2026年8月6日木曜日

22年 南海vs太陽 15回戦

8月31日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0   0   0  1 南海 43勝37敗4分 0.538 別所昭 
1 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  1 太陽 36勝44敗4分 0.450 真田重蔵

二塁打 (南)河西 (太)中谷、松井

勝利打点 なし

猛打賞 (太)中谷順次 4


真田重蔵、1カ月で3度目の延長12回引分け

 甲子園の第2試合は別所昭と真田重蔵両エースの先発で午後3時14分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、一死後藤井勇が四球を選んで出塁、二死後中谷順次がレフト線にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。

 南海は3回表、先頭の別所の当りは遊ゴロ、これをショート松井信勝が一塁に悪送球、筒井敬三の三ゴロでランナーが入れ替わり、小林悟楼の左前打で一死一二塁、しかし小林はキャッチャー伊勢川真澄からの牽制球に刺され、安井亀和が四球を選んで二死一二塁とするが後続なし。

 南海は5回表、先頭の別所が左前打で出塁、しかし一死後小林のファーストライナーに別所が飛び出してダブルプレー。

 南海は6回表、一死後河西俊雄がライト線に二塁打、ここで河西が三盗、キャッチャー伊勢川の三塁送球が悪送球となって河西が生還、1-1の同点に追い付く。

 太陽は8回、9回と二走者を出すが無得点、試合は延長戦に突入。

 南海は10回表、先頭の別所が三塁線にヒット、筒井の投ゴロでランナーが入れ替わり、筒井は二盗に成功、小林は四球で一死一二塁、トップに返り安井の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 南海は12回表、先頭の堀井数男が中前打で出塁するが、飯田徳治の投ゴロ併殺打でチャンスを潰す。

 太陽は12回裏、先頭の佐竹一雄が左前打で出塁、代走に蔵本光夫を起用、松井が送って一死二塁と最後のチャンス、しかし別所が粘って後続を抑え、延長12回引き分く。

 月間MVP候補の真田重蔵は延長12回を6安打4四球8三振、1失点自責点ゼロで完投。真田は7月31日の大阪戦、8月2日の大阪戦に続いて1カ月で3回目の延長12回引分け完投となった。

2026年8月2日日曜日

訂正のお知らせ

 7月22日付けブログ「巨人vs東急 12回戦」において、白木義一郎の勝敗数を「15勝9敗」とお伝えしていていましたが、「15勝19敗」の間違いでしたので、お詫びして訂正いたします。

 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


2026年7月31日金曜日

22年 中日vs大阪 13回戦

8月31日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 中日 47勝31敗1分 0.603 清水秀雄 
0 0 0 0 0 2 0 0 X 2 大阪 54勝27敗3分 0.667 若林忠志

勝利投手 若林忠志 17勝9敗 
敗戦投手 清水秀雄 14勝7敗

勝利打点(大)藤村富美男 9


大阪が首位独走を決定付ける勝利

 後楽園の第2試合は清水秀雄と若林忠志の先発で午後2時53分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 二位中日と首位大阪の差は4.5ゲーム差。中日はこの試合に勝てばまだチャンスは残る。月間MVPを狙う清水も負けられない一戦。

 前半戦は両投手の好投で5回まで両軍無得点。

 大阪は6回裏、先頭の呉昌征が四球を選ぶと、続く塚本博睦の初球に二盗に成功、塚本の当りは三ゴロ、これをサード三村勲がエラー、無死一三塁から金田正泰の投ゴロで三走呉は動かず塚本は二進して一死二三塁、このチャンスに藤村富美男が中前にタイムリーを放ち二者を迎え入れて2-0とリードする。

 若林忠志は4安打無四球1三振で今季5度目の完封、17勝目をマークする。 

 大阪は二位中日に5.5ゲーム差を付けた。この試合から首位独走態勢を固めたと言える貴重な1勝であった。

 清水秀雄は8イニングを6安打1四球5三振2失点、自責点1であった。史上稀に見る激しい月間MVP争いを続ける清水としては、1敗以上に大きい敗戦となった。

 中日としては名手三村勲の失策が痛かった。

 三村勲は飯塚商業で2年先輩の小鶴誠の後輩となる。昭和21年に中日入りするきっかけは先輩小鶴の存在が大きかった。赤嶺旋風など、この後は小鶴誠と行動を共にすることになり、昭和25年の松竹水爆打線では二番打者として貴重な活躍を見せてセ・リーグ初優勝に貢献する。二番ながら16本塁打で犠打はゼロであった。現在では二番に強打者を配置するのは常識になっている。日本では西鉄の豊田泰光が「強打の二番打者の元祖」と言われることが多いが、史実としては「強打の二番打者の元祖」は三村勲であったと言えるのではないか。この点については、もう少し事実関係を精査してから発表する予定である。

 昭和21年から23年の3年間で2本塁打だった三村が、昭和24年と25年に二桁本塁打を記録したのはラビットボールの影響であったが、この2年間で三村は打法転換に成功し、昭和25年から27年の3年間はリーグ最多三振と振り切る打撃に転換し、ラビットボール廃止後にも2度二桁本塁打を記録することになる。

2026年7月24日金曜日

「2-4-3IP」

 昭和22年8月31日、後楽園の第1試合巨人vs東急戦、1回表巨人の攻撃。二死満塁の場面で「2-4-3IP」により三走田中資昭にスリーアウト目が記録された。

 スコアカードの記載を解説すると、キャッチャー鈴木圭一郎が二塁に送球して三走田中資昭がファースト熊耳武彦の守備を妨害して「イリーガルプレー」が記録されたことになる。

 この試合の熊耳の刺殺数を確認しても、このプレー以外の刺殺は6個で、この試合の熊耳の刺殺数は7個なので、このプレーで熊耳に刺殺が記録されたことは間違いない。

 公認野球規則によると、

「走者が野手を妨害してアウトが宣告された場合ーーー妨害された野手に刺殺を与える。」

とされている。

 筆者が見ている公認野球規則は「9.09(C)(6)」であるが、公認野球規則は毎年更新されるので最新版では「条ずれ」が生じているはずである。

 「2-4-3IP」は田中資昭のスリーアウト目に記録されているので、三走田中の守備妨害によりファースト熊耳に刺殺が記録されたことは間違いない。

 二走川上が離塁したのは、ディレードスチールを仕掛けたのかと考えられるが、川上の離塁を見てキャッチャー鈴木圭一郎は二塁ベースカバーに入ったセカンド苅田久徳に送球した。その後に三走田中がホームに走り、ファースト熊耳の守備を妨害して田中にインターフェアが宣告されてスコアカードには「イリーガル(I.P.)」が記載された。

 キャッチャー鈴木圭一郎が二走川上の離塁を見て二塁に送球し、川上が二三塁間に挟まれた際、ファースト熊耳は、二死満塁の場面なので、一塁走者は無視してホームベースカバーに走った。三走田中は二三塁間挟殺プレーの隙を見てホームに突っ込んだが、ファースト熊耳が三本間に陣取っており、セカンド苅田から熊耳に送球されて、田中が熊耳に体当たりして守備妨害を取られたということか。この際、キャッチャー鈴木圭一郎はホームベースをカバーしており、ファースト熊耳は三走田中の動きを警戒し、一塁の守備位置から走って来て三本間の挟殺プレーに備えて三塁ベース寄りにポジションを取っていたと考えられる。

 三走田中は二走川上の動きを見ながらスタートを切り、セカンド苅田は二走川上を追いながら横目で三走田中を警戒していたので、田中がスタートを切ると三本間のカバーに入っていたファースト熊耳に送球し、熊耳がセカンド苅田からの送球を受けた際に三走田中がぶつかってきて落球したが、守備妨害を宣告されて、スコアカードにはイリーガルプレー(I.P.)と記載されたと考えられる。

 ファースト熊耳はキャッチャー鈴木圭一郎の後ろに入って挟殺プレーが続くケースに備える手もあったが、熊耳は鈴木とキャッチャーを交互にやっているので本塁守備には慣れており、自分が先に三本間の挟殺プレーに備えて鈴木の前に陣取ったと考えられる。

 この試合が後楽園であれば公式記録員山内以九士が状況を「雑記」欄に記載しているはずだが、甲子園の試合ではほとんど「雑記」欄に記載されることはないので、「2-4-3IP」でファースト熊耳に刺殺が記録されて三走田中がアウトになったケースとしては上記のプレーが考えられるのである。

*スコアカードには田中資昭のスリーアウト目が「2-4-3IP」と記載されている。画像では見ずらいと思うが、拡大鏡で確認しているので間違いない。



2026年7月22日水曜日

22年 巨人vs東急 12回戦

8月31日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 1 0 3 0 5 巨人 39勝42敗1分 0.481 多田文久三 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 東急 30勝47敗2分 0.390 白木義一郎

勝利投手 多田文久三   9勝8敗 
敗戦投手 白木義一郎 15勝19敗

二塁打 (巨)千葉 (東)大沢
三塁打 (巨)千葉、小松原 (東)大下

勝利打点(巨)平山菊二 8 

猛打賞 (巨)千葉茂  10、川上哲治 5


千葉と川上が猛打賞

 第20節4日目、甲子園の第1試合は多田文久三と白木義一郎の先発で午後1時32分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 巨人は初回、先頭の山川喜作が右前打で出塁、田中資昭も二遊間ヒットで続いて無死一二塁、千葉茂はセオリーどおり三前に送りバントを決めて一死二三塁、川上哲治は四球で一死満塁、平山菊二が左前タイムリーを放ち1点を先制、小松原博喜は三邪飛に倒れて二死満塁、続く林清光の打席で三走田中が「2-4-3IP」でアウトとなってチェンジとなる。

 「2-4-3IP」については特集記事で詳述するので先を急ごう。

 巨人は2回と5回は併殺でチャンスを潰し、3回は2安打でチャンスを作るが無得点。

 巨人は6回表、先頭の千葉が中越えに三塁打、川上の右前タイムリーで1点追加して2-0とする。

 巨人は8回表、先頭の千葉は捕邪飛、これをキャッチャー鈴木圭一郎が落球、鈴木には失策が記録されて、命拾いした千葉は次の球を右越えに二塁打、川上は今度は左前に流して二走千葉を迎え入れるタイムリーを放ち3-0、一死後小松原が右中間にタイムリー三塁打を放ち4-0、中島治康が左前にタイムリーを放ち5-0として試合を決める。

 多田文久三は5安打無四球1死球5三振で今季2度目の完封、9勝目をマークする。

 巨人は平山菊二、小松原博喜を中心に下位打線の活躍が目立っていたが、この日は主軸の千葉と川上が共に猛打賞の活躍を見せた。ベテラン中島もタイムリーを放ち、久々に二盗も決めた。

2026年7月20日月曜日

専松vs商大付属

 本日の千葉県予選5回戦は専修大学松戸高校(以下「専松」)と千葉商科大学付属高校(以下「商大付属」)が対決。

 Cシードの商大付属がAシードの専松に挑んだ試合は2対1で専松が地力の差を見せましたが、商大付属の健闘に拍手。

 筆者の実家は市川市の北側、千葉県市川市国分4丁目(当時は国分町1965)で、商大付属までは歩いて10分もかからない。専松はその北方で、筆者から見れば地元対決になります。

 現在では千葉では木更津総合と並んで甲子園常連校となった専松ですが、甲子園出場は商大付属の方が早かったことはあまり知られていないと思うので説明しよう。

 1982年センバツ、剛腕平沼を擁して甲子園初出場を果たしました。筆者の実家の前の道で「チャカチャカ」と音がしてくると、「商大付属の野球部の連中だな」と分かりました。アスファルトの道をスパイクでランニングしていたようです。当時は商大付属も専松も甲子園に行けるとは思ってもみなかった時代でしたが、平沼定晴が出てきた時は地元でも「行けるか」の声が高まっていました。社会人2年目で仕事も忙しくなってきた時期だったので球場に行くことはなかったですが、思ってもみなかった甲子園初出場を誇らしく思ったのはいい思い出です。

 平沼の名前が全国区になったのは中日からロッテ移籍後のこと。清原の内角に投げたツーシームが清原の肘に当たり、激高した清原が平沼にバットを投げつけて向かってきます。平沼はひるむことなく清原に向かって突進、清原も負けじと平沼にフライングニ―ドロップ、と思った瞬間清原も「まずい」と思ったか体を反転させてヒップドロップとなって平沼がひっくり返りました。

 清原が体を反転させずに「ひざ蹴り」が平沼に直撃していたらとんでもないことになっていたでしょう。平沼が重症だったら清原は引退を迫られたかもしれません。清原の「防衛本能」とたぐい稀な「運動神経」が大惨事を免れた要因でした。

 翌日、清原が謝罪に来ましたがロッテのベテラン陣に怒鳴り付けられて直接の謝罪はできなかったようです。後年、テレビ番組で清原が謝罪して、今では仲の良いコンビになっていますね。

 名将持丸監督を招聘して今では甲子園常連校となった専松、共学校に変わって水泳では何人もオリンピック選手を輩出している商大付属、時代が変わって今では筆者も横浜に住んでいますがチバテレは見ることができます。高校野球は千葉ですね。

 ということで、本日までは商大付属を応援していましたが、明日からはベスト8に進んだ専松の応援に専念できることになりました(笑)。


2026年7月18日土曜日

訂正のお知らせ

 2025年11月16日付けブログ「22年 7月 月間MVP」において、打撃部門受賞の森下重好について「初受賞」とお伝えしていましたが、森下重好は21年 5月にも受賞していますので、「通算2度目」に訂正させていただきます。

 読者の方からのご指摘で訂正することが多いですが、これは自分で気が付きました。

 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。