2026年6月25日木曜日

22年 太陽vs東急 9回戦

8月28日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 2 4 0 7 太陽 35勝43敗3分 0.449 池田善蔵 井筒研一 
0 0 1 0 0 1 0 1 0 3 東急 28勝46敗2分 0.378 黒尾重明

勝利投手 井筒研一 8勝8敗 
敗戦投手 黒尾重明 9勝12敗

二塁打 (太)松井 (東)苅田、鈴木圭一郎
三塁打 (太)藤井2 (東)清水

勝利打点(太)森下重好 10

猛打賞 (太)藤井勇 10 (東)大下弘 7


森下重好、10個目の勝利打点

 第20節初日、甲子園の第1試合は池田善蔵と黒尾重明の先発で午後1時40分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 東急は3回裏、先頭の一言多十が四球を選んで出塁、苅田久徳監督の三ゴロの間に一言は二進、長持栄吉の二ゴロで一言は三進、大下弘の二遊間タイムリーで1点を先制する。

 太陽は6回表、先頭の藤井勇がセンター左奥に三塁打、森下重好は四球で無死一三塁、一死後森下がディレードスチール、キャッチャー鈴木圭一郎からの二塁送球をセカンド苅田が逸らす間に三走藤井が還って1-1の同点に追い付く。

 東急は6回裏、一死後大下が右前打で出塁するが二盗に失敗、白木義一郎が四球を選んで出塁、鈴木圭一郎は死球、黒尾も四球を選んで二死満塁、太陽ベンチはここで先発の池田から井筒研一にスイッチ、大沢喜好に代わる代打熊耳武彦が左前に勝越しタイムリーを放ち2-1とリードする。

 太陽は7回表、先頭の松井信勝が三塁線を抜く二塁打、井筒が送りバントを決めて一死三塁、トップに返り辻井弘は四球から二盗を決めて一死二三塁、藤井が中前に同点タイムリーを放ち2-2と追い付き。一死一三塁から森下の左犠飛で3-2と勝ち越す。

 太陽は8回表、先頭の伊勢川真澄が中前打で出塁、伊勢川が二盗に成功、キャッチャー鈴木圭一郎の悪送球もあって伊勢川は三塁に進み、荒川昇治の右犠飛で4-2、佐竹一雄が中前打で出塁、松井の三遊間安打で一死一三塁、井筒の中前タイムリーで5-2、再度一死三塁からトップに返り辻井弘の左犠飛で6-2、藤井が右中間にタイムリー三塁打を放ち7-2と大きく点差を広げる。

 東急は8回裏、先頭の鈴木圭一郎がレフト線に二塁打、二死後清水喜一郎のタイムリー三塁打で1点返すが反撃もここまで。

 森下重好が10個目の勝利打点を記録して単独トップに立った。二位は9個の大下弘、三位タイは8個で小鶴誠と藤村富美男が続いている。勝利打点は併殺崩れも含まれるので意味の無い数値だと小学生レベルの論評をしている評論家気取りは多数存在するが、発言するなら事実関係を検証してからにすべきである。昭和22年の勝利打点ランキングがこのような状況となっている事実をどう見る?

2026年6月23日火曜日

22年 第19節 週間MVP

週間MVP

投手部門
 南海 中谷信夫 1 3勝0敗1完封。 南海5連勝の立役者。

打撃部門
 南海 山本一人 1 18打数7安打5得点9打点、3本塁打。勝利打点3個。南海5連勝の立役者。

殊勲賞
 大阪 藤村富美男 2 19打数5安打2得点7打点。 
 太陽 井筒研一  1 23日の阪急戦で2安打完封。 
 阪急 上田藤夫  1 22日の中日戦で12回裏サヨナラ打。 
 南海 堀井数男  1 19打数10安打3得点4打点。 4節連続打率4割越え。
 太陽 松井信勝  1 21日の中日戦と25日の金星戦で決勝打。 

敢闘賞
 大阪 本堂保次  2 21打数9安打1得点3打点。 
 大阪 土井垣武  2 19打数8安打1得点2打点。 
 金星 西沢道夫  2 20打数7安打2得点3打点。 
 中日 大沢清   1 21打数7安打1得点2打点。 
 大阪 富樫淳   2 16打数7安打3得点2打点。 

技能賞
 巨人 平山菊二  2 21日の南海戦で塀際の魔術師 。
 太陽 辻井弘   1 22日の金星戦で好判断。

2026年6月21日日曜日

日刊スポーツ マイクロフィルム

 スポーツ紙では最も歴史が古い「日刊スポーツ」は昭和21年3月創刊です。

 そして、創刊以降の全ての記事をマイクロフィルムで閲覧することができますので、昭和21年~24年の実況中継は「日刊スポーツ」の記事で検証することが可能です。

 昨日付けブログで「安井鍵太郎は2015年の訃報で97歳の長寿だったと報道された。」と書きましたが、筆者が横浜市中央図書館で2015年11月11日の記事を「日刊スポーツ」マイクロフィルムで閲覧して確認しています。

 スポーツ紙のマイクロフィルムは、横浜では「日刊スポーツ」だけ閲覧できますが、他紙もマイクロフィルム化されているようなので、全国の図書館でご確認ください。但し、昭和21年~24年の記事は創刊が古い「日刊スポーツ」しか無いかもしれません。

 横浜市中央図書館で調べ物をする際は、近くにある横浜を代表する町中華の「三幸苑」、スパイスの効いた「キクヤカリー」や「ムムムカリー」でランチしてから行くのがお勧めです。


2026年6月20日土曜日

22年 阪急vs中日 11回戦

8月25日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 3 0 0 0 0 0 4 阪急 37勝42敗3分 0.468 野口二郎
0 1 0 1 0 0 0 0 0 2 中日 46勝29敗1分 0.613 藤本英雄 服部受弘

勝利投手 野口二郎 15勝12敗 
敗戦投手 服部受弘 13勝4敗

二塁打 (中)藤本、小鶴、藤原、古川
三塁打 (急)下社

勝利打点(急)安井鍵太郎 2

猛打賞 (急)田中幸男(4安打)3


安井鍵太郎が決勝打、田中幸男が追撃打

 第19節最終戦、西宮の第2試合は野口二郎と藤本英雄の先発で午後3時20分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は初回、先頭の山田伝がストレートの四球で出塁すると二盗に成功、上田藤夫が走者を進める右打ちで一ゴロ、これが進塁打となって一死三塁、野口明の左前タイムリーで1点を先制する。

 中日は2回裏、二死後藤本が左中間に二塁打、藤原鉄之助が三塁線を抜くタイムリーを放ち1-1の同点に追い付く。この時の守備でアクシデントがあったのか、サード荒木茂は安井鍵太郎と交代する。荒木はこの後しばらく欠場が続くので、怪我があった模様。

 中日先発の藤本は2回で降板し、3回から服部受弘がマウンドに上がる。

 阪急は4回表、二死後日比野武のライトへの当りを杉江文二が落球、下社邦男の遊ゴロもショート杉浦清監督がエラーして二死一二塁、安井鍵太郎が三遊間を破るタイムリーを放ち2-1と勝越し、送球の間に一走下社は三塁に進み、打者走者の安井も二塁に達して二死二三塁、田中幸男がライト線に2点タイムリーを放ち4-1とリードする。

 中日は4回裏、先頭の小鶴誠がセンター左奥に二塁打、二死後藤原が三塁線を抜くタイムリー二塁打を放ち2-4とする。

 5回以降は両軍無得点。

 野口二郎は7安打無四球3三振の完投で15勝目をマークする。

 突然のアクシデントで途中出場した安井鍵太郎が決勝打を放った。安井の勝利打点は7月15日の巨人戦以来今季2個目となるが、7月15日の週は絶好調で17打数9安打を記録して第13節の週間MVPに輝いた。

 田中幸男が勝負を決める2点タイムリーを放った。この日は4打数4安打で今季3度目の猛打賞、4安打は6月21日の東急戦以来今季2度目となる。

 安井鍵太郎も田中幸男も歴史に埋もれてその実像はほとんど伝わっていない。

 安井鍵太郎は2015年の訃報で97歳の長寿だったと報道された。

 田中幸男は滝川中学時代、セカンドの伊東甚吉と組んだ二遊間コンビは全国一と言われた。

2026年6月18日木曜日

22年 東急vs大阪 14回戦

8月25日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 1 1 1 0 1 0 5 東急 28勝45敗2分 0.384 出沢政雄 黒尾重明 
2 0 0 0 0 0 0 0 X 2 大阪 52勝26敗3分 0.667 若林忠志

勝利投手 黒尾重明   9勝11敗 
敗戦投手 若林忠志 16勝9敗

二塁打 (東)黒尾
三塁打 (東)長持
本塁打 (東)苅田久徳 2号、白木義一郎 2号

勝利打点(東)一言多十 4


東急、打線の組み換えで連敗ストップ

 第19節最終日、後楽園の第2試合は出沢政雄と若林忠志の先発で午後3時17分、西垣球審の右手が上がりプレイボール。

 今節4連敗で最下位に低迷する東急は首位大阪にプロ入り初登板のサウスポー出沢政雄をぶつけてきた。

 大阪は初回、先頭の呉昌征が中前打で出塁すると二盗に成功、塚本博睦の中前打で無死一三塁、ダブルスチールを決めて1点を先制、本堂保次の中前打で無死一三塁、東急ベンチは早くも先発の出沢から黒尾重明にスイッチ、藤村富美男の中犠飛でこの回2点を先制する。

 東急は2回表、先頭の大下弘が四球で出塁、白木の中前打で無死一二塁、鈴木圭一郎の右前打で無死満塁、苅田久徳監督の右犠飛で1点返して1-2とする。

 東急は4回表、先頭の大下が遊失で出塁するが二盗に失敗、二死後鈴木圭一郎が中前打で出塁、苅田の左前打で二死一二塁、黒尾の右前タイムリーで2-2の同点に追い付く。

 東急は5回表、このところトップに起用されている長持栄吉の当りがセンターにヒット、これが大きくイレギュラーして抜けて行き三塁打、一言多十の右前タイムリーで3-2と勝ち越す。

 東急は6回表、一死後苅田がレフトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで4-2とする。

 東急は8回表、先頭の白木がレフトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで5-2とする。

 初回無死でリリーフした黒尾重明は9回を投げて1安打6四球2三振無失点。実質1安打完封で9勝目をマークする。

 最下位に低迷する苅田監督はこのところ打線を入れ替えてテコ入れを図ってきた。一番に起用した長持栄吉が決勝点のお膳立てとなる三塁打で勝利に貢献。この日は大下をファーストに回して白木をレフトで先発起用、その白木も貴重な追加点となる本塁打を放った。

 苅田自身も追撃の第2号ホームランを放ち、東急は久々の勝利で5連敗を免れた。

2026年6月16日火曜日

22年 金星vs太陽 14回戦

8月25日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 1 0 3 金星 30勝46敗2分 0.395 江田孝 内藤幸三 清原初男 
0 0 1 2 2 3 0 0 X 8 太陽 34勝43敗3分 0.442 井筒研一 真田重蔵

勝利投手 真田重蔵 15勝14敗 
敗戦投手 江田孝      7勝17敗

二塁打 (太)藤井
三塁打 (金)大友 (太)佐竹、森下

勝利打点(太)松井信勝 3


両軍合計4犠飛

 第19節最終日、西宮の第1試合は江田孝と井筒研一の先発で午後1時36分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は初回、先頭の酒沢政夫が右前打で出塁、大友一明が右中間に先制のタイムリー三塁打を放ち1-0、一死後西沢道夫が四球を選び、清原初男の左犠飛で2-0とリードする。

 太陽は3回裏、先頭の佐竹一雄が右越えに三塁打、一死後井筒が四球を選び、トップに返り辻井弘の中犠飛で1点返して1-2とする。

 太陽は4回裏、先頭の森下重好が右中間に三塁打、中谷順次の中犠飛で2-2の同点に追い付き、伊勢川真澄が右前打で出塁、荒川昇治の一ゴロの間に伊勢川が二塁に進んで二死二塁、松井信勝の中前タイムリーで3-2と逆転に成功する。続く井筒に代えて蔵本光夫を代打に起用するが中飛に倒れる。

 先発井筒に代打を出した太陽は5回から真田重蔵をマウンドに送る。

 太陽は5回裏、先頭の辻井が中前打で出塁、金星ベンチはここで先発の江田から内藤幸三にスイッチ、藤井勇が右越えにタイムリー二塁打を放ち4-2、森下の三ゴロで二走藤井が飛び出して二三塁間に挟まれ、「5-4-5」と転送されてタッチアウト、この間に打者走者の森下は二塁に進み、二死後伊勢川の中前タイムリーで5-2とリードを広げる。

 太陽は6回裏、一死後松井が四球で出塁、真田の遊ゴロをショート中村信一がエラー、トップに返り辻井の投前バントを内藤が間に合わない三塁に送球し、これが悪送球となる間に二走松井が生還して6-2、バックアップしたレフト小前博文はホームに送球、一走真田は三塁に進んでいたがオーバーラン、これを見たキャッチャー清原が三塁に悪送球して真田も生還して7-2、更に打者走者の辻井まで二塁、三塁を回ってホームに還って8-2と大きくリードする。

 このプレーで、辻井には犠打が記録され、ピッチャー内藤の三塁送球は野選と悪送球による失策、更にキャッチャー清原の悪送球による失策が記録された。太陽はノーヒットで3得点、内藤の3失点は自責点ゼロだった。

 金星は8回表、先頭の大友の当りは二ゴロ、これをセカンド荒川昇治がエラー、坪内道則監督の右前打で無死一二塁、西沢道夫の投ゴロで坪内が二封されて一死一三塁、清原の中犠飛で1点返して3-8とするが反撃もここまで。

 リリーフの真田重蔵は5イニングを2安打無四球無三振1失点、自責点ゼロの好投で15勝目をマークする。

 両軍合計4犠飛を記録。清原初男は2犠飛であった。既報のとおり、犠飛は昭和16年から公式記録から外されて、復活するのは昭和29年からになるので、本日記録された4本の犠飛は公式記録では全て凡打扱いになって打数に加算されている。

2026年6月14日日曜日

訂正のお知らせ

 読者の方からのご指摘により、2012年2月10日付け「14年 セネタースvsタイガース 9回戦」におけるセネタース4回表の攻撃での得点経過を修正しました。 
(誤)「柳鶴震のタイムリー二塁打で5-0」 
(正)「柳鶴震が左中間を破るタイムリー二塁打を放ち4-0、佐藤武夫の遊ゴロの間に柳は三進して一死三塁、家村相太郎の中犠飛で5-0とする。」  
 私の解読ミスが原因でした。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願い申し上げます。

 なお、この日(昭和14年9月6日)の家村相太郎の中犠飛は公式記録になります。

 「犠飛」については、1939(昭和14)年に大リーグの規則改正により公式記録となりました。日本では導入が少し遅れて昭和14年4月22日以降は公式記録として扱われることになりました。
 ところが昭和16年から「犠飛」は公式記録から外され、「打点」は記録されますが「凡打」の扱いとなって打数に加算されることになりました。軍部からの指摘という説もありますが、戦後も昭和28年まで継続され、昭和29年から公式記録となります。

 例えば川上哲治の公式記録では、昭和14年と15年の「犠飛」は4本と4本で、昭和29年は7本が記録されて以降は昭和33年の引退年まで毎年記録されていますが、昭和13年春秋と昭和16年~昭和28年は「犠飛」が記録されていません。

 当ブログでは、「犠飛」が公式記録ではなかった時期についてもスコアカードから「犠飛」と認められるケースは全て「犠飛」として実況中継しており、この間の「幻の犠飛」は全て集計しています。