2018年8月22日水曜日

甲子園100回シリーズ その13「白河の関」


 今年も白河の関を超えることはなかった。

 ここ8年で東北勢は夏の甲子園4度目の準優勝。現在では全国で最も強豪地域となっています。

 最も白河の関に近づいたのは1989年夏、大越基投手を擁して優勝候補と目されていた仙台育英だったでしょうか。2003年夏のダルビッシュ有の東北は勝てるとまでは思えなかった。

 東北高校では、岡嶋敏彦投手を擁してベスト4に進出した1972年センバツが一番優勝の可能性が高かったのではないかとも言われています。左腕技巧派岡嶋のピッチングはよく覚えています。2年生でまだエースナンバーではなかった岡嶋は、初戦の2回戦奈良工業戦で1安打完封。準々決勝の倉敷工業戦も5安打1失点で完投。準決勝も完投しましたがこの大会で優勝したジャンボ仲根の日大桜ヶ丘に2対3でサヨナラ負け。惜しかったですね。

 2015年8月14日、当ブログに「数年以内に紫紺の優勝旗又は深紅の大優勝旗が白河の関を渡る」と書かせていただきました。その日も更に近付いてきたと感じさせてくれる金農快進撃でした。

*選抜高等学校野球大会50年史より。岡嶋投手の1安打完封試合。



 

2018年8月18日土曜日

甲子園100回シリーズ その12「逆転サヨナラツーランスクイズ」


 一番面白いと言われる準々決勝の中で一番期待していたゲームが第4試合の近江vs金足農業戦でした。

 期待どおりの熱戦を制したツーランスクイズ。

 ツーランスクイズと言えば広島商業のお家芸。1973年第55回大会3回戦の日田林工戦で見せたツーランスクイズが有名です。

 40年後に金足農業が見せてくれました。

*アサヒグラフより。日田林工戦で決めた広島商業のツーランスクイズ。滑り込んだ走者は達川でした。



 

2018年8月17日金曜日

甲子園100回シリーズ その11「二刀流」


13日目の始球式は金村義明氏。ちょっと外に引っ掛かりました。やっぱり金村は打者ですね。
ということで、本日は二刀流特集。


島本講平 箕島
1970年センバツ優勝投手。変化球投手で球威はありませんでしたがバッティングは天才的。当時の新聞の見出しに「島本、長打ほしいまま」というのがあったのを覚えています。南海でも最初はピッチャーで起用されましたがこらは明らかに客寄せパンダ。すぐに打者に専念して成功しました。


仲根正広 日大桜ヶ丘
1972年センバツ優勝投手。この大会では14打数10安打5打点、打率7割1分4厘をマークしました。190㎝ありましたので近鉄でもピッチャーを続けましたが芽が出ず、打者に転向して成功しました。最初から打者に専念していたらと悔やまれます。私が高校時代から「大谷は打者に専念すべき」と主張し続けている理由の一つに、仲根の先例があります。


愛甲猛 横浜
1980年夏優勝投手ですが、決勝戦では早実に打ち込まれ、控えの同じ左腕川戸投手のリリーフを仰いでいます。
矢張りプロでは打者に転向して成功しました。愛甲は最初から打者に専念していたイメージがありますが、少し投手もやっていたようです。


金村義明 報徳学園
1981年夏優勝投手。ピッチャーとしてはシュート回転で疑問に思っていましたが、バッティングは天性のもの。プロでは当然にして打者として成功しました。


江川も高校時代は「打者としても1位があって2位は無し」などと言われていました。まぁ、野球では最も運動能力に優れた選手がピッチャーをやるわけで、打者としても一流であることはある意味当然でもあります。金田も、江夏も、堀内も、山田も打者として一流であったことは誰もが知る事実ですからね。

*甲子園優勝投手・金村。


2018年8月16日木曜日

甲子園100回シリーズ その10「毎度おさわがせします」


 12日目の始球式は見事な投球を見せた坂東英二氏。

1 958年の「坂東-村椿の投げ合い」は私が産まれた年の出来事でしたから当然見ていません。

 中日時代も中継ぎのかすかな記憶があるような無いような。

 ということで、引退後の活躍が印象的です。

 「毎度おさわがせします」ではデビュー時の中山美穂と父娘役でした。最終回で仲直りできてよかったですね(笑)。

 本日の始球式も、さすがのお愛想ぶりでした。

*迷作「毎度おさわがせします」DVDジャケットより。篠ひろ子の左斜め下が坂東英二。



 

2018年8月15日水曜日

甲子園100回シリーズ その9「甲子園の石」


 11日目の始球式は力強い投球で甲子園を沸かせた安仁屋宗八氏。沖縄を代表しての登板です。

 安仁屋投手を擁する沖縄高校(現・沖縄尚学高等学校)は1962年、南九州大会を制して甲子園に出場。沖縄代表として甲子園に初出場したのは1958年の40回記念大会に各県1校の代表として出場した首里高校でした。まだアメリカ統治下ですから「沖縄‟県”代表」ではありませんでしたが。

 首里高校は1回戦で敗れ、甲子園の土を持ち帰りましたがアメリカ統治下の沖縄では植物防疫法に抵触することからグラウンドに持って帰ることはできませんでした。このニュースを聞いた日本航空の客室乗務員Kさんが「石なら大丈夫」ということで甲子園の石を首里高校に寄贈し、現在も首里高校の「友愛の碑」に埋め込まれています。

 今大会の開会式で皇太子殿下が「私の甲子園の最初の記憶は50回記念大会でした」と挨拶されていましたが、その50回大会でベスト4に進出して「興南旋風」を巻き起こした興南高校。本日の黙とうの場面も興南の試合中でしたね。興南高校のグラウンドを訪れてレフト席で練習を見せてもらったことがあります。住宅街の小さなグラウンドで、レフトは狭くオーバーフェンスでもエンタイトル二塁打。レフト席に飛び込んだ打球を拾いに来た選手がきちんと帽子を取って挨拶してくれました。まぁ、スカウトと間違えられただけかもしれませんが(笑)。

*首里高校を訪問した際に撮影させていただいた「友愛の碑」。パクリ写真ではありませんのでご安心ください。


 

2018年8月14日火曜日

甲子園100回シリーズ その8「球けがれなく道けわし」


 10日目の始球式は中西清起氏。高知商業時代から「球道くん」の愛称で親しまれてきました。85年阪神優勝の胴上げ投手でもあります。

 10人の中で一番いい球を投げていましたね。球場もどよめいていました。

 甲子園に4回出場した中西を始め、甲子園を沸かせた右腕剛球投手は数多くいらっしゃいますが、No1は江川卓氏でしょう。私が3世代上の江川の名前を知ったのは中学時代、江川が高校1年の秋、学校の帰りの電車の中で偶然隣の人が読んでいたスポーツ紙に江川の特集記事が載っていました。覗き込んで見ていたら、親切な人で降りる時に「見るか」と言って置いていってくれました。

 初めて甲子園で見たセンバツの試合では、ファウルチップだけでこの日の中西の始球式のように甲子園がどよめきました。それまでかすりそうな気配がありませんでしたからね。中西の始球式も、多くの人の予想を超える速さでした。

*週刊朝日1973年8月15日増刊号より。江川の目の前には小柳ルミ子。
45年が経過していますが、肖像権等に抵触する場合は削除させていただきます。
 
 

 

甲子園100回シリーズ その7「サウスポー」


 9日目の始球式は坂本圭一氏。坂本氏は初日の開会式前のNHKにゲスト出演されてバンビ特集をお届けしましたので、ここでは決勝で敗れた東洋大姫路の剛腕・松本正志投手を中心に「サウスポー」特集。

 甲子園を沸かせた好投手は数多くいますが、意外と左腕は少ない。レジェンド始球式に登場する18人のうち、投手は14人ですが左腕はゼロ。江夏が甲子園に出ておらず、鈴木もセンバツ初戦で敗退していることが大きな要因でしょう。近年では相模の小笠原、桐光の松井裕樹がいますが。

 工藤はカーブが特徴でした。当時のインタビューで「甲子園に来て突然カーブが落ちるようになった」などと答えていましたが、如何にも周りを煙に巻く工藤らしいコメントでしたね。力では東邦の近藤がNo1でしょうか。

 「その剛腕で優勝旗をもぎ取った」という点では愛甲、松本、小笠原になると思いますが、愛甲は打撃がより印象的、小笠原は二枚エースの時代ですから比較は難しい。この点では松本がNo1ではないでしょうか。

 74年から千葉・千葉・東京と関東勢が三連覇しましたが、77年の関東勢はレベルが低く、剛腕・松本を擁する東洋大姫路が優勝候補筆頭で、実力通り優勝しました。唯一の弱点はコントロールに難があるところで、鉾田一高の戸田投手と似たタイプでしたね。

*アサヒグラフより。剛腕・松本。

 

2018年8月12日日曜日

甲子園100回シリーズ その6「サヨナラ満塁ホームラン」


 私の通っているジムのランニングマシーンはテレビが見えるようになっていて、走りながら星陵が7対1でリードしているシーンを見ていました。筋トレも終わってシャワーを浴びてロッカーに戻ってくると8回裏、済美が9対7と逆転したシーンを周りの人たちと一緒にロッカールームの壁掛けテレビで見ていました。これで決まったと思ってイオンで買い物をしてから自宅に戻ってくると9対9の同点で12回。試合はタイブレークに進みます。

 何でこうなるんでしょうか、また星陵。本日の第三試合、星陵はタイブレークの末逆転満塁サヨナラホームランで敗退。この試合の解説の大矢さんは1年生のバンビを好リードして1977年の第59回大会で決勝に進出し、東洋大姫路の安井主将に延長10回裏サヨナラスリーランを打たれた時の東邦のキャッチャーでした。

 夏の甲子園でサヨナラ満塁ホームランは2本目です。解説の大矢さんも「私が出た大会で津久見戦の大鉄高校だったのを覚えています。」と話されていましたね。

 星陵の寺沢投手へ。39年前にサヨナラ打を打たれた堅田先輩は現在、甲子園で審判として活躍されています。まだ2年生ですから、また甲子園に戻ってきてくださいね。

*アサヒグラフより。1977年第59回大会3回戦の津久見戦、大鉄高校川端選手のサヨナラ満塁ホームラン。


 

2018年8月10日金曜日

甲子園100回シリーズ その5「捕手」


 6日目の始球式は谷繁元信氏。昨日の平松氏に続いてのストライク投球、明日からの方々にプレッシャーがかかります(笑)。

 江の川(現・石見智翠館高等学校)時代は強打の捕手として鳴らしました。

 ということで、私が選ぶ甲子園強打の捕手5選。反論歓迎いたします。

一位 堀場秀孝 丸子実業
 一浪後慶応義塾大学に進学し、ブランクをものともせず1年春からマスクを被り六大学通算125安打。当時、高田に次ぐ二位の記録でした。私の先輩と仲が良かった関係で、プリンス時代の同期の方と草野球で一緒にプレーさせていただきました。


二位 山倉和博 東邦
 愛知県予選では毎試合3安打以上を打っていたと記憶しています。そのためか、甲子園では4打席1打数無安打3四球。松井の5打席連続敬遠同様、打たせてもらえませんでした。


三位 谷繁元信 江の川
 その強打は関東地方にまで鳴り響いていましたね。


四位 月山栄珠
 佐藤とのバッテリーで印旛を決勝まで導いた「超高校級捕手」。


五位 田村龍弘 光星学院
 光星学院(現・八戸学院光星高等学校)時代は、プロでは北条よりも使えると注目していました。内野手も務まる運動能力が魅力ですね。2年時の松井の桐光学園を破った試合の試合終了後の挨拶の場面で、1学年下の松井の肩をねぎらうように抱いていたシーンが印象的でした。「プロで待っているぞ」と声を掛けていたように見えましたね。
 
*アサヒグラフより。三塁打を放った堀場。アサヒグラフには「黒仁王」と書かれています。先輩と仲が良かった関係で大学時代にすぐそばでお会いしたことがありますが、真っ黒に日焼けした「仁王様」のようでした。



 

2018年8月9日木曜日

甲子園100回シリーズ その4「木樽と言えば阿天坊」


 5日目の始球式は平松政次氏。5人目で初のストライク投球は見事でしたね。2日目の石井さんは外角低めに外したものと認定できますので免責されますが(笑)。

 1965年の第47回大会、平松の岡山東商業は優勝候補でしたが1回戦で日大二高に0対4で敗れました。

 優勝は原貢監督率いる三池工業、準優勝が木樽と阿天坊の銚子商業でした。

 私の最初の「野球の記憶」が小学校1年生の時の「阿天坊」です。

 千葉県市川市の真間小学校1年2組では、「阿天坊」がクラスのヒーローでした。まだ「野球」など知りませんでしたが、「阿天坊」の名前を知らない千葉県の小学生など存在しませんでした。
 
*アサヒグラフより。こんな構えのできる遊撃手も見なくなりました。



 

2018年8月8日水曜日

甲子園100回シリーズ その3「ドカベン」


 4日目の始球式はドカベン香川とバッテリーを組んだ牛島和彦氏。

 香川のバッティングは当時物議を醸しました。

 パワーだけが喧伝されていますが、私はボールをバットに乗せるバッティング技術が素晴らしかったと考えています。プロではデビュー戦でホームランを放ちましたね。通算三塁打1本というのが香川らしい。


*ドカベンの豪快なバッティング。広島商業の緻密な野球を打ち砕きました。
肖像権等に抵触するのであれば削除させていただきます。


 

2018年8月7日火曜日

甲子園100回シリーズ その2「ダイブ」


 3日目の始球式は定岡正二氏。

 甲子園史上最高の名勝負と多くの方が語り継ぐゲームが1974年夏の大会準々決勝「鹿児島実業vs東海大相模」戦です。

 延長15回の激闘を5対4で制した鹿実のエースが定岡でした。相模は原、津末、村中の1年生トリオが大活躍して勝ち進んできました。

 この試合が「史上最高の名勝負」と言われる大きな要因が延長12回裏に飛び出した「大ファインプレー」。二死二塁で打者原雅美の打球が右前に落ちたと見られた瞬間、セカンド中村孝が打球に食らい付くダイビングキャッチ。

 準決勝に進んだ鹿実はエース定岡が試合途中に腕を故障、リリーフの堂園弟も好投を続けましたが、9回裏一死二塁の場面で二塁牽制がセンターに抜け、センターが後逸する間に二走が還ってサヨナラ負け。試合終了の挨拶から、腕を白い包帯で吊った定岡が泣きじゃくるセンターの肩を抱いてベンチに戻ってきたシーンが印象的でした。

*写真はアサヒグラフより。甲子園史上最高のファインプレーと言われる中村孝のダイビングキャッチ。中村さんは現在、八王子リトルシニアのコーチをされています。私がこのプレーについてブログに書いた記事が八王子リトルシニアの目に留まり、八王子リトルシニアのホームページで中村孝コーチを紹介するページに採用されていますにのでご覧ください。その関係で、当時の貴重な証言を中村さんから直接聞かせていただきました。
肖像権等に抵触するのであれば削除させていただきます。




 

2018年8月5日日曜日

甲子園100回シリーズ その1「バンビ」


 初日のハイライトは始球式の松井秀喜氏であったようですが、9時からのEテレの開会式に先立ってNHK本放送で放映された中継にゲストとして出演したのは坂本圭一氏(よしかず、以下敬称略)でした。

 先日の宇井さんの投稿に対して70年代最強チームは77年の東洋大姫路とコメントさせていただきましたが、その東洋と決勝で対戦したのがバンビの東邦でした(フェイスブック「野球私的博物館」参照)。

 「バンビ」は後付の愛称で、当時のマスコミは「黒鶴」と呼んでいました。日焼けした顔と長い首からだったのでしょうね。本当の話ですから、当時の新聞をよく読み返してくださいね(笑)。

 本日のコメントで一番思い出の試合として「星陵vs箕島」戦と語っていました。この試合の日は東北の方にコーチとして出掛けており、グラウンドでラジオを聞いていて宿に帰ったらまだ試合が続いていて凄いことになっていると思ったと話されていました。

 私もこの日は夏合宿の初日で、試合開始の時は新宿から乗ったバスで流されていたラジオ中継で聞いていました。静岡の宿舎に着いたら延長戦になっていて、試合終了までずっと見ていましたね。坂本氏は1961年生れ、私は1958年生れですから、同時代を生きてきた共通体験です。

 1学年上の川島なお美は愛知県立中村高校時代、バンビに会うチャンスを求めて野球部マネージャーになったそうです。


*アサヒグラフより。本日の放送でも「大きなフォームで投げるようにと言われていました」と話されていました。大きなフォームですね。
肖像権等に抵触するのであれば削除させていただきます。


 

19年 近畿vs阪急 4回戦


7月3日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 2 0 0 0 0 0 0  0   0   0  2 近畿 3勝13敗1分 0.188 清水秀雄
0 0 0 0 0 0 0 0 2  0   0   0  2 阪急 8勝8敗1分 0.500 笠松実 天保義夫

二塁打 (急)高橋、山田
三塁打 (近)清水

勝利打点 なし


今季3度目の延長12回引分け

 近畿は3回、先頭の加藤喜作は四球を選んで出塁、トップに返り松川博爾が送りバントを決めて一死二塁、八木進は四球を選んで一死一二塁、堀井数男の遊ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、ここで四番ピッチャー清水秀雄が右中間に三塁打を放ち2点を先制する。

 清水は投げても阪急打線を4回まで無安打に抑える。

 阪急は5回、先頭の坂井豊司が左前にチーム初ヒット、しかし笠松実は左飛、榎並達郎は三振、伊藤健一は右飛に倒れて無得点。

 阪急は6回、先頭の山田伝が三前にセーフティバントを決めて無死一塁、上田藤夫は左飛に倒れるが、野口明の右前打で一走山田が三塁に走り一死一三塁、しかし四番髙橋敏は二飛、坂田清春の当りは右前に抜けるが、ライト鬼頭勝治が一塁に送球してアウト、ライトゴロでこの回も無得点。

 近畿は9回表、先頭の岡村俊昭が三塁にヒット、木下勇が送りバントを決めて一死二塁、吉川義次は四球を選んで一死一二塁、しかし鬼頭は三振、加藤は二ゴロに倒れて2点リードのまま9回裏の守備に就く。

 阪急は9回裏、一死後坂田が四球を選んで出塁、坂井の一ゴロをファースト木下が二塁に悪送球して一死一二塁、笠松に代わる代打三木久一がストレートの四球を選んで一死満塁、ここで榎並に代わって代打天保義夫が登場、天保がベンチの期待に応えて左前に2点タイムリーを放ち、土壇場で2-2と同点に追い付く。

 阪急は10回から同点タイムリーを放った天保がマウンドに上がり近畿打線を12回まで無失点に抑える。

 阪急は10回裏、二死後高橋が右中間に二塁打、坂田の遊ゴロをショート松川が一塁に悪送球して二死一三塁、しかしこのサヨナラのチャンスに坂井は遊ゴロ、今度は松川がきっちりと一塁に送球して無得点。

 阪急は11回裏、一死後天保がレフト線に2打席連続ヒット、伊藤は中飛に倒れるが、トップに返り山田が右中間に二塁打を放って二死二三塁と又もサヨナラのチャンス、しかし野口明は二ゴロに倒れてここも無得点。

 阪急は12回裏、一死後坂田が三前にセーフティバントを決めて出塁、しかし坂井の送りバントは捕邪飛となって失敗、畑中時雄に代わる代打安田信夫は三振に倒れ、延長12回引き分く。

 引分の試合でしたが、この試合の殊勲賞は6回の守備でタイムリーを防ぐライトゴロを記録した近畿のライト鬼頭勝治でしょう。

 

2018年8月2日木曜日

三冠への道2018 その6


7月の月間MVP予想

 ナ・リーグ投手部門は4勝0敗、防御率1.60、35奪三振、WHIP0.89のアリゾナのザック・グレインキー。グリンキー表記も多く見られます。2005年に松坂大輔がメジャーデビューした試合で投げ合った時はカンザスシティでした。リトルリーグ時代に来日経験があり、首から5円玉のネックレスをぶら下げていましたね。初めて見た時はこんなナヨナヨとした身体でどこまで持つのかなぁ~~、と思いましたが、今ではメジャーを代表する巧投手になりました。松坂大輔の道程との違いをしみじみと感じさせてくれます。

 ア・リーグ投手部門は、3勝0敗ながら防御率0.36ののクリス・セール。25イニングスと投球回数は少ないものの今月の自責点は1点のみです。奪三振も43個ですし。
 
 ア・リーグ打撃部門は、打率4割をマークしたジョナサン・イエリッチ。4割0分0厘、4本打、23打点です。多分、11本塁打、23打点のマット・カーペンターが選出されるでしょうね。


 ナ・リーグ打撃部門は、3割6分0厘、9本塁打、19打点のジョナサン・スクープ。スコープ表記も多く見られます。ミルウォーキーに電撃トレードですね。多分、3割2分3厘、9本塁打、29打点のオークランドの方のクリス・デービスが選出されるでしょう。ボルティモアのクリス・デービスとはスペルが違います。

 今月の打撃部門は個人的な趣味で選んでいますので、多分ハズれると思います(笑)。