10月31日 (日) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 1 0 0 0 3 阪神 41勝32敗6分 0.562 三輪八郎 仁科栄三
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 阪急 30勝50敗2分 0.375 天保義夫 高橋敏
勝利投手 三輪八郎 11勝10敗
敗戦投手 天保義夫 10勝15敗
セーブ 仁科栄三 3
二塁打 (神)金田
三塁打 (神)景浦
本塁打 (神)金田 2号
勝利打点 金田正泰 3
金田正泰、決勝ホームラン
阪急は初回、一死後上田藤夫が右前打で出塁、下社邦男は三振に倒れるが、上田が二盗に成功、四番・大平茂の三塁線セーフティバントが成功する隙を突いて二走上田が一気にホームに還り1点を先制、大平には打点が記録される。
阪神は4回、景浦将、門前真佐人が連続四球、御園生崇男が投前に送りバント、ピッチャー天保義夫が二塁に送球して一走門前はフォースアウト、しかし二走景浦の三塁進塁に対して御園生には犠打が記録された。これは珍しい記録ですね。当ブログの読者の方々であればご理解いただけるでしょう。一死一三塁となって玉置玉一の三ゴロをサード伊藤健一がエラー、この間に三走景浦がホームに還って1-1の同点とする。玉置には打点は記録されていない。
阪神は5回、先頭の武智修が四球で出塁、しかしトップに返り塚本博睦の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー、二死無走者となるが、ここで金田正泰がライトスタンドにホームランを叩き込んで2-1と勝ち越す。
阪神は6回、先頭の景浦が右中間に三塁打、門前の中犠飛で3-1とリードを広げる。
阪神は7回から先発の三輪八郎に代えて仁科栄三をマウンドに送る。
仁科は3イニングを無安打3四球無失点に抑えて今季3個目のセーブを記録する(当然、セーブは当時記録されておらず、当ブログ独自の算出となりますのでご注意ください。)。
昭和18年の大平茂の打点記録は「1」。その1点が本日の打点であった。大平は昭和19年に9打点、昭和21年にも9打点を記録してプロ野球の世界を去ることとなる。
決してホームラン打者ではない金田正泰が決勝ホームランを放った。金田の戦前のホームランは昭和17年が1本、18年が2本、19年が3本。戦後も一桁ホームランが続くが、ラビットボールが使用された昭和24年にはキャリア唯一の二桁本塁打となる10本を記録することとなる。