2013年4月29日月曜日

15年 セネタースvsライオン 12回戦


10月9日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 1 0 1 2 0 1 7 セネタース 44勝30敗9分 0.595 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 ライオン     22勝59敗4分 0.272 井筒研一 近藤久 山本尚敏

勝利投手 野口二郎 27勝9敗
敗戦投手 井筒研一   0勝2敗

二塁打 (ラ)前田
三塁打 (セ)小林2 (ラ)野村
本塁打 (セ)柳 2号

勝利打点 高橋輝彦 1


小林茂太、2打席連続三塁打

 セネタースは3回、先頭の佐藤武夫が四球で出塁、織辺由三の三塁内野安打で無死一二塁、トップに返り苅田久徳が送りバントを決めて一死二三塁、高橋輝彦が左翼線に先制の2点タイムリーを放って2-0とする。

 セネタースは4回、先頭の柳鶴震がレフトポール際に第2号ホームランを放って3-0とする。

 ライオンは5回途中から先発の井筒研一を下げて近藤久をマウンドに送る。

 セネタースは6回、先頭の小林茂太の当りは中前に飛ぶがセンター村上重夫が後逸、記録は三塁打となって無死三塁、柳は浅い左飛に倒れるが西岡義晴が右前にタイムリーを放って4-0とする。

セネタースは7回、二死後高橋が四球で出塁、野口二郎が左前打を放って二死一二塁、小林が2打席連続の三塁打を中越えに放って6-0とする。

 ライオンは8回から山本尚敏を三番手としてマウンドに送る。

 ライオンは8回、二死後村上の遊ゴロをファースト石井豊が落球、野村高義が右翼線に三塁打を放って1-6、鬼頭数雄が中前にタイムリーを放って2-6とする。

 セネタースは9回、先頭の織辺がストレートの四球で出塁、トップに返り苅田の三ゴロの間に織辺は二進、石井が四球を選んで一死一二塁、野口が左前にタイムリーを放って7-2と突き放す。


 未だ肩が万全ではない野口二郎は6安打5四球無三振2失点自責点ゼロの完投で27勝目をあげる。







                 *野口二郎は6安打完投で27勝目をあげる。













     *小林茂太が2打席連続三塁打を放ったセネタース打線








 

15年 南海vs名古屋 11回戦


10月8日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 南海     21勝59敗5分 0.263 政野岩夫
0 3 1 0 0 0 0 0 X 4 名古屋 45勝33敗5分 0.577 西沢道夫

勝利投手 西沢道夫 16勝8敗
敗戦投手 政野岩夫   7勝19敗

二塁打 (南)政野、岩本、清水 (名)吉田

勝利打点 芳賀直一 3


芳賀直一、先制&決勝タイムリー

 名古屋は2回、一死後吉田猪佐喜が四球を選んで出塁、三浦敏一が右前打を放って一死一二塁、中村三郎の三ゴロをサード藤戸逸郎は三塁ベースを踏んでから一塁に送球するがこれが大暴投、二走吉田は三封されたが一走三浦は三塁に、打者走者の中村も二塁に進んで二死二三塁、このチャンスに芳賀直一が右前に先制の2点タイムリーを放って2-0、芳賀は中継の乱れ(記録はショート加藤喜作のエラー)をついて二塁に進み、西沢道夫の二飛をセカンド国久松一が落球する間に芳賀が還って3-0とする。

 名古屋は3回、二死後大沢が四球で出塁、吉田が右中間にタイムリー二塁打を放って3-0とする。

 南海は6回、先頭の岩本義行が左中間に二塁打、清水秀雄が右中間に二塁打を放って1-3とするが反撃もここまで。

 西沢道夫は5安打6四球5三振の完投で16勝目をあげる。政野岩夫も8回を完投して6安打5四球1死球5三振とピッチング内容は変わらなかったが、2回に味方内野陣が3失策を集中させて自責点0で3点を失った。


 南海は7度もスコアリングポジションに走者を送りながら1点のみに終わった。




                 *西沢道夫は5安打完投で16勝目をあげる。











     *芳賀直一が決勝打を放った名古屋打線。












 

35年ぶり



 2013年4月23日のロッテ戦で西武の牧田が奪三振ゼロで完封勝利を記録しました。奪三振ゼロの完封勝利はライオンズでは1982年4月6日にロッテ戦で東尾が記録しましたがこの時は5回降雨コールドでしたので、9回完封はクラウンライター時代の1978(昭和53)年6月11日、南海戦で石井茂雄が記録して以来35年ぶりのこととなります。


 石井茂雄は阪急時代の15年間で143勝を記録して73年に太平洋クラブライオンズに移籍、太平洋の4年間で34勝をマークして77年からクラウンライターにチーム名が変わりました。


 阪急時代は阪急が強くなる直前の64年に28勝、65年に21勝をマークしていますが阪急が強くなってからは米田、足立、山田の陰に隠れた存在でした。通算189勝ですから阪急に残っていれば200勝達成の可能性があったかもしれませんが、逆に出番はなかったかもしれません。西鉄ライオンズから生まれ変わった新生・太平洋クラブライオンズへの移籍はプラスに働いた可能性があります。


 太平洋・クラウン時代は東尾がエースとして頭角を現し6年間で91勝をマーク、石井茂雄は6年間で東尾に次ぐ44勝をマークしています。技巧派として鳴らしただけあって、奪三振ゼロの完封勝利を記録しました。


 昭和15年の記録を見ると、矢張り技巧派No1の森弘太郎が5月23日の南海戦で2安打2四球0三振、7月3日のタイガース戦で4安打1四球1死球0三振で完封勝利を記録しています。



*石井茂雄の現役時代のサイン。太平洋クラブライオンズ時代のものと考えられます。




 

2013年4月28日日曜日

15年 黒鷲vs阪神 10回戦


10月8日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 黒鷲 41勝37敗4分 0.526 中河美芳
4 0 0 1 0 0 0 3 X 8 阪神 50勝30敗3分 0.625 木下勇

勝利投手 木下勇  15勝10敗
敗戦投手 中河美芳 7勝11敗

二塁打 (神)田中
三塁打 (神)本堂

勝利打点 本堂保次 6


カイザー田中義雄、5打数4安打4打点

 阪神は初回、一死後皆川定之が四球を選んで出塁、本堂保次が右中間に先制の三塁打を放って1-0、伊賀上良平が中前にタイムリーを放って2-0、カイザー田中義雄が中前打、松木謙治郎の二ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、松尾五郎が四球を選んで二死満塁、木下勇が押出し四球を選んで3-0、宮崎剛も押出し四球を選んで4-0とする。

 阪神は4回、先頭の皆川の三ゴロをサード木下政文がエラー、本堂が右前打を放って無死一二塁、伊賀上の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってゲッツー、二死三塁から田中が左前にタイムリーを放って5-0とする。

 7回まで阪神先発の木下勇の前に1安打無得点に抑えられてきた黒鷲は8回、一死後木下政文の二ゴロをセカンド宮崎がエラー、清家忠太郎が四球を選び、宗宮房之助の一塁への内野安打で一死満塁、トップに返り岡田福吉の二ゴロ併殺崩れの間に三走木下政文が還って1-5、キャッチャー田中からのピッチャー木下勇に対する返球が悪送球となる間に三走清家が還って2-5とする。

 阪神は8回裏、先頭の宮崎が中前打で出塁、トップに返りジミー堀尾文人は遊飛に倒れるが、ワイルドピッチから皆川四球で一死一二塁、本堂は捕邪飛に倒れ、伊賀上が四球を選んで二死満塁、ここで田中が走者一掃の二塁打を左中間に放って三者生還、8-2と突き放して試合を決める。

 木下勇は2安打3四球3三振2失点、自責点ゼロの完投で15勝目をあげる。


 カイザー田中義雄が5打数4安打4打点と爆発した。











                 *木下勇は2安打完投で15勝目をマークする。












     *カイザー田中義雄が4安打4打点を記録した阪神打線。







 

一色監督



 少し遅くなりましたが、一色俊作・元松山商業監督の訃報が伝えられております。心よりご冥福をお祈りいたします。


 昭和44年夏の甲子園決勝、松山商業vs三沢高校の熱戦を見たのは小学校5年生の時です。春休みと夏休みは神戸の祖母宅に行くのが恒例でした。そこから岸和田の父方の祖母、姫路の親戚宅などを訪ね歩く訳です。この年は姫路から北条の親戚宅にまで足を伸ばしました。松山商業vs三沢高校の延長18回引分けと翌日の再試合は、北条の農家でテレビの前に一人でちょこんと座って見ていました。


 姫路の親戚宅は姫路城の近くの町中にあったのでよく行っていましたが、北条まで行ったのはこの時が初めてで、その後もありませんので1回だけということになります。生涯に一度だけ訪れた土地で、歴史に残る名勝負を二日間に亘って見ていました。三沢高校・太田投手の剛球とは対照的な松山商業・井上投手の今にも泣き出しそうな悲壮感漂うピッチングが印象的でした。


 0対0のまま迎えた延長15回表松山商業の攻撃、二死二塁で打席に立った井上は太田のアウトコース一杯に決まるカーブに手が出ず追いこまれ、最後は高目のストレートに空振り三振します。15回裏のドラマは数々のメディアで伝えられていますが、当ブログは井上がピンチを迎える直前、チャンスに打席が回ってきて三振に倒れている事実を見逃しません。精神的動揺が15回裏のピンチにつながったのではないでしょうか。


 15回裏三沢高校の攻撃、先頭の五番菊池は追いこまれながら左前打で出塁、続く高田の送りバントは三前の小飛球となりましたが打球に回転が掛かっていたようで不規則バウンドとなりサード谷岡が弾いて無死一二塁、谷川の三塁線送りバントをピッチャー井上が捌いて一死二三塁、ここでNHKのカメラはベンチの一色監督が帽子を脱ぐシーンを捉えます。これは敬遠策の指示だった可能性があります。井上は滝上を歩かせて満塁策をとり一死満塁、九番立花(タチハナ)の打席でドラマが起ります。


 初球は外にボール、二球目は外角低めに大きく外れてツーボール、三球目は高目に抜けてスリーボールナッシング、井上はボールをグラブに叩きつけて気合を入れ直し四球目はストライクでワンスリー(現代風に言うとスリーボールワンストライク)となりました。五球目の投球をNHKの中継は「ボ、あ、ストライーク」と伝えています。声からすると羽佐間アナのように聞こえますが定かではありません。画像で確認するとストライクで間違いないと思いますが、郷司主審が井上に同情してストライクとコールしたなど誤審ではないかとの指摘がありました。因みに後年、井上明氏は郷司裕氏に「低目のストライクでした。」と伝えたとのことです。


 ツースリーからの六球目にバットを出した立花の打球はピッチャー井上を襲います。飛び付いた井上の逆シングルのグラブを弾いた打球はバックアップのショート樋野の前に転がりバックホーム、満塁ですからフォースプレーですがキャッチャー大森は三走菊池をタッチアウトにし、NHKのアナも「タッチアウトです」と絶叫しています。トップに返り井上が最も警戒していた強打の八重沢を中飛に打ち取ります。この打席で「4:30」のテロップが画像に流れました。試合開始から3時間31分が経過していました。ベンチに戻る井上を笑顔で迎えた一色監督、解説の山本英一郎は「監督、興奮していますよ」と語っています。


 翌日の再試合で初回にツーランホームランを放った樋野和寿は井上と共に明治大学に進み、4年の秋には優勝してショートでベストナインを獲得しています。同学年に慶應大学の山下大輔がおり、山下は2年秋~4年春まで四期連続ショートでベストナインを獲っていますので樋野がライバル山下の五期連続を阻んだことになります。高校と大学でドラフトされた樋野はプロには進まず、日本鋼管では昭和51年の都市対抗に優勝して橋戸賞に輝いています。樋野は準々決勝の日鉱佐賀関戦で萩野からツーランホームランを放ちました。萩野は山下大輔と共に慶大三連覇の立役者となった土佐高校出身の左腕剛球投手です。松下勝美(清水東高-慶大)、鍛治舎巧(岐阜商業-早大)、前川善裕(東葛飾高-早大)など、プロに行っても主力打者になっていたと考えられる強打者は社会人野球に進んでいます。アマチュアリズムが燦然と輝いていた時代でした。


 井上は社会人野球を経て朝日新聞に入社し、スポーツ記者として活躍を続けています。「井上明」の署名記事は多くの人が目にしたことがあると思います。



注:当ブログではプレイヤーについては高校野球、大学野球、社会人野球、プロ野球の区別をすることなく敬称略とさせていただいております。記者・井上明も同列とさせていただいておりますのでご了承ください。

























 

2013年4月27日土曜日

15年 ライオンvs巨人 10回戦


10月8日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 ライオン 22勝58敗4分 0.275 菊矢吉男
0 0 3 0 0 1 1 0 X 5 巨人      60勝24敗 0.714 中尾輝三

勝利投手 中尾輝三 20勝9敗
敗戦投手 菊矢吉男  8勝23敗

三塁打 (巨)中尾

勝利打点 なし


中尾輝三20勝!

 巨人は初回、一死後水原茂の遊ゴロをショート前田諭治がエラーして一死一塁、しかし川上哲治の左飛に水原が飛び出しておりレフト鬼頭数雄からの一塁返球でダブルプレー。恐らくエンドランだったのでしょう。

 巨人は3回、林清一がセンター左にヒット、中尾輝三の投ゴロの間に林は二進、トップに返り呉波が四球を選んで一死一二塁、菊矢吉男のワイルドピッチで一死二三塁、水原が四球を選んで一死満塁、伊勢川眞澄が捕逸を犯して林が還り1点を先制、菊矢がこの回2個目のワイルドピッチを犯して呉が還り2-0、川上が四球を選んで一死一三塁、中島治康は三邪飛に倒れて二死一三塁、白石敏男が中前にタイムリーを放って3-0とする。

 巨人は6回、一死後白石がストレートの四球を選んで出塁、吉原正喜が右前にエンドランを決めて一死一三塁、ここでダブルスチールを敢行、白球は「2-4-2」と転送されてタイミングはアウトであったがキャッチャー伊勢川が落球して白石が生還、4-0とする。

 ライオンは7回、先頭の前田が四球で出塁、伊勢川が中前打を放って無死一二塁、菊矢は中飛に倒れるがトップに返り村上重夫が右前打を放って一死満塁、戸川信夫に代わる代打玉腰年男が押出し四球を選んで1-4、なお一死満塁とするが、坪内道則は二飛、鬼頭(兄)も二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は7回裏、先頭の中尾が左中間に三塁打、菊矢がこの日3つ目のワイルドピッチを犯して5-1と突き放しす。

 巨人は8回、先頭の白石が左前打、吉原が四球を選んで無死一二塁、平山菊二の左前打で無死満塁、林の二ゴロはセカンド玉腰からキャッチャー伊勢川に送られて三走白石は本封、伊勢川は三塁に送球して二走吉原もアウト、サード鬼頭政一は二塁に送球してオーバーランしていた一走平山がショート前田にタッチされて「4-2-5-6」のトリプルプレーが完成した。昨日巨人がやったばかりでプロ野球史上通算6度目となる。吉原は三塁フォースアウトではなくオーバーランしたところをタッチされたものとも考えられますが、スコアカードの記載は「2-5」でアウトとなっていますので三塁封殺の可能性があります。二塁は「5-6B」でアウトとなっていますので一走「平山がオーバーランしたものです。


 ライオンは5失点のうち、パスボールで1点、暴投で2点、キャッチャーエラーで1点とバッテリーエラーを重ねた。


 中尾輝三は5安打完投で20勝投手の仲間入りを果たした。デビュー当初は四球のオンパレードでどうなることやらという感じでしたが、よくここまで成長しました。









                *中尾輝三は5安打完投で20勝目を飾る。















*ライオンが「4-2-5-6」のトリプルプレーを完成させた場面。二走吉原正喜は「2-5」でアウトとなっていますので三塁封殺の可能性があります。一走平山菊二はオーバーランしたところを「5-6B」でタッチされたものです。











 

15年 阪急vs金鯱 11回戦


10月7日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
2 0 0 0 0 0 0 0  0  2 阪急 48勝30敗5分 0.615 浅野勝三郎 石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 3X 3 金鯱 22勝51敗7分 0.301 中山正嘉

勝利投手 中山正嘉  12勝24敗
敗戦投手 浅野勝三郎 7勝6敗

勝利打点 森田実 3


代走の代走

 阪急は初回、先頭の西村正夫が四球を選ぶと二盗に成功、フランク山田伝が送りバントを決めて一死三塁、山下実の一ゴロで三走西村がホームに突っ込むとファースト上野義秋がホームに悪送球、西村が生還して1点を先制し打者走者の山下実も二塁に進み、山下好一が右前打、二走山下実がホームに突っ込むとライト室脇正信からのバックホームを中継したピッチャー中山正嘉の本塁送球が悪送球となって山下実が生還し2-0とする。

 金鯱先発の中山は2回に浅野勝三郎に左前打を許すが3回から8回を無安打無失点に抑える。

 阪急は9回、先頭の井野川利春が左前打で出塁、黒田健吾の三ゴロでランナーが入れ替わり、上田藤夫の三ゴロの間に黒田は二進、浅野が四球を選んで二死一二塁、しかし伊東甚吉は左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 金鯱は阪急先発浅野の緩曲球が打てず8回まで3安打無得点、敗色濃厚のまま最終回を迎える。

 金鯱は9回裏、先頭の中山正嘉が左翼線にヒット、石本秀一監督は一旦代走に山本次郎を通告するが気が変わって新井一を代走に起用、、漆原進は中飛に倒れるが、飯塚達雄に代わる代打古谷倉之助が中前打を放って一死一二塁、古谷に代えて代走に山川喜作を起用、トップに返り五味芳夫が四球を選んで無死満塁、阪急ベンチは浅野から石田光彦にスイッチ、佐々木常助は浅い右飛に倒れて二死満塁、ここで濃人渉が左前に起死回生の同点タイムリーを放って2-2、一走五味は三塁に進み、打者走者の濃人もバックホームの隙を突いて二塁に進んで二死二三塁、黒澤俊夫は四球を選んで二死満理、森田実がサヨナラの押出し四球を選んで3-2と逆転サヨナラ勝利を飾る。

 中山正嘉は3安打5四球4三振の完投で12勝目をあげる。2点先制されながら粘り抜いた中山の執念が逆転サヨナラを呼び込んだものである。


 金鯱9回の攻撃で先頭の中山が左翼線にヒットを放つと、石本秀一監督は一旦代走に山本次郎を告げるが新井一に変更したようだ。スコアカードには山本次郎の出場が記録されているが「備考欄」には「9回代走を通告」と記載されている。「日本プロ野球記録大全集」のテーブルスコア欄には山本次郎は「代打」で出場と書かれているが、スコアカードの記載が正しいとすれば山本の「代打」は間違いとなります。新井一は「代走の代走」ということになります。


 スポニチアネックスによると、2011年8月28日、阪神の真弓監督は一死一二塁で一走桧山に代えて代走野原将を起用、平野の左前タイムリーで勝ち越してなお一死一二塁となったところで二走野原に代えて代走大和を起用したとのことです。代走に起用した走者が進塁して更に代走を起用するのは考えられる手ではあります。山本次郎が中山の代走として古谷のヒットで二塁に進んだところで「代走の代走」として新井一が起用されたとも考えられます。「備考欄」に書かれている「9回代走を通告」という記載だけでは「石本秀一監督は一旦代走に山本次郎を通告するが気が変わって新井一を代走に起用」と推理せざるを得ないのも事実ではあります。石本監督には“何か”が閃いたのではないでしょうか。実際、逆転サヨナラ勝ちに結び付いた訳です。


 右投手に左の代打を送り、左投手にスイッチされて「代打の代打」として右打者を送ることは良く見られるシーンですが、「代走の代走は」更に奥が深い心理戦と言えるでしょう。









               *中山正嘉は3安打完投で12勝目をあげる。














*「h」山本次郎は「備考欄」には「h9回代走を通告」と書かれており、「g」新井一が代走に起用されています。「備考欄」には「g9回代走」と書かれていますので新井一が山本次郎の代走に、山川喜作が古谷倉之助の代走に起用されていることは間違いありません。

 9回のヒットは中山正嘉に記録されていますので山本次郎は中山の代打として出場したのではありません。山本次郎が中山の代走に起用されて二塁に進んでから新井一が「代走の代走」に起用されたのであれば山本次郎には「g」と記録されるところですが実際には「h9回代走を通告」と書かれています。

 したがって、山本次郎は一旦中山の代走と通告されて出場は記録されましたが、一塁走者となることはなく新井一が「代走の代走」として起用されたようです。







 

三重殺



 昭和15年10月7日の巨人vsセネタース10回戦において、巨人がトリプルプレーを記録していますが実況中継から抜け落ちていましたので補足させていただきます。


 セネタース5回の攻撃は先頭の高橋輝彦が中前打、山崎文一は四球を選んで無死一二塁、続く小林茂太の当りはショート後方への小飛球となりましたが、ショート白石敏男が背走してシングルキャッチ、白石からセカンド平山菊二、ファースト川上哲治へと渡って「6-4-3」のトリプルプレーが完成しました。



 昭和11年以降のプロ野球で三重殺が確認されているのは昭和13年10月23日、13年秋季リーグ戦ライオンvs名古屋3回戦でライオンがやったのが最初です。名古屋初回の攻撃で戒能朶一が左前打、鈴木秀雄が四球を選んで無死一二塁、桝嘉一のセカンドライナーがセカンド中野隆雄、ファースト玉腰年男、ショート酒沢政夫と渡り「4-3-6」のトリプルプレーとなりました。


 二度目は昭和14年4月2日の南海vsイーグルス1回戦で南海8回の攻撃、岡村俊昭が三前にバントヒット、鶴岡一人が中前打を放って無死一二塁、続く中村金次の遊ゴロはショート山田潔からセカンド木下政文、ファースト菅利雄と渡ってゲッツー、二走岡村が三塁ベースを蹴ってホームを狙うが菅からキャッチャー伏見五郎に渡って「6-4-3-2」のトリプルプレーが完成しました。


 一度目に絡んだ酒沢政夫と二度目に絡んだ山田潔は昭和26年6月29日、大映vs毎日戦で大映のショート山田潔、セカンド酒沢政夫としてキーストーンコンビを組み、この試合で日本プロ野球史上唯一となる一試合2度のトリプルプレーを達成することとなります。


 三度目は昭和14年6月17日のジャイアンツvs名古屋6回戦で名古屋4回の攻撃、芳賀直一が中前打、中村三郎、村瀬一三が連続四球、石田の右前タイムリーで芳賀が生還してなお無死満塁、桝嘉一の右飛をライト中島治康が好捕してファースト川上哲治、ショート白石敏男と転送して「9-3-6」のトリプルプレーとなりました。


 四度目は昭和14年10月11日の名古屋vsセネタース11回戦で名古屋初回の攻撃、桝嘉一が中前打、石田政良も中前打で無死一二塁、大沢清の投ゴロはピッチャー浅岡三郎からセカンド苅田久徳、ファースト野口二郎へと転送されてゲッツー、二走桝が三塁ベースを蹴ってホームを狙うが野口からキャッチャー佐藤武夫に渡って「1-4-3-2」のトリプルプレーが完成しました。


 五度目が今回の巨人となります。巨人のセカンドは千葉茂が怪我のため欠場しており平山菊二が入っています。









                  *「併殺数」の欄の「三併殺」と書かれています。












               *セネタース5回の攻撃で三重殺が記録されました。







 

15年 名古屋vs南海 10回戦


10月7日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 6 0 6 名古屋 44勝33敗5分 0.571 松尾幸造 村松幸雄
2 0 1 0 0 0 0 0 0 3 南海   21勝58敗5分 0.266 清水秀雄 劉瀬章

勝利投手 村松幸雄 17勝10敗
敗戦投手 清水秀雄 10勝21敗

二塁打 (南)岩本、加藤

勝利打点 中村三郎 4


大逆転

 南海は初回、先頭の国久松一が四球で出塁、木村勉は二飛に倒れ、岡村俊昭の二ゴロで国久が二封されて二死一塁、岩本義行が左中間にタイムリー二塁打を放って1点を先制、清水秀雄が右前にタイムリーを放って2-0とする。

 名古屋は2回から先発の松尾幸造に代えて早くも村松幸雄をリリーフに送る。

 南海は3回、先頭の加藤喜作がプロ入り初ヒットとなる右翼線二塁打、トップに返り国久の遊ゴロをファースト大沢清が落球して無死一三塁、国久がディレードスチールを試みて一二塁間に挟まれる間に三走加藤がホームを狙うが「2-3-4-3-2」と転送されてタッチアウト、国久は二塁に進んで二死二塁、木村の遊ゴロの間に国久は三進、キャッチャー三浦敏一の三塁牽制が悪送球となって国久が還り3-0とする。

 名古屋は7回まで3安打無得点っだったが8回、一死後芳賀直一が四球で出塁、桝嘉一が中前打を放って一死一二塁、大沢が四球を選んで一死満塁、吉田猪佐喜が右前にタイムリーを放って1-3、三浦が押出し四球を選んで2-3、中村三郎が右前に逆転の2点タイムリーを放って4-3、岩本章が四球を選んで一死満塁、南海ベンチはここで先発の清水から劉瀬章にスイッチ、ところが劉が一塁に牽制悪送球する間に三走三浦に続いて二走中村も還って6-3と大逆転する。


 2回からロングリリーフとなった村松幸雄は8イニングを投げて4安打1四球2三振1失点、自責点ゼロの好投を見せて17勝目をあげる。





2013年4月25日木曜日

女帝



 名牝エアグルーヴ号の訃報が伝えられています。


 いちょうSの画像はユーチューブで見ることができますので是非確認してみてください。武豊が立ちあがってずるずると後退していったところから差し返してきました。このレースを見てこれは強いと思ったものです。こんな勝ち方は、この時と日本短波賞のマルゼンスキー以外に見たことがありません。次走の阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)では何故か三番人気、ビワハイジには敗れましたが馬連2,790円は美味しかった。そのビワハイジを5馬身ちぎって雪辱したチューリップ賞も強かった。


 母親のダイナカールとは私の勝負人生でも因縁があります。1983年のオークスは1着~5着まで同タイムで着差はハナ、アタマ、ハナ、アタマという大激闘となりました。直線で先頭に立ったのはメジロハイネでした。社会人3年目の私はメジロハイネの単勝馬券3万円を握りしめていました。ゴール100メートル手前まで10番人気で単勝33倍のメジロハイネが先頭に立っていましたが、ゴール寸前でダイナカールが抜け出し、ハナ差の2着に20番人気のタイアオバ、アタマ差で3着に10番人気のメジロハイネ、ハナ差の4着に7番人気のジョーキジルクム、アタマ差の5着が11番人気のレインボーピットだったのです。あと100メートルで100万円となるはずであった私が握りしめていたメジロハイネの単勝3万円馬券は紙くずとなったのです。


 エアグルーヴの最初の娘でエリザベス女王杯を二連覇したアドマイヤグルーヴが12歳でこの世を去ったのは昨年10月のことです。ダイナカール、エアグルーヴ、アドマイヤグルーヴは三世代続けてG1レースを制した訳です。



 私が最初に勤めた会社が倒産したのはエアグルーヴがピルサドスキーの2着に敗れたジャパンカップの直前のことでした。その前走の天皇賞ではバブルガムフェローとの激闘を制して「女帝」と呼ばれました。「女帝」の名に相応しい名牝でした。










*1983年オークス、メジロハイネの単勝3万円馬券。10番人気でオッズは33倍でした。ゴール前100メートルまで先頭に立っていましたが、ダイナカール、タイアオバにかわされてハナ、アタマの3着でした。こういうものを保存しているのが当ブログらしいところではありますが(笑)。



















 

2013年4月24日水曜日

15年 巨人vsセネタース 10回戦


10月7日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 1 0 0 3 巨人          59勝24敗 0.711 中尾輝三 川上哲治 須田博
0 0 1 0 0 0 1 0 0 2 セネタース 43勝30敗9分 0.589 三富恒雄 金子裕 野口二郎

勝利投手 中尾輝三 19勝9敗
敗戦投手 三富恒雄   4勝7敗
セーブ    須田博     2

勝利打点 中島治康 9


中島治康、決勝タイムリー

 巨人は初回、先頭の呉波が四球で出塁、水原茂が中前打で続いて無死一二塁、川上哲治の一ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、このチャンスに中島治康が中前に先制の2点タイムリーを放って2-0とする。

 セネタースは3回、一死後三富恒雄に代わる代打小島二男が四球で出塁、織辺由三も四球を選んで無死一二塁、トップに返り苅田久徳は三振に倒れるが、高橋輝彦の左前打で一死満塁、山崎文一が押出し四球を選んで1-2とする。

 セネタースは4回から金子裕がマウンドに上がる。

 巨人先発の中尾輝三は5回まで7四球を出しながら1失点に抑えてきたがここで降板、6回から川上がファーストからマウンドに上がり、ファーストには永澤富士雄が入る。

 巨人は7回、先頭の永澤の三ゴロをサード横沢七郎がエラー、トップに返り呉が三前に送りバントを決めて一死二塁、呉には犠打が記録されているが自らも生きようとしたバントだったのではないでしょうか。水原は三振に倒れるが川上の打席でキャッチャー佐藤武夫が二塁に牽制悪送球して一死三塁、更に金子がボークを犯して3-1とする。

 セネタースは7回裏、一死後苅田が四球で出塁、高橋の遊ゴロをショート白石がエラー、ダブルスチールを決めて一死二三塁、山崎が四球を選んで一死満塁、巨人ベンチはここで川上をファーストに戻して須田博をマウンドに送る。小林茂太の左犠飛で2-3、柳鶴震は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 須田は8回に佐藤、9回に山崎にヒットを許すが無失点で切り抜けて当ブログルールによりセーブを記録する。









 

2013年4月23日火曜日

15年 黒鷲vsライオン 11回戦


10月7日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 2 0 0 1 0 4 黒鷲      41勝36敗4分 0.532 亀田忠
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 ライオン 22勝57敗4分 0.278 近藤久

勝利投手 亀田忠 22勝15敗
敗戦投手 近藤久   7勝16敗

二塁打 (ラ)前田、鬼頭(兄)

勝利打点 木下政文 2


黒鷲5盗塁

 黒鷲は4回、先頭の中河美芳が8球粘って四球で出塁、寺内一隆の三ゴロの間に中河は一気に三塁を陥れて一死三塁、木下政文の中犠飛で1点を先制する。

 黒鷲は5回、一死後岡田福吉が中前打を放って出塁、岩垣二郎の打席で岡田は二盗に成功、岩垣は二飛に倒れるが太田健一の打席で岡田は三盗に成功、太田が3打席連続の四球を選んで出塁すると二盗に成功して一死二三塁、亀田忠が5球ファウルを続けた後、中前に2点タイムリーを放って3-0とする。

 ライオンは6回、先頭の鬼頭数雄が右翼線に二塁打、灰山元章の二ゴロの間に鬼頭(兄)は三進、鬼頭政一の遊ゴロの間に鬼頭(兄)が生還して1-3とする。

 黒鷲は8回、先頭の太田が4打席連続となる四球を選んで出塁、亀田の打席で太田は二盗に成功、亀田は三振に倒れるが、中河がセンター左にヒットを放って一死一三塁、ここで中河が「2-6-3-4」と挟まれるトリックプレーを演じる間に三走太田がホームを陥れて4-1として試合を決める。

 亀田忠は5安打8四球8三振の完投で22勝目をあげる。


 黒鷲の得点は全て好走塁絡みであった。4回は一走中河美芳が三ゴロの間に三塁を陥れ、5回は岡田福吉が二盗、三盗を決め太田健一も二盗を決めて亀田忠の2点タイムリーを引き出した。8回も中河のディレードスチールの隙に三走太田がホームを突いたものである。黒鷲は岡田と太田が2盗塁、岩垣が1盗塁と、5盗塁を決めて快勝した。







                 *亀田忠は5安打完投で22勝目をあげる。












      *5盗塁を決めた黒鷲打線。












 

2013年4月21日日曜日

15年 名古屋vs阪急 10回戦


10月6日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 43勝33敗5分 0.566 西沢道夫 河村章
0 0 2 1 0 0 0 0 X  3 阪急    48勝29敗5分 0.623 石田光彦

勝利投手 石田光彦 14勝10敗
敗戦投手 西沢道夫 15勝8敗

勝利打点 新富卯三郎 2


石田光彦、2安打完封

 阪急は初回、一死後フランク山田伝が中前打で出塁、二死後四番・浅野勝三郎が右翼線にヒットを放ち一走山田は二塁ベースを蹴って三塁に向かうが、ライト吉田猪佐喜からの好返球にタッチアウト。

 阪急は3回、先頭の石田光彦が四球で出塁、トップに返り中島喬の送りバントが野選を誘い、山田の三前バントも内野安打となって無死満塁、新富卯三郎が押出し四球を選んで1点を先制、浅野の遊ゴロをショート村瀬一三がお手玉する間に三走中島が還って2-0とする。井野川利春の三ゴロはサード芳賀直一からのバックホームに山田は本封、黒田健吾の三ゴロも新富が本封されて二死満塁、上田藤夫も三ゴロに倒れて追加点はならず。

 阪急は4回、先頭の田中幸男がピッチャー強襲ヒット、石田が送って一死二塁、トップに返り中島が中前にタイムリーを放って4-0とする。

 名古屋は5回から先発の西沢道夫から左の河村章にスイッチ。阪急5回の攻撃は絶好調・浅野勝三郎からであるが阪急ベンチは左対左を嫌ったのか浅野に代えて代打山下好一を送り、山下好一は期待に応えて左前打を放っている。


 阪急先発の石田光彦は快調なピッチングを見せ、許したヒットは2回の三浦敏一の三塁内野安打と5回の岩本章の中前打の2本のみ。結局、2安打4四球4三振で今季3度目の完封で14勝目をあげる。石田は夏の満州リーグから好調を持続していますが、真面目に投げれば相当の力量を有していたと考えられます。









                 *石田光彦は2安打完封で14勝目をあげる。










 

15年 南海vs金鯱 11回戦


10月6日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 南海 21勝57敗5分 0.269 政野岩夫 劉瀬章
1 1 0 0 0 0 2 0 X 4 金鯱 21勝51敗7分 0.292 古谷倉之助 中山正嘉

勝利投手 古谷倉之助 6勝16敗
敗戦投手 政野岩夫     7勝18敗
セーブ     中山正嘉    6

勝利打点 なし


森田実猛打賞

 金鯱は初回、先頭の五味芳夫が右前打で出塁、室脇正信が四球を選んで無死一二塁、濃人渉が送って一死二三塁、続く黒澤俊夫の打球で三走五味に守備妨害が記録されるてツーアウトとなるが、ピッチャー政野岩夫の一塁送球が悪送球となる間に二走室脇が生還して1点を先制、打者走者の黒澤は二塁ベースを蹴って三塁に向かうがファースト伊藤経盛からの三塁送球にタッチアウト、一旦ダブルプレーが記録されたが後に取り消された。

 金鯱は2回、先頭の森田実が右前打で出塁、上野義秋も右前打で続き、古谷倉之助の送りバントは投飛となるが、漆原進が四球を選んで一死満塁、飯塚達雄の二ゴロの間に三走森田が還って2-0とする。

 南海は3回から先発の政野に代えて劉瀬章をマウンドに送る。

 5回の二死満塁のチャンスを逃した金鯱は6回、一死後漆原が左翼線にヒットを放ち二盗に成功、しかし飯塚は遊ゴロ、五味は遊飛に倒れて追加点はならず。

 南海は7回、先頭の上田良夫が三塁に内野安打、トップに返り国久松一が送って一死二塁、木村勉は左飛に倒れて二死二塁、伊藤に代わる代打清水秀雄が中前にタイムリーを放って1-2と追い上げる。

 金鯱は7回裏、先頭の室脇が四球を選んで出塁し代走に佐々木常助を起用、濃人が中前打を放って無死一二塁、黒澤が右前にタイムリーを放ち二走佐々木が還って3-1、森田も左前にタイムリーを放って4-1と突き放す。

 金鯱は8回から先発の古谷に代えて中山正嘉をマウンドに送る。中山はいきなり吉川義次、岡村俊昭に連続四球を与えるが後続を抑え、9回は三者凡退で切り抜けて当ブログルールにより6個目のセーブを記録する。中山は5セーブで並んでいた若林忠志を抑えてセーブランキング単独トップとなる。


 打線好調の金鯱はこれで三連勝、森田実が3打数3安打1得点1打点1四球1盗塁の活躍であった。





                 *古谷-中山のリレーで金鯱は三連勝。












     *森田実が猛打賞を記録した好調金鯱打線。












 

2013年4月19日金曜日

15年 阪神vs巨人 10回戦


10月6日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 1 0 0 3 阪神  49勝30敗3分 0.620 若林忠志
1 1 0 0 1 2 0 0 X 5 巨人 58勝24敗 0.707 須田博

勝利投手 須田博     30勝11敗
敗戦投手 若林忠志 19勝14敗

二塁打 (巨)白石
本塁打 (巨)川上 7号

勝利打点 なし


呉波、決勝本盗

 “ジャイアンツ”も本日から“巨人”となりました。但し、読売新聞は“タイガース”の“阪神化”及び“イーグルスの“黒鷲化”は伝えていますが“ジャイアンツ”の“巨人化”は伝えていません。読売新聞は以前から紙面で“巨人”の表記を使っていたのは事実ですが、それよりも軍部に対して読売新聞は阪神や黒鷲と違って以前から“日本化”していましたと言いたいだけでしょう。

 巨人は初回、二死後川上哲治がライトスタンドに先制の大ホームランを放って1-0とする。昭和15年10月4日付け読売新聞は「いよいよ“飛ぶ球”を使用」の見出しと共に「再び反発力のよい用球を使用するので」と伝えている。川上の大ホームランを翌日の読売新聞は「川上が“衝撃本塁打”」の見出しで伝えている。

 阪神は2回、先頭のカイザー田中義雄が二遊間に内野安打、松木謙治郎も四球を選んで無死一二塁、しかし田中がキャッチャー吉原正喜からの牽制球に刺され、若林忠志の投直に松木も飛び出してダブルプレー。

 巨人は2回裏、先頭の白石敏男が左翼線に二塁打、平山菊二の二ゴロの間に白石は三進、林清一の遊ゴロに三走白石がホームに突っ込むが三本間に挟まれる、しかしキャッチャー田中からの送球をサード伊賀上良平が落球する間に白石が還って2-0とする。

 阪神は4回、先頭の皆川定之がストレートの四球で出塁、本堂保次の右前打で無死一二塁、伊賀上の投前送りバントをピッチャー須田博が間に合わない三塁に送球し、しかも須田の送球が悪送球となって二走皆川に続いて一走本堂も還って2-2の同点とする。記録は野選と須田の失策。
 巨人は5回、先頭の須田の遊ゴロをファースト松木が落球、トップに返り呉波の三ゴロでランナーが入れ替わり、水原茂の右前打で呉は三塁に進んで一死一三塁、ここで鮮やかに決勝のダブルスチールを決めて3-2と勝ち越す。


 巨人は6回、一死後吉原が左前打、須田も右前打を放って無死一二塁、トップに返り呉が左前にタイムリーを放って4-2、水原は二飛に倒れるが、川上が中前にタイムリーを放って5-3と突き放す。


 
 須田博は5安打3四球2三振の完投で30勝目をあげる。3失点であったが自責点はゼロであった。
 川上哲治は4打数3安打を記録して今季通算307打数97安打で打率を3割1分6厘3に上げて首位打者の座をキープしている。






*須田博は5安打完投で30勝目をあげる。須田の30勝は昨年の42勝に続いて2年連続となりますが、昭和13年は春季14勝、秋季19勝で通算33勝となるので実質3年連続となります。須田は昭和30年まで投げ続けることとなりますが、30勝到達は今季が最後となります。















*この試合が最初の「阪神vs巨人」戦となります。「阪神vs巨人」戦は2014年にはアメリカで公式戦を行うと報道されています。















 

2013年4月18日木曜日

15年 ライオンvs黒鷲 10回戦


10月6日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 0 0 1 0 3 ライオン 22勝56敗4分 0.282 菊矢吉男
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 黒鷲      40勝36敗4分 0.526 長谷川重一 中河美芳

勝利投手 菊矢吉男       8勝22敗
敗戦投手 長谷川重一 11勝8敗

勝利打点 鬼頭政一 1


黒鷲、改名初戦を飾れず

 本日から「イーグルス」は「黒鷲」となりました。昭和15年10月1日付け読売新聞は10月6日からの日程を発表していますが、そこに「なお、イーグルスが“黒鷲”と改称した」と小さく書かれています。

 黒鷲は3回、一死後岡田福吉がストレートの四球を選んで出塁、岡田が二盗を決めて一死二塁、岩垣二郎の二ゴロが進塁打となって二死三塁、太田健一が四球から二盗を決めて二死二三塁、中河美芳の二ゴロをセカンド玉腰年男がお手玉する間に三走岡田が還って1点を先制、二走太田も三塁ベースを蹴ってホームを狙うが玉腰からのバックホームにタッチアウト。玉腰は灰山元章の加入によりこのところファーストからセカンドに回っているが手痛いタイムリーエラーを犯した。

 ライオンは5回、先頭の菊矢吉男が四球で出塁、玉腰の投前バントはピッチャーが長谷川重一が三塁に送球して二走菊矢は三封、坪内道則も投飛に倒れて二死一二塁、ここで鬼頭数雄が左前に同点タイムリーを放って1-1、灰山が四球を選んで二死満塁、鬼頭政一が押出し四球を選んで2-1と逆転する。

 ライオンは8回、先頭の灰山がストレートの四球を選んで出塁、黒鷲ベンチはここで先発の長谷川から中河美芳にスイッチ、鬼頭(弟)の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、更にファースト菅利雄から一塁ベースカバーのピッチャー中河への送球が悪送球となる間に二走灰山は三塁に進んで無死一三塁、前田諭治の中犠飛で3-1とする。

 菊矢吉男は黒鷲打線に8個の四球を与えるが2安打1三振1失点に抑えて完投で8勝目を飾る。長谷川重一も7回3分の0を投げてライオン打線に9四球を与えている。


 鬼頭数雄は4打数3安打を記録して今季通算315打数99安打で打率を3割1分4厘3毛に上げた。





             *菊矢吉男は8四球を与えながら2安打完投で8勝目をあげる。












                 “黒鷲”の名前が初めてスコアブックに記載された。












       *改名初戦の黒鷲打線。








 

2013年4月17日水曜日

15年 9月 月間MVP



月間MVP

投手部門

 阪急 浅野勝三郎 1

 浅野は今月3試合に登板し、27回を投げて13安打10四球9三振、防御率0.33、WHIP0.85、奪三振率3.00。須田博は今月4試合に登板し、40回を投げて15安打13四球17三振、防御率0.00、WHIP0.70、奪三振率3.83。

 投手成績だけを見るとスタルヒンから改名した須田博が上であるが、浅野は21打数10安打を記録して「二刀流」としての評価も加味され、浅野が受賞した。





打撃部門

 ライオン 村上重夫 1

 村上は今月33打数12安打3得点、打率3割6分4厘。中島治康は今月33打数12安打3得点3打点、打率3割6分4厘。

 8月にプロ入りした新人ながら“三冠王”中島治康と同率で首位打者の村上重夫が受賞した。







 

15年 第20節 週間MVP



 今節は阪急が4勝0敗、阪神が3勝1敗、金鯱が2勝1敗、ライオンが2勝2敗、ジャイアンツ が2勝2敗、セネタースが2勝3敗、イーグルスが1勝2敗、名古屋が1勝3敗、南海が1勝4敗であった。


週間MVP

投手部門

 阪急 浅野勝三郎 2

 今節2勝0敗1完封。


 ライオン 近藤久 2

 今節2勝1敗2完封。



打撃部門

 阪急 浅野勝三郎 1

 今節五番ピッチャーと四番レフトで4試合に出場して4試合連続マルチヒット。17打数10安打1得点5打点2四球2盗塁2犠打を記録する。



 ライオン 村上重夫 1

 今節17打数7安打、猛打賞2回。



殊勲賞

 イーグルス 長谷川重一 1

 28日のジャイアンツ戦で完封勝利。


 金鯱 古谷倉之助 1

 29日のイーグルス戦で完封勝利。


 セネタース 柳鶴震 2

 23日のタイガース戦で延長11回決勝タイムリー。




敢闘賞

 金鯱 長尾貞利 1

 24日の阪急では212球を投げて16回3分の1を完投するがサヨナラ負け。28日の名古屋戦でプロ入り初勝利を飾る。


 阪急 石田光彦 1

 24日の金鯱戦で202球を投げて17回を完投、6安打5四球7三振の熱投。




技能賞

 阪急 井野川利春 1

 23日のジャイアンツ戦で水原茂、中島治康、山本栄一郎の二盗を刺して3補殺を記録する。











































 

2013年4月16日火曜日

謝罪



 昨日付けブログ「絶筆」において、「ありとあらゆるメディアで大友が『日米野球初の完投勝利投手』と伝えており」と書いてしまいました。某サイト(「野球の記録で話したい」様です)において、報知新聞の蛭間記者から「報知は書いておりません」というご指摘を受けました。


 全てのメディアを確認していないにもかかわらず、「ありとあらゆるメディアで大友が『日米野球初の完投勝利投手』と伝えており」と書いてしまいました。事実誤認を招いてしまったことに関しては、真摯に反省させていただきますと共に謝罪させていただきます。


 常々、事実をお伝えすることを旨としておりますが、軽率な記述をしてしまったことについて、重ねてお詫び申し上げると共に、今後の反省材料とさせていただきます。



(注)「大友工が日米野球完投勝利第二号」であり、「荒巻淳が第一号」であることは事実ですので誤解なきように。「ありとあらゆるメディアで」の部分が事実誤認であったということです。




 

2013年4月15日月曜日

絶筆



 巨人軍OBの大友工氏が逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。


 大友と言えばどうしても「日米野球初の完投勝利投手」が語られてしまいます。昭和28年10月31日、大友はこの年来日したニューヨーク・ジャイアンツを2対1で破り完投勝利を飾りました。この試合が「日米野球初の完投勝利投手」と語られることが多いのですが、事実は違います。

 昭和28年には読売新聞が招聘したニューヨーク・ジャイアンツと毎日新聞が招聘したロパット・オールスターズが来日して日米野球を行っています。10月23日の毎日オリオンズvsロパット・オールスターズ戦で、荒巻淳が5対4で完投勝利を飾っており、荒巻が「日米野球初の完投勝利投手」を達成しています。大友はその8日後にニューヨーク・ジャイアンツに完投勝ちしました。

 ありとあらゆるメディアで大友が「日米野球初の完投勝利投手」と伝えられており、これに基づきネット上に書かれている大友の訃報でもほぼ全てに於いて大友が「日米野球初の完投勝利投手」とされています。


 当ブログが最初にこの点に疑問を感じたきっかけは、平成16年12月5日発行の「日米野球交流史」(ベースボール・マガジン社)に、昭和28年10月23日に毎日オリオンズがロパット・オールスターズを破り、「勝利投手・荒巻」と書かれているからです。この号では複数投手が登板している場合、投手成績欄に登板した全投手が書かれていますので(例:10月25日、敗戦投手・荒巻、米川、沢藤、柴田、柚木という具合です)、荒巻しか書かれていないということは荒巻淳が完投勝利を飾ったことを意味します。


 当ブログは、書籍に書かれていることを鵜呑みにする程単純ではありません。本日は昨日に続いて午後から休日出勤だったので、午前中に市川市立図書館で朝日新聞の縮刷版昭和28年10月号及び11月号を調べてきました。矢張り、10月23日に荒巻が完投勝利を飾っており、10月31日の大友が第二号であることを確認しました。


 後は、ロパット・オールスターズを日米野球として認めるか否かが論点となります。Wikipediaで「日米野球」を検索すると「1953年、これまで日米野球を主催してきた読売新聞がニューヨーク・ジャイアンツを招聘すると、毎日新聞側もエド・ロパットを団長とする大リーグオールスターチームを招待。対戦相手を代えて2回連続して日米野球を開催するという変則事態となった。その後1955年度から両社間の協議により、読売と毎日が交互に主催することになった。」と書かれています。Wikipediaに頼るまでもなく、昭和28年にはニューヨーク・ジャイアンツとロパット・オールスターズが来日して日米野球を行ったことは歴史的事実です。上記の「日米野球交流史」(ベースボール・マガジン社)でもニューヨーク・ジャイアンツとロパット・オールスターズは並列して書かれています。


 ロパット・オールスターズの来日メンバーは、野手ではハンク・サウアー(1952年ナ・リーグMVP)、イノス・スローター(オールスター・ゲームに10回出場、カージナルス時代にワールドシリーズで見せたベースランニングは「マッド・ダッシュ」と呼ばれ、この時のシーンに基づく銅像がブッシュ・スタジアムに建立されています。)、怪人ヨギ・ベラ(1951、54、55年ア・リーグMVP、知らない人はいないでしょう。)、エディ・マシューズ(本塁打王2回、同僚のハンク・アーロンとのコンビで有名、むしろブレーブスではアーロンより有名でした。)、ビリー・マーチン(喧嘩っ早いことで有名、後のヤンキース監督)。投手ではエド・ロパットの他にロビン・ロバーツ(最多勝4回、「ウィズ・キッズ」と呼ばれたフィリーズのエース)、ボブ・レモン(最多勝3回、オールスター・ゲーム7年連続出場)などの歴史的名選手が多数参加しており、戦後来日したアメリカチームでは最強メンバーとも言われています。




 大友工は、昨年BBMから発行された「NO-HITTERS」ベースボールカードに直筆サインを提供しています。大友がサインビジネスに参画したのはこれが最初で最後となりました。この時の大友のサインが絶筆となりました。




 ご逝去に対して、美辞麗句で飾るのも一つの礼節であることは理解しておりますが、当ブログは、事実を事実として伝えることこそ、故人に対する手向けであると考えます。大友工は、「日米野球完投勝利投手第二号」です。これが第一号でなくても、大友の成し遂げた偉業が貶められるものではないと、当ブログは考えています。







*絶筆となった直筆サイン入り「NO-HITTERS」ベースボールカード。このカードは持っているのですが見当たらないのでネット上から画像をパクらせていただきました。見つかり次第差し替えます。












*ここからは昭和28年に来日したロパット・オールスターズのメンバー。まずはロビン・ロバーツとエディ・マシューズの直筆サインカード。








*ヨギ・ベラの写真としては最も有名な一枚でしょう。ジャッキー・ロビンソンをブロックしたシーン。当然直筆サイン入りです。











     *本日公開する画像ではこれが一番貴重です。ビリー・マーチンの直筆サインカード。









 

2013年4月13日土曜日

15年 阪神vsセネタース 11回戦


9月29日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 2 0 0 0 4 阪神          49勝29敗3分 0.628 三輪八郎 若林忠志
0 0 1 0 0 1 0 0 0 2 セネタース 43勝29敗9分 0.597 三富恒雄

勝利投手 三輪八郎 14勝10敗
敗戦投手 三富恒雄   4勝6敗
セーブ    若林忠志   5

二塁打 (神)本堂、山根 (セ)苅田
三塁打 (セ)苅田

勝利打点 皆川定之 5


セネタース、5か月半ぶりに勝率6割を割り込む
 

 セネタースは初回、先頭の苅田久徳が左中間に二塁打を放つが後続なく無得点。

 セネタースは3回、先頭の織辺由三が四球を選んで出塁、トップに返り苅田が右中間に三塁打を放って1点を先制する。

 阪神は4回、一死後本堂保次が左中間に二塁打、伊賀上良平は三ゴロに倒れるが、カイザー田中義雄が左前に同点タイムリーを放って1-1とする。

 阪神は5回、先頭の山根実が右前打で出塁、三輪八郎が送って一死二塁、宮崎剛の遊ゴロをショート柳鶴震がエラー、山根は動けず一死一二塁、トップに返りジミー堀尾文人は左飛に倒れるが、皆川定之がセンター左にタイムリーを放って2-1と勝ち越す。

 阪神は6回、先頭の伊賀上が四球で出塁から二盗に成功、田中の投ゴロをピッチャー三富がエラーして無死一三塁、捕逸で田中が二進、三走伊賀上は動けず無死二三塁、松木謙治郎が左前にタイムリーを放って3-1、山根が右翼線に二塁打を放って4-1と突き放す。

 阪神は6回から先発の三輪に代えて若林忠志をマウンドに送る。

 セネタースは6回裏、先頭の苅田が四球を選んで出塁、西岡義晴の投ゴロは「1-6-3」と渡るが二塁はセーフで一死二塁、苅田が三盗を決めて一死三塁、高橋輝彦が右前にタイムリーを放って2-4とする。

 若林は7回以降セネタースの反撃をを三人ずつで片付け、当ブログルールにより今季5個目のセーブを記録してセーブランキングトップの中山正嘉に並んだ。


 阪神は中盤に集中攻撃を見せて快勝、一方、セネタースは苅田久徳が孤軍奮闘したが野口二郎の故障が響いて4月10以降キープしてきた勝率6割を割り込んだ。