2026年9月20日日曜日

22年 東急vs中日 10回戦

9月4日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 東急 32勝47敗2分 0.397 白木義一郎 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 中日 48勝32敗1分 0.600 清水秀雄

勝利投手 白木義一郎 15勝19敗 
敗戦投手 清水秀雄     14勝8敗

本塁打 (東)黒尾重明 1号

勝利打点(東)黒尾重明 1


白木が完封、黒尾が決勝本塁打

 後楽園の第2試合は白木義一郎と清水秀雄の先発で午後2時42分、西垣球審の右手が上がりプレイボール。

 大下弘は死球の影響でこの試合も欠場。

 中日は初回、一死後金山次郎の当りは遊ゴロ、ショート鈴木清一からの送球を久々復帰のファースト飯島滋弥が逸らして一死一塁、大沢清の遊ゴロをショート鈴木清一がベースを踏んで一塁送球、「6B-3」のゲッツー。

 中日は2回裏、先頭の小鶴誠が四球を選んで出塁、しかし杉浦清監督の二ゴロをセカンド苅田久徳監督が華麗に捌き「4-6-3」と渡ってここもゲッツー。

 中日は4回裏、一死後小鶴がピッチャー強襲ヒット、二死後加藤正二はストレートの四球で二死一二塁、清水のセンターに抜けるかという二遊間へのゴロをセカンド苅田が逆シングルで好捕して一塁アウトのファインプレー。

 東急先発の白木は序盤は走者を出したが味方の好守に助けられ、5回から7回は三者凡退と立ち直り無失点を続ける。

 中日先発の清水は7回まで東急打線を苅田の三塁内野安打1本に抑える好投。

 東急は8回表、この日ライトに起用された黒尾重明がレフトスタンドにプロ入り初ホームラン、1点を先制する。

 中日は最終回、一死後小鶴の当りは三ゴロ、これをサード大沢喜好が一塁に悪送球して打者走者の小鶴は二塁に進み、代走に「スペシャリスト」山本尚敏を起用、山本が三盗を決めて一死三塁、この時キャッチャー鈴木圭一郎からの三塁送球が逸れたが山本は自重、杉浦の遊ゴロは当りが良すぎて山本は三塁ストップ、最後は白木が加藤を右飛に打ち取り東急が接戦を制す。

 白木義一郎は3安打2四球1死球1三振で今季5度目の完封、15勝目をマークする。

 黒尾重明のプロ入り初ホームランで1対0の勝利となったが、これは近年話題になっている。

 2026年7月5日、巨人の笹原がプロ5年目で初ホームランを放ち1対0で巨人が中日を破った。翌日の日刊スポーツは、外国人を除く「プロ初ホームラン1対0の勝利」となったのは2025年6月29日の巨人の中山以来のことでプロ野球史上13人目と報じ、過去のこの記録のリストを紙面に掲載したのである。

 その記事によると、プロ野球史上初の「プロ初ホームラン1対0の勝利」は昭和16年10月12日の土井垣武とのことで、筆者もスコアカードで確認した。昭和17年7月2日の岩本章が2本目で、この日の黒尾重明はプロ野球史上3本目の「プロ初ホームラン1対0の勝利」となった。

 この件は黒尾重明の「Wikipedia」にも掲載されているが、「投手としては初」と書かれている。黒尾重明が「投手」であることは間違いないが、この試合では大下弘が死球の影響で欠場したため黒尾重明は七番ライトで出場しており、白木が完封したので黒尾は登板していない。

 したがって、実質的な「投手としては初」の「プロ初ホームラン1対0の勝利」は昭和32年9月1日の「堀内庄」ということになる。

*この件については、横浜市中央図書館で閲覧した2026年7月6日付け「日刊スポーツ」の記事を参照した。また、昭和32年9月1日に堀内庄が投手として先発したことは「スタメンアーカイブ」で確認した。

2026年9月18日金曜日

22年 巨人vs金星 13回戦

9月4日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 1 0 2 巨人 40勝43敗1分 0.482 川崎徳次 
0 0 0 0 0 4 0 0 X 4 金星 31勝49敗2分 0.383 三富恒雄

勝利投手 三富恒雄   5勝9敗 
敗戦投手 川崎徳次 17勝10敗

二塁打 (金)清原
三塁打 (巨)平山 (金)西沢

勝利打点(金)西沢道夫 4


金星、集中打で快勝

 第21節初日、西宮の第1試合は川崎徳次と三富恒雄の先発で午後1時30分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 前半戦は両軍無得点。

 巨人は6回表、先頭の山川喜作が左前打で出塁、田中資昭が三前に送りバントを決めて一死二塁、千葉茂の中前タイムリーで1点を先制する。

 金星は6回裏、先頭の大友一明に代わる代打中村信一が右前打で出塁、坪内道則監督の左前打で無死一二塁、西沢道夫が右中間に逆転の2点タイムリー三塁打を放ち2-1、清原初男の右前タイムリーで3-1、玉腰忠義が送りバントを決めて一死二塁、小前博文の左前打で一死一三塁、三富の遊ゴロで三走清原がホームに突っ込み、ショート田中が本塁に送球するがセーフ、野選が記録されて4-1とする。 

 巨人は8回表、二死後川上哲治が中前打で出塁、平山菊二が中越えにタイムリー三塁打を放ち2-4とするが反撃もここまで。

 三富恒雄は8安打1四球2三振の完投で5勝目をマークする。

 このところ活躍が目立つ西沢道夫が決勝の逆転三塁打を放った。続く清原初男の追撃タイムリーが試合を決めた。

 両軍8安打ずつであったが、金星は6回に5安打を集める集中攻撃で快勝した。

 阪急とゲーム差なしでAクラスを争う巨人としては、エース川崎徳次で手痛い敗戦となった。

2026年9月17日木曜日

つるとんたん

 サンマルクHDが「つるとんたん」を128億円で買収したと報じられています。

 以前勤めていた会社で、1990年に心斎橋支店に転勤しました。残業に備えて、心斎橋筋を南に歩いて(←欧陽菲菲か!)、左折して宗右衛門町筋を抜けて日本一交差点方面に歩いた角の「つるとんたん」できつねうどんを注文するのが常でした。まだ普通の町のうどん屋で、メニューも今と違ってオーソドックスでしたね。

 まさかあの「つるとんたん」が東京に進出するとはびっくり仰天。六本木店にも行きましたが、当時を知る身としては「ちょっとねぇ~~」という感じ。

 128億円の価値になる前に出資していたら大儲けだったのに、残念でしたね(笑)。

 当時、心斎橋筋を歩く女性の腕には必ずリチャードのショッパーがぶら下がっていました。今では大阪の街も様変わりしたようです。


2026年9月10日木曜日

「貧打の家庭」の落とし子

 宣言通り横浜市中央図書館で確認してきました。

 昭和48年8月30日に江夏が延長11回無安打無得点、自らのサヨナラホームランで決着を付けた試合について、翌日の読売新聞は名物コラム「SBO」(現在であれば「BSO」)で次のように報じた。

「捕手の辻が左の手のひらを見せた。真っ赤に腫れて痛々しい。・・・結果は江夏のワンマンショー。この日出場した二十四選手で『背番号28』以外はヒーローを守り立てるわき役に過ぎなかった。しかし、球史に残るヒーローも『貧打の家庭』の落とし子とは皮肉であった。」

 筆者は「貧打の申し子」と記憶していたが、実際は「『貧打の家庭』の落とし子」だったことが判明した。53年前の記憶など当てになりませんね(笑)。

 読売新聞は「野球は一人でも勝てる」とは書いていませんが、「この日出場した二十四選手で『背番号28』以外はヒーローを守り立てるわき役に過ぎなかった」というのは「野球は一人でも勝てる」と同義語と言える。

 筆者は「野球が一人でも勝てる」とは考えていないが、世間では大谷の出現によって「野球は一人でも勝てる」と誤解するようになった。それでも当ブログは、山本尚敏や松井信勝のような球史で知られていない脇役の活躍を伝えていく。

 

22年 阪急vs太陽 13回戦

9月4日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 41勝43敗3分 0.488 野口二郎 
0 1 0 0 0 0 0 0 X 1 太陽 37勝45敗4分 0.451 真田重蔵

勝利投手 真田重蔵 17勝14敗 
敗戦投手 野口二郎 17勝13敗

本塁打 (太)真田重蔵 1

勝利打点(太)真田重蔵 1


野球は一人でも勝てる

 第21節初日、後楽園の第1試合は野口二郎と真田重蔵の先発で午後零時59分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は初回、一死後上田藤夫が三塁に内野安打、二死後野口明は四球を選んで一二塁とするが、田中幸男は二ゴロに倒れて無得点。

 太陽は1回裏、一死後藤井勇が右前打で出塁、森下重好の三ゴロをサード安井鍵太郎がエラー、中谷信夫は遊飛に倒れるが、伊勢川真澄が左前打を放って二死満塁、しかし荒川昇治は三振に倒れて無得点。

 太陽は2回裏、先頭の佐竹一雄が左前打で出塁、打撃好調の松井信勝の当りは痛烈なサードライナー、佐竹が戻れずダブルプレー、二死無走者となったが、真田がレフトスタンドに第1号ホームラン、1点を先制する。

 真田重蔵は5安打2四球2三振で今季4度目の完封、17勝目をマークする。

 8月の月間MVPに輝いた真田重蔵と、投球内容では真田を上回っていた野口二郎の対決は期待通りの投手戦となった。

 真田の本塁打は昭和21年9月8日に後楽園球場で石田光彦から放ったプロ入り第1号以来、通算2本目である。この試合の模様は、2021年8月11日付けブログ「石田光彦最後の投球」をご参照ください。

 試合後のインタビューで真田が「野球は一人でも勝てる」と語ったかは定かではない。この名言は、昭和48年8月30日に江夏が延長11回無安打無得点、自らのサヨナラホームランで決着を付けた直後のインタビューで語ったと伝わるが、実際は江夏の口から出た言葉ではなかったとも言われている。

 「野球は一人でも勝てるか?」の問いに対しては、当ブログは無理でしょうと答える。この試合では、5回にセカンド荒川昇治が一二塁間の難しい当たりを好捕、6回にもショート松井信勝が難しい飛球を好捕するファインプレーに助けられた。江夏の延長11回無安打無得点の試合でも、ショートの藤田平が三遊間を抜けるかという当りを逆シングルで好捕して間一髪アウトにしたプレーを覚えている。阪神対中日戦なので試合中継を見ていたはずはないが、「スポーツニュース」で見たものだと思う。翌日の読売新聞には「貧打の申し子」というようなタイトルで囲み記事が書かれていたと記憶している。当時の記憶なので要確認。今度、横浜市中央図書館で確認してきます。

2026年9月7日月曜日

松井信勝、突然の打撃開眼

 昭和22年第20節、前節まで196打数36安打で打率1割8分4厘だった松井信勝が15打数7安打を記録して敢闘賞を獲得。前節まで2本だった二塁打を3本放つ活躍を見せた。

 この兆候は前節にあった。8月21日の中日戦と25日の金星戦で勝利打点を記録して殊勲賞に輝いていたのである。

 松井は台湾の出身で嘉義中学時代は1937年と1939年の夏の甲子園に出場。

 1937年の嘉義中学は台湾大会決勝で台北商業を7対6の激戦の末破って甲子園出場。松井はまだレギュラーではなく、代打で1打数0安打であった。 

 1939年の嘉義中学は台湾大会決勝で嘉義農林を4対0で破って甲子園出場。松井は二番ショートで活躍する。甲子園大会初戦は剛腕嶋清一を擁する海草中学と対戦、嶋に2安打完封で敗れた。松井は4打数無安打で、甲子園でヒットを放つことはできなかった。

 早稲田大学を経て1946年にパシフィックに入団、272打数65安打で打率2割3分9厘の好成績であったが、打撃面での活躍はほとんど報じられることはなかった。

 松井信勝は今季終盤に歴史に残る大記録を樹立することになる。前節と今節の活躍が直接結びつく記録ではないが、球史では無名の松井信勝の活躍にも注目していただきたい。

 

2026年9月6日日曜日

22年 第20節 週間MVP

週間MVP

投手部門
 阪急 野口二郎 1 2勝0敗1セーブ。今節4連勝阪急で投の主役。

打撃部門
 巨人 平山菊二 2 18打数8安打3得点8打点、勝利打点2個。昭和22年の巨人の主砲は川上ではなく平山だった。

殊勲賞
 南海 丸山二三雄 1 28日の巨人戦で代打同点スリーラン。
 阪急 田中幸男  2 29日の大阪戦で決勝満塁走者一掃二塁打。
 阪急 青田昇   3 17打数4安打3得点3打点、勝利打点2個。
 大阪 本堂保次  1 16打数7安打2得点4打点、勝利打点1個。

敢闘賞
 南海 田川豊  2 20打数10安打2得点1打点。
 金星 西沢道夫 3 17打数9安打1得点4打点。
 東急 大下弘  3 12打数7安打4得点2打点。死球を受けて9月1日は欠場。
 太陽 中谷順次 1 19打数8安打2得点2打点。
 巨人 山川喜作 2 21打数8安打3得点1打点。
 太陽 松井信勝 1 15打数7安打4得点、二塁打3本。

技能賞
 金星 玉腰忠義 1 5年ぶり復帰で9打数5安打。
 金星 清原初男 1 30日の大阪戦、先発して6回まで投げ、7回からはショート、9回にはマスクを被る。
 中日 山本尚敏 1  9月1日の金星戦で代走から二盗とサヨナラ本盗を決め、「走り屋」の本領発揮。