2011年1月31日月曜日

13年春 セネタースvs金鯱 3回戦

6月26日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 4 0 1 0 0 0 0 5 セネタース 10勝13敗1分 0.435 浅岡三郎
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 金鯱       8勝17敗       0.320 鈴木鶴雄


勝利投手 浅岡三郎 5勝7敗
敗戦投手 鈴木鶴雄 0勝5敗


二塁打 (セ)綿貫、磯野、苅田
三塁打 (セ)尾茂田


浅岡三郎、3安打ピッチング


 金鯱は初回、先頭の五味芳夫が四球で出塁、江口行男が中前打で続き瀬井清が送って小林茂太四球で一死満塁、鈴木鶴雄が左犠飛を打ち上げて1点を先制する。

 セネタースは3回、一死後磯野政次が右中間に二塁打、トップに返り苅田久徳が左前にタイムリーを放って1-1の同点、バックホームの隙を突いて苅田は二塁を陥れる。伊藤次郎の遊ゴロをショート岡野八郎がエラーする間に苅田は二塁からホームに生還して2-1と逆転。今季MVPに輝くこととなる苅田久徳は成績的には大した数字ではないが、数字に表れないこう言うそつのない走塁も評価されたのである。続く北浦三男の二ゴロをセカンド江口が一塁に悪送球して一死一二塁、尾茂田叶が右中間に三塁打を放ち4-1とリードを広げる。

 セネタースは5回、この回先頭の苅田が左中間に二塁打、伊藤の遊ゴロをショート岡野が一塁に悪送球して無死一三塁、伊藤が二盗を決め、キャッチャー岡田源三郎監督のパスボールで苅田が還って5-1とする。

 浅岡三郎は6回以降無安打ピッチング、7回以降の3イニング連続を含め三者凡退が5回という安定ぶりで結局3安打3四球無三振の完投で5勝目をあげる。

13年春 ライオンvs金鯱 4回戦

6月26日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ライオン 7勝17敗 0.292 菊矢吉男 近藤久
1 0 0 3 0 1 4 0 X 9 金鯱    8勝16敗 0.333 中山正嘉


勝利投手 中山正嘉 5勝5敗
敗戦投手 菊矢吉男 7勝12敗


二塁打 (ラ)中野


岡田源三郎御大が3打点


 ライオンは初回、先頭の鬼頭数雄が右前打、坪内道則が左前打を放って無死一二塁、水谷則一は中飛に倒れて一死一二塁、四番桜井七之助の中飛に二走鬼頭はタッチアップから三塁を狙うがセンター佐々木常助からの送球に刺されてタッチアウト。2回は一死後原一朗の投飛をピッチャー中山正嘉がエラー、続く菊矢吉男の当たりは右前に飛ぶがライト小林茂太から二塁ベースカバーのショート岡野八郎に送られ一走原はフォースアウト、ライトゴロが記録されて二死一塁、柳澤騰市が右前打でつなぐが中野隆雄は右飛に倒れる。3回も先頭の鬼頭が中前打、坪内四球で無死一二塁とするが水谷の投ゴロを中山は三塁に投げて二走鬼頭がフォースアウト、サード五味芳夫は一塁に転送して打者走者水谷もアウトとなり、現代では草野球ぐらいでしか見られなくなった1-5-3と渡るゲッツーとなりチャンスを潰す。

 金鯱は初回、先頭の五味が中前打、江口行男も右前打で続いて無死一二塁、瀬井清の遊ゴロで江口が二封されて一死一三塁、ここでピッチャー菊谷のワイルドピッチが飛び出し1点を先制する。

 金鯱は4回、この回先頭の瀬井が四球で出塁、小林茂の投ゴロは1-6-3と転送されるがショート中野の一塁送球が高く逸れる間に小林茂は二塁に進み一死二塁、中山四球、武笠茂男の一ゴロをファースト桜井が失して一死満塁、岡野が押出し四球を選んで2-0、ここでこのところ出ずっぱりの岡田源三郎監督が右前にタイムリーを放って二者を迎え入れて4-0とする。

 金鯱は6回、岡野右翼線ヒット、岡田御大四球から佐々木が左前にタイムリーを放って5-0と。更に7回、瀬井四球、小林茂右前打、中山四球で無死満塁、武笠の二ゴロの間に瀬井が還って6-0、岡野の三ゴロをサード柳澤がバックホームするが間に合わず野選となって7-0、岡田監督の二ゴロの間に三走中山が還って8-0、二走岡野が三盗を決めて二死三塁、佐々木の二ゴロをセカンド大友一明が失して9-0とする。

 中山正嘉は序盤は安定実を欠いていたがライオンの拙攻、拙走に助けられて無失点で切り抜けると4回以降は岡田監督の巧リードに応えて2安打に抑える好投、結局6安打2四球3三振の完封で今季5勝目をあげる。中山は金鯱入団時、岡田監督自らミットを持って指導してもらった恩義を忘れず、昭和12年春季リーグ戦7月10日にも相原輝夫の怪我で急遽岡田監督がマスクを被った試合でタイガースを完封している。

 岡田源三郎監督は3打数1安打3打点の活躍、後楽園では16歳の西沢道夫が初勝利をあげたが甲子園では42歳の岡田源三郎が3打点をあげた。

木樽と言えば阿天坊

 習志野が登場すれば銚子商業が登場せざるを得ません。銚子商業が全国にその名を轟かせたのは矢張り昭和40年の夏の甲子園準優勝でしょう。上田(後に南海)を擁して原監督(巨人の原監督の親父)率いる三池工業に決勝で敗れはしましたが、剛腕木樽(後にロッテでMVP)を擁して決勝まで進出しました。


 この時のショート(サード説もありますが私の記憶ではショート)が阿天坊です。当時の千葉県の小学生で阿天坊の名前を知らなければモグリです。千葉県以外の野球少年にもこの名前は印象的だったようで、現在の職場の同僚にも「木樽と言えば阿天坊」で通じる人がいます。


 小学校一年生の時のことです。まだプロ野球の記憶はありません(最初の記憶は堀内のルーキーシーズンなのでこの一年後のことです)ので、私の野球事始めが阿天坊だったわけです。まさに千葉県の野球少年にとっては夢のような時代でした。この二年後に習志野が全国優勝、千葉県予選では習志野以上に銚子商業のライバルだった成東高校との激闘。銚子商業の根本(後に日石、大洋)と成東の鈴木孝政(後に中日)との投げ合いこそ、千葉県高校野球史上不滅の名勝負でした。


 昭和48年のセンバツ1回戦では銚子商業の飯田投手と土屋(2年)が打たれて報徳学園に16対0の大敗を喫しました(記憶のまま。泣きながらテレビを見ていましたのでスコアまで覚えているはずですが違っていたらお許しください)。この夏、作新学院の江川を倒します。九番ライト多部田選手の顔面血だらけの本塁突入もこの試合です。あれは明らかに小倉捕手のインターフェアでした。この試合は作新サイド、江川サイドから書かれているものが圧倒的多数ですので、当ブログでは徹底的に銚子商業サイドから追及していく所存です。勝負を決めた延長12回、外角高めのボール球に食らいつくようにバットを出してセンター前に運んだ多部田選手の執念がサヨナラ劇を生んだものです。


 この後昭和49年、50年の銚子商業、習志野による二年連続全国制覇をピークに千葉県高校野球バブルは崩壊し、失われた35年が経過しました。木樽、阿天坊の準優勝から土屋の優勝まで、私の十代は銚子商業と共にあったと言っても過言ではありません。

 2チャンに「1960年代の高校野球を語ろう」というスレがあり、大宮工業がセンバツで優勝した時、「ちなみに吉沢投手の仕草は当時埼玉の少年がよく草野球で真似をしてたらしい 」という書き込みがあります。千葉では阿天坊、埼玉では吉沢投手(後に慶大では三塁)。全国47都道府県には47人の阿天坊がいるのでしょうね。




*阿天坊俊明氏はプロに進んでいませんので呼び捨ては大変失礼ですが、全体の文章の流れから敬省略とさせていただいております。ご了承ください。


          *甲子園準優勝時のサインボール




          *こちらは斎藤監督


*当時のアサヒグラフに掲載された阿天坊と木樽。(2020年6月6日追加)



2011年1月30日日曜日

早撃ちマック

 阪急vsジャイアンツ戦では森弘太郎が二つの牽制を決めて勝利をものにしました。牽制で勝利をものにすると言えば、昭和42年夏の甲子園を制した習志野高校を語らずにはいられません。

 習志野のエース石井はよくランナーを出しましたが、悉く牽制で刺しまくりました。付いたあだ名が「早撃ちマック」。準決勝の中京戦では四つの牽制を決めたそうです。二塁牽制は醍醐捕手(阪急・南海の醍醐、東京オリオンズ・ロッテオリオンズの醍醐ではありません)とのサインプレーだったそうです。

 決勝の広陵戦は覚えています。広陵の宇根投手のファン(マウンド上で、左手でボールをスピンさせながら上に放り投げる癖が印象的でした)だったので複雑な心境でした。初回に三番池田(後に慶大、その後は日石だったのではないかと思いますが確かではありません)が先制ツーランを放ったことは各種サイトで確認できますが、私が印象に残っているのは、トップバッターがまだサイレンの余韻が残っている初球を叩いて出塁したことです。三塁線を破ったと記憶していますが確かではありません。初回の先制攻撃で波に乗り、千葉県勢初の全国優勝を達成しました。優勝パレードは市川駅前から始まったのですが、残念ながら見に行っていません。夏休みは神戸の祖父母宅に行っていることが多かったので、市川にはいなかったのではないかと思います。

 石井投手は後に習志野の監督となり、昭和50年に小川(現東京ヤクルトスワローズ監督)を擁して、前年の銚子商業に続いて全国優勝を達成しています。小川もピンチを牽制で切り抜けましたが、もちろん石井監督直伝です。選手及び監督として夏の甲子園を制したのは石井氏が最初のようです。まだ「ならしの」と読んでもらえず、「しゅうしの」と呼ばれていた頃の物語です。
  

13年春 阪急vsジャイアンツ 4回戦

6月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 3 1 0 0 4 阪急      14勝9敗 0.609 小田野柏 森弘太郎
0 2 0 0 0 0 0 1 0 3 ジャイアンツ 18勝7敗 0.720 スタルヒン 前川八郎


勝利投手 森弘太郎   4勝2敗
敗戦投手 スタルヒン 11勝1敗


二塁打 (阪)西村
本塁打 (ジ)吉原 3号  (阪)黒田 3号


森弘太郎、二度の牽制でジャイアンツを倒す


 ダブルヘッダーの第二試合となる阪急は、病気療養後リリーフでしか投げていない小田野柏が5月22日以来の先発、今季11連勝無敗のスタルヒンに挑む。第一試合の名古屋戦の先発は石田光彦で小田野をジャイアンツ戦にぶつけてきたと言うことは、阪急首脳陣が最も信頼しているのが小田野なのであろう。一昨日は同じルーキー高橋敏が完封しており、小田野も久しぶりの先発に燃えているであろう。

 ジャイアンツは初回、先頭の呉波、水原茂が連続四球、しかし呉の三盗をキャッチャー大原敏夫が刺して三番に上がった伊藤健太郎は右飛、四番中島治康も右飛に倒れてチャンスを逸す。続く2回、二死から永澤富士雄が四球で出塁、続く吉原正喜が左翼スタンドに第3号を叩き込んで2点を先制する。

 阪急は6回、この回先頭の山下実が左翼線にヒット、4回の守備から山下好一に代わってレフトに入っているフランク山田伝が右前打、上田藤夫の一塁線送りバントが内野安打となって無死満塁、宇野錦次の三ゴロの間に三走山下実が還り1-2としてなお一死二三塁、続く大原の二ゴロで三走山田がホームを突くとセカンド千葉茂はバックホーム、これが悪送球となる間に二走上田も生還して3-2と逆転に成功する。

 ジャイアンツは6回、千葉茂と永澤の中前打で二死一二塁とすると阪急は小田野に代えて森弘太郎をマウンドに送る。森は二塁牽制で千葉を刺してピンチを凌ぐ。

 阪急は7回、この回先頭の黒田健吾が左翼スタンドに第3号を叩き込んで4-2としてスタルヒンをKO、前川八郎が二番手で登場する。

 ジャイアンツは8回、この回先頭の水原が遊失に生き、伊藤が中前打を放って無死一二塁、しかしここでも水原が森の二塁牽制に刺されて一死一塁、中島捕邪飛後千葉が四球を選んで二死一二塁、白石敏男の三ゴロをサード黒田が悪送球する間に伊藤が還って3-4と追い上げる。

 ジャイアンツは最終回、この回先頭の吉原が中前打で出塁、前川も右翼線ヒットで続き呉が送って一死二三塁、水原四球で一死満塁、しかし伊藤は三邪飛、中島も中飛に倒れて阪急はジャイアンツ戦に連勝する。

 ジャイアンツは呉波が二度の盗塁失敗、6回には千葉茂が森弘太郎の二塁牽制に刺され、8回にも水原茂が森の二塁牽制に刺された。主砲中島治康が5打数無安打、全てフライアウトに抑えられたことも敗因となった。

 公式記録ではリリーフの森弘太郎が勝利投手となって今季4勝目、現行ルールでは勿論小田野柏が勝利投手となる。一方、スタルヒンは今季初黒星。開幕からの連勝記録は昨秋の御園生崇男と並ぶ11でストップする。



*水原と千葉が森弘太郎の牽制に刺されたシーン。6回の千葉茂は二死一二塁で「1-4」と森から二塁ベースカバーに入ったセカンド宇野錦次に送られてタッチアウトで3アウトチェンジ。永澤富士雄沢の打席の下に波線がありますが、ここで先発の小田野柏から森弘太郎に交代したことを表します。8回の水原茂は無死一二塁で「1-6」と森から二塁ベースカバーに入ったショート上田藤夫に送られてタッチアウト。

13年春 阪急vs名古屋 4回戦

6月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 阪急   13勝9敗   0.591 石田光彦
0 0 0 0 0 1 0 2 X 3 名古屋 8勝18敗 0.308 西沢道夫


勝利投手 西沢道夫 1勝1敗
敗戦投手 石田光彦 3勝4敗


二塁打 (名)西沢


少年投手西沢道夫、プロ入り初勝利を飾る


 ダブルヘッダーの第二試合となる名古屋は西沢道夫がプロ入り初先発。一方、この後の第二試合でジャイアンツ戦を控えている阪急は石田光彦が先発。名古屋はここ2試合で3安打と打撃不振が続いている。桝嘉一、石田政良がバットマンレース第一位、二位を占めていたころの勢いは今いずこ。

 西沢は初回一死後黒田健吾を四球で歩かせるが、黒田の盗塁を先輩キャッチャー三浦敏一が刺してくれて気が楽になったようだ。2回二死後上田藤夫に左前打を許すが3回以降6回まで4イニング連続三者凡退に抑える。ここまでの影のヒーローは三浦である言える。

 怪人投手石田も16歳の少年投手に負けるわけにはいかず、5回まで大沢清に許した右翼線ヒット一本に抑える。

 名古屋は6回、この回先頭の西沢道夫が左中間に二塁打を放って出塁、九番に下がった石田政良が送って一死三塁、トップに返り桝嘉一がセンター右にタイムリーを放って1点を先制する。

 7回まで1安打の阪急は8回、唯一のヒットを放っている上田が二本目のヒットを左前に放ち無死一塁、宇野錦次も左前打で続き無死一二塁、大原敏夫が送って一死二三塁、石田光彦がライトにフライを打ち上げて三走上田がタッチアップからホームインして1-1の同点とする。二走宇野もタッチアップから三塁を狙うが、ライト白木からの返球を受けた中継のセカンド鈴木秀雄はホームは間に合わないと判断してサードに送球して宇野を刺すファインプレー。ここで宇野の三進を許していればこの後の展開は違っていた可能性もあるだけにこの好判断は大きい。因みに二三塁で右翼フライの場合、バックホームの中継にはファーストかセカンドが、バックサードの中継にはショートが入るのでライト白木は最初からホームをあきらめて二走宇野を刺そうと考えたのではなくバックホームを狙ってセカンド鈴木に返したが、鈴木がホームは無理と判断してバックサードに切り替えたものと推認できる。

 名古屋は8回裏、この回先頭の桝嘉一が左前打で出塁、鈴木秀雄の送りバントはキャッチャー前で止まりキャッチャー大原は二塁に送球するがこれが悪送球となり無死一二塁、二塁はタイミングはセーフと判断されたため鈴木の記録は捕ゴロとなり犠打は記録されていない。大沢の一塁線バントが内野安打となり無死満塁、このチャンスに四番白木が左翼線にタイムリーを放って二者を迎え入れて3-1と勝越しに成功する。なおも倉本信護が送って一死二三塁、三浦がセンターにフライを打ち上げて三走大沢がタッチアップからホームを突くがセンタージミー堀尾文人からのバックホームに刺されてダブルプレーとなりチェンジ。鈍足大沢と強肩堀尾の対決は堀尾に凱歌が上がった。

 西沢は最終回、一死後黒田に四球を与えるが後続を抑えてプロ入り初先発を3安打3四球1三振の完投で飾りプロ入り初勝利をあげる。

 西沢道夫は戦争で肩を痛めて戦後は打者に転向して大成することとなる。中日球団史上、右打者としては江藤慎一と並ぶ双壁である。本日先制のホームを踏んだ二塁打に片鱗が窺われる。養成選手として入団してこの時満16歳(現代に換算すれば高校二年生)での快挙であった。




*少年投手の面影は無いが、中日監督時代のカバヤ・リーフのベースボールカード


2011年1月29日土曜日

13年春 イーグルスvs名古屋 5回戦

6月26日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 0 0 0 0 0 1 3 イーグルス 13勝10敗1分 0.565 亀田忠
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1           名古屋 7勝18敗       0.280 森井茂


勝利投手 亀田忠 9勝4敗
敗戦投手 森井茂 3勝7敗

本塁打 (イ)寺内 2号

亀田忠、三試合連続1安打ピッチング


 イーグルスは剛球亀田忠、名古屋はスローボーラー森井茂の先発。興味深い対決となった。

 イーグルスは初回、先頭の寺内一隆が左翼スタンドにホームランを放ち1点を先制する。更に3回、この回先頭の漆原進の投ゴロを森井がエラー、中根之の二ゴロで漆原は二進、バッキー・ハリスの遊ゴロをショート村瀬一三が一塁に悪送球する間に漆原が還って2-0とする。

 名古屋は初回、先頭の桝嘉一が四球で出塁するが二番鈴木秀雄は送れず三振、大沢清の投ゴロは1-6-3と渡るゲッツー。名古屋は4回、この回先頭の鈴木が四球で出塁、亀田の牽制が逸れて鈴木は二塁に進む。大沢清は投ゴロ、白木一二の遊ゴロの間に鈴木が三進して二死三塁、倉本信護が中前にタイムリーを放って1-2とする。

 イーグルスは9回、一死後漆原が中前打で出塁、寺内の三ゴロの間に漆原は二進、中根が右前にタイムリーを放って3-1とする。

 名古屋打線は5~8回まで三者凡退の連続。名古屋は9回、桝、鈴木、大沢が四球を選び無死満塁、しかし四番白木は三振に倒れ、続く倉本信護の遊ゴロが6-4-3と渡るゲッツーとなりゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 亀田忠は1安打6四球6三振、失点は1であるが自責点はゼロ。これで三試合連続1安打ピッチングとなり、ここまで29イニング連続自責点ゼロを続ける。

訂正のお知らせ

 1月22日にアップしました名古屋vsジャイアンツ3回戦(後楽園、6月18日(土))で名古屋の敗戦投手森井茂の勝敗を3勝5敗としていましたが、3勝6敗の間違いでしたのでお詫びして訂正させてただきます。
 本文は訂正済みです。

13年春 阪急vs名古屋 3回戦

6月24日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 0 0 0 4 6 阪急   13勝8敗   0.619 高橋敏
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋  7勝17敗 0.292 繁里栄 松尾幸造


勝利投手 高橋敏 1勝0敗
敗戦投手 繁里栄 1勝3敗


三塁打 (阪)山下実


高橋敏、プロ入り初勝利を完封で飾る


 阪急は3回、この回先頭の大原敏夫が右前打で出塁、高橋敏の投前送りバントをピッチャー繁里栄が失して犠打エラーが記録されて無死一二塁、トップに返り西村正夫が三前に送りバントを決めて、二死後ジミー堀尾文人が左翼線に快打を放ち二者を迎え入れて2点を先制する。

 繁里は5回でマウンドを降りて6回から松尾幸造が登場。松尾は8回まで阪急打線を無得点に抑える。

 阪急は9回、この回先頭の宇野錦次が右翼線にヒット、大原が送って高橋遊ゴロで二死三塁、西村の当りは投ゴロでチェンジかと思われた瞬間松尾がエラーして3-0、黒田健吾中前打で二死一二塁、堀尾は三ゴロに倒れて今度こそチェンジかと思われたがこれをサード倉本信護が一塁に悪送球する間に二者相次いでホームに還り5-0、続く山下実監督が左中間に三塁打を放って6-0として試合を決める。

 ルーキー高橋敏は名古屋打線を寄せ付けず、4回に桝嘉一の三塁内野安打と大沢清のセンター右へのヒットを許したのみ、5回も無死から三浦敏一、倉本に連続四球を与えるが後続を断ち、結局2安打4四球6三振の完封でプロ入り初勝利をあげる。

 繁里栄は5回を2失点ながら自責点ゼロ、尤もこれは自らのエラーが絡んでいるためであるが、松尾幸造は自らのエラーもあったが4回を4失点自責点ゼロ、名古屋は守備の乱れで自滅した。
第二試合のジャイアンツvsイーグルス4回戦は雨のため順延された。

2011年1月28日金曜日

13年春 ジャイアンツvsライオン 5回戦

6月21日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 1 1 0 0 1 0 1 4 ジャイアンツ 18勝6敗    0.750 川上哲治 前川八郎
0 0 0 0 1 0 0 2 0 0 3 ライオン      7勝16敗 0.304 近藤久 菊矢吉男


勝利投手 前川八郎 4勝2敗
敗戦投手 菊矢吉男 7勝11敗


本塁打 (ジ)吉原 2号 (ラ)鬼頭 2号


中島治康、首位打者に躍り出る


ジャイアンツは1回2回と三者凡退、3回一死から吉原正喜が四球に歩くが川上哲治の二ゴロで4-6-3のダブルプレー。ライオンは1回2回と先頭バッターがヒットで出塁するが後続無く無得点。

 ジャイアンツは4回、この回先頭の一番野村高義が四球で出塁、一死後水原茂左前打で一二塁、二死後伊藤健太郎がセンター右にタイムリーを放って1点を先制する。更に5回、二死から吉原がレフトスタンドに第2号ホームランを放ち2-0とする

 ライオンは5回裏、こちらも二死から鬼頭数雄がライトスタンドに第2号ホームランを叩き込んで1-2とする。

 ジャイアンツは8回、一死後白石敏男が左前打で出塁、水原の三ゴロでランナーが入れ替わり水原は二盗、続く中島治康が左翼線にタイムリーを放って3-1とする。

 ライオンは8回裏、この回先頭の近藤久に代わる代打菊矢吉男が中前打で出塁、一死後坪内道則中前打、水谷則一四球で一死満塁、ジャイアンツはここで先発川上をあきらめ前川八郎を投入、桜井七之助の二ゴロは4-6-3と渡るが一塁はセーフ、この間に三走菊谷に続いて二走坪内も快足を飛ばしてホームを駆け抜け3-3の同点に追い付く。ライオンは9回から菊谷が登板する。

 ライオンは9回裏、一死後原一朗が中前打を放ち二盗に成功、中野隆雄四球で一死一二塁、しかし柳澤騰市に代わる代打室井豊、菊谷が連続三振に倒れてゲームは延長戦にもつれ込む。

 ジャイアンツは10回、一死後呉波が四球で出塁、二死後水原が中前打、中島がライト前にタイムリーを放って4-3とリードを奪う。

 ジャイアンツは10安打を放ち、その内二~五番までが2安打ずつ。一方ライオンは8安打を放つも一番鬼頭数雄・5打数3安打、及び六番原一朗・4打数3安打に集中しており三四番がノーヒットと打線が分断された。

 中島治康は第三打席まで凡退を続けるが、8回の第四打席でタイムリー、10回の第五打席では決勝タイムリーを放って今季通算98打数37安打3割7分8厘として名古屋・石田政良の3割7分2厘を抜いて首位打者に躍り出る。



13年春 名古屋vsセネタース 4回戦

6月21日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 1 2 0 0 0 0 4 名古屋    7勝16敗       0.304 松尾幸造 西沢道夫
0 0 1 0 1 0 2 2 X 6 セネタース 9勝13敗1分 0.409 遠藤忠二郎 金子裕 浅岡三郎


勝利投手 浅岡三郎 4勝7敗
敗戦投手 西沢道夫 0勝1敗


二塁打 (セ)北裏、苅田
本塁打 (セ)苅田 5号


苅田久徳、第5号ホームラン


 名古屋は3回、この回先頭の松尾幸造が中前打で出塁、村瀬一三が四球を選んで無死一二塁、トップに返り現在首位打者の石田政良には強攻策、石田は期待に応えて左翼線に先制タイムリーを放ち1-0とする。

 セネタースは3回裏、この回先頭の苅田久徳が左翼スタンドにホームランダービー独走となる第5号を叩き込んで1-1の同点とする。

 名古屋は4回、この回先頭の倉本信護が左翼線にヒット、小島茂男の投ゴロで倉本は二進、パスボールで三進、二死後村瀬が中前にタイムリーを放って2-1とする。2010年の斎藤佑樹君同様ジャイアンツの花の13年組ばかりに話題が集中しているが、名古屋のルーキー村瀬一三も頑張っている。同ポジションのライバル、イーグルスの山田潔よりバッティングは上である。

 セネタースは5回から先発遠藤忠二郎に代えて二番手に金子裕を投入するがこれが大誤算となった。名古屋は5回、鈴木秀雄投ゴロ、桝嘉一三ゴロで簡単にツーアウトとなるが、大沢清が四球を選ぶと三浦敏一、倉本と四球が続き二死満塁、小島が押出し四球、松尾も押出し四球と5連続四球で4-1、今季ここまで安定した投球を続けてきた金子裕が去年に戻ってしまった。セネタースは金子を降ろして三番手に浅岡三郎を投入、これが成功することとなる。

 セネタースは5回裏、二死から北浦三男が四球を選び二盗に成功、尾茂田叶が左前打にタイムリーを放って2-4とする。更に7回、この回先頭の苅田が四球で出塁、伊藤次郎の遊ゴロでランナーが入れ替わり、北浦の左翼線二塁打で一死二三塁、名古屋は松尾幸造から西沢道夫にスイッチ、尾茂田四球で一死満塁、家村相太郎押出し四球で3-4、浅岡の三塁内野安打で4-4の同点に追い付く。

 セネタースは8回、一死後苅田が右中間に二塁打、更に三盗を決めて一死三塁、伊藤は投ゴロに倒れるが北浦が左前にタイムリーを放って5-4と逆転、北浦が二盗を決めて二死二塁、尾茂田の投ゴロをピッチャー西沢が一塁に悪送球する間に北浦が生還して6-4とする。

 浅岡三郎はリリーフに出てから4回3分の2を投げて2安打2四球1三振無失点の好投を見せ、4勝目をあげる。

2011年1月27日木曜日

13年春 阪急vsタイガース 5回戦

6月19日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 3 0 0 3 7 阪急     12勝8敗 0.600 森弘太郎 小田野柏 石田光彦 宮武三郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 タイガース 17勝4敗 0.810 御園生崇男


勝利投手 森弘太郎     3勝2敗
敗戦投手 御園生崇男 6勝1敗


二塁打 (阪)山下実


阪急、四投手で完封リレー


 第一試合を控え中心で圧勝したタイガースはベストメンバーで阪急戦に挑む。

 阪急は初回、先頭の西村正夫が左前打で出塁、黒田健吾が送ってジミー堀尾文人の三塁内野安打で一死一三塁、山下実の一ゴロで三走西村がスタート、ファースト松木謙治郎からバックホームされるが間に合わず野選となって1点を先制する。

 阪急は6回、この回先頭の黒田の三ゴロをサード伊賀上良平が一塁に悪送球、堀尾の二ゴロでランナーが入れ替わり、山下実が右中間に二塁打を放って堀尾を迎え入れて2-0、山下好一の二遊間内野安打で一死一三塁、ここで上田藤夫がスクイズを決めて3-0、宇野錦次の左飛をレフト景浦将がエラーする間に山下好一が還って4-0とリードを広げる。

 阪急は9回、この回先頭の宇野が左前打で出塁、一死後小田野柏が四球、西村が送って黒田の遊ゴロをショート岡田宗芳がエラーする間に宇野が還って5-0、堀尾の左前打をレフト景浦が再度エラーして二者還って7-0と突き放す。

 阪急先発の森弘太郎は6回3分の2を無失点、阪急は小田野柏、石田光彦、宮武三郎と四人で継ないでタイガースを零封する。

 第一試合ではレギュラーを5人外して18得点をあげたタイガースは、満を持してベストメンバーで臨んだ第二試合では完封負けを喫す。景浦の二つのエラーなどは、例の癖が出たのではないか。松木謙治郎の著書によると例の癖は昭和11年には見られたという。一般的には昭和13年度の契約更改で給料が上がらなかったことに起因するとも言われているが、直接の原因は松山商業の先輩森茂雄監督が更迭されたことに反発して反石本派となった訳です。と書いたところで松木著「タイガースのおいたち」を読み返してみたら、景浦の項以外のところに「甲子園の阪急戦で左翼を守っていたとき、正面にゴロが飛んできた。一歩も動かずこれを眺めているだけ。あわてた中堅手山口がこれを追ったが、三塁打(記録はヒットと景浦のエラーにより二つの進塁=筆者注)になるということがあった。」という記述を見つけましたので本日の二つ目のエラーのことでしょう。ということは一つ目のエラーもわざと追わなかったか落球したものでしょう。1エラーの伊賀上良平も松山商業出身で森茂雄に一任してタイガース入りした経緯があり景浦派と見て良いでしょう。2エラーの岡田宗芳は広陵中学出身、1エラーの藤村富美男は呉港中学出身と、ライバル広島商業の石本秀一監督とは微妙な関係であった可能性もあり、同調した可能性がある。いずれにしても本日の6失策は通常では考えられない。

 今季は各チーム5回総当たりなので本日が阪急vsタイガースの最終戦。森監督が解任されたのは昭和11年シーズン前の阪急戦に敗れたことが原因であり、意趣返しにはもってこいのシチュエーションです。

 景浦の名誉のために筆者なりの見解を補足すると、景浦は負けても大勢に影響が出ないであろうと思われる試合でしかこういうことはやっていません。本日も第一試合を控え連中で大差で勝ち、満を持してレギュラーで阪急戦に臨んだ石本監督に反発したと考えられます。子供の反抗みたいですが、時代も考える必要があります。スコアブックを眺めているだけでも、こういうことが見えてくるものです。というより、現実に行われた全プレーを追っていかないと見えてこないのかもしれません。

 阪急キラー御園生崇男が昭和12年春季リーグ戦の6月26日以来となる今季初黒星。昭和12年秋季リーグ戦の11連勝と合わせて17連勝、昭和12年春季リーグ戦から通算すると18連勝でストップする。この18連勝は昭和12年7月3日の阪急6回戦からスタートしたものであるが、同年7月10日の金鯱7回戦に先発した御園生は初回に先制点を許して2回で降板している。この試合はタイガースが一度も追い付くことなく中山正嘉に完封されて敗れており、現行ルールでは御園生が敗戦投手となるが、公式記録では三番手の若林忠志に敗戦投手が記録されている。昭和12年秋季リーグ戦の11連勝及び今季の6連勝プラス12年春季7月3日の勝利で計算すると18連勝であり、これが公式記録となっているが、7月10日を実質敗戦投手とすると17連勝となる。この記録は後年松田清と稲尾和久に破られたので7月10日の件は全く話題になることはなかったが、もし松田と稲尾が抜いておらず日本記録のままであったなら、稲尾とスタルヒンのシーズン42勝の時のような論争の種になっていた可能性がある。



2011年1月26日水曜日

13年春 金鯱vsタイガース 3回戦

6月19日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
1 0 1 2 0 1 0 2 0  7   金鯱           7勝16敗 0.304 鈴木鶴雄 常川助三郎 塩田猪年男
7 5 2 0 1 2 0 1 X 18 タイガース 17勝3敗   0.850 釣常雄 青木正一


勝利投手 釣常雄     1勝0敗
敗戦投手 鈴木鶴雄 0勝4敗
セーブ   青木正一 1


二塁打 (金)岡田2、佐々木 (タ)藤井2、玉井
三塁打 (タ)本堂
本塁打 (タ)広田


タイガースの若手が爆発


 タイガースは第二試合の阪急戦に備えてレギュラー陣を休ませファースト本堂保次、サード奈良友夫、ショート皆川定之、センター玉井栄、ライト松広金一を起用し、先発ピッチャーは釣常雄。石本秀一監督は負けも覚悟していたか。一方、金鯱も第一試合に続いて前日負傷したキャッチャー松元三彦が欠場して岡田源三郎監督がマスクを被るという苦しい陣容。

 金鯱は初回、先頭の五味芳夫が四球で出塁、一死後瀬井清も四球、小林茂太の遊ゴロで瀬井は二封されて二死一三塁、小林茂がディレードスチールから一二塁間に挟まれる間に五味が還って1点を先制する。

 タイガースは初回、先頭の本堂の遊ゴロをショート岡野八郎がエラー、二番奈良が左前打を放ち本堂は三塁に、打者走者奈良もレフトからの返球の隙に二塁に進む。金鯱先発の鈴木鶴雄のワイルドピッチで本堂が還り1-1の同点、藤井勇の右前タイムリーで2-1、四番藤村富美男の二ゴロをセカンド江口行男がエラーして無死一三塁、藤村の二盗の際にキャッチャー岡田源三郎監督が二塁に悪送球する間に藤井が還って3-1、松広の中犠飛で4-1とする。門前真佐人が左前打、玉井の三ゴロでランナーが入れ替わり、釣の遊ゴロを岡野がこの回二つ目のエラー、皆川の右飛をライト小林茂太が逸らす間に玉井が還り5-1、本堂の二飛も江口がこの回二つ目のエラーする間に二者生還して7-1とする。結局タイガースは3安打6失策1暴投で7点を先制する。

 タイガースは2回、この回先頭の藤井が左中間に二塁打、藤村が左前タイムリーを放って8-1、松広も左前打、門前の三ゴロで藤村は三封、玉井が左前にタイムリーを放ち9-1、釣も中前にタイムリーを放ちこれをセンター佐々木常助が逸らす間に玉井も還り11-1として釣は三塁に進む。皆川四球、皆川がディレードスチールで一二塁間に挟まれる間に釣が還って12-1とする。

 金鯱は3回、3四球とエラーで1点返すがタイガースもその裏、2四球と松広のタイムリー、玉井のタイムリー二塁打で2点を追加して14-2。

 金鯱は4回、この回先頭の岡野が左前打から二盗、岡田源三郎監督が左翼線に二塁打を放って1点、五味の中前タイムリーで岡田監督が還って4-14とする。

 タイガースはその後も広田修三のホームラン等で加点、金鯱も8回、岡田源三郎の二塁打から2点を返すが結局、タイガースが控えを中心として18対7で圧勝して釣常雄がプロ入り初勝利を記録する。

13年春 金鯱vsイーグルス 3回戦

6月19日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱       7勝15敗      0.318 古谷倉之助
1 0 1 0 0 0 0 0 X 2 イーグルス 12勝10敗1分 0.545 亀田忠


勝利投手 亀田忠         8勝4敗
敗戦投手 古谷倉之助 2勝6敗


二塁打 (イ)漆原、亀田、ハリス


亀田忠、二日連続1安打完封


 イーグルスは初回、先頭の寺内一隆が中前打で出塁してすかさず二盗、一死後中根之の二ゴロをセカンド江口行男が失して一死一三塁、バッキー・ハリスは一邪飛に倒れて二死一三塁、亀田忠が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 イーグルスは3回、一死後中根が投前にセーフティバントを決め、ハリスの遊ゴロでランナーが入れ替わり、又も亀田が右中間にタイムリー二塁打を放って2-0とする。

 金鯱は初回、先頭の五味芳夫が四球で出塁、二死後小林茂太が左前打を放ち一二塁とするが古谷倉之助は投ゴロに倒れる。金鯱ベンチはこの小林茂太のヒットが本日最後のヒットとなるとは夢にも思わなかったであろう。

 亀田忠は2回以降金鯱打線を無安打に抑えきり、1安打4四球6三振で昨日に続いて「二日連続1安打完封」をやってのける。これで今季三度目の1安打ピッチング。打っても2本のタイムリーでチームの全得点を叩き出し独り舞台の活躍であった。




*亀田忠の二日連続1安打完封




*亀田忠に1安打に封じられた金鯱打戦

2011年1月25日火曜日

13年春 ジャイアンツvsセネタース 4回戦

6月19日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 3 1 2 0 0 0 0 0 7 ジャイアンツ 17勝6敗     0.739 スタルヒン
0 0 5 0 0 1 0 0 0 6 セネタース   8勝13敗1分 0.381 金子裕 浅岡三郎


勝利投手 スタルヒン 11勝0敗
敗戦投手 金子裕         4勝3敗


二塁打 (ジ)スタルヒン (セ)家村
三塁打 (ジ)千葉


千葉茂、決勝三塁打


 ジャイアンツは初回、先頭の呉波が四球を選び、白石敏男が左前打、水原茂の送りバントは捕前に転がりキャッチャー北浦三男は三塁に送球するがこれが高く逸れる悪送球となり呉が生還して1点を先制する。

 ジャイアンツは2回、この回先頭の千葉茂が右前打で出塁、一死後吉原の左前打で一二塁、スタルヒンが中越えに二塁打を放って2-0として一死二三塁、トップに返り呉の遊ゴロをショート磯野政次が一塁に低投、これを見て三走吉原がホームを突くがタッチアウト。しかし白石四球で二死満塁、水原が押出し死球を受けて3-0、中島治康が押出し四球を選んで4-0とする。更に3回、一死後永澤四球、吉原左前打でセネタース先発の金子裕をマウンドから引きずり降ろし二番手に浅岡三郎が登場、スタルヒンが中前にタイムリーを放って5-0とする。

 セネタースは3回裏、一死後磯野政次が右前打で出塁、トップに返り苅田久徳は四球、伊藤次郎が右前にタイムリーを放って1点を返すと北裏も右前にタイムリーを放って2-5、尾茂田叶四球で一死満塁、綿貫惣司の三ゴロゲッツー崩れの間に伊藤が還って3-5、綿貫が二盗を決めて二死二三塁、ここで家村相太郎がライトにタイムリーを放ち二者が還って5-5の同点に追い付く。

 ジャイアンツは4回、この回先頭の白石が中前打で出塁してセンター尾茂田のエラーで二進、一死後中島四球、伊藤健太郎の三ゴロで中島は二封されて二死一三塁、ここで千葉が右中間に三塁打を放って二者生還して7-5と突き放す。

 セネタースは6回、家村が右中間に二塁打、浅岡が左前にタイムリーを放って6-7とするがここまで。

 スタルヒンは6点を取られる苦しいピッチングであったが、9安打4四球無三振の完投で11連勝。浅岡三郎がリリーフに出てから同点に追い付き浅岡が決勝点を奪われているので現行ルールでは浅岡が敗戦投手となるが公式記録では金子裕に敗戦投手が記録されている。この日の浅岡は5回以降ジャイアンツ打線を無得点に抑えており、ピッチング内容から金子に敗戦投手が記録されたのであろう。

13年春 ジャイアンツvsライオン 4回戦

6月19日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 2 1 0 1 0 0 7 ジャイアンツ 16勝6敗   0.727 成田友三郎
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 ライオン      7勝15敗 0.318 大友一明 菊矢吉男


勝利投手 成田友三郎 2勝2敗
敗戦投手 大友一明   0勝2敗


二塁打 (ジ)中島
本塁打 (ジ)吉原 1号 (ラ)菊谷 1号


吉原正喜、プロ入り初ホームラン


 ライオンは大友一明が先発、レフトに菊矢吉男を入れて六番、二番を打つことが多い大友は先発ピッチャーを考慮されたのか五番に入り二番には四番も打つ水谷則一を入れる。鬼頭数雄がセカンドに入って三番。

 初回三者凡退のジャイアンツは2回、四番中島治康が左中間に二塁打、伊藤健太郎は右飛に倒れるが千葉茂は四球、永澤富士雄の二ゴロをセカンド左腕鬼頭数雄がエラーして一死満塁、吉原正喜は三振に倒れるが成田友三郎が押出し四球を選んで1点を先制、呉波押出し四球で2-0、キャッチャー原一朗のパスボールで3-0、ライオンは先発大友一明が降板して菊矢吉男を注ぎ込み白石敏男四球後水原茂を三ゴロに打ち取る。

 ジャイアンツは4回、この回先頭の永澤が四球で出塁、吉原が左翼スタンドにプロ入り初ホームランとなるツーランを叩き込んで5-0とする。続く5回、中島四球、伊藤一邪飛、千葉中前打、永澤中飛の二死一二塁で吉原が左翼線にタイムリーを放って6-0。更に7回、伊藤、千葉の連打から二死後成田が左前打を放ち二死満塁、呉がこの日二つ目の押出し四球を選んで7-0とする。

 ライオンは7回、菊矢が左越えにホームランを放って1-7とするがここまで。ライオンは今季チーム四本目のホームランであるが、鬼頭以外は桜井、大友、菊谷とピッチャーばかりが打っている。この現象が如実に証明していると思われるのであるが、当時の職業野球のレベルは現代の高校野球から大学1~2年レベルであったのではないかと推察される。センスに優るものがピッチャーをやり、バッティングでも主力となる。少なくともハイレベルの世界で起きる現象では無い。基本的には優秀な選手は東京六大学に進んでいるわけで、何らかの理由があって職業野球に身を投じるのはその下のレベルであり、現代であればBCリーグがそれに該当する。それが悪いと言っているのではないので誤解されないように。世の中には下には下がおり、最下層の典型的事例としては高校軟式、大学準硬式でしか通用しなかった私が証明している。

 成田友三郎は5安打2四球1死球5三振の完投で今季2勝目をあげる。

 昨年は三番水原茂、四番中島治康に得点源が偏っていたジャイアンツであるが、花の13年組から千葉茂、吉原正喜がレギュラーに定着して下位打線が締まってきた。七番にベテラン永澤富士雄を挟んで六番千葉、八番吉原が生きている。スケールはちょっと違うが1980年代後半のオークランド・アスレチックスでバッシュ・ブラザーズと言われた三番ホセ・カンセコ、五番マーク・マクガイアの間の四番にベテランのデーブ・パーカーを挟んで成功した事例に似ている。因みにと言うほどでもありませんが、デーブ・パーカーは強打と共に強肩で知られており、1979年オールスターではライトから三塁とホームに二本の補殺を決めて史上初めて守備だけでMVPに選出されました。イチローの場合は後ろから勢いを付けないとレーザービームになりませんが、デーブ・パーカーのオールスターの画像は結構見れますので一度ご覧あれ。当時のスポーツニュースでは何回も放映されて日本人の度肝を抜きました。

2011年1月24日月曜日

13年春 名古屋vsライオン 4回戦

6月19日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 2 1 0 0 0 0 0 6 名古屋   7勝15敗 0.318 松尾幸造 西沢道夫
0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 ライオン 7勝14敗 0.333 菊矢吉男 近藤久


勝利投手 松尾幸造 3勝7敗
敗戦投手 菊矢吉男 7勝10敗
セーブ      西沢道夫 1


三塁打 (名)松尾
本塁打 (名)大沢 1号


大沢清、プロ入り初ホームラン


 名古屋は2回、この回先頭の大沢清の一ゴロをファースト桜井七之助がエラー、一死後倉本信護四球、小島茂男の投ゴロで倉本は二封、小島が二盗を決めて二死二三塁、ここで松尾幸造が右中間を破る三塁打を放ち2点を先制、村瀬一三が中前にタイムリーを放って3-0とする。

 名古屋は3回、先頭の石田政良がショートに内野安打、鈴木秀雄が中前打を放ち無死一二塁、桝嘉一の送りバントは一塁線への小飛球となりファースト桜井が好捕、一走鈴木が飛び出しており桜井から一塁ベースカバーに入ったピッチャー松尾に送られて「3-1A」のゲッツー、ところが二走石田は冷静にタッチアップから三塁を陥れる。この辺りは石丸藤吉の応召によりゲームに出るのが2試合目となる鈴木の経験不足と現在首位打者でゲーム感覚が研ぎ澄まされている石田の差が出たと言える。二死三塁となって続く大沢清がライトスタンドにツーランホームランを放って5-0とする。大沢にとってこれが記念すべきプロ入り初ホームランとなった。5月28日の甲子園のセネタース3回戦は降雨コールドゲームとなり3回にライトに打ったホームランは幻となったが本日は曇り空ではあるが雨の心配は無さそうである。この辺を見ると大沢の右打ちはただボールに合わせているだけではなく、右足に体重を残して振り切っているのではないかと考えられる。ライオンは4回から先発菊矢吉男に代わって近藤久が二番手として登板する。

 名古屋は4回、この回先頭の倉本が四球に歩き二盗の成功、小島も四球で無死一二塁、キャッチャー原一朗の二塁牽制に倉本が飛び出し二三塁間に挟まれてタッチアウト、この間に一走小島は二進、松尾は三振に倒れるが九番村瀬の右飛をライト水谷則一が落球する間に小島が生還して6-0とする。

 ライオンは5回、この回先頭の柳澤騰市に始まり中野隆雄、トップに返り坪内道則、更に大友一明と四連続四球で1点を返す。ここまで7四球となった松尾はここで降板し、二番手に西沢道夫が登場、西沢は鬼頭数雄に左犠飛を許すが桜井を三ゴロ、水谷を投ゴロに打ち取る。無死満塁からクリーンナップトリオを迎えるところでのリリーフであったがあっぱれの投球である。

 西沢道夫は5イニングを3安打無四球2三振無失点と見事なピッチング。公式記録では4回3分の0を投げて4安打7四球3三振1暴投2失点2自責点の松尾幸造に勝利投手が記録されたがここは投球内容から見ても現行ルール通り西沢に勝利投手が記録されて然るべしであったのではないか。西沢道夫には当ブログルールによりセーブが記録された(もちろん昭和13年当時にはセーブの記録は無く、当ブログ独自で現行ルールに照らしてセーブを記録しておりますのでご了承ください。)。

13年春 第7節 週間MVP

 今節はジャイアンツが3勝0敗、タイガースが2勝0敗、イーグルスが2勝1敗1分、セネタースが1勝1敗1分、阪急とライオンが1勝1敗、金鯱と名古屋が0勝3敗であった。




週間MVP


投手部門


 イーグルス 古川正男 1


 今節は完封勝利が3人。しかしスタルヒンは6回降雨コールド、西村幸生は8安打6四球、亀田忠は1安打ピッチングではあったが10四球であり、週間MVPには値しないと判定された。


 古川正男は今節2試合に登板し、12回を投げて自責点ゼロ。6月15日の名古屋4回戦では5回3分の0を投げて5安打4四球無三振無失点。18日のタイガース4回戦では7回を投げて1安打4四球1三振1失点、自責点ゼロ。得点を許したのは伊賀上良平に打たれた右前打をライト中根之が後逸して伊賀上が一挙にホームに還ったものである。古川のピッチングを見ているとピッチャーは三振をとればいいと言うものではないことがよく分かる。古川正男のプロ野球人生で最良の一週間であったのではないか。




打撃部門
 
 ジャイアンツ 千葉茂 1


 “猛牛”千葉が本領を発揮してきた。名古屋2回戦では中前打で出塁し、殊勲賞に輝いた井上康弘のタイムリーで生還する。ライオン3回戦では右前打で出塁して生還。名古屋3回戦では右中間に試合を決める2点タイムリー三塁打。今節9打数3安打3得点2打点、試合の要所での活躍が目立つ。






殊勲賞


 ジャイアンツ 井上康弘 1


 前週は白石敏男の欠場でショートに入っていたが今週は白石が復帰、出番は無いはずであったが名古屋2回戦で水原茂が欠場して千葉茂がサードに入ったためセカンドで出場するチャンスを得た。レギュラーの怪我は控えにとってはチャンスである。遠慮する必要は無い。井上はチャンスを生かした。雨を突いて行われた名古屋2回戦、どうしても先取得点が必要なゲームで千葉茂を三塁に置き中前に先制タイムリーを放ちこれが決勝点となった。


 私ごとで大変恐縮ですが、大学二年春季の東京六大学準硬式野球リーグ戦開幕戦、先輩レギュラーの怪我で私に八番ライトで先発出場するチャンスが巡ってきました。相手投手はリーグを代表するサイドハンド。第一打席は一塁線に送りバント、第二打席で右前にヒットを放ち秋季リーグ戦でレギュラーをとる足掛かりにしました。

 

敢闘賞


 金鯱 小林茂太 2


 二試合連続4打数3安打。球界屈指のクラッチヒッター、「戦前のマニー・ラミレス」の称号を贈りたい強打者である。




 セネタース 苅田久徳 1


 苅田に敢闘賞は失礼であるが、今季二度目の二試合連続ホームランにに敬意を表して。





技能賞

 ライオン 日野弘美 1
 
 セネタース3回戦でプロ野球史上初のアテ馬としてスタメンに名を連ねチームの15得点を引き出す。

 水島新司の傑作野球漫画「野球狂の詩」は水原勇気で有名ですが、水原が登場する以前は月1回ほどの不定期で少年マガジンに各回読み切りが連載されていました。「北の狼南の虎」や里中真智子との共作となった「ウォッス10番」「ガッツ10番」「スラッガー10番」のようなシリーズものもありましたが基本的には一作読み切りです。各読み切り作品の主人公が東京メッツのメンバーとして定着していく訳です。

 この中で、東京メッツでアテ馬専門として過ごしてきた島小太郎を描いた「あて馬」があります。この回では監督は五利一平ではなく岩田鉄五郎でした(こういうことがよくあります。)。島小太郎は毎試合打席に立つことなく交代させられる訳ですが、ベンチでは牛骨でバットをしごき木目を締めることを欠かしませんでした。東京メッツはレギュラー陣が不振の極みで鉄人鉄五郎が倒れます。代理監督に起用された島小太郎は先発メンバーのレギュラー全員をアテ馬として使い、第一打席で全て二軍選手に交代させました。以外にも真っ黒に日焼けした二軍連中が活躍して接戦に持ち込みます。決勝打は島小太郎が木目を締めてきたバットで叩きつけて内野安打となりました。この時島が吐いた言葉が「野球は魂でやるものだ。」

 ここからは私の全くの想像にすぎませんが、島小太郎のモデルは「志摩供養」で知られる志摩定一氏ではないでしょうか。高松商業の三塁手として大正13年春の甲子園で優勝しますが病に倒れ病死します。死の直前吐いた言葉が「俺は死んでも俺の魂は高松商業のサードを守る」だったと言われています。

 高松商業は試合前、キャプテン(三塁手説もあります)が水を口に含みナインが三塁ベースに集まり、三塁ベースに水を吹き付けてから守備位置につきます。この「志摩供養」も高野連が遅延行為に当たるといちゃもんを付けて甲子園では中止されることとなりました。







2011年1月23日日曜日

13年春 イーグルスvsタイガース 4回戦

6月18日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 イーグルス 11勝10敗1分 0.524 古川正男 亀田忠
0 1 0 0 0 0 0 0 X 1 タイガース  16勝3敗     0.842 西村幸生


勝利投手 西村幸生 7勝2敗
敗戦投手 古川正男 1勝5敗


古川正男、渾身のピッチング


 タイガース先発の西村幸生は8安打6四球5三振の完封で7勝目をあげる。要所を締めるピッチングとも言えるがイーグルスの12残塁に助けられた印象は否めない。矢張り西村は不調である。

 一方、イーグルス先発の古川正男は渾身のピッチングを見せた。7回までに強打のタイガース打線に許したヒットは伊賀上良平の1安打のみ。球史に古川正男の名を燦然と刻み込むピッチングであった。

 タイガースは2回、二死から伊賀上良平が右前にヒット、これをライト中根之が後逸、伊賀上は二塁、三塁を蹴ってホームに突進してこの日唯一の得点をあげる。

 イーグルス打線は西村幸生に8安打を浴びせ6個の四球を得るが12残塁の拙攻、古川の好投を見殺しにした。イーグルスは8回の攻撃で古川に代えて第一試合で1安打完封の亀田忠を代打に起用し8回のマウンドに連投で送りこむ執念を見せたが西村の前に完封負けを喫する。

13年春 イーグルスvs阪急 1回戦

6月18日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 イーグルス 11勝9敗1分 0.550 亀田忠
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急           11勝8敗    0.579 森弘太郎 小田野柏


勝利投手 亀田忠     7勝4敗
敗戦投手 森弘太郎 2勝2敗


二塁打 (イ)大貫、野村


亀田忠、二度目の1安打ピッチング


 イーグルスは4回、この回先頭の中根之が左前打で出塁、バッキー・ハリスが左翼線安打、四番亀田忠が送って一死二三塁、中河美芳が二遊間に内野安打を放って1点を先制する。

 イーグルスは5回、一死後漆原進が左前打で出塁、寺内一隆が四球を選んで一死一二塁、阪急ベンチは先発森弘太郎から病気癒えた小田野柏にスイッチするが、中根が左前にタイムリーを放って2-0とする。

 イーグルス先発の亀田忠は6回まで、5回を除く毎回の7四球を与えるが4三振を奪い無安打無得点。しかも外野に飛んだのは6回二死からの黒田健吾の中飛だけというピッチング。強打の阪急打線を力で抑えきっている。

 阪急は7回、二死から大原敏夫が四球で出塁、小田野柏が中前にチーム初安打を放って二死一二塁とするが西村正夫は三ゴロに倒れる。

 阪急は9回、この回先頭の黒田の三ゴロをサード漆原が一塁に悪送球、一死後宇野錦次に代わって代打宮武三郎を起用するが左飛に倒れる。大原がこの日チーム10個目の四球に歩くが最後は前の打席で唯一のヒットを放った小田野が三振に倒れる。

 亀田忠は1安打10四球8三振の完封で今季7勝目、生涯二度目の1安打ピッチングを披露する。亀田の1安打ピッチングに目が行きがちであるが、イーグルス守備陣は3つの併殺を完成して亀田を助けた。亀田忠の1安打伝説の中でも代表的ピッチングである。阪急が森弘太郎から小田野柏にスイッチしていなければ果たして阪急打線はヒットを記録することができたのであろうか。


*亀田忠の1安打ピッチングを伝えるスコアブック

疑問

 金鯱vs阪急4回戦の実況中継で述べた疑念について検証してみます。


1.検証項目
 「プロ入り初先発となった高橋敏は5回を投げて6安打2四球4失点2自責点、・・・なお、自責点は2と記録されているが、1ではないかとの疑念が残るものである。


 対象となるプレーは金鯱2回の攻撃に起こります。
「金鯱は2回、この回先頭の松元三彦が左前打、一死後武笠茂男が中前打して一死一二塁、ここで岡野八郎が右前にヒットを飛ばす。二走松元は二塁から生還、ライトからの返球をカットしたセカンドキヨ野上清光がホームに悪送球する間に一走武笠も還り、打者走者の岡野は三塁に進み2-0、佐々木常助の遊ゴロの間に岡野が還り3-0とする。


2.事実関係
 このプレーにおいて、
① 野上にはホームへの悪送球でエラーが記録されている。
② 武笠の生還は野上のエラーによるものと記録されている。
③ 武笠の生還で高橋敏に自責点が記録されている。
④ 岡野には打点2が記録されている。


3.検証内容
 一死一二塁から岡野が右前にヒットを放ち、ライトの西村正夫からセカンドの野上に送球され野上がホームに悪送球しました。スコアブックの記載は「4-2」の「-」の上に「・」が付されたうえで「’」野上のエラーが記録されていますので、野上の送球が高く逸れてバックネットまで転がっていったことを表します。二走松元の生還は野上からの返球が悪送球でなくてもセーフであったと判断されたことから自責点となり岡野にも打点1が記録されるところまでは良いでしょう。


 問題はこの次の一走武笠の生還が「野上のエラーによるもの」と記録されているにも拘らず、自責点と岡野に打点1が加算されて2打点目が記録されている点です。シングルヒットで一塁ランナーが生還することはあり得ますし、実況中継の中でもお伝えしたことはあります。戦後に於いても日本シリーズで見せた西武・辻発彦の好走塁の事例などがあります。


 翌日の読売新聞は「岡野の安打を右翼から中継した野上の本塁悪投がなければ充分に二走松元を刺し無得点に止め得たものであった」と伝えています。したがって、ライトからの返球を中継した野上が即座にホームに投げたと考えられます。


 但し、ライトからの返球を受けた野上がもたもたしている隙に一走武笠が三塁を蹴ってホームを突き、野上が慌てて送球して悪送球になった場合は自責点と打点が記録されてもおかしくはありません。この場合、読売の記述と齟齬が生じますが、これまでも指摘しているとおり読売の記事は信ぴょう性に欠ける面もありますので、武笠の好走塁によるものという可能性は否定はできません。


4.結論
 結論から先に言うと、結論は出ません。実際のプレーを見ておらず、ビデオ判定ができないことによる限界です。

 読売の記載が正しければ、一走武笠の生還が野上のエラー(悪送球)によるものであると考えられ、高橋敏の自責点及び岡野の打点は1ずつ減じられる可能性があります。

 一走武笠の好走塁によるものであれば、武笠の生還が「野上のエラーによるもの」というスコアブックの記載が間違っていることになります。この場合であっても岡野の三塁進塁は野上の悪送球によるのものとなりますので記録の間違いは生じません。

 なお、野上の悪送球で三塁に進んだ岡野は続く佐々木常助の遊ゴロで生還していますが、エラーによる進塁が含まれているため自責点は記録されていません。この場合は佐々木には打点1が記録されます。



5.総括
 当ブログは間違い探しを目的として実況中継している訳ではありません。人為的な集計ミスと思われる公式記録の間違いは、指摘しようと思えばいくつかありますが、エクセルもない当時の記録を人為的に集計する苦労は私も良く知っておりますのでそのような指摘をするつもりはありません。

 但し、本件については記録そのものが間違っている可能性がありますので検証を行ったものです。



*金鯱2回の攻撃の問題のシーン。得点を表す丸印の中にEが記載されている場合は「アーンドラン=自責点」が記録されます。松元と武笠の得点は自責点、岡野の得点は自責点無しと記録されています。
 松元の本塁進塁はh=岡野のタイムリーによるもの、武笠の本塁進塁は丸印で囲ったhの右上に「’」が付いていますので岡野の打席でのプレーにおけるエラーによる進塁を表します。





*高橋敏には自責点2が記録されています。問題のシーン以外の失点、自責点には疑問の余地はありません。





*キヨ野上清光の失策欄には二つの悪送球がエラーとして記録されています。




13年春 金鯱vs阪急 4回戦

6月18日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 3 0 0 1 0 0 0 0  0  4 金鯱   7勝14敗 0.333 鈴木鶴雄 中山正嘉
0 0 0 2 0 0 1 1 0 1X 5 阪急 11勝7敗   0.611 高橋敏 宮武三郎


勝利投手 宮武三郎 2勝1敗
敗戦投手 中山正嘉 4勝5敗

宮武三郎、リリーフで2連勝


 阪急は高橋敏がプロ入り初先発。

 金鯱は2回、この回先頭の松元三彦が左前打、一死後武笠茂男が中前打して一死一二塁、ここで岡野八郎が右前にヒットを飛ばす。二走松元は二塁から生還、ライトからの返球をカットしたセカンドキヨ野上清光がホームに悪送球する間に一走武笠も還り、打者走者の岡野は三塁に進み2-0、佐々木常助の遊ゴロの間に岡野が還り3-0とする。

 阪急は4回、一死後山下実監督が右前打で出塁、野上も右前打、島本義文は一飛に倒れるが高橋敏四球で二死満塁、西村正夫が左前に2点タイムリーを放って2-3と追い上げる。

 金鯱は5回、この回先頭の佐々木の遊ゴロをショート上田藤夫がエラー、一死後江口行男の右前打で一二塁、瀬井清に代わる代打古谷倉之助の中飛で二走佐々木はタッチアップから三塁に走る、センターからの送球をカットしたセカンド野上が又も三塁に悪送球して佐々木が生還して4-2と突き放す。

 阪急は5回裏、黒田健吾、山下好一が連続四球を選んで無死一二塁、金鯱は鈴木鶴雄から中山正嘉にスイッチ、ジミー堀尾文人が送って山下実四球で一死満塁、ここで野上に代えて代打宮武三郎を起用するが三振、島本に代えて小田野柏を代打に送るが一ゴロに倒れて無得点。阪急は6回から高橋敏に代わって宮武が二番手としてマウンドに上がる。キャッチャーには代打小田野に代わって大原敏夫が入りセカンドには宇野錦次を入れる。

 阪急は7回一死後山下好一の捕邪飛をファースト古谷が落球、命拾いした山下好一は四球を選んで出塁、堀尾が右前打、山下実四球で一死満塁、宮武が中犠飛を打ち上げて3-4と1点差に迫る。更に8回、この回先頭の宇野が中前打で出塁、トップに返り西村死球で無死一二塁、上田の遊ゴロは6-4-3と渡るゲッツーとなり二死三塁、黒田が左翼線にタイムリーを放ち宇野が同点のホームを踏む。

 阪急は10回裏、一死後宇野が中前打で出塁、すかさず二盗を決めて一死二塁、西村が左前打を放って一三塁、西村も盗塁を決めて一死二三塁、ここでここまで4打数無安打の上田藤夫がライトに犠牲フライを打ち上げて三走宇野錦次がサヨナラのホームを踏む。

 6回からリリーフに立った宮武三郎は8回に中山に中前打を許しただけで10回までの5イニングを1安打4四球3三振に抑える好投を見せてサヨナラ劇を呼び込んだ。宮武は6月5日のジ回戦に続いてリリーフで2連勝、どうやら投手・宮武三郎の模様を実況中継する機会が増えそうな雲行きである。

 6回からセカンドに入った宇野錦次が8回と10回にヒットで出塁して同点・サヨナラのホームを踏む。プロ入り初先発となった高橋敏は5回を投げて6安打2四球4失点2自責点、守備に足を引っ張られながら好投を続けた。翌日の読売新聞は「初陣に似合わぬ度胸で投げ込む曲球は金鯱のミートを外しており・・・」と伝えている。なお、自責点は2と記録されているが、1ではないかとの疑念が残るものである。

2011年1月22日土曜日

13年春 名古屋vsジャイアンツ 3回戦

6月18日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 2 0 3 名古屋       6勝15敗 0.286 森井茂 松尾幸造 西沢道夫
1 0 0 4 0 0 0 0 X 5 ジャイアンツ 15勝6敗    0.714 川上哲治 前川八郎


勝利投手 前川八郎 3勝2敗
敗戦投手 森井茂     3勝6敗


二塁打 (名)村澤 (ジ)伊藤
三塁打 (ジ)千葉


石田政良、首位打者に立つ


 名古屋は石丸藤吉を兵役で失いセカンドには鈴木秀雄が入って七番。

 名古屋は初回、先頭の石田政良が四球で出塁、二番に入る桝嘉一が中前打、大沢清が送って一死二三塁とするが四番に入った倉本信護は捕邪飛、三浦敏一は三ゴロに倒れて先制のチャンスを逃す。ジャイアンツは1回裏、二死後水原茂、中島治康、伊藤健太郎の三連続中前打で1点を先制する。

 ジャイアンツは4回、この回先頭の中島が左翼線にヒット、伊藤が左中間に二塁打を放ち無死二三塁、名古屋はここで先発の森井茂から松尾幸造にスイッチするが、続く千葉茂が右中間に三塁打を放って3-0、永澤富士雄の右前タイムリーで4-0、吉原正喜の遊ゴロをショート村瀬一三がエラー、川上哲治の三ゴロで吉原が二封されて一死一三塁、トップに返り平山菊二は三飛に倒れるが白石敏男の二ゴロをセカンド鈴木秀雄がエラーする間に永澤が還って5-0とする。

 川上哲治は6回まで毎回の6安打を浴びながら粘り強く投げ続けて名古屋打線を無得点に抑えてきたが7回に捕まった。名古屋は7回、この回先頭の村瀬が四球で出塁、トップに返り石田の三ゴロで村瀬は二封、桝の投ゴロで石田が二封、大沢清が珍しく引っ張って三塁に内野安打、倉本が中前にタイムリーを放って1点を返す。

 名古屋は8回、この回先頭の小島茂男が中前打、鈴木の二ゴロで小島は二進、7回から登板の三番手西沢道夫が左前打、村瀬が左前にタイムリーを放って2-5、ジャイアンツベンチはここで川上をあきらめて前川八郎を投入、石田四球で満塁として桝の二ゴロの間に西沢が還って3-5まで追い上げるがここまで。名古屋は9回にも鈴木がヒットを放ち毎回安打を記録しながらの敗戦となった。
 石田政良はこの日3打数1安打、今季通算68打数26安打3割8分2厘で首位打者に立った。前日まで4割をキープしていた桝嘉一はこの日5打数1安打で3割7分5厘となり第二位。しかし本日3打数2安打の中島治康が3割7分2厘、4打数2安打の伊藤健太郎が3割5分6厘で三位・四位に迫ってきており、こちらも見逃せない展開となってきた。

 公式記録では前川八郎が勝利投手となっているが現行ルールでは当然川上哲治が勝利投手となる。本日の川上のピッチングは7回3分の1を投げて11安打3四球2三振3失点3自責点。毎回安打を許し、見ようによってはよれよれのピッチングにも見えるし良く粘ったとも言える。しかし1回3分の2を抑えた前川を勝利投手とする要因は客観的にみると少なく見える。当時の勝利投手は記録者の主観に委ねられておりよく見られる現象ではあるが。

 先日発表された今年度の野球殿堂競技者表彰では落合博満の殿堂入りが決まったが、こちらも二年連続で一票差に泣いたうえでの当選とあって投票する記者の恣意性が話題となっています。昭和13年当時の勝利投手の決め方も、現在の日本における殿堂入りの基準も、いい加減という意味ではロサンゼルス・オリンピックの体操競技には負けるでしょう。あれだけ10点満点を連発すれば競技の優劣など決めようがないのではないでしょうか。しかもガッツポーズのやり方まで採点に入っていたようですから競技後派手に喜べば点が上がるようでは最早体操競技とは呼べないでしょう。流石にその後改められましたが。

2011年1月21日金曜日

アテ馬

 当ブログが参考にさせていただいているサイト「商売人と言われた職業野球」様によると、昭和13年6月18日土曜日のライオンvsセネタース戦でライオンの五番スタメンに名を連ねた日野弘美がプロ野球史上初のアテ馬であろうと、「記録の神様」宇佐美徹也氏の著書に書かれているとのことです。


 アテ馬を起用する要件としては、相手先発に左と右の候補がいてどちらが先発するか読めないこと、及び味方に右と左のスタメン候補が同一守備位置にいて左には右を、右には左を使いたい場合となります。


 昭和13年シーズンは戦況の深刻化を踏まえて週末に変則ダブルヘッダーを行っていますので、登板間隔が一週間開くことから比較的相手ピッチャーを読みやすい状況が続いておりました。ところがこの週は、6月15日(商店や工場の休業日)水曜日に三試合行われる予定が雨のために二試合が16日木曜日に順延され、セネタースは木曜日に試合を行い左の金子裕が先発して8回3分の0を投げ、右の浅岡三郎が1イニングをリリーフしました。


 ここまで実況中継してきたとおり、野口明が兵役で抜けた今シーズンのセネタース投手陣では金子裕が好調でエース格の活躍をしており、浅岡三郎との二人で回してきていることから中一日で金子でくるか浅岡でくるかは五分五分というシチュエーションでした。




 一方、ライオンの小西得郎監督は強打の煤孫伝を買っており、たびたびライトの水谷則一主将に代えて起用しています。6月1日のイーグルス3回戦などはレフトの左利き鬼頭数雄をセカンドに回してレフトに煤孫伝を入れています。この日も金子が先発なら右の煤孫を、浅岡が先発なら左の水谷を使う腹だったのでしょう。


 但し当時はまだ偵察メンバーと言う概念が一般的ではなく、先発に名を連ねて一度も打席に立たずに交代させられるなど、切腹ものの屈辱ではなかったのではないでしょうか。現代であれば昨日投げたピッチャーをアテ馬に使うことに抵抗はないでしょうが、当時は選手層が薄くアテ馬に使える選手そのものが極めて限られれています。小西監督としては、明大の後輩に当たる日野弘美をアテ馬に指名する以外に選択肢はなかったと考えられます。試合は15対9で快勝し、特に初回の攻撃では“代打”水谷のタイムリーを含む大量6点のビッグイニングとなり、小西監督としては快心の采配だったでしょう。もちろん一度も打席に立つことなく交代させられる日野の気持ちを慮ってライオンナインが燃えたことも大量15点につながったと考えられます。


 アテ馬の語源は読んで字の如く競馬用語からきています。繁殖牝馬の発情状況を確認することを使命とする「試情馬」のことを言います。競馬史に残るアテ馬物語としては1988年のオークスが有名です。

 この年のオークスを10番人気という人気薄で制したコスモドリームの父親はブゼンダイオーです。コスモドリームの母スイートドリームには後ろに存在する物体を後ろ足で蹴るというゴルゴ13のような癖があり、高価な種牡馬を種付けすることが困難な状況でした。1985年の種付けでも人気種牡馬モガミを付けようとして受胎せず、仕方なく繁殖シーズンも終わりかけた7月にアテ馬のブゼンダイオーに種付けのチャンスが回ってきて無事受胎したわけです。こうして産まれたのがコスモドリームですが、何しろ繁殖シーズン末期に種付けが行われたことから6月13日という遅産まれでした。サラブレッドの成長速度は人間の約4倍と言われており、3か月が人間の1年に該当します。通常繁殖シーズンは春なので3月産まれ位が標準となりますので、コスモドリームは生れながらにして同期より1年遅れのハンデを負うこととなりました。しかも父親がアテ馬です。競馬は血統と言われるくらい血筋が何よりも重要となりますのでコスモドリームに期待した人はほとんどいなかったでしょう。

 その割にはコスモドリームはよく走りました。1988年1月のデビュー戦で3着、2戦目で勝ちあがり4月に2勝目をあげて何と牝馬クラシックの頂点であるオークスに駒を進めてきました。10番人気とは、人気薄ではありますが、コスモドリームの生い立ちから見ればかなりの人気を集めたとも言えます。直前に勝ったレースが芝2200メートルのレースであったことが大きな要因です。ご存知のとおりオークスは府中の芝2400メートルで行われます。


 直線に入るや馬場の真ん中から抜け出して快勝し、父ブゼンダイオーの名を天下に知らしめることとなりました。


 このオークスにはもう一つ有名なエピソードがあります。フジテレビで実況を担当していたSアナウンサーが、同枠のサンキョウセッツ(こちらも人気薄)と間違えてゴール番が過ぎるまで「サンキョウセッツです、サンキョウセッツが勝ちました。」と絶叫し続けました。解説の大川慶次郎さんの「コスモドリームです」という小声までテレビで流れてしまい、名アナウンサーとして名高いSアナはしばらく競馬中継から外されました。

 1988年といえばオグリキャップが笠松から中央に殴り込みをかけてきて大旋風を巻き起こした年です。オークスと同時期に行われたニュージーランドトロフィーで関東ファンに初めてその姿を見せました。持ったままの快勝で、フジテレビの「オグリキャップはまだ追わない、オグリキャップはまだ追わない」の中継には震えが来ました。秋にはスーパークリークで武豊が初のG1を制し、競馬ブームが到来する夜明けの出来事です。
 
 

*日野弘美がアテ馬に使われた試合のオーダー


 

2011年1月20日木曜日

13年春 ライオンvsセネタース 3回戦

6月18日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
6 1 1 0 0 0 3 1 3 15 ライオン     7勝13敗      0.350 菊矢吉男 大友一明
1 3 0 2 1 0 0 1 1  9  セネタース 8勝12敗1分 0.400 浅岡三郎 伊藤次郎


勝利投手 菊矢吉男 7勝9敗
敗戦投手 浅岡三郎 3勝7敗
セーブ      菊矢吉男 1


二塁打 (ラ)菊谷2、水谷、大友 (セ)横沢、苅田
本塁打 (ラ)柳澤 1号、 (セ)苅田 4号


アテ馬


 ライオンは一昨日10失点でKOされた菊矢吉男が先発で六番に入る。一番(八)坪内道則から(四)大友一明、(七)鬼頭数雄、(三)桜井七之助までは一昨日と同じ。七番以降も(二)原一朗、(五)柳澤騰市、(六)中野隆雄と不動のメンバー。五番にほとんど出場経験の無いキャッチャー登録の日野弘美がライトでスタメンに名を連ねる。セネタースの先発は浅岡三郎である。

 ライオンは初回、先頭の坪内は遊飛に倒れるが大友が左前打で出塁、鬼頭右前打、桜井の中前タイムリーで大友が還り1点を先制する。ここで五番日野弘美に代わり代打水谷則一が左打席に入る。日野弘美は一度もバットを振ること無く、と言うよりバットを握ることも無くベンチに下がった。水谷は中前にタイムリーを放ち2-0、菊谷の左中間二塁打で二者還り4-0とする。更に原が四球、柳澤の三ゴロで原が二進して二死二三塁、中野の右前タイムリーで二者を迎え入れて6-0とする。

 セネタースは1回裏、先頭の苅田久徳が景浦、松木を抜いてホームランダービー単独トップに立つ第4号二試合連続先頭打者ホームランを放ち1点を返す。ライオンは2回、セネタース二番手の伊藤次郎を攻めて鬼頭、桜井の連打と水谷四球で一死満塁とし、菊谷が右前にタイムリーを放ち7-1とする。

 セネタースは2回、この回先頭の尾茂田叶が右前打、家村相太郎右前打、青木幸造の三ゴロをサード柳澤失する間に1点、磯野政次四球から苅田の三ゴロを又も柳澤がエラーする間に二者が還って4-7と追い上げる。ライオンは3回、一死一三塁から坪内の遊ゴロで1点追加して8-4とする。

 セネタースは4回、一死後横沢七郎中前打、磯野、苅田、伊藤が三連続四球を選んで押し出し、菊谷に代わって大友がマウンドに上がり、北浦の三ゴロの間に磯野が還って6-8、更に5回、尾茂田、磯野のヒットと柳澤のタイムリー二塁打で7-8の1点差に追い上げる。

 ライオンは7回、桜井の左前打と水谷の左翼線タイムリー二塁打で9-7、二死後柳澤騰市が右中間にホームランを叩き込んで11-7とする。更に8回、坪内、大友のヒットで一三塁から鬼頭が中犠飛を打ち上げて12-7、セネタースはその裏、苅田の二塁打と伊藤次郎のタイムリーで1点を返す。

 ライオンは9回、菊谷の二塁打と原のタイムリーで1点、更に坪内道則の内野安打と大友一明の左中間二塁打で3点を追加して15-8とする。セネタースも9回、横沢のタイムリーで1点返すが大勢に影響は無かった。

 小西得郎監督は日野弘美を偵察メンバーに使った。セネタースの先発が右腕浅岡三郎か左腕金子裕か読み切れず、左の水谷則一と右の煤孫伝のどちらを使うかで迷ったのであろう。プロ野球史上初のアテ馬の可能性が高い。

2011年1月19日水曜日

13年春 ライオンvsジャイアンツ 3回戦

6月16日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
3 1 0 0 0 0 0 0 1  5   ライオン         6勝13敗 0.316 菊矢吉男 近藤久
0 8 0 0 2 1 0 0 X 11 ジャイアンツ 14勝6敗    0.700 スタルヒン


スタルヒン 10勝0敗
菊矢吉男     6勝9敗


二塁打 (ラ)柳澤 (ジ)白石
三塁打 (ラ)坪内


スタルヒン10勝一番乗り


 ジャイアンツは水原茂が三番サードに入ってベストメンバーに戻った。

 ライオンは初回、先頭の坪内道則二飛、大友一明三振で無死二塁、ここから三番鬼頭数雄が中前打で出塁、四番桜井七之助も中前打、五番水谷則一四球で二死満塁、続く菊矢吉男が右前にタイムリーを放って二者還り2点を先制、原一朗も右前にタイムリーで続き3-0、柳澤騰市四球、九番中野隆雄は一飛に倒れ打者9人で3点を先制する。

 ライオンは2回、先頭の坪内が右翼線に三塁打、一死後鬼頭の二ゴロの間に坪内が還って4-0とする。

 ジャイアンツは2回裏、一死後千葉茂が右前打で出塁、永澤富士雄死球、吉原正喜が右前にタイムリーを放ち1-4、スタルヒン四球で一死満塁、呉波が押出し四球を選んで2-4、ここで白石敏男が中越えに走者一掃の二塁打を放ち5-4と逆転、水原の右前タイムリーで6-4、中島治康の右前打で一死一三塁、伊藤健太郎が右前にタイムリーを放ち7-4、千葉四球で一死満塁、永澤の二ゴロの間に中島が還り8-4とする。

 ジャイアンツは5回、この回先頭の吉原が遊失に生き二塁に進む。スタルヒンの捕前ゴロがキャチャー原の野選を誘い、呉四球で無死満塁、ライオンは菊谷から近藤久にスイッチするが二死後吉原死球、白石が押出し四球を選んで9-4、水原の左犠飛で10-4とする。更に6回、二死から先頭の吉原四球スタルヒン左前打、呉に代わる野村高義が四球を選んで二死満塁、白石が死球を受けて11-4とする。ライオンは最終回、二塁打と一ゴロで三塁に進んだ藤浪光雄を坪内が中前打で還して1点を返すがここまで。

 スタルヒンは9安打4四球5三振の完投で10勝目をあげる。

2011年1月18日火曜日

13年春 セネタースvs金鯱 2回戦

6月16日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 0 1 0 0 3 0 0 6 セネタース 8勝11敗1分 0.421 金子裕 浅岡三郎
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 金鯱     7勝13敗    0.350 中山正嘉


勝利投手 金子裕     4勝2敗
敗戦投手 中山正嘉 4勝4敗
セーブ   浅岡三郎 1
二塁打 (金)小林茂2、五味
本塁打 (セ)苅田 3号


金子裕の好投でセネタース快勝


 セネタースは初回、一番苅田久徳が左翼スタンドに先頭打者ホームランを叩き込んで1点を先制。更に2回、二死後金子裕の一ゴロをファースト瀬井清がベースカバーに入ったピッチャー中山正嘉に悪送球して金子は二塁に進み、横沢七郎が中前にタイムリーを放って2-0とする。

 セネタースは4回、この回先頭の綿貫惣司が右前打で出塁、尾茂田叶が中前打、二死後横沢が右前に二打席連続タイムリーを放ち3-0。更に7回、この回先頭の横沢が四球で出塁しワイルドピッチで二進、一死後苅田四球、伊藤次郎が中前にタイムリーを放ち4-0、苅田が三塁に走りセンター佐々木常助からの返球をカットに入ったセカンド江口が三塁に悪送球して苅田が一気に生還して5-0、打者走者伊藤も二塁に進み北浦三男が中前にタイムリーを放ち6-0とする。

 金鯱は8回、この回先頭の五味芳夫が左中間に二塁打、一死後瀬井清に代わる代打古谷倉之助が中前にタイムリーを放ち1-6、小林茂太右前打、中山四球で一死満塁、松元三彦が押出し四球を選び2-6とする。好投を続けてきた金子であるがそろそろ限界か。

 金鯱は9回裏、先頭の佐々木が右翼線にヒット、トップに返り五味も左翼線ヒットで無死一二塁、セネタースはここで金子をあきらめ浅岡三郎をリリーフに送る。浅岡は江口を投ゴロに打ち取り1-4-3のゲッツー、因みにピッチャーゴロゲッツーの場合は一塁送球をしやすいショートが二塁カバーに入ることが多いがセネタースは苅田が入る。強肩の二塁手を持つチームはセカンドが入ることがあり、戦後では大洋のシピンが代表事例である。浅岡は古谷も遊ゴロに打ち取りセネタースが逃げ切るがちょっと危なかった。

 7安打で6点のセネタースが8安打で2点の金鯱を破り効率的な攻撃を見せた打線のと力で勝ったように見える試合であるが、最大の要因は金子裕のピッチングである。金鯱は小林茂太が4打数3安打二塁打2本の活躍であったが無打点に終わった。当代随一の勝負強さを誇る小林茂太であるがランナーがいなければ打点の稼ぎようがない。四番小林茂は2本の二塁打の打席を含め三打席連続先頭打者であった。すなわち、金子裕は常に三番瀬井清で打線を切っていたのである。

2011年1月17日月曜日

13年春 名古屋vsイーグルス 4回戦

6月15日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 名古屋      6勝14敗    0.300 森井茂
0 0 0 1 0 2 0 0 X 3 イーグルス 10勝9敗1分 0.526 古川正男 亀田忠


勝利投手 古川正男 1勝4敗
敗戦投手 森井茂     3勝5敗
セーブ   亀田忠   1


二塁打 (イ)寺内
三塁打 (名)石田


中河美芳、3安打2打点


 本日も細かい雨の中、名古屋は森井茂、イーグルスは古川正男の両軟投派投手が対決。

 イーグルスは4回、この回先頭の野村実が中前打で出塁、中根之の一塁線バントが内野安打となり無死一二塁、バッキー・ハリスの中前打で無死満塁、中河美芳の遊ゴロが6-4-3と渡るダブルプレーとなる間に野村が還って1点を先制する。

 イーグルスは6回、先頭の寺内一隆が右中間に二塁打、一死後中根の右前打で一三塁、ハリスの一ゴロの間に寺内が還って2-0、中河が右翼線にタイムリーを放って3-0とする。

 名古屋6回の攻撃は先頭の石丸藤吉がショートへの内野安打で出塁、桝嘉一が四球を選んで無死一二塁、ここでイーグルスベンチは古川正男から亀田忠にスイッチ、ハリスが二塁牽制で石丸を刺して一死一塁、大沢清の投ゴロが1-6-3と渡りゲッツー。

 亀田忠は7回を2三振で三者凡退に抑えるが8回に入ると先頭の森井茂を四球で歩かせ村瀬一三が中前打、トップに返り石田政良四球で無死満塁、石丸押出し四球、桝嘉一も押出し四球で1点差となってなお無死満塁、しかしここからが亀田の真骨頂、大沢清、白木一二の國學院大學右打ちコンビを連続三振、倉本信護を三ゴロに退け1点のリードを守りきる。最終回も三者凡退に抑えてイーグルスが名古屋を3対2で降す。

 イーグルスは上位が出塁してバッキー・ハリス、中河美芳で還すという理想的な点の取り方で10勝9敗と貯金を1とした。亀田忠は4イニングを1安打4四球5三振で初のセーブをあげる。

 この後雨が激しくなり予定されていた第二試合の金鯱vsセネタース2回戦とジャイアンツvsライオン3回戦はいずれも順延された。

2011年1月16日日曜日

13年春 ジャイアンツvs名古屋 2回戦

6月12日 (日) 洲崎


1 2 3 4 5 6  計
0 0 0 1 0 2  3 ジャイアンツ 13勝6敗  0.684 スタルヒン
0 0 0 0 0 0  0 名古屋     6勝13敗 0.316 森井茂


勝利投手 スタルヒン 9勝0敗
敗戦投手 森井茂      3勝4敗


井上康弘決勝タイムリー


 雨脚が強くなってきたが二日間の順延でスケジュールがタイトになってきており強行された。両チームとも早く先取点が欲しいところ。ジャイアンツはサード水原茂が欠場、一方名古屋も現在4割4厘で首位打者の桝嘉一が欠場。

 ジャイアンツは初回、先頭の呉波が左中間に弾き返して一塁を蹴って二塁を狙うがセンター石田政良からの好返球にタッチアウト。二死後伊藤健太郎左前打、中島治康三塁内野安打と続くが五番サード千葉茂が一邪飛に倒れて無得点。

 名古屋は2回、先頭の小島茂男は三振、続く三浦敏一も三振するがキャッチャー吉原正喜が捕球できずに三振ナットアウト、三浦は一塁に生きて吉原にエラーが記録されて振り逃げが完成する。このところスタルヒンの先発でもマスクを被ることが多くなってきた吉原であるがまだ完全に捕球できるまでには至っていないようである。

 ジャイアンツは4回、この回先頭の千葉が中前打で出塁、永澤富士雄が送って吉原の三ゴロで千葉は三進、八番セカンド井上康弘が中前に殊勲の先制タイムリーを放って1-0とする。

 名古屋は4回、先頭の大沢清が四球で出塁、続く小島のボテボテの当りににキャッチャー吉原がダッシュよく飛び出し一塁に刺して一死二塁、小島に犠打が記録されていないことから打ちにいっての捕ゴロである。三浦四球、鈴木秀雄三振で二死一二塁、森井茂の詰まった当たりに又も吉原が飛び出し一塁に刺してチェンジ。吉原も必死である。

 ジャイアンツは6回、先頭の千葉が四球で出塁、永澤の遊ゴロをショート村瀬一三が二塁に悪送球、吉原の送りバントが野選を誘い無死満塁、井上は右飛、スタルヒンの三ゴロで三走千葉は本封されて二死満塁、呉の一二塁間のゴロはファースト大沢からベースカバーに入ったピッチャー森井茂に送球されたがこれが悪送球となる間に二者還り3-0とする。

 6回終了時点で試合続行不可能となり降雨コールドゲームとなった。スタルヒンは2安打4四球5三振。コールドゲームでも完封は記録されるので、スタルヒンが持つ通算完封83試合の日本記録の一つにカウントされている。

 白石敏男の復帰によりベンチに下がる予定であった井上康弘であるが、今度は水原の欠場により千葉がサードに回ってセカンドで出場することとなり殊勲の決勝タイムリーを放った。雨の中での試合では何よりも先取得点が大切であり殊勲甲であった。