2021年3月28日日曜日

21年 パシフィックvs阪急 11回戦

8月26日 (月) 西宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 2 0 0 0 4 パ軍 26勝38敗2分 0.406 井筒研一 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 38勝35敗 0.521 野口二郎

勝利投手 井筒研一 11勝13敗
敗戦投手 野口二郎   8勝9敗

勝利打点 なし


阪急、今季12度目の零封

 西宮の第1試合は井筒研一と野口二郎の先発で午後1時丁度、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 1回、2回と両軍三者凡退で静かな立ち上がり。

 パ軍は3回表、一死後松井信勝が左前打で出塁すると二盗に成功、井筒が四球を選んで一死一二塁、トップに返り白石敏男の右飛で二走松井はタッチアップから三塁に進んで二死一三塁、富松信彦の二飛をセカンド田中幸男が落球する間に三走松井が還って1点を先制、なおも続く二死一三塁から藤井勇が左前にタイムリーを流し打って2-0とする。

 阪急は3回裏、先頭の鳥居兵治が一二塁間にヒット、坂田清春が送って一死二塁、田中は四球を選んで一死一二塁、トップに返り山田伝は三振、続く上田藤夫の打席で二走鳥居がキャッチャー伊勢川真澄からの牽制に刺されて無得点。

 パ軍は6回表、先頭の富松が死球を受けて出塁、藤井の右前打で無死一三塁とチャンスを広げ、森下重好の左犠飛で3-0、中谷順次の左前打で一死一二塁、木暮力三が中前にタイムリーを放ち4-0と突き放す。

 阪急は6回裏、先頭の田中が三塁線にヒット、しかしトップに返り山田の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー、直後に上田が左前打を放つが、青田昇は二飛に倒れて無得点。
 阪急は最終回、先頭の山田は捕邪飛、上田のニゴロをセカンド松井がエラーするが、青田のベース寄りのゴロを松井が二塁を踏んで一塁に送球、「4B-3」のゲッツーで試合終了。
 井筒研一は4安打2四球2三振で今季5度目の完封、11勝目をマークする。

 阪急はこの日も打線がつながらず今季12度目の完封負け、これは8球団ワーストの成績となる。最終回、目の前のゲッツーで打席が回ってこなかった野口二郎は3打数無安打、ここから歴史が始まりますのでよく覚えておいてください。

2021年3月24日水曜日

21年 タイガースvsセネタース 12回戦

8月26日 (月) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 3 0 0 0 0 3 タ軍 41勝21敗 0.661 呉昌征 
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 セ軍 26勝38敗 0.406 白木義一郎

勝利投手 呉昌征         12勝3敗
敗戦投手 白木義一郎 13勝13敗

二塁打 (タ)御園生
三塁打 (タ)小林 (セ)飯島

勝利打点 (タ)小林英一 1


藤村の代役小林英一が逆転三塁打

 第18節最終日、後楽園の第1試合は呉昌征と白木義一郎の先発で午後1時丁度、桝球審の右手が上がりプレイボール。

 タ軍は初回、先頭の金田正泰が三失に生きるが、御園生崇男は捕邪飛、これはツーボールワンストライクから2球ファウルの後なので送りバント失敗ではない。土井垣武の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。2回、3回は三者凡退。

 セ軍は初回、二死後飯島滋弥がセンター右後方に三塁打、しかし大下弘は遊ゴロに倒れて無得点。どうも大下がチャンスに打てない。

 タ軍は4回表、一死後御園生が左中間に二塁打、しかし土井垣は中飛、本堂保次は二飛に倒れて無得点。

 先頭の飯島が四球で出塁、大下の二遊間ヒットで無死一二塁、白木がセオリー通り三前に送りバントを決めて一死二三塁、一言多十は浅い中飛に倒れて二死二三塁、長持栄吉の右前タイムリーで1点を先制する。

 タ軍は5回表、先頭の渡辺誠太郎が中前打で出塁、塚本博睦は中飛に倒れるが、長谷川善三が中前打を放って一死一二塁、ここで欠場を続ける藤村冨美男の代役小林英一が右中間に逆転の2点タイムリー三塁打を放ち2-1、呉昌征が二前にスクイズを決めて3-12とする。

 セ軍は6回裏、先頭の飯島が左前打で出塁、大下は中飛に倒れるが、白木が四球を選んで一死一二塁、しかし二走飯島が呉の二塁牽制に刺されてツーアウト、一言は遊ゴロに倒れて無得点。

 セ軍は7回裏、一死後熊耳武彦が左前打で出塁、鈴木清一のニゴロの間に熊耳は二進、トップに返り横沢七郎が左前打、二走熊耳は三塁ベースを蹴ってホームに向かうが、レフト金田正泰からの返球を中継したピッチャー呉の本塁送球にタッチアウト。

 セ軍は8回裏、先頭の清水喜一郎が中前打で出塁、飯島が四球を選んで無死一二塁、しかし大下は二飛、白木のピッチャー返しを呉がキャッチして二塁に送球、清水が帰れずダブルプレー。

 呉昌征はセ軍最終回の反撃を三者凡退に抑え、8安打3四球1三振の完投で12勝目をあげる。

 タ軍は5安打でセ軍は8安打。明らかにセ軍が試合を押していたが、大下のブレーキが痛かった。

 家族の不幸により欠場が続く藤村冨美男の代役小林英一が決勝三塁打。小林は藤村欠場初戦でも3安打の活躍を見せた。球史の陰に隠れてほとんど無名であるがいい働きをしている。

2021年3月13日土曜日

ショートで1イニング3刺殺

 実況のとおり、グ軍のショート宮崎仁郎が初回に1イニング3刺殺を記録しました。

 1イニングに4刺殺が記録されることはありませんので、ショートとしての世界記録であることは間違いありません。

 2回にも1刺殺でここまで4刺殺、5回にも1刺殺を記録して5回で5刺殺。代打を出されて6回から交代していますので、イニング当り刺殺率100%という、ショートとして空前絶後の記録を達成しました。

 記録マニアの方でもここまで気付く人はいないでしょうね(笑)


*パ軍のスコアカード。よ~くご確認ください。


21年 グレートリングvsパシフィック 10回戦

8月25日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 1 0 4 0 0 0 8 グ軍 42勝22敗 0.656 櫛田由美彦 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 パ軍 25勝38敗2分 0.397 真田重蔵

敗戦投手 真田重蔵  13勝13敗 

二塁打 (グ)堀井 (パ)森下
三塁打 (グ)木村

勝利打点 (グ)田川豊 5


11連勝のグ軍、タ軍を勝率で6毛上回り首位に立つ

 令和3年3月13日の東京地方も春の嵐の大雨であるが、昭和21年8月25日の東京地方も大雨となって後楽園の第2試合は中止。

 甲子園の第2試合は櫛田由美彦と真田重蔵の先発で午後2時45分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 10連勝中のグ軍は初回、先頭の河西俊雄がツーストライクナッシングと追い込まれながら粘りに粘って四球を選んで出塁、安井亀和は中飛に倒れるが、河西が二盗を決めて一死二塁、田川豊が右前にタイムリーを放ち1点を先制、山本一人監督はストレートの四球で一死一二塁、堀井の左越え2点タイムリー二塁打で3-0と試合の主導権を握る。

 パ軍は1回裏、先頭の白石敏男が四球で出塁、富松信彦の一ゴロはファースト山本が二塁ベースカバーに入ったショート宮崎仁郎に送球して二封、藤井勇のニゴロもセカンド安井が二塁ベースカバーの宮崎に送球して二封、森下重好が左中間に二塁打を放ち二死二三塁、しかし木暮力三は遊飛に倒れて無得点。

 グ軍のショート宮崎仁郎は初回に3刺殺を記録した。ショートの1イニング3刺殺は間違いなく世界記録であり、他に何人いるかが問題。恐らく世界タイ記録であると考えられるが、単独世界記録の可能性も否定できない。

 パ軍は2回裏、二死後平野徳松に代わる代打中谷順次が四球を選んで出塁、しかし真田の二塁ベース寄りのゴロをセカンド安井が二塁ベースカバーに入ったショート宮崎にトスしてスリーアウトチェンジ。

 グ軍のショート宮崎仁郎は2回で4刺殺を記録した。これは世界記録である可能性が高いのではないか。

 グ軍は4回表、一死後岡村俊昭が四球で出塁、筒井敬三の投前送りバントを真田がファンブル、犠打とエラーが記録されて一死一二塁、櫛田の右前タイムリーで4-0とする。一走筒井は三塁に進んで一死一三塁、宮崎の捕ゴロでキャッチャー伊勢川真澄がファースト藤井に送球して一塁アウト、この時三走筒井がスタートを切り、ファースト藤井が折り返しバックホームしてタッチアウト。

 アウトにはなったもののグ軍の機動力野球はキャッチャー筒井にも浸透している。

 パ軍は4回裏、木暮は中飛、伊勢川は二飛、松井信勝の遊ゴロがショート宮崎からファースト山本に送球されてスリーアウトチェンジ。

 パ軍は4回まで4本の内野ゴロを打って4個のアウトを記録したが、グ軍のファースト山本一人が刺殺を記録したのは4回の遊ゴロが初めてであった。

 パ軍は5回裏、先頭の中谷が三遊間にヒット、ここでディレードスチールを試みるが「1-3-6」と送球されてタッチアウトで盗塁失敗が記録された。

 グ軍のショート宮崎仁郎は5回で5個の刺殺を記録した。2回で4個よりは達成可能性は高いが、これも世界記録ではないか。

 グ軍は6回表、先頭の山本が左前打で出塁、堀井は右前打、岡村が四球を選んで無死満塁、ここで筒井の代打に起用された木村勉が右越えに走者一掃の三塁打を放ち7-0、宮崎に代わる代打丸山二三雄のニゴロの間に三走木村が還って8-0とする。

 グ軍の6回の守備でショートには代打の丸山に代わり桶川隆が入る。

 パ軍は6回裏、松井、藤井の連打で無死一二塁のチャンスを作るが、森下のライナーが格言どおり代わったばかりのショートに飛んで桶川がキャッチ、木暮は中飛、伊勢川の三ゴロをサード河西が三塁ベースを踏んでスリーアウトチェンジ。 

 パ軍は最終回、先頭の木暮は右飛、伊勢川が中前打を放つが、松井の遊ゴロをショート桶川が二塁ベースカバーのセカンド安井に送球して二封、最後は中谷が中飛に倒れて零封。

 櫛田由美彦は7安打2四球4三振でプロ入り初完封、2勝目をあげる。この年1年でプロ野球を去る櫛田にとって、キャリアで唯一の完封勝利である。

 パ軍は6個の内野ゴロを打ったが、グ軍のファースト山本一人監督のゴロアウトによる刺殺は1個だけであった。一飛が1個あったので山本の刺殺は2個。

 グ軍守備陣の刺殺の内容はセンター田川が6個、5回までショートを守った宮崎が5個、6回からショートに入った桶川が1個、レフト堀井が4個、キャッチャーの筒井が3個と木村が1個(これは当然三振によるもの)、セカンド安井が3個、ファースト山本は2個のみ(内野ゴロによる刺殺は1個だけ)、サード河西が1個、ライト岡村が1個、櫛田が0個の合計27個であった。

 グ軍はこれで11連勝、勝率6割5分6厘3毛となって、タ軍の勝率6割5分5厘7毛を上回って今季初の首位に立った。この日も機動力野球による勝利であった。


2021年3月7日日曜日

21年 阪急vsゴールドスター 10回戦

8月25日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 0 0 0 0 0 0 0  0  0 阪急 38勝34敗 0.528 溝部武夫 0
0 0 0 0 0 0 0 0 1X 1 ゴ軍 24勝38敗1分 0.387 江田孝

勝利投手 江田孝    2勝8敗
敗戦投手 溝部武夫 5勝1敗

三塁打 (急)野口二郎

勝利打点 (ゴ)坪内道則 4

猛打賞 (急)野口二郎 2


1試合最多補殺記録

 西宮の第1試合は溝部武夫と江田孝の先発で午後零時58分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 阪急は2回表、二死一二塁のチャンスを作るが田中幸男は遊ゴロに倒れて無得点。

 阪急は3回表、先頭の溝部がストレートの四球で出塁、しかし江田孝の牽制に釣り出されて「1-3-6」でタッチアウト、「盗塁死」が記録されているのでディレード気味にスタートを切った可能性がある。直後に山田伝が左前打から二盗に成功して一死二塁とするが、坂井豊司は左飛、青田は遊ゴロに倒れて無得点。

 阪急は4回表、先頭の野口二郎がストレートの四球で出塁、しかし野口明のニゴロが「4-6-3」と転送されてダブルプレー、直後に上田が右前打から二盗に成功、キャッチャー辻功の二塁送球が悪送球となって上田は三塁に進むが、日比野は遊ゴロに倒れて無得点。

 阪急は6回、7回にも走者を出すが何れも二死からで無得点、8回は野口二郎が三塁打を放つがこれも二死からで続く野口明は三振。

 阪急先発の溝部武夫は、味方のちぐはぐな攻撃にもめげず好投を続ける。ヒットを許したのは3回と4回の1本ずつのみ、6回は先頭の辻をストレートの四球で歩かせるが続く中村信一を捕ゴロ併殺に打ち取り、7回も一死後坪内を四球で歩かせるが坪内のディレードスチールにも落ち着いて対処して「1-3-6」でタッチアウト。

 試合は9回まで両軍無得点のまま進み、ゴ軍は9回裏、一死後中村がストレートの四球で出塁、大友は進塁打を試みて右方向に打つがフライとなって右飛に倒れ、酒沢がストレートの四球を選んで二死一二塁、ここで四番坪内が試合を決める一打を左前に打って中村信一がサヨナラのホームを踏む。

 江田孝は6安打4四球1三振で戦後初完封、2勝目をあげる。

 この試合で阪急守備陣は23補殺、ゴ軍守備陣は19補殺、合計42補殺を記録した。阪急の三塁手坂井豊司は12個の三ゴロを捌いて12補殺を記録、一塁手の野口明は17刺殺を記録した。

 溝部武夫は下手からの落ちる球を武器としておりゴロアウトが多い。江田孝は「Wikipedia」によると「オーバースローからシュートやシンカーを武器とした」とされており、両投手のピッチングスタイルがこの試合の記録を生んだのである。

 スコアカードの「雑記」欄には阪急の23補殺について「タイ」と書かれているのでこの記録が昭和21年時点で1試合最多補殺タイ記録である可能性があるが、プロ野球史上「1試合最多補殺」の記録は判然としない。しかしながら「1試合最少補殺」の試合は明確である。

 1983年5月25日、中日の高橋三千丈が阪神相手に完封勝利、この試合で中日守備陣の補殺は「ゼロ」であり、これがプロ野球史上「1試合最少補殺」の記録となっている。阪神の27アウトは「内野飛球(邪飛を含む)が11、外野飛球が12、残りの4つは三振。ゴロのアウトが皆無の補殺ゼロ」であった。三振でもスリーストライク目を捕手が正規捕球できず、打者が一塁に走って「2-3」でアウトの場合は記録こそ「三振」ではあるが捕手に補殺が記録される。この日のスタメンキャッチャーはこの年広島から移籍してきた守備の巧い水沼であったこともこの記録が生まれた要因となった。前年MVPのレギュラーキャッチャー中尾はこの年は怪我で欠場も目立ったのである。

 高橋三千丈は静岡商業時代から剛球投手として知られたが肩が強過ぎて球が高めに浮くという欠点を持っていたためコントロール難が嫌気されてドラフトされず、明大でコントロールを磨いて1979年中日に入団、1年目から活躍するが右腕血行障害で投げられなくなり1983年に3年ぶり復帰、この試合がキャリアで唯一の完封勝利だったのである。持ち味の高めに浮く球ではなく、130キロ台に落ちた球速に阪神打線が振り回した結果フライアウトだらけになったと言われている。

*明大時代は鹿取との二本柱でリーグ戦優勝に貢献して4年時は主将。高橋三千丈は島岡御大に「明大野球部史上、主将を務めた中で高田繁と並ぶほどの人物」と絶賛されたという。