2026年9月6日日曜日
22年 第20節 週間MVP
2026年9月5日土曜日
22年 阪急vs大阪 14回戦
2026年9月3日木曜日
22年 巨人vs南海 11回戦
2026年9月2日水曜日
22年 太陽vs東急 11回戦
2026年8月26日水曜日
22年 金星vs中日 11回戦
2026年8月21日金曜日
「NPB式スコアの付け方」教室(上級編)
昨日は東京ドームで行われた「NPB式スコアの付け方」教室(上級編)に参加してきました。
ハヤテvs巨人戦を観戦しながら慶應式スコアを付けるというイベントです。NPB記録部長も参加されてご指導いただける貴重な機会でした。観客数は23,397人。
ややこしいプレーがなかったので順調に進みましたが、盗塁の際にストライクボールのコールを見逃しました。これは実戦でもよくあります。記録部長からもここは要注意と指摘されました。
参加は10人でしたが、約10年ぶりに旧友とばったり会いました。筆者は維持会員宛の通知メールでこのイベント開催を知りましたが、その旧友はどこで見つけたのか参加してきました。イベント終了後、新橋で飲みましたが、それまで一緒に会ったことの無かった筆者の野球仲間二人とも知り合いになったと聞いて二度びっくり。長くやっていると、こういうサプライズもあります。
巨人の158キロ右腕田村はそろそろ上に上がりませんかね。
2026年8月16日日曜日
東京裁判
昨日8月15日、伊勢佐木町のシネマリンにおいて「東京裁判」が1日限定で上映されましたので鑑賞してきました。
現在ではAmazonプライムの会員であればネット上で無料で視聴することができますが、この映画は劇場で鑑賞するべきです。スポンサーが付くとは思えませんので、テレビ放映は期待できないでしょう。
シネマリンで「満席」は初めての経験です。12日に前売り券を買っておいたので観ることができましたが、当日は入場券売切れでした。高齢者が多かったのは当然ですが、若い方も結構来ていましたね。
A級戦犯の一人で「終身禁固刑」の判決が下された当時の内大臣・木戸幸一は木戸孝正の長男です。木戸孝正は、木戸家の養子になる前、来原彦太郎の時代に岩倉使節団の一員として津田梅子や牧野伸顕らと共にアメリカ留学し、明治7年に帰国後東京開成学校に編入入学し、牧野伸顕と共にアメリカで覚えてきた野球を広めたことで知られています。
「東京裁判」は戦争犯罪を裁いたものでしたが、裁定を降した判事の中で唯一国際法に精通していたインドのパル判事は「全員無罪」を主張しました。戦勝国が敗戦国を裁くのですから有罪となることは前提でしたが、パル判事は国際法に反するとの信念を曲げませんでした。1966年の来日時に、日本政府は勲一等瑞宝章を授与して感謝の意を表しています。
2026年8月11日火曜日
31年ぶり
長く甲子園から遠ざかっていた享栄高等学校が帰ってきた。
2009年にライバル校の中京大中京を全国制覇に導いた名将大藤監督を招聘し、31年ぶりに甲子園に戻ってきたのである。
NHKの中継ではOBの金田正一を「かねだしょういち」と呼んでしまい、「かねだまさいち」さんでしたと訂正した。試合中には「卒業生」とアナウンスしていたが、こちらも試合後に「在籍していたことがある」と訂正した。
金田正一は1950年の愛知県予選に登板し、同年秋には国鉄スワローズでも登板しているので「卒業生」ではない。但し、後年になって「卒業生」として認定するケースはよく見られるので、特に問題視する必要は無いだろう。金田正一自身も、自らの原点が享栄商業時代の「走り込み」にあったことを認めている。「巨人の星」でも金田正一の「走り込み」が描かれていた。ロッテ監督就任時の初キャンプで徹底的に「走り込み」を命じて翌年の日本シリーズ制覇に導いた。金田監督の最大の功績は、全く無名だった三井雅晴をクローザーに抜擢したことであった。
Wikipediaの「享栄高等学校」には、当ブログからの引用も書かれている。当ブログの記事や写真は無断掲載が数多く認められる。ひどいものでは「ヤフオク」の出品画面に当ブログの記事を無断で掲載しているケースなども存在する。その点、Wikipediaの「享栄高等学校」編集者は、当ブログからの出典であることを明示して掲載している。敬意を表したい。
*当ブログでは、「野球人」と認定した場合は現役・OBの区別なく全て「敬称略」とさせていただいている。ご了承願いたい。
57年ぶり
横手高校は57年振りの甲子園出場。アルプスの応援席には57年前に選手として出場した古老のOBも駆け付けてNHKのアルプスリポートに登場されました。
57年前の昭和44年第51回大会決勝は、甲子園史に残る激戦として知られています。北奥羽代表三沢高校と北四国代表松山商業との決勝は延長18回引分け再試合となり、松山商業が剛腕太田を崩して優勝しました。この試合は親戚の家で全27イニングを見ていたのではっきりと覚えています。西奥羽代表横手高校の出場もおぼろげながらに覚えているような気がしますね。
公立高校と野球強豪校との差は、体格を見れば一目瞭然です。かつて全国を制した銚子商業は、現在でも千葉では上位に出てきて関東大会に駒を進めることもありますが、浦和学院との試合前の整列で体格を比べてみると、横幅は半分くらいしかない。この日の試合でも、敦賀気比の一塁手と横手高校の一塁ランナーを比べてみればその差が際立っていることに多くの方が気付いたのではないでしょうか。
結果は10対0。こんな試合は意味がないと考えるか、だからこそ意味があると感じるかは見る側の人間性の問題でしょう。
2026年8月10日月曜日
事実上の決勝戦
チケットは完売。1回戦ながら「事実上の決勝戦」とも言われた横浜vs沖縄尚学戦は7対2で横浜が完勝。
織田は力が抜けて頭が動かない軸回転のフォームに乱れはなかった。縦スラのキレは大阪桐蔭時代の藤浪以来の完成度です。打たれるとムキになって球が高めに浮く癖がありましたが、本日は常にリードを奪う展開で沖縄尚学に付け入るスキを与えなかった。
「慶應式スコア」の練習も順調に進んでいます。スリーバント失敗で刺殺がキャッチャーに記録される記入方法など、細かな点の再チェックが必要ですね。
2026年8月9日日曜日
22年 8月 月間MVP
2026年8月7日金曜日
野球の学校2026 公式記録員が教える「NPB式スコアの付け方」教室(上級編)
8月20日に東京ドームで「野球の学校2026 公式記録員が教える『NPB式スコアの付け方』教室(上級編)」が行われるので行ってきます。
「NPB式スコア」とは「慶應式スコア」のことで、現在ではほぼ全員が「早稲田式スコア」を付けていますが、プロ野球公式スコアだけは「慶應式スコア」で付けられており、当ブログがアップしているのも「慶應式スコア」を解読しているものです。
本来であれば「初級編」と「中級編」に参加していなければ「上級編」には参加できませんが、筆者が約4千試合の一リーグ時代の「慶應式スコア」を解読していることはよく知られているので、特別に参加が許されたのかもしれません。
「慶應式スコア」を解読することにかけては、NPB公式記録員を除けば日本で最も詳しいと思っていますが、実際の試合を見ながら「慶應式スコア」を付けるのは結構大変です。最も苦労するのは、1球毎に老眼鏡を外したり付けたりしながらスコアを付けることです。18イニング両手をフル稼働させなければなりません。
取り敢えず、本日の甲子園第4試合のスコアを「慶應式」で付けてみました。8月20日までもう少し時間がありますので、予習をしておきます。当日は実際の試合を観ながら「慶應式スコア」を付けるというイベントです。東京ドームの公式記録員がスコアを付ける記録室も見学できるというのが最大の魅力です。
2026年8月6日木曜日
22年 南海vs太陽 15回戦
2026年8月2日日曜日
訂正のお知らせ
7月22日付けブログ「巨人vs東急 12回戦」において、白木義一郎の勝敗数を「15勝9敗」とお伝えしていていましたが、「15勝19敗」の間違いでしたので、お詫びして訂正いたします。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
2026年7月31日金曜日
22年 中日vs大阪 13回戦
2026年7月24日金曜日
「2-4-3IP」
昭和22年8月31日、後楽園の第1試合巨人vs東急戦、1回表巨人の攻撃。二死満塁の場面で「2-4-3IP」により三走田中資昭にスリーアウト目が記録された。
スコアカードの記載を解説すると、キャッチャー鈴木圭一郎が二塁に送球して三走田中資昭がファースト熊耳武彦の守備を妨害して「イリーガルプレー」が記録されたことになる。
この試合の熊耳の刺殺数を確認しても、このプレー以外の刺殺は6個で、この試合の熊耳の刺殺数は7個なので、このプレーで熊耳に刺殺が記録されたことは間違いない。
公認野球規則によると、
「走者が野手を妨害してアウトが宣告された場合ーーー妨害された野手に刺殺を与える。」
とされている。
筆者が見ている公認野球規則は「9.09(C)(6)」であるが、公認野球規則は毎年更新されるので最新版では「条ずれ」が生じているはずである。
「2-4-3IP」は田中資昭のスリーアウト目に記録されているので、三走田中の守備妨害によりファースト熊耳に刺殺が記録されたことは間違いない。
二走川上が離塁したのは、ディレードスチールを仕掛けたのかと考えられるが、川上の離塁を見てキャッチャー鈴木圭一郎は二塁ベースカバーに入ったセカンド苅田久徳に送球した。その後に三走田中がホームに走り、ファースト熊耳の守備を妨害して田中にインターフェアが宣告されてスコアカードには「イリーガル(I.P.)」が記載された。
キャッチャー鈴木圭一郎が二走川上の離塁を見て二塁に送球し、川上が二三塁間に挟まれた際、ファースト熊耳は、二死満塁の場面なので、一塁走者は無視してホームベースカバーに走った。三走田中は二三塁間挟殺プレーの隙を見てホームに突っ込んだが、ファースト熊耳が三本間に陣取っており、セカンド苅田から熊耳に送球されて、田中が熊耳に体当たりして守備妨害を取られたということか。この際、キャッチャー鈴木圭一郎はホームベースをカバーしており、ファースト熊耳は三走田中の動きを警戒し、一塁の守備位置から走って来て三本間の挟殺プレーに備えて三塁ベース寄りにポジションを取っていたと考えられる。
三走田中は二走川上の動きを見ながらスタートを切り、セカンド苅田は二走川上を追いながら横目で三走田中を警戒していたので、田中がスタートを切ると三本間のカバーに入っていたファースト熊耳に送球し、熊耳がセカンド苅田からの送球を受けた際に三走田中がぶつかってきて落球したが、守備妨害を宣告されて、スコアカードにはイリーガルプレー(I.P.)と記載されたと考えられる。
ファースト熊耳はキャッチャー鈴木圭一郎の後ろに入って挟殺プレーが続くケースに備える手もあったが、熊耳は鈴木とキャッチャーを交互にやっているので本塁守備には慣れており、自分が先に三本間の挟殺プレーに備えて鈴木の前に陣取ったと考えられる。
この試合が後楽園であれば公式記録員山内以九士が状況を「雑記」欄に記載しているはずだが、甲子園の試合ではほとんど「雑記」欄に記載されることはないので、「2-4-3IP」でファースト熊耳に刺殺が記録されて三走田中がアウトになったケースとしては上記のプレーが考えられるのである。
*スコアカードには田中資昭のスリーアウト目が「2-4-3IP」と記載されている。画像では見ずらいと思うが、拡大鏡で確認しているので間違いない。
2026年7月22日水曜日
22年 巨人vs東急 12回戦
2026年7月20日月曜日
専松vs商大付属
本日の千葉県予選5回戦は専修大学松戸高校(以下「専松」)と千葉商科大学付属高校(以下「商大付属」)が対決。
Cシードの商大付属がAシードの専松に挑んだ試合は2対1で専松が地力の差を見せましたが、商大付属の健闘に拍手。
筆者の実家は市川市の北側、千葉県市川市国分4丁目(当時は国分町1965)で、商大付属までは歩いて10分もかからない。専松はその北方で、筆者から見れば地元対決になります。
現在では千葉では木更津総合と並んで甲子園常連校となった専松ですが、甲子園出場は商大付属の方が早かったことはあまり知られていないと思うので説明しよう。
1982年センバツ、剛腕平沼を擁して甲子園初出場を果たしました。筆者の実家の前の道で「チャカチャカ」と音がしてくると、「商大付属の野球部の連中だな」と分かりました。アスファルトの道をスパイクでランニングしていたようです。当時は商大付属も専松も甲子園に行けるとは思ってもみなかった時代でしたが、平沼定晴が出てきた時は地元でも「行けるか」の声が高まっていました。社会人2年目で仕事も忙しくなってきた時期だったので球場に行くことはなかったですが、思ってもみなかった甲子園初出場を誇らしく思ったのはいい思い出です。
平沼の名前が全国区になったのは中日からロッテ移籍後のこと。清原の内角に投げたツーシームが清原の肘に当たり、激高した清原が平沼にバットを投げつけて向かってきます。平沼はひるむことなく清原に向かって突進、清原も負けじと平沼にフライングニ―ドロップ、と思った瞬間清原も「まずい」と思ったか体を反転させてヒップドロップとなって平沼がひっくり返りました。
清原が体を反転させずに「ひざ蹴り」が平沼に直撃していたらとんでもないことになっていたでしょう。平沼が重症だったら清原は引退を迫られたかもしれません。清原の「防衛本能」とたぐい稀な「運動神経」が大惨事を免れた要因でした。
翌日、清原が謝罪に来ましたがロッテのベテラン陣に怒鳴り付けられて直接の謝罪はできなかったようです。後年、テレビ番組で清原が謝罪して、今では仲の良いコンビになっていますね。
名将持丸監督を招聘して今では甲子園常連校となった専松、共学校に変わって水泳では何人もオリンピック選手を輩出している商大付属、時代が変わって今では筆者も横浜に住んでいますがチバテレは見ることができます。高校野球は千葉ですね。
ということで、本日までは商大付属を応援していましたが、明日からはベスト8に進んだ専松の応援に専念できることになりました(笑)。
2026年7月18日土曜日
訂正のお知らせ
2025年11月16日付けブログ「22年 7月 月間MVP」において、打撃部門受賞の森下重好について「初受賞」とお伝えしていましたが、森下重好は21年 5月にも受賞していますので、「通算2度目」に訂正させていただきます。
読者の方からのご指摘で訂正することが多いですが、これは自分で気が付きました。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
2026年7月17日金曜日
22年 阪急vs金星 15回戦
2026年7月12日日曜日
22年 東急vs太陽 10回戦
2026年7月11日土曜日
22年 阪急vs中日 12回戦
2026年7月10日金曜日
22年 南海vs巨人 10回戦
2026年7月8日水曜日
22年 大阪vs金星 11回戦
2026年7月7日火曜日
22年 東急vs南海 15回戦
2026年7月5日日曜日
22年 中日vs金星 10回戦
2026年7月2日木曜日
22年 巨人vs太陽 12回戦
2026年6月30日火曜日
22年 大阪vs阪急 13回戦
2026年6月27日土曜日
22年 巨人vs南海 9回戦
2026年6月25日木曜日
22年 太陽vs東急 9回戦
2026年6月23日火曜日
22年 第19節 週間MVP
2026年6月21日日曜日
日刊スポーツ マイクロフィルム
スポーツ紙では最も歴史が古い「日刊スポーツ」は昭和21年3月創刊です。
そして、創刊以降の全ての記事をマイクロフィルムで閲覧することができますので、昭和21年~24年の実況中継は「日刊スポーツ」の記事で検証することが可能です。
昨日付けブログで「安井鍵太郎は2015年の訃報で97歳の長寿だったと報道された。」と書きましたが、筆者が横浜市中央図書館で2015年11月11日の記事を「日刊スポーツ」マイクロフィルムで閲覧して確認しています。
スポーツ紙のマイクロフィルムは、横浜では「日刊スポーツ」だけ閲覧できますが、他紙もマイクロフィルム化されているようなので、全国の図書館でご確認ください。但し、昭和21年~24年の記事は創刊が古い「日刊スポーツ」しか無いかもしれません。
横浜市中央図書館で調べ物をする際は、近くにある横浜を代表する町中華の「三幸苑」、スパイスの効いた「キクヤカリー」や「ムムムカリー」でランチしてから行くのがお勧めです。