7月1日 (水) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 南海 29勝15敗 0.659 川崎徳次
0 0 0 0 1 0 0 3 X 4 阪急 23勝18敗2分 0.561 森弘太郎
勝利投手 森弘太郎 11勝6敗
敗戦投手 川崎徳次 9勝6敗
二塁打 (南)八木 2、岩本 (急)森田、中島
勝利打点 森田定雄 3
森田定雄、決勝二塁打
南海は好調川崎徳次が先発、阪急は森弘太郎で応戦する。
3回まで両軍無得点。南海は4回、先頭の岩本義行がレフト線に二塁打、岡村俊昭は四球、中野正雄もストレートの四球を選んで無死満塁、川崎の中犠飛で1点を先制する。続く八木進は左飛、柳鶴震も左飛に倒れて追加点はならず。八木は前後の打席で二塁打を打っているだけに、ここで1本出ていたら試合の結果は変わっていたかもしれない。
阪急は5回、先頭の中島喬が中前打、日比野武は一飛に倒れるが中島が二盗に成功、中村栄が四球を選んで一死一二塁、森田定雄は右飛に倒れて二死一二塁、トップに返りフランク山田伝が中前に同点タイムリーを放ち1-12と追い付く。
阪急は7回、先頭の中島が四球を選んで出塁、日比野は又も一飛に倒れるが中村が左前打を放って一死一二塁、続く森の遊ゴロは「6-4-3」と渡るが一塁はセーフ、二走中島が三塁ベースを蹴ってホームに突っ込むがファースト中野からの送球にタッチアウト、「6-4-3-2」の併殺が記録された。
阪急は8回、先頭の山田が右前打で出塁すると二盗に成功、上田藤夫は捕邪飛に倒れて一死二塁、黒田健吾の一ゴロをファースト中野は三塁に送球するが山田の足が早くベースに届いてセーフ、打者走者の黒田も二塁に進んで一死二三塁、山下好一はセカンドライナーに倒れて二死二三塁、ここで森田定雄が左中間に決勝の二塁打を放って3-1と勝越し、中島もレフト線に二塁打を放って4-1と突き放す。
森弘太郎は9安打5四球と乱れたが1三振1失点の完投で11勝目をあげる。
南海は猪子利男が2試合連続猛打賞を記録するなど9安打を放ちながら11残塁で1得点に終わった。
決勝の二塁打を放った森田定雄は当ブログが「最も無名の最強打者」と呼んでいるのはご案内のとおりです。「日本プロ野球私的統計研究会」様のサイトによると、戦後はサードを守ったこともあるようですが、戦前はファーストしか守っていません。森田は昭和15年にプロ入りしました。阪急には山下実、新富卯三郎がいてレギュラーになったのは両者が抜けた今季からとなりますので「無名」な訳ですが、昭和15年には43試合で110打数34安打、打率3割9厘のハイアベレージを残しています。激しい首位打者争いとして有名な鬼頭数雄が3割2分1厘、川上哲治が3割1分1厘で、3位のカイザー田中義雄は2割9分3厘ですから規定打席には達していないものの打率3位に相当します。
岐阜商業時代は昭和11年から14年まで4年連続センバツに出場し、12試合で48打数14安打を記録しています。岐阜商業は昭和8年、10年、15年にセンバツに優勝しており、2015年は好投手高橋純平を擁して75年ぶりの優勝を狙っています。森田定雄は夏の甲子園にも2回出場しており、優勝した昭和11年も準優勝の13年も主力打者として大活躍し、10試合で37打数12安打を記録しています。春夏の甲子園通算85打数26安打、打率3割6厘を記録した戦前有数のスラッガーです。
*甲子園の記録は「選抜高等学校野球大会50年史」及び「全国高等学校野球選手権大会50年史」から手作業で集計したもので、間違っている可能性がありますのご了承ください。