兵庫県神戸市生まれで千葉県市川市育ちの筆者としてはどっちを応援するべきか最も悩まされる対戦となりました。まぁどっちが勝っても喜べるというメリットもありますが(笑)。
木更津総合は初回にエース千葉が肩の不調で降板するアクシデントがありましたが、二番手の笈川 は千葉の肩の状態を見抜いており準備を怠っていませんでした。序盤のリードを守り切ったチェンジアップは腕の振りが良かったことから効果的でした。
甲子園史上、千葉vs兵庫の対決は本日が17回目となります。初対決は1952年夏の準決勝、芦屋が成田を3対0で破りました。大会屈指の投手と言われた植村義信(後に毎日、大毎、ピッチングコーチ歴は約30年に及ぶ)、本屋敷錦吾(立教大学時代は長嶋、杉浦と“立教三羽ガラス”、後に阪急、阪神)を擁する芦屋高校はこの大会を制覇することとなります。この試合では二番セカンドの本屋敷にスクイズを決められました。
69年春2回戦では銚子商業が三田学園に2対14で大敗しますが、70年春1回戦で千葉商業が滝川を14対3で降して雪辱します。72年夏1回戦は2年生の掛布が四番ショートで出場した習志野が東洋大姫路に3対5で敗れます。掛布も1打点を記録しましたが初回に東洋大姫路の六番山川捕手に満塁ホームランを打たれました。習志野のエース佐藤が外に外すつもりのカーブが中に入ったところを狙い打たれたものです。
73年春1回戦は千葉vs兵庫の対決史上最も印象に残る試合です。銚子商業が報徳学園に0対16とコテンパンにやられました。2年生の土屋が3年生エースの飯田をリリーフしましたが二人とも打ち込まれました。銚子に帰ったナインには罵声が浴びせられました。しかし、この悔しさをバネに、日本一厳しいと言われた伝統の猛練習で、夏の大会ではエースに成長した土屋の力投で作新学院の江川を破る大金星をあげ、翌年の全国制覇につながります。
千葉県代表にとっては東洋大姫路が天敵となりました。72年夏以降も、76年春の習志野、77年夏の千葉商業、86年夏の拓大紅陵が東洋大姫路に敗れています。銚子商業(74年夏優勝)と習志野(75年夏優勝)の全盛期であった70年代は東洋大姫路(77年夏優勝)と報徳学園(74年春・81年夏優勝)の全盛期でもありました。80年春1回戦で八千代松陰が2対3で尼崎北に敗れたのも印象に残りますね。
2000年夏の準決勝は東海大浦安が10対7で育英を破りました。6回を終って9対0で東海大浦安がリードしていましたが、育英が7回に4点、8回に3点をあげる猛反撃を見せます。背番号4の東海大浦安のピッチャー浜名翔はフォークの連投で握力がなくなり限界に来ていました。8回から怪我のエース井上がリリーフに出ましたが1安打2四球で降板、浜名が再登板して何とか逃げ切りました。
2006年春2回戦では成田が0対2で神港学園に敗れました。評判の好投手だった唐川はロッテではエースになり切れず伸び悩んでいます。
70年代以前は兵庫が7勝2敗で千葉を圧倒しますが、80年代以降は本日の対戦を含めて4勝4敗の互角、通算成績は11勝6敗で兵庫がリードしています。
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