2011年11月30日水曜日

14年 金鯱vsセネタース 7回戦


6月24日 (土) 後楽園




1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 2 2 5 金鯱      15勝28敗      0.349 古谷倉之助 中山正嘉
0 0 0 2 0 0 0 2 0 4 セネタース 22勝18敗2分 0.550 野口二郎


勝利投手 古谷倉之助 3勝7敗
敗戦投手 野口二郎  14勝8敗
セーブ   中山正嘉 2


二塁打 (金)古谷 (セ)佐藤

稀に見る好ゲーム


 金鯱は4回、先頭の佐々木常助がピッチャー強襲ヒットで出塁、野村高義の投ゴロでランナーが入れ替わり、四番ピッチャー古谷倉之助が左前打を放って一死一二塁、小林利蔵が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 セネタースは4回裏、先頭の尾茂田叶が四球を選んで出塁、野口二郎がショートに内野安打、浅岡三郎の送りバントは一邪飛となって失敗、佐藤武夫が四球を選んで一死満塁、柳鶴震は三振に倒れて二死満塁、織辺由三の内野安打で二者還って2-1と逆転に成功する。

 金鯱は8回、先頭の長島進が四球を選んで出塁、トップに返り五味芳夫が送って一死二塁、佐々木は三振に倒れるが7回から野村に代わってレフトに入っている武笠茂男が四球を選んで二死一二塁、ここで古谷倉之助が左中間を破る走者一掃の二塁打を放って3-2と逆転する。

 逆転に成功した金鯱は古谷をファーストに回して中山正嘉をマウンドに送って逃げ込みを図る。

 ところがセネタースは8回裏、先頭の横沢七郎が四球を選んで出塁、尾茂田は三振に倒れるが野口二郎の二ゴロが野選を誘い一死一二塁、浅岡三郎は投飛に倒れるが、佐藤が左中間に二塁打を放って3-3の同点、中継が乱れる間に一走野口も還って4-3と再度逆転に成功する。

 金鯱は9回、先頭の小林茂太が中前打で出塁、瀬井清が左前打、山本次郎が中前打で続いて無死満塁、長島進に代打磯部健雄を送るが磯部の初球がストライクとなったところで代打の代打に荒川正嘉を起用する。荒川が期待に応えて右前にタイムリーを放って4-4の同点、トップに返り五味が左犠飛を打ち上げて5-4と再々逆転に成功する。

 セネタースは最終回、先頭の織辺は三振、森口次郎が四球を選ぶと伊藤次郎を代走に起用、トップに返り苅田久徳は右飛、横沢が投ゴロに倒れて稀に見る好ゲームは金鯱が勝利をおさめる。


 金鯱は9回表の攻撃でキャッチャー長島進に代打を送ったことから、9回裏の守備では岡田源三郎監督がマスクを被った。マウンドの中山正嘉は岡田監督がマスクを被ると燃えに燃えるタイプであり、最終回のセネタースの反撃を断ち切った。

 右手首を負傷している古谷倉之助は7回を投げて5安打5四球3三振。翌日の読売新聞・鈴木惣太郎の論評は「古谷は主としてスローカーブに重きを置きチェンジ・オブ・ペースの妙味を存分に発揮してセ軍の快打をよく抑えていたのは老巧投手の貫録をみせたもの」と伝えている。のらりくらり投法が効を奏したようである。この日四番に入った古谷は打撃面でも4打数3安打2打点の活躍を見せる。

 現行ルールでは中山正嘉が勝利投手となるが、公式記録では古谷倉之助に勝利投手が記録されている。本日の投球内容からすれば寧ろ当然かもしれない。中山正嘉には当ブログルールによりセーブが記録される。





          *稀に見る好ゲームを展開した両チームのスコアブック。





14年 南海vs阪急 6回戦


6月23日 (金) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海 16勝22敗2分 0.421 平野正太郎 木村勉 天川清三郎
0 0 0 0 1 3 0 0 X 4 阪急 28勝11敗    0.718 高橋敏


勝利投手 高橋敏       10勝2敗
敗戦投手 平野正太郎 2勝2敗


二塁打 (阪)山下実

高橋敏、今季七度目の完封


 南海の先発は平野正太郎、阪急の先発は高橋敏。翌日の読売新聞に「南海平野の下手、横手から軟らかく投げ込むひねくれ球に手を焼いた阪急・・・」と書かれているとおり、平野正太郎はサイドからの技巧派のようである。南海投手陣では劉瀬章も同じタイプである。

 南海は初回、いきなり国久松一が四球で出塁するが平井猪三郎の投ゴロが「1-6-3」と渡ってダブルプレー。2回も先頭の中村金次が左前打で出塁、岡村俊昭の一ゴロでランナーが入れ替わり、小林悟楼の三ゴロの間に岡村は二進、しかし岩出清の左前打で岡村が三塁をオーバーランしてタッチアウト。

 阪急は1回、2回は三者凡退、3回は先頭の伊東甚吉が左前にチーム初安打、日比野武が送って高橋敏四球で一死一二塁、しかし西村正夫の投ゴロが「1-5-3」と渡ってダブルプレー。

 阪急は5回、先頭の上田藤夫が四球を選んで出塁、伊東が送って日比野に代わる代打浅野勝三郎が四球、高橋は二飛に倒れるがトップに返り西村が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 阪急は6回、先頭の山下実が右中間に二塁打、ワイルドピッチで山下実は三進、山下好一が中前にタイムリーを放って2-0、南海ベンチはここで先発の平野正太郎から木村勉にスイッチ、しかし木村はストライクが入らず黒田健吾四球、上田も四球で無死満塁、伊東は三振に倒れるが木村がワイルドピッチを犯して山下好一が還って3-0、石井武夫が四球を選んで一死満塁、高橋は三振に倒れるが西村が押出し四球を選んで4-0とする。

 この日の阪急内野陣はショート上田藤夫の3失策を含む5失策を記録したが高橋敏は冷静に対処して結局、4安打3四球無三振、今季七度目の完封で10勝目をあげる。


 高橋敏は今季ここまで14試合に登板して106回3分の1を投げて被安打57、与四死球24、奪三振23、自責点6、10勝2敗7完封、防御率0.51、WHIP0.76の成績である。奪三振率は1.95なのでコントロール主体の打たせて取るピッチングである。阪急内野陣に滝川中学出身のセカンド伊東甚吉、ショート田中幸雄の名手が加わったことも高橋のピッチングに寄与しているのであろう。阪急投手陣が九球団随一の質量を誇っておりローテーションに余裕があることも大きい。戦前に一試合当たり2個程度しか四死球を与えないピッチャーが存在していた事実は殆ど知られていない。





            *高橋敏は今季七度目の完封で10勝目をあげる。




2011年11月29日火曜日

14年 ジャイアンツvsイーグルス 6回戦


6月23日 (金) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 2 0 0 0 0 0 0 5 ジャイアンツ 31勝12敗      0.721 中尾輝三 楠安夫
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 イーグルス   14勝27敗1分 0.341 亀田忠


勝利投手 楠安夫 2勝0敗
敗戦投手 亀田忠 6勝9敗


二塁打 (ジ)平山 (イ)亀田
三塁打 (ジ)川上 (イ)漆原


川上5割に乗せる


 ジャイアンツは初回、一死後水原茂が左前打で出塁、千葉茂が四球を選んで一死一二塁、中島治康の中前打で一死満塁とする。ここで前日猛打を見せた川上哲治が右前にタイムリーを放って2点を先制する。イーグルス先発の亀田忠はジャイアンツ打線の猛打の前に腕が縮んでカーブが入らなくなりアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)四球で一死満塁、平山菊二が押出し四球を選んで3-0とする。

 ジャイアンツ先発の中尾輝三は亀田以上にピリっとせず、イーグルスは初回、いきなり先頭の寺内一隆が四球、太田健一右前打、高須清の送りバントは一邪飛となって失敗、亀田三振、中河美芳四球で二死満塁、しかし木下政文は右飛に倒れてこの回無得点。

 イーグルスは2回、山田潔、漆原進が連続四球、ジャイアンツ・藤本定義監督は連投となる楠安夫をリリーフに送る。清家忠太郎の送りバントは一邪飛となって失敗、トップに返り寺内の中前打で一死満塁、しかし太田の浅井右飛に走者が飛び出し結局三走山田がタッチアウトとなってこの回無得点。

 ジャイアンツは3回、川上が中前打で出塁、リベラの投ゴロは「1-6-3」と渡ってゲッツー、しかし平山がセンター右奥に二塁打、吉原正喜四球、楠が中前にタイムリーを放って4-0、トップに返り白石敏男が右前にタイムリーを放って5-0とする。

 イーグルスは4回、先頭の山田が二遊間に内野安打、漆原進の左前打をレフト平山が突っ込み過ぎて後ろに逸らし山田が還って1-5、漆原も三塁ベースを蹴ってホームに向かうが「7-5-2」と渡ってタッチアウト。

 亀田忠は4回以降コントロール中心のピッチングに切り替えて8回まで無安打ピッチング、9回に川上に三塁打を許すが無失点に抑える。

 一方、楠安夫も5回以降イーグルス打線を中河の右前打1本に抑えて連投で2勝目をあげる。楠の二日連続の奮闘によりジャイアンツは明日24日のタイガース戦にスタルヒンを温存することができた。


 川上哲治はこの日も4打数3安打2打点を記録して、夏季シリーズ11試合で44打数22安打17打点37塁打として打率を5割に乗せた。




2011年11月28日月曜日

14年 ジャイアンツvs南海 6回戦


6月21日 (水) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 3 5 2 2 1 1 0 0  14 ジャイアンツ 30勝12敗      0.714 楠安夫
3 0 0 0 0 2 1 0 0  6   南海            16勝21敗2分 0.432 劉瀬章 宮口美吉 木村勉


勝利投手 楠安夫 1勝0敗
敗戦投手 劉瀬章 3勝4敗


二塁打 (ジ)平山2、白石、中島、川上、三田 (南)国久
三塁打 (ジ)川上3 (南)小林、岡村

川上哲治、猛打炸裂!


 南海は初回、今季初先発となる楠安夫の立ち上がりを攻めて一死後小林悟楼が右中間に三塁打、鶴岡一人四球、国久松一死球で一死満塁、中村金次の右犠飛で1点を先制、鶴岡は三塁に進み国久が二盗を決めて二死二三塁、岡村俊昭の一ゴロをファースト川上哲治がエラーする間に二者が生還して3-0と幸先の良いスタートを切るがこの後ジャイアンツの猛攻を浴びることとなる。

 ジャイアンツは2回、一死後川上が守備の汚名返上の右中間三塁打、アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)四球、平山菊二の左犠飛で1-3、吉原正喜の右前打で二死一二塁、楠が右前にタイムリーを放って2-3、トップに返り白石敏男が中前に同点タイムリーを放って3-3と振り出しに戻す。

 ジャイアンツは3回、先頭の千葉茂が中前打で出塁、南海ベンチは先発の劉瀬章から宮口美吉にスイッチ、中島治康も中前打、川上が中前にタイムリーを放って4-3と勝ち越し、リベラは左飛に倒れるが平山が左翼線に2点タイムリー二塁打を放って6-3、吉原四球、重盗を決めて楠四球で一死満塁、白石が中越えに二塁打を放って2点を追加して8-3とする。

 ジャイアンツは4回、先頭の中島が中越え二塁打、川上が左越えに二塁打を放ち9-3、リベラは遊ゴロに倒れるが平山が左中間に二塁打を放って10-3とする。

 南海は5回から木村勉がプロ入り初登板となった。

 ジャイアンツは5回、一死後水原茂が四球を選んで出塁、千葉が二遊間に内野安打、中島は遊ゴロに倒れるが川上がこの日2本目の三塁打を中越えに放って12-3とする。更に6回、一死後吉原、楠が連続四球、白石の遊ゴロは「6-4-3」と転送されるがセカンド国久からの一塁送球が悪送球となる間に吉原が還って13-3とする。

 南海は6回裏、先頭の中村が四球で出塁、岡村が中越えに三塁打を放って4-13、吉川義次が左犠飛を打ち上げて5-13とする。

 ジャイアンツは7回、川上のこの日3本目の三塁打と三田政夫の二塁打で1点を追加して14-5とする。

 南海は7回裏、先頭の平井が左前打、小林悟楼の右前打で無死一三塁、鶴岡が右前にタイムリーを放って6-14とする。

 今季初先発となった楠安夫は大量リードに守られて10安打4四球2死球1三振の完投で1勝目をあげる。


 川上哲治が6打数5安打4得点4打点、二塁打1本、三塁打3本。翌日の読売新聞によると6打席目の中飛も好打が野手の正面をついたものとのこと。打撃の神様の豪打伝説には欠かすことのできない試合となった。このところ打撃好調の平山菊二が5打数2安打1得点4打点、二塁打2本の活躍。白石敏男は6打数2安打3打点、二塁打1本の活躍であった。






*川上哲治が6打数5安打4得点4打点、二塁打1本、三塁打3本を記録する。





2011年11月27日日曜日

14年 イーグルスvsライオン 5回戦


6月21日 (水) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0 2 イーグルス 14勝26敗1分 0.350 古川正男 亀田忠
3 0 2 0 1 0 0 0 X 6 ライオン    15勝21敗4分 0.417 福士勇


勝利投手 福士勇     6勝6敗
敗戦投手 古川正男 1勝3敗


二塁打 (イ)寺内、清家、高須 (ラ)鬼頭
三塁打 (イ)亀田 (ラ)岡本、鬼頭


ライオン、3本の長打で快勝


 ライオンは初回、一死後玉腰年男が四球を選んで出塁、水谷則一も四球で一死一二塁、ここで鬼頭数雄が右中間を抜く二塁打を放ち二者を迎え入れて2点を先制、室井豊が三遊間を破り一死一三塁、岡本利之の投ゴロ併殺崩れの間に鬼頭が還って3-0とする。

 ライオンは3回、先頭の玉腰が四球を選んで出塁するとパスボールで二進、水谷も四球を選んで無死一二塁、イーグルスベンチはコントロールの定まらない古川正男をあきらめて亀田忠を注ぎ込む。亀田は一走水谷を牽制球で刺すが鬼頭が四球を選んで一死一二塁、岡本が左翼に三塁打を放って二者還り5-0とする。翌日の読売新聞によると岡本の三塁打は左翼観覧席の金網に直接ぶつける当りであったとのこと。

 ライオンは5回、一死後鬼頭が中越えに三塁打、室井が左前にタイムリーを放って6-0とする。
 5回まで福士勇の前にノーヒットに抑えられていたイーグルスは6回に入って二死後寺内一隆がチーム初安打となる左中間二塁打を放って、高須清四球、中河美芳左前打で二死満塁とするが木下政文は右飛に倒れる。

 イーグルスは7回、先頭の清家忠太郎が中越えに二塁打、漆原進の内野安打で無死一三塁、亀田は浅い左飛に倒れるが漆原が二盗を決めて一死二三塁、太田健一が中前に2点タイムリーを放って2-6とする。

 イーグルスは8回には高須が左中間に二塁打を放つが無得点、9回にも一死後亀田が右中間に三塁打を放つが得点ならずライオンが快勝する。

 福士勇は7安打4四球2三振の完投で6勝目をあげる。


 両チーム7安打ずつ、イーグルスは二塁打3本三塁打1本で2得点、ライオンは二塁打1本三塁打2本で6得点、ライオンが3本の長打を効率よく得点に絡めたのに対し、イーグルスは4本の長打を有効に活かせなかった。

 イーグルスは夏季シリーズに入ってこれで1勝8敗、春季シリーズ終了時点での勝率は4割1分9厘であったがこれで3割5分まで落ちてきた。九位金鯱の3割3分3厘、八位名古屋の3割4分2厘に迫られてきた。







     *ライオンは鬼頭数雄の二塁打、三塁打と岡本利之の三塁打で得点を重ねる。


14年 タイガースvsセネタース 6回戦


6月21日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 0 2 0 0 1 0 6 タイガース 24勝14敗2分 0.632 若林忠志
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 セネタース 22勝17敗2分 0.564 野口二郎 金子裕


勝利投手 若林忠志    5勝2敗
敗戦投手 野口二郎 14勝7敗


二塁打 (タ)堀尾
本塁打 (タ)富松 1号

富松信彦、決勝スリーラン


 タイガースは2回、先頭の松木謙治郎が四球を選んで出塁、ジミー堀尾文人も四球を選んで無死一二塁、伊賀上良平の送りバントは投飛となって失敗、しかし富松信彦が右翼スタンドにスリーランホームランを放って3点を先制する。翌日の読売新聞によると伊賀上の送りバント小フライをピッチャー野口二郎は一旦捕球後落球して三塁に送り二走松木がフォースアウト、サード横沢七郎はセカンドの苅田久徳に送球して一走堀尾もフォースアウト、打者走者の伊賀上はアウトと思って一塁に走っていなかったので苅田がファーストの浅岡三郎に送球してトリプルプレーによりセネタースナインはベンチに引き上げた。ここでタイガース・石本秀一監督から「捕球後投げようとして落球したのだから打者アウトだけ」との抗議が出て沢東洋男球審、池田豊塁審、島秀之助塁審が協議して石本監督の抗議を受け入れ一死一二塁に戻して試合が再開された直後に富松のスリーランが飛び出した。

 タイガースは5回、先頭の森国五郎が四球を選んで出塁、トップに返り本堂保次が中前打、岡田宗芳の一塁線バントが内野安打となって無死満塁、門前真佐人が右前に2点タイムリーを放って5-0とする。翌日の読売新聞によるとこの日二度目のトラブルが生じた。一走岡田は三塁に進むか迷った末二塁に戻ったが打者走者門前は二塁に進み二塁ベース上に二人が鉢合わせした。セカンド苅田は両者にタッチ、占有権は前の走者・岡田にあるので門前がアウトとなるところ、池田塁審はアウトを宣して岡田を指差したことから岡田はアウトと勘違いして塁を離れたところを苅田がタッチして併殺となった。

 タイガースは8回、6回から登板した金子裕を攻めて伊賀上の二ゴロをセカンド苅田がエラー、富松中前打で無死一二塁、若林の二直は「4-3」と渡り富松が戻れずゲッツー、二死二塁から御園生崇男が右前にタイムリーを放って6-0とする。


 若林忠志は5安打2四球5三振の完封で5勝目をあげる。但し、セネタースナインは2回の三重殺が取り消されたことからやる気をなくしたようで、苅田は守っても2失策、打線も意気消沈して野口二郎が2安打を放つが合計5安打で若林に完封を許した。セネタースとしてはタイガースに1.5ゲーム差と迫っていただけに手痛い敗戦となった。



14年 金鯱vs名古屋 5回戦


6月21日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 金鯱    14勝28敗      0.333 鈴木鶴雄 古谷倉之助
0 0 2 1 0 1 0 2 X 6 名古屋 13勝25敗3分 0.342 西沢道夫


勝利投手 西沢道夫 2勝3敗
敗戦投手 鈴木鶴雄 1勝1敗


二塁打 (名)西沢、加藤、桝

本塁打 (名)村瀬 1号、加藤 1号


西沢道夫復活!


 名古屋はようやく故障から復帰してきた西沢道夫が先発、金鯱は兵役から復帰してきた鈴木鶴雄が先発。

 名古屋は3回、一死後西沢道夫が左翼線に二塁打、二死後村瀬一三が右翼スタンドにツーランホームランを叩き込んで2点を先制する。

 名古屋は4回、先頭の加藤正二が左翼線に二塁打、三浦敏一の中飛で加藤はタッチアップから三塁に向かう。センター佐々木常助からの三塁送球をサード山本次郎がエラーする間に加藤がホームに還り3-0とする。

 名古屋は6回、先頭の桝嘉一が右中間に二塁打、一死後加藤は敬遠、三浦の左前打で一死満塁、金鯱はここで先発の鈴木鶴雄から古谷倉之助にスイッチ、中村三郎の二ゴロ併殺崩れの間に桝が還って4-0とする。古谷はまだ右手首に受けた死球による怪我が完治していないようである。

 金鯱は7回、一死後小林利蔵が四球を選んで出塁、瀬井清の遊ゴロをショート村瀬が後逸する間に小林利は三塁に走るがバックアップしたセンター石田政良からの送球にタッチアウト、この間に瀬井は二塁に進み、古谷の中前タイムリーで1点返して1-4とする。

 しかし名古屋は8回、先頭の加藤が古谷のスローカーブをレフトスタンドにプロ入り初ホームランして5-1、三浦四球、中村左前打、パスボールで二者進塁して芳賀直一四球で無死満塁、西沢の三ゴロで三走三浦は本封されて一死満塁、ここで二走芳賀が大きくリードをとるとキャッチャー長島進が二塁に牽制、芳賀はタッチアウトとなるがこの隙を突いて三走中村が本盗を決めて6-1とリードを広げる。ここは芳賀と中村が示し合わせてキャッチャー牽制を引き出したものであろう。翌日の読売新聞も「塁上を荒らし回され」と伝えている。


 松尾幸造と共に二枚エースを期待される西沢道夫が故障から復活、4安打4四球4三振1失点、自責点ゼロの完投で2勝目をあげる。金鯱の一番~五番をノーヒットに抑え、ヒットを打たれた4本は全て下位打線によるものであった。打撃でも3打数2安打二塁打1本と、戦後大打者に成長する片鱗を見せている。

 加藤正二が3打数3安打2得点1打点、二塁打1本、本塁打1本と爆発した。このところ春先のような当たりが止まっていたがこちらも復活した。







               *西沢道夫が復活を告げる4安打完投勝利。




14年 ライオンvsジャイアンツ 5回戦


6月20日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 1 0 0 1 0 0 0  0  2 ライオン        14勝21敗4分 0.400 近藤久 菊矢吉男
2 0 0 0 0 0 0 0 0 1X 3 ジャイアンツ 29勝12敗        0.707 川上哲治 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 20勝6敗
敗戦投手 菊矢吉男     9勝9敗


川上哲治、敬遠球をサヨナラ犠飛


 ジャイアンツは初回、白石敏男、水原茂が連続四球で無死一二塁、千葉茂の投ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、中島治康の二ゴロで三走白石がホームに突っ込むがタッチアウト、この間に打者走者の中島は二塁に進んで二死二三塁、川上哲治が右前に2点タイムリーを放って2-0とする。ここは敬遠もあったが続くアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)が暖かくなるに連れて当ってきているので初回ということもあって近藤久は勝負に行ったのであろう。

 ライオンは3回、先頭の近藤が左前打で出塁、トップに返り坪内道則が右前打、玉腰年男が死球を選んで無死満塁、水谷則一の二ゴロで一走玉腰が二封される間に三走近藤が還って1-2とする。水谷が二盗を決めて一死二三塁とするが鬼頭数雄は二飛、更に三走坪内がキャッチャー吉原正喜からの牽制に刺されてスリーアウトチェンジ。

 ライオンは3回から先発の近藤に代えて早くも菊矢吉男を投入してジャイアンツに追加点を許さない。

 ライオンは6回、先頭の水谷が四球で出塁、鬼頭が左前打で続いて無死一二塁、ここで水谷が三盗を試みると吉原の三塁送球が悪送球となって外野に抜ける間に水谷が還って2-2の同点に追い付く。

 ジャイアンツは7回から先発の川上に代えてスタルヒンを投入、菊矢、スタルヒンの投げ合いで試合は延長戦に突入する。

 ライオンは10回表、一死後玉腰が左前打で出塁、しかし水谷は二ゴロ、鬼頭は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 ジャイアンツは10回裏、一死後千葉が四球を選んで出塁、中島が三遊間を破り千葉が三塁に走って一死一三塁、翌日の読売新聞によるとショート松岡甲二が二塁ベースカバーに入った逆を突いたとのことでエンドランが掛かっていたということになる。中島が二盗を決めて一死二三塁、川上がサヨナラ左犠飛を打ち上げて3対2でジャイアンツが接戦を制す。


 翌日の読売新聞によると「菊矢が鉄則通り川上を敬遠して満塁策を採らんとしたノーストライクスリーボール後のウエスト・ボールに飛びかかって遂に左犠飛とし三塁の千葉を迎え入れて決勝の1点を印せしめた。」とのことで、川上は敬遠球に飛びついて左犠飛を打ち上げた訳である。

 1981年7月19日、日本ハムの柏原は西武・永射の投じた敬遠球を左中間スタンドに叩き込んだ。1999年6月12日、阪神の新庄が巨人・槙原の投じた敬遠球に左足がバッターボックスを飛び出すまで踏み込んでガラ空きの三遊間に転がしてサヨナラ打を放った。この時柏原は阪神のコーチであった。この二つの「敬遠球に飛びつく打撃」はユーチューブでも見ることができますが、「敬遠球に飛びつく打撃」の元祖は1939年6月20日の川上哲治のサヨナラ左犠飛であった。






*川上哲治が敬遠球を叩いてサヨナラ左犠飛を打ち上げた貴重な場面を伝えるスコアブック。



2011年11月26日土曜日

闘将


 西本幸雄氏がご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 本人が嫌っていたと言われる「悲運の名将」は封印してタイトルは「闘将」とさせていただきました。

 アンチ巨人であった私としては、日本シリーズで巨人に勝ってくれそうだった阪急を応援していました。阪急vs巨人の日本シリーズは後楽園球場に二度見に行ったことがあります。

 一度目は中学1年の時、1971年10月17日(日)のシリーズ第五戦、巨人がV7を決めた試合です。同級生数人とライトスタンドで見ていましたが、最終回、ランナーを置いて代打にスペンサーが出てきて高橋一三の落ちる球に空振り三振したシーンをよく覚えています。

 二度目は中学2年の時、1972年10月21日(土)のシリーズ第一戦です。この試合では王の打席でショートの大橋がセンターまでとことことやってきて、福本が右中間、大橋がセンターを守る「四人外野」の王シフトをやりました。この時も友達数人とライトスタンドで見ていましたのでこの後のシーンは目の前で見ることができました。王の当りは福本と大橋との間へのライナーとなり、大橋が左(ライトスタンドから見て)に走って半身になってフェンス直前でワンハンドキャッチ、私の角度からは、大橋が捕った瞬間ニヤリとしたのが見えました。正にしてやったりと言ったところでしょう。この一打は「史上最長のショートフライ」と言われていますが、実際にはほぼ真芯で捕えたライナーでした。

 後楽園球場に見に行くのは西鉄vs東映戦ばかりだったので、さすがにこれには誰も付き合ってくれずいつも一人で見に行っていましたが、日本シリーズは二度とも友達数人と見に行きました。3年時は受験前で日本シリーズを見に行こうなどと言いだす奴はいませんでした。

 西本幸雄氏には、2011年1月15日付けブログ「国府台球場」でも触れさせていただきました。覚えていてくださっている方もいらっしゃるのか、本日は数件のアクセスを頂戴しております。この時はスポニチの「我が道」に西本氏が連載中で、「西本氏がこの手の回顧録を書くのはこれが初めてとのことです。」と書いておりますが、西本氏は1992年に日経の「私の履歴書」にも連載されております。たしか「我が道」の連載初期に「回顧録を書くのはこれが初めて」との記述があったように記憶していましたのでこのように書かせていただきました。西本氏のお人柄から「私の履歴書」にも連載されたなどとはおくびにも出さなかったのかもしれません。1992年の「私の履歴書」は当然私も毎朝読んでいましたが不覚にも失念しておりました。「西本氏がこの手の回顧録を書くのはこれが初めてとのことです。」の部分は、謹んで訂正させていただきます。

14年 イーグルスvs南海 5回戦


6月20日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0 2 イーグルス 14勝25敗1分 0.359 望月潤一 亀田忠
0 1 1 0 2 0 0 0 X 4 南海      16勝20敗2分 0.444 宮口美吉 平野正太郎


勝利投手 平野正太郎 2勝1敗
敗戦投手 望月潤一     3勝10敗


二塁打 (イ)漆原 (南)中村、吉川、平井

南海、打線のつながりで快勝


 南海は2回、一死後中村金次が左翼線に二塁打、吉川義次が左中間に二塁打で続いて1点を先制する。

 南海は3回、先頭の平井猪三郎が左中間に二塁打、小林悟楼の遊ゴロの間に平井は三進、鶴岡一人が右犠飛を打ち上げて2-0とする。

 南海は5回、先頭の小林が四球で出塁、鶴岡の三ゴロはサード漆原進からセカンド高須清に渡るが高須がこれを逸らして無死二三塁、国久松一が右前に2点タイムリーを放って4-0、続く岡村俊昭が四球を選ぶとイーグルスベンチは先発の望月潤一を下げて亀田忠をリリーフに送る。木下政文のパスボールで一死二三塁とするが中村は三振、吉川は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 イーグルスは7回、先頭の高須が四球を選んで出塁、中河美芳が左前打、杉田屋守に代わる代打菅利雄が死球を受けて無死満塁、木下の右犠飛で1-4、漆原が左翼線にヒットを放って一死満塁、亀田は三振に倒れて二死満塁、トップに返り太田健一が押出し四球を選んで2-4、しかし山田潔は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。 

 イーグルス8回の攻撃で先頭の寺内一隆が四球で歩くと南海ベンチは先発の宮口美吉から平野正太郎にスイッチ、平野が後続を抑え、9回も1安打に切り抜けて南海が勝利をおさめる。

 イーグルス先発の望月潤一は翌日の読売新聞によると直球のスピードが落ちていたとのことで、亀田忠に代わってエースとなったが使われ過ぎで疲れがたまっているようだ。このところ一番に起用されている太田健一は2打数1安打3四球と好リードオフマンとなっている。しかし本日は二番山田潔が4打数無安打、三番寺内一隆がが3打数無安打、四番高須清が3打数無安打と打線がつながらなかった。

 一方、南海の一番平井猪三郎も5打数3安打の活躍を見せる。二番小林悟楼は4打数1安打1四球でつなぎ、三番鶴岡一人が1打点、四番国久松一が2打点を叩き出しており、打線のつながりが勝敗を分けることとなった。

 南海先発の宮口美吉は7回3分の0を投げて6安打6四球1死球1三振2失点でマウンドを平野正太郎に譲った。4対2とリードした場面でマウンドを降りているので現行ルールでは宮口美吉に勝利投手が記録されて平野正太郎にはセーブが記録されるところであるが、公式記録では平野に勝利投手が記録されている。







          *好リリーフを見せた平野正太郎に勝利投手が記録されている。




2011年11月25日金曜日

14年 タイガースvs名古屋 6回戦


6月20日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 2 1 0 0 0 4 1 10 タイガース 23勝14敗2分 0.622 西村幸生
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 名古屋    12勝25敗3分 0.324 大沢清


勝利投手 西村幸生 7勝5敗
敗戦投手 大沢清   2勝3敗


二塁打 (タ)門前 (名)村瀬、中村
三塁打 (タ)松木
本塁打 (タ)本堂 3号

タイガース圧勝


 タイガースは初回、先頭の本堂保次が左翼線にヒット、富松信彦の二ゴロで本堂は二進、本日は三番に入った門前真佐人が四球を選んで一死一二塁、門前と入れ替わりで四番に入った松木謙治郎が右中間に三塁打を放って2点を先制する。

 タイガースは3回、一死後門前がショートへの内野安打で出塁、松木が四球を選んで一死一二塁、御園生崇男が中前にタイムリーを放って3-0、松木は三塁に進んでなお一死一三塁、ここで一走御園生がディレード気味にスタートを切り「2-1-4」と刺されるがその前に三走松木がホームに還り4-0とする。更に4回、二死後西村幸生、本堂、富松が三連続四球で二死満塁、門前の遊ゴロをショート村瀬一三がエラーする間に三走西村が還って5-0とする。

 名古屋は5回、一死後村瀬が左中間に二塁打、石田政良の遊ゴロをショート皆川定之がエラーして一死一三塁、桝嘉一が中前にタイムリーを放って1点返して1-5とする。

 タイガースは8回、一死後ジミー堀尾文人が左前打を放って二盗に成功、更にキャッチャー服部受弘が二塁に牽制悪送球して堀尾は三塁に進む。一死後皆川が四球を選んで二盗に成功して一死二三塁、西村が左前タイムリーを放って6-1、トップに返り本堂が第三号スリーランホームランをレフトスタンドに叩き込んで9対1とする。更に9回、門前の左中間二塁打を松木が送って一死三塁、御園生が中前にタイムリーを放って10-1として快勝する。

 西村幸生は6安打3四球2三振の完投で7勝目をあげる。本日は門前真佐人、松木謙治郎の三四番を入れ替えて成功した。海内無双と言われた頃のタイガースは不動のオーダーであったがこのところ目まぐるしく打線をいじっている。戦力低下は否定できないでしょう。




 *7勝目をあげた西村幸生のピッチング記録



2011年11月24日木曜日

セネタースvs金鯱 6回戦


6月20日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 0 0 0 0 0 0 2 セネタース 22勝16敗2分 0.579 浅岡三郎 野口二郎
0 0 2 0 0 1 0 0 X 3 金鯱      14勝27敗       0.341 中山正嘉


勝利投手 中山正嘉 10勝10敗
敗戦投手 浅岡三郎    3勝2敗


二塁打 (金)野村
三塁打 (金)五味

中山正嘉、4安打完投で10勝目


 セネタースは初回、先頭の苅田久徳の三ゴロをサード山本次郎がエラー、苅田が二盗を決めて横沢七郎は三振に倒れて一死二塁、尾茂田叶が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 セネタースは3回、又も先頭の苅田の二ゴロをファースト小林利蔵がエラー、横沢の左前打で苅田は一気に三進して無死一三塁、翌日の読売新聞によるとエンドランが掛かっていたとのこと。エンドランの場合、普通は打者は右方向に打つが、セカンドベースカバーにショートが入ったことが確認できた場合はガラ空きの三遊間を狙うこともある。左目の端でショートの動きを目視しながら投球を待つ訳で高等テクニックを要する。スコアブックの記録では左前にゴロで抜けるヒットとなっており、横沢がショートの逆を突くバッティングを見せたのかもしれない。ここで尾茂田が中犠飛を打ち上げて2-0とする。苅田は二打席連続エラーに生き、尾茂田は二打席連続苅田を還して打点をあげる。

 金鯱は3回裏、一死後山本が四球で出塁、トップに返り五味芳夫が右中間に三塁打を放って1-2、二死後野村高義の遊撃内野安打で五味が還って2-2の同点に追い付く。

 金鯱は6回、先頭の野村が左中間に二塁打、セネタースはここで先発の浅岡三郎をファーストに回してファーストの野口二郎がマウンドに上がる。小林茂太は中飛に倒れるが小林利蔵が三遊間を破り、レフト織辺由三がこれを後逸する間に野村が還って3-2とする。小林利蔵の一打はワンヒットワンエラーで打点は記録されていない。

 金鯱先発の中山正嘉は4回までセネタース打線に3安打を許してリードを奪われたが味方が同点に追い付き逆転すると尻上がりに調子を上げて5回以降は1安打無失点に抑える。


 金鯱では五味芳夫と野村高義が2安打ずつを記録する。五味は三塁打、野村は二塁打と共に長打を放ちいずれも得点に直結した。中山正嘉は4安打3四球7安打の完投で10勝目、失点は2であったが自責点はゼロであった。




          *中山正嘉は4安打完投で10勝目をあげる。








          *五味芳夫と野村高義の長打が得点に直結した場面。








*苅田久徳が二打席連続敵失に生きて、尾茂田叶が二打席連続その苅田を還して2打点をあげる。


2011年11月23日水曜日

10人目


 ジャスティン・バーランダーが史上10人目の同一年度サイ・ヤング賞及びMVP同時受賞(以下「W受賞」)と相成りました。2011年9月15日付けブログ「25勝」以降、何度かW受賞について触れてきましたが、矢張り打撃陣にこれといった候補がいなかったことが決め手となったようです。ホセ・バウティスタの打率がもう少し高ければバウティスタがMVPに選出されていたでしょう。

 W受賞第一号は1956年のドン・ニューカムです。この年からサイ・ヤング賞が制定され、キャリアハイの27勝をあげたニューカムが栄えある第一回サイ・ヤング賞と共にMVPも受賞しました。因みに沢村賞は1947年に制定されて別所毅彦が第一回の受賞者となっていますので日本の方が先輩です。

 第二号は1963年のサンディー・コーファックスです。コーファックスについては説明不要と思いますので省きますが、ナショナル・リーグの前後のMVP受賞者は、61年からフランク・ロビンソン、モーリー・ウィリス、63年がコーファックスでケン・ボイヤー(来日して大洋で守備の名手として鳴らしたクリート・ボイヤーの兄貴)、ウィリー・メイズ、ロベルト・クレメンテ、オーランド・セペダと名選手が続きます。今年のナショナル・リーグ サイ・ヤング賞にしてドジャースの後輩となるクレイトン・カーショウが、快速球とコーファックスに似た大きなカーブで「サンディー・コーファックスの再来」と言われています。

 第三号及び第四号は投手の年と言われた1968年、ア・リーグのデニー・マクレイン(現在のところ最後の30勝投手)とナ・リーグのボブ・ギブソン(この年の防御率は1.12)です。因みにサイ・ヤング賞は当初は受賞者は一人だけでしたが、1967年から両リーグ一人ずつ選出されるようになりました。

 第五号が1971年にセンセーショナルなデビューを飾ったバイダ・ブルーです。私が大リーグに興味を持つきっかけとなった選手であることは何度かお伝えしているとおりです。因みに以前のブログでバーランダーがW受賞すれば先発投手としてはバイダ・ブルー以来となると書かせていただいたと思いますが、ロジャー・クレメンスを忘れていましたので1986年のロジャー・クレメンス以来と訂正させていただきます。

 第六号が1981年のロリー・フィンガースです。カイゼル髭の名称はロリー・フィンガースで知りました。ご存じリリーフの切り札の元祖。

 第七号が1984年のウィリー・ヘルナンデスです。デトロイト・タイガースをワールドチャンピオンに導いたリリーフの切り札です。

 第八号が1986年のロジャー・クレメンスです。何と言ってもこの年の20奪三振が圧巻ですが、ESPNクラシックで放映されたこの試合をダビングしたCDを持っています。

 第九号が1992年のデニス・エカーズリーです。1988年のワールドシリーズで脚を痛めていたカーク・ギブソンにサヨナラホームランを打たれたシーンが思い出されますが、先発投手から名クローザーに転向した点は江夏豊と被ります。

 19年振りとなる第10号がジャスティン・バーランダーです。2006年のデビュー当時は160キロの速球がありながら奪三振が少なかったことからサイ・ヤング賞を獲れなかった訳ですが、抜く球を覚えて三振を取るコツもマスターしたようです。こうなると野球ファンとは現金なもので、早くも1944年、45年のハル・ニューハウザー以来となる「投手として二年連続MVP」を願う声が出てきています。


 ハル・ニューハウザーは1944年は29勝で最多勝、奪三振187で第一位、防御率は同僚のディジー・トゥロウトの2.12に次いで2.22で第二位でした。因みにこの年の奪三振ランキングではディジー・トゥロウトが144個で第二位です。ハーラー二位もディジー・トゥロウトの27勝で三位のセントルイス・ブラウンズのネル・ポッター19勝を断然引き離してタイガースの二枚エースが他を圧していましたが、アメリカン・リーグを制したのはセントルイス・ブラウンズでした。ニューハウザーは翌45年、前年惜しくも逸した投手三冠を達成して二年連続MVPに輝きました。45年はワールドシリーズも制して、ニューハウザーはワールドシリーズでは3試合に登板してチーム最多の20回3分の2を投げて2勝1敗、22奪三振を記録しました。このシリーズの奪三振第二位はディジー・トゥロウトの9個ですから如何に他を圧していたかが分かります。但し防御率は第一戦で2回3分の1を投げて8自責点と打ち込まれたため6.10でした。



*若かりし頃のハル・ニューハウザーのサインです。こちらは1940年にワールドチャンピオンになったデトロイト・タイガースのチームサインボールです。ニューハウザーはまだメジャーデビューしたばかりの頃でこの年は9勝9敗にすぎず、ワールドシリーズでは登板すらありませんでした。したがって良く流通している後年の商業用サインとは違い、こちらがオリジナルのサインとなります。ピート・フォックスの下は1943年の打点王ルディ・ヨークのサインです。

投手・中村三郎


 昭和14年の名古屋は春先から松尾幸造を使いまくり故障、期待のルーキー村松幸雄も故障、松尾と共に二枚エース候補の西沢道夫も故障と、三本柱が投げられなくなり、4月23日の堺大浜球場では繁里栄が現在においてもプロ野球史上唯一のダブルヘッダー二試合連続完投勝利(しかも第一試合は完封)を記録する程の投手不足となり、大沢清と中村三郎がマウンドに上がることとなりました。

 中村三郎が初登板した4月22日の堺大浜球場でのイーグルス2回戦(2011年9月1日付けブログ)で、中村は諏訪蚕糸時代は名投手と謳われていたことが長野県高校野球史を伝える貴重な文献「甲子園からの手紙 松商野球の源流」に記されていることを書きました。最近になって、更に重要な事実関係が判明いたしましたのでお伝えいたします。

 昭和13年2月25日発行の聯盟ニュース第24号に掲載されている「戦線だより」に「大活躍!のラ軍中村上等兵」の見出しで「ライオン軍中村三郎選手は上等兵として・・・に属して目下北京の警備に任じているが、去る1月陣中徒然なるままに行われた対抗野球試合でプレートに返り咲き、四戦全勝の記録をもって見事優勝、・・・正月気分を高めたと、この程ライオン軍に便りがあった。」と記載されています。

 この中の「プレートに返り咲き」の部分は、諏訪蚕糸時代にピッチャーであった中村三郎がプロに入ってセカンドを中心に内野手に転じてから兵役に就き、戦地において久々にマウンドに上がったことからこのような記載になったのではないでしょうか。久々のプレートの感触に興奮した中村がその喜びを戦地からの手紙でライオン球団に伝えたものと考えられます。

 三本柱の故障によって中村三郎がマウンドに上がる下地は、戦地にてできていたようです。

14年 第10節 週間MVP


 今節は金鯱が3勝1敗、阪急が3勝1敗、セネタースが2勝1敗、ジャイアンツが2勝1敗、タイガースが2勝2敗、南海が1勝2敗、名古屋が1勝2敗、イーグルスが1勝3敗、ライオンが1勝3敗であった。



週間MVP

投手部門

 ジャイアンツ スタルヒン 2

 今節は阪急に完封、タイガースに完投で2勝をあげる。これまでのスタルヒンには肝心なところで負ける悪癖があったが今節は当面のライバルを破りようやくエースとしての道を歩き始めた。


金鯱 伊藤次郎 1

 兵役から戻っての復帰所初戦で完投勝利、2戦目も6イニングを無失点に抑える。


阪急 重松通雄 2

 今節は完投と完封で2勝をあげる。




打撃部門

 阪急 山下実 1

 今節16打数5安打1得点3打点、二塁打2本、三塁打1本。腰に爆弾を抱えながら強打を炸裂させる。





殊勲賞

 ライオン 水谷則一 1

 6月15日の名古屋戦で3打数3安打2得点5打点2盗塁。


 名古屋 大沢清 2

 17日のジャイアンツ戦に完投勝利。


 イーグルス 木下政文 1

 18日のセネタース戦で5打数4安打2得点1打点、二塁打1本、本塁打1本の準サイクルを記録する。




敢闘賞

 金鯱 古谷倉之助 1

 14日の南海戦で右手首に死球を受けながら4イニングを無安打無得点に抑える気魄のピッチングを見せる。


 イーグルス 高須清 1

 17日のタイガース戦で4打数4安打1得点2打点、三塁打1本、本塁打1本の準サイクルを記録する。



技能賞

 金鯱 五味芳夫 1

 17日のライオン戦で単独ホームスチールを決める。

 金鯱 山本次郎 1

 その打者走者の五味を三塁まで進塁させたのは三本間に挟まれながら時間を稼いだ山本次郎の粘りであった。

14年 ライオンvs阪急 6回戦


6月18日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ライオン 14勝20敗4分 0.412 近藤久 福士勇
0 0 0 0 1 0 0 2 X 3 阪急   27勝11敗    0.711 重松通雄


勝利投手 重松通雄 6勝5敗
敗戦投手 近藤久     0勝6敗


二塁打 (阪)山下実

重松通雄、3安打完封


 ライオンは1回に玉腰年男が中前打、2回に岡本利之が右前打、5回に松岡甲二が左前打を放つが無得点。一方、阪急は初回の山下好一の左前打以降2~4回まで三者凡退に終わる。

 阪急は5回、先頭の上田藤夫が四球で出塁、伊東甚吉の送りバントは一飛となって失敗、日比野武が右前打を放って一死一三塁、重松通雄が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 ライオンは6回から先発の近藤久をあきらめて福士勇をマウンドに送る。

 阪急は8回、先頭の浅野勝三郎が右前打で出塁、フランク山田伝の二ゴロでランナーが入れ替わり山田が二盗に成功、黒田健吾の二ゴロの間に山田が三塁に進み、山下好一が四球から二盗を決めて二死二三塁、ここで山下実が右翼線に二塁打を放って3-0とする。

 阪急先発の重松通雄は5回に自ら放った先制タイムリーに気を良くしたか、6回以降ライオン打線を手玉にとり6回~8回はパーフェクトピッチング、9回も一死後水谷則一二四球を許すが鬼頭数雄を二ゴロ、室井豊を三ゴロに抑えて結局、3安打2四球無三振の完封で6勝目をあげる。

 重松通雄は「アンダーハンドの元祖」とも呼ばれているが、河村英文著「西鉄ライオンズ 最強軍団の内幕」に河村が新人時代に二軍落ちを経験した際の二軍監督だった重松通雄を紹介する場面に「鬼の重松二軍監督は現役時代ピッチャーだったという。それもありふれた投手ではなく、日本で初めて下から投げたアンダースロー投手だったそうだ。その昔『下手投げの重松』といえば、プロ野球界でも名が知れわたっていたという。」という記述がある。

 重松は昭和13年7月1日のセネタース戦以来プロ入り二度目の完封勝利を飾る。下手からのストレートに球速が増してきて今季好調の阪急のエースに成長した。阪急は前日の南海戦での高橋敏に続いて二試合連続完封勝利となった。






               *重松通雄は3安打完封で6勝目をあげる。



14年 南海vs金鯱 6回戦


6月18日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 6 0 0 0 0 0 0 6 南海 15勝20敗2分 0.429 政野岩夫
2 0 1 0 2 0 0 0 0 5 金鯱 13勝27敗     0.325 大宮清 鈴木鶴雄


勝利投手 政野岩夫 6勝6敗
敗戦投手 大宮清     1勝5敗


二塁打 (南)中村 (金)瀬井

金鯱、遂に敗れる

 金鯱は初回、一死後佐々木常助が四球で出塁、野村高義の二ゴロをセカンド国久松一がエラーして一死一三塁、小林茂太が右前にタイムリーを放って1点を先制してなお一死一三塁、小林利蔵が右犠飛を打ち上げて2点を先制する。ライトからのバックホームの隙をついて一走小林茂太もタッチアップから二塁を狙うが「9-2-6B」と転送されてスリーアウトチェンジ。

 南海は3回、先頭の政野岩夫が左前打で出塁、平井猪三郎の遊ゴロをショート瀬井清がエラー、トップに返り小林悟楼が送って一死二三塁、キャッチャー長島進からの三塁牽制球が三走政野に当って白球が三塁グラウンドを転々とする間に政野に続いて二走平井までもが生還して2-2の同点とする。本日二番に入っている中田道信が中前打で出塁、鶴岡一人もセンター左にヒット、四番に抜擢された国久が期待に応えて右前にタイムリーを放って3-2と逆転に成功、岡村俊昭は中飛に倒れて二死一二塁、ここで中村金次が左中間に二塁打を放って二者を迎え入れて5-2、中継ミスの間に中村も三塁に進み岩出清の一塁内野安打で中村金次が還って6-2とする。

 金鯱は3回、先頭の五味芳夫が三塁線にセーフティバントを決めて出塁、佐々木が送って野村の三ゴロの間に五味は三塁に進み、小林茂太の投ゴロを政野がエラーする間に五味が還って3-6とする。

 金鯱は5回、一死後山本次郎が四球で出塁、五味の二ゴロをセカンド国久がエラー、佐々木の投ゴロはゲッツーかと思われたが政野からの二塁送球をベースカバーに入ったショート小林が落球、野村の遊ゴロは「6-4-3」と転送されるがセカンド国久からの一塁送球が悪送球となって三走山本に続いて二走五味も還って5-6とする。

 南海打線は4回から先発の大宮清に代わってリリーフに登場した鈴木鶴雄に無得点に抑えられる。一方、金鯱も南海・政野岩夫から追加点が奪えず9回を迎える。

 南海は9回、一死後政野が左前打で出塁、平井も左前打で続いて一死一二塁、しかし小林悟楼は二ゴロ、中田は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 金鯱は9回裏、一死後瀬井が右中間に二塁打、鈴木鶴雄に代わる代打荒川正嘉は三振、長島に代わる代打磯部健雄が死球を受けて二死一二塁、磯部に代わって代走に兵役から戻ってきた濃人渉が起用される。山本に代わる代打森田実が四球を選んで二死満塁、森田に代わって代走に岡野八郎を起用、トップに返り五味の打席に期待がかかったが中飛に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 金鯱が4失策、南海が5失策を記録する。特に金鯱のショート瀬井清と南海のセカンド国久松一が3個ずつのエラーを犯した。政野岩夫は6安打4四球1死球2三振5失点の完投で6勝目、自責点はゼロであった。

 金鯱は兵役から戻って二度目の登板となる鈴木鶴雄が6イニングを3安打1四球3三振に抑える。15日の復帰初戦を完投しているので本日は大宮清を先発に起用して鈴木鶴雄をリリーフに回したが、先発していたら金鯱の六連勝が成っていたかもしれない。

 金鯱は小林利蔵、鈴木鶴雄に続いて濃人渉も兵役から戻ってきた。そもそも金鯱が一気に弱体化したのも主力選手を悉く兵役にとられたからであるが、早くとられたことから戻ってくるのも他チームより早かったようで、五連勝でストップしたが勢いはまだまだ続くかもしれない。時代も変わったもので、翌日の読売新聞の見出しは「金鯱遂に敗る」であった。




       *兵役から戻ってきた濃人渉が久々にスコアブックに名を連ねる。





14年 タイガースvsジャイアンツ 5回戦


6月18日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 2 3 タイガース   22勝14敗2分 0.611 御園生崇男
2 0 0 0 0 2 0 0 X 4 ジャイアンツ 28勝12敗       0.700 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 19勝6敗
敗戦投手 御園生崇男 9勝3敗


二塁打 (タ)堀尾 (ジ)水原
三塁打 (タ)松木 (ジ)リベラ


ジャイアンツ、地力の勝利

 
 満員の後楽園で行われる第二試合はタイガース・御園生崇男、ジャイアンツ・スタルヒンの先発で午後4時30分、沢東洋男球審の右手が上がりプレイボール。

 タイガースは初回松木謙治郎、2回はジミー堀尾文人がいずれも二死からヒットを放つが無得点。

 ジャイアンツは1回裏、先頭の白石敏男が右前打で出塁、水原茂が右翼線に二塁打を放って無死二三塁、千葉茂は二ゴロに倒れるが中島治康が右犠飛を打ち上げて1点を先制、アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)は右飛に倒れて1回の攻撃を終える。翌日の読売新聞によると水原の右翼線二塁打は一塁後方にポトリと落ちるテキサスリーガーズヒットで、川上の左前タイムリーは「快心の一打」とのこと。各打者の打球方向のとおり、藤本定義監督から反対方向へ流せという指示が出て徹底されていたのであろう。

 タイガースは4回、本日二番に入っている岡田宗芳が四球で出塁、松木が中前に痛打して無死一二塁、門前真佐人の遊ゴロで松木が二封されて一死一三塁、御園生崇男がセンター左にタイムリーを放って1-2とする。翌日の読売新聞の石本秀一監督の談話によると「門前の遊ゴロの時にはエンドランのサインを出していたが松木が見逃して二封された」とのことで御園生のタイムリーで2点取れなかったことを悔やんでいる。

 ジャイアンツは6回、二死後川上が中前打で出塁、リベラが右中間に三塁打を放って3-1、平山の遊ゴロをショート岡田がエラーする間にリベラが還って4-1とリードを広げる。

 タイガースは9回粘りを見せて先頭の松木が右中間に三塁打、門前は三振、御園生の一直は川上に代わって守備固めに入っていた永澤富士雄のミットに吸い込まれて二死三塁、しかし伊賀上良平が右前にタイムリーを放って2-4、続く堀尾も左中間にタイムリー二塁打を放って3-4、ここで森国五郎に代わって西村幸生が代打に登場するがスタルヒンが踏ん張ってカーブ攻めで西村を三振に打ち取りゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。翌日の読売新聞には三振に倒れて尻餅をつく西村の写真が掲載されている。

 スタルヒンは8安打1四球7三振の完投で19勝目をあげる。御園生崇男は7安打無四球3三振、立ち上がりを流し打ちで攻められたのが悔やまれるところ。

 第一期黄金時代を迎えたジャイアンツが地力でもタイガースを上回ってきたことを象徴する試合であったと言える。






            *スタルヒンが完投で19勝目をあげる。




2011年11月21日月曜日

14年 イーグルスvsセネタース 5回戦


6月18日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 2 1 0 0 5 イーグルス 14勝24敗1分 0.368 古川正男 望月潤一
1 0 0 0 5 0 1 0 X 7 セネタース 22勝15敗2分 0.595 野口二郎


勝利投手 野口二郎 14勝6敗
敗戦投手 望月潤一  3勝9敗

二塁打 (イ)太田、漆原、木下 (セ)柳、佐藤
本塁打 (イ)寺内 3号、木下 1号


セネタース、熱戦を制す

 
 イーグルスは初回、先頭の太田健一がいきなり右中間に二塁打、山田潔が四球を選んで無死一二塁とするが寺内一隆は投ゴロ、初めて四番に入った高須清は右飛、中河美芳は三振に倒れてチャンスをつぶす。

 セネタースは1回裏、一死後横沢七郎が四球を選ぶと二盗に成功、尾茂田叶四球で一死一二塁、佐藤武夫の遊ゴロをショート山田がエラーする間に横沢が還って1点を先制する。続く野口二郎の投ゴロは「1-5-3」と渡ってダブルプレー。

 イーグルスは3回、一死後寺内が左翼スタンドにホームランダービー単独トップに躍り出る第三号を叩き込んで1-1の同点とする。更に高須が四球で歩くと二盗に成功、中河が左前にタイムリーを放って2-1と逆転する。

 セネタースは2回、一死後柳が左翼線にヒットを放つが織辺由三に三ゴロで「5-4-3」のゲッツー、4回も佐藤が左前打を放つが浅岡三郎の三ゴロが「5-4-3」と渡ってゲッツー。下手投げの軟投派古川正男から毎回安打を奪うが巧くタイミングを外されて4回までに三度の併殺を記録する。

 セネタースは5回、先頭の柳が左翼線に二塁打、織辺が四球を選んで無死一二塁、イーグルスベンチはここで古川をあきらめ望月潤一をマウンドに送る。望月は古川の先発ということで準備はできていたはずであるが家村相太郎に四球を与えて無死満塁、トップに返り苅田久徳が中前に2点タイムリーを弾き返して3-2と逆転、横沢が送って一死二三塁、尾茂田が右翼線に2点タイムリーを放って5-2、佐藤が左中間にタイムリー二塁打を放ちこの回5点を奪って6-2とする。

 イーグルスは6回、先頭の木下が左前打で出塁、望月の二ゴロを名手苅田がエラー、漆原が中前打を放って無死満塁、トップに返り太田の遊撃内野安打の間に木下、望月が還って4-6、一走漆原も三塁に達してなお無死一三塁、ここでダブルスチールを敢行するが「2-4-2」と渡って漆原はホームに刺される。一死二塁となって寺内は右飛、高須に四球が記録されているがこれは敬遠の可能性が高い。中河が遊ゴロに倒れて追加得点はならず。

 イーグルスは7回、木下が右翼ポール際にホームランを放って5-6と1点差に追い詰めるがセネタースはその裏、先頭の横沢の二ゴロをセカンド高須が一塁に悪送球する間に横沢は二塁に進み、尾茂田四球、佐藤が送って一死二三塁、野口は遊ゴロに倒れるが浅岡四球で二死満塁。柳の三ゴロをサード漆原が一塁に悪送球する間に横沢が還ってこの回ノーヒットで1点を追加して7-5とする。

 イーグルスは最終回、二死から木下がこの日4安打目となる二塁打を右中間に放つが望月に代わる代打菅利雄が三振に倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 野口二郎は5点を失ったが、12安打6四球12三振、被本塁打2の完投で14勝目をあげる。


 本日の第二試合はタイガースvsジャイアンツ戦とあって後楽園球場は満員となった。翌日の読売新聞には満員の後楽園の観衆が写真入りで紹介されている。読売新聞によるとイーグルス2回の攻撃では古川正男が中前打で出塁して漆原進の左中間二塁打で古川が三塁ベースを回ろうとした時にサード横沢と接触したようで、イーグルス森茂雄監督が執拗に“走塁妨害”と抗議して両軍ヒートアップした。満員の観衆の前で両軍の闘志が火花を散らした一戦となった。





     *野口二郎は12安打6四球5失点ながら12三振を奪い完投で14勝目をあげる。





2011年11月20日日曜日

ガスハウスギャング ②


 カージナルス二度目のワールドチャンピオンは1931年にフィラデルフィア・アスレチックスを4勝3敗で倒して達成されました。前年は同じ対戦で2勝4敗で敗れていますので雪辱を果たしたこととなります。アスレチックスのエース、レフティ・グローブはこの年31勝4敗、オフには来日して「スモークボール」で有名になりました。

 前年と違ったのはラインナップにペッパー・マーチンが加わったことです。ペッパー・マーチンは通算4117打数1227安打、打率2割9分8厘の選手ですから日本での知名度は低いかもしれませんが、大リーグ史には欠かすことのできないプレイヤーです。1930年代のカージナルスが「ガスハウスギャング」と呼ばれたのはペッパー・マーチンがいたためとも言われています。

 ペッパー・マーチンは1928年に大リーグデビューしますがこの年は39試合に出場して13打数4安打ですからまだ守備・代走要員だったのでしょう。この年カージナルスはナショナル・リーグを制してワールドシリーズに出場しますが26年に破った全盛期のニューヨーク・ヤンキースに歯が立たず0勝4敗でスイープされます。ペッパー・マーチンは1ゲームに出場して0打数0安打1得点の記録が残されていますので恐らく代走で出てホームに還ったのではないでしょうか。

 1929年は大リーグでの出場は無く、1930年は6試合に出場して1打数0安打5得点の記録が残されていますので間違いなく代走要因だったのでしょう。1931年にレギュラーポジションをつかみ、123試合に出場して413打数124安打、打率3割、16盗塁を記録しています。因みにこの年の盗塁王は同じカージナルスのフランキー・フリッシュの28盗塁で、フリッシュは33年からプレイング・マネージャーとしてガスハウスギャング達を率いることとなります。ペッパー・マーチンの16個はベーブ・ハーマンの17個に次いでスパーキー・アダムスと並んでリーグ三位の成績です。因みにスパーキー・アダムスはカージナルスの三塁手であり、15個で五位のジョージ・ワトキンスもカージナルスの外野手です。ペッパー・マーチンは後年の三塁ではなくこの年はまだセンターを守っていたようです。

 盗塁でリーグ上位五位までの四人を占めていることからも分かるように、この頃のカージナルスは走りまくるチームだった訳です。しかもペッパー・マーチンはヘッドスライディングの元祖とも言われる荒々しい走塁が売りで、「オーセージの荒馬」と呼ばれています。「ガスハウスギャング」の由来は、チーム全員がいつもユニフォームを泥だらけにしていることから、「ガス工場の労働者のようだ」からきているようです。

 こう書いてくると、ペッパー・マーチンを知らなくても、何となくピート・ローズをイメージすれば良いのではないかと気づいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 ペッパー・マーチンはこのシリーズで24打数12安打5得点5打点、二塁打4本、本塁打1本、5盗塁と大暴れし、全盛期のフィラデルフィア・アスレチックスを破る大金星をあげました。「大リーグ不滅の名勝負」(ベースボール・マガジン社)の21項「ワールドシリーズ大活躍 “オーセージのじゃじゃ馬”ペッパー・マーチン」によると「シリーズのヒーローとなり、週1,500ドルの契約でボードビリアンとしての地方興行を始めた。しかし4週間たったあと突然興行を中止、「自分は役者なんかじゃない、野球選手なんだ」といって残る5週間7,500ドルの興行を放棄してしまった。たしかに、彼の言う通りだ。ペッパー・マーチンこそまさに野球のために生まれてきたような男であった・・・・。」




14年 阪急vs南海 5回戦


6月17日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 阪急 26勝11敗    0.703 高橋敏
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海 14勝20敗2分 0.412 平野正太郎


勝利投手 高橋敏    9勝2敗
敗戦投手 平野正太郎 1勝1敗


三塁打 (阪)山下実


高橋敏、今季六度目の完封勝利

 
 阪急は15日のジャイアンツ戦で完投したばかりの高橋敏が中一日で先発。九球団随一の投手陣を誇る阪急では無理なローテーションを組む必要もなく、高橋が中一日で登板するのは4月14、16日以来であるが、前回は4月14日にリリーフで5イニングを投げて中一日で先発したもので今回は完投後の中一日となる。阪急は一番ライトに浅野勝三郎が入る。不動の一番打者・西村正夫に何かアクシデントがあったのであろう。浅野の登板も考えられたところであるが、このような事情で高橋敏の緊急登板となったと推察される。

 序盤戦は南海先発の平野正太郎と高橋敏との投げ合いが続き、阪急は4回まで2安打、南海は4回まで1安打で両軍無得点。

 阪急は5回、先頭の山下実が右翼線に三塁打を放ち無死三塁のチャンスを迎える。続く上田藤夫の当りはピッチャーを強襲して山下実が生還し1点を先制する。阪急は6回以降も平野の前に3安打無得点に封じられる。

 高橋敏はコントロールが良く南海打線に隙を見せず、鶴岡一人に初回と7回に左前打を許したのみ、結局2安打1四球2三振で今季六度目の完封勝利を飾る。阪急は7安打であったが四番山下好一、五番山下実、六番上田藤夫が2安打ずつを記録し、山下実と上田の連打であげた1点を守りきり、後楽園で敗れたジャイアンツを抜いて春夏通算首位の座に返り咲いた。


 翌日の読売新聞によると「5回の阪急は山下実が一塁の右を抜いた時右翼岡村のバックアップ遅く三塁打として続く上田の投手正面で大きく弾むゴロは遊撃のカバー悪く中堅に転じて山下実に易々たる生還を許した。」とのこと。上田の決勝打はスコアブックの記載では投手強襲の内野安打となっています。






*高橋敏は鶴岡一人の2安打だけに抑えて今季六度目の完封勝利を飾る。







*阪急は5回、山下実の三塁打と上田藤夫の決勝打で1点をあげる。上田のヒットは四角で囲ってあるのでピッチャー強襲の内野安打と記録されています。




14年 金鯱vsライオン 5回戦


6月17日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 1 0 1 0 0 4 金鯱    13勝26敗      0.333 中山正嘉
2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 ライオン 14勝19敗4分 0.424 菊矢吉男


勝利投手 中山正嘉 9勝10敗
敗戦投手 菊矢吉男 9勝8敗


二塁打 (ラ)山本尚敏
三塁打 (金)鬼頭


金鯱、破竹の5連勝

 
 ライオンは初回、一死後玉腰年男が右前打で出塁、水谷則一の一二塁間内野安打で一死一二塁、鬼頭数雄がライトオーバーの三塁打を放って二者還り2点を先制する。

 金鯱は2回、一死後小林利蔵が四球で出塁、中山正嘉の三ゴロでランナーが入れ替わり、瀬井清の右前打で中山が三塁に進んで二死一三塁、瀬井の二盗にキャッチャー室井豊の悪送球が重なり三走中山が還って1-2、長島進が中前に同点タイムリーを放って2-2とする。

 金鯱は5回、先頭の瀬井が三前にセーフティバントを決めて出塁、長島が一塁線に送りバントを決めて一死二塁、ライオンはここでショートを松岡甲二から山本尚敏に交代する。続く山本次郎が左前打、トップに返り五味芳夫が四球を選んで一死満塁、佐々木常助が右前にタイムリーを放って3-2と勝ち越しに成功する。二走山本も三塁ベースを蹴ってホームを突くがライト水谷からのバックホームにタッチアウト、三塁まで進んでいた一走五味もホームを狙うが「2-4-2」と挟まれてタッチアウト、変則ダブルプレーとなってスリーアウトチェンジ。

 金鯱は7回、一死後山本次郎が二ゴロエラーに生きると続く五味の打席で菊矢吉男が二度のワイルドピッチを犯して山本は二進、三進して一死三塁、五味の投ゴロに三走山本が飛び出して三本間に挟まれるがここから粘りに粘って打者走者五味が三塁に進む時間を稼いだ。山本はタッチアウトとなって二死三塁、五味は続く佐々木への第二球目にホームスチールを成功させて4-2とする。

 中山正嘉は6安打2四球3三振の激投、6回以降を無安打に抑え完投で9勝目をあげる。


 試合経過からも分かるように金鯱の積極的な走塁が目に付いた試合であった。金鯱は昭和12年秋季の島秀之助から13年春季・江口行男、13年秋季・佐々木常助、14年・五味芳夫と四期連続盗塁王を輩出する訳であるが、これは岡田源三郎監督の積極采配に拠るものである。本日は記録上は瀬井清と五味芳夫の1個ずつの2盗塁であったが、瀬井の二盗はキャッチャーの悪送球を誘って1点目に直結し、三本間に挟まれた山本次郎の時間稼ぎにより三塁に進んだ五味芳夫が本盗で締めた。金鯱はこれで破竹の5連勝を飾り、夏季シリーズの単独首位に躍り出た。

*昭和14年からは1シーズン制が採用されていますが、春季、夏季、秋季に分けてチーム優勝、首位打者等が表彰されることとなっています。春季シリーズの優勝は阪急、首位打者は川上哲治となっています。





*金鯱7回の攻撃で先頭の山本次郎は二失に生きて菊矢のワイルドピッチで二進、三進し、五味芳夫の投ゴロに飛び出して三本間に挟まれるがそこから時間を稼いで打者走者五味を三塁に進め、五味芳夫がホームスチールを決めた。

                              ・山本次郎の打席
 


          
                              ・五味芳夫の打席







            *中山正嘉は完投で9勝目をあげる。





2011年11月19日土曜日

14年 タイガースvsイーグルス 5回戦


6月17日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 1 0 2 1 5 タイガース  22勝13敗2分 0.629 西村幸生 若林忠志
0 0 1 4 1 0 0 0 X 6 イーグルス 14勝23敗1分 0.378 亀田忠 望月潤一


勝利投手 望月潤一 3勝8敗
敗戦投手 西村幸生 6勝5敗


二塁打 (イ)木下、山田
三塁打 (イ)高須
本塁打 (タ)本堂 2号 (イ)高須 1号


高須清、準サイクル

 
 イーグルスは伏見五郎に代わって起用されているキャッチャー筒井良武が走りまくられているので本日の先発マスクは木下政文となった。

 イーグルスは3回、二死後二番太田健一が中前打で出塁、高須清が右中間に三塁打を放って1点を先制する。

 3回までイーグルス先発の亀田忠に無安打に抑えられていたタイガースは4回、先頭の本堂保次が右翼スタンドに第2号ホームランを叩き込んで1-1の同点に追い付く。

 イーグルスは4回裏、先頭の中河美芳が中前打で出塁、杉田屋守の三ゴロをサード伊賀上良平が二塁に送球するが間に合わず野選となって無死一二塁、ここで久々にスタメン起用された木下政文が左中間に二塁打を放って二者生還して3-1とする。タイガースは先発の西村幸生をあきらめ若林忠志をリリーフに送るが続く山田潔も右翼線に連続二塁打して4-1、漆原進が四球を選んで無死一二塁、ここで重盗を試みるが二走山田は三塁タッチアウトで一死二塁、トップに返り寺内一隆は右飛に倒れるが太田の遊ゴロをショート岡田宗芳がエラーする間に漆原が還って5-1とリードを広げる。

 イーグルスは5回、先頭の高須が東京六大学時代に対戦していた若林からレフトスタンドにホームランを放って6-1とする。

 タイガースは6回、先頭の一番岡田が四球を選んで出塁、二番本堂が左前打で続いて無死一二塁、松木謙治郎も四球を選んで無死満塁、門前真佐人の遊ゴロ併殺の間に三走岡田が還って2-6とする。

 タイガースは8回、一死後本堂がこの日三本目のヒットを左前に運び松木の右翼線ヒットで一死一三塁、パスボールの間に本堂が還って3-6としてなお一死二塁、門前は三振に倒れるが御園生崇男が中前にタイムリーを放って4-6と追い上げる。

 タイガースは9回、先頭の伊賀上が四球で出塁、森国五郎に代わる代打青木正一は中飛に倒れるが若林が右前打を放って伊賀上は三塁に進み一死一三塁、8回から岡田に代わってショートに入っている皆川定之が左前にタイムリーを放って5-6と1点差に迫る。若林の代走山根実が三塁に走ってなお一死一三塁、皆川が二盗を決めて一死二三塁、本堂は死球を得て一死満塁とする。イーグルスベンチはここで亀田をあきらめて望月潤一をリリーフに送る。望月は松木にツーボールとするが松木の一打はファーストライナー、中河が好捕して三塁に送球、試合慣れしていない三走山根は戻れずダブルプレーが完成してゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 公式記録では打者一人に投げた望月潤一に勝利投手が記録されているが、現行ルールでは亀田忠が勝利投手となり望月にはセーブが記録されるところである。


 鳴り物入りで入団した高須清が4打数4安打、シングルヒット2本、三塁打、本塁打を記録する準サイクルの活躍を見せた。翌日の読売新聞によると「試合前高須は若林の登場を予期して『若林君の球なら絶対に三振はしない、巧く待ってキッと本塁打を打つ』と発言していたが・・・」とのことである。




*高須清が4打数4安打の活躍を見せる。ピンクのマーカーはスコアブックの前の所有者であった福室正之助氏によるものでしょうか。









*打者一人に投げて併殺に打ち取った望月潤一に勝利投手が記録されている。




14年 ジャイアンツvs名古屋 6回戦


6月17日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 2 1 0 0 0 0 0 4 ジャイアンツ 27勝12敗    0.692 中尾輝三 川上哲治
0 0 4 1 0 3 0 0 X 8 名古屋     12勝24敗3分 0.333 大沢清


勝利投手 大沢清     2勝2敗
敗戦投手 中尾輝三 4勝3敗


二塁打 (名)加藤
三塁打 (名)三浦
本塁打 (ジ)千葉 2号


大沢清、ジャイアンツ打線を翻弄

 
 ジャイアンツは初回、一死後水原茂が中前打で出塁するが千葉茂の二ゴロは「4-6-3」と渡ってダブルプレー。

 ジャイアンツは2回、先頭の中島治康が左前打で出塁、川上哲治は右飛に倒れるがアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)が中前打、平山菊二も中前打で続いて一死満塁、吉原正喜の遊ゴロの間に中島が還って1点を先制する。

 ジャイアンツは3回、先頭の白石敏男が三塁に内野安打、一死後千葉がライトポール際にツーランホームランを叩き込んで3-0とする。

 名古屋は3回裏、先頭の中村三郎が四球で出塁、トップに返り村瀬一三も四球を選んで無死一二塁、石田政良が三遊間を破るタイムリーを放ち1-3としてなお無死一二塁、桝嘉一は三邪飛、大沢清が三振に倒れると村瀬、石田がダブルスチールを決めて二死二三塁、加藤正二が右前に2点タイムリーを放って3-3の同点、三浦敏一が左中間に三塁打を放って4-3と逆転に成功する。

 ジャイアンツは4回、先頭のリベラがピッチャー強襲ヒット、平山の二ゴロをセカンド中村が二塁に悪送球、吉原正喜の当りは左前ポテンとなりレフト桝からサード芳賀直一への送球が乱れる隙を突いて三走リベラが生還して4-4の同点とする。ここで平山が三盗に失敗、直後に中尾輝三が右前打を放つが白石、水原が連続右飛に倒れて追加点はならず。結果的に見るとこの拙攻がジャイアンツの敗因となった。

 名古屋は4回裏、先頭の芳賀が中前打で出塁、中村四球、芳賀が三盗を決めて村瀬も四球を選んで無死満塁、石田の右前タイムリーで5-4と勝ち越してなお無死満塁が続く。桝の当りはライトへの飛球となったがライト中島が好捕して一塁に送球して一走石田が戻れずツーアウト、ファースト川上は二塁ベースカバーのショート白石に転送して二走村瀬も戻れずプロ野球史上三度目のトリプルプレーが完成する。

 ジャイアンツは5回から中尾に代えて川上がファーストからマウンドに上がる。中尾は4イニングを投げて6安打4四球4三振5点、自責点5という投球内容であった。

 名古屋は6回、先頭の芳賀が四球で出塁、中村の捕飛はバント失敗の可能性がある。村瀬の三ゴロを名手水原がエラーして一死一二塁、石田のセーフティバントが内野安打となって一死満塁、桝が押出し四球を選んで6-4、大沢が右前の2点タイムリーを放って8-4と突き放す。

 大沢清はスピードはないが緩急を巧く使ってジャイアンツ打線を翻弄し、12安打を浴びながら3四球1三振の完投で2勝目をあげる。第一期黄金時代の初期にジャイアンツが政野岩夫や大沢清にやられていた事実は歴史に埋没している。


 名古屋は二番石田政良が5打数3安打2得点2打点、三番桝嘉一が4打数1安打1打点、四番大沢清が4打数1安打2打点、五番加藤正二が5打数3安打1得点2打点、六番三浦敏一が4打数2安打と中軸が全11安打中10安打を放ち全打点をあげて得点を重ねた。更に三浦が2個、村瀬一三、石田政良、芳賀直一が1個ずつの合計5盗塁を決めてジャイアンツバッテリーを揺さぶった。特に3回の村瀬、石田のダブルスチールが効いた。

 中尾輝三はモーションが大きく左投手ながら簡単に盗まれているようで、コントロールと共にこの点も課題である。中尾がこの調子なのでジャイアンツとしては川上哲治をリリーフに用意せざるを得ず、これが川上のバッティングにも影響を与えている。本日はジャイアンツ打線は12安打を放ったが先発メンバーでは川上だけが4打数無安打であった。それでも夏季シーズン26打数11安打、4割2分3厘で首位をキープしているところは流石神様だけのことはあるが。





*昭和13年10月23日のライオンvs名古屋3回戦、14年4月2日の南海vsイーグルス1回戦以来、プロ野球史上三度目のトリプルプレー。1回目も桝嘉一のセカンドライナーによるものであった。今回は桝の右飛をライト中島治康が好捕して「9-3-6」と渡る珍しいケースであった。







                 *雑記欄の記載。






*雑記欄にはトリプルプレーと共に「ジャイアンツ内野の補殺1(ゴロによる補殺はゼロ)と記載されている。下の写真のとおり白石、水原、千葉の内野陣の補殺はゼロであった。内野の補殺1はトリプルプレーに絡んだ川上の二塁送球に記録されたものである。