2015年1月31日土曜日

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その6


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 ・・・ 
0 1 1 0 0 0 0 0 2  0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0  ・・・名古屋 
0 0 0 0 0 2 2 0 0  0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0  ・・・大洋

二塁打 (名)古川、芳賀、野口正明 (大)浅岡
本塁打 (名)古川 3号


死闘は続く

 昭和12年以降のプロ野球ではこれまで昭和16年7月13日の阪神vs大洋戦と昭和17年4月12日の阪急vs大洋戦の「延長19回」が最長記録でしたがこの試合が塗り替えました。大洋は全ての試合に顔を出しています。

 この日後楽園球場に詰めかけた約5,000人の観客も、そろそろ中京商業vs明石中学戦の延長25回の記録を意識し始めてきた。


 名古屋は21回、先頭の野口正明がワンストライクからの2球目を投ゴロ、西沢は三球三振、芳賀直一はワンストライクからの2球目を二飛。野口二郎はこの回7球、完全に波に乗ってきた。

 大洋は21回裏、野口二郎がワンストライクからの2球目を二ゴロ、野口明の遊ゴロをショート木村進一がエラー、しかし村松長太郎が初球を遊ゴロ、「6-4-3」と転送されてダブルプレー。西沢はこの回6球、相変わらずストライクが先行している。

 名古屋は22回、先頭の石丸藤吉は4球目を三ゴロ、木村進一は三球三振、桝嘉一は5球目を投ゴロ。野口二郎はこの回12球、2イニング連続で三球三振を奪ったのである。

 大洋は22回裏、先頭の苅田久徳が4球目を中飛、佐藤武夫は3球目をサードライナー、織辺由三は2球目を打って遊ゴロ。西沢はこの回9球。

 名古屋は23回、先頭の飯塚誠が初球ファウルからの2球目を右飛、古川清蔵がツースリーから四球を選んで出塁、吉田猪佐喜は初球を叩いて右飛、野口正明の初球に古川がスタート切るが又もキャッチャー佐藤からの送球にタッチアウト、佐藤はこの日3つ目の補殺を記録した。野口二郎はこの回10球。
 大洋は23回裏、先頭の中村信一がワンスリーから四球を選んで出塁、濃人渉が初球を投前に送りバント、一死二塁とサヨナラのチャンスを迎えた。続く浅岡三郎はワンスリーから四球、ここは歩かせてもいい場面であるがストライクが先行していた西沢のピッチングに変化が見られる。しかし野口二郎はワンボールからの2球目を打ち上げて二飛、野口明もワンストライクからの2球目を二飛に倒れてこの回も無得点。西沢はこの回15球を要した。


 名古屋は24回、先頭の野口正明は初球を一邪飛、西沢がツーワンから放った右飛をライト浅岡が落球、しかし芳賀が2球目に打った二ゴロが苅田-濃人-野口明と渡ってダブルプレー。野口二郎はこの回7球。

 大洋は24回裏、先頭の村松がツーワンから一邪飛、苅田はツーツーからの5球目を中飛、佐藤は6球粘ったが三振。西沢はこの回も15球を要した。

 名古屋は25回、先頭の石丸藤吉が初球を投ゴロ、木村はツーワンからの4球目を右飛、桝がツーワンから二塁に内野安打、「真説日本野球史」には「右前打」と書かれているのでライトに抜けたかもしれない。しかし飯塚は初球を打って投ゴロ。野口二郎はこの回11球、累計の投球数は300球を超えて307球となった。

 大洋は25回裏、先頭の織辺は初球を投ゴロ、トップに返り中村はツーナッシングからの3球目を二ゴロ、濃人はツーツーからの5球目を三ゴロ。西沢はこの回9球、累計の投球数は282球となった。


 この時場内アナウンスがあった。

 「中京対明石の延長25回戦の日本記録を破り、次の回へ進みます。」


・・・その7に続く





 

訂正のお知らせ



 史上最長戦も20回まで進みましたが、訂正が3か所ありましたのでお詫びして訂正させていただきます。


 「その1」における名古屋2回の攻撃、先制点を奪ったシーンの打者は「織辺由三」ではなく「芳賀直一」の間違いでした。両軍の九番打者を間違えてしまいました。

 「その3」における名古屋8回の攻撃、吉田猪佐喜は「中飛」ではなく「右飛」の間違いでした。

 「その4」における名古屋12回の攻撃での吉田猪佐喜の左前打は「真説日本野球史」では「中前打」となっています。スコアカードに記入されている打球方向は「左」とも「中」ともとれる位置に記されていますが、強打の吉田猪佐喜の打席なら外野はホームから見て左寄りに守備位置をとる可能性が高く、実際に打球を捕球したのがセンターの織辺由三であった可能性は十分あります。今一度見直してみると、普段はこの位置に記してある場合「中前打」としていますので、「中前打」に訂正させていただきます。




 

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その5


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 ・・・・・  
0 1 1 0 0 0 0 0 2  0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0  ・・・・・名古屋
0 0 0 0 0 2 2 0 0  0   0   0   0   0   0   0   0   0   0   0  ・・・・・大洋

二塁打 (名)古川、芳賀、野口正明 (大)浅岡
本塁打 (名)古川 3号


野口二郎、西沢道夫ともに調子を上げる

 名古屋は16回、先頭の芳賀直一がツーワンからの4球目に放った遊ゴロをショート濃人渉がこの日4つ目のエラー、こういう時はホームランかエラーで試合が決まるのは付き物ということで大洋ベンチは嫌な予感。このピンチを救ったのはキャッチャー佐藤武夫の肩であった。トップに返り石丸藤吉の初球ボールの投球で放った佐藤からの一塁牽制に芳賀が戻れずタッチアウト。石丸藤吉は2球目を2ゴロ、木村進一はツースリーから2球ファウルで粘るが中飛に倒れる。結果的に3人で終了したこの回、野口二郎は14球を要した。

 大洋は16回裏、その野口二郎がワンストライクからの2球目を中前打、野口明が初球送りバントを決めて一死二塁と決着を付けるチャンス到来、しかし村松長太郎は初球に手を出し三ゴロ、二死二塁からこの日3安打の苅田久徳は敬遠、佐藤が初球を叩くが左飛に終わる。西沢道夫はこの回敬遠の四球がありながら9球で終えて5イニング連続一桁投球数。ここまで野口二郎の214球に対して187球しか投げていない。

 名古屋は17回、先頭の桝嘉一がツーツーから1球ファウルで粘るが三ゴロ、飯塚誠は初球を強振するが力が入り過ぎて二飛、ここは当然一発狙った場面です。古川清蔵はツーワンから三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。野口二郎はこの回11球。

 大洋は17回裏、先頭の織辺由三が初球を三ゴロ、トップに返り中村信一がツーワンからの4球目を三遊間に運び左前打、濃人の三ゴロをサード芳賀がエラー、一死一二塁と大洋は2イニング連続でスコアリングポジションに走者を送った。浅岡三郎はツーボールから1球ファウル、4球目を叩くと遊ゴロ、ショート木村からセカンド石丸藤吉、更にファースト野口正明と渡ってダブルプレー。西沢はこの回11球でピンチを防いだ。

 西沢のピッチングは長身を生かしたオーバースローからのストレートと低目の小さな変化球が武器である。当ブログではカッターを投げていたと推測していることはこれまで何度もご紹介しているところですが、西沢の最大の武器が活きた場面であった。

 名古屋は18回、吉田猪佐喜がワンストライクから2球ファウル、更にボールを3つ選んで粘るが二飛、ここは野口二郎の粘りが優った。続く野口正明は初球、左中間をライナーで破る二塁打、野球にタラレバは禁句ですが、吉田が四球を選んでいればここで決着がついていたかもしれない。ということで一死二塁とチャンス到来、西沢はワンボールからの2球目を4球目を叩くが遊ゴロに終わる。西沢としてはここは自ら決勝点を奪いたかったところでしょう。続く芳賀も初球を遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。野口二郎はこの回11球。

 大洋は18回裏、先頭の野口二郎が初球を遊ゴロ、野口明はワンストライクからの2球目を一邪飛、村松はツーワンから1球ファウルで粘るが二ゴロに終わってスリーアウトチェンジ。西沢はこの回8球でここまでの投球数は206球と西沢も200球を超えてきた。

 名古屋は19回、一番からの好打順となったが石丸藤吉はワンボールからの2球目を遊飛、木村はツーワンからの4球目を二ゴロ、桝もツーツーからの5球目を二ゴロに倒れて三者凡退。野口二郎はこの回11球と3イニング連続11球で累計の投球数は247球に達した。

 大洋は19回裏、苅田がツーワンからの4球目を右飛、佐藤はツーツーから三振、織辺は初球を叩いて中飛。西沢の投球数は10球。

 名古屋は20回、先頭の飯塚がツーワンから三振、古川もツーツーから三振、吉田はツーナッシングから1球ファウルで粘るが中飛。野口二郎はこの回13球、250球を超えてエンジン全開となってきた。

 大洋は20回裏、先頭の中村がツーワンから三振、濃人がツーツーからの5球目を中飛、浅岡もワンワンからの3球目を一邪飛。西沢はこの回12球、依然として快調なピッチングを続けている。

 ここで「真説日本野球史」に書かれている島秀之助球審のコメントを引用させていただきます。

 「野口も、西沢も申し分ないコントロールでした。・・・野口の整球力は精密機械・・・捕手の佐藤が構えたミットに、ぴたりぴたり。・・・西沢の一番良かったのはカーブでした・・・それからもうひとつ、15、6回頃に、フットワークがもたついていた選手たちが20回を終わったあたりからまたキビキビした動きになりましたっけ。あれは不思議でした。」

 この時グラウンドに立っていた者ならではの感想である。


・・・その6に続く



 

2015年1月29日木曜日

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その4


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ・・・・・
0 1 1 0 0 0 0 0 2  0   0   0   0   0   0  ・・・・・名古屋
0 0 0 0 0 2 2 0 0  0   0   0   0   0   0  ・・・・・ 大洋

二塁打 (名)古川、芳賀 (大)浅岡
本塁打 (名)古川 3号


膠着状態

 名古屋は10回、先頭の野口正明が三球三振、西沢道夫が2球目を中飛、芳賀直一は初球を捕邪飛。野口二郎はこの回6球とこの試合初めて1イニングの投球数が一桁となった。

 大洋は10回裏、先頭の濃人渉が三ゴロ、浅岡三郎は2球目を二飛、野口二郎の遊ゴロをショート木村進一がエラー、しかし野口明は2球目を二飛。西沢はこの回11球。

 名古屋は11回、先頭の石丸藤吉が遊ゴロ、木村が中前打を放つが桝嘉一の遊ゴロで木村は二封、飯塚誠は捕邪飛に倒れてスリーアウトチェンジ。野口二郎はこの回13球、10回の下位打線は淡白な攻撃であったが名古屋上位打線は球をよく見てきた。

 大洋は11回裏、先頭の村松長太郎の遊ゴロをショート木村が一塁に悪送球、苅田久徳がワンストライクからの2球目を3打席連続ヒットとなる左前打、無死一二塁とサヨナラのチャンスを迎える。ところが佐藤武夫の三ゴロが「5-4-3」と渡ってゲッツー、二死三塁から織辺由三は左飛に倒れてこの回無得点。西沢はこの回10球。

 名古屋は12回、古川清蔵が初球を左飛、吉田猪佐喜がワンストライクからの2球目を中前打、野口正明の二ゴロで吉田は二進、西沢は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。野口二郎はこの回8球。

 大洋は12回裏、先頭の中村信一が2球目を遊ゴロ、濃人は初球を遊飛、浅岡はツーワンから1球ファウルで粘るが三振に倒れる。西沢はこの回8球。

 名古屋は13回、先頭の芳賀は左飛、トップに返り石丸藤吉は二飛、木村がワンスリーから四球を選んで出塁、桝の初球に木村がスタートを切るがキャッチャー佐藤からの送球にタッチアウトとなって盗塁失敗。野口二郎はこの回11球。

 大洋は13回裏、野口二郎がワンストライクからの2球目を遊ゴロ、野口明もワンストライクからの2球目を捕邪飛、村松はツーナッシングからの3球目を二飛。西沢はこの回7球。大洋打線が打った球がストライクだったとすると全球ストライクを投げたことになる。

 名古屋は14回、桝が2球目を三ゴロ、飯塚が3球目を中飛、古川がフルカウントからの6球目を遊ゴロ。野口二郎はこの回11球。

 大洋は14回裏、苅田が2球目を左飛、佐藤がツーワンから三振、織辺は2球目を捕邪飛。西沢はこの回8球と3イニング連続で一桁投球数。

 名古屋は15回、先頭の吉田が初球を三ゴロ、野口正明がツーワンから三振、西沢はワンツーから遊ゴロ。野口二郎はこの回9球を投げて投球数はちょうど200球となった。

 大洋は15回裏、中村信一が3球目を二飛、濃人も3球目をサードライナー、浅岡もツーナッシングからの3球目を遊飛。西沢はこの回9球と4イニング連続の一桁投球数。ストライクが先行して凡打の山を築きここまでの投球数は178球に過ぎない。


 延長戦に入って膠着状態となった。


・・・その5に続く






 

2015年1月26日月曜日

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その3


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 ・・・・
0 1 1 0 0 0 0 0 2 ・・・・名古屋
0 0 0 0 0 2 2 0 0 ・・・・大洋

二塁打 (名)古川、芳賀 (大)浅岡
本塁打 (名)古川 3号


古川清蔵が同点ホームラン、試合は延長へ

 名古屋は8回、先頭の吉田はワンボールから右飛、野口正明は初球を打ち上げて一邪飛、西沢も初球を叩いて中前打、芳賀も初球を左中間に運ぶ二塁打、西沢は三塁にストップして二死二三塁、トップに返り石丸藤吉はストライク、ストライク、ファウルからの4球目を打って投ゴロ、この回も無得点。

 大洋は8回裏、野口二郎がツーツーからの5球目を中飛、野口明が初球をレフト線にヒット、村松はツーナッシングと追い込まれて3球目を叩いた打球はライトへの飛球、野口明は当然ハーフウェイ、ところがライト飯塚が落球、野口明は慌てて二塁に走るが強肩飯塚が白球を拾って二塁に送球、野口明はフォースアウトとなって又もライトゴロが記録される。「村松の当りはヒット性ではなかったの?」との疑問は当然ですが、ここは「真説日本野球史」に「村松の右飛を右翼手落球したが、野口を二封」と書かれています。ということで二死一塁、苅田がワンツーからの4球目を引っ張りレフト線にヒット、一走村松は二塁ベースを蹴って三塁に向かうがレフト吉田からの送球にタッチアウト。

 この回名古屋の外野陣、飯塚誠と吉田猪佐喜が補殺を記録したが、「野球界」昭和17年6月15日号に当時の強肩外野手として飯塚誠、織辺由三、呉波の名前が上がっている。吉田猪佐喜についても補殺が多いことはこれまで当ブログが何度もお伝えしているとおりです。

 名古屋は9回、先頭の木村は2球ファウルで粘るが4球目を投ゴロ、桝がツースリーから四球を選んで出塁、飯塚は2球目を一ゴロ、この間に桝は二進、古川がツーボールナッシングからの3球目をレフトスタンド上段に運ぶ同点ツーラン、4対4と試合は振出しに戻る。これが長い長い延長劇の幕開けであった。吉田はワンツーからの4球目を一邪飛。

 大洋は9回裏、佐藤が3球ファウルで粘りツースリーからの9球目を叩くが捕邪飛、織辺はワンツーからの4球目を左飛、トップに返り中村はツーボールからの3球目を二ゴロ、試合は延長戦に突入する。


 「真説日本野球史」によると野口二郎は古川に3回に打たれたレフトへの二塁打が内角球だったことから外を攻めたが2球外して3球目をまん中低目に投じたとのことで、古川の本塁打は370フィートの大ホームランであったと伝えている。


 野口二郎の自伝「私の昭和激動の日々」によると、「・・・レフト上段に持っていかれた。私は小柄な選手が苦手だった。古川君は小柄というほどではないが、大男が多い名古屋では優男のほうだった」とのこと。「Wikipedia」によると古川清蔵は170センチ、飯塚(小鶴)誠は176センチ、吉田猪佐喜も176センチ、西沢道夫にいたっては182センチである。大男が多い名古屋では古川清蔵は優男であった。

・・・その4に続く



*9回に古川清蔵が同点ホームランを放った場面を伝えるスコアカード。





*8回に村松長太郎のライトゴロで一走野口明が二封された場面。ちょっと見づらいかもしれませんが目一杯拡大表示していますのでご勘弁を。実際のスコアカードはB5版に延長28回分が収められていますので肉眼では見ることはできません。全プレーを拡大鏡で確認しながらアップしています。







 

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その2


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7・・・・・
0 1 1 0 0 0 0・・・・・  名古屋
0 0 0 0 0 2 2・・・・・  大洋

二塁打 (名)古川 (大)浅岡


大洋逆転

 名古屋は6回、先頭の西沢がファウルで2球粘るが5球目を三振、芳賀はワンボールから三ゴロ、トップに返り石丸藤吉はワンワンからの3球目を投ゴロ。野口二郎はようやく落ち着いてきた。

 大洋は6回裏、先頭の織辺がワンスリーから四球で出塁、トップに返り中村がワンツーからの4球目を中前打、濃人がワンボールから投前に送りバント、西沢が一塁ベースカバーのセカンド石丸藤吉に送球して一死二三塁、ここで浅岡がツースリーからの7球目をレフト線に二塁打、二者を迎え入れて2対2の同点に追い付く。野口二郎は初球を二ゴロ、この間に二走浅岡は三進、野口明が2球目を打ち上げて中飛に倒れる。

 名古屋は7回、木村がツーワンからの4球目を遊ゴロ、これを濃人が本日3つ目のエラー、桝はツーツーからの5球目を中飛、飯塚が4球ファウルで粘って9球目を左飛、古川は初球を打って投ゴロに終わる。

 大洋は7回裏、先頭の村松がワンツーからの4球目を中前打、続く山川のカウントワンワンのところで大洋ベンチ不振にあえぐ苅田久徳を代打に起用、苅田はファウル、ボール、ボールから左前打を放ち無死一二塁、佐藤はワンストライクから送りバント、これが内野安打となる間に二走村松が一気にホームを陥れて3対2と逆転、三塁に進んだ苅田も虚を突いてホームに走り、慌てたファースト野口正明の本塁送球が悪送球となって苅田が生還、4対2とする。苅田は昨年のプレイングマネージャーから今季はヒラ選手に降格されている。このところの「野球界」でも不貞腐れた無気力プレーを批判されているが、この日は往年の走塁を見せた。打者走者の佐藤も鈍足を飛ばして二塁を陥れ無死二塁、織辺はワンワンから右飛、トップに返り中村がワンツーから投ゴロ、二走佐藤が三塁に走るが西沢からの送球にタッチアウト、やはり佐藤は足が遅かった。この佐藤の鈍足が後にドラマを生むこととなる。濃人がワンボールから左前打を放って二死一二塁、浅岡が4球目を遊ゴロ、濃人が二封されてスリーアウトチェンジ。

・・・その3に続く


 

2015年1月25日日曜日

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その1


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 ・・・・・ 
0 1 1 0 0 ・・・・・  名古屋
0 0 0 0 0 ・・・・・  大洋

二塁打 (名)古川


序盤は名古屋ペース

 後楽園の第三試合は名古屋が西沢道夫、大洋が野口二郎の先発で午後2時40分、島秀之助主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が沢東洋男、三塁が池田豊の三氏。池田豊は第一試合から3試合連続出場となった。

 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉がワンボールからの2球目を左飛、木村進一は初球ファウルからの2球目を中前打、桝嘉一はファウル、ストライク、ボールでカウントツーワン(当ブログではストライクを先にコールする‟日本式”を採用していますのでご了承ください)、次の4球目に一走木村がスタート、桝が右前に鮮やかにエンドランを決めて一死一三塁と先制のチャンス到来。スコアカードからは桝の右前打で木村が三進したことは分かりますが、エンドランがかかっていたかどうかまではスコアカードからは分からない。しかし、昭和17年6月15日発行「野球界」に「初回に桝がエンドランを決めた」と書かれています。ここで眠っていた野口二郎が目を覚ましたか、飯塚誠は三球三振、古川清蔵もツーワンから三振に倒れる。

 「真説日本野球史」によると、野口二郎が飯塚の打席からカーブを使うようになったことが野口へのインタビューで判明している。

 大洋は1回裏、中村信一が初球を叩いて中飛、濃人渉は3球ファウルで粘りツースリーから四球、しかしツーナッシングと追い込まれた浅岡三郎が遊ゴロ併殺に倒れて無得点。


 名古屋は2回、先頭の吉田猪佐喜がワンストライクからの2球目を左前にヒット、野口正明は2球ファウルからの3球目を叩いて遊ゴロ、これをショート濃人がエラーして無死一二塁、西沢はワンツーからの4球目を遊ゴロ、これは濃人が軽く捌いて一走野口正明を二封して一死一三塁、併殺失敗とも見えますが併殺できる当たりであったか否かは定かではない。続く芳賀直一の初球も遊ゴロ、三走吉田が突っ込み、濃人からのバックホームはセーフ、野選が記録されて1点を先制する。トップに返り石丸藤吉は初球を左邪飛、木村はワンボールからの2球目を叩いてセカンドライナーに倒れてスリーアウトチェンジ。

 大洋は2回裏、先頭の野口二郎がワンワンからの3球目を三ゴロ、野口明がワンボールから左飛、村松長太郎がツーボールナッシングからの3球目を叩いてレフト線にヒット、しかし山川喜作はワンボールから三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。


 名古屋は3回、先頭の桝がツーツーからの5球目を三ゴロ、飯塚がツースリーから四球を選んで一死一塁、古川がツーワンから1球ファウルで粘り5球目をレフト線に二塁打して一死二三塁、野口二郎は昨日林安夫と投げ合って朝日を完封した疲れからかここまで4安打と立ち上がりから打ちまくられている。「野球界」によるとここで一悶着あった。最初島秀之助球審は左翼ポールの外側に当たったと見てファウルと判定した。後楽園球場のポール際の構造はポールの内側が木柵で外側がコンクリートとなっている。島秀之助主審はボールが大きく跳ねたことからポール外側のコンクリートに当たったと判定した。ところが古川の打球は一旦ポール内側の木柵に当たってから外側のコンクリートに当たって大きく跳ね返ったのであった。目の前で見ていた外野スタンドの観客が騒ぎ、名古屋の抗議もあったが、池田塁審が木柵に当たってからコンクリートに当たって跳ね返ったところを目撃しており、二塁打に訂正された。続く吉田はツースリーから1球ファウルで粘って四球を選び一死満塁、野口正明は力が入ったかワンボールからの2球目を強振するが三邪飛、西沢がワンストライクから遊ゴロ、これを又も濃人がエラーする間に三走飯塚が還って2対0とする。なおも二死満塁のチャンスが続くが芳賀がワンボールから叩いた打球はピッチャーフライとなってスリーアウトチェンジ。

 大洋は3回裏、先頭の佐藤武夫が初球を遊ゴロ、織辺由三はワンボールから二飛、トップに返り中村がツーツーからの5球目を左飛。ここまで名古屋は野口二郎に投げさせているが大洋打線は淡白な攻めが目立つ。3回まで野口二郎の投球数は57球であるが西沢道夫のそれは29球に過ぎない。


 名古屋は4回、先頭の石丸藤吉がワンボールからの2球目を三ゴロ、ワンストライクからの木村の打球は右前に抜けたがライト浅岡からファースト野口明に送球されて木村はアウト、ライトゴロが記録される。桝はツースリーからの6球目を選んで四球で出塁、飯塚は2球ファウルの後三ゴロに倒れる。

 この試合でライトゴロが記録されたことは「本邦初公開」となります。「真説日本野球史」には誤って「木村は中飛に倒れた」と書かれています。

 木村が打ったのはスコアカードからはワンストライク後の2球目と見えるがちょっとストライクの表示が変わっているので3球目の可能性がある。筆者のカウントではこの回の野口二郎の投球数は「13球」であるが、スコアカードには「14球」と記載されている。

 大洋は4回、先頭の濃人はツーワンからの4球目を左飛、浅岡がツースリーから四球を選ぶが、野口二郎は初球をサードライナー、野口明も初球を叩いて一ゴロに終わる。


 名古屋は5回、先頭の古川はスリーボールナッシングから2つストライクを選んで左飛、吉田はファウル、ボール、ファウルからの4球目を二飛、野口正明は初球を三ゴロ。

 大洋は5回裏、先頭の村松が初球を三ゴロ、山川はツーワンから1球ファウルで粘るが三振、佐藤はワンストライクからの2球目を遊ゴロに倒れる。


 ここまで野口二郎は当ブログのカウントでは81球、公式記録では82球。野口は球数が多いが、西沢道夫は49球と快調なピッチングを続けている。

・・・その2に続く







*名古屋4回の攻撃、木村進一の第3打席は「9-3」と記録されておりライトゴロとなります。「真説日本野球史」には何故か「木村中飛」と記載されています。











 

延長28回



 戦前の試合では最も有名な試合をアップする前に、補足説明させていただきます。


 大和球士著「真説日本野球史」昭和篇その四には
「筆者(大和球士=筆者注)は残念なことに、自分がネット裏で記した延長二十八回のスコアカードを戦災で焼失したため、この空前絶後の大記録を野球ファンの皆さまにお見せできないものと断念していたが、幸いなことに、最近に至り、広瀬謙三公式記録員の残された貴重なカードを入手できたので、延長二十八回詳細な全記録を初めて公開の運びに至った。自他ともに慶賀の至りと申せよう。
 さすが、公式記録員の記入したカードだけに、二十八回の長丁場の最後まで細大もらさず、一球ごとのストライク、カーブ(これは「ボール」の間違いでしょう=筆者注)、さては刺殺数、補殺数まで書きこまれている。この広瀬カードを踏まえて、気の遠くなるような長い長い延長二十八回の回想記を綴りたいと思う。あの試合をネット裏から見た時の感激を思い出しながら・・・幻の試合を現実の試合に置きかえてみたい・・・。」
と記している。


 大和球士はスコアカードに基づき書いたと書いているが、当ブログの所有するスコアカードとは所々異なっている。見ているものが同じものであることはほぼ間違いないので、大和球士の読み間違いが数多くあると思料される。


 当ブログが解読しているスコアカードは故・福室正之助氏が所蔵していたものであることは既報のとおりです。昭和17年に広瀬謙三に次いで山内以九士が公式記録員として採用されて関西のゲームのスコアを付けています。関東の試合は従来通り広瀬謙三がスコアを付けていました。大和球士の言う「広瀬謙三公式記録員の残された貴重なカード」とは、関東の試合のスコアカードのことです。因みに前年までの関西の試合は連盟から委託された記者がスコアを付けていました。


 「真説日本野球史」では各回のアットバットを記しています。当ブログも全プレーをお伝えしますのでかなりの部分は重複しますが、「真説日本野球史」と読み比べていただければ、どの部分が異なっているかも判明します。その他、適宜当時の「野球界」に書かれているこの試合の模様も踏まえながら進めていく予定です。


http://shokuyakyu.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html


 

がんばっていきまっしょい




 センバツの話題を独占するのが82年ぶり出場となる松山東高校となるのも致し方のないところでしょう。


 21世紀枠ではありますが、地区大会の成績は遜色なく堂々の選出です。野球部を創設したのは正岡子規とのこと、野球好きの子規は門下生の高浜虚子や河東碧梧桐にも野球を教えています。これは野球史研究家にして正岡子規の研究でも名高い斎藤三郎が昭和17年2月15日発行の「野球界」に書いていますので間違いない。現在当ブログで活躍している阪急の江口行雄は「江口梧人」の雅号を持つ文人でもありました。当ブログは、「梧人」の「梧」は「河東碧梧桐」からとったものではないかと推測しています。ということで、「松山東高校」と「職業野球!実況中継」には接点があります(笑)。


 夏目漱石が教鞭をとったことでも知られており、「坊ちゃん」の舞台ともなりました。漱石のもう一つの代表作である「吾輩は猫である」にも野球が登場します。当時夏目漱石は郁文館中学(作品内では「落雲館中学」)グラウンドの隣に住んでおり、「吾輩~」には落雲館中学野球部員が漱石宅に飛び込んだボールを取りに来るシーンが描かれています。この野球部員こそが函館オーシャン中興の祖として名高い伏見勇蔵であったと伝えられており、息子の伏見五郎は当ブログにも登場しましたので覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。ということで、ここでも当ブログとの接点が認められております(笑)。


 松山東高校の「気合入れ」として名高い「がんばっていきましょい」は同校出身の敷村良子の小説のタイトルとなり、1998年には田中麗奈主演で映画化されました。映画の方は「がんばっていきまっしょい」と「っ」が入っています。「。」が入る「モーニング娘。」の「気合入れ」としてもお馴染ですね。甲子園のアルプススタンドではどのように使われるのか、今から楽しみにしているのは筆者だけではないでしょう。


 当ブログも昭和17年5月24日に進み、いよいよ延長28回をお伝えすることとなります。こちらも気合を入れて書きますので、覚悟して読んでくださいね。さぁ皆さん、がんばっていきまっしょい!(笑)。




 

17年 大洋vs巨人 5回戦


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 大洋 21勝12敗1分 0.636 三富恒雄
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 巨人 24勝11敗 0.686 広瀬習一

勝利投手 三富恒雄   7勝4敗
敗戦投手 広瀬習一 10勝4敗

勝利打点 なし


三富恒雄、又も巨人を完封

 後楽園の第二試合は大洋が三富恒雄、巨人が広瀬習一の先発で午後1時ちょうど、沢東洋男主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が池田豊、三塁が横沢三郎の三氏、島秀之助がネット裏に控えている。

 大洋はこの後第三試合で名古屋とぶつかる。大洋はこの日のダブルを連勝すれば南海を抜いて2位に浮上する可能性があるので三富を名古屋戦に回して巨人戦はエース野口二郎の先発でもおかしくないが三富を先発に持ってきた。三富は再三お伝えしているように今季絶好調で巨人戦でも1回戦で完封勝利を飾っている。5月に入って51回3分の0を投げて3勝1敗、防御率0.88、WHIP1.00の三富を巨人戦に先発させたことが歴史上重要な選択となったことは後に判明します。


 三富以上に好調の広瀬は4回まで三者凡退を続ける。5回、一死後村松長太郎に四球を与えて初の走者を出すが山川喜作を二飛、三富を中飛に打ち取りここまで無安打無得点。

 一方、三富は毎回走者を背負う苦しいピッチング。4回は一死後川上哲治に左前打を打たれ、伊藤健太郎もセンター右にヒット、呉波に四球を与えて一死満塁、しかし坂本茂を二ゴロに打ち取り三走川上を本封、楠安夫を投ゴロに打ち取り何とか踏ん張った。

 三富は5回、6回と巨人打線を三者凡退に抑えて流れを自チームに引き寄せた。

 大洋は6回、二死後中村信一がチーム初ヒットを二遊間に放ち濃人渉は一邪飛に倒れるが4回のピンチを三富が抑えたことにより試合の流れが変わった。

 大洋は7回、先頭の浅岡三郎がレフト線にヒット、野口明は三振に倒れるが浅岡が二盗に成功、村松が四球を選んで一死一二塁、山川に代わる代打野口二郎の当りは二ゴロ、これをセカンド坂本が二塁ベースカバーのショート白石敏男に悪送球、この間に二走浅岡が三塁ベースを蹴ってホームに還り1点を先制する。広瀬が8回、9回と大洋打線を三者凡退に抑えただけに高価なエラーであった。

 三富恒雄は5安打3四球2三振で3月29日の1回戦に続いて巨人打線を完封、7勝目をあげる。広瀬習一は大洋打線を2安打に抑えながら5敗目を喫す。広瀬も今季4度完封を記録しているが朝日戦と黒鷲戦が2度ずつと下位チーム相手ばかりである。その点、三富は今季3度目の完封であるが巨人戦が2度、阪急戦が1度と上位チーム相手ばかりである。三富の方が価値が高いと言える。


 第二試合の試合終了は午後2時15分であった。第三試合の名古屋vs大洋5回戦は午後2時40分の開始。名古屋は第一試合の終了から2時間9分の休みがあるが大洋は25分後に試合開始である。それ以上にきついのが審判団で、関東は4人で回しているので池田豊は第一試合が主審、第二試合が一塁塁審、第三試合が三塁塁審と出ずっぱりとなることはあまり知られていない。





*三富恒雄は1回戦に続いて巨人を完封、7勝目をマークする。














 

2015年1月24日土曜日

17年 朝日vs名古屋 5回戦


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 1 1 0  1  3 朝日     14勝19敗2分 0.424 福士勇
0 0 0 0 1 0 0 1 0  0  2 名古屋 11勝23敗 0.324 石丸進一

勝利投手 福士勇     4勝3敗
敗戦投手 石丸進一 5勝6敗

二塁打 (名)桝
本塁打 (朝)福士 1号

勝利打点 なし


福士勇、完投とホームラン

 この日3試合が行われる後楽園球場の第一試合は朝日が福士勇、名古屋が石丸進一の先発で午前11時7分、池田豊主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が横沢三郎、三塁が島秀之助の三氏。沢東洋男がネット裏に控えている。

 福士、石丸共にまずまずの立上りで両軍4回まで無得点。

 名古屋は5回、先頭の石丸進一がストレートの四球で出塁、芳賀直一が右翼線にヒット、ライト内藤幸三がお手玉する間に石丸進一は三塁に進み打者走者の芳賀も二塁を陥れて無死二三塁、トップに返り石丸藤吉が左前にタイムリーを放って1点を先制、二走芳賀も三塁ベースを蹴ってホームに突進するがレフト早川平一からのバックホームにタッチアウト、この回は1点止まり。

 朝日は7回、先頭の五味芳夫が四球で出塁、早川の投ゴロの間に五味が二進、鬼頭政一は捕邪飛に倒れて二死二塁、内藤の右前タイムリーで1-1の同点とする。

 朝日は8回、一死後福士がレフトスタンドに勝越しホームランを叩き込んで2-1とする。

 名古屋は8回裏、二死後桝嘉一がレフト線に二塁打、飯塚誠が左前に同点タイムリーを放って2-2とする。

 朝日は10回表、先頭の伊勢川真澄が5球ファウルで粘って四球で出塁、福士も四球を選んで無死一二塁、岩田次男の三塁線バントをピッチャー石丸進一が一塁に悪送球、二走伊勢川が還って3-2と勝ち越す。

 名古屋は10回裏、先頭の芳賀がツーナッシングから四球を選ぶと代走に吉田猪佐喜を起用、トップに返り石丸藤吉がストレートの四球を選んで無死一二塁、しかし木村進一は右飛、桝も中飛に倒れて走者を送れず二死一二塁、最後は飯塚の遊ゴロで石丸藤吉が二封されて力尽きた。


 福士勇は10回を7安打4四球2三振2失点に抑えて完投、4勝目をあげる。打っても8回にこの時点で勝越しとなるホームランを放った。福士の本塁打は昨年11月8日の大洋戦で長尾貞利から放って以来通算2本目、福士は今季を限りに応召して戦死することとなり、これがプロで最後のホームランであった。






 

17年 南海vs阪神 5回戦


5月24日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0  0 南海 22勝13敗 0.629 神田武夫
0 0 0 0 0 0 0 0 0 1X 1 阪神 17勝16敗1分 0.515 若林忠志

勝利投手 若林忠志   7勝5敗
敗戦投手 神田武夫 13勝5敗

勝利打点 なし

猛打賞 (南)中野正雄 1

ファインプレー賞 (神)松本貞一 1


若林忠志、延長10回を完封

 南海は初回、二死後北原昇が左前打で出塁、岩本義行の三塁線内野安打で北原は二塁を回るが二三塁間に挟まれ「5-4-6」と送球されてタッチアウト。

 阪神は1回裏、一死後野口昇が右前打で出塁、しかし松本貞一は遊ゴロ、土井垣武は投ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 この後阪神は6回まで無安打、南海は3回、5回、6回とヒットを放つがセカンド松本のファインプレーもあって無得点。

 南海は7回、先頭の中野正雄が二遊間に内野安打、柳鶴震の三ゴロの間に中野は二進、トップに返り国久松一は一邪飛に倒れるが猪子利男がセーフティバントを決めて二死一三塁、北原が四球を選んで二死満塁、しかし岩本は三ゴロに倒れてこの回も無得点。

 阪神は7回裏、先頭の松本が中前打で出塁、土井垣の遊ゴロでランナーが入れ替わり土井垣が二盗に成功、カイザー田中義雄は左飛に倒れるが御園生崇男が四球を選んで二死一二塁、しかし若林忠志は一邪飛に倒れて無得点。

 延長戦に入って阪神は10回裏、先頭の御園生が右前打で出塁、若林は四球、大島武に代わる代打玉置玉一も四球を選んで無死満塁、上田正に代わる代打高山泰夫の一ゴロをファースト中野が痛恨のエラー、阪神がサヨナラ勝ちを決める。

 若林忠志は10回を7安打4四球1死球1三振に抑えて今季初完封、7勝目をあげる。


 サヨナラエラーを演じた中野正雄は4打数3安打で猛打賞を記録した。





*ベテラン若林が若き神田との投げ合いを制す。









 

2015年1月23日金曜日

17年 黒鷲vs阪急 5回戦


5月24日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 黒鷲   7勝25敗2分 0.219 石原繁三
1 0 0 0 0 0 1 5 X 7 阪急 18勝15敗2分 0.545 橋本正吾 森弘太郎

勝利投手 橋本正吾 1勝1敗
敗戦投手 石原繁三 5勝11敗

二塁打 (黒)木村 (急)黒田
三塁打 (急)山田

勝利打点 池田久之 2


猛打賞 (黒)木村孝平 1 (急)上田藤夫 1


池田久之、代打決勝タイムリー

 黒鷲vs阪急ダブルヘッダーの第二試合は午後0時58分、二出川延明主審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は初回、一死後上田藤夫が四球を選んで出塁、フランク山田伝が左前打、ダブルスチールを決めて一死二三塁、山下好一が四球を選んで一死満塁、黒田健吾の左前タイムリーで1点を先制、二走山田も三塁ベースを蹴ってホームに向かうがレフト杉江文二からのバックホームを中継したピッチャー石原繁三からの送球にタッチアウト。

 黒鷲は3回、一死後渡辺絢吾が四球を選んで出塁、木村孝平のレフト線二塁打で一死二三塁、木下政文のライト線タイムリーで1-1の同点に追い付く。

 阪急は7回、一死後中村栄の遊ゴロをショート木村が一塁に悪送球、打者走者の中村は二塁に進んで一死二塁、橋本正吾に代わる代打池田久之が右前に殊勲のタイムリーを放って2-1と勝ち越す。

 先発の橋本に代打を送り勝負を賭けて勝ち越した阪急は8回からエース森弘太郎をリリーフのマウンドに送る。

 阪急は8回裏、先頭の上田が左前打で出塁、山田が左越えに三塁打を放って3-1、山下好一の遊ゴロを又もショート木村が一塁に悪送球する間に山田が還って4-1、黒田は四球、日比野武の二ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、第一試合の殊勲者石井武夫は二飛に倒れて二死二三塁、中村がセンターに抜ける2点タイムリーを放って6-1、バックホームの間に中村は二塁に進み、森の中前タイムリーで7-1として試合を決める。

 森弘太郎は2イニングを三者凡退に抑えて今季初セーブをマーク、阪急がダブルヘッダーに連勝した。


 黒鷲のショート木村孝平は2つのタイムリーエラーを犯したが打っては4打数3安打二塁打1本と猛打賞を記録する。木村は今季2割3分9厘をマークして打撃ベストテンの第7位にランクインすることとなる。殿堂入りする8位の白石敏男や10位の小鶴誠よりも上位なのである。翌18年も全試合に出場して2割2分8厘で第11位。戦前でも最も打球の飛ばなかった時代に強打の内野手として活躍した。木村孝平は戦死することとなるが何故か「鎮魂の碑」には祀られておらず、「戦没野球人モニュメント」にその名が刻まれている。




 

2015年1月22日木曜日

17年 黒鷲vs阪急 4回戦


5月24日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 黒鷲   7勝24敗2分 0.226 松本操 金子裕
0 0 0 0 0 0 4 0 X 4 阪急 17勝15敗2分 0.531 笠松実

勝利投手 笠松実 7勝5敗
敗戦投手 松本操 0勝6敗

三塁打 (黒)富松 (急)石井、山下好一

勝利打点 石井武夫 1

猛打賞 (黒)杉山東洋夫 1


石井武夫、満塁走者一掃三塁打

 昭和17年春季リーグ戦は巨人の優勝も決まって消化試合に突入。5月24日は後楽園で3試合、甲子園で3試合が行われます。甲子園は黒鷲vs阪急のダブルヘッダーとと南海vs阪神5回戦。本日は甲子園球場から先にお伝えします。

 黒鷲vs阪急ダブルヘッダーの第一試合は6回まで両軍無得点。7回表黒鷲の攻撃から阪急はキャッチャー池田久之を下げてファーストの日比野武にマスクを被らせ、ファーストに石井武夫を入れる。この守備変更が試合を決めることとなる。

 黒鷲は7回表、二死後杉山東洋夫がこの日3本目のヒットを中前に放ち猛打賞を記録、二盗を決めて二死二塁、山田潔が四球を選び杉山が三盗に成功して二死一三塁、しかし渡辺絢吾は二ゴロに倒れてここまで0対0が続く。

 阪急は7回裏、一死後フランク山田伝がレフト線にヒットを放つが二塁を欲張り谷義夫からの送球にタッチアウト、山下好一が三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ、と思われたところサード木下政文がエラー、ここで好投を続けてきた黒鷲先発の松本操が乱れ、黒田健吾、日比野に二者連続ストレートの四球を与えて二死満塁、石井武夫が左中間に走者一掃の三塁打を放って3-0、江口行雄が左前にタイムリーで続き4-0とする。

 笠松実は8回、9回とヒットを許すが無失点に抑え、7安打4四球3三振で今季3度目の完封、7勝目をあげる。


 杉山東洋夫が4打数3安打で猛打賞を獲得、2盗塁も記録した。プロには今季1年だけの在籍で戦死することとなる杉山は通算3盗塁、そのうち2個をこの試合で記録したことになる。


 決勝の満塁走者一掃の三塁打を放って3打点を記録した石井武夫は今季13試合に出場するだけでシーズン3打点、今季の全打点をこの日の1打席で記録した。石井は今季でプロ野球界を去ることとなる。


 石井武夫は中外商業(現・兵庫県立尼崎北高等学校=通称「尼北」)の出身。尼北と言えば「紙ふうせん」の二人、平山泰代と後藤悦治郎の出身校としてお馴染み。「赤い鳥」から分離独立した「紙ふうせん」は「冬が来る前に」の大ヒットで知られます。平山泰代は赤い鳥時代、ボーカルの新居潤子(現・山本潤子)の影に隠れてピアノを担当していましたが、音楽性では山本潤子に引けを取らない。現在ユーチューブで見ることのできる「翼をください」の当時のライブ画像は超貴重です。「ヤングタウン東京」で毎週聞いていたあの声がよみがえりますね。


 「紙ふうせん」のグループ名は赤い鳥時代に後藤悦治郎が作曲した楽曲「紙風船」に由来します。あまり知られていませんが、12枚組CD「赤い鳥コンプリート・コレクション」DISC6の11曲目に収録されています。




 

2015年1月19日月曜日

17年 名古屋vs巨人 5回戦


5月23日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 11勝22敗 0.333 松尾幸造
0 2 3 0 0 0 0 2 X 7 巨人    24勝10敗 0.706 中尾輝三

勝利投手 中尾輝三 8勝6敗
敗戦投手 松尾幸造 3勝3敗

二塁打 (巨)白石

勝利打点 中尾輝三 2


巨人春季優勝

 後楽園球場の第二試合は名古屋が松尾幸造、巨人が中尾輝三、両左腕の先発。巨人はこの試合に勝つと春季優勝を決定する。楠安夫が復帰して先発マスク、今日は走られずに済みそうである。午後2時42分、池田豊主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が横沢三郎、三塁が島秀之助の三氏。


 巨人は初回、先頭の白石敏男が右中間に二塁打、水原茂が四球を選んで無死一二塁、しかし中島治康の二ゴロは「4B-3」と渡ってゲッツー、川上哲治は四球に歩くが伊藤健太郎が中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は2回、先頭の呉波が二塁に内野安打、坂本茂の遊ゴロでランナーが入れ替わり、楠の三ゴロをサード芳賀直一が一塁に悪送球して一死一二塁、中尾がライト線に先制タイムリーを放って1-0、トップに返り白石の四球で一死満塁、水原が左犠飛を打ち上げてこの回2点を先制する。

 巨人は3回、一死後伊藤、呉が連続四球、坂本の中前打で一死満塁、楠の中飛を名手桝嘉一が落球、捕球体勢に入ってバックホームを焦り落球したもので楠には打点が記録されているので当ブログルールに従い「左犠飛」とする。二走呉の生還と一走坂本の三進、打者走者楠の二進は桝のエラーによるもの、4-0となって一死二三塁から中尾がストレートの四球で満塁、トップに返り白石の押出し四球で5-0とリードを広げる。巨人は春季優勝に大きく近づいた。

 中尾は快調なピッチングで4回まで無安打。5回、先頭の古川清蔵に初ヒットとなる左前打を許すが野口正明を捕邪飛、松尾を中飛、芳賀を二飛と球威で抑え込んだ。6回、、二死から桝にレフト線ヒットを打たれ、吉田猪佐喜にストレートの四球を与えて二死一二塁、ここも強気のピッチングで岩本章を三振に打ち取る。

 7回はサード水原の悪送球と四球で一死一二塁のピンチを迎えるが芳賀を遊ゴロ、トップに返り石丸藤吉を三ゴロに抑える。8回も先頭の木村進一の遊ゴロをショート白石エラー、桝にストレートの四球を与えて無死一二塁、しかし吉田を三振に打ち取り、二走木村がディレードスチールで揺さぶるが落ち着いて三塁に送球してタッチアウト、岩本に一塁内野安打を許して二死一二塁とするが、古川を中飛に打ち取りここまで無失点。

 巨人は8回裏、先頭の水原が右前打、中島が送って一死二塁、川上の三塁内野安打で一死一三塁、伊藤は遊飛に倒れて二死一三塁、呉がレフト前にヒットを放ち6-0、レフト吉田が逸らす間に一走川上も還って7-0として春季優勝を決定付ける。

 中尾は最終回、先頭の野口正明に左前打を許し、松尾に代わる代打石丸進一を二飛に打ち取るが野口が盗塁、芳賀に四球を与えて一死一二塁、しかしトップに返り石丸藤吉に代わる代打西沢道夫を三ゴロに打ち取りサード水原が三塁ベースを踏んで一塁に送球、鮮やかに「5C-3」のダブルプレーを決めて春季優勝に花を添えた。


 中尾輝三は6四球と苦しみながら名古屋を4安打7三振に抑えて今季3度目の完封、8勝目をあげる。

 松尾幸造は9安打11四球の乱調であった。元祖ノーコン剛球の左腕二人で17四球という試合であった。








*中尾輝三は完封で8勝目をマーク。中尾、松尾の二人で17与四球であった。














 

2015年1月18日日曜日

17年 黒鷲vs南海 5回戦


5月23日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 黒鷲   7勝23敗2分 0.233 金子裕
4 0 0 0 0 1 0 0 X 5 南海 22勝12敗 0.647 石田光彦

勝利投手 石田光彦 3勝3敗
敗戦投手 金子裕     2勝3敗

二塁打 (南)岩本

勝利打点 北原昇 3


北原昇、2試合連続勝利打点

 ここは時系列が重要となりますので、甲子園の第一試合を先にアップさせていただきます。

 南海は石田光彦、黒鷲は金子裕が先発。南海がこの試合を落とすと巨人の春季優勝が決定する。午後1時ちょうど、杉村正一郎主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が高須一雄、三塁が金政卯一の三氏、ネット裏に川久保喜一と二出川延明が控えている。

 南海は初回、先頭の国久松一が左前打で出塁、猪子利男が中前打で続いて無死一二塁、北原昇が左前に先制タイムリーを放って1-0、なお無死一三塁から岩本義行の左中間二塁打で二者還り3-0、岡村俊昭の一ゴロの間に二走岩本が三進、柳鶴震の二ゴロの間に岩本が生還してこの回4点を先制する。

 4回まで無安打の黒鷲は5回、先頭の富松信彦が四球を選んで出塁、鈴木秀雄の二ゴロでランナーが入れ替わり、金子の遊ゴロで更にランナーが入れ替わり二死一塁、谷義夫の中前打で二死一二塁、杉山東洋夫が中前にタイムリーを放って1点返し1-4とする。

 南海は6回、先頭の岩本が右中間にヒット、岡村の一ゴロの間に岩本は二進、柳は遊飛に倒れるが岩本が三盗に成功、八木進が四球を選んで二死一三塁、八木の二盗の際キャッチャー鈴木が二塁に悪送球、三走岩本が還って5-1とする。

 石田光彦は4安打3四球1失点の完投で3勝目をあげる。


 北原昇は2試合連続で勝利打点を記録、2打点2得点の岩本義行が並列の殊勲者となった。


 南海は最後の粘りを見せて春季優勝に首の皮1枚残った。後楽園球場の第二試合で巨人が勝つと巨人の春季優勝が決定する。



*石田光彦は完投で3勝目。南海は春季優勝に望みをつないだ。






 

17年 朝日vs大洋 5回戦


5月23日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 13勝19敗2分 0.406 林安夫
0 0 0 0 0 1 0 0 X 1 大洋 20勝12敗1分 0.625 野口二郎

勝利投手 野口二郎 12勝6敗
敗戦投手 林安夫      7勝8敗

本塁打 (大)濃人 2号

勝利打点 濃人渉 2号


野口二郎、快投乱麻

 朝日は林安夫、大洋は野口二郎、両エースの先発で午後1時2分、沢東洋男主審の右手が上がりプレイボール。塁審は一塁が島秀之助、三塁が横沢三郎の三氏、池田豊がネット裏に控えている。

 両チーム無得点で迎えた6回裏大洋の攻撃、一死後濃人渉がレフトスタンドに先制ホームラン、この一発で決着がついた。

 林安夫は5回まで4安打無失点、6回に濃人の一発を浴びたが7回、8回は三者凡退に抑える。


 野口二郎は凄まじい出来であった。初回、先頭の好調坪内道則を三振に打ち取ると波に乗り五味芳夫は左飛、岩田次男は三邪飛。2回、鬼頭政一を左飛に打ち取り広田修三も三振、内藤幸三の遊ゴロをショート濃人がエラーするが伊勢川真澄を二ゴロに打ち取る。3回は室井豊を三振、林安夫を遊飛、坪内を二飛に打ち取る。

 4回以降も三者凡退を続け、8回は広田からこの日6個目の三振、伊勢川から7個目の三振を奪う。誰の目にもノーヒットノーランと映った9回、室脇に代わる代打早川平一を遊ゴロに打ち取り打席は九番の林安夫、ここで林が中前打を放って無安打無得点は露と消えた。トップに返り坪内から8個目の三振を奪い、五味に代わる代打福士勇を一邪飛に打ち取り今季4度目の完封で12勝目をあげたが、南海とも後味の悪い締めくくりであった。


 当時の「野球界」によると、林安夫の中前打はセカンドを超える小飛球となってポテンヒットであったとのこと。当ブログの調べによると、野口二郎はこれで2試合連続完封、5月17日の黒鷲戦から32イニングス連続無失点、11日の南海戦から50イニングス連続自責点ゼロを継続中である。





*野口二郎は8回まで快投乱麻のピッチングで1安打完封。9回に林安夫に打たれた唯一のヒットはセカンド越えポテンであった。







 

2015年1月17日土曜日

17年 阪急vs巨人 5回戦


5月21日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 1 0 0 0 2 阪急 16勝14敗2分 0.533 笠松実
1 0 0 0 0 0 2 1 X 4 巨人 23勝10敗 0.697 須田博

勝利投手 須田博 3勝1敗
敗戦投手 笠松実 6勝5敗

二塁打 (急)山田
三塁打 (巨)川上

勝利打点 白石敏男 4


巨人、春季優勝に大きく前進

 阪急は巨人キラー笠松実が先発、巨人はスタルヒン時代に阪急キラーだった須田博が先発。二出川延明主審の右手が上がり、午後3時ちょうどプレイボール。

 巨人は初回、二死後中島治康が左前打で出塁、川上哲治が右中間に三塁打放って1点を先制する。

 阪急は3回、一死後笠松が四球を選んで出塁、トップに返り西村正夫が一塁線に内野安打、上田藤夫がストレートの四球を選んで一死満塁、フランク山田伝の中犠飛で1-1の同点とする。

 阪急は6回、先頭の山田が左中間に二塁打、キャッチャー隈部一郎のパスボールで山田が二塁から一気にホームに還り2-1と逆転する。楠安夫の欠場によりマスクを被っている隈部は4試合連続捕逸を記録した。

 2回から6回まで水原茂の中前打1本に抑えられてきた巨人は7回、呉波、坂本茂が連続四球で無死一二塁、須田の一前バントが野選を誘って無死満塁、隈部に代わる代打林清一が押出し四球を選んで2-2の同点、トップに返り白石敏男の左犠飛で3-2とする。巨人は無安打で逆転に成功した。

 巨人は8回、二死後呉が二塁に内野安打、二盗を決めてキャッチャー悪送球の間に三進、坂本が右前にタイムリーを放って4-2と突き放す。

 須田博は7回以降を三者凡退に抑え、3安打2四球3三振の完投で3勝目をあげる。


 巨人は苦手とする笠松実を攻略して春季優勝に大きく近づいた。





 

17年 朝日vs南海 5回戦


5月21日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 朝日 13勝18敗2分 0.419 福士勇 池田勝彦
0 0 4 0 5 0 0 0 X 9 南海 21勝12敗 0.636 川崎徳次

勝利投手 川崎徳次 6勝5敗
敗戦投手 福士勇     3勝3敗

二塁打 (朝)広田
三塁打 (南)北原

勝利打点 北原昇 2

猛打賞 (南)北原昇 3


北原昇、満塁走者一掃の三塁打

 朝日は初回、今季好調のトップバッター坪内道則が左前打で出塁、五味芳夫がストレートの四球を選んで無死一二塁、岩田次男の三前送りバントをサード柳鶴震が一塁に悪送球、犠打エラーが記録されて無死満塁、鬼頭政一は一邪飛に倒れて一死満塁、内藤幸三の二ゴロ併殺崩れの間に三走坪内が還って1点を先制する。なお一死一三塁から重盗を試みるがキャッチャー室井豊からの送球をセカンド北原昇が折り返しバックホームして五味を刺しスリーアウトチェンジ。

 南海は3回、先頭の中野正雄の左飛をレフト室脇正信が落球、柳の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り国久松一の三前バントも内野安打となって無死満塁、猪子利男は三振に倒れて一死満塁、ここで北原が左中間に走者一掃の三塁打を放って3-1と逆転に成功、岩本義行は歩かされて一死一三塁、室井の三ゴロの間に三走北原が還って4-1とする。

 南海は5回、先頭の国久がストレートの四球で出塁、猪子が右前打、北原も中前打で続いて無死満塁、岩本が左前に2点タイムリーを放って6-1、一走北原は三塁に進みバックホームの間に打者走者の岩本も二塁に進んで無死二三塁、室井がストレートの四球を選んで再度無死満塁、岡村俊昭の中犠飛で7-1、川崎の二ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、中野が中前に2点タイムリーを放って9-1、柳も右前打で続いて二死一二塁、打者一巡して国久が右飛に倒れてようやく長い攻撃が終わった。

 朝日は6回から池田勝彦がプロ入り初登板。池田は8回まで南海打線に3個の四球を与えたが無安打に抑え無失点で切り抜ける。

 川崎徳次は余裕の投球で2回以降6回まで無安打ピッチング。7回、先頭の伊勢川真澄に左前打を許すが池田の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。8回、先頭の坪内に三塁内野安打を打たれるが五味の投ゴロで坪内を二封、岩田の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。9回も一死後内藤にレフト線ヒットを許し、広田に四球を与えて一死一二塁、しかしここも伊勢川のセカンドライナーを捕球した北原が走ってきた一走広田にタッチして無補殺併殺を記録して試合終了。

 最後の3イニングを3連続併殺で切り抜けた川崎は5安打7四球4三振の完投で6勝目をマークする。


 決勝の三塁打を放ち、守っても3つの併殺を決めて重盗も刺した北原昇については、当時の「野球界」にも精彩を欠く苅田久徳を凌いで当代随一の二塁手であると書かれている。昨シーズンをもって千葉茂が応召したが、千葉が残っていても北原がNo1二塁手でしょう。戦前の二塁手では「苅田か千葉か」と言われるのが一般的ですが、当ブログの読者であれば北原昇が苅田、千葉と並ぶ名二塁手であったことがご理解いただけるでしょう。


 朝日の二番手として登板した池田勝彦は3回を投げて無安打3四球無三振無失点。池田のプロでの登板はこの試合だけなので、生涯防御率は0.00となります。池田勝彦は京都の四条商業の出身。明治33年に京都府立簡易商業学校として開校し、昭和11年に市立四条商業学校となり昭和23年にその歴史を閉じた。おそらく同校出身のプロ野球選手は池田勝彦だけでしょう。京都市歴史資料館のサイトによると、現在の御所南小学校第二運動場に「市立四条商業学校」跡地の石標が建てられているとのことです。





*川崎徳次は完投で6勝目をマーク。四条商業学校出身の池田勝彦はこの試合が生涯唯一の登板となった。














 

2015年1月15日木曜日

17年 阪神vs大洋 5回戦


5月21日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪神 15勝16敗1分 0.484 若林忠志
1 0 0 0 1 0 0 0 X 2 大洋 19勝12敗1分 0.613 野口二郎

勝利投手 野口二郎 11勝6敗
敗戦投手 若林忠志   6勝5敗

二塁打 (大)織辺
本塁打 (大)織辺 2号

勝利打点 なし


織辺由三、試合を決める一発

 大洋は初回、先頭の中村信一が四球を選んで出塁、濃人渉の一ゴロをファースト大島武が弾くがセカンド松本貞一がバックアップして「3-4-3」で一塁アウト、一死二塁から浅岡三郎の一ゴロを今度はファースト大島がエラー、二走中村が一気にホームに還って1点を先制する。

 大洋は5回、先頭の祖父江東一郎が右前打で出塁するがキャッチャーカイザー田中義雄からの牽制にタッチアウト、佐藤武夫は三ゴロに倒れて二死無走者、ここで織辺由三がレフトポール際にホームランを叩き込んで2-0とする。

 野口二郎は阪神打線を6安打2四球に抑えて無失点、今季3度目の完封で11勝目をあげる。

 阪神先発の若林忠志も6安打2四球で8回を完投。阪神は8残塁だったが大洋は5残塁であった。


 今季進境著しい織辺由三が第2号ホームランを放って試合を決めた。織辺はこれがプロ入り通算4本目のホームランとなったが今季限りで応召し戦死することとなる。この日の本塁打がプロでの最後の一発となった。織辺はそのキャリアの絶頂期に戦争によって輝かしい未来を閉ざされるのである。





*野口二郎は6安打完封で11勝目。













*織辺由三が第二打席でプロ最後のホームランを放った瞬間。第三打席では二塁打も放っている。















 

2015年1月13日火曜日

17年 黒鷲vs名古屋 5回戦


5月21日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 黒鷲       7勝22敗2分 0.241 石原繁三 松本操
4 0 0 1 0 0 0 0 X 5 名古屋 11勝21敗 0.344 松尾幸造 石丸進一

勝利投手 石丸進一 5勝5敗
敗戦投手 石原繁三 5勝10敗

二塁打 (名)石丸藤
三塁打 (名)飯塚

勝利打点 桝嘉一 2


桝嘉一、決勝タイムリー

 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉が四球を選んで出塁、木村進一の中前打で石丸は三塁に進み送球の間に打者走者の木村も二塁を陥れて無死二三塁、桝嘉一が右前に2点タイムリーを放って2-0、飯塚誠の右中間三塁打で3-0、吉田猪佐喜は三振に倒れるが、古川清蔵の遊ゴロの間に三走飯塚が還って初回に4点目を先制する。

 黒鷲は3回、一死後杉山東洋夫が四球を選んで出塁、宗宮房之助の三ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り渡辺絢吾の中前打で二死一三塁、木村孝平の投飛をピッチャー松尾幸造が落球する間に三走宗宮が還って1-4とする。

 黒鷲は4回、先頭の富松信彦が四球を選んで出塁、玉腰忠義の左前打で無死一二塁、名古屋ベンチはここで先発の松尾から石丸進一にスイッチ、パスボールで無死二三塁とするが木下政文は三飛、石原繁三の遊ゴロで三走冨松がホームを突くがショート木村進一からのバックホームにタッチアウト、杉山は三ゴロに倒れて無得点、名古屋の投手リレーが効を奏した。

 名古屋は4回裏、先頭の芳賀直一がレフト線にヒット、トップに返り石丸藤吉のレフト線二塁打で芳賀は一気にホームを突くが「7-5-2」のリレーに本塁タッチアウト、この間に打者走者の石丸藤吉は三塁に進み、木村進一のライト線タイムリーで5-1と突き放す。黒鷲はここで先発の石原を下げて松本操をリリーフに送る。


 名古屋二番手の石丸進一は5回以降毎回ヒットを許す綱渡りのピッチングが続いた。5回は一死後渡辺に四球を許し木村孝平にレフト線ヒットを打たれて一死一二塁、鈴木秀雄を投ゴロに打ち取り木村を二封、富松を三振に退ける。6回は先頭の玉腰に四球、木下に左前打を許して無死一二塁、しかし松本を三振、杉山に代わる代打吉水幸夫を遊ゴロ併殺に仕留める。

 7回も一死後渡辺に内野安打を許すが後続を抑え、8回は先頭の富松に右前打を許すが玉腰を投ゴロ併殺に打ち取る。しかしここから木下に右前打、松本に四球を与えて二死一二塁、吉水を三ゴロに打ち取りピンチを防ぐ。9回も先頭の宗宮に代わる代打谷義夫に左前打を打たれるが、トップに返り渡辺を右邪飛、最後は木村孝平を三ゴロ併殺に打ち取り何とか無失点で切り抜けた。


 初回に先制&決勝の2点タイムリーを放ち勝利打点を記録した桝嘉一が殊勲甲であるが、三塁打で続いた飯塚誠も並列の殊勲者であった。飯塚はこれが今季3本目の三塁打、今季終了時点では三塁打数トップ呉波の11本に続いて二位の9本を記録することとなる。戦後ホームランバッターとして大きく飛躍することになる小鶴誠は、飯塚誠時代にも強打の片鱗を見せているのである。








 

ゴリ押し



 5月20日の南海vs巨人の春季天王山は好ゲームだったように見えるかもしれないが、巨人のクレームにより1時間近く中断があった。


 5回巨人の攻撃、水原茂の二塁打で1対1の同点となった場面、中島治康は投ゴロに倒れるが、川久保主審のフェアの判定に巨人ベンチからクレームがついた。この時は諦めたようだが6回南海の攻撃、内野安打で出塁した岩本義行が二盗を決めた際、次打者室井豊が隈部一郎捕手を妨害したとクレームをつけ、試合は50分間中断した。


 これまで見てきたように、吉原正喜が兵役で抜けた巨人は今季キャッチャーに楠安夫を起用している。本来であれば4年半の兵役から帰還した内堀保をキャッチャーに起用する予定であったが太平洋戦争の開戦によるごたごたからか、内堀は即座に再応召となったため楠安夫にマスクを被らせていたのである。その楠が欠場、これは確かな情報は分かりませんが、川上哲治、白石敏男、楠安夫が5月の約1か月の関西遠征中に順次1週間ほど試合を欠場しいることから徴兵検査のため帰郷していたと考えるのが妥当でしょう。川上は今季シーズン中に応召、白石も自伝に「なかなか応召が無いので焦った」と書いていることから徴兵検査を受けていたことは間違いなく、楠安夫も年齢的に徴兵検査を受けていてもおかしくはない。当時のプロ野球選手は徴兵猶予を受けるため大学に籍を置いていたので一般の徴兵年齢よりは上になる可能性が高い。花の13年組でも、実年齢が高い吉原正喜は昭和16年シーズン終了後に応召、吉原と実年齢が同じとなる1919年生まれの三田政夫は大学に籍を置くことを潔くないと考えたからか、20歳となった昭和14(1939)年シーズンを最後に応召し戦死する。


 このような状況で楠安夫を欠いた巨人は隈部一郎をキャッチャーに起用しているが、5試合で17盗塁を許す弱肩の隈部は各チームに走りまくられている。室井の妨害がなくても岩本の脚なら隈部には刺せないことは巨人ベンチも理解していたが、苦手の神田武夫を揺さぶることが目的であったことは容易に想像できる。水原の二塁打で同点となった自軍の攻撃ではあっさりと引き下がったが、川上のタイムリーで逆転した直後にはおそらく刺せるはずもない隈部の送球を妨害したと執拗にクレームをつけ50分間試合を中断させているのである。当ブログは、神田の肩を冷やすことが目的であったと推測する。


 巨人の言い分としては、太平洋戦争勃発のあおりを受けてキャッチャーが不在なのだからちょっとは遠慮してくれという感情が背景にあったことは容易に想像がつく。しかし各球団選手のやりくりはどこも同じような状況である。後の江川事件に見られる巨人の「ゴリ押し」体質は、昭和17年ペナントレースでも遺憾なく発揮されていたのである。




*「雑記」欄の記載。②が5回巨人の攻撃「川久保主審フェアを宣して一もめあり」、①が6回南海の攻撃で「二盗のとき室井が捕手を妨害したと巨人より申出があり50分休む(4時再開)」との巨人サイドからのクレームです。








*試合開始は3時22分、終了は5時40分で2時間18分ですが、巨人のクレーム時間の40分を差し引いて試合時間は1時間38分と記録されています。










 

2015年1月11日日曜日

17年 南海vs巨人 5回戦


5月20日 (水) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 南海 20勝12敗 0.625 神田武夫
0 0 0 0 2 0 0 0 X 2 巨人 22勝10敗 0.688 広瀬習一

勝利投手 広瀬習一 10勝3敗
敗戦投手 神田武夫 13勝4敗

二塁打 (巨)水原

勝利打点 川上哲治 3


天王山

 1ゲーム差で首位を行く巨人と追う南海との春季天王山を迎えた。

 巨人は復帰してきた須田博の調子が上がらず、18日の南海戦では中尾輝三が7失点ということで広瀬習一が先発。南海は調子のいい川崎徳次を先発させて神田武夫をリリーフという手もあったが、18日の巨人戦で完投勝利を飾った神田で勝負をかけてきた。


 南海は初回、一死後猪子利男が四球で出塁すると二盗に成功、北原昇は左飛に倒れるが岩本義行も四球を選んで二死一二塁、ここでダブルスチールを敢行するとキャッチャー隈部一郎からの三塁送球が悪送球となって二走猪子が生還、1点を先制する。

 巨人は楠安夫が復帰しておらず隈部を使っているが各チームに走りまくられている。楠は徴兵検査で帰郷していると推測されます。

 巨人は3回、二死後水原茂が中前打、中島治康も二塁に内野安打、川上哲治がストレートの四球を選んで二死満塁、しかし伊藤健太郎は右飛に倒れて無得点。

 巨人は5回、先頭の隈部が中前打を放って出塁、トップに返り白石敏男の投前バントは神田がダッシュよく飛び出して隈部を二塁に刺す。しかし一死一塁から水原がライト線に二塁打を放って一走白石を迎え入れ1-1の同点、中島の投ゴロの間に水原が三進して二死三塁、川上がライトに決勝タイムリーを放って2-1と逆転する。

 南海は6回、8回と盗塁に成功するなど5盗塁で広瀬を揺さぶったが2回以降得点をあげることができず巨人に2ゲーム差を付けられて絶体絶命となった。

 この試合の勝利打点は川上に記録されたが、同点二塁打から決勝のホームを踏んだ水原も並列の殊勲者であった。水原は今季途中で兵役に就くが17年度シーズンMVPに輝くこととなる。この日の春季優勝を決定付ける一打は、その選考に大きく影響を及ぼしたと考えられる。

 広瀬習一は5安打5四球7三振1失点、自責点ゼロの完投で10勝目をあげる。


 徴兵検査のためと思われる欠場が続く楠安夫に代わってマスクを被る隈部一郎は各チームに走りまくられているが、この日は5回に逆転の口火を切る中前打を放って巨人の春季優勝を決定付ける勝利に貢献した。長崎商業出身で巨人の捕手ということで内堀保の後輩となる隈部のプロでの足跡は全く知られていない。昭和15年から17年まで3年間巨人に在籍しながら出場したのは僅かに24試合であるが、スタメンアーカイブでお馴染の「日本プロ野球私的統計研究会」様によるとスタメン出場は5試合のみとのこと。楠安夫が欠場した昭和17年5月17日から21日の間の5試合が隈部のスタメンマスクの全てである。この間に4試合連続4個のパスボールを記録し、相手チームに17個の盗塁を許して1つしか刺せなかった。プロでの通算成績は18打数2安打であるがこの5試合で10打数2安打を記録、この日の殊勲の中前打がプロで記録した最後のヒットとなった。








*広瀬習一は神田武夫との投げ合いを制して10勝目をマークする。











*南海を降して春季優勝に大きく前進した巨人打線。坂本茂、広瀬習一、隈部一郎と並ぶオーダーは歴史上この試合だけ。17日の朝日戦のダブルヘッダー第一試合は七番坂本、八番隈部、九番広瀬の順でした。