美男のエラーと四球で満塁とし、大下弘がライト後方に走者一掃の三塁打を放ち3-1と逆転に成功する。


 西軍は3回裏、丸山二三男、上田藤夫が連続ヒット、呉昌征と藤村は倒れるが、本堂保次と野口明が連打して3-3の同点に追い付く。


 西軍は4回裏、土井垣武、下社、丸山のヒットで2点を加えて5-3とリード、5回裏には野口明、土井垣のヒットなどで2点を加えて7-3と引き離す。


 西軍は7回、8回にも1点ずつを加えて9-3と大きくリードを広げて試合は9回に進む。


 東軍は9日表、森井に代わる代打白木義一郎がヒット、古川清蔵もヒットを放ち二走者を置いて、大下が右翼観覧席にスリーランホームランを叩き込んで6-9と反撃するがここまで。


 11月25日の対全桐生戦でも本塁打を放った大下弘がこの日もライトスタンドに叩き込んだ。プロ野球同士の試合ではこの一発が初本塁打となる。試合は敗れたものの、大下は東軍の全6打点を叩き出した。

 この試合の勝利投手・丸山二三男は、昭和21年には25勝をあげることとなる。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。



2019年7月24日水曜日

千葉県高校野球史に残る激闘

7月24日 (水) マリン

木更津総合vs習志野

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計 
3 0 0 0 0 0 1 0 1  0   0   5 木更津総合 
2 0 0 0 1 0 0 1 1  0  1X  6 習志野 

 千葉県予選事実上の決勝戦とも言える準決勝「木更津総合vs習志野」戦。期待に違わぬ激闘となりました。

 試合は木総のペースで進みます。習高はバントが決まらず得意の機動力も封じられて後手後手に回りますが伝統の底力を見せて粘ります。


 1点ビハインドの最終回もツーアウト、ツーストライクから空振り三振に見えましたがファウルチップをキャッチャーが捕れず命拾い、四球からチャンスを広げて追い付きました。


 木総は守りを固めたため主力打者がベンチに引っ込み延長戦では粘る飯塚投手を崩せませんでした。


 11回裏二死一三塁からショートへのハーフライナー、来そうで来ない打球をショートがワンバウンドで捕球しましたが握り直した送球が本塁方向に逸れてファーストの足が離れたところに打者走者が駆け込み習高がサヨナラ。


 準々決勝で完投したエース飯塚はリリーフ登板かと思っていましたが、エースで勝負を賭けた習志野の執念が上回ったと言えます。


 手に汗握るシーンの連続で、私が直接見た試合では過去最高の激戦でした。


 習志野高校吹奏楽部と統制のとれたチアが奏でる「レッツゴー習志野」は、マリンで「生」で聞くべきですね。9回以降は、イニングの最初から「レッツゴー習志野」の連続でした。


 明日の決勝も10時試合開始なので、また6時起きです(笑)。






2019年7月23日火曜日

稲川東一郎の戦略


 昭和20年11月25日に桐生新川球場で行われた東軍vs全桐生の試合における全桐生のオーダーは以下のとおり。

(遊) 皆川定之             6打数2安打
(二) 三輪裕章             6打数1安打
(一) 木暮力三(兄)  5打数1安打
(投) 常見茂(兄)      5打数1安打
(左) 池田                    3打数無安打
    右     常見昇(弟)     3打数1安打
(三) 稲川豪一             5打数1安打
(中) 新井                    2打数無安打
    打     木暮英路(弟) 1打数1安打
    左     富田                   1打数0安打
    打     青木重               1打数0安打
(右) 中村栄                5打数2安打
(捕) 井上                    5打数1安打
    打    青木正一             1打数1安打 

 スコアカードは残されていないが、打順表から稲川東一郎の合理的戦略が読み取れる。

 何回かは不明であるが、2打数無安打の七番センター新井に代えて代打に木暮英路を起用して代打安打、次の回から3打数無安打の五番レフト池田に代えて常見昇をライトに入れ、代打の木暮英路に代わり富田が入ってレフト、スペースの関係でスタメンライトの中村栄の守備位置変更は書かれていないがこの時センターに回ったと考えられる。


 この試合で代打に起用した3人のうち木暮英路と青木正一が代打安打を打っている。青木はキャッチャー井上に代えての代打起用であり、12回に勝負を賭けて起用し、期待に応えたものであると考えられる。このヒットがサヨナラ打であったかは不明であるが、勝負を決める一打であったことは間違いない。


 昭和21年都市対抗のテーブルスコアを確認しても、頻繁に外野手を入れ替える選手起用で準優勝を果たすこととなる。この日の試合では守備に定評のあるセカンド三輪裕章とショート皆川定之のコンビは不動。昭和21年の都市対抗でもセカンド中村栄とショート皆川定之のキーストーンコンビは不動であった。サードに大塚鶴雄(柳鶴震)が加わると稲川豪一をキャッチャーにコンバート、中村栄が本職のセカンドに回ると三輪裕章をセンターにコンバートした。


 稲川東一郎監督は、選手全員の能力と状態を見極める眼力に秀でており、的確な選手起用で勝ち抜く合理的戦略を用いていたことが分かる。



2019年7月19日金曜日

東軍vs全桐生

11月25日 (日) 桐生新川

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計 
0 0 0 1 0 3 2 0 1  0   0   0  7 東軍     0勝1敗 
0 0 1 2 0 0 4 0 0  0   0 1X  8 全桐生 1勝0敗

勝利投手 常見茂(兄) 
敗戦投手 白木義一郎 

二塁打 (中)加藤正二、(桐)皆川定之、木暮力三
三塁打 (中)加藤正二
本塁打 (セ)大下弘

猛打賞 東軍(中)加藤正二(4安打)、金山次郎


全桐生、実力勝ち

 昭和20年の東西対抗は11月23日に第1戦がステートサイドパークで行われ、第2戦は11月24日に桐生新川球場で、第3戦と第4戦が12月1日と2日に西宮球場で行われたが、11月25日にも桐生新川球場で東軍vs全桐生の試合が行われたことはあまり知られていない。

 以下、「体育週報」の記述より。


「終戦後関東の球界に活躍しているのは横沢三郎氏を中心としてチームを結成して日本野球連盟に加入したセネタース軍と、桐生の球都にあって異派と交えぬ全桐生軍とである。
桐生軍はかつての職業野球人であった皆川、三輪、木暮、中村等を擁して内野の堅守 一致団結の〇〇等に侮り難いものがある。十八、九日にセネタース軍と対戦して利を失ったものの〇〇して勝利への意欲に燃えている。


 東軍は・・・最初からタジタジの姿であるとこへ内野が凡失を繰り返して・・・桐生がリード。


 7回には東軍が3点をリードしたが、7回裏桐生は5安打で一挙4点を取って試合を逆転、東軍も粘って9回に同点に追いつき延長戦となって観衆を熱狂させたが、試合運は桐生にあり12回裏桐生は四球と投手悪投と内野安打で決勝点をあげ大歓声を受けた。」


 東軍は13安打、全桐生は12安打と打撃は互角であったが、東軍は6失策、全桐生は2失策と、守備力の差が明暗を分けた。東軍で練習を積んでいたのはセネタースの白木義一郎、飯島滋弥、大下弘のみであったのに対して、全桐生は数多くの職業野球経験者が練習を積んでいたことから、実力で東軍を上回っていたのである。


 全桐生は、稲川東一郎監督が桐生中学出身者を集めて戦災のなかった桐生でいち早く練習を積んできた。皆川定之、中村栄、三輪裕章、小暮力三、木暮英路兄弟、青木正一の職業野球経験者や、後にプロ入りする常見茂、常見昇兄弟、稲川豪一がこの試合に出場している。更に戦前屈指の強打の遊撃手であった大塚鶴雄(柳鶴震)が加わり、昭和21年の都市対抗では準優勝することとなる。


*参照「体育週報」、「都市対抗野球大会60年史」。


2019年7月16日火曜日

虎印


 現在、野球殿堂博物館において企画展 「都市対抗野球90回のあゆみ」が開催されています。

 展示品で目を引くのは「大岡虎雄」が使っていたバットですね。「虎印」のロゴから、美津和運動用品店(現・美津和タイガー)のバットで間違いありません。「虎雄」が「虎印」を使っていました。


 現在の美津和タイガーのロゴには「EST 1947」、すなわち「Established 1947」、「1947年創業」が刻印されています。殿堂博物館に展示されているバットは美津和運動用品店の創業間もない当時物ですから「EST 1947」は刻印されていません。
  
 大岡虎雄が都市対抗に出場したのは合計11回。美津和運動用品店の創業年度を考えると、昭和22年か23年に使用されたものと考えられます。

 7月25日まで展示される予定です。必見ですよ(笑)。


*大岡虎雄の直筆サイン入りカード。



戦後初のセーブ


 昭和20年11月24日に桐生新川球場で行われた職業野球東西対抗第2戦、西軍の投手は先発の丸尾千年次とリリーフの笠松実が登板した。

 勝利投手は丸尾千年次であるが、丸尾は3打数無安打、笠松は2打数1安打であった。この打席数から考えると、リリーフの笠松実は3イニング以上を投げている可能性があり、戦後初の「セーブ」が記録された可能性が高い。



2019年7月15日月曜日

昭和20年 東西対抗 第2戦


11月24日 (土) 桐生新川 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
2 0 4 2 0 4 2 0 0 14 西軍 1勝1敗 0.500 丸尾千年次 笠松実 
3 0 1 0 3 0 1 0 1  9  東軍 1勝1敗 0.500 近藤貞雄 森井茂 

勝利投手 丸尾千年次 1勝0敗
敗戦投手 近藤貞雄     0勝1敗 

二塁打 (神)呉昌征2、本堂保次、(急)野口明、上田藤夫、下社邦男、(中)加藤正二、金山次郎、(巨)楠安夫
三塁打 (神)藤村冨美男2、(急)下社邦男、(巨)呉新亨、近藤貞雄(中)藤原鉄之助、古川清蔵

勝利打点 (急)下社邦男 1(当ブログの推測)

猛打賞 西軍 (神)呉昌征(4安打)、(神)藤村冨美男(4安打)、(急)上田藤夫 


桐生遠征

 昭和20年の東西対抗は、当初11月22日と23日にステートサイドパークで行われる予定であったが、22日の試合が雨天中止となり、11月23日に、戦前には使用が認めてもらえなかった神宮球場でプロ野球試合が史上初めて行われた。そして翌日、群馬県桐生市に遠征する。

 群馬県では中島飛行機工場があった太田市で昭和20年2月10日、2月16日、2月25日、4月4日、7月28日、8月14日に空襲があり、8月5日には前橋市と高崎市に大空襲、8月14日から15日にも高崎市と伊勢崎市が空襲に見舞われた。その中で、これらの都市の近隣に位置する桐生市ではB29の飛来は確認されたが奇跡的に戦禍を免れていたのである。


 「体育週報」には「球場は不燃都市桐生も、近隣の前橋、高崎、伊勢崎等が戦災を蒙っているので復興に力を貸して戦災復興住宅建設作業場となっており、外野の奥には木材の堆積、大工さんが働いており試合中も馬車やトラックが出入りするという特異な風景、その中の狭いところで行われた」と書かれている。この試合で二塁打と三塁打が多発した理由は、こうした事情に起因していると考えられる。


 西軍は初回、トップの呉昌征がセーフティバントを決めて出塁、藤村冨美男の三塁打で1点を先制、野口明の二塁打が続いて2-0とリードする。

 東軍は1回裏、四球で走者を溜めると藤原鉄之助が2点タイムリー三塁打、諏訪裕良のタイムリーで3点を奪い逆転に成功する。


 西軍は3回表、下社邦男の三塁打などで4点を追加して逆転。


 西軍は4回表、呉昌征と藤村の長打などで2点を追加、8-4とリードを広げる。


 東軍は5回裏、長打を連発して3点返して7-8と1点差に詰め寄り、なおも一三塁とチャンスを作るが、一走古川清蔵がスタートすると三走近藤貞雄がホームに走りダブルスチールを慣行、ところが近藤がタッチアウトとなって同点のチャンスを逸す。


 東軍先発の近藤貞雄は6回にも大量失点、マウンドを森井茂に譲ることとなった。


 西軍は18安打の猛攻。トップの呉昌征が4安打、二番上田藤夫が3安打、三番藤村冨美男が4安打、四番本堂保次が2安打、五番野口明が2安打と上位打線が爆発した。


 東軍も15安打を放って応戦したが、三番千葉茂の不振が足を引っ張った。


 この試合で大下弘に代わって東軍のスタメンファーストに入りタイムリーを放った諏訪裕良は昭和21年から投手として活躍、後に養子に入って高野裕良と改名し、昭和25年には25勝をあげることとなる。筆者が所属している還暦野球「品川ベースボールクラブ」で、高野投手の息子さんとチームメイトです(笑)。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。


2019年7月11日木曜日

昭和20年 東西対抗 第1戦

11月23日 (金) 神宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計 
1 3 0 0 2 0 2 0 1  9  西軍 0勝1敗 0.000 笠松実 別所昭 丸尾千年次 
3 3 4 1 0 0 2 0 X 13 東軍 1勝0敗 1.000 藤本英雄 白木義一郎 

勝利投手 白木義一郎 1勝0敗
敗戦投手 笠松実        0勝1敗 

二塁打 (グ)鶴岡一人
三塁打 (セ)大下弘
本塁打 (大)藤村冨美男 1号

勝利打点 (セ)大下弘 1

猛打賞 東軍(中)加藤正二(4安打)、(セ)大下弘、(巨)三好主、(セ)白木義一郎


大下弘鮮烈デビュー

 西軍は初回、トップの呉昌征がスリーボールツーストライクから四球を選んで出塁、上田藤夫の三ゴロで呉は二封、藤村冨美男の三ゴロをサード三好主がファンブル、昭和14年以来の出場となる四番鶴岡一人の三塁強襲ヒットで上田が生還して1点を先制、藤村は三進して一死一三塁、野口明の遊ゴロで藤村はホームに突っ込むがタッチアウト、追加得点はならずも藤村の闘志あふれるプレーは健在。

 東軍は1回裏、トップの古川清蔵が左前打で出塁、金山次郎は三邪飛、昭和16年以来の出場となる千葉茂の遊ゴロで古川は二封、加藤正二の三ゴロをサード鶴岡が一塁に大暴投する間に一走千葉が一気に生還して1-1の同点、打者走者の加藤も三塁に進み、大下弘の左前タイムリーで2-1と逆転、楠安夫の三塁線ヒットで大下が生還して3-1、飯島滋弥の遊ゴロをショート上田がエラー、三好も右前打で続いて二死満塁と攻め込むが、藤本英雄は左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。


 西軍は2回表、先頭の岡村俊昭が一二塁間を破って出塁、下社邦男は四球、笠松実がスリーボールツーストライクと粘って三塁線にタイムリーを放ち2-3、トップに返り呉は一ゴロに倒れるが、上田が中前に逆転の2点タイムリーを放って4-3と勝ち越す。続く藤村の遊ゴロはショート金山-セカンド千葉-ファースト飯島と転送されて戦後初のダブルプレーが記録された。


 東軍2回裏の攻撃は一番からの好打順、トップの古川は左飛に倒れるが、続く金山が三遊間を破り、千葉が四球を選んでチャンスを広げ、四番加藤は中飛に倒れるが、大下が右翼フェンス直撃の大三塁打を放って5-4と再逆転、楠の中前タイムリーで6-4と加点する。西軍先発の笠松実は続く飯島に四球を与えたところで降板、二番手に別所昭がマウンドに上がり追加点を防ぐ。


 東軍のマウンドには3回から先発の藤本に代わって白木義一郎が上がる。セネタースは早くから練習を積んでおり、練習不足でスタミナに不安の残る藤本から早目のスイッチとなる。東軍の横沢三郎監督は、73年後に流行することとなる「オープナー」として藤本英雄を先発させたのであった。


 西軍は3回表、先頭の鶴岡が二失に生きるが二盗に失敗、野口明は左飛、土井垣武は二ゴロに倒れて3人で攻撃を終える。


 東軍は3回も一番からの好打順、トップの古川が四球を選び、金山が中前打、千葉は四球で無死満塁の大チャンス、加藤が三塁強襲ヒットを放ち三走古川に続いて二走金山も生還し8-4、ここで別所が踏ん張り大下、楠が連続三振、ところがここで戦後初のダブルスチールを決めて二死二三塁、飯島四球で再度満塁、三好の投越え安打で三走千葉が生還、白木も右前にタイムリーを放ち10-4と大量リードする。


 西軍は4回表、先頭の岡村は遊飛、下社は四球を選ぶが、別所は右飛、呉は二ゴロに倒れて無得点。


 東軍は4回裏、先頭の金山が四球を選んで出塁、千葉は一飛に倒れ、加藤の左前打で金山は三塁に進むが加藤は二塁を欲張り挟殺されて二死三塁、大下の一ゴロをファースト野口明が後逸する間に三走金山が還って1点追加、11-4とする。


 西軍は5回表、先頭の上田が右前打で出塁、藤村の中前への当りに突っ込んだセンター古川が転倒、打球はフェンスまで転がり藤村は一気に生還、戦後初の本塁打は「ランニングホームラン」であった。


 この後東軍は大下の2点タイムリーで加点し、追いすがる西軍を振り切った。


*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したものであり、事実と異なる可能性があります。


2019年7月9日火曜日

関西野球の復活


 昭和20年秋、同志社大学野球部は、復員してきた徳網茂が中心となって今出川グラウンドで練習を開始。蔦文也、櫟信平など後にプロ入りするメンバーが集結する。時期ははっきりしないが、立命館大学とのオープン戦は6対4、5対3で連勝した。

 同じ頃、関西大学野球部は、OBの西村正夫の誘いで、戦争の被害がなかった西宮球場で、阪急軍との合同練習に参加し、天保義夫や今西錬太郎らと共に汗を流した。米軍チームとの試合も西宮球場で行われたのである。

 ステートサイドパークで全早慶戦が行われた同日に、西宮球場では京阪神三都対抗リーグ戦が行われた。記録に残る試合は以下のとおり。

11月18日 (日) 西宮球場 京阪神三都対抗リーグ

全大阪vs全神戸
1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
2 2 0 1 0 0 0 0 0  5   全大阪 0勝1敗
0 0 1 4 0 0 2 3 X 10 全神戸 1勝0敗

全大阪vs全京都
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0  1 全大阪 0勝1敗1分
0 0 0 0 0 0 1 0 0  0  1 全京都 0勝0敗1分

全神戸vs全京都
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0  3  5 全神戸 2勝0敗
0 0 0 0 0 0 0 1 1  0  2 全京都 0勝1敗1分


11月23日 (金) 西宮球場

全大阪vs大学OB
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 0 0 1 0 1 1 0 3 全大阪 0勝1敗
0 0 2 0 0 0 0 3 X 5 大学OB 1勝0敗

全京都vs大学OB
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 2 3 全京都 0勝1敗 
0 0 2 0 0 3 0 0 X 5 大学OB 2勝0敗 


11月25日 (日) 西宮球場 東西六大学OB戦


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
4 0 0 0 5 2 0 0 1 12 関西OB 1勝0敗 
0 4 2 0 2 0 0 0 0  8  関東OB 0勝1敗


 この他にも、京都一商グラウンドで三都対抗リーク戦が行われた模様である。

*参照「同志社大学野球部史」、「関西大学野球部史」、「体育週報」。


2019年7月1日月曜日

三冠への道 令和元年 その2


6月の月間MVP予想

 5月はパーフェクト予想でしたね。

 ア・リーグ打撃部門はルメイヒューで決まりでしょう。114打数45安打、3割9分5厘、6本塁打29打点。ロンドンシリーズでも2試合で12打数7安打7打点でした。コロラドからニューヨークに移ってこの成績、クアーズ・フィールド神話崩壊か。11本塁打のエンカーナシオン、10本塁打のグリエルを始め、本塁打数で上回る打者が16人いるので票は分散する可能性があります。94打数32安打、3割4分、9本塁打22打点の大谷はDHなので票は集まらない。

 ナ・リーグ打撃部門は敢えて得票が望めないコロラドのブラックモンと予想します。22試合で97打数40安打、4割1分2厘、10本塁打25打点。11本塁打29打点のマチャドは3割1分4厘、9本塁打31打点のフリーマンは3割1分5厘なので、試合数が少ないことが嫌気されなければ得票を集めるでしょう。

 ア・リーグ投手部門は6試合で3勝0敗ながら防御率1.89、46奪三振のゲリット・コールが有力。5人の4勝投手を投球内容で上回っています。

 ナ・リーグ投手部門はシャーザーで確実。6勝0敗、防御率1.00、WHIP0.67、45回で68奪三振と、歴史的ピッチングでした。興味の対象は満票を集めるか否かのみ。