開幕戦となる朝日vs名古屋 1回戦に先発した朝日のエース菊矢吉男の昭和16年の成績を見ていただくと、1試合にだけ登板していることが確認できます。と言うことは、この試合が入営前最後の試合であったことになります。
昭和16年4月4日付け読売新聞は「晴れの入営日を目Oの間に控えて恐らく思い出であろうプレートに立った朝日菊矢は壁頭から・・・」と伝えている。思い出のプレートの割には5回3分の2で10四球ですから読売新聞の記事は大本営発表でしょう。応召を控えてピッチングどころでなかったのか、理不尽に職場を奪われることに対する怒りであったのか。
応召前に1試合だけ投げたことについては、肯定的に考えれば「最後の試合に思い残すことなく頑張ろうと言う気持から」と書くと読む人にとっても心地の良いものかもしれませんが、現実に当人の立場に立って考えればとてもそんな呑気な事を言っている場合ではないしょう。朝日軍としては、「応召など何でもないことだ」という事をアピールする役を押し付けられ、1試合だけのためにキャンプから菊矢にトレーニングを強いたのでしょうが、こんな状況で身を入れてトレーニングなどできるはずがない事は、競技レベルでスポーツをやったことのある方には簡単に分かることではないでしょうか。
菊矢吉男の昭和16年の記録を数字だけで見ると1試合に登板して5回3分の2で10四球という惨憺たる成績であったという評価になるかもしれませんが、上記のような経緯を知ればそんな呑気な事を言っている場合ではなかったことが理解できるでしょう。
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