8月9日 (水) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 4 名古屋 18勝32敗3分 0.360 松尾幸造 西沢道夫
0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 セネタース 27勝24敗3分 0.529 野口二郎
勝利投手 西沢道夫 3勝6敗
敗戦投手 野口二郎 17勝13敗
二塁打 (名)野口
西沢道夫、快投
名古屋は初回、先頭の桝嘉一が左翼線にヒットで出塁、石田政良は一塁に内野安打、大沢清が右前に先制タイムリーを放ち1-0としてなお無死一三塁、加藤正二は遊飛に倒れるが三浦敏一が右前にタイムリーを放って2-0とする。
セネタースは2回、佐藤武夫、柳鶴震が連続四球、家村相太郎は左飛に倒れるが金子裕が左前打を放って一死満塁、織辺由三が右前にタイムリーを放って1-2、トップに返り苅田久徳の遊ゴロは「6-4-3」と渡って併殺かと思われたがセカンド中村三郎からの一塁転送が悪送球となる間に三走柳に続いて二走金子もホームに還り3-2と逆転に成功する。
名古屋ベンチは3回から先発の松尾幸造に代えて西沢道夫をマウンドに送ったが西沢が素晴らしい投球を見せた。代わりばなの3回こそ先頭の尾茂田叶に中前打、野口二郎に左中間二塁打を許し佐藤の捕前の当りもキャッチャー三浦の処理がまずく無死満塁のピンチを迎えるが柳の二ゴロで本塁封殺、家村を遊ゴロ併殺で切り抜けると4回以降はセネタース打線を2安打に抑え込んだ。
名古屋は8回、中村に代わる代打服部受弘が四球を選んで出塁すると代走に鈴木秀雄を起用、芳賀直一の右翼線ヒットで無死一二塁、セネタースはここで先発の金子裕を下げてファーストに浅岡三郎を入れてファーストの野口二郎をマウンドに送る。しかし西沢が左前に同点タイムリーを放って3-3に追い付く。
名古屋は延長11回、一死後石田の遊ゴロをショート柳が一塁に悪送球、大沢が右前打を放って一死一二塁、加藤の二ゴロは「4-6-3」と転送されるがまたしても柳の一塁送球が悪送球となる間に二走石田が三塁ベースを蹴ってホームに還り4-3と勝ち越しセネタースに競り勝つ。
苅田監督としては一昨日完投した野口二郎で短いイニングを逃げ切ろうとしたが延長にもつれ込んだのは誤算だったのではないか。
3回からリリーフした西沢道夫は9回を投げて4安打6四球1三振無失点の好投で3勝目をあげる。8回以降は無安打ピッチングであった。当ブログでは西沢道夫を「カットボールの元祖」との仮説を立てています(2011年3月4日付けブログ「西沢道夫のピッチング」参照)。本日も3回のピンチを併殺で切り抜け5回の一死一塁も「6-4-3」、7回の無死一塁も「5-4-3」の併殺に仕留めている。翌日の読売新聞には「急所々々をドロップできめつけ最後まで投げ進んだ」と書かれている。西沢の低めの変化球は独特の落ち方をしているようで、カットボールの可能性があります。前回登板の5日の金鯱戦で復調の兆しが見られたが、このピッチングが続くようだと名古屋も低迷から抜け出す可能性がある。
三浦敏一が6打数4安打の活躍を見せた。シーズン当初はルーキーの服部受弘にレギュラーキャッチャーの座を奪われかけたがバッキー・ハリス不在の現在では当代随一のキャッチャーと言っても過言ではない。三浦はリーグ戦の合間に行われた7月25日の「花形選手選抜対抗戦」(出身地別に東西に分けた対抗戦。三浦は長野県出身なので東軍のキャッチャーとして出場した。因みに西軍のキャッチャーは門前真佐人(広島県出身)と吉原正喜(熊本県出身)が出場しているので現時点においてはこの三人がプロを代表するキャッチャーと言う評価です。三浦は諏訪蚕糸なので中村三郎の後輩となります。)では満塁ホームランを放っている。
三浦敏一の評価についてもう一つ。ベースボールマガジン昭和33年12月号に千葉茂の連載「栄光は巨人と共に」第7回が掲載されていますが、ここに「特にぼくは左腕の松尾がきらいで、あの荒れ気味の球がどうも打ちにくくてならなかった。・・・ぼくらは軽くあしらわれてしまうのだった。その功労は捕手の三浦にあったらしい。これは非常にうまい捕手で、打つ方も案外によかった。彼のもっとも特徴とするのは、やはりインサイド・ワークで、松尾が好投できたのも、三浦がリードしていたからである。」と書かれています。
*三浦敏一が6打数4安打を記録する。
*3回からリリーフした西沢道夫が快投を見せる。