2014年4月30日水曜日

16年 朝日vs阪神 9回戦


9月22日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 4 0 3 1 1 0 0  9 朝日 20勝39敗 0.339 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪神 28勝31敗 0.475 藤村隆男 松本貞一 御園生崇男 三輪八郎

勝利投手 福士勇   15勝18敗
敗戦投手 藤村隆男 7勝8敗

二塁打 (朝)岩田、鬼頭、坪内 (神)森
三塁打 (朝)戸川信夫


勝利打点 伊勢川真澄 2


伊勢川真澄、4打点


 朝日は3回、先頭の福士勇が四球で歩き室脇正信が左前打、坪内道則、戸川信夫の一二番コンビは左飛と右飛に倒れて二死一二塁、鬼頭政一の三塁内野安打で二死満塁、伊勢川真澄が中前に2点タイムリーを放って2-0、岩田次男の右中間二塁打で二者還り4-0として試合の主導権を握る。阪神は早くも先発の藤村隆男に代えて松本貞一をマウンドに送り、この後二三塁とするが何とか追加得点は防いだ。

 朝日は5回、先頭の戸川信夫が四球で出塁、鬼頭の左翼線二塁打で無死二三塁、伊勢川の中前タイムリーで5-0、阪神ベンチは三番手として御園生崇男をマウンドに送り込むが岩田が四球を選んで無死満塁、広田修三、前田諭治が連続押出し四球で7-0、御園生は3連続四球で退き三輪八郎が四番手のマウンドへ、三輪が何とか後続を抑える。

 朝日は6回、先頭の戸川信夫が左中間に三塁打、鬼頭が四球を選んで無死一三塁、伊勢川の遊ゴロの間に三走戸川が還って8-0とする。

 朝日は7回、前田に代わる代打五味芳夫が四球を選んで出塁、一死後室脇正信が右前打、トップに返り坪内の左越え二塁打で9-0とする。

 福士勇は大量得点をバックに7安打6四球3三振で今季5度目の完封、15勝目をあげる。

 朝日打線は伊勢川真澄が4打点を記録するなど12安打で9得点、全盛期の猛虎打線を思い出させる波状攻撃であった。


 一方、かつての猛虎も借りてきた猫のようにおとなしくなり、貧打ぶりは重症である。
 

朗報



 本日までゴールデンウィークなのでこの時間に更新します。


 さぁ皆さん、田中の月間MVPが濃厚になってきました。


 29日のオークランド・アスレチックスvsテキサス・レンジャーズ戦でここまで防御率1.62のスコット・カズミアーと1.42のマーティン・ペレスが月間MVPを賭けて対決。


 ペレスは4回3分の2で8失点、自責点8と炎上し、防御率は2.95に急落、月間MVP最有力候補から脱落しました。カズミアーは4勝目をマークしましたが5イニングで3失点、自責点3で防御率を2.11に落としました。


 更に、ここまで防御率1.50のカンザスシティ・ロイヤルズのジェイソン・バルガスまでもがブルージェイズ戦で6回3分の1を投げて5失点、自責点5で防御率を2.40に落としています。


 オークランド・アスレチックスの期待の若者ソニー・グレイは4勝1敗、防御率1.76、奪三振37個ですがWHIP1.15では苦しいか。但し、月間MVP投票では年間MVP投票ほどWHIPは重視されない点に注視しなければなりません。



 田中は3勝0敗、防御率2.27、奪三振46個、WHIP0.93。ライバルとなるフェリックス・ヘルナンデスは3勝1敗、防御率2.40、奪三振47個、WHIP0.90。最終登板で数字を落としたととはいえスコット・カズミアーは4勝0敗、防御率2.11、奪三振35個、WHIP0.94とベテランらしくまとめてきました。


 フレッシュ性と話題性で田中が有利だと思いますが、上述のとおり月間MVP投票では年間MVP投票ほどWHIPは重視されませんので期待度の高いソニー・グレイに投票が集まる可能性は十分あります。ロイヤルズのジェームス・シールズも3勝2敗ながら防御率2.03、奪三振41個、WHIP0.95と投球の内容がいい。5人が並ぶ4勝投手から選ばれるのならカズミアーも依然として有力候補です。



 今月最終日となる30日を残していますのでまだ結論は出せませんが有力候補の登板の予定はないはずです。最終予想は「三冠への道 2014 その2」でお伝えいたします。




 

2014年4月29日火曜日

ビデオ判定?



 ゴールデンウィークということで、昨日の田中と本日のダルビッシュのピッチングは普段見ることのできない多くの勤め人の方もBSの中継をご覧になったのではないでしょうか(筆者もその一人ですが)。


 本日の試合で、満塁の場面でダルの投球をキャッチャーが逸らし、三塁ランナーが自重したのに前を見ずに二塁に向かった一塁ランナーが慌てて戻り、キャッチャーからの送球に危うくセーフ、と思ったらビデオ判定でアウトに変更されました。


 本件には問題点が二つ認められます。


 第一点。そもそも自チームのミスによるプレーに対してビデオ判定を要求するとは言語道断であるというのが当ブログの判定です。野球にミスジャッジが付き物であることは当ブログも認めます。ビデオ判定の導入も世の中の流れとして容認します。但し、プレイヤーが真剣にプレーしたプレーに限定するべきであり、本日のような自チームのミスに起因するプレーに対して行使するべきではないと考えます。これは人間としての道義の問題であり、権利だから何でも行使できるというのは考え違いも甚だしい。


 第二点。あれはセーフです。確かにファーストのプリンス・フィルダーがブロックしていて最初のベースタッチは成されていませんでした。しかし、向こう側に回り込んだ走者の足にフィルダーがタッチにいきましたがノータッチです。これはカメラから捕える角度によってどちらともとれるケースでした。ビデオでも判定できないケースは審判の判定に従うべきです。



 筆者の経験した実例で説明しましょう。筆者がやっていた東京六大学準硬式野球リーグ戦では、主審は連盟から派遣されますが塁審はプレイヤーが務めます。他チームの主力級が務めることが不文律となっており、ヒマな下級生を塁審に送り込むことは禁じられています。筆者が三塁塁審を務めた早稲田vs明治戦、三塁にヘッドスライディングしてきた明治の走者の手が一瞬ベースから離れたところに早稲田の三塁手がスパッとタッチしました。タイミングはどう見てもセーフでしたが、偶然筆者の位置取りが良かったようで明らかに手が離れるところにタッチしたシーンを目撃し、「アウト!」とコールしました。三塁コーチャーズボックスで逆の角度から見ていた明治の監督は烈火のごとく猛抗議してきしたが、筆者の判定は変わりません。明治の走者は暴れ者で有名でしたが何も文句を言わず一塁側ベンチに帰っていきました。早稲田の主将だった三塁手は、明治の監督の猛抗議が終わった後、「今のはアウトだよ」と言ってくれました。



 ベンチに戻った明治の監督は走者に確認していたようです。インターバルの間に一塁塁審を務めていた筆者の同期が「手が離れたのか?」と聞いてきたので「うん。」と答えました。同期は一塁側ベンチの様子を観察していたようで「走者が“しまった”という顔をしていたよ。」と伝えてくれました。微妙なプレーは当事者にしか真実は分かりません。それを判定しなければならないのが審判です。次の回、明治の打者の微妙なファウルを判定した際、三塁コーチャーズボックスの明治の監督がファウルの幅くらいに手を広げて「これくらいだったな」と声を掛けてくれました。一瞬のプレーも、終わってしまえば何のわだかまりもありません。それが野球というスポーツです。






 

木下政文が残した大記録



 木下政文ネタが続きます。


 1日2万ヒットを誇る人気ブログ「野球の記録で話したい」の本日のテーマは「鳥谷敬が挑戦する大記録」として選球眼の良い鳥谷が出塁数で年間300を超える大記録を作るペースであると伝えています。


 ということで、当ブログも「木下政文が残した大記録」についてお伝えいたします。木下が昭和14年~17年にかけて記録した本塁打数は「2本、2本、3本、4本」で4シーズン連続複数本塁打を記録しています。これがいかに凄い大記録かというと、戦前に記録されたこの記録以上の連続複数シーズン本塁打は中島治康の6シーズン(13年秋~18年)、苅田久徳の5シーズン(12年秋~15年)、川上哲治の5シーズン(13年秋~17年)だけです(12年と13年は二シーズン制なので春季、秋季を一シーズンとして換算しています)。



 木下政文が中島治康、苅田久徳、川上哲治という球史に残る殿堂入り選手に次ぐ記録を達成していたことはこれまでほとんど知られていませんでした。というより、そんなことを調べる変人がいなかっただけでしょう(笑)。木下政文のスラッガーぶりを伝えることこそ、当ブログの使命であると考えた次第です。



 

中河美芳と木下政文



 木下政文が八面六臂の活躍を見せて中河美芳が4勝目をあげた試合を実況中継させていただいたところですが、木下と中河は同年代で共に昭和11年に鳥取一中で甲子園に出場、共に関西大学に進み、共に中退してイーグルス(後に黒鷲)に入団して現在(昭和16年9月22日)に至っています。


 中河美芳が関西大学を中退して昭和12年半ばにイーグルスに入団し、12年秋季リーグ戦に登場して大活躍をしたことは周知の事実ですが、木下はいつイーグルスに入団したのでしょうか?


 昭和12年8月26日付け読売新聞は「職業野球 新登録選手」として「イ軍 中河美芳(投手)関大」と伝えており、小島六郎による「職業野球秋の展望」には「投手兼内野手として関大から中河が加わったが力は未知数である」と書かれています。中河の入団時は全くの無名で、ドラフトで騒がれた田中将大や松井裕樹のような扱いではなく、ドラフト四位の鈴木一朗並みの扱いでした。


 木下の入団時の経緯は不明です。木下の公式記録は昭和13年から残されているので13年の新人と考えるのが妥当かもしれませんが、昭和13年3月9日付け読売新聞「職業野球練習記 はばたく黒鷲」には木下は既にイーグルスのメンバーとして記載されており、「目下新人は一人も参加していない」と書かれています。


 これらの事実関係から推測すると、中河美芳と木下政文は昭和11年に鳥取一中で甲子園に出場し、12年春に同期として関西大学に進み、まず中河が12年8月にイーグルスに入団して大活躍したのを見て、木下が「中河があそこまでやれるのなら俺でもできる」と考えて中河の後を追うように関西大学を中退してイーグルスの門を叩いたと考えるのが妥当ではないでしょうか。



 当時の読売新聞の記事を見ても木下政文がイーグルスに入団した経緯に係る記事は見当たりません。本日、筆者は新潟から来ていた「商売人と言われた職業野球」の管理人様とお会いして色々と情報交換させていただきました。「中河が木下を誘った」という記述をどこかで見た覚えがあるとのことでしたので、当ブログの推測は当たっている可能性があります。





 

16年 黒鷲vs阪急 9回戦


9月22日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 1 0 3 2 0 0 7 黒鷲 19勝40敗 0.322 金子裕 中河美芳
2 0 1 0 1 0 0 0 0 4 阪急 37勝22敗1分 0.627 橋本正吾 江田孝

勝利投手 中河美芳 4勝6敗
敗戦投手 江田孝 2勝2敗

二塁打 (黒)富松、木下 (急)山田2

勝利打点 なし


木下政文、八面六臂

 黒鷲は初回、先頭の山田潔が四球で出塁すると宗宮房之助の投ゴロの間に二進、玉腰忠義の右飛で三進、中河美芳の遊ゴロをショート上田藤夫がエラーして山田が生還、1点を先制する。

 阪急は1回裏、先頭の西村正夫が四球で出塁、フランク山田伝の右越え二塁打で無死二三塁、ここで初回にタイムリーエラーを犯した上田が汚名返上の逆転タイムリーを右前に放ち2-1とする。

 阪急は3回、先頭の山田伝が三塁に内野安打、上田は四球、黒田健吾の右前打で無死満塁、中島喬の遊ゴロが「6-4-3」と転送される間に三走山田が還って3-1とする。

 黒鷲は4回、一死後富松信彦が左中間に流し打って二塁打、寺内一隆が左翼線にタイムリーを放ち2-3と追いすがる。

 阪急は5回、先頭の西村が四球で出塁、黒鷲ベンチはここで先発の金子裕を下げてファーストの中河をマウンドに送り込むが山田が代わりばなを捕えて左中間にタイムリー二塁打を放ち4-2と突き放す。

 黒鷲は6回、先頭の中河がバントヒット、富松が中前打で続いて無死一二塁、阪急ベンチはここで先発の橋本正吾から江田孝にスイッチ、しかし江田の暴投と寺内の四球で無死満塁、木下政文が右翼線に二塁打を放って4-4の同点、なお無死二三塁で清家忠太郎がスクイズを試みるがセカンドへの小フライとなり三走寺内も戻れずダブルプレー、二死二塁となって菅の遊撃内野安打で二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行、三走木下が決勝の本盗を決めて5-4とする。

 黒鷲は7回、先頭の玉腰が四球で出塁すると中河の遊ゴロの間に二進、富松が四球を選び、寺内は三振に倒れるが木下が左前にタイムリーを放って6-4、更に清家も左前にタイムリーで続き7-4とダメ押す。


 5回途中からリリーフに立った中河美芳は5イニングを2安打1四球無三振無失点に抑えて4勝目をあげる。


 木下政文が同点の2点タイムリー二塁打、決勝のホームスチール、ダメ押しタイムリーで3打点をあげる八面六臂の活躍を見せた。




 

2014年4月28日月曜日

16年 南海vs巨人 9回戦


9月22日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 3 0 2 0 3 0 8 南海 26勝33敗 0.441 川崎徳次 神田武夫
0 0 0 3 0 0 0 2 0 5 巨人 43勝16敗2分 0.729 中尾輝三 泉田喜義 川上哲治

神田武夫 16勝11敗
中尾輝三 16勝7敗

二塁打 (南)国久、木村
三塁打 (巨)平山
本塁打 (巨)川上 4号、吉原 1号

勝利打点 村上一治 7

猛打賞 (南)国久松一(5安打) 5、岩本義行 5

ファインプレー賞 (南)安井鍵太郎 6




毎回四球

 巨人は前日試合途中で退場した中島治康がスタメンから消えてライトに林清一を起用する。

 南海は初回、先頭の国久松一がレフト線に二塁打、安井鍵太郎の投前送りバントはピッチャー中尾輝三が三塁に送球して国久はタッチアウト、岩本義行が左前打、村上一治は一飛に倒れるが木村勉が四球を選んで二死満塁、しかし岡村俊昭は三振に倒れる。2回は一死後川崎徳次が四球、3回も先頭の安井がストレートの四球を選ぶが後続なし。

 南海は4回、先頭の岡村が四球で出塁、前田貞行は三振に倒れるが川崎が三前にバントヒット、猪子利男は三振に終わるがトップに返り国久が中前打を放って二死満塁、安井が押出し四球を選んで1点を先制、岩本が左前に2点タイムリーを放って3-0とする。

 巨人は4回裏、先頭の川上が右翼スタンドに弾丸ライナーを叩き込んで1-3、吉原正喜が左前打、平山菊二も左前打を放って南海先発の川崎をマウンドから引きずり降ろし神田武夫が登場。呉波の投前送りバントが野選を誘い無死満塁、藤本定義監督はここで林に代えて中島を代打に起用、中島が左前にタイムリーを放って2-3、中尾の一ゴロで中島が二封される間に三走平山が還って3-3の同点に追い付く。

 南海は5回、岡村と神田が四球を選ぶが無得点。

 南海は6回、先頭の国久がこの日3本目のヒットとなる中前打、安井が送り、岩本が四球で歩かされて一死一二塁、村上が左前に勝越しのタイムリーを放って4-3、なお一死一三塁から木村がスクイズを決めて5-3とする。

 南海は7回、先頭の前田が四球を選んで出塁、神田が中前打、猪子の投ゴロで前田は三封、トップに返り国久が4本目のヒットを左前に放って一死満塁、安井の左飛で三走神田がタッチアップからホームを狙うがレフト平山からのバックホームにタッチアウト。神田の手を抜かないプレーぶりが見えてくる。

 南海は8回、先頭の岩本が左前打で出塁、村上が四球を選び岩本が三盗、木村が左中間を抜いて6-3、一走村上も二塁、三塁を蹴ってホームに突進するが「8-6-2」の中継プレーにタッチアウト、この間に打者走者の木村は三塁に進み、岡村は四球、前田が中前打を放って7-3、神田が四球を選んで一死満塁、猪子は三飛に倒れるが、トップに返り国久が5本目のヒットとなる左前タイムリーを放って8-3とする。

 巨人は8回裏、先頭の川上が四球で出塁、吉原がレフトスタンドにツーランホームランを放って5-8とする。

 南海は9回、二死後木村勉らが四球を選ぶが無得点。


 4回途中からリリーフのマウンドに上がった神田武夫は、9回巨人の攻撃を無失点に抑え16勝目をあげて中尾輝三とハーラー三位タイに並んだ。

 国久松一が6打数5安打で5度目の猛打賞を獲得、岩本義行も3安打で5度目の猛打賞であった。南海は調子がいいようです。

 上記試合経過からも分かるように南海はランナーを出しまくって13安打13四球で17残塁、毎回四球を記録した。「毎回四球」は過去に記憶がないので史上初の可能性があります。過去の全試合を洗い直さないと正確なことは書けませんが。昭和15年4月6日の阪急vs南海戦で阪急が32得点を記録した試合でも四球が記録されたのは7イニングだけでした。


 中島治康が代打タイムリーを放った。「中島の代打適時打」も過去に記憶がないので初めての可能性があります。


 川上と吉原が本塁打を記録、熊本工業コンビのアベックホームランは昭和15年11月9日の巨人vs名古屋12回戦以来2度目のことです。吉原は今季限りで応召して戦死することとなりますので、川上とのアベックホームランはこの日が最後となります。






*国久松一が5安打を記録した南海打線。








*川上と吉原がアベックホームランを記録した巨人打線。










 

2014年4月27日日曜日

16年 名古屋vs大洋 9回戦


9月22日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 27勝32敗 0.458 村松幸雄
0 0 0 0 0 2 0 0 X 2 大洋    36勝23敗1分 0.610 三富恒雄

勝利投手 三富恒雄 4勝5敗
敗戦投手 村松幸雄 7勝6敗

二塁打 (大)石井

勝利打点 野口二郎 4

猛打賞 (大)石井豊 2


三富恒雄、4安打完封

 名古屋は2回、先頭の服部受弘が三塁に内野安打、しかし吉田猪佐喜の二直に飛び出してダブルプレー。3回、先頭の石丸進一が中前打、村松幸雄は四球、更にピッチャー三富恒雄の一塁牽制悪送球で無死二三塁、石丸藤吉の左飛で三走弟の進一がタッチアプからホームに向かうがレフト織辺由三からのバックホームをカットしたピッチャー三富の本塁送球にタッチアウト。スコアカードには「7-1-2」と記録されているのでレフトからの本塁送球に左投手の三富が入ったことは間違いない。中継ラインとしては左投げの三富は三塁側に入らなければならないので不自然ではありますが、当時は外野からの中継にピッチャーが入るのが一般的でした。黒鷲はファーストの中河美芳が中継に入っていることがスコアカードから確認されています。

 大洋は3回、先頭の中村信一が四球で出塁、森田実の一ゴロでファースト大沢清がベースを踏んで二塁に送球、ショート石丸藤吉がタッチしてダブルプレー。4回、一死後石井豊が左中間に二塁打、苅田久徳の投ゴロが一塁に送球される間に二走石井が三塁に走るがファースト大沢からの三塁送球で三本間に挟まれてタッチアウトでゲッツー。

 前半戦は両チーム2個ずつの併殺が記録されたが「L4-3」、「7-1-2」、「3-6B」、「1-3-5-6」と何れも変則ダブルプレーである。

 大洋は6回、先頭の中村が三塁に内野安打、森田の中前打で無死一二塁、濃人渉の捕前送りバントはキャッチャー服部が三塁に送球して二走中村は三封、一死一二塁から野口二郎が右前にタイムリーを放って1点を先制、石井も右前タイムリーで続いて2-0とする。


 三富恒雄は名古屋打線を4安打に抑えて4四球無三振で今季2度目の完封、4勝目をあげる。


 8月21日の南海戦に続く完封勝利を飾った三富は栃木商業の出身、太田雄飛から昨年プロ入りした。三富恒雄のプロフィールはネット上ではほとんが栃木商業-法政大学(中退)とされていますが、昭和14年の都市対抗に出場した太田雄飛のピッチャーで、その年の明治神宮大会に優勝しています。プロ入り後、兵役延長のため法政大学に籍を置いていたのかもしれません。当時の読売新聞に掲載されている選手紹介欄には「栃木商業」出身と書かれているだけです。社会人野球出身であっても選手紹介欄には出身校が書かれていますので、法政大学出身というのは間違いでしょう。


 中河美芳は「関大」出身となっています。中河が関大中退であることは明らかなので、中退であっても出身大学として扱われているのが常です。したがって、三富恒雄は栃木商業から太田雄飛に進んで昭和14年の都市対抗に出場、同年の明治神宮大会に優勝して翌昭和15年に翼に入団し、プロ入り後に兵役延長のため法政大学に籍を置いていたと考えられます。






*三富恒雄は南海打線を4安打に抑えて今季2度目の完封を飾る。












*昭和26年名古屋ドラゴンズ在籍時代に第一回オールスターに選出された三富恒雄。「ベースボール マガジン」昭和26年8月号より。










*三富恒雄は昭和14年の都市対抗野球に太田雄飛の投手として出場している。「都市対抗野球大会60年史」より。











*三富恒雄は昭和15年の選手紹介でも16年の選手紹介でも「栃木商業」出身となっている。










*中河美芳の場合は昭和15年の選手紹介では「鳥取中学」出身、昭和16年の選手紹介では「関西大学」出身となっている。中河は関西大学を中退してイーグルスに入団したのでこのような混同が起きているのでしょう。三富恒雄は栃木商業から太田雄飛を経てプロ入りし、プロ野球在籍時に兵役延長のため法政大学に籍を置いただけでしょう。これが誤って「法政大学中退」と伝わってしまったようです。













 

三冠への道 2014 その1



 さぁ皆さん、今年も「三冠への道」の季節がやってきました。


 今年のメジャーの話題を独占しそうなのがまたまたキューバからやってきたホセ・アブレイユです。4月25日現在95打数25安打、二塁打6本、三塁打1本、本塁打9本で打点は27、打率こそ2割6分3厘ですが本塁打、打点の二冠王となっています。アルバート・プホルスも通算500号を達成してここまで9本塁打で並んでいますが、話題性から言ってもア・リーグ月間MVP候補No1でしょう。ホワイトソックスはここまで12勝12敗、アブレイユが本塁打を放った6試合は5勝1敗です。今季のホワイトソックスはアブレイユ次第ということになりそうです。24試合で無安打が10試合(4月17日レッドソックス戦の代打出場を含む)、ヒットを打った14試合のうちマルチヒットが9回と極端に波が大きい。中島治康のようなタイプですね(笑)。



 ナショナル・リーグはブルワーズ旋風とロッキーズ旋風が吹き荒れています。ナ・リーグには現在24人の三割バッターがいますがその内5人をミルウォーキー・ブルワーズが占めています。ここまで17勝6敗で勝率はメジャー断トツの7割3分9厘。昭和16年9月21日現在の巨人の成績は43勝15敗2分で勝率7割4分1厘なので、2014年のブルワーズは昭和16年の巨人並みの強さであるということです。


 コロラド・ロッキーズからは核弾頭のチャーリー・ブラックマンが83打数33安打で打率3割9分8厘、四番のトロイ・トゥロウィツキーが71打数27安打で打率3割8分とナ・リーグバットマンレースで一位と二位を独占しています。トゥロウィツキーの打数が71と少ないのはサボっている訳ではなく四球が17個と打たせてもらえないからです。打順を三番に上げるべきでしょうね。ナ・リーグ月間MVP争いはこの二人に絞られてきました。出塁率も長打率も高いトゥロウィツキーが現在のOPS1.20台をキープすれば候補No1でしょう。




 

2014年4月26日土曜日

16年 阪急vs阪神 9回戦


9月21日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 1 0 2 阪急 37勝21敗1分 0.638 森弘太郎 笠松実
2 1 0 0 1 0 0 0 X 4 阪神 28勝30敗 0.483 若林忠志

勝利投手 若林忠志 12勝11敗
敗戦投手 森弘太郎 21勝6敗

二塁打 (急)中島 (神)松木、田中、松下、御園生

勝利打点 若林忠志 2

猛打賞 (神)カイザー田中義雄 2


阪急13連勝でストップ

 阪急は7月29日以降ここまで1引分を挟んで13連勝を続けており、この間の平均得点は2.59得点。一方、阪神は7月29日以降の13試合で4勝9敗、平均得点は1.92得点で打撃不振が勝てない原因であることがはっきりしている。ということで、阪神は一番に松木謙治郎監督、四番に松下繁二、五番に先発の若林忠志を起用してきた。


 阪神は初回、一死後宮崎剛の遊ゴロをショート上田藤夫がエラー、カイザー田中義雄の右前打で一死一三塁、松下が四球を選んで一死満塁、若林忠志がセカンド前にスクイズを決めて1点を先制、セカンド伊東甚吉のエラーが加わり一死一三塁、御園生崇男の中犠飛で2-0とする。

 阪急は2回、先頭の日比野武が中前打、森田定雄の三ゴロでランナーが入れ替わり、伊東が四球を選んで一死一二塁、森弘太郎の投ゴロで伊東が二封されて二死一三塁、トップに返り西村正夫の二塁内野安打で森田が還り1-2と詰め寄る。

 阪神は2回裏、先頭の野口昇が四球を出塁、森国五郎が送って一死二塁、トップに返り松木が右翼線に二塁打を放って3-1する。

 阪神は5回、先頭の田中が右中間に二塁打、四番・松下も左中間に二塁打を放ち4-1と突き放す。

 阪急は8回、先頭の上田がセンター左にヒット、黒田健吾の三塁内野安打で無死一二塁、中島喬の二ゴロが「4-6-3」と転送される予定であったがショート皆川定之からの一塁送球が悪送球となる間に上田が還って2-4とするが反撃もここまで。

 若林忠志は8安打1四球1死球2三振の完投で12勝目をあげる。


 阪急は13連奏でストップ、森弘太郎も6連勝でストップした。


 阪神は打線の組換えが功を奏して宿敵阪急を破った。自らをトップに起用した松木謙治郎監督はタイムリー二塁打を含む4打数2安打1安打、五番に起用された若林も勝利打点を記録した。


 プロ入り二度目の四番に起用された松下繁二はダメ押しのタイムリー二塁打を放ち3打数1安打1打点であった。8月18日の巨人戦で初めて四番に起用された試合では5打数無安打であったが本日は四番の責務を果たしたのである。松下は明石中学から法政大学を経て今季阪神に入団、明石中学時代は中京商業との延長25回の試合で五番・サードとして先発出場している。今季終了後に応召、プロ野球は1年を経験したのみで戦場に散ることとなる。





*阪神は新打線で阪急に快勝した。











 

16年 黒鷲vs朝日 9回戦


9月21日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 1 0 0 0 0 2  0  3 黒鷲 18勝40敗 0.310 石原繁三
0 2 0 0 0 0 0 0 2X 4 朝日 19勝39敗 0.328 山本秀雄 福士勇

勝利投手 福士勇 14勝18敗
敗戦投手 石原繁三 2勝6敗

二塁打 (黒)寺内 (朝)戸川信夫、内藤

勝利打点 坪内道則 1


同率決戦

 ここまで18勝39敗で同率七位に並ぶ両雄の対決。

 朝日は初回、二死から広田修三、伊勢川真澄、岩田次男が3連続四球、しかし室脇正信は右飛に倒れて無得点。

 朝日は2回、先頭の前田諭治がバントヒット、山本秀雄が送って一死二塁、井筒研一の三ゴロの間に前田は三進、トップに返り坪内道則が四球から二盗を決めて二死二三塁、戸川信夫が右中間に二塁打を放って2点を先制する。

 黒鷲は3回、一死後石原繁三が中前打で出塁、トップに返り山田潔が四球を選んで一死一二塁、宗宮房之助の右前打で二走石原は三塁ベースを蹴ってホームに向かい、タイミングはアウトであったがライト井筒からの返球が悪送球となる間にホームインして1-2とする。

 2回まで4四球を出した黒鷲先発の石原は3回以降立ち直り8回まで1安打無四球無失点のピッチング、味方の反撃を待つ。

 黒鷲は4回から6回まで三者凡退。7回、先頭の富松信彦が二塁への内野安打で出塁、寺内一隆が送って一死二塁、木下政文は投ゴロに倒れ、二走冨松はピッチャー山本が一塁に送球した瞬間三塁にスタートを切るがファースト広田からの送球にタッチアウト、「1-3-5」のダブルプレーが記録される。

 黒鷲8回の攻撃、朝日先発の山本秀雄はここまで1四球であったが突然乱れ、清家忠太郎、石原、山田と3連続四球で無死満塁、朝日ベンチは堪らんとばかりに福士勇をリリーフに送るが、宗宮房之助が投前に同点スクイズを決めて2-2、玉腰忠義も投前に逆転スクイズを決めて3-2、石原の好投に応える。

 朝日は9回裏、一死後室脇に代わる代打鬼頭政一が左前打で出塁、前田に代わる代打内藤幸三が右中間に同点二塁打を放って3-3、福士が四球を選び、井筒の左前打で一死満塁、トップに返り坪内がサヨナラの押出し四球を選んで朝日が逆転サヨナラで単独七位に浮上した。


 ここまで同率で最下位に並ぶ両チームの対戦は逆転サヨナラの好ゲームとなった。チーム力が接近している証左でしょう。





 

2014年4月25日金曜日

ロバート.K.フィッツさんから「いいね」をいただきました



 筆者が参加しているフェイスブック「昭和20年代野球倶楽部」において、ロバート.K.フィッツさんから「いいね」をいただきました。


 経緯を説明すると少し長くなりますが説明させていただきます。


 スポーツ報知の蛭間記者の記事にMさんから「蛭間さんへ>SABRのMです。こんなことが調べられるかわかりませんが、大宮氷川神社の権禰宜さん(知り合いです)から電話がありまして、昭和9年にベーブルースが大宮球場に来た時に、氷川神社に寄ったかどうか調べることができますかね?新聞記事とかで・・・電話するより早いと思いまして書き込みました。」という書込みがありました。


 そこで筆者が横レスを入れて「M様 先日SABRでお会いしたNです。ロバート.K.フィッツ著「大戦前夜のベーブ・ルース」によると、11月2日に来日した全米チームは翌3日の明治節に明治神宮に参拝したとのことです。したがって、大宮でも氷川神社に寄った可能性は否定できないと思いますが日程的には苦しいかもしれません。11月28日に京都で試合を行った一行は翌29日に大宮で試合を行い、次の最終戦は12月1日の宇都宮です。但し、「大戦前夜のベーブ・ルース」によると「(大宮の)試合が終わると全米チームは東京へ戻り、帝国ホテルで夕食を食べた。」とのことなので氷川神社に参拝する時間は無かったのではないでしょうか。下の写真は明治神宮に参拝した際の全米チームです。鈴木惣太郎とベーブ・ルースの顔が見えます。」



とコメントさせていただきました。



 すると、何とこの筆者のコメントに対してRobert Fittsさんから「いいね」をいただいたのです。SABR(アメリカ野球学会)の仲間内でのやり取りとなりますので、「大戦前夜のベーブ・ルース」の筆者であるロバート.K.フィッツさんに間違いありません。「大戦前夜のベーブ・ルース」は昨年の冬休みに読んで、昨年末から今年初にかけて読書感想文をシリーズでお届けしたところです。まさかその著者から「いいね」をいただくことになるとは、当ブログも出世したものです(笑)。




 

2014年4月24日木曜日

500本



 アルバート・プホルスが2本塁打を放って史上26人目の通算500本塁打を達成しました。予定よりやや遅れましたが34歳96日での到達は32歳8日のアレックス・ロドリゲス、32歳336日のジミー・フォックスに次いで史上三番目の若さです。まぁ年齢詐称疑惑はありますが。


 当ブログが2010年に「三冠への道」シリーズを始めたのはプホルスの三冠達成を期待してのものでした。今季は8本塁打でトップに立ち打点との二冠も期待できるスタートとなりました。懸念されている下半身も状態は良いようです。早くも忘れられた存在になりかけていますが、下半身の状態さえもてばタイトル争い加わってくる力は残っていますね。


 逆にミゲール・カブレラは昨年終盤に指摘させていただいたとおり勤続疲労が出てきたようです。MVP候補はマイク・トラウトと予想させていただきます。






*史上二番目の若さで500本塁打を達成したジミー・フォックスが昭和9年の来日時に日本で残した直筆サイン。もちろん1940年9月24日の到達時は歴代No1の若さでした。










 

12年 大洋vs巨人 10回戦



9月21日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 大洋 35勝23敗1分 0.603 古谷倉之助
0 2 0 1 1 0 0 0 X 4 巨人 43勝15敗2分 0.741 澤村栄治

勝利投手 澤村栄治     8勝5敗
敗戦投手 古谷倉之助 3勝5敗

本塁打 (大)織辺由三 1号

ファインプレー賞 (巨)平山菊二 1、2


巨人5盗塁

 大洋は苅田久徳現場監督が欠場、野口二郎も投げられる状態ではなくライトで出場、古谷倉之助が先発する。 

大洋は初回、先頭の中村信一が左前打で出塁、森田実が送って一死二塁、濃人渉の左飛は二走中村が「落ちる」と判断してスタートを切ったがレフト平山菊二は捕球、そのまま二塁に投げてダブルプレー。

 巨人も1回裏、先頭の白石敏男が左前打で出塁するが水原茂の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は2回、先頭の中島治康が右前打で出塁、吉原正喜の三ゴロをサード山川喜作がエラー、キャチャー佐藤武夫の二塁牽制が悪送球となる間に二走中島は三進、吉原が二盗を決めて無死二三塁、平山は浅い右飛に倒れるが呉波の打席で古谷がワイルドピッチ、三走中島が還って1点を先制、一死三塁から呉がスクイズを決めて2-0とする。呉のスクイズはスコアカードには「遊前」と記録されている。プッシュバントであったのかもしれません。

 巨人は4回、二死後吉原が三塁内野安打で出塁すると本日2個目の二盗に成功、平山が中前にタイムリーを放って3-0とする。

 大洋は5回、山川、佐藤は連続三振に倒れれるが、織辺由三がレフスタンドにホームランを放って1-3と追いすがる。


 巨人は5回裏、先頭の澤村栄治が中前打で出塁、トップに返り白石の遊ゴロでランナーが入れ替わり白石が二盗に成功、水原の遊ゴロをショート濃人がエラー、二走白石はそのままで一死一二塁、千葉茂が左前にタイムリーを放って4-1、更に重盗を決めるが川上哲治は二ゴロ、中島は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。巨人はこの回までに5個の盗塁をすべて決めた。
 澤村栄治は大洋打線に8安打を許すが、打たれながらも粘りのピッチングを見せて無四球7三振の完投で今季8勝目をあげる。



 平山菊二が好守を連発、翌日の読売新聞には「平山が前後3度に亘る超人的美技」と書かれている。スコアカードに記録されている美技は6回の左邪飛と続く左飛だけであるが、野口二郎の右前打を挟んで石井豊の左飛もファインプレーだったのかもしれない。







*澤村栄治は7奪三振の力投で今季8勝目をあげる。











 

2014年4月22日火曜日

16年 南海vs名古屋 9回戦


9月21日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海     25勝33敗 0.431 神田武夫
0 0 0 1 0 0 0 0 X 1 名古屋 27勝31敗 0.466 河村章

勝利投手 河村章     13勝6敗
敗戦投手 神田武夫 15勝11敗

二塁打 (名)古川

勝利打点 芳賀直一 4

ファインプレー賞 (名)吉田猪佐喜 1


芳賀直一、決勝スクイズ

 南海先発の神田武夫に3回まで古川清蔵の二塁打1本に抑えられてきた名古屋は4回、先頭の大沢清が中前打で出塁、服部受弘も中前打で続いて無死一二塁、しかし二走大沢がピッチャー神田からの牽制球に刺されて一死一塁、直後に吉田猪佐喜が右翼線に二塁打を放って一死二三塁、このチャンスに芳賀直一がスクイズを決めて1点を先制、これが決勝点となった。

 名古屋先発の河村章は南海打線を5安打に抑え2四球5三振で今季4度目の完封、13勝目をあげる。

 神田武夫は8回を完投して名古屋打線を4安打に抑えたが4回に3安打を集中されて敗戦投手となった。走者を許したのは初回と4回だけで、6度の三者凡退を記録した。


 一試合最多三者凡退の記録は一度調べてみる価値がありますね。完全試合では三者凡退は一試合9度となります(当たり前か!)が、藤本英雄がプロ野球史上初の完全試合を達成するのは1950年のことなのでまだ9年先のことです。これまでのところ、唯一の準完全試合を達成した浅野勝三郎の8度が最高記録となります。昭和16年7月2日、朝日vs名古屋5回戦は延長16回までいきましたが村松幸雄が三者凡退11度の記録を残しています。9回で終了した試合では、澤村栄治も一試合6度の三者凡退を記録したことがありました。




*河村章は南海打線を5安打に抑えた。






 

2014年4月21日月曜日

16年 朝日vs阪急 9回戦


9月20日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 6 0 0 0 0 0 6 朝日 18勝39敗 0.316 福士勇 野村高義
0 1 4 0 2 0 0 1 X 8 阪急 37勝20敗1分 0.649 笠松実 浅野勝三郎 森弘太郎

勝利投手 浅野勝三郎 2勝5敗
敗戦投手 野村高義     0勝5敗
セーブ  森弘太郎  5S

二塁打 (朝)伊勢川、広田 (急)笠松、山田

勝利打点 西村正夫 2


逆転の連続

 阪急は2回、先頭の黒田健吾が左前打で出塁、中島喬は三振に倒れるが黒田が二盗に成功、日比野武は二ゴロに倒れて二死二塁、森田定雄が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 阪急は3回、先頭の笠松実が左中間に二塁打、トップに返り西村正夫は四球、フランク山田伝が送り、上田藤夫が四球を選んで一死満塁、黒田が押出し四球を選んで2-0、中島が右前にタイムリーを放って3-0、二走上田も三塁ベースを蹴ってホームに向かうがライト鬼頭政一からのバックホームにタッチアウト、二死一二塁から重盗を決めて二死二三塁、日比野武の二遊間へのヒットで二者生還して5-0として試合の主導権を握る、かに見えた。

 ところが朝日は6回、先頭の戸川信夫が四球で出塁、鬼頭は三飛に倒れるが伊勢川真澄が四球、岩田次男の左前打で一死満塁、広田修三が押出し四球を選んで1-5、前田諭治の右前タイムリーで2-5、福士勇に代わる代打内藤幸三が右前に2点タイムリーを放って4-5、一走前田は三塁に進み内藤に代えて代走に五味芳夫を起用して一死一三塁、ここで重盗を敢行、「2-4」から折り返しキャッチャー日比野に返球されると三走前田は三本間に挟まれるがサード黒田からの送球を日比野が落球する間にホームインして5-5の同点、この間に一走五味は三塁に進み、室脇正信が左前にタイムリーを放って6-5と逆転する。阪急はここで先発の笠松実から浅野勝三郎にスイッチ、坪内道則が中前打を放って一死一二塁、しかし戸川の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 阪急は5回、黒田、中島が左前に連打、日比野の送りバントが野選を誘って無死満塁、森田の三ゴロで三走黒田は本封、伊東甚吉のスクイズが内野安打となって6-6の同点、浅野は一邪飛に倒れて二死満塁、トップに返り西村が勝越しの押出し四球を選んで7-6と逆転する。

 阪急は8回、先頭の山田が左中間に二塁打、上田が送って一死三塁、黒田の右犠飛で8-6とする。


 阪急は8回途中から森弘太郎を三番手のマウンドに送り森が朝日の反撃を抑えて当ブログルールにより5セーブ目を記録、森は最多勝兼セーブ王を独走している。



 両チーム11安打ずつの打撃戦は逆転に次ぐ逆転の好ゲームとなった。







 

2014年4月20日日曜日

対決! その1



 G1になるとスポニチ誌上に池江泰郎元調教師の予想「匠の視点」が掲載されます。当ブログは、かねてから本命馬ばかりに印を付ける池江泰郎の素人予想を批判しています。


 ということで、池江泰郎「匠の視点」vs馬券歴38年「さすらいの馬券師」筆者の対決をシリーズでお届けすることにしました。

 本日の皐月賞は、「匠の視点」では「必然のワールド」の見出しでトゥザワールド、イスラボニータ、トーセンスターダム、ワンアンドオンリーを「4強」とした上で、「皐月賞は慎重に3連複としました。・・・①②⑰、②⑦⑰、①⑦⑰の3点・・に厚め、②⑦2頭軸で⑥⑩⑯へと流します。」とのことで、「⑰トゥザワールドを軸に②イスラボニータ、⑦トーセンスターダム、①ワンアンドオンリーへ流す3連複と、②イスラボニータと⑦トーセンスターダムの2頭軸から⑥アドマイヤデウス、⑩ベルキャニオン、⑯アジアエクスプレスへ流す3連複」という予想でした。結果は1着②イスラボニータ、2着⑰トゥザワールド、3着⑱ウインフルブルームで見事に外れましたね。


 馬券歴38年「さすらいの馬券師」筆者の予想は、
「私がアグネスタキオン出現以前の最強サンデーサイレンス産駒と考えていたフジキセキもこの2年種付けがなく事実上の種牡馬引退状態で、今年の3歳世代がラストクロップになると言われています。シンザンのミホシンザン、パーソロンのシンボリルドルフ、サンデーサイレンスのディープインパクト等、種牡馬の最晩年に最高傑作が出現することはよく知られている事実です。
 ということで、今年の皐月賞は2頭のフジキセキ産駒イスラボニータとロサギガンティアで勝負します!
 フジキセキはサンデーサイレンスのファーストクロップです。新潟のデビュー戦は10馬身出遅れながら8馬身差の圧勝でした。レースを見た瞬間「ダービーはこの馬で決まり!」と叫んでいましたが、クラシック寸前で故障のため皐月賞、ダービーは出走できませんでした。種牡馬としては国内外でG1馬を8頭出して産駒の重賞55勝は戦後の内国産種牡馬では歴代N01、通算勝利数も内国産種牡馬では歴代No1ですが産駒のクラシック制覇はまだありません。ラストチャンスに賭けてみます。」




 結果は「購入金額14,700円」に対して「払戻・返還金額 24,060円」でした。池江泰郎が馬づくりの名手である点は認めますが、馬券は素人であると断言できます。「さすらいの馬券師」筆者は、イスラボニータ及びロサギガンティアの単勝と馬連を軸に勝負しました。3着は紛れがあると読みましたが3連単又は3連複の総流しまでは無いと考えた結果です。回収率164%の結果から、優勝馬のイスラボニータを中心に据えていたことがご理解いただけると思います。もちろんトゥザワールドもワンアンドオンリーも買っていましたので池江泰郎と似た予想ではありましたが結果は断然違います。素人は3連複や3連単に手を出しますが、プロの馬券師は単勝や馬連で我慢します。競馬は何が起こるか分かりません。特に皐月賞は紛れがあります。あのスペシャルウィークでも3着に敗れているのです。これが38年続いてきた秘訣です。


 なお、当ブログでは当たらない予想を書いて原稿料をせしめる予想屋には敬称を付しませんのでご了承願います。馬券歴38年「さすらいの馬券師」筆者の予想は他サイトに書いています。当ブログは競馬予想サイトではありませんので当ブログには筆者の予想は掲載せず、結果のみを掲載いたしますのでご了承ください。


*対戦成績 「さすらいの馬券師」1勝vs「匠の視点」0勝






























 

16年 黒鷲vs阪神 9回戦


9月20日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 3 0 0 0 0 0 0  3 黒鷲 18勝39敗 0.316 畑福俊英
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪神 27勝30敗 0.474 三輪八郎 藤村隆男

勝利投手 畑福俊英 5勝9敗
敗戦投手 三輪八郎 2勝6敗

二塁打 (神)御園生
三塁打 (黒)富松

勝利打点 中河美芳 3

猛打賞 富松信彦 3


投手の基本

 黒鷲は3回、二死後宗宮房之助の三ゴロをサード玉腰忠義が四球を選んで二死一二塁、中河美芳が中前にタイムリーを放って1点を先制、富松信彦が右中間に三塁打を放って二者還り3-0とする。

 阪神は4回から先発の三輪八郎に代えて藤村隆男をマウンドに送り込み、藤村は9回までの6イニングを5安打3四球2三振無失点に抑える。しかし阪神打線は黒鷲先発の畑福俊英から得点を奪うことはできなかった。


 畑福は7安打無四球5三振で今季3度目の完封、5勝目をあげる。三者凡退は初回と9回の二度のみで、毎回のように走者を出したが無失点に抑えた理由は2点あげることができる。

 一つ目は四球を出さなかったことでこれは誰にでも分かるでしょう。二つ目はイニングの最初の打者を抑えた点にある。2回は御園生崇男に二塁打を打たれが二死後のことであった。3回は宮崎剛、皆川定之にこの日唯一の連打を許したがこれも二死後のことであった。6回はショートとセカンドの連失で2人の走者を出したがこれも二死後のこと、5回、7回、8回とヒットを許すが先頭打者は抑えている。唯一先頭打者を出したのは4回、先頭の土井垣武に右前打を打たれたが松下繁二を中飛、御園生を捕邪飛、野口昇を遊飛に抑えた。

 四球を出さないこと、イニングの最初の打者を抑えること、投手として至極当然の基本を守って畑福俊英は戦場から復帰後3度目の完封勝利を飾った。畑福は昭和12年春、12秋、兵役を挟んで昭和16年、更に17年、18年と「5シーズン連続完封勝利3つ」の記録を達成することとなる。


 専大出身の畑福俊英は戦後、専大松戸(専修大学松戸高等学校)野球部の監督に就任するが、自らが実践した投手の基本を後輩に教え込んだのでしょう。専大松戸の歴代の投手には、畑福の教えが伝統として伝えられていった。その教えが開花したのが2014年です。2011年日ハム6位指名の上沢直之(専大松戸)は、3シーズン目となる今季、4月2日にプロ入り初登板を初勝利で飾ると3試合で3連勝、初登板から3戦3勝はチームの日本人投手としては1952年の“怪童”尾崎行雄以来のこととなる。現在のところ、パ・リーグ新人王最有力候補であることは言うまでもありません。

 松戸一中から専大松戸に進んだ上沢が新人王となれば、東葛地域には久々の朗報となります。松戸六中出身の小保方博士が「ノーベル賞級の大発見」と伝わった時は地元も盛り上がりましたが、その後の盛り下がりようは各種報道のとおりです(笑)。





*畑福俊英は阪神打線に7安打を許したが要所を締めて今季3度目の完封、5勝目をあげる。















*畑福俊英に抑えられた阪神打線。先頭打者が出塁したのは4回だけであった。














 

2014年4月19日土曜日

16年 南海vs大洋 9回戦


9月20日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 1 1 0 3 南海 25勝32敗 0.439 川崎徳次
0 1 0 0 0 0 0 0 1 2 大洋 35勝22敗1分 0.614 三富恒雄 中山正嘉

勝利投手 川崎徳次 6勝13敗
敗戦投手 中山正嘉 1勝1敗

二塁打 (南)国久

勝利打点 なし

ファインプレー賞 (大)石井豊 8 (南)安井鍵太郎 5


決勝重盗

 大洋は2回、先頭の山川喜作が四球で出塁、佐藤武夫の投前送りバントをピッチャー川崎徳次が二塁に送球してタイミングはアウトであったがセカンド国久松一が落球、村松長太郎も四球を選んで無死満塁、三富恒雄の左犠飛で1点を先制する。

 3回、4回と2安打ずつを放ちながら得点に結びつけることができなかった南海は5回、一死後安井鍵太郎が四球で出塁、岩本義行は右飛に倒れるが村上一治、岡村俊昭が連続四球で二死満塁、大洋はここで先発の三富から中山正嘉にスイッチ、しかし木村勉が押出し四球を選んでノーヒットで1-1と同点に追い付く。

 南海は7回、一死後村上が四球で出塁、岡村の二ゴロの間に村上は二進、木村の遊ゴロをショート濃人渉が一塁に悪送球して二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて三走村上が決勝のホームを踏む。

 南海は8回、先頭の前田が左前打、川崎が送って一死二塁、国久が左中間に二塁打を放って3-1と突き放す。

 南海先発の川崎は2回に1点を失ったものの6回までノーヒットピッチング、7回村松に初ヒットを許すが後続を抑え、8回も2安打を許しながら併殺で切り抜け、9回は三者凡退に抑える。


 川崎徳次は3安打4四球3三振の完投で6勝目をあげる。


 「新愛知杯争奪野球」に優勝した南海は勢いに乗っている。川崎が自信を付けたようで、神田武夫との二本柱が機能すると秋季シリーズの台風の目となる可能性がある。





*川崎徳次は大洋打線を6安打に抑えて6勝目をあげる。






*勢いがついてきた南海打線。本日はダブルスチールで決勝点をあげた。




 

2014年4月18日金曜日

16年 名古屋vs巨人 9回戦


9月20日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 26勝31敗 0.456 松尾幸造 西沢道夫
2 0 3 0 0 0 0 0 X  5 巨人    42勝15敗2分 0.737 中尾輝三

勝利投手 中尾輝三 16勝6敗
敗戦投手 松尾幸造   0勝6敗

二塁打 (巨)吉原

勝利打点 川上哲治 12

ファインプレー賞 (巨)水原茂 12


中尾輝三、2安打完封

 秋季シリーズ開幕戦は名古屋が松尾幸造、巨人が中尾輝三と両左腕の先発で午後0時半、池田豊主審の右手が上がり試合始め。

 巨人は初回、先頭の白石敏男が四球で出塁、水原茂も四球を選んで無死一二塁、千葉茂の右前打で無死満塁、川上哲治の右犠飛で1点を先制、中島治康は三振に倒れるが、吉原正喜が左翼線に二塁打を放って2-0とする。名古屋ベンチはここで先発の松尾から西沢道夫にスイッチ、平山菊二は三ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は3回、水原が左前打、千葉が中前打、川上が中前打を放って無死満塁、中島は浅い右飛に倒れるが、吉原が押出し四球を選んで3-0、平山の右前タイムリーで4-0、呉波の二ゴロ併殺崩れの間に三走川上が還って5-0とリードを広げる。

 名古屋打線は初回に古川清蔵が左前打を放って以降音なしの構え。9回、先頭の桝嘉一に代わる代打岩本章が三前にセーフティバントを決めてようやく2本目のヒット、古川は中飛に倒れるが吉田猪佐喜の投ゴロを中尾がエラー、藤本定義監督はここでファーストを川上から永沢富士雄に交代して一息入れる。現在本塁打王の服部受弘は三振、最後は大沢清が中飛に倒れて試合終了。


 中尾輝三は2安打3四球5三振で今季5度目の完封、16勝目をあげる。夏季シリーズ最後の登板となった優勝をかけた阪急戦では不甲斐ない投球で初回にKOされた中尾も本日は会心のピッチングを見せた。一番ショートに白石も復帰し、相変わらず不振の中島を除くと、巨人は万全の状態で秋季シリーズを迎えたようだ。




*中尾輝三は2安打完封で16勝目をあげる。



 

中休み




 秋季シリーズの開幕まで1か月程空くことになるので小さな大会が3つ開催された。


 8月30日~9月2日にかけて「日本野球四強豪争覇」と銘打って阪急、巨人、大洋、阪神によるリーグ戦が行われた。初日は阪神が阪急を4対0で、大洋が巨人を2対0で降す。雨で1日順延後、巨人が平山菊二のサヨナラ打で阪神を降し、大洋が阪急を3対1で降した。最終日は巨人が川上哲治のサヨナラ打で阪急を降し、大洋が阪神を2対1で降して大洋が3戦全勝で優勝した。


 9月6日~8日に阪神、朝日、阪急による「在阪三球団対抗戦」が行われたがこの記録は読売新聞には残されていない。




 そして、9月12日~15日にかけて秋季シリーズの成績にも影響を及ぼすこととなる「新愛知杯争奪野球」が鳴海球場にて行われた。全球団が参加したトーナメント戦である。


 初日の1回戦は名古屋が黒鷲を2対0で降し、阪急が阪神を1対0で振り切った。二日目の1回戦は朝日が巨人を4対2で降し、南海が神田武夫の延長13回完投で大洋を2対1で降した。


 三日目の準決勝は阪急が名古屋を延長11回6対5の接戦で降し、南海が朝日に川崎-神田のリレーにより5対1で楽勝した。


 最終日の三位決定戦は名古屋が村松幸雄の好投で朝日を1対0で降した。いよいよ決勝戦、南海が阪急を延長14回の末3対1で降した。南海は川崎-神田のリレー、阪急はショート上田藤夫の3失策が痛かった。



 この結果を見て、9月19日付け読売新聞は「日本野球“秋の陣” 第一節展望」と題して「波乱起こすか快調南海」と伝えている。神田武夫、川崎徳次の若手二枚看板を擁する秋季シリーズでの南海の戦いぶりは要注目となりそうな気配である。




*昭和9年日米野球に来日したベーブ・ルース、ジミー・フォックス、ルー・ゲーリッグが日本で残した直筆サイン入り写真。新愛知新聞の関係者が残していたもので、鳴海球場で撮影された写真であると考えられる。「新愛知杯争奪野球」が鳴海球場にて行われたことを記念して掲載させていただきました。





*当時の報道写真に見られる刻印が施されていることから本物に間違いない。




 

2014年4月17日木曜日

月間三塁打8本




 川上哲治が昭和16年8月の1か月間で16試合に出場して8本の三塁打を記録しました。川上の今季の三塁打は9本となりますが、その内8本を1か月で稼いだことになります。恐らくこれは日本記録でしょう。年間の最多三塁打記録は昭和26年の金田正泰で18本、以下昭和28年のレインズ16本、昭和25年の蔭山和夫15本、昭和21年の鈴木清一14本と続きますが、月間8本以上を記録したのは川上だけではないでしょうか。調査できる方は是非お願いいたします。


 川上は足が速かったの遅かったのか。昭和25年には34盗塁を記録しますので遅くはなかったと考えられます。守備が下手であったと言われますので足も遅いイメージがありますが、鈍足では月間三塁打8本の記録は作れないでしょう。


 歴代三塁打1位は福本豊で115本、二位が毒島章一で105本、三位が金田正泰で103本。川上は99本で通算三塁打でも歴代四位となっています。以下、広瀬叔功88本、呉昌征と中暁生が81本と、駿足で鳴らした選手が名前を連ねています。川上も駿足列伝に加えるべきではないでしょうか