2024年8月17日土曜日
22年 金星vs巨人 2回戦
2024年8月16日金曜日
22年 東急vs大阪 2回戦
2024年8月15日木曜日
22年 大阪vs中日 1回戦
2024年8月14日水曜日
22年 近畿vs巨人 3回戦
マダックス
試合前に大阪桐蔭の負けを予想した評論家は皆無でしたね(笑)。
しかも92球のマダックスで完封負け。
当ブログは昨夏、今春の優勝校を1回戦終了時に当ブログで公表して予想的中させましたが、今夏はやりません。予想の難しさをよく知っているからです。
馬鹿の一つ覚えのように外れ予想を繰り返す評論家とは一線を画しています。
2024年8月13日火曜日
22年 東急vs太陽 3回戦
2024年8月12日月曜日
22年 阪急vs金星 1回戦
名前のない馬
AMIが優勝を決めた決勝最終ラウンドで流れてきたのはヒップホップ調にアレンジされた「名前のない馬」。
中学2年の時に聞きまくった楽曲が52年後のブレイキンで勝負曲に使われる。抑揚を抑えたメロディは当時とても斬新でしたが、今でも十分通用する。長く生きてみるもんですね。
ということで、実況中継を再開します。
名前のない馬 - アメリカ America [ A Horse With No Name ] (youtube.com)
2024年6月2日日曜日
22年 太陽vs中日 2回戦
2024年6月1日土曜日
22年 巨人vs阪急 1回戦
2024年3月31日日曜日
4度目の退職
2024年3月末で4度目の退職。
1度目は1997年末。1981年に入社した会社が自主廃業したためでした。1996年2月に債券トレーディング部から関連会社の新規事業立ち上げのため出向。新しいマーケットを創る仕事でした。2年の出向期間の予定でしたが、ゼロから始めたマーケットが1年半で40兆円市場に急成長してしまい引くに引けず状態となり、97年夏に1年間の延長要請を受諾。そしたら11月に出向元が自主廃業しちゃいました(笑)。
97年11月は22日(土)、23日(日)、24日(月)(振替休日)の三連休。友人と23日のジャパンカップに行く約束でしたが「何かあったらやめておこう」と言っていました。そしたらその「何か」が起こったのです。
22日早朝、テレビ各局は「Y證券経営破綻」のニュースを伝えていました。午前7時頃、出向先の上司から電話があり「大変なことになったな。君はうちで働いてもらいから。」ということで、三連休初日の午前7時に再就職が決まっちゃいました。なので、当ブログは再就職活動をしていません。
24日の「社員は悪くありません。」の会見は「当り前田のクラッカーじゃろが~~~」と聞いていましたね。「悪い~のはテメーらじゃろが~~~、ボケ!」。
まあ、誰も知らない最後の一週間の出来事はここでは言えません。墓場まで持っていきます。当ブログがやっていたのが資金調達関連の仕事であった、とだけヒントを与えておきましょう(笑)。
出向から転籍に変わって元・出向先の正社員になって年収も4割ほど増えました。ところがぎっちょん、ゼロ金利に向かって鞘抜きが難しくなりその業界も6社から3社に業界再編。早期退職に応募して2001年3月末で2度目の退職。
退職金と失業保険でビジネススクールに通いながら半年ほどプー太郎生活を満喫しました。2002年1月に国家公務員にトラバーユ。今度は市場監視の仕事です。不安定なサラリーマン生活には興味がありませんでしたね(笑)。
2019年3月末、60歳で定年となり3度目の退職。某スポーツ紙でMLB関連のアルバイト生活を満喫していたところ、元職場から「帰ってこいよ~~~」(←松村和子か!)ということで2020年11月から再任用。
2024年3月末、65歳の定年となって4度目の退職を達成しました。「思えば遠くに来たもんだ~~~」(←海援隊か!)てなもんですが、5度目はありませんので悪しからず(笑)。
2024年3月30日土曜日
最低限のノルマ
当ブログが3月20日付けで優勝を予言した健大高崎が決勝進出。
まあ、最低限のノルマは達成というとこでしょうか。
相手は当ブログ出生地県 の報徳学園か、当ブログ出身地県の中央学院か。報徳有利とは見ていますが、中央学院の粘りに期待。
因みに群馬も当ブログが転勤で初めて経験した地方支店勤務県なので、どこを応援すべきか迷うところ。
2024年3月20日水曜日
初登板
松井裕樹がメジャー初登板。
桐光学園で甲子園に出てきた時、神奈川予選から評判の好投手であることは聞いていましたが見たことはなかったので、NHKの中継で甲子園初登板を見ました。
この日は上野の美術館に行く予定だったので1イニングだけ見て家を出ようと思っていたのですが、1球見て「こりゃ20三振行くな」と思って上野行きの予定を変更して最後まで見た事実は当ブログでもお伝えしたとおりです。
当時の録画も残っていますので、「ウソだろ~~」とお嘆きのそこのあなた、証拠物件として裁判所に提出しますので訴えて頂戴ね。慰謝料をがっぽり稼げます(←城島か!!!)。
城島のメジャー挑戦に際しての記者会見での発言が「がっぽり稼いできます」だったのを覚えている人もほぼ絶滅しているでしょうね(笑)。
メジャー初登板でも甲子園初登板の時と同じように「緊張」しているのは画像を通じても伝わってきました。松井裕樹は投げ込んで調子を出してくるタイプなので本番はこれからです。
世の中は「大谷じゃぁ~~」、「山本じゃ~~」と騒いでいる昨今ですが、当ブログは「松井裕樹じゃ~~」と騒ぎ続けますのでよろしく。
2024年1月13日土曜日
22年 大阪vs東急 1回戦
2024年1月8日月曜日
昭和22年 金星vs近畿 2回戦
せい・しょうなごん
当ブログの読者の中にも大河ドラマ「光る君へ」 を楽しみにされている方は多いのではないでしょうか。
吉高由里子演じる「紫式部」が主人公ですが、ファーストサマーウイカ演じるライバル「清少納言」がどのように描かれるかにも注目が集まります。
さて、「清少納言」の呼び方ですが、どのように呼ぶべきなのでしょうか。
「Wikipedia」には「語呂の関係からか今日では『せいしょう・なごん』と発音されることもあるが、上述しているように『清』は父の姓から、『少納言』は役職名が由来であるため、本来は『せい・しょうなごん』と区切って発音するのが正しいと思われる。」と書かれています。
読者の方々は「せい・しょうなごん」が正しいのではないかという説をいつ頃お聞きになったでしょうか。
当ブログが「それ」を知ったのは50年以上前の中学時代。
2023年8月25日付けブログ「ぼくの好きな先生」でお伝えしたとおり、当ブログの「ぼくの好きな先生」は「古文」の教師でした。ある日の授業で「清少納言」についての講義があり、「清」が名で「少納言」は役職であるから「せい・しょうなごん」と呼ぶのが正しいと教えてくれたのです。
「せいしょう・なごん」が正しいと信じていたクラスの40人は唖然としていましたね。当ブログがこの教師を「ぼくの好きな先生」と認定するきっかけともなった「コペルニクス的転回」でした。当ブログは「これ」を教訓として、世の中に喧伝される「大本営発表」を盲信することなく、自らの目で「真実」を追及することにしたのです。
現在の「職業野球!実況中継」でも「それ」を踏襲していますのでよろしく(笑)。
2024年1月7日日曜日
昭和22年 阪急vs中日 3回戦
2024年1月5日金曜日
鈴木孝政とジャッキー・ロビンソン
本日のタイトルの意味を理解できた方は経済通ですね。
2024年大発会の日経平均終値は33,288.29円、2日目の本日は33,377.42円。
これならお分かりでしょう。そう、小数点以下の数字は大発会が鈴木孝政の背番号、2日目はメジャー全30球団で永久欠番となっているジャッキー・ロビンソンの背番号。
因みに、品川ビッグスターズでの当ブログの背番号は「42」(笑)。
当ブログが初めて鈴木孝政を知ったのはまだ全国的には無名だった成東高校時代。千葉県市川市国分に在住していた中学生の当ブログは読売新聞千葉版の高校野球の記事を全て把握しており、成東の鈴木孝政は銚子商業の根本よりも上であると確信していました。
「Wikipedia」にも出ていない当時のエピソード。練習が終わると鈴木孝政は実家までの山道を毎日走って帰っていました。産業用トラックが走る山道でのランニングだったことから、名将・松戸健監督の発案で発行色のジャージを着て走っていました。それに気付いたトラックの運ちゃん達から、「頑張れ!鈴木」の声が飛んだのです。強豪、銚子商業と習志野の壁が厚く、夏の千葉県予選では4年連続銚子商業に1点差で敗れ続けた成東ファンの期待を一身に背負っていた頃のエピソードです。
当ブログが初めてジャッキー・ロビンソンを知ったのは中学時代に読んだ読売新聞でジャッキー・ロビンソンの訃報を伝える記事。当時の記事で印象に残っているのは、今では「Wikipedia」でも消されていますが「息子が薬物中毒の末、交通事故で亡くなったように、晩年は不遇であった。」との記事。
ジャッキー・ロビンソンの訃報は1972年10月24日。その約1か月後、1972年11月21日のドラフト会議で鈴木孝政は中日に1位指名されました。全国的には無名だっと思っていた当ブログはしてやったり、と感じたのですが、流石はプロのスカウトで鈴木孝政は上位指名候補だったのでした。中日の指名順では当時高校No1と言われていたジャンボ仲根が残っていたのに近藤投手コーチの決断で鈴木孝政に行ったエピソードは「Wikipedia」にも掲載されているのでご確認ください。
2年目だったと思いますが、初めてプロでの姿を見た巨人戦のテレビ中継。王や長嶋を快速球とプロに入ってから覚えた鋭いフォークできりきり舞いさせたピッチングを見て、「当り前田のクラッカーじゃん」と快哉を叫んだのが懐かしい。当時の王のコメント「セ・リーグでスピードはNo1」が全てを物語っています。
品川ビッグスターズの背番号。メジャーから500億円でスカウトされたら付けられないので今、付けています(笑)。