2026年9月20日日曜日
22年 東急vs中日 10回戦
2026年9月18日金曜日
22年 巨人vs金星 13回戦
2026年9月17日木曜日
つるとんたん
サンマルクHDが「つるとんたん」を128億円で買収したと報じられています。
以前勤めていた会社で、1990年に心斎橋支店に転勤しました。残業に備えて、心斎橋筋を南に歩いて(←欧陽菲菲か!)、左折して宗右衛門町筋を抜けて日本一交差点方面に歩いた角の「つるとんたん」できつねうどんを注文するのが常でした。まだ普通の町のうどん屋で、メニューも今と違ってオーソドックスでしたね。
まさかあの「つるとんたん」が東京に進出するとはびっくり仰天。六本木店にも行きましたが、当時を知る身としては「ちょっとねぇ~~」という感じ。
128億円の価値になる前に出資していたら大儲けだったのに、残念でしたね(笑)。
当時、心斎橋筋を歩く女性の腕には必ずリチャードのショッパーがぶら下がっていました。今では大阪の街も様変わりしたようです。
2026年9月10日木曜日
「貧打の家庭」の落とし子
宣言通り横浜市中央図書館で確認してきました。
昭和48年8月30日に江夏が延長11回無安打無得点、自らのサヨナラホームランで決着を付けた試合について、翌日の読売新聞は名物コラム「SBO」(現在であれば「BSO」)で次のように報じた。
「捕手の辻が左の手のひらを見せた。真っ赤に腫れて痛々しい。・・・結果は江夏のワンマンショー。この日出場した二十四選手で『背番号28』以外はヒーローを守り立てるわき役に過ぎなかった。しかし、球史に残るヒーローも『貧打の家庭』の落とし子とは皮肉であった。」
筆者は「貧打の申し子」と記憶していたが、実際は「『貧打の家庭』の落とし子」だったことが判明した。53年前の記憶など当てになりませんね(笑)。
読売新聞は「野球は一人でも勝てる」とは書いていませんが、「この日出場した二十四選手で『背番号28』以外はヒーローを守り立てるわき役に過ぎなかった」というのは「野球は一人でも勝てる」と同義語と言える。
筆者は「野球が一人でも勝てる」とは考えていないが、世間では大谷の出現によって「野球は一人でも勝てる」と誤解するようになった。それでも当ブログは、山本尚敏や松井信勝のような球史で知られていない脇役の活躍を伝えていく。
22年 阪急vs太陽 13回戦
2026年9月7日月曜日
松井信勝、突然の打撃開眼
昭和22年第20節、前節まで196打数36安打で打率1割8分4厘だった松井信勝が15打数7安打を記録して敢闘賞を獲得。前節まで2本だった二塁打を3本放つ活躍を見せた。
この兆候は前節にあった。8月21日の中日戦と25日の金星戦で勝利打点を記録して殊勲賞に輝いていたのである。
松井は台湾の出身で嘉義中学時代は1937年と1939年の夏の甲子園に出場。
1937年の嘉義中学は台湾大会決勝で台北商業を7対6の激戦の末破って甲子園出場。松井はまだレギュラーではなく、代打で1打数0安打であった。
1939年の嘉義中学は台湾大会決勝で嘉義農林を4対0で破って甲子園出場。松井は二番ショートで活躍する。甲子園大会初戦は剛腕嶋清一を擁する海草中学と対戦、嶋に2安打完封で敗れた。松井は4打数無安打で、甲子園でヒットを放つことはできなかった。
早稲田大学を経て1946年にパシフィックに入団、272打数65安打で打率2割3分9厘の好成績であったが、打撃面での活躍はほとんど報じられることはなかった。
松井信勝は今季終盤に歴史に残る大記録を樹立することになる。前節と今節の活躍が直接結びつく記録ではないが、球史では無名の松井信勝の活躍にも注目していただきたい。