2024年3月31日日曜日

4度目の退職

2024年3月末で4度目の退職。

1度目は1997年末。1981年に入社した会社が自主廃業したためでした。1996年2月に債券トレーディング部から関連会社の新規事業立ち上げのため出向。新しいマーケットを創る仕事でした。2年の出向期間の予定でしたが、ゼロから始めたマーケットが1年半で40兆円市場に急成長してしまい引くに引けず状態となり、97年夏に1年間の延長要請を受諾。そしたら11月に出向元が自主廃業しちゃいました(笑)。

97年11月は22日(土)、23日(日)、24日(月)(振替休日)の三連休。友人と23日のジャパンカップに行く約束でしたが「何かあったらやめておこう」と言っていました。そしたらその「何か」が起こったのです。

22日早朝、テレビ各局は「Y證券経営破綻」のニュースを伝えていました。午前7時頃、出向先の上司から電話があり「大変なことになったな。君はうちで働いてもらいから。」ということで、三連休初日の午前7時に再就職が決まっちゃいました。なので、当ブログは再就職活動をしていません。

24日の「社員は悪くありません。」の会見は「当り前田のクラッカーじゃろが~~~」と聞いていましたね。「悪い~のはテメーらじゃろが~~~、ボケ!」。

まあ、誰も知らない最後の一週間の出来事はここでは言えません。墓場まで持っていきます。当ブログがやっていたのが資金調達関連の仕事であった、とだけヒントを与えておきましょう(笑)。

出向から転籍に変わって元・出向先の正社員になって年収も4割ほど増えました。ところがぎっちょん、ゼロ金利に向かって鞘抜きが難しくなりその業界も6社から3社に業界再編。早期退職に応募して2001年3月末で2度目の退職。

退職金と失業保険でビジネススクールに通いながら半年ほどプー太郎生活を満喫しました。2002年1月に国家公務員にトラバーユ。今度は市場監視の仕事です。不安定なサラリーマン生活には興味がありませんでしたね(笑)。

2017年3月末、60歳で定年となり3度目の退職。某スポーツ紙でMLB関連のアルバイト生活を満喫していたところ、元職場から「帰ってこいよ~~~」(←松村和子か!)ということで2020年11月から再任用。

2024年3月末、65歳の定年となって4度目の退職を達成しました。「思えば遠くに来たもんだ~~~」(←海援隊か!)てなもんですが、5度目はありませんので悪しからず(笑)。 


予言的中

当ブログの予想どおり健大高崎が優勝。

大谷の60本は厳しそうですが・・・。

最終回、一塁線へのイレギュラーなゴロをファースト森山がベースに飛び込み執念のベースタッチ。あれが効きましたね。


2024年3月30日土曜日

最低限のノルマ

当ブログが3月20日付けで優勝を予言した健大高崎が決勝進出。

まあ、最低限のノルマは達成というとこでしょうか。

相手は当ブログ出生地県 の報徳学園か、当ブログ出身地県の中央学院か。報徳有利とは見ていますが、中央学院の粘りに期待。

因みに群馬も当ブログが転勤で初めて経験した地方支店勤務県なので、どこを応援すべきか迷うところ。



2024年3月20日水曜日

初登板

松井裕樹がメジャー初登板。

桐光学園で甲子園に出てきた時、神奈川予選から評判の好投手であることは聞いていましたが見たことはなかったので、NHKの中継で甲子園初登板を見ました。

この日は上野の美術館に行く予定だったので1イニングだけ見て家を出ようと思っていたのですが、1球見て「こりゃ20三振行くな」と思って上野行きの予定を変更して最後まで見た事実は当ブログでもお伝えしたとおりです。

当時の録画も残っていますので、「ウソだろ~~」とお嘆きのそこのあなた、証拠物件として裁判所に提出しますので訴えて頂戴ね。慰謝料をがっぽり稼げます(←城島か!!!)。

城島のメジャー挑戦に際しての記者会見での発言が「がっぽり稼いできます」だったのを覚えている人もほぼ絶滅しているでしょうね(笑)。

メジャー初登板でも甲子園初登板の時と同じように「緊張」しているのは画像を通じても伝わってきました。松井裕樹は投げ込んで調子を出してくるタイプなので本番はこれからです。

世の中は「大谷じゃぁ~~」、「山本じゃ~~」と騒いでいる昨今ですが、当ブログは「松井裕樹じゃ~~」と騒ぎ続けますのでよろしく。

 

60発

MLBが開幕しました。

大谷は60本と予想します。

 

機動破壊

センバツ高校野球が開幕しました。

ロースコアの今大会、健大高崎の優勝と予想します。

 

2024年1月13日土曜日

22年 大阪vs東急 1回戦

5月8日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 1 0 0 0 2 1 6 大阪 9勝3敗 0.750 若林忠志 
2 0 0 0 0 0 0 1 0 3 東急 6勝7敗 0.462 一言多十

勝利投手 若林忠志 3勝1敗 
敗戦投手 一言多十 2勝1敗

二塁打 (大)武智 (東)苅田、飯島
三塁打 (東)一言

勝利打点(大)武智修 2

猛打賞 (大)武智修 1 (東)一言多十 1


虎が竜の尻尾を捕える

 甲子園の第1試合は若林忠志と一言多十の先発で午後1時5分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は初回、先頭の苅田久徳監督がレフトに二塁打で出塁、横沢七郎の右前タイムリーで1点を先制、続く長持栄吉の三ゴロは「5-4-3」と渡ってゲッツー、大下弘が死球を受けて出塁、飯島滋弥の中越えタイムリー二塁打で2-0とする。

 大阪は3回表、先頭の若林が四球で出塁、武智修も死球を受けて無死一二塁、トップに返り呉昌征が送りバントを決め、塚本博睦はストレートの四球で一死満塁、山口政信がストレートの押し出し四球を選んで1-2、藤村富美男は右直で二死満塁、金田正泰が押し出しの死球を受けて2-2の同点とする。

 大阪は4回表、先頭の土井垣武が三遊間ヒットで出塁すると二盗とワイルドピッチで三進、一死後武智の中前タイムリーで3-2と勝ち越す。

 東急はその裏、先頭の一言が右中間に三塁打、二死後苅田が四球を選んで二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行するが「2-4-2」と転送されて三走一言はタッチアウト、ここがこの試合の勝負を分けた瞬間であった。

 大坂は8回表、先頭の武智がレフト線に二塁打、トップに返り呉の一塁へのヒットで武智は動けず無死一二塁、塚本の左前打で無死満塁、7回の守備から山口に代わってファーストに入っていた玉置玉一がレフトに2点タイムリーを放ち5-2とする。

 東急は8回裏、二死後熊耳武彦が左前打で出塁、一言が一塁線ヒット、柴田繫雄が四球を選んで二死満塁、清水喜一郎の中前打で1点返して3-5、トップに返り苅田は三振に倒れて追加点はならず。

 大阪は9回表、先頭の土井垣が三塁内野安打から二盗に成功、若林が二ゴロで土井垣を進塁させ、武智の一二塁間タイムリーで6-3として東急の戦意を喪失させる。

 若林忠志は11安打を許しながら3四球1死球4三振の完投で3勝目をマークする。

 武智修が決勝打とダメ押し打を放ち、猛打賞と勝利打点の活躍を見せた。

 大阪はこの時点で9勝3敗として首位中日に並んだ。中日はこの後の第2試合で太陽と対戦する。