本日の千葉県予選5回戦は専修大学松戸高校(以下「専松」)と千葉商科大学付属高校(以下「商大付属」)が対決。
Cシードの商大付属がAシードの専松に挑んだ試合は2対1で専松が地力の差を見せましたが、商大付属の健闘に拍手。
筆者の実家は市川市の北側、千葉県市川市国分4丁目(当時は国分町1965)で、商大付属までは歩いて10分もかからない。専松はその北方で、筆者から見れば地元対決になります。
現在では千葉では木更津総合と並んで甲子園常連校となった専松ですが、甲子園出場は商大付属の方が早かったことはあまり知られていないと思うので説明しよう。
1982年センバツ、剛腕平沼を擁して甲子園初出場を果たしました。筆者の実家の前の道で「チャカチャカ」と音がしてくると、「商大付属の野球部の連中だな」と分かりました。アスファルトの道をスパイクでランニングしていたようです。当時は商大付属も専松も甲子園に行けるとは思ってもみなかった時代でしたが、平沼定晴が出てきた時は地元でも「行けるか」の声が高まっていました。社会人2年目で仕事も忙しくなってきた時期だったので球場に行くことはなかったですが、思ってもみなかった甲子園初出場を誇らしく思ったのはいい思い出です。
平沼の名前が全国区になったのは中日からロッテ移籍後のこと。清原の内角に投げたツーシームが清原の肘に当たり、激高した清原が平沼にバットを投げつけて向かってきます。平沼はひるむことなく清原に向かって突進、清原も負けじと平沼にフライングニ―ドロップ、と思った瞬間清原も「まずい」と思ったか体を反転させてヒップドロップとなって平沼がひっくり返りました。
清原が体を反転させずに「ひざ蹴り」が平沼に直撃していたらとんでもないことになっていたでしょう。平沼が重症だったら清原は引退を迫られたかもしれません。清原の「防衛本能」とたぐい稀な「運動神経」が大惨事を免れた要因でした。
翌日、清原が謝罪に来ましたがロッテのベテラン陣に怒鳴り付けられて直接の謝罪はできなかったようです。後年、テレビ番組で清原が謝罪して、今では仲の良いコンビになっていますね。
名将持丸監督を招聘して今では甲子園常連校となった専松、共学校に変わって水泳では何人もオリンピック選手を輩出している商大付属、時代が変わって今では筆者も横浜に住んでいますがチバテレは見ることができます。高校野球は千葉ですね。
ということで、本日までは商大付属を応援していましたが、明日からはベスト8に進んだ専松の応援に専念できることになりました(笑)。