7月27日 (火) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 西鉄 15勝28敗4分 0.349 重松通雄 近藤貞雄
0 0 0 0 0 3 0 0 X 3 阪神 24勝19敗4分 0.558 若林忠志
勝利投手 若林忠志 15勝6敗
敗戦投手 重松通雄 6勝14敗
二塁打 (西)中村 (神)玉置、若林
三塁打 (西)野口明
勝利打点 若林忠志 3
猛打賞 (西)北浦三男 1
若林忠志監督、決勝の逆転タイムリー
西鉄は3回、一死後中村信一が右中間に二塁打、北浦三男の左前打で一死一三塁、黒沢俊夫の当りはライトに抜け三走中村が生還して1点を先制、しかしライト景浦将が二塁に送球して一走北浦は二封、黒沢の記録はライトゴロとなった。二死一塁から、野口明が右越えに三塁打を放って黒沢が還りこの回2点を先制する。
西鉄の先発重松通雄の下手投げに5回まで無安打に抑えられてきた阪神は6回、一死後玉置玉一が左中間に二塁打を放って反撃開始、景浦が左前打を放って一死一三塁、門前真佐人の左前タイムリーで1-2、二塁に進んだ景浦に代走金田正泰が起用される。田中義雄の三ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、ここで若林忠志が左前に逆転の2点タイムリーを放って3-2と試合をひっくり返す。
逆転打を放った阪神先発の若林は、7回以降西鉄の反撃を1安打に抑え、7安打2四球3三振で完投、15勝目をあげる。
西鉄は二番キャッチャーでスタメン出場した北浦三男が5打数3安打で猛打賞を獲得した。
北浦三男は昭和11年にセネタースに入団し、昭和11年4月29日に行われたセネタースの公式戦初試合に二番キャッチャーでスタメン出場している。昭和14年を最後に戦場に赴き、帰還して今季西鉄に復帰してきた。この間にセネタースのチーム名は翼、金鯱と合併して大洋、更に西鉄と変遷している。昭和18年の西鉄には正捕手の中村民雄と控え捕手として佐藤武夫がいるので北浦の出番は少ないが、7月6日、9日とこの日の7月27日、更に8月3日に二番キャッチャーとしてスタメンマスクを被っている。この日の3安打を含めて、スタメンマスクを被った試合で5安打を記録した。北浦の昭和18年の安打数はこの5本だけで、この年でプロ野球を去ることとなる。
*猛打賞を記録した北浦三男。