10月5日 (月) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 0 0 1 3 朝日 37勝41敗5分 0.474 内藤幸三
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪神 40勝39敗5分 0.506 藤村隆男
勝利投手 内藤幸三 2勝4敗
敗戦投手 藤村隆男 2勝5敗
二塁打 (朝)坪内
勝利打点 内藤幸三 2
内藤幸三、9回一死まで無安打ピッチング
翌日の読売新聞は「波に乗る朝日」の見出しで朝日の快進撃を伝えている。
朝日は4回、先頭の原秀雄が四球を選んで出塁、広田修三は三振に倒れるが、浅原直人が左前打を放ち一死一二塁、内藤幸三が右前に先制タイムリーを放って1-0、一走浅原が陸上競技出身らしく快足を飛ばして三塁に進み、ライトからの返球を受けたピッチャー藤村隆男がホームに送球するとこれが悪送球となる間に浅原が還って2-0とする。浅原が一気にホームを狙うようなシチュエーションとも考えにくく、藤村の本塁送球は余計だった可能性がある。
朝日は9回、先頭の岩田次男が四球を選んで出塁、早川平一の三ゴロでランナーが入れ替わり、斉藤忠二は中飛に倒れるが、酒沢政夫が左中間にヒットを放って二死一二塁、トップに返り坪内道則が中前にタイムリーを放って3-0と突き放す。
朝日先発の内藤幸三は素晴らしいピッチングを見せて阪神打線を翻弄し、9回一死までノーヒットピッチング。無安打無得点が見えたかと思われた瞬間、門前真佐人の打球がライナーで右前に飛んで初ヒット、翌日の読売新聞は「曲球の曲りばなを叩かれて二越え安打され惜しくも記録を逃した」と伝えている。
内藤幸三は1安打6四球6三振の完封で2勝目を飾る。打っても決勝打を放って勝利打点を記録した。
内藤は昭和11年の、現在に続くプロ野球初年度の公式記録では、沢村栄治を抑えて初代奪三振王に輝いた快速球投手である。早くに応召して、復帰後はかつての速球が影を潜めていたが、このところのピッチング内容は昭和11年を凌いでいる可能性が高い。11年度は三振も多かったが四球も多く、公式記録とされる期間では133回3分の2で139奪三振ながら与四死球も111個を数えている。奪三振王である一方、与四球、失点、自責点でもトップであった。昭和17年秋季シーズンのピッチング内容の方が優っていると言えるでしょう。シーズン5勝10敗の数字だけを見ていては、「真実の内藤」を見ることはできない。真実は当ブログにあります。
*内藤幸三は9回一死まで無安打ピッチングを続けて1安打完封。