2011年8月31日水曜日

ルール改正



 当ブログではこれまでスコアブックの記載から「犠牲フライ」と認定できる場合は「犠飛」としてお伝えしてきたところ(2010年3月24日付けブログ「解読」参照)ですが、4月22日からのルール改正により正式に犠牲フライが記録されることとなりました。

 今季はここまで浅岡三郎のサヨナラ犠飛等、32本の犠牲フライが出ていますが全て凡打として記録されています。本来であればこれらの32本も「犠飛」として記録されるべきところ、ルール改正手続きがシーズン開始に間に合わなかったことから4月22日以降適用されることとなりました。

 アメリカの二大リーグ(ナショナル・リーグ及びアメリカン・リーグのこと)において今シーズンからルール改正が行われることに追随する訳ですが、読売新聞によると東都大学リーグでは既に採用されているとのことであることから、職業野球聯盟の怠慢によりこのような中途半端な取扱いとなったと言えるでしょう。権威主義に凝り固まっている東京六大学リーグでは未だ採用していないのかもしれませんがこれは未確認情報です。

 判明している情報から推測すると、フレキシブル度合いにおいては東都大学リーグ、プロ野球の順で、東京六大学リーグが百歩遅れているということになります。


 
 「犠飛」以外にもいくつか改正点がありますが、記録上重要なのは一三塁或は満塁で内野ゴロ併殺の間に三塁ランナーが生還した場合、これまでは打点が記録されていましたが、4月22日以降は打点は記録されなくなります。これは2011年現在まで続いていると考えられます。「犠飛」については再び記録されなくなる時期が存在するようです。

三塁打症候群



 4月8日~19日の甲子園シリーズ33試合で三塁打が31本記録されました。3月18日~4月4日までの後楽園シリーズ42試合では三塁打は11本でした。因みに後楽園ではホームランが26本出ましたが甲子園ではゼロ本でした。

 4月8日のジャイアンツvsライオン2回戦で、「ボールが劣化して飛ばなくなり、各チームの打者は対応策としてコースに逆らわないバッティングを取り入れている。強打を誇る阪急打線でさえセンター返しに徹している。甲子園ではホームランは出そうにない。」と書かせていただきましたが予言は的中しました。

 各チームの外野陣は単打主義に徹する各打者に備えて前進守備をとっているのでしょう。頭上を抜かれると、両翼110メートル、右中間と左中間は130メートルを超えると言われており、昭和9年に来日して13本のホームランを放って帰ったベーブ・ルースでさえ甲子園では1本もホームランを打てず「甲子園は広すぎてホームランは出ない。」と降参した甲子園球場の外野芝生を白球(使用制限がありますので薄黒くなっていた可能性がありますが)が転がり続けて三塁打になってしまう訳です。

 後楽園球場は両翼78メートルで左中間と右中間には膨らみがありませんので、戦前のホームランの記録を調べる場合はどこで打ったのかに注意する必要があります。

 因みに、甲子園シリーズでの三塁打王はイーグルス・寺内一隆の4本でした。

14年 タイガースvs名古屋 3回戦

4月19日 (水) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
4 0 0 0 0 1 0 0 0 5 タイガース 12勝6敗1分 0.667 三輪八郎 若林忠志 西村幸生
1 0 0 0 0 1 1 0 0 3 名古屋      5勝9敗2分 0.357 松尾幸造 村松幸雄


勝利投手 若林忠志 3勝2敗
敗戦投手 松尾幸造 2勝5敗
セーブ   西村幸生 1


二塁打 (名)加藤
三塁打 (タ)本堂
 
松木謙治郎3安打、川上に迫る


 タイガースは初回、先頭の松木謙治郎の三ゴロをサード中村三郎が一塁に悪送球、本堂保次が左中間に三塁打を放って1点を先制、ジミー堀尾文人が遊失に生きて二盗、富松信彦四球で無死満塁、伊賀上良平の三ゴロで本堂が本封かと思われたがキャッチャー服部受弘が後逸する間に本堂に続いて二走堀尾もホームインして3-0、一死後広田修三が四球を選んで一死満塁、三輪八郎が押出し四球を選んで4-0とする。

 名古屋は1回裏、石田政良、村瀬一三が連続四球、一死後加藤正二の左前タイムリーで1点返して1-4とする。タイガースは三輪八郎では持たないと判断したのか、2回から早くも二番手に若林忠志をマウンドに送る。

 タイガースは6回、一死後松木謙治郎が二塁に内野安打、更にセカンド村瀬の悪送球で松木は二塁に進む。本堂の三塁内野安打で一死一三塁、堀尾の遊ゴロの間に松木が還って5-1とする。

 名古屋は6回裏、一死後加藤の遊ゴロをショート皆川定之がエラー、中村三郎の右前打で一死一三塁、鈴木秀雄に代わる代打大沢清が右前にタイムリーを放って2-5とする。大沢はファースト鈴木に代わって一塁の守備にはつかず、サードの中村がファーストに回りショートの芳賀直一がサードに回り大沢に代わって天野竹一がショートに入っているので、矢張り大沢は怪我からようやく復帰してきたがまだ守備につける状態では無いようである。

 名古屋は7回、先頭の芳賀が中前打で出塁、石田の右前打で芳賀は三塁に向かうがライト御園生崇男からのバックサードにタッチアウト。しかし村瀬四球で一死一二塁、桝嘉一の中前タイムリーで3-5とする。タイガースはここで西村幸生をリリーフに送り、西村が後続を抑えて逃げ切る。

 名古屋は6失策と乱れ、松尾幸造は6イニングを投げて失点5であるが自責点はゼロであった。


 タイガースでヒットを打ったのは三人だけ。松木謙治郎は5打数3安打2得点、今季通算70打数27安打、打率を3割8分6厘に上げて首位を行く川上哲治の4割1分6厘に迫ってきた。本堂保次は先制三塁打を含む4打数2安打1得点1打点、途中出場でライトに入った御園生崇男が4打数2安打、御園生は7回に三塁送球で芳賀を刺して守備でも魅せた。

 本日で甲子園シリーズが終了し、22日から堺大浜球場に舞台は移る。









2011年8月30日火曜日

14年 ライオンvs南海 3回戦

4月19日 (水) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 2 0 1 1 4 ライオン 8勝6敗3分    0.571 近藤久 福士勇 菊矢吉男
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海       5勝11敗1分 0.313 政野岩夫


勝利投手 菊矢吉男 6勝3敗
敗戦投手 政野岩夫 2勝6敗

完封リレー


 ライオンは6回、先頭の水谷則一が四球で出塁、二盗を試みタイミングはアウトであったがショート小林悟楼の落球でセーフ、鬼頭数雄右前打、室井豊死球で無死満塁、西端利郎の投ゴロは「1-2-3」と渡るゲッツーで二死二三塁、しかし中野隆雄が渋く三遊間を抜いて二者還り2点を先制する。

 ライオンは8回、一死後鬼頭の一ゴロをファースト中村金次がエラー、室井が中前打を放って一死一二塁、西端が中前にタイムリーを放って3-0とする。

 ライオンは9回、先頭の松岡甲二が四球で出塁、菊矢吉男が中前打、坪内道則が送って一死二三塁、玉腰年男が右前にダメ押しのタイムリーを放って4-0とする。

 南海は1回は2四球、2回は2安打、3回はエラーとヒットで二人ずつランナーを出しながら無得点。ライオンは4回から先発の近藤久に代えて二番手に福士勇を注ぎ込むと南海は4回、中田道信、中村金次が連続安打、小林悟楼が送って一死二三塁とするが後続無し。5回は三者凡退に終るが6回も2安打を放ちながら盗塁失敗があって無得点。

 ライオンは7回から三番手にエース菊矢吉男を投入。南海は7回は1四球で無得点。8回は3四球で二死満塁とするが政野岩夫は遊ゴロに倒れて無得点。9回は先頭の岩出清が右前打で出塁して海蔵寺弘司を代走に起用、トップに返り平井猪三郎は四球、国久松一は三振に倒れるが岡村俊昭が四球を選んで一死満塁として四番鶴岡一人を迎える。鶴岡の当りは右前に飛んだがライト水谷のファインプレーに阻まれ、飛び出した一走岡村も刺されてダブルプレーとなってゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 南海は中村金次が3打数3安打など、8安打8四球と相手エラー1つで17人の走者を出したが併殺が3つと盗塁失敗が1つで13残塁、ライオンの繰り出す三投手に封じられた。一番の平井猪三郎が2打数無安打ながら3四球を選んだが二番国久松一が5打数無安打でつなげることができず、平井は4残塁を記録した。








2011年8月29日月曜日

チャンス到来



 昨日はジャスティン・バーランダーが早くも今季20勝目に到達、ようやく初のアメリカン・リーグ サイ・ヤング賞が視野に入ると共にMVPの声まで聞こえてきました。昨年のナショナル・リーグでも私に投票権があればMVPはロイ・ハラデイに投じたいと書いていましたが、92年のデニス・エカーズリー以来の投手としてのMVPに注目です。

 そもそもこれまでバーランダーがサイ・ヤング賞を獲っていなかったことの方が不思議な訳で、どうせなら防御率もジェレッド・ウィーバーを抜いて2007年ジェイク・ピービー以来の投手三冠と行きましょう。更にその時のピービーもWHIPは1.06でしたので、どうせなら現在0.90のWHIPをキープして1.00割れでの受賞と行きましょう。更に更に、現在215回3分の2を投げて奪三振218個ですので、奪三振率9.00越えでの受賞と行きましょう。

 と言うことで、かなり空前絶後的成績が期待できますのでMVPもありそうです。今からみんなで盛り上げましょう。2006年のデビュー以来、160キロの速球を持ちながら奪三振が少ないためサイ・ヤング賞投票では得票が伸びなかった訳ですが、2009年に奪三振王となって一皮剥けました。但しWHIPは昨年の1.16が最高と得票が伸びない要因が重なっていましたが、実力ではアメリカン・リーグNo1であることは誰しもが認めるところです。


 アメリカン・リーグMVP候補はエイドリアン・ゴンザレスですが本塁打数が伸びないと絶対とは言えないかもしれません。ホセ・バウティスタは今一荒いのであまり好きにはなれないのですが。グランダーソン、テシェイラのヤンキースコンビも数字が荒いのでちょっと無理でしょう。打者に絶対的候補がいないことも投手のMVPの大きな条件となりますので今年はチャンス到来と言うところではないでしょうか。

 エカーズリー以前の投手のMVPは84年のウィリー・ヘルナンデス、81年のロリー・フィンガースと三人ともリリーフピッチャーですので、先発投手としては71年のバイダ・ブルー以来ということになります。因みに私が大リーグに興味を持つきっかけとなったのがバイダ・ブルーのセンセーショナルな活躍からであることは何度もお伝えしているとおりです。


 ナショナル・リーグのサイ・ヤング賞はクレイトン・カーショウに大いなる期待がかかります。あれだけのカーブを投げるピッチャーは久しぶりに見ました。快速球と大きなカーブということで、まさにサンディー・コーファックスの再来と言ってもよいのではないでしょうか。ティム・リンスカムがコーファックスの再来と言われてきましたが、矢張り同じドジャースで左腕で何よりもあの大きなカーブで、カーショウこそがコーファックスの再来に相応しいのではないでしょうか。

 昨年は春先からロイ・ハラデイ本命説を唱えて的中させましたが、二年連続三回目と言うのはそれだけハードルも高くなる訳で、何よりいつまでもハラデイでは面白くもありません。


 ナショナル・リーグMVP争いはマット・ケンプとライアン・ブラウンの争いに絞られてきたと言って良いでしょう。他にも数字的にはプリンス・フィルダーなどの候補がいない訳ではありませんが、二人とも3割30本30盗塁のトリプルスリーが確定的で、ブラウンの首位打者、ケンプのホームラン、打点の二冠も可能性大です。私としては過去の実績も踏まえてライアン・ブラウンを応援していますが、今のままではマット・ケンプに得票が集まりそうです。




 

*昨年のアメリカン・リーグ サイ・ヤング賞 フェリックス・ヘルナンデスと今年のサイ・ヤング賞候補No1 ジャスティン・バーランダーのダブル・サインカード。二人ともいつかは獲るだろうと思って先行取得しておいたものです。二年連続とは思っていませんでしたが。



阪急vsイーグルス 3回戦

4月19日 (水) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 0 0 1 4 0 0 8 阪急       11勝5敗         0.688 荒木政公
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 イーグルス 5勝12敗1分 0.294 中河美芳 古川正男


勝利投手 荒木政公 2勝0敗
敗戦投手 中河美芳 1勝3敗

二塁打 (阪)荒木、上田 (イ)山田潔、太田
三塁打 (イ)寺内


阪急、三試合連続完封勝利


 阪急は初回、西村正夫の二ゴロをセカンド辻信夫が一塁に悪送球、フランク山田伝が右前打、黒田健吾が三塁への内野安打で無死満塁、山下好一の三ゴロの間に三走西村が還って1点を先制してなお一死二三塁、上田藤夫が中前に2点タイムリーを放って3-0とする。

 阪急は6回、先頭の上田が右翼線に二塁打、岸本正治の左前タイムリーで4-0とする。更に7回、先頭の荒木政公が右前打で出塁、西村の捕前送りバントをキャッチャー伏見五郎が失して犠打エラー、山田伝の右前打で無死満塁とする。黒田が押出し四球を選んで5-0、山下好一の右前タイムリーで6-0、上田が中前に2点タイムリーを放って8-0として試合を決める。

 荒木政公は6安打無四球1三振、今季二度目の完封で2勝目、すなわち全勝星が完封勝利である。阪急投手陣は16日セネタース戦の高橋敏、17日南海戦の石田光彦に続いて三試合連続完封勝利となった。

 二番フランク山田伝が5打数4安打2得点、五番上田藤夫が4打数3安打1得点4打点、アメリカコンビの活躍で圧勝した。但し本土出身の山田にはハワイ訛りの上田の英語は通じなかったとの説もあるが真相は不明。


 翌日の読売新聞によると「この日阪急軍村上監督は悠々とネット裏に観戦していたがこの試合の勝敗を全く度外視して今春の覇権を如何にして握るかという大綱を次の如く述べた。」ということなので、矢張りこの時点で村上実が監督の地位にいることが明らかになったが、未だ敏腕マネージャーの癖が抜けきれず、采配は山下実と黒田健吾に任せて自らは大局的見地から試合を眺めていたようである。

 阪急は首位ジャイアンツに並び同率首位の座をキープした。





               *荒木政公は今季二度目の完封勝利




2011年8月28日日曜日

14年 ジャイアンツ vsイーグルス 2回戦

4月18日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 4 1 6 ジャイアンツ 11勝5敗         0.688 スタルヒン
3 0 0 0 0 0 0 0 0 3 イーグルス     5勝11敗1分 0.313 亀田忠


勝利投手 スタルヒン 6勝3敗
敗戦投手 亀田忠     3勝5敗

二塁打 (ジ)水原 (イ)寺内
三塁打 (イ)寺内、山田

四球に乗じて逆転


 ジャイアンツは1回、水原茂、呉波が連続四球、千葉茂が送りバントを決めて一死二三塁、亀田忠のワイルドピッチで水原が還り労せずして1点を先制する。中島治康は三ゴロ、川上哲治は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 イーグルスは1回裏、スタルヒンの立ち上がりを攻めて先頭の寺内一隆が左中間に三塁打、続く山田潔が右翼線に連続三塁打を放って1-1の同点、太田健一四球で無死一三塁、中河美芳の二ゴロで太田が二封される間に山田が還って2-1と逆転。ジャイアンツは初回ということもあって中間守備をとっていた模様。中河が二盗に成功、杉田屋守は二飛に倒れて二死二塁、亀田の二ゴロはセカンド井上康弘からファースト川上に送球されるが川上がこれを落球する間に中河が二塁から還って3-1とする。

 ジャイアンツは2回~7回はスタルヒンの右前打と千葉茂の内野安打2本に抑えられて無得点。イーグルスも2回~7回は中河の左前打1本で無得点。

 ジャイアンツは8回、一死後白石敏男、井上が連続四球、吉原正喜が左前にタイムリーを放って2-3としてなお一死一三塁、続くスタルヒンのライトフライで三走井上はタッチアップからホームを狙い、ライト太田からのバックホームが悪送球となる間に井上が還って3-3の同点、吉原も三塁に走って二死三塁。スタルヒンには打点が記録されていますので記録上はスタルヒンの犠牲フライ(当ブログルールによる)となります。週末22日からの堺大浜球場での試合からルール改正が適用されて正式に犠牲フライが記録されることになります。トップに返り水原が左中間に二塁打を放って4-3と逆転に成功、三田政夫の凡飛をセカンド辻信夫がエラーする間に水原が二塁から還って5-3とする。

 ジャイアンツは9回、二死後白石が四球で出塁、井上のライトへのシングルヒットで一走白石が長駆ホームに還るという西武の辻もビックリの好走塁を見せて5-3とリードを広げ、9回裏をスタルヒンが三者凡退に退けて逃げ切る。

 スタルヒンは4安打2四球8三振の完投で6勝目をあげる。直近先発した4試合中3試合で初回に失点しており、この辺りに課題が残る。亀田忠は5安打に抑えたが11四球の乱調でジャイアンツの得点は全て四球をきっかけとしている。これは課題と言うよりも亀田の投球スタイルですが。


 ジャイアンツは中島治康が5打数無安打、川上哲治が4打数無安打であったが脇役陣の活躍で首位の座をキープする。終盤の得点の起点となった六番白石敏男は2打数無安打ながら3四球を選んで2得点、七番井上康弘も3打数1安打2四球で1得点1打点であった。










14年 セネタースvsタイガース 2回戦

4月18日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  10 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0   0  1 セネタース    8勝7敗      0.533 野口二郎
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1X  2 タイガース 11勝6敗1分 0.647 青木正一 西村幸生


勝利投手 西村幸生 2勝2敗
敗戦投手 野口二郎 3勝3敗


二塁打 (セ)浅岡 (タ)松木
三塁打 (タ)富松

富松信彦、サヨナラ打


 セネタースは野口二郎、タイガースは青木正一の先発。

 タイガースは5回まで野口に無安打に抑えられて0点。セネタースは青木から3安打を放つが初回は併殺、4回、5回は二死からのヒットで得点はならず。

 セネタースは6回、先頭の苅田久徳が一塁に内野安打、北浦三男は中飛に倒れ、尾茂田叶の二ゴロの間に苅田が二進、浅岡三郎が左越えに二塁打を放って1点を先制する。

 タイガースは6回、先頭の松木謙治郎が右中間に二塁打、本堂保次は三振に倒れるが、ジミー堀尾文人がセンター左にタイムリーを放って1-1の同点とする。

 タイガースは7回から青木に代えて西村幸生がリリーフで登板、9回まで無安打、10回は一死後森口次郎に初安打を中前に運ばれるが苅田を三ゴロ、北浦は三直に打ち取りここまで無失点。

 タイガースは7回、一死後門前真佐人四球、西村左前打で一二塁とするが後続無く、8回も二死後富松信彦が右中間に三塁打を放つが伊賀上良平は中飛に倒れる。

 終盤押し気味に試合を進めるタイガースは延長10回裏、先頭の皆川定之が左前打で出塁、トップに返り松木の右前打で無死一二塁、ここで皆川が苅田の隠し玉に引っ掛かって一死一塁、本堂が中前打を放って一死一二塁、堀尾の遊ゴロで本堂が二封されて二死一三塁、ここで四番に定着してきた富松が右前にサヨナラ打を放ってタイガースが接戦をものにする。

 西村幸生が4イニングを1安打1四球4三振の好リリーフで今期2勝目をあげる。


 翌日の読売新聞によると、6回の堀尾のタイムリーについて「堀尾が珍しくも遊撃左に適時安打を放って」という記述が見られます。ジミー堀尾文人は元来スイッチヒッターですが、日本では左打席で打つことが多かったようです。仮にスイッチを続けていたとしても相手は野口二郎ですから左打席での出来事でしょう。この記述から堀尾がプルヒッターであったことがうかがえます。更に、ショートの左を抜ければ普通は左前打になりますが、スコアブックの記載は下の写真のようにセンター左への当りであったようです。ということはショートがプルヒッターの堀尾に備えて二塁ベース後方に位置する「ジミーシフト」を敷いていたことがうかがえます。




*堀尾の第三打席のヒットはセンター左への当り。遊撃左を抜いてセンター左に飛ぶということは、ショートが二塁ベース後方にシフトしていたことが考えられます。






     *皆川定之が苅田久徳の隠し玉に引っ掛かった場面







14年 ライオンvs名古屋 3回戦

4月18日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 3 4 ライオン 7勝6敗3分 0.538 菊矢吉男
0 0 0 1 0 0 0 0 2 3 名古屋   5勝8敗2分 0.385 村松幸雄 松尾幸造


勝利投手 菊矢吉男 5勝3敗
敗戦投手 村松幸雄 2勝2敗


二塁打 (名)天野


菊矢吉男、投打に活躍


 名古屋は今季中村三郎が移籍してきたのでファースト中村、サード大沢清という布陣を敷いてきたが前の試合から大沢が欠場(怪我か?)しており中村がサードに入って前の試合では二番ファーストに鈴木秀雄、本日は八番ファーストに田中実を起用する。

 ライオンは初回、先頭の坪内道則の三ゴロをそのサード中村三郎がエラー。玉腰年男がセンター左にヒットを放って無死一二塁、水谷則一の一ゴロで玉腰が二封されて一死一三塁、鬼頭数雄が右前に先制タイムリーを放って1-0とする。続く室井豊の遊直に二走水谷が飛び出しダブルプレー。

 名古屋は4回、先頭の加藤正二が二塁に内野安打(翌日の読売新聞には「二塁左を抜く安打」と書かれています。まぁこの手の齟齬はいくらでもありますが、当ブログではスコアブックに残されている記録に基づいてお届けしております。)、続く中村の右前打で加藤は三塁に進み無死一三塁、服部受弘の三ゴロで中村が二封される間に加藤が還って1-1の同点とする。芳賀直一の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 ライオンは9回、先頭の玉腰は右飛に倒れるが水谷が中前に快打、鬼頭が四球を選んで室井は二塁に内野安打(こちらは読売新聞にも「村松のグラブを弾いて二塁手の拾う安打」と書かれています。)して一死満塁とする。ここで名古屋ベンチは村松をあきらめ松尾幸造をマウンドに送る。菊矢吉男が右前に2点タイムリーを放って3-1として室井も三塁に進み、西端の三塁内野安打で4-1とする。

 名古屋は9回裏、先頭の村瀬一三が左前打で出塁、桝嘉一は左邪飛に倒れるが加藤が四球を選んで一死一二塁、中村が中前打して一死満塁、服部は二飛に倒れて二死満塁、ここで名古屋・根本行都監督は二打席連続併殺打の芳賀に代えて代打に天野竹一を起用、天野が期待に応えて一塁線を抜く二塁打を放ち二者生還して3-4、一走中村も三塁ベースを回りかけるがストップして二死二三塁、続いて田中実に代えて代打に繁里栄を起用するが繁里は一ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 菊矢吉男は9安打2四球5三振の奮投で今季5勝目をあげる。自ら決勝タイムリーを放ち投打で活躍。


 9回裏、代打に出て2点タイムリー二塁打を放った天野竹一は掛川中学(現・静岡県立掛川西高等学校)出身、昭和12年卒なので本日先発した村松幸雄(掛川中学・昭和13年卒)の一年先輩となるが名古屋では同期入団となった。明治大学に1年在籍して今年名古屋入りしたようであるが多くの資料では掛川中学出身となっている。恐らく明大を中退しているのでしょうが、例えば景浦将は立教大学を中退してタイガース入りしているが立大出身と書かれることが多い。因みに天野の卒業年度が昭和12年というのは中日新聞の掛川西高校100周年特集記事がソースですから間違いは無いでしょう。天野はプロでは2年間の在籍で通算30打数3安打5打点、二塁打1本の記録を残すこととなる。1本の二塁打はこの日の代打2点タイムリー二塁打で、通算3安打で5打点ということなので今後も劇的な場面でのタイムリーが見られるかもしれません。「目立たない」などと書かれているサイトもありますが、実は結構目立っているのかもしれません。

 プロ野球史上に残る劇的な選手と言えば元阪神タイガースの池田純一(祥浩)でしょう。何しろ通算80本塁打のうちサヨナラ本塁打が5本です。但し池田が球史に名を残したのは1973年、巨人と激しく競り合っていた年、黒江の打球に転倒して逆転された「世紀の落球」です。池田の劇的人生の始まりは甲子園にあります。1964年夏の甲子園、開会式直後の第一試合で八代東高校のマウンドに上がった池田は掛川西高校を相手に延長18回を0点に抑えて引き分け、再試合で敗れます。5年後の決勝では三沢高校の太田幸司が同様のパターンで敗れてヒーローとなったのはご存じのとおり。池田がプロで強肩で鳴らしたのも当然ですね。



            *池田祥浩のカルビーベースボールカード












2011年8月27日土曜日

14年 阪急vs南海 1回戦

4月17日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 0 0 0 0 0 0 3 阪急 10勝5敗          0.667 石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海    5勝10敗1分 0.333 政野岩夫


勝利投手 石田光彦 2勝0敗
敗戦投手 政野岩夫 2勝5敗

二塁打 (阪)黒田


十字架投法・石田光彦、2安打完封


 阪急は2回、先頭の山下実がセンター右にヒット、伊東甚吉が四球を選んで無死一二塁、石井武夫に対して南海守備陣はバントシフトをとったが石井は前進守備のファースト中村金次の横を抜いて右前にタイムリーを放って1点を先制する。続く石田光彦も中前にタイムリー、トップに返り西村正夫もセンター右にタイムリーを放って3-0とする。

 南海先発の政野岩夫は3回、4回と先頭打者を出すが「4-6-3」と「6-4-3」のゲッツーで切り抜けると5回以降は2安打無失点に抑える。

 一方、阪急先発の石田光彦は好調南海打線を4回の国久松一の内野安打と7回の岡村俊昭の左前打の2本に封じ込む。結局石田は2安打2四球6三振の完封で今季2勝目を飾る。


 快調石田の切る十字はいつもより大きかったようで、翌日の読売新聞は「5回ころから調子に乗った石田は彼独特の奇妙な投球モーションで観衆を笑わせるとともに打者を面食わせた。」と伝えている。本日の石田は外角のストレートが切れていたようで、いい時には手のつけられないピッチングをする。現在で言えば西武の西口のようなピッチャーなのでしょう。西口のフォームも若いころは「蛸踊り」と言われていたようです。

 投打が噛み合って阪急は首位ジャイアンツに並んで同率トップに躍り出た。若い高橋敏、荒木政公にエース石田光彦まで加わって投手陣は万全、懸念されていた下位打線も前節殊勲賞に輝いた石井武夫が本日も殊勲打を放つなど好調をキープしている。阪急打線の場合、打球方向にご注目ください。劣化した使用球に合わせてセンター返しが徹底している。




       *南海打線を2安打完封した石田光彦のピッチング







イーグルスvsライオン 2回戦

4月17日 (月) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 1 0 0 0 0 2 イーグルス 5勝10敗1分 0.333 古川正男 亀田忠
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 ライオン     6勝6敗3分    0.500 福士勇 近藤久

勝利投手 古川正男 1勝2敗
敗戦投手 福士勇     2勝3敗
セーブ   亀田忠   1


二塁打 (イ)辻 (ラ)鬼頭
三塁打 (イ)山田

辻信夫と山田潔の長打で快勝

 今季期待の大きかった大型左腕・望月潤一を病気で欠くイーグルスは下手投げの古川正男が先発、古川の軟投も覚えられてきているので通用するかどうか。一方、ライオン先発の福士勇も春先ほどは通用しなくなってきているのでどうか。この試合でイーグルスのスタメンは七番(四)漆原進、八番(五)木下政文と発表されたが1回表の守備からセカンドに辻信夫が入って漆原進はサードの回っている。木下は記録上は出場したことになっているようであるが、メンバー表交換後に何かアクシデントでもあったのか。辻よりは木下の方がバッティングは良いので木下から辻に代えてもアテ馬効果は無い。

 イーグルスは2回、先頭の杉田屋守が死球を受け、続く伏見五郎が四球を選んで無死一二塁、一死後辻信夫が左中間に先制二塁打を放って1点を先制する。辻に代えて大成功でした。

 イーグルスは5回、一死後古川が中前打で出塁、二死後山田潔が右中間に三塁打を放って2-0と貴重な追加点を加える。

 ライオンは初回、一死後西端利郎が右前打、水谷則一の左翼線ヒットで一死一二塁、鬼頭数雄が左前にヒットを放ち二走西端は三塁ベースを蹴ってホームを狙うがレフト杉田屋からのバックホームにタッチアウト。2回は先頭の岡本利之が内野安打で出塁するが後続無し。3回も先頭の坪内道則が左前打で出塁するが西端の遊ゴロで「6-4-3」のダブルプレー。4回は二死後連続四球で一二塁とするが福士は遊飛に倒れる。5回は三者凡退。6回、先頭の鬼頭が一塁線を破る二塁打、二死後岡本の一塁への小フライをファースト中河美芳が好捕して二走鬼頭も刺してダブルプレー。7回もエラーとヒットで二走者を出すが得点無し。

 ライオンは8回、先頭の水谷が四球で出塁、ここでイーグルスベンチは古川から亀田忠にスイッチする。鬼頭四球、玉腰年男の送りバントが内野安打となって無死満塁、岡本に代わる代打室井豊が押出し四球を選んで1-2、しかし中野隆雄の三ゴロで三走鬼頭は本封、松岡甲二に代わる代打菊矢吉男は三振、近藤久は一ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 ライオンは9回、先頭の坪内が四球で出塁、西端が三前に送りバントを決めるが坪内がオーバーラン、「3-6-5」と送られて坪内はタッチアウト、犠打と併殺が記録される。最後は鬼頭が三振に倒れてイーグルスが接戦を制す。


 イーグルスは4安打で2点、ライオンは10安打を放ったが古川正男を捕まえることができず貯金を使い果たして勝率5割。イーグルスは打力に乏しい辻信夫と山田潔の長打で2点をあげた訳であるが、ここまでお伝えしてきているとおり今季の使用球は劣化が激しく、打者は単打主義に徹していることから当然外野は浅い守備位置を取っているでしょう。高校野球では無いので芯に当たれば前進守備の外野の頭を越すことになります。特に甲子園球場は右中間と左中間の膨らみが深く、三塁打が多くなります。





*1回の守備から木下政文に代わり辻信夫が入ってセカンド、漆原進がサードに回っている。「備考欄」に「a1回より」とあり、漆原の「5」と辻の「4」の横に「a」と記入されていますので1回の守備から交代したことを表します。

 昭和13年6月18日にライオンの日野弘美が「アテ馬」に使われたことは以前お伝えした通りですが、あの時は相手セネタースの先発が左の金子裕か右の浅岡三郎かが読みにくい状況で、ライオンも左の水谷則一か右の煤孫伝を使いたい状況だったのでアテ馬の効果があった訳ですが木下と辻では木下の方がバッティングが良いので本日はアテ馬ではありません。



2011年8月25日木曜日

14年 金鯱vs名古屋 2回戦

4月17日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱    6勝10敗    0.375 古谷倉之助 中山正嘉
0 1 0 0 0 0 0 2 X 3 名古屋 5勝7敗2分 0.417 松尾幸造


勝利投手 松尾幸造     2勝4敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝3敗

松尾幸造、今季初完封


 名古屋は2回、先頭の加藤正二が左前打から二盗に成功、二死後服部受弘の中前タイムリーで1点を先制する。

 金鯱は7回から(「救援」様からのご指摘により訂正させていただきました。2015年5月12日)先発の古谷倉之助に代わり中山正嘉が登板する。

 名古屋は8回、一死後鈴木秀雄が一塁への内野安打、桝嘉一の左前打で一死一二塁、加藤の右前タイムリーで2-0、桝が三塁に走り加藤もライト小林茂太からの三塁送球の隙に二塁を陥れて一死二三塁、中村三郎の右犠飛で3-0とする。翌日の読売新聞で鈴木惣太郎は「試合中著るしく注目をひいたのは名古屋加藤の機敏な走塁ぶりである。」と論じている。この試合に限らず強打加藤正二は走塁でも目立つ。


 この試合をスタンドから松木謙治郎、若林忠志、鶴岡一人が観戦している。タイガースは本日は試合が無く、南海は第三試合に登場する。ここに鈴木惣太郎も同席して野球論議を繰り広げており、その一部が翌日の読売新聞に掲載されている。

 鈴木惣太郎:「古谷がドロップを投げるときは球の握り方と投球モーションで非常によく判る、あれが打てないのは打者の研究が足りないからだ。」
 若林忠志  :「アメリカの大リーグ選手はあんなのは決して逃さない、日本の打者は未だ研究が足りないんだね。」

 若林はご存じのとおりハワイからやってきました。

 松尾幸造は4安打3四球4三振の完封で2勝目をあげる。シーズン序盤から投げまくってきた松尾もこのところ疲労から調子を落としており本日もスピードは無かったがカーブがいいところに決まったようである。



            *松尾幸造が今季初完封












2011年8月24日水曜日

千話球題



 1974年、神奈川県の高校に入って中学時代の友人と「なんかやろうか」ということになり軟式野球部に入りました。硬式の練習も見に行きましたが二人とも千葉県市川市から通うので「ちょっと無理かな」ということになった訳です。ちょっとどころかその夏、準決勝で永川の横浜高校に接戦の末負けた訳ですから入っていたら簡単にドロップアウトしていたでしょう。

 3年生が二人、2年生が七人のところに1年生が三人入りました。夏は1回戦でコールド負け、新チームが発足します。3年生が二人抜け、1年の二人がレギュラーとなり、守っている時は私が一人監督の横でスコアブックを付けていました。この時の経験が30数年後、一リーグ時代のスコアブック解読に役立つとは想像すらしていませんでした。秋の大会も1回戦負け、その後の練習試合で途中出場して中前と左前にヒットを放ち2打数2安打、やっと先輩を一人抜いてライトのレギュラーになりました。この頃には部員も少し増えて1年生も7人くらいになっていました。

 中学時代は、野球体育博物館に通った回数では誰にも負けない自信がありましたがプレイヤーとしては草野球しか経験はありません。小学校時代は近所では鳴らしていましたが。

 姫路出身の一年先輩の背番号1の左のショート(すなわち元エース)は東洋大姫路からスカウトされたそうで、硬式の連中も「あの左は何者?」と不思議がっていました。その元エースに代わってエースになった背番号6の先輩は、私の同期の硬式で強肩強打で有名な奴(大学では神宮でレギュラーになりました。)より肩が強かったようです。

 硬式からも誘われながら何故軟式にいるのかが不思議なくらいの二人の先輩が三番、四番におり、全国大会出場が目標となってきました。夏合宿を成田で張った帰りに習志野高校と練習試合を行い、この試合で高校・大学を通じて唯一の三塁打を右中間に打ちました(当然本塁打は7年間でゼロ本)。この一打が効いたのか定かではありませんが、夏の大会の1回戦から五番に起用されました。

 夏の神奈川県予選を勝ち進み、準決勝では日大藤沢に6対5で辛うじて勝って決勝に進出します。軟式では準決勝、決勝は同一日に行いますが、我々は第一試合でしたので2時間ほど休みがありましたが準決勝第2試合を勝ち上がってきた湘南高校はへろへろで、決勝は6対1で楽勝しました。神奈川新聞では軟式は決勝戦だけ写真入りで報道されます。決勝戦は大した山場もなく過ぎましたが、私の中前ダメ押し2点タイムリーで三番、四番の先輩がホームに還ってきたシーンが掲載されました。


*神奈川新聞社のご厚意によりいただいた報道用写真。中前にダメ押しタイムリーを放った瞬間。



             *この後三塁に進み・・・




*私が五番に上がったおかげで六番に下がったキャプテンの内野ゴロの間に生還。




 10年ほど前に全国優勝したことがあるという話は入部してしばらくしてから聞いたことがありましたが、21回大会で7度目の優勝というのは新聞記事で初めて知りました。但し、その後の30数年で夏の優勝は2回か3回です。我が部の全盛期の最期に何とか引っ掛かったようです。この後神奈川代表として出場した南関東大会で千葉代表の市川高校に敗れて全国大会出場はなりませんでした。
 
 3年生が七人抜けて、五番ライトの私がキャッチャーにコンバートされて四番、もう一人のファーストのレギュラーが三番ピッチャーで新チームが発足しました。私もそうですが、残りの七人は素人同然です。秋の大会は1回戦コールド負け。一年生のサードが最も素質が高く、間もなくエースとなって私とバッテリーを組むこととなりました。何とかチームの格好もついてきて、3年の夏は神奈川でベスト四まで行きました。メンバーから見て、前年の優勝より価値が高かったと自信を持って言えます。


*高3の準決勝での打席。この直後に解体された横浜平和球場(通称ゲーリッグ球場)です。現在は横浜スタジアムに建て替えられています。


 

 大学では準硬式野球部に入ります。2年の春のリーグ戦寸前、ファーストのレギュラーが怪我をしました。明治との1回戦、四番センターの先輩がファーストに回り、オープン戦にも出場していなかった私が八番ライトに起用されました。第一打席は送りバント、第二打席で六大学No1のサイドハンド、明治のエースからライト前にヒットを打ちました。このシーズンは15打数4安打。シーズン終了後レギュラーになりましたが2年秋、3年春は惨憺たる成績で打率は1割台でした。


*2年春の東大戦。前の打席で同点ホームランの直後に代打で起用されてボテボテの三塁ゴロ。延長10回の2打席目は外角ストレート一本に絞ってのイメージトレーニング中。集中していたのでしょう、写真を撮られていることには気が付きませんでした。この打席では中前に試合を決めるタイムリーを放ちました。
 ベンチ入りは25人程度、若い番号は先輩から埋まっていきます。稲尾の24を希望していたので残っていた時はラッキーと思いました。卒業後20年ほど続けた草野球でも可能な限り24番を付けていました。(東伏見グラウンド)



 3年の夏合宿で打撃フォームを大幅改造しました。この年33試合連続ヒットの日本新記録を樹立した高橋慶彦のフォームを真似てみたところ、秋のシーズンは32打数10安打で奇跡的に外野部門のベストナイン三番目に滑り込みました。

   
              *日吉台グラウンドにて。
 



*三年の時は澤村の14が空いていましたので即決しました。




 但し無理は禁物、手首を痛めて4年のシーズンは元に戻りました。肩が痛いくらいは何とか対処できますが、手首を痛めると素振りができなくなり、こうなると素質の無い者としては太刀打ちできなくなります。



*4年時は一応No3でした。キャプテンは10番、エースは18番なので実質私がなんでも選べる立場となりました。背番号1を付ける機会は今回を置いては無いと思い、僭越ながら1を付けました。
 練習不足で左足が開いてフォームはバラバラになっています。(東伏見グラウンド)





 本日の日本経済新聞スポーツ面「フットボールの熱源」に「日本の学校の部活動というのは、欧米人の目にはかなり奇異に映るはずだ。・・・試合に出るのは一部だけ。毎回、応援ばかりで、一度も公式戦に出ずに学生生活を終える選手がたくさんいる。しかもそれが「よく頑張ったね」と、美学として語られることがある。・・・・・公式戦の思い出を楽しく語れる選手を増やすことが、指導者としての使命と考えるべきなのかもしれない(吉田誠一)」というコラムが掲載されています。

 硬式に入っていたらと思うことは何度もあります。体力的に無理だったでしょうが、高校ではレギュラーくらいにはなれたかもしれないという気持ちも一方ではあります。神宮では「お情け代打」が精一杯だったでしょうが。

 東京六大学準硬式リーグ戦では通算200打数に出ることができました。ヒットは37本でしたが。3年秋には奇跡としか言いようがないながら外野部門のベストナイン三番手に滑り込むこともできました。どの道を選択するかは人それぞれですが、プレイヤーである以上、グラウンドで活躍してなんぼです。今夏の甲子園でも、上位校は部員が100人近く、その八割はアルプススタンドで応援しているだけです。本当に他人を応援するために野球の道を選んだのか、矢張りプレイヤーである以上、試合に出て一瞬に燃焼するべきではないでしょうか。


 閑話休題、明日の1001回から、実況中継を再開します。




14年 第4節 週間MVP

 今節はタイガースが3勝0敗1分、阪急が3勝1敗、南海が2勝1敗、ジャイアンツが2勝1敗、ライオンが1勝2敗、セネタースが1勝2敗、金鯱が1勝3敗、イーグルスが1勝3敗、名古屋が0勝1敗1分であった。
 各打者が飛ばないボールに対応してきており、高打率の打者が目立った。低反発球に対応できない2011年の各打者とは好対照である。先達の活躍を高報酬を得ている現代の打者達はどう見る?


週間MVP

投手部門

 阪急 高橋敏 1

 今節2勝0敗1完封。今季35回3分の1を投げて失点ゼロ、防御率0.00を継続している。


 ライオン 菊矢吉男 2

 16日の金鯱戦で準完全試合。 




打撃部門

 タイガース 富松信彦 1

 タイガースの新四番。今節16打数7安打2得点3打点、四番のプレッシャーに打ち勝った。


 南海 鶴岡一人 1

 鶴岡の加入で南海が一変した。今節11打数7安打6得点6打点。




殊勲賞

 セネタース 野口二郎 1

 14日のイーグルス戦で1安打完封


 阪急 石井武夫 1

 八番ながら今節13打数6安打1得点4打点。



敢闘賞

 南海 中村金次 1

 今節12打数8安打1得点4打点。

 阪急 上田藤夫 1

 今節14打数7安打3得点3打点。



技能賞

 南海 岡村俊昭 1

 今節14打数5安打8得点5打点。

 南海 国久松一 1

 今節16打数8安打4得点2打点。



 好調な打者が多く、今節13打数7安打、今季通算51打数23安打、4割5分1厘で首位を行く川上哲治と今節10打数6安打、1試合二塁打3本の山下実が選に漏れた。


























2011年8月23日火曜日

14年 ジャイアンツvsタイガース 2回戦

4月16日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 3 0 0 0 0 0 0 3 ジャイアンツ 10勝5敗       0.667 川上哲治 スタルヒン
0 0 0 0 5 0 0 0 X 5 タイガース   10勝6敗1分 0.625 御園生崇男

勝利投手 御園生崇男 6勝1敗
敗戦投手 スタルヒン    5勝3敗

三塁打 (ジ)水原


ジャイアンツ守乱

 序盤戦とは言えこれ以上ジャイアンツに引き離されたくないタイガースは好調御園生崇男で必勝態勢。

 ジャイアンツは3回、一死後永澤富士雄が右前打で出塁、白石敏男が一二塁間に内野安打、水原茂が右翼線に三塁打を放って2点を先制、千葉茂の右前打で3-0とする。続く中島治康の遊ゴロは「6-4-3」のゲッツー。

 4回まで川上哲治に2安打に抑えられてきたタイガースは5回、一死後皆川定之の三ゴロをサード水原茂が一塁に悪送球、松木謙治郎四球で一死一二塁、ジミー堀尾文人の二ゴロは4-6と渡るがショート白石がエラー、この場面を翌日の読売新聞は「(セカンド=筆者注)井上の出足が遅く二封に飛び込んだ白石は球を手にせぬ前に二塁を踏み越える・・・(記録は白石の失策)」と報じている。一死満塁となってジャイアンツはここで川上をファーストに回してスタルヒンを投入する。松廣金一は捕邪飛、読売新聞によると「吉原がネットに身を委せて辛うじて捕える絶好の美技」とのこと。富松信彦が押出し四球を選んで1-3、伊賀上良平が中前に2点タイムリーを放って3-3の同点、一走富松が三塁に走りセンター千葉は三塁に送球するがこれが悪送球となる間に富松も還って4-3と逆転、伊賀上も二塁に進み本堂保次の二ゴロをセカンド井上がエラーする間に伊賀上が還って5-3とする。この回の5得点で川上に3失点、スタルヒンに2失点が記録されているが共に自責点はゼロである。

 御園生崇男は8安打3四球2三振の好投を見せてハーラー単独トップの6勝目をあげる。








2011年8月22日月曜日

14年 セネタースvs阪急 2回戦

4月16日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 セネタース 8勝6敗 0.571 金子裕 浅岡三郎
0 2 3 0 0 0 0 0 X 5 阪急          9勝5敗 0.643 高橋敏


勝利投手 高橋敏 5勝0敗
敗戦投手 金子裕 3勝4敗

二塁打 (セ)浅岡 (阪)石井、山田

高橋敏、今季三度目の完封


 翌日の読売新聞によると、「この日甲子園には南軍飛行機の演習が催されたが丁度この試合の幕が切って落とされた頃五機の艦上戦闘機が球場の上空に入り乱れて物凄い戦闘を開始した。高射砲の空中に炸裂する中に横転逆転の自由自在、飛鳥そっちのけの大活躍を見せられては一万の観衆も手に汗して暫くは試合を他所に拍手歓呼して見入った。」とのこと。この空中戦のさなか試合は開始されたようである。

 阪急は2回、先頭の山下好一が中前打で出塁、上田藤夫が三前に送りバントを決める。山下実は三邪飛に倒れるが伊東甚吉の左前打で二死一三塁、石井武夫が左中間に二塁打を放って二者を迎え入れて2点を先制する。

 阪急は3回、先頭のフランク山田伝が左翼線に二塁打、黒田健吾が死球を受けて無死一二塁、山下好一の二ゴロで黒田は二封されて一死一三塁、上田の右前タイムリーで3-0として山下好一も三塁に走りなお一死一三塁、山下実の右前タイムリーで4-0として上田も三塁に走りなお一死一三塁と理想的な波状攻撃を見せる。更にここでダブルスチールを成功させて5-0と突き放す。

 高橋敏は5安打1四球5三振で今季三度目の完封、今季5試合に登板して5勝0敗となった。ここまで35回3分の1を投げて失点ゼロ、防御率0.00を続けている。高橋以外に今季の阪急投手陣でここまで勝星をあげているのははエース石田光彦の他、重松通雄、荒木政公、浅野勝三郎が各1勝と、九球団随一の投手王国となっている。高橋の場合、3月28日完封、4月1日完封、4月9日リリーフ、4月14日リリーフ、4月16日完封と豊富な投手陣の中で余裕をもっての登板となっていることが好調の要因である。

 この点、4月15日付け読売新聞で鈴木惣太郎は「長期リーグ戦が未だ序盤戦を終ったばかりの現在・・・各チームとも投手の運用について科学的研究不足の謗りを免れないものがある・・・こうした中にあって阪急軍独りは重松、石田、高橋、浅野、荒木の五人を正投手として順次普遍的に起用し森、岸本を救援投手として取っておくという投手団の豊富さをもっている。」と論評している。すなわち、阪急・村上実監督は、我が国野球史上初の「ローテーション」という概念を確立した訳である。

 なお、村上実の現在の地位であるが、読売新聞の記述によると監督になっているようである。まず、3月15日付け「開幕迫る職業野球」によると「山下監督が主将の位置に下り黒田副将との水も漏らさぬコンビに村上理事を加えた三位一体の指導トリオ」という記述が見られる。4月2日付け記事には「試合の直前にセ軍の監督苅田と阪急軍の主将山下に会って両者の秘策を訊ねてみると・・・山下主将は「わしは知らぬ」という一点張りで作戦のことなら村上監督に訊ねてくれということであった。そこで「村上監督に会うと・・・」となっており、インタビュアーの鈴木惣太郎もまず山下実に作戦を聞きに行っているので指揮権は山下実にあると考えているようである。4月10日付け記事には「山下主将は急遽重松を退けて高橋に代えた」という記述が見られるので、この時点で山下実は矢張り監督では無く主将の地位であるが指揮権は有していたようである。4月15日付け紙面では「まず村上監督はこの投手起用および試合作戦について戦前次の如く語った・・・」となっており、この時点では指揮権も村上実に移譲されているようである。
 




               *高橋敏は今季三度目の完封勝利。


長さん


 「長さん」と聞いて長嶋茂雄のことかと思うようではまだまだ修行が足りません。

 昭和13年9月15日付け読売新聞は「甲子園の長さん 職業聯盟で表彰」の見出しと共に写真入りで「職業野球甲子園シリーズの開幕する15日、聯盟では甲子園グラウンド係 米田長次君(29)を表彰することになった。同君は聯盟創立以来、日夜グラウンド調整その他万般に献身的援助をなした隠れた功労者で、昭和3年9月家業を擲(なげう)って阪神電鉄に入社以来『長さん』の愛称で親しまれている。」と伝えている。


 そして昭和14年4月13日付け読売新聞には「長さん」のインタビュー記事が掲載されている。

 「グラウンドキーパーとして勤続11年に及ぶ甲子園の主 “長さん”は試合を見ること二千回以上に達して既に一家を成す野球通と見られているが・・・『この頃のボールは皮が非常にナマで悪うおまんな、どないに節約しようとしてもあきまへん。一度バックネットに当ったら皮が裂けてしまいます。』皮の統制以来ボールは非常に悪くなっている。とりわけ非常によく飛ぶものとよい当りがしても飛ばないものとがあることは試合観戦中にはっきりと認識される。」

 野球史研究の上で貴重な証言である。

2011年8月21日日曜日

14年 ライオンvs金鯱 3回戦

4月16日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 1 3 1 0 0 0 0 8 ライオン 6勝5敗3分 0.545 菊矢吉男
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱   6勝9敗     0.400 中山正嘉 古谷倉之助


勝利投手 菊矢吉男     4勝3敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝2敗


二塁打 (ラ)菊矢、鬼頭 (金)長島
三塁打 (ラ)水谷、玉腰

菊矢吉男、完全試合を逸す


 ライオンは初回、坪内道則、西端利郎が連続四球、水谷則一が右中間に三塁打を放って2点を先制、鬼頭数雄の二ゴロの間に水谷が還って3-0とする。

 ライオンは3回、先頭の西端が中前打で出塁、水谷の二ゴロでランナーが入れ替わり、鬼頭が中前打、室井豊が左翼線にタイムリーを放って4-0とする。イーグルスは4回から中山正嘉に代わって古谷倉之助がリリーフで登板する。

 ライオンは4回、先頭の松岡甲二が右前打で出塁、菊矢吉男が左中間に二塁打を放って無死二三塁、一死後西端の右前タイムリーで5-0としてなお一死一三塁、西端の二盗の際キャッチャー野村高義の送球が悪送球となる間に三走菊矢が還って6-0、水谷の右前タイムリーで7-0とする。鬼頭が右前打で続いて一死一二塁、ダブルスチールを決めて一死二三塁、しかし後続は倒れて追加得点はならず。

 ライオンは5回、先頭の松岡が左前打で出塁、ここで古谷の投球がワイルドピッチとなって松岡は一気に三塁に進む。金鯱はキャッチャーを野村から長島進に交代。坪内の中犠飛で松岡が生還して8-0とする。

 菊矢吉男は5回二死までパーフェクトピッチング、ここで長島進に本日唯一の走者となる二塁打を左中間に持っていかれた。金鯱の先発マスクは前日4打数3安打の野村高義で六番に入っている。2回の第一打席は投ゴロで、5回途中から長島進に交代している。翌日の読売新聞によると「・・・捕手野村は5回一塁に走者松岡を置いて打者菊矢に対して古谷の低い暴投が出ると指を傷つけて退いた・・・」とのこと。

 歴史にタラレバは禁物であるが、野村が長島と交代していなければ、すなわち古谷倉之助の投球が低く外れてさえしていなかったら、あるいは野村のキャッチングがもう少し巧ければ、あるいは野村のキャッチングがもっと下手で指を故障していなければ、菊矢吉男が日本プロ野球史上初の完全試合を達成していた可能性が高い。翌日の読売新聞で鈴木惣太郎は「それにしてもこの日の菊矢は近来無類の好投であった。僅か長島に1本の安打を許したのみで四球皆無の絶好コントロールをもって終始し、しかも背後の無失策に援けられて毎回三者宛を斥ける好投はまさに激賞に値すべく、惜しくも一走者を出して完全試合(パーフェクト・ゲーム)の大記録を逸したのは心外であろうが・・・」と論評している。

 菊矢吉男は1安打無四球6三振の完封で今季4勝目を飾った。当時は三冠王の概念はありませんでしたが、完全試合の概念はあったようです。


 この試合は「日本プロ野球記録大全集」114、115ページで紹介されています。







               *菊矢吉男は準完全試合を達成する。







               *手も足も出なかった金鯱打線




14年 タイガースvs金鯱 3回戦

4月15日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 2 0 4 2 0 0 10 タイガース 9勝6敗1分 0.600 三輪八郎 若林忠志
0 0 0 2 0 0 0 0 0  2 金鯱       6勝8敗      0.429 磯部健雄 常川助三郎


勝利投手 若林忠志 2勝2敗
敗戦投手 磯部健雄 0勝1敗


二塁打 (タ)松木、伊賀上
三塁打 (タ)松広、若林、本堂

タイガース、長打攻勢


 タイガースは初回、先頭の松木謙治郎が右前打で出塁、ジミー堀尾文人も右前打で続き無死一二塁、キャッチャー野村高義が一塁に牽制悪送球して無死二三塁、伊賀上良平三振、富松信彦四球で一死満塁、本堂保次の三ゴロをサード山本次郎が二塁に送球するがセーフでフィルダースチョイス、しかもセカンド岡野八郎がこれをファンブルする間に松木に続いて堀尾も生還、2点を先制する。門前真佐人が死球を受けて一死満塁、しかし松広金一の遊ゴロは6-4-3と渡ってゲッツー。タイガースのキャッチャーは2回から死球の門前が退き広田修三に交代する。

 タイガースは4回、先頭の広田の二飛をセカンド岡野がエラー、松広四球、、三輪八郎が送って一死二三塁、皆川定之の二ゴロの間に門前が還って3-0、松木のタイムリーで4-0とする。

 金鯱は4回裏、先頭の瀬井清が四球で出塁、小林茂太が中前打、古谷倉之助四球で無死満塁、野村が中前にタイムリーを放って1-4、タイガースベンチはここで若い三輪八郎から老獪若林忠志にスイッチ、武笠茂男は二直、山本の遊ゴロで野村が二封される間に小林茂が還って2-4とする。

 タイガースは6回、一死後松広が右翼線に三塁打、若林の左中間連続三塁打で5-2、皆川の右前タイムリーで6-2、松木の右中間タイムリー二塁打で7-2、ライトからの返球を磯部健雄がファンブルする間に松木は三塁に進み堀尾の遊ゴロの間に還って8-2、伊賀上がこの回4本目の長打となる右中間二塁打、富松は遊飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 タイガースは7回、先頭の本堂が右中間に三塁打、金鯱は先発の磯部から常川助三郎にスイッチ、広田四球、松広の右前タイムリーで9-2、一死後皆川四球で満塁、松木の三ゴロ併殺崩れの間に広田が還って10-2とする。

 三輪八郎をリリーフした若林忠志は6イニングを投げて5安打無四球5三振で無失点に抑えて今季2勝目をあげる。タイガースは6回、7回に5本の長打を集中させて圧勝した。


 金鯱は見るべき所が無かったが、野村高義が4打数3安打1打点1盗塁と一人気を吐いた。野村は昭和13年にジャイアンツに入団した花の13年組の一人であるが僅か1年でジャイアンツを追われて金鯱に移籍した。ジャイアンツに残っていたら出番は無かったでしょう。通算557打数117安打の記録を残せたのはジャイアンツを出されたおかげ、ジャイアンツ時代の1年間は17打数1安打でした。戦後も山内、松原(後に福士)、船田、梅田等、巨人を出て成功した事例は枚挙に遑(いとま)がありません。山内、松原、船田の場合は巨人時代も試合には出ていましたが、梅田の場合は巨人に残っていたら100%試合には出られなかったでしょう。西鉄に移籍したからこそ、歴代No1とも言われる守備を披露することができた訳です。因みに梅田の守備が歴代No1と言っているのは筆者だけかもしれませんが、阪急の大橋よりフィールディングでは上でしたので、強(あなが)ち歴代No1という表現は間違いではないと思います。

 本日のタイガース打線には景浦将の名前は無い。前日の三打席連続凡飛でいやな予感はしていたが、景浦のサボタージュに石本秀一監督も堪忍袋の緒が切れたのだろうか。いずれにしろタイガースの黄金時代が短かったのは森茂雄監督の解任が尾を引いたためであろう。









14年 ジャイアンツvs阪急 2回戦

4月15日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 4 0 0 0 2 0 9 ジャイアンツ 10勝4敗 0.714 スタルヒン
2 0 0 0 0 1 0 0 0 3 阪急          8勝5敗 0.615 重松通雄


勝利投手 スタルヒン 5勝2敗
敗戦投手 重松通雄  1勝4敗


二塁打 (ジ)中島
三塁打 (ジ)中島


ジャイアンツ、猛打炸裂

 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が右前打で出塁、パスボールで二進して水原茂の右翼線タイムリーで1-0。千葉茂が左前打で続いて無死一二塁、中島治康が右前タイムリー、川上哲治が左前タイムリーと5連打で3点を先制する。

阪急は1回裏、先頭の西村正夫が四球で出塁、フランク山田伝は右飛に倒れるが黒田健吾が右前打、山下好一の右前タイムリーで1-3、上田藤夫の右前タイムリーで2-3とする。阪急の逆方向へのバッティングは徹底している。

 ジャイアンツは4回、一死後白石が四球から二盗に成功、水原の三ゴロをサード黒田が一塁に悪送球して一死二三塁、千葉が右前に2点タイムリーを放って5-2、中島の二ゴロでセカンド伊東甚吉は二塁に送球するがこれをショート上田が落球、川上が中前にタイムリー、平山菊二が右前にタイムリーを放って7-2とする。

 阪急は6回、先頭の山下好一が四球で出塁、上田の右前打をライト中島が弾く間に山下好一は三塁に達して無死一三塁、岸本正治の遊ゴロが6-4-3と渡ってゲッツーとなる間に山下好一が還って3-7とする。4月22日のルール改正一週間前なので岸本には打点1が記録されています。4月22日からのルール改正では犠牲フライが正式に認定されると共に、このケースのように併殺の間に三塁ランナーが還った際は打点は記録されなくなります。

 ジャイアンツは8回、先頭の白石が四球からこの日2個目の盗塁に成功、キャッチャーは石井武夫から日比野武に代わっていますがお構いなし。水原の二ゴロは進塁打となって一死三塁。千葉茂は自伝で前後に水原や中島がいたので自然と右打ちでの進塁打が多くなったと書いていますがこの頃は水原が二番、千葉が三番で千葉の前で水原が進塁打を打っています。千葉の右犠飛で8-3、中島が左中間に二塁打、川上のタイムリー右前打で9-3とする。


 スタルヒンは6安打3四球3三振の完投で5勝目、ハーラートップを行く御園生崇男、中山正嘉に並んだ。


 白石敏男が4打数1安打3得点2四球2盗塁、水原茂が6打数2安打2得点1打点1盗塁、千葉茂が4打数2安打2得点3打点1四球、中島治康が5打数3安打2得点1打点1盗塁・二塁打三塁打各1本、川上哲治が5打数3安打3打点。第一期黄金時代を象徴するような試合であった










2011年8月20日土曜日

14年 南海vsイーグルス 3回戦

4月15日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 3 3 0 1 0 0 1 11 南海          5勝9敗1分    0.357 劉瀬章
0 0 0 1 0 0 0 0 0  1 イーグルス 4勝10敗1分 0.286 古川正男 中河美芳 亀田忠


勝利投手 劉瀬章    1勝2敗
敗戦投手 中河美芳 1勝2敗

二塁打 (南)鶴岡 (イ)寺内、中河


国久と鶴岡が4安打


 南海は初回、先頭の平井猪三郎が四球で歩くと二盗に成功、国久松一は左飛に倒れるが平井が三盗に成功、岡村俊昭の右前タイムリーで1点を先制する。鶴岡の右前打で岡村が三塁を陥れ、鶴岡も送球の隙を突いて二塁に進み一死二三塁、中村金次の左翼線2点タイムリーで3-0とする。

 南海は3回、先頭の国久が右翼線にヒット、イーグルスは先発の古川正男を退けて中河美芳がファーストからマウンドに上がる。岡村の投ゴロで国久は二進、鶴岡の中前タイムリーで4-0、中村がショートに内野安打、中田道信の遊ゴロをショート山田潔がエラーして一死満塁、小林悟楼の中前2点タイムリーで6-0とリードを広げる。

 南海は4回、先頭の平井が四球で出塁、国久が三遊間を破り、岡村の二ゴロで国久が二封されて一死一三塁、鶴岡の左中間二塁打で二者還って8-0、鶴岡が三盗、中村が四球、中村の二盗の際にキャッチャー伏見五郎が二塁に悪送球、鶴岡が還って9-0として試合を決める。

 イーグルスは4回、太田健一四球、亀田忠中前打、伏見の四球で二死満塁から漆原進の中前タイムリーで1点を返すが焼け石に水。南海は6回に山田のタイムリーエラーで1点追加、9回にも国久のタイムリーで1点を追加して11対1で快勝する。


 イーグルスは四番サードに亀田忠を起用、当ブログの提言がようやく受け入れられたが効果は無かった。


 南海は4月11日に続いてイーグルスに二戦連続の大勝。国久松一、岡村俊昭、鶴岡一人のルーキー三人が二番、三番、四番に座って九球団で最も昨年とメンバーが入れ替わった。本日は国久が6打数4安打1得点1打点、岡村が5打数1安打3得点1打点、鶴岡が5打数4安打3得点3打点であった。