2011年10月31日月曜日

14年 金鯱vsイーグルス 5回戦


6月7日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 2 1 0 0 0 0 0 4 金鯱        8勝25敗       0.242 古谷倉之助 中山正嘉
0 0 0 0 2 1 0 0 0 3 イーグルス 13勝19敗1分 0.406 望月潤一 亀田忠



勝利投手 中山正嘉 6勝9敗
敗戦投手 望月潤一 2勝6敗


二塁打 (イ)伏見
本塁打 (金)古谷 2号 (イ)寺内 1号

金鯱、幸先の良いスタート


 夏季シリーズの開幕投手は金鯱が古谷倉之助、イーグルスが望月潤一となった。望月は4日の東西対抗第二戦にも先発して6回まで投げているので休養十分の古谷に比べると不利かもしれない。

 大和球士著「真説 日本野球史」によると、5月14日付け都新聞に「金鯱解散か」の記事が載ったとのことで、春季シーズンを最下位で終わると岡田源三郎監督は選手たちに強く反省を促し、選手たちも深く反省して「全員頭髪五分刈り」を決行したとのことである。

 金鯱は初回、一死後佐々木常助が左翼線にヒット、野村高義の二ゴロでランナーが入れ替わり、ワイルドピッチと古谷倉之助の四球で二死一二塁、森田実が右前にタイムリーを放って1点を先制する。

 金鯱は3回、先頭の三番野村が中前打を放って出塁、四番ピッチャー古谷倉之助がレフトスタンドに第2号ツーランホームランを叩き込んで3-0とする。

 金鯱は4回、二死後佐々木が二塁への内野安打で出ると二盗に成功、野村が右前にタイムリーを放って4-0とリードを広げる。

 イーグルスは5回、一死後漆原進の三ゴロをサード山本次郎が一塁に悪送球、漆原が二盗を決めて二死二塁、寺内一隆が左翼スタンドにツーランホームランを放って2-4と追いすがる。

 金鯱は6回、一死後山本が四球、五味芳夫が死球で一死一二塁とするとイーグルスベンチは望月から亀田忠にスイッチ。亀田は後続を抑える。

 イーグルスは6回、太田健一、杉田屋守の二ゴロをセカンド岡野八郎が連続してエラーして無死一二塁、金鯱ベンチはここで古谷をファーストの回して中山正嘉をリリーフに送る。亀田の左前打で無死満塁、辻信夫の二ゴロが「4-6-3」と渡るダブルプレーとなる間に三走太田が還って3-4とする。4月22日のルール改正により辻には打点は記録されないはずであるが1打点が記録されている。

 亀田忠は7回以降1安打無失点、中山も7回以降1安打無失点に抑える好投を見せて逃げ切り、金鯱が夏季シリーズの開幕戦を飾る。五分刈りの効果はてき面だったようである。古谷倉之助は5回までリードをキープして降板しているので現行ルールでは古谷に勝利投手が記録されるが公式記録では中山正嘉に記録されている。

 この試合では本塁打が2本飛び出したが、開幕戦ということでストックしておいた昨年までのボールを使ったのかもしれない。






          *夏季シーズンの開幕戦を伝えるスコアブック。




2011年10月30日日曜日

幻の東西対抗


 大和球士著「真説 日本野球史」昭和篇その三に「早慶戦と東西対抗の一騎討ち」の項があります。引用させていただきますと「春の早慶戦が行われた昭和14年6月3、4日の両日、人気薄の職業野球が東西対抗を挙行して、勝負を挑んだ。これを壮挙といわずして何といおうか。しかも、この快挙録、何故か、世に伝えられていない・・・いわば、幻の東西対抗戦」

 野球の素人鈴木龍二・聯盟理事だからこその発想であり、野球の玄人であれば天下の早慶戦にぶつけるなど思いもよらない事であったらしい。Wikipediaで「職業野球 東西対抗」を検索しても出てこないので本当に幻の東西対抗であったようです。主力選手による一戦と、新人だけによる新人東西対抗に分けて行われた。

 6月3日付け読売新聞は「全日本東西対抗並びに新人対抗野球戦はいよいよ今明両日後楽園で挙行される。・・・・・現在日本の球界に求め得る練達精鋭の一粒選りを以て組織された東西軍の決戦こそまさに野球試合の最高峰をゆくもので・・・」と伝えている。戦前の野球と言えば六大学が最高峰で職業野球などレベルが低いと考えられてきた訳であるが、先日お伝えした鶴岡一人の証言からも分かるように、どうやら職業野球の実力は六大学に劣っていなかったようである。何より当時のファンがそれを知っており、3日土曜日は2万8千人の満員、4日日曜日は3万人の超満員であったと伝えられている。


 6月3日の新人対抗戦は東軍が中尾輝三、西軍が平野正太郎の先発で13対5で西軍の勝利。西軍の主将・鶴岡一人は4打数4安打、東軍の主将・高須清は4打数2安打の活躍であった。西軍の先発は荒木政公の予定であったが徴兵検査のため長崎に帰って戻ってきたばかりで登板は無理のようであった。因みに荒木はこの検査で合格したため今季限りで兵役に就き、二度とプロ野球のマウンドを踏むことなく戦死することとなる。旧人による東西対抗は東軍スタルヒン、西軍西村幸生の先発。9対2で東軍の勝利となった。


 6月4日の第二戦は新人対抗が東軍が野口二郎、西軍が亀田敏夫(タイガース。亀田忠の弟)の先発で5対4で東軍の勝利。荒木はリリーフで登板した。鶴岡は5打数2安打4打点の活躍であった。旧人対抗は東軍が望月潤一、西軍が菊矢吉男の先発。6回に黒田健吾が望月からツーランホームランを放ち西軍が3対2で東軍を降した。



14年 5月 月間MVP


月間MVP

投手部門

 高橋敏 2

 高橋敏は今月5試合に登板して2勝1敗1セーブ、2完封勝利。39回を投げて防御率0.46、WHIP0.82、奪三振率1.38であった。

 スタルヒンは今月11試合に登板して8勝2敗、1完封勝利。72回3分の1を投げて防御率1.13、WHIP0.93、奪三振率4.69であった。

 野口二郎は今月12試合に登板して6勝2敗1セーブ、1完封勝利。68回を投げて防御率1.99、WHIP1.09、奪三振率2.96であった。


 スタルヒンと野口二郎の比較ではスタルヒンに軍配が上がるのであるが、ここに高橋敏が加わると比較が難しい。

 ジャイアンツは頼れる投手がスタルヒン一人と言う状況で、中尾輝三は投げてみないとストライクが入るか分からないので川上哲治をリリーフに用意しておかなければならないため川上は未だ打者に専念することができない状況にある。

 野口二郎の場合はもっとすごく、投げない時はファーストに入って四番、五番を打っている。

 この点、阪急投手陣の層の厚さは九球団ダントツであり、高橋敏はローテーションに余裕を持って登板することができる。実際、エースは重松通雄であり準エースは石田光彦である。浅野勝三郎と荒木政公も完投能力がある。


 当ブログの選定は高橋敏とさせていただきますが、読者の方々にもそれぞれお考えがあることでしょう。スタルヒンと野口二郎にはこの先いくらでもチャンスがあると思いますが、今季限りで兵役に就くこととなる高橋敏には残された時間が少ないことも考慮に入れさせていただいております。高橋は今季を終了すると昭和18年と19年に登板することになりますが、現在のような輝きを見せることはありませんでした。




打撃部門

 千葉茂 1

 千葉茂は今月15試合に出場して55打数18安打5得点6打点11四球1本塁打。打率3割2分7厘、出塁率4割3分9厘、長打率4割、OPS0.839であった。

 千葉茂の真価は目に見えないところにあるので記録には現れにくく、実際、生涯無冠で終わることとなる。恐らくこの月間MVPが初タイトルでしょう。数字を分析すれば11四球が光る。千葉の自伝「猛牛一代の譜」によるとくさいところはカットして四球を選ぶことに喜びを感じていたとのことである。

 井上康弘がセカンドに入れば外野に回り、序盤戦はセンターに入っていたがアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)加入後はレフトに回り、平山菊二をレフトに使うときは千葉がセカンドに入る。藤本定義監督の用兵も「千葉茂の使い勝手の良さ」に依拠していると見ることもできる。三番打者がユーティリティ性を兼ね備えているのだから監督としても心強いでしょう。

 因みに川上哲治は今季通算では3割7分7厘で第二位の千葉茂3割3分1厘を大きく引き離していますが、先月末の4割4分1厘からは大きく打率を落としてきており、今月の成績は47打数14安打、打率2割9分8厘です。四球が少ない川上の打数が千葉茂よりも少ないのは、上述の経緯のとおり中尾輝三が登板する時はリリーフとして待機することが多いからです。その場合、ファーストには永澤富士雄が入っています。


14年 第8節 週間MVP


 今節は、南海が3勝0敗1分、阪急が5勝1敗、セネタースが3勝1敗2分、ジャイアンツが3勝1敗、名古屋が1勝2敗1分、タイガースが1勝2敗1分、イーグルスが1勝2敗、ライオンが1勝5敗1分、金鯱が0勝4敗であった。



 週間MVP

投手部門

 阪急 重松通雄 1
 今節は胴上げ投手となった最終戦を含めて2完投勝利。昭和14年6月2日付け読売新聞誌上に鈴木惣太郎の「春の大リーグ戦」総評が掲載されており「阪急重松は豪速球の正鵠を得て球威著しく向上し」と記載されている。下手投げの元祖とも言われる重松であるが、球威が増してきた点を球団首脳部も評価してエースとしての働きを求めているようである。




打撃部門

 阪急 西村正夫 1

 阪急 フランク山田伝 1

 阪急攻撃陣最大の武器は西村、山田の一二番コンビにある。西村は現在阪急では唯一人打撃ベストテンの九位に付けているがそれでも2割7分3厘である。阪急優勝の要因が九球団随一の豊富な投手力にあることは明らかであるが、西村、山田が脚を含めてかき回し得点を重ねている。西村は今節15打数6安打、山田は23打数8安打の活躍であった。





殊勲賞

 南海 政野岩夫 1

 27日のジャイアンツ戦でスタルヒンと投げ合って1対0の完封勝利を飾る。この試合は59分で終了している。


 名古屋 村瀬一三 1

 25日の金鯱戦で二打席連続二塁打を放ち試合を決める。



敢闘賞

 阪急 伊東甚吉 1

 阪急優勝の要因の一つに内野守備力があげられる。チーム守備率は0.973で九球団一位である。因みに二位以下は南海0.967、タイガース0.963、セネタース0.960、名古屋0.959、ジャイアンツ0.958、ライオン0.955、金鯱0.946、イーグルス0.945である。
 阪急の守備力向上は伊東甚吉、田中幸男の滝川中学コンビの加入によるものであり、打撃面でも伊東は今節13打数5安打の活躍を見せた。


 南海 平野正太郎 1

 23日の金鯱戦でプロ入り初勝利を完投で飾り、チームに勢いを付けた。南海はここから三連勝を続けている。



技能賞 

 阪急 浅野勝三郎 1

 22日のライオン戦で完封勝利。打撃でもファーストに入って三番を打つことがある。


 名古屋 大沢清 1

 25日の金鯱戦で2安打完封勝利。投手としては生涯唯一の完封であった。


 セネタース 苅田久徳 1

 苅田に今更技能賞でもないが、29日の阪急戦では一試合で二度の無補殺併殺を完成させて、記録に現れる名人芸を見せつけた。



2011年10月29日土曜日

バット


 昭和14年5月10日付け読売新聞に鈴木惣太郎による興味深い記事が掲載されていますのでご紹介いたします。

 「打撃向上の一方法としてもっと重いバットを使ってみたらどうか頻りに考えている。現在日本の選手の使うバットはあまりに軽きに失してはいないかという感があるからである。」から始まり、日米のスラッガーの使用するバットの重量を掲載している。




                   匁     g
ベーブ・ルース                     410    1537.5
ロジャース・ホーンスビー   360    1350
ハック・ウィルソン         370    1387.5
ジョー・ディマジオ          340    1275
ハンク・グリーンバーグ        350    1312.5
大リーグ平均              270    1012.5

 加藤正二                      280    1050
アチラノ・リベラ                   280    1050
景浦将                    265     993.75
松木謙治郎                  265     993.75
中島治康                      265     993.75
川上哲治                      260     975
職業野球平均               250     937.5




要はスラッガーほど重たいバットを軽々と振り回していたようです。






*1.3キロのバットを振り回してホームランを量産したハンク・グリーンバーグ







437打数117安打 ⑥ 


 パシフィック・リーグ・クライマックスシリーズ・ファーストステージ第1戦では9回に同点タイムリーを放ち延長戦での勝利に貢献しましたがどうせなら11回にも追撃打を打って欲しかったですね。

 パシフィック・リーグ新人王争いは、牧田、塩見、伊志嶺、浅村に絞られました。それぞれカテゴリーの違う分野で頑張ってきたので比較は難しい。塩見貴洋は9勝9敗で防御率2.85ですがWHIP1.15と何より投球回数が154回3分の2と少ないのが不満。シーズン途中に抑えに抜擢された牧田和久は22セーブで候補No1の可能性がありますが本質的にはクローザーではなく、WHIP0.95もリリーフ投手ならではのもの。今季は使用球の問題もあり投手の成績は割り引き、打者の成績を加算して考えるべきではないでしょうか。8月には伊志嶺翔大が浅村栄斗を打率で4分近く引き離していましたがラスト1ヶ月の大逆転をどう見るか。シーズンを通しての活躍と言う点では伊志嶺が上ではないでしょうか。

 当ブログの予想は、シリーズ①に「昨年55打席で終わらせたのは、西武球団としても今年の新人王資格を残しておこうという配慮からでしょう。」と書いてあるとおり、浅村栄斗です。

14年 名古屋vs阪急 4回戦


5月30日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 1 0 0 0 0 0 0 0  1 名古屋 10勝19敗3分 0.345 大沢清 繁里栄
4 0 3 0 0 1 0 2 X 10 阪急   23勝9敗         0.719 重松通雄


勝利投手 重松通雄 3勝5敗
敗戦投手 大沢清     1勝2敗


二塁打 (阪)西村、伊東


阪急が春季優勝!


 いよいよ春季最終戦。阪急は勝てば優勝、負ければジャイアンツと同率という試合に重松通雄を先発させた。阪急はルーキーの高橋敏と荒木政公は下位チームに当てて大事なところは重松で行っている。首脳陣は重松をエースと認めているようだ。

 阪急は初回、先頭の西村正夫が右中間に二塁打、フランク山田伝の左前打で無死一三塁、黒田健吾の左翼線タイムリーで1点を先制する。山下好一が四球を選んで無死満塁、上田藤夫の中前タイムリーで2-0、名古屋は先発の大沢清がサードに回りサード芳賀直一がショートに回り、ショート天野竹一に代わって繁里栄が入ってピッチャー。天野竹一は先発してすぐにベンチに下がっているが、以上の経緯からアテ馬ではない。山下実は浅い左飛に倒れるが田中幸雄の遊ゴロを代わったばかりの芳賀が一塁に悪送球する間に三走黒田に続いて二走山下好一も還って4-0として優勝に向けて驀進する。

 名古屋は2回、二死後芳賀、繁里が連続中前打、トップに返り桝嘉一が右前にタイムリーを放って1-4と反撃する。
 阪急は3回、先頭の上田が四球で出塁、山下実が復帰後初安打となる右前打を放って無死一二塁、田中の三前バントが内野安打となって無死満塁、日比野武が右翼線に2点タイムリーを放って6-1、重松四球で再度無死満塁、西村が押出し四球を選んで7-1とリードを広げる。

 こうなると名古屋に反撃の気力は無く、阪急は6回、山下実が復帰後初打点となる押出し四球を選んで8-1、8回も伊東甚吉のタイムリー二塁打と山下実の右翼線タイムリーで10-1として試合を決める。

 重松通雄は5安打2四球1三振の完投で胴上げ投手に輝いた。


 東西対抗、新人東西対抗を挟んで6月7日から夏季シーズンが始まることとなります。





          *阪急が春季優勝を決める。







          *重松通雄が胴上げ投手に輝く。



14年 金鯱vsセネタース 4回戦


5月30日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱       7勝25敗       0.219 古谷倉之助
0 3 0 0 0 0 0 0 X 3 セネタース 17勝13敗2分 0.567 金子裕


勝利投手 金子裕        5勝6敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝7敗


二塁打 (金)瀬井

金子裕、3安打完封

  セネタースは2回、先頭の佐藤武夫が四球で出塁、柳鶴震が左翼線に二塁打、金子裕の投前送りバントをピッチャー古谷倉之助が三塁に送球するがこれをサード山本次郎が落球して無死満塁、織辺由三は三振に倒れるが森口次郎が押出し四球を選んで1点を先制、トップに返り苅田久徳の遊ゴロを瀬井清がエラーする間に2-0、横沢七郎の遊ゴロ併殺崩れの間に1点加えてこの回1安打で3点を先制する。

 金鯱は3回、瀬井が左翼越えに二塁打、長島進は三邪飛に倒れるが山本も四球を選んで一死一二塁、トップに返り佐々木常助の打席で瀬井が三盗、更に山本も二盗を決めて二三塁、これは重盗では無い。佐々木も四球に歩いて一死満塁、しかし五味芳夫の一飛はインフィールドフライ、野村高義も三ゴロに倒れて無得点。

 セネタース先発の金子裕は3回のピンチを切り抜けると4回以降は2安打に抑え切り、結局3安打4四球2三振、今季三度目の完封で5勝目をあげる。セネタースは2引分けを挟んで三連勝。

 序盤戦スローボールを狙い打たれた古谷倉之助も3回以降は1安打に抑え、8回を投げて3安打4四球1死球、8三振の力投を見せるが今季7敗目を喫す。




          *金子裕は今季三度目の完封勝利。





14年 セネタースvs阪急 4回戦


5月29日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 2 0 0 0 1 0 0 4 セネタース 16勝13敗2分 0.552 浅岡三郎 金子裕 野口二郎
0 0 0 0 0 0 3 0 0 3 阪急       22勝9敗         0.710 石田光彦 重松通雄


勝利投手 浅岡三郎 3勝1敗
敗戦投手 石田光彦 5勝2敗
セーブ   野口二郎 1


三塁打 (阪)山田



名人芸


 今日勝てば春季優勝が決まる阪急は山下実が六番ファーストで登場。山下実は4月25日の金鯱戦を最後に名誉の応召となったが腰痛のため即日除隊とななっていたことは既報のとおり。

 セネタースは初回、苅田久徳が四球で出塁するとすかさず二盗に成功、横沢七郎の三ゴロの間に三進して尾茂田叶の左前タイムリーで苅田が還って1点を先制する。

 セネタースは3回、苅田、横沢が連続四球、尾茂田が一塁線に送りバントを決めて一死二三塁、佐藤武夫は三振に倒れるが野口二郎が中前に2点タイムリーを放ち3-0とする。

 セネタースは7回、先頭の柳鶴震が右前打で出塁、織辺由三が送って森口次郎三振で二死二塁、トップに返り苅田が中前に痛烈なタイムリーを放って4-0とする。

 阪急はセネタース先発の浅岡三郎のチェンジ・オブ・ペースに無得点に抑えられる。阪急は5回、石田光彦、西村正夫が連続四球で無死一二塁、セネタースは浅岡から金子裕にスイッチする。続くフランク山田伝の二遊間への当りはセカンド苅田のファインプレーに阻まれて無補殺併殺。

 阪急は7回、石井武夫に代わる代打伊東甚吉、石田が連続四球、西村は三邪飛に倒れて一死一二塁、山田が右中間に三塁打を放って2-4、黒田四球後山下好一の遊ゴロをショート柳が弾く間に山田が還って3-4、上田のライナーを又も苅田が好捕してこの日二度目の無補殺併殺を記録する。

 セネタースは9回から野口二郎を投入して逃げ切り阪急の胴上げを阻止する。浅岡三郎は4回3分の0で降板しており、現行ルールでは金子裕に勝利投手が記録されるところであるが公式記録では浅岡に勝利投手が記録されている。野口二郎のセーブは当ブログルールによるもので公式記録ではありません。


 苅田久徳の名人芸はスコアブックの記録からはなかなかお伝えすることが出来ないのですが、本日は無補殺併殺が2回、記録に現れる好プレーをお伝えすることができました。「雑記」欄には「無補殺併殺--苅田二塁手--1試合2は珍し」と書かれています。





       *苅田久徳の名人芸を伝えるスコアブック。




2011年10月28日金曜日

14年 南海vsライオン 4回戦


5月29日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 0 0 0 4 0 1 1 8 南海    13勝17敗2分 0.433 劉瀬章 宮口美吉
0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 ライオン 13勝15敗4分 0.464 菊矢吉男


勝利投手 宮口美吉 4勝5敗
敗戦投手 菊矢吉男 9勝6敗


三塁打 (南)鶴岡、中村

小林悟楼が3打点の活躍


 南海は初回、国久松一が中飛、平井猪三郎が右飛に倒れるが鶴岡一人が左中間に三塁打、センター坪内道則からの返球が逸れる間に三塁を回ってホームに還り1点を先制する。記録はワンヒット(三塁打)ワンエラー。

 南海は2回、先頭の中村金次の二ゴロをセカンド西端利郎がエラー、二死後劉瀬章の右前打で二死一三塁、小林悟楼の右前タイムリーで2-0とする。

 3回まで劉瀬章にパーフェクトに抑えられていたライオンは4回、一死後玉腰年男の二飛をセカンド西端がエラー、水谷則一が四球を選んで一死一二塁、キャッチャー中田道信の二塁牽制が悪送球となって一死二三塁、鬼頭数雄の二ゴロをセカンド国久がバックホームするがセーフ、野選となって1-2とする。

 ライオンは5回、先頭の西端が左前打で出塁、レフト平井が弾く間に西端は二塁に進む。山本尚敏の一塁線への送りバントが内野安打となって無死一三塁、中野隆雄が投前にスクイズを決めて2-2の同点に追い付く。

 南海は6回、先頭の平井が中前打で出塁、鶴岡がピッチャー強襲ヒットを放って無死一二塁、岡村俊昭の一前送りバントをファースト玉腰が三塁に送球するがセーフ、野選となって無死満塁、中村が右前に2点タイムリーを放って4-2と勝ち越し、伊藤経盛が送りバントを決めて一死二三塁、中田は三飛に倒れ劉が四球を選んで二死満塁、小林が左前に2点タイムリーを放って6-2と突き放す。

 南海は8回、中村の中越え三塁打と菊矢吉男のワイルドピッチで1点を追加する。9回は小林、国久、鶴岡の四球で二死満塁、岡村のピッチャー強襲ヒットで1点追加して8対2で快勝する。

 南海は6回途中から宮口美吉がリリーフに登場して9回までの4イニングを1安打2四球無失点で抑える好投を見せて今季4勝目をあげる。現行ルールでは先発の劉瀬章が勝利投手となるが公式記録では宮口に記録されている。


 小林悟楼が2本のタイムリーを放ち3打点の活躍、共に追撃弾であった。小林は和歌山商業の出身であるが、和歌山商業は県立と市立があるのでややこしい。小林は県立出身。県立の代表格は西武の西口文也ですが、広島で敏腕マネージャーとして鳴らした雑賀幸男も県立から関西大学に進んだ。雑賀は関西大学時代に同僚の西川克弘と共に契約問題でこじれて二人とも中退して広島入りしています。私の中学時代の友人に「西川」というヤツがいたので二人でわざわざ「西川克弘」を見るためだけに神宮球場のヤクルトvs広島戦を観戦したことがあります。東洋の魔女・宮本恵美子(現・寺本恵美子氏)も県立の出身です。

 野球では市立(現・和歌山市立和歌山高等学校)の方が上で藤田平、正田耕三と二人の首位打者を輩出している。田村親子の場合は更にややこしい。阪神とロッテに在籍した田村領平は市立の出身ですが父親の田村政雄は県立の出身です。最近の方には田村領平の方が馴染みがあるでしょうが、野球史的には父親の田村政雄の方がはるかに重要な位置を占めます。中央大学時代の評価は江川より高かったと言えば実力のほどが分かることでしょう。日米大学野球選手権には田尾安志と共に2年生時の第2回大会から三年連続で出場しています。因みに田尾はピッチャーとして登録されていました。田村政雄がプロであまり活躍できなかったのは、球界七不思議の一つと言ってよいでしょう。







2011年10月26日水曜日

14年 ライオンvsジャイアンツ 4回戦

5月28日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 ライオン        13勝14敗4分 0.481 福士勇
0 1 1 0 0 0 0 1 X 3 ジャイアンツ 22勝10敗       0.688 中尾輝三 川上哲治


勝利投手 川上哲治 4勝3敗
敗戦投手 福士勇     4勝5敗


三塁打 (ラ)玉腰
本塁打 (ジ)千葉 1号


リリーフ川上が粘り切る


 ジャイアンツは2回、一死後平山菊二の三ゴロをサード柳沢騰市が一塁に悪送球、アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)が中前打、ダブルスチールを決めて永澤富士雄は三振に倒れて二死二三塁、吉原正喜の遊ゴロをショート山本尚敏が一塁に悪送球する間に平山が還って1点を先制する。

 ライオンは3回、一死後福士勇が四球で出塁、トップに返り坪内道則も四球を選んで一死一二塁、玉腰年男も四球で一死満塁、続く水谷則一の初球に吉原が捕逸を犯して1-1の同点、カウントがツーボールとなったところでジャイアンツ先発の中尾輝三が降板して川上哲治がマウンドに上る。中尾はストライクが入らなくなると延々と四球を出し続けるようだ。しかし川上もストライク一つの後、ボールを二つ続けて水谷四球で一死満塁、この四球は中尾に記録されている。鬼頭数雄の二ゴロ併殺崩れの間に坪内が還って2-1と逆転、この場合は鬼頭に打点が記録される。

 ジャイアンツは3回裏、二死後千葉茂が右翼スタンドにホームランを叩き込んで2-2の同点に追い付く。

 ジャイアンツは4回以降永澤の1安打のみ、5回~7回は三者凡退に抑えられる。ライオンも4回から7回まで室井豊の左前打のみ。

 ライオンは8回、一死後玉腰が右中間に三塁打と勝ち越しのチャンスを迎える。しかし水谷の投ゴロに玉腰が飛び出し「1-5-2-6」と転送されてタッチアウト。

 ジャイアンツは8回裏、一死後白石敏男が四球を選んで出塁、二死後白石が盗塁、千葉が四球を選んで二死一二塁、中島治康のショートへの内野安打の間に白石が好走塁を見せて二塁から一気にホームを陥れて3-2と勝ち越す。

 ライオンは9回、先頭の室井が二塁に内野安打、西端利郎は三振、山本に代わる代打菊矢吉男も三振、中野隆雄が右前打を放って二死一二塁、しかし福士に代わる代打岡本利之が遊ゴロに倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く





2011年10月24日月曜日

14年 セネタースvsタイガース 4回戦


5月28日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 3 1 0 0 0  0   0  4  セネタース 15勝13敗2分 0.536 金子裕 野口二郎
0 0 0 4 0 0 0 0 0  0   0   タイガース 19勝11敗2分 0.633 御園生崇男


二塁打 (セ)柳 (タ)伊賀上


野口二郎、ノーヒットリリーフ


 タイガースは五番レフトに景浦将が復活。

 3回までセネタース先発の金子裕の前にノーヒットに抑えられていたタイガースは4回、先頭の本堂保次が三塁に内野安打、三番松木謙次郎は遊飛、四番門前真佐人の遊ゴロで本堂は二進、五番景浦が二打席連続となる四球を選んで二死一二塁、景浦は復帰いきなり敬遠か。ここで第一打席は遊ゴロ併殺に倒れた御園生崇男が中前に先制タイムリーを放って1-0、伊賀上良平が左中間にタイムリー二塁打を放って2-0、松広金一に代わる代打岡田宗芳が左翼線に2点タイムリーを放って4-0とする。

 4回までタイガース先発の御園生の前にノーヒットに抑えられていたセネタースは5回、先頭の佐藤武夫が左前打で出塁、金子の二ゴロでランナーが入れ替わり、横沢七郎四球で一死一二塁、柳鶴震が右翼線にタイムリー二塁打を放って1-4、更に中継のセカンド本堂がホームに悪送球する間に一走横沢も還って2-4、二死後森口次郎の三ゴロをサード伊賀上がエラーする間に柳が還って3-4と詰め寄る。

 セネタースは6回、一死後二番ファースト浅岡三郎が四球を選んで出塁、尾茂田叶が左前打を放って一死一二塁、四番佐藤が左前に同点タイムリーを放って4-4とする。しかし5回途中から金子のリリーフで登場している野口二郎の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。
 

 御園生は7回以降、セネタース打線を野口のヒット1本に抑える好投を見せる。一方、野口二郎もタイガース打線をノーヒットに抑える。結局、両投手の好投で延長11回4対4の引き分けに終わる。

 御園生崇男は11回を完投して5安打2四球5三振。野口二郎は7イニングを投げて無安打1四球無三振無失点というピッチング内容であった。


 この試合で両チームが得点をあげたことから、六試合連続で続いていた完封試合が七試合目に途切れることとなった。



2011年10月23日日曜日

14年 イーグルスvs阪急 4回戦

5月28日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  10 
0 0 0 0 0 0 0 0 0   0    0 イーグルス 13勝18敗1分 0.419 望月潤一
0 0 0 0 0 0 0 0 0  1X  1  阪急          22勝8敗          0.733 高橋敏

勝利投手 高橋敏     8勝1敗
敗戦投手 望月潤一 2勝5敗

高橋敏、投手戦を制す

 高橋敏、望月潤一という力がありながら歴史に埋もれている両投手による歴史に残る隠れた名勝負が繰り広げられた試合であった。

 イーグルスは1回~3回は三者凡退。一方、阪急は初回、二死後黒田健吾が四球で出塁、山下好一の右前打で一三塁、山下が二盗を決めて二死二三塁と先制のチャンスを迎えるが上田藤夫は投ゴロに倒れる。2回は一死後田中幸男が中前打を放つが日比野武の投ゴロは「1-6-3」と渡ってゲッツー。3回は先頭の高橋敏が四球で出塁、トップに返り西村正夫が送りバント、フランク山田伝は三ゴロに倒れるが黒田の遊ゴロをショート辻信夫がエラーして二死一三塁、しかし山下好一は二ゴロに倒れる。序盤戦は阪急が押し気味に試合を進める。

 イーグルスは4回、先頭の寺内一隆が右前打で出塁、一死後高須清の遊ゴロで二塁に進んだ寺内は送球の隙をついて三塁を狙うがファースト森弘太郎からサード黒田に転送されてタッチアウト。ここはエンドランが掛かっていたのかもしれない。5回は三者凡退、6回は一死後辻が左前打を放つが後続なし。

 阪急は4回、一死後森が四球に歩き田中が右前打で続くが後続なし。5回は先頭の高橋が右前打を放ち西村が二打席連続で送りバントを決めるが山田、黒田は連続三ゴロに倒れる。6回も先頭の山下好一が四球で出塁、上田の右翼線ヒットで無死一三塁、森は遊飛、上田が二盗を決めて一死二三塁、田中の遊ゴロで三走山下好一がホームを突くがショート辻からのバックホームにタッチアウト、田中が二盗を決めて二死二三塁、しかし日比野は遊ゴロに倒れてこの回も無得点。中盤も阪急の流れが続くが0対0のまま試合は終盤戦に進む。

 イーグルスは7回、先頭の太田健一が中前打で出塁するが高須は左飛、中河美芳の二ゴロでランナーが入れ替わり、杉田屋守は二飛に倒れてスリーアウトチェンジ。8回は一死後望月が右前打で出塁、二死後漆原進の中前打で一二塁とするが寺内は右飛に終わる。9回は二死後中河が左翼線にヒットを放つが杉田屋の遊ゴロで中河が二封される。イーグルス打線は終盤に来て高橋の投球にバットが合ってきたようだ。

 阪急は7回、一死後西村が三前にセーフティバントを決めて二盗に成功、しかし山田は三ゴロ、黒田は遊ゴロに倒れる。8回は山好一、上田が連続右飛、森は二飛に倒れて三者凡退。9回は田中が右飛、日比野が二ゴロ、高橋は三ゴロに倒れて三者凡退。試合の流れはイーグルスに傾きかけて0対0のまま延長戦に突入する。

 イーグルスは10回表、伏見五郎は投ゴロ、望月は二ゴロ、辻は遊飛に倒れて三者凡退。

 阪急は10回裏、先頭の西村が四球を選んで出塁、山田も四球を選んで無死一二塁、黒田が三前に送りバントを決めて一死二三塁、ここで山下好一が中前にサヨナラヒットを放ち阪急が1対0で勝利を収める。

 高橋敏は10回を6安打無四球1三振に抑えて今季五度目の完封で8勝目をあげる。

 望月潤一は9回3分の1を投げて7安打6四球無三振。結局のところ、四球の差が明暗を分けることとなった。望月は前回登板の南海戦でも8回まで無安打無得点ながら9回に四球を連発して2点を失っている。本日も10回に連続四球からサヨナラ負け。力はあるだけに惜しいところである。  




2011年10月21日金曜日

14年 ライオンvsタイガース 4回戦

 
5月27日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 ライオン  13勝13敗4分 0.500 近藤久 菊矢吉男
0 0 3 0 1 0 2 0 X 4 タイガース 19勝11敗1分 0.633 西村幸生

 
勝利投手 西村幸生 5勝3敗
敗戦投手 近藤久   0勝4敗


三塁打 (タ)松木、門前

西村幸生、今季二度目の完封


 タイガースは3回、先頭の皆川定之が四球を選んで出塁、トップに返りジミー堀尾文人の投ゴロでピッチャー近藤久が二塁に悪送球する間に皆川は三塁に進んで無死一三塁、ここでダブルスチールを決めて1点を先制する。一死後三番松木謙次郎の左中間三塁打で2-0、四番門前真佐人の遊ゴロの間に松木が還って3-0とする。

 ライオンは4回から近藤に代えて菊矢吉男をマウンドに送る。

 タイガースは5回、一死後二番御園生崇男の遊ゴロをショート山本尚敏がエラー、二死後門前の右前打で御園生は三塁に進んで二死一三塁、ここで御園生が単独ホームスチールを決めて4-0とする。

 タイガースは7回、一死後松木が中前打で出塁、門前が右中間に三塁打を放って5-0、松広金一の中犠飛で6-0とする。

 ライオンは2回、二死後西端利郎が右前打を放つが二盗に失敗。4回は一死後水谷則一が四球で出塁、鬼頭数雄が中前打で続いて一死一二塁とこの試合唯一のチャンスを迎えるが室井豊は中飛、西端は一飛に倒れる。9回は先頭の水谷が一塁への内野安打で出塁するが後続なくタイガースに完敗。

 西村幸生は3安打3四球1三振で今季二度目の完封勝利をあげる。西村の調子が上がってきてタイガースに浮上の芽が出てきた。

 三番松木謙次郎、四番門前真佐人が共に三塁打を含む4打数2安打の活躍を見せる。




2011年10月20日木曜日

14年 ジャイアンツvs南海 4回戦


5月27日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ジャイアンツ 21勝10敗       0.677 スタルヒン
1 0 0 0 0 0 0 0 X 1 南海       12勝17敗2分 0.414 政野岩夫


勝利投手 政野岩夫     5勝6敗
敗戦投手 スタルヒン 15勝5敗


二塁打 (南)国久


59分


 南海は初回、先頭の国久松一が右中間に二塁打、続く平井猪三郎の二ゴロで国久は動けず一死二塁、鶴岡一人の中前打で一死一三塁、岡村俊昭の二ゴロの間に国久が還って1点を先制する。


 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が四球を選んで出塁、続く水原茂の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。2回、一死後川上哲治が右前打で出塁するがアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)の遊ゴロで「6B-3」のダブルプレー。4回には水原、千葉茂の連続四球で一死一二塁とするが中島治康の二直に二走水原が飛び出してゲッツー。


 ジャイアンツは5回、先頭の川上が四球で歩くがリベラの二直に川上が飛び出してダブルプレー。7回、先頭の水原が左前打で出塁、千葉の投ゴロでランナーが入れ替わり一死一塁、中島の三ゴロが「5-4-3」と渡ってこの日五つ目の併殺を記録する。


 政野岩夫はジャイアンツ打線を3安打5四球0三振の完封に封じ込め、スミ一を守り抜いて5勝目をあげる。


 スタルヒンも8回を6安打1四球5三振で1点に抑えるが5月7日のタイガース戦以来の敗戦投手となって七連勝でストップする。ジャイアンツとしては9回、1イニングだけであったが呉波が久々に出場してレフトの守備についたのが唯一の収穫であった。ジャイアンツの敗戦によって阪急が春季優勝に大きく近づいた。




 南海守備陣の5併殺が効いて試合時間は59分であった。


 南海の5併殺のうち4つに絡んだセカンドの国久松一は打っても初回二塁打を放って決勝のホームを踏んだ。国久は興國商業(現・興國高等学校)の出身。興國と言えば1968年夏の甲子園に丸山ー丸目のバッテリーで初出場初優勝を飾ったことで知られています。丸山投手のアンダーハンドが印象に残っています。この大会は50回記念大会で、北海道を南北に分けて47都道府県から48校の代表が出場したマンモス大会でした。沖縄代表の興南高校がベスト四に進み「興南旋風」が吹き荒れた大会でした。前年は習志野高校が一回目の優勝を飾り、翌年は太田幸司の三沢高校と松山商業の死闘が繰り広げられました。太田はこの年も二年生で甲子園のマウンドを踏んでいます。武相高校の島野(後のブレービー。巨人にドラフト一指名されたとき、巨人入りを熱望していた星野仙一が「島と星の間違いとちゃうんか!」と絶叫しました。)の剛腕が評判でしたが、市神港時代の山口高志も出場しています。興國と決勝で対戦して敗れた静岡商業の新浦は中退して巨人入りしています。







2011年10月19日水曜日

14年 セネタースvsイーグルス 4回戦


5月27日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 3 1 0 0 5 セネタース 15勝13敗1分 0.536 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 イーグルス 13勝17敗1分 0.433 中河美芳 亀田忠

勝利投手 野口二郎 9勝6敗
敗戦投手 亀田忠   6勝7敗


二塁打 (イ)漆原


浅岡三郎、二打席連続タイムリー


 翌日の読売新聞に鈴木惣太郎による高須清へのインタビュー記事が掲載されている。

(鈴木)「職業野球に対する抱負とか理想は?」
(高須)「入って非常によい事をしたと思っています。少なくとも今まで抱いていた一種の杞憂なんか完全に吹飛んでしまいました。」
(鈴木)「杞憂とはどんな事だったのですか?」
(高須)「例えばその一つに、職業野球には真実のスポーツマンシップが欠けているのではないかと僕も世間並みに杞憂していたのですが、入ってみると従来予想していたよりも遥かに真剣で真面目であるのに驚きました。」



 1回と3回のチャンスを併殺で潰したセネタースは4回、先頭の尾茂田叶が中前打で出塁、四番佐藤武夫が投前に送りバントを決めて一死二塁、野口二郎の遊ゴロの間に尾茂田は三進、浅岡三郎が左前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 イーグルスベンチは5回から先発の中河美芳に代えて亀田忠をリリーフに送るが亀田はコントロールに苦しみいきなり連続四球、この回は後続を抑える。

 セネタースは6回、一死後野口の三ゴロをサード漆原進がエラー、浅岡四球、柳鶴震の遊ゴロで浅岡は二封、柳が二盗を決めて織辺由三四球で二死満塁、ここで森口次郎の左飛をレフト杉田屋守が落球する間に三走野口に続いて二走柳もホームに還って3-0、トップに返り苅田久徳が左前にタイムリーを放って4-0とする。

 セネタースは7回、一死後尾茂田の遊ゴロをショート辻信夫が一塁に悪送球する間に尾茂田は二塁に進む。佐藤は三振に倒れるが野口の三塁内野安打で二死一三塁、浅岡が2イニング連続の左前タイムリーを放って5-0とリードを広げる。

 イーグルスは6回、先頭の高須清が右前打で出塁、中河美芳の左前打で無死一二塁とするが、杉田屋の一直をファースト浅岡三郎がジャンプ一番好捕して中河が戻れずゲッツー。7回以降は無安打に抑えられた。高須は4打数2安打、右前打2本という成績であった。

 野口二郎は5安打2四球3三振で今季二度目の完封。浅岡三郎の二打席連続タイムリーが光った。



 

幻のホームラン その二


 2011年1月1日付けブログ「幻のホームラン」で、昭和13年春季リーグ戦、5月8日の名古屋vsセネタース戦が雨天コールドとなり、大沢清の右中間本塁打が「幻のホームラン」となったことをお伝えしました。 

 昭和14年5月25日の第三試合に予定されていたセネタースvs阪急が雨天コールドとなりましたが、3回表までの試合経過がスコアブックに残されていますので経過をお伝えいたします。

 セネタースは初回、先頭の苅田久徳が左中間に二塁打、横沢七郎四球で無死一二塁、二死後佐藤武夫が左翼席にスリーランホームランを叩き込んで3点を先制する。

 セネタースは2回、先頭の柳鶴震が右中間に三塁打、織部由三が右前にタイムリーを放って4-0とする。阪急先発の高橋敏はここでノックアウト、石田光彦がリリーフのマウンドに上る。

 阪急は2回、一死後久々登場の上田藤夫が右前打で出塁、田中幸雄四球で一二塁、森弘太郎の投ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、日比野武が右前に2点タイムリーを放って2-4とする。

 セネタースの3回の攻撃は三者凡退。ここで雨脚が速くなり降雨コールドが宣せられた。

 通算12本塁打で引退することとなる佐藤武夫としては手痛い「幻のホームラン」であった。恐らく大沢清に続く史上二度目の出来事(残されていないので記録とは言えない。)でしょう。それよりもジャイアンツと熾烈な春季リーグ戦優勝争いを繰り広げている阪急としては恵みの雨であったと言える。

 
 この試合がコールドゲームとなったことにより、プロ野球史に残る記録が見られることとなります。数試合後に判明します。記録好きの方は予想してみてください。





2011年10月18日火曜日

14年 イーグルスvsライオン 4回戦


5月25日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9   計
0 0 0 0 0 0 0 0 1   1 イーグルス 13勝16敗1分 0.448 亀田忠
0 0 0 0 0 0 0 0 0   0 ライオン     13勝12敗4分 0.520 福士勇


勝利投手 亀田忠 6勝6敗
敗戦投手 福士勇 4勝4敗


二塁打 (イ)辻、杉田屋

高須清デビュー


 昭和14年5月23日付け読売新聞は「高須、イ軍へ入る」の見出しで高須清のイーグルス入りを伝えている。高須は松山商業で主将を務め、早稲田大学では昭和10年春の首位打者、早稲田でも主将を務めている。大日本麦酒に入社したが、同社を経営する高橋龍太郎がオーナーであるイーグルスに、大日本麦酒に籍を置きながらの出向扱いのようである。河野安通志、森茂雄監督と早稲田閥のイーグルスにはタイガースから小島利男も移籍してきた。因みに早稲田で1年先輩となる小島とは仲が良く、小島の恋人であった松竹少女歌劇の小倉みね子の楽屋に小島と高須が通っていたエピソードが小島千鶴子(後に小島と結婚した小倉みね子)著「小島利男と私」に書かれている。同著はベースボール・マガジン社から刊行されていますが、知る人は少ないでしょう。更に因みに高須は6月3、4日に行われる新人東西対抗にいきなり東軍の主将として登場することとなる。西軍の主将は鶴岡一人である。

 その高須清が三番セカンドで出場したこの試合はイーグルス・亀田忠、ライオン・福士勇のいつ果てるともしれない投げ合いが続き8回までライオンは2安打、イーグルスは3安打で両チーム無得点。

 イーグルスは9回、二死後杉田屋守が左中間に二塁打、代走に清家忠太郎が起用される。伏見五郎の遊ゴロをショート瀬井清がエラーして二死一三塁、辻信夫の三ゴロをサード中野隆雄が一塁に低投する間に代走清家が還って決勝の1点をあげる。

 9回もノーヒットに抑えた亀田忠は2安打3四球2三振の完封で6勝目をあげる。福士勇も4安打2四球1死球3三振1失点、もちろん自責点は0の好投であった。


 注目の高須清の第一打席は一死一塁に四球の太田健一を置いてファーストライナー、太田が飛び出しておりゲッツーとなった。第二打席で中前にプロ入り初安打を放ち、4打数1安打1三振とまずますのデビューであった。

 第三試合に予定されていたセネタースvs阪急戦は3回、雨天コールドとなった。



            *高須清は三番セカンドでデビュー。





2011年10月16日日曜日

428打数115安打 ⑤


 久々のシリーズ復活となります。浅村栄斗は10月16日現在428打数115安打、打率2割6分9厘となっています。この程度の成績で何故当ブログで取り上げるのか、疑問に思う方が100%を占めていると思われますので、本日はその謎解きといきます。


 最も分かりやすい理由は、9月末時点での打率が2割4分2厘であった事にあります。すなわち、10月に入って12試合で打率を2分7厘上げてきたということです。10月の成績は12試合で41打数21安打、打率5割1分2厘というものです。本日のソフトバンク戦は4打数2安打ではありましたが、最終回4対4の同点に追い付いて一打サヨナラの場面で打席が回ってきたにもかかわらずセンターフライに倒れています。こう言う場面で打ったらんかい!!まだまだ修行が足らないと痛切に感じたことでしょう。


 このシリーズが6月25日付けブログ「143打数40安打 ④」以来の更新となった理由はその後打っていないからです。プロのバットマンであれば、打てなくなればファンに見捨てられるのは当然のこと。サルは木から落ちてもサルですが、バットマンは打てなくなればただの木偶の坊です。


 浅村栄斗を推す理由は、その抜群のセンスにあります。3年夏の甲子園、常葉菊川との決勝で見せた二塁走者を三塁に刺したプレーが起源です。このプレーはユーチューブでも見ることができますので、見逃した方は是非ご覧になってください。バッティングでも内角球の捌き方は天性のものです。


 春と秋の成績は良し。となれば課題は簡単。241打数54安打、打率2割2分4厘と低迷した中だるみを克服することのみです。


14年 名古屋vs金鯱 4回戦


5月25日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 名古屋 10勝18敗3分 0.357 大沢清
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱    7勝24敗       0.226 中山正嘉


勝利投手 大沢清     1勝1敗
敗戦投手 中山正嘉 5勝9敗


二塁打 (名)村瀬2


大沢清、快心の投球


 どうも日本人という人種は細かいことが好きなようで、折角今季から一シーズン制となり本格的長期リーグ戦がスタートしたと言うのに、シーズンを春季、夏季、秋季の三つに分けてそれぞれ表彰するということとなっている。大和球士著「真説 日本野球史」によると、「長期一シーズン制と三シーズン制の“ごった煮制度”であった。・・・鈴木惣太郎が提案した長期一シーズン制に対し、反対論が起こって収拾がつかず、妥協案として、便宜的に三シーズン制もとりいれたために中途半端なリーグ戦ができあがったのであった。」とのことです。と言うことで、春季リーグ戦は大詰めに来て阪急とジャイアンツによる熾烈な首位争いが繰り広げられている。本日からの後楽園シリーズ12試合で雌雄が決することとなる。


 名古屋は初回、桝嘉一が右前打、2回は服部受弘が左前打、3回は村瀬一三が左翼線に二塁打を放つが得点無し。4回は三者凡退。

 名古屋は5回、先頭の服部が左前打で出塁、天野竹一の送りバントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り石田政良は一飛に倒れて一死一二塁、ここで村瀬が二打席連続となる二塁打を左中間に放ち決勝の1点をあげる。

 名古屋先発の大沢清は5回までノーヒットピッチング。6回二死から古谷倉之助に右翼線ヒット、野村高義に右前打を許して二死一二塁のピンチを迎えるが中山正嘉を右飛に抑える。7回、8回は三者凡退。9回、先頭の古谷に四球を与えて無死一塁。翌日の読売新聞によると「されば岡田監督は古谷主将と協議の上、岡野を代走に立てて得点を狙ったものである。然るに打者野村は第一球を二ゴロして重殺に斥けられ逆転を期すべき手がかりを一挙にして喪失した。」とのことである。金鯱は古谷の代走に岡野八郎を送ったが本日四番に入った野村高義の二ゴロが「4-6-3」と渡ってゲッツー、中山に代わる代打磯部健雄が三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 大沢清は2安打5四球3三振の完封で今季初勝利をあげる。右打ちの名手として名高い大沢清(後に伸夫)は投手としては通算5勝をあげることとなるが、完封勝利はこの日が唯一のものである。弟の大沢啓二親分が亡くなって、テレビに出ている一族は又姪の大沢あかねだけになった。大沢あかねがテレビに出られているのも終戦直後、ぷー太郎をしていた大沢啓二親分に復員してきた大沢清が「喝」を入れて親分が改心したからです。

 大沢清にとっては快心の投球であった。






       *大沢清快心のピッチングを伝えるスコアブック




2011年10月15日土曜日

14年 ライオンvsタイガース 3回戦


5月23日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 2 0 0 0 0 0 0 3 ライオン    13勝11敗4分 0.542 福士勇
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 タイガース 18勝11敗1分 0.621 三輪八郎 西村幸生


勝利投手 福士勇     4勝3敗
敗戦投手 三輪八郎 1勝4敗

三塁打 (ラ)坪内

ライオン、集中打で快勝


 三連敗のタイガースは大幅にオーダーを替えてきた。(八)ジミー堀尾文人、(九)松広金一、(五)伊賀上良平、(三)松木謙治郎、(四)本堂保次、(七)富松信彦、(二)門前真佐人、(一)三輪八郎、(六)皆川定之。岡田宗芳に代わって不動の九番に定着している皆川以外は全取っ替えである。景浦将欠場の間、四番の穴を埋める活躍を続けてきた富松の調子が落ちてきたので松木を四番に入れてきた。

 ライオンは初回、先頭の坪内道則が中前打で出塁、西端利郎の投前送りバントをファースト松木がエラー、坪内は三塁に進んで無死一三塁、水谷則一が右前にタイムリーを放って1点を先制する。鬼頭数雄のバントは捕邪飛となって門前から松木に送られ水谷が戻れずダブルプレー。

 ライオンは3回、先頭の坪内が左中間を深く抜いて三塁打、タイガースはここで先発の三輪八郎をあきらめて西村幸生をリリーフに送るが西端が右前にタイムリーを放って2-0、水谷は中飛に倒れるが鬼頭が右前打、玉腰年男が中前にタイムリーを放って3-0とする。岡本利之は捕邪飛に倒れるがダブルスチールを決めて二死二三塁、ここは西村が踏ん張って中野隆雄は三振でスリーアウトチェンジ。

 タイガースは5回、先頭の富松が四球で出塁、門前の遊ゴロの間に富松は二進、二死後皆川が中前にタイムリーを放って1-3とする。

 西村幸生は4回以降立ち直って無失点で切り抜けるがライオン先発の福士勇もタイガース打線を寄せ付けず、福士は4安打4四球1三振の完投で4勝目をあげる。


 ライオンは坪内道則、西端利郎、水谷則一の一~三番が2安打ずつ、全8安打を一番~五番に集中させてタイガースに快勝する。

 一方、タイガースは打線が湿り気味で四連敗。景浦将は本日も代打で登場するなどようやく復帰の目途がたってきているのが唯一の救いか。




14年 名古屋vs阪急 3回戦


5月23日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 0 2 名古屋  9勝18敗3分 0.333 繁里栄 中村三郎
0 0 1 1 0 2 0 0 X 4 阪急   21勝8敗         0.724 重松通雄


勝利投手 重松通雄 2勝5敗
敗戦投手 繁里栄     2勝7敗


二塁打 (阪)田中、伊東

田中、伊東の滝川コンビが連続二塁打


 阪急は3回、一死後重松通雄が四球で出塁、西村正夫の遊ゴロでランナーが入れ替わり、フランク山田伝の中前打で二死一二塁、黒田健吾が左翼線に先制のタイムリーを放って1-0とする。

 阪急は4回、一死後田中幸雄が四球から二盗に成功、伊東甚吉が右前打を放ち一死一三塁、日比野武の中犠飛で2-0とする。

 名古屋は5回から先発の繁里栄に代えて中村三郎がマウンドに上がる。

 阪急は6回、先頭の山下好一が四球で出塁、森弘太郎の投ゴロの間に山下が二進、田中が左翼線にタイムリー二塁打を放って3-0、伊東がバック・ツー・バックの左中間二塁打を放って4-0とする。

 名古屋は7回、先頭の桝嘉一が左前打で出塁、大沢清、加藤正二野の連続右前打で無死満塁、芳賀直一が押出し四球を選んで1-4、服部受弘は三振に倒れて一死満塁、中村が右犠飛を打ち上げて2-4としてなお二死一三塁、芳賀が二盗を決めて二死二三塁、しかし三浦敏一が右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。名古屋の反撃もここまで、阪急が首位の座を守る。

 重松通雄は5安打1四球6三振の完投で2勝目をあげる。


 田中幸雄、伊東甚吉の滝川中学出身のルーキーコンビが2安打ずつを記録。6回の連続二塁打で勝負を決めた。開幕前の予想ではセカンドは上田藤夫、ショーにトは強肩を買われてコンバートされた下村豊が有力視されていたが、シーズンが深まるにつれて田中、伊東の二遊間コンビが定着してきた。大和球士著「真説 日本野球史」では「地味で人気は上がらなかったが、滝川時代からの名コンビはいよいよ冴え、絶妙のダブルプレーを随所に見せ・・・」と紹介されている。

 伊東甚吉はプロには三年間の在籍で戦死することとなる。田中幸雄は滝川中学時代は「幸男」だったようで、昭和14年3月11日の読売新聞では「職業団入りの新人33名」が発表されているが「田中幸男」となっている。「真説 日本野球史」の昭和14年の記述でも「田中幸男」となっているが、昭和14年の登録名は「田中幸雄」であり、昭和15年以降「田中幸男」に戻し、戦後になって昭和25年の広島カープス結成時には「田中成豪」と改名している。

 1975年の広島V1を記念して刊行された「広島東洋カープ球団史」によると、昭和24年9月28日、日本野球連盟に加盟を申請した時は「カープ」であったが、他チームが複数形を使っていることから「カープ」も「カープス」に改められた。実際、昭和24年12月29日付け中国新聞には「“カープス”中央リーグ入り」の大見出しが躍っている。ところが、広島大学教授や学生などから「鯉」の複数形は「カープ」で「S」はつかないと文法上の誤りを指摘する投書があり、「広島カープス」から「広島カープ」に改名している。

 なお、「広島東洋カープ球団史」の昭和25年選手紹介欄には「田中成豪 関大」と関西大学出身となっている。恐らく、戦時中のプロ野球選手がよくやっていたように関西大学の夜間に籍を置いて兵役免除を受けていたのであろうが、きちんと授業にも出て卒業したのかもしれない。田中も昭和17年から兵役につきます。

 更になお、ベースボール・マガジン社編「日本プロ野球50年史」の昭和25年選手紹介欄では「田中成秀 関大」となっているが「田中成豪」のことである。

 更に更になお、毎度のことでコメントする値打ちも無いが、Wikipediaには「関西大学を経て、1939年阪急へ入団」と記載されているが誤りである。当時の資料では全て「滝川中学出身」となっています。戦後の資料が「関大出身」となっているのは上記の経緯であったからではないかと推測します。Wikipediaに「関西大学を経て」と書かれているのは戦後の資料だけを見て勝手に思い込んだ人が書き込んだからでしょう。






          *重松通雄の下手投げが冴えて完投勝利。






          *田中幸雄、伊東甚吉が連続二塁打。


2011年10月14日金曜日

14年 金鯱vs南海 4回戦


5月23日 (火) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 金鯱    7勝23敗      0.233 大宮清 古谷倉之助 中山正嘉
1 0 0 2 0 2 0 0 X 5 南海 11勝17敗2分 0.393 平野正太郎

勝利投手 平野正太郎 1勝0敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝6敗


三塁打 (南)岡村



平野正太郎、完投でプロ入り初勝利


 南海は初回、二死後鶴岡一人が四球を選んで出塁、四番・岡村俊昭が中越えに三塁打を放って1点を先制する。岡村はこのところ勝負強さが目立つ。

 金鯱は2回から早くも先発の大宮清に代わって古谷倉之助がマウンドに上がる。

 南海は4回、先頭の鶴岡が二打席連続の四球で出塁、岡村の投ゴロは「1-6-3」と転送されたがショート瀬井清の送球が悪送球となる間に岡村は二塁に進む。続く中村金次の遊ゴロを瀬井が又も一塁に悪送球する間に岡村が還って2-0、伊藤経盛に代わる代打平井猪三郎の右前打で中村が三塁に進み平井が二盗を決めて一死二三塁、中田道信の三ゴロの間に中村が還って3-0とする。

 金鯱は6回、先頭の瀬井が四球で出塁、武笠茂男が右前打で続き、長島進が送って一死二三塁、中山正嘉の中犠飛で1-3とする。

 南海は6回裏、一死後平井が右前打で出塁すると二盗に成功、中田が四球を選んで一死一二塁、岩出清の左前タイムリーで4-1、トップに返り国久松一が左前にタイムリーを放って5-1と突き放す。

 平野正太郎は7安打4四球1死球2三振の完投でプロ入り初勝利を記録する。






*平野正太郎は7安打4四球1死球2三振の完投でプロ入り初勝利を記録する。










2011年10月13日木曜日

14年 ライオンvs阪急 4回戦


5月22日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ライオン 12勝11敗4分 0.522 近藤久 井筒研一
2 2 0 1 0 1 0 1 X 7 阪急      20勝8敗         0.714 浅野勝三郎


勝利投手 浅野勝三郎 4勝1敗
敗戦投手 近藤久         0勝3敗


二塁打 (阪)山下好、下村


浅野勝三郎、4安打完封

 阪急は初回、先頭の西村正夫が中前打で出塁するとすかさず二盗、フランク山田伝は四球、黒田健吾がセオリー通り三塁前に送りバントを決めて一死二三塁、山下好一が左中間を抜く二塁打を放って2点を先制する。

 阪急は2回、先頭の伊東甚吉が右前打で出塁、日比野武の右前打で伊東は三塁に進み無死一三塁、ワイルドピッチで3-0、更にパスボールで日比野は三進、トップに返り西村四球、山田のピッチャー強襲ヒットで4-0とする。更に西村、山田が重盗を決めて一死二三塁、しかし後続無くスリーアウトチェンジ。

 阪急は4回、二死後山田が中前打で出塁するとすかさず二盗に成功、黒田の中前タイムリーで5-0とする。

 ライオンは6回から先発の近藤久に代えて井筒研一をマウンドに送る。阪急は6回、一死後山田が三塁に内野安打、黒田が左翼線にヒットを放ち一死一二塁、山下好一は中飛に倒れるが昨日のヒーロー森弘太郎が左前にタイムリーを放って6-0とする。

 阪急は8回、先頭の黒田の三ゴロをファースト玉腰年男が落球、山下好一右前打で無死一二塁、森の三ゴロで山下は二封されて一死一三塁、下村豊が左翼線に二塁打を放って7-0とする。

 阪急は田中幸雄を除く全員の16安打で快勝。13残塁だけが課題か。西村正夫、フランク山田伝の一二番コンビが2盗塁ずつを記録する。

 浅野勝三郎は4安打2四球5三振でライオン打線を完封、4勝目を上げる。翌日の読売新聞は「浅野が十分の余裕をもって投ずるカーブは鋭いブレーキをもってラ軍打者を翻弄し・・・」と伝えている。



          *浅野勝三郎が4安打完封を飾る。






2011年10月11日火曜日

14年 セネタースvs南海 4回戦


5月22日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
1 0 0 0 0 0 1 0 0  0   0   2 セネタース 14勝13敗1分 0.519 金子裕 野口二郎
0 0 0 2 0 0 0 0 0  0   0   2 南海          10勝17敗2分 0.370 宮口美吉 政野岩夫

両者譲らず


 セネタースは初回、先頭の苅田久徳が四球で出塁、横沢七郎が送って苅田は三盗、尾茂田叶は捕邪飛に倒れるが四番ファースト野口二郎が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 セネタースは4回、先頭の佐藤武夫が左前打を放つと南海ベンチは先発の宮口美吉から政野岩夫にスイッチして後続を断つ。

 南海は4回、先頭の小林悟楼が左前打で出塁、鶴岡一人は左飛に倒れるが小林が二盗を決めて中村金次、伊藤経盛連続四球で一死満塁、ここで岡村俊昭が中前に逆転の2点タイムリーを放って2-1とする。

 セネタースは7回、先頭の金子裕の二ゴロをセカンド国久松一がエラー、柳鶴震が送って、森口次郎四球で一死一二塁、トップに返り苅田が左前に同点タイムリーを放って2-2に追い付く。

 セネタースは8回以降、二番手・政野に封じ込められて11回まで4イニング連続三者凡退。一方、セネタース先発の金子裕も5回以降10回まで南海打線を3安打に封じ込める。

 南海は11回裏、先頭の小林悟楼が四球で出塁、セネタースベンチはここで金子を下げて野口二郎をファーストからマウンドに上げる。鶴岡一人の遊ゴロで小林が二封されてランナーが入れ替わり、中村金次の遊ゴロで鶴岡が二封されてランナーが入れ替わり二死一塁、最後は伊藤経盛に代わる代打栗生信夫が三ゴロに倒れて2対2の引分けに終わる。

 金子裕は10回3分の0を投げて5安打5四球6三振2失点。南海二番手の政野岩夫は8イニングを投げて1安打2四球1三振1失点、自責点0の好投であった。

 両チームシングルヒットが5本ずつで残塁も6個ずつであった。




2011年10月10日月曜日

14年 金鯱vsジャイアンツ 4回戦


5月22日 (月) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 金鯱          7勝22敗 0.241 中山正嘉
0 1 0 1 0 0 0 0 X 2 ジャイアンツ 21勝9敗   0.700 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 15勝4敗
敗戦投手 中山正嘉    5勝8敗


三塁打 (金)佐々木 (ジ)川上

スタルヒン、1安打完投で15勝目


 ジャイアンツは2回、一死後川上哲治が四球で出塁、アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)の二ゴロの間に川上は二進、井上康弘が右前にタイムリーを放って1点を先制する。

 ジャイアンツは4回、川上がセンター右奥に三塁打、リベラの中犠飛で2-0とする。

 イーグルスは8回までスタルヒンの前に1安打。その1本も3回二死後の佐々木常助の右中間三塁打であったが、佐々木がランニングホームランを狙ってホームを突くがタッチアウトとなったものである。但しこの中継プレーは「8・9・6-2」と記録されていることから、右中間で何かトラブルがあり当然ホームを狙うべき状況であった可能性もある。翌日の読売新聞には「佐々木が右中間に三塁打しながら無謀にもそのまま本塁へ猪突して犬死した・・・」と書かれている。甲子園の試合の記事は大抵、三宅正夫記者が書いておりこの日も三宅記者の署名入り記事であるが、同記者の記事はスコアブックの記載との齟齬が多く慎重に取り扱う必要がある。

 金鯱は8回までスタルヒンに1安打無得点に抑えられていたが9回、二死後スタルヒンが突然乱れ、野村高義、古谷倉之助、中山正嘉のクリーンナップトリオに三連続四球、武笠茂男に代わる代打磯部健雄が押出し四球を選ん1-2、続く瀬井清もカウントツースリーまで行くが最後は三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 スタルヒンは金鯱相手ということで手を抜いていたようである。翌日の読売新聞は「金鯱の攻撃はスタルヒンのスピードを落した軟投に閉塞されて・・・」と伝えている。金鯱相手であれば力を抜いても1安打ピッチングが出来ると見るか、力を抜いていたのでいいピッチングにつながったと見るか。但し最終回はギアチェンジできなかったようです。





     *スタルヒンは力を抜いた投球で金鯱を1安打に抑える。




14年 タイガースvs阪急 4回戦


5月21日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 タイガース 18勝10敗1分 0.643 御園生崇男
2 0 1 0 0 0 0 0 X 3 阪急         19勝8敗          0.704 浅野勝三郎 高橋敏


勝利投手 浅野勝三郎 3勝1敗
敗戦投手 御園生崇男 8勝2敗
セーブ   高橋敏 1


二塁打 (タ)堀尾
三塁打 (タ)伊賀上

森弘太郎、全打点を叩き出す


 現在阪急は18勝8敗の6割9分2厘で首位、ジャイアンツは20勝9敗の6割9分でゲーム差では阪急を0.5ゲーム上回りながら勝率で2厘差の二位、タイガースは18勝9敗1分の6割6分7厘で三位という稀に見る(と言っても長期リーグ戦が始まってまだ三年目ですが)混戦となった。

  タイガースは阪急キラーの御園生崇男が先発。阪急は浅野勝三郎を持ってきた。

 阪急は初回、先頭の西村正夫が四球で出塁するとすかさず二盗を試みるも門前真佐人の強肩に屈する。しかしフランク山田伝が左前打、黒田健吾も左前打で続いて一死一二塁、山下好一の三ゴロで黒田が二封され山下好が二盗を決めて二死二三塁、ここで五番ファースト森弘太郎が中前に先制の2点タイムリーを放って2-0とする。

 阪急は3回、先頭の黒田が四球で出塁、山下好一の投ゴロを御園生崇男が二塁に悪送球して無死一三塁、森が右前にタイムリーを放って3-0とする

 タイガースは1回にジミー堀尾文人が二塁打、4回は伊賀上良平が三塁打を放つがいずれも二死からで得点には結び付かず4回まで浅野勝三郎に無得点に抑えられる。

 タイガースは5回、先頭の松広金一が右前打で出塁、皆川定之の遊ゴロをショート田中幸雄がエラーして無死一二塁、トップに返り松木謙治郎が四球を選んで無死満塁、本堂保次の遊ゴロが「6B-3」のダブルプレーとなる間に三走松広が還って1-3とする。二死三塁で堀尾は一邪飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は6回から高橋敏をリリーフに送る。高橋は4イニングを1安打無四球無失点に抑えて阪急が逃げ切り首位を守る。


 森弘太郎が4打数2安打3打点と阪急の全打点を叩き出した。昭和16年には30勝投手となる森であるが、投手に専念するのは来年からで、今季は山下実の応召もあって一塁手として10試合に先発出場することとなる。山下実は腰の故障のため即日除隊となっているのでもうすぐ復帰するかもしれない。このところ三番ファーストに入っている浅野勝三郎が先発ピッチャーということで本日は森弘太郎が五番ファーストに入って全打点を叩き出したものである。

 森弘太郎は一宮中学の出身。現在当ブログで活躍している同窓生は先日金鯱の16連敗を阻止した大宮清と名古屋の牧常一だけであるが、数少ないプロ在籍者である林安夫が昭和17年に登場することとなる。一宮中学は球史にはあまり登場してこないと思われがちですが、森弘太郎、林安夫の二人の30勝投手を輩出しています。

 なお、スコアブックには本堂保次に1打点が記録されている。既報のとおり、昭和14年4月22日から併殺打の際に三走が生還しても打者には打点が記録されないとルールが改正されたばかりなのに僅か1カ月後にこのようなミスが生じるとは信じられない。




2011年10月9日日曜日

14年 セネタースvsジャイアンツ 4回戦


5月21日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 セネタース    14勝13敗 0.519 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 4 X 4 ジャイアンツ 20勝9敗   0.690 中尾輝三 スタルヒン


勝利投手 中尾輝三 3勝2敗
敗戦投手 野口二郎 8勝6敗


二塁打 (ジ)白石、水原

白石敏男、決勝打


 ジャイアンツは先発の中尾輝三に不安があるのか川上哲治を外してファーストに永澤富士雄を入れて五番。川上はリリーフの用意をするようである。

 その中尾は1回、いきなり9球で苅田久徳、横沢七郎と二者連続四球。しかし苅田が三盗失敗、横沢を一塁牽制で刺してピンチを逃れる。2回も2四球とエラーで一死満塁とするが柳鶴震を三振、織辺由三を捕邪飛に打ち取る。3回もヒットと四球で一死一二塁とするが四番佐藤武夫は二ゴロ、浅岡三郎は三邪飛に打ち取る。これでは川上もブルペンで投げ通しでしょう。

 4回も四球で柳を歩かせるが織辺は二打席連続捕邪飛、要するにストライクが入るのは稀であるが入れば前に飛ばさせないだけの球威があると言うことでしょう。5回も四球とエラーで一死一二塁とするが佐藤は中飛、浅岡が右飛に倒れる。6回は野口二郎、家村相太郎が連続右飛、柳が右前打を放つが織部は二ゴロ。7回は一死後横沢が四球で出るが二盗に失敗。中尾は7回まで2安打8四球2三振で無失点に抑える。

 一方、野口二郎は中尾とは対照的に7回まで6本のヒットを許すが無四球。1回は先頭の白石敏男を内野安打で出すが千葉茂の遊ゴロで「6-4-3」のゲッツー。5回は永澤のピッチャー強襲ヒットとアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)の右前打で無死一三塁のピンチを迎えるが、井上康弘のスクイズが投飛となって三塁に送球してゲッツー。7回も先頭の千葉をピッチャー強襲ヒットで出すが中島治康の投ゴロで「1-4-3」のゲッツー。こちらも7回まで無失点で切り抜ける。

 セネタースは8回、先頭の佐藤武夫が左前打で出塁、浅岡の遊ゴロでランナーが入れ替わり、野口の三ゴロをサード水原茂が二塁に送球するがセカンド井上が落球して一死一二塁、しかし家村は三振、柳は左飛に倒れて無得点。下位打線では中尾の球威に勝てないようである。

 ジャイアンツは8回、遂に野口を捕えて一死後井上に代わる代打平山菊二が左前打で出塁、吉原正喜も左前打で続き中尾に代わる代打川上は中飛に倒れて一死一二塁、トップに返り白石が右中間に二塁打を放ち二者を迎え入れて2-0と均衡を破る。水原も左中間に二塁打を放ち3-0、千葉の右前タイムリーで4-0、更に中島も右前打で続きこの回6安打を集中させて試合を決める。


 ジャイアンツ・藤本定義監督は9回にはスタルヒンを投入して三者凡退で逃げ切る。中尾が早めに捕まれば川上をリリーフに送る算段であったが勝機と見るやスタルヒンを注ぎ込んだものであろう。ジャイアンツはこれで首位阪急に2厘差と迫った。本日の第三試合にはタイガースvs阪急の大一番が控えている。





*白石が「敏男」から「勝巳」に改名するのは広島に移る1950年からで1949年までは「白石敏男」であった。サインは戦後のもので、1949年入団の手塚明治と共に書かれているので1949年のものと推定される。




14年 名古屋vsライオン 4回戦


5月21日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計
0 0 3 0 0 1 0 0 0  0   0   4 名古屋     9勝17敗3分 0.346 中村三郎
1 0 0 0 1 0 2 0 0  0   0   4 ライオン 12勝10敗4分 0.545 菊矢吉男 福士勇


二塁打 (ラ)玉腰、鬼頭
三塁打 (ラ)玉腰

玉腰年男、5打数5安打


 ライオンは初回、先頭の坪内道則が四球で出塁、続く玉腰年男が本日1本目のヒットを中前に放ち無死一二塁、水谷則一の左前打で無死満塁、鬼頭数雄が押出し四球を選んで1点を先制する。続く室井豊の投ゴロは「1-2-3」と渡るダブルプレー、西端利郎も二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。2回も先頭の山本尚敏が左前打で出塁するが中野隆雄の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。ここからエラー、ヒット、四球で二死満塁とするが水谷が二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 名古屋は3回、先頭の中村三郎が四球で出塁、三浦敏一の投ゴロを菊矢吉男が二塁に悪送球、トップに返り石田政良は一邪飛に倒れるが村瀬一三が四球を選んで一死満塁、ワイルドピッチで1-1の同点、桝嘉一が四球を選んで再度一死満塁、大沢清が中前に2点タイムリーを放って3-1と逆転に成功する。

 ライオンは4回から先発の菊矢に代えて福士勇をマウンドに送る。

 ライオンは5回、先頭の玉腰が本日3安打目となる二塁打を右翼線に放つ。水谷の二ゴロの間に玉腰は三進、鬼頭数雄が左前にタイムリーを放って2-3と追い上げる。

 名古屋は6回、先頭の大沢が本日3本目のヒットを中前に放つ。加藤正二が送って一死二塁、服部受弘は遊飛に倒れるが、芳賀直一が中前にタイムリーを放って4-2と突き放す。

 ライオンは7回、先頭の坪内が中前打で出塁、玉腰の4安打目は右翼線の三塁打となって3-4の1点差、水谷が同点の右犠飛を打ち上げて4-4に追い付く。更に鬼頭、室井の連打で一死一二塁、西端の右前打で二走鬼頭がホームを突くがライト桝のバックホームにタッチアウト。怪我から復帰したばかりの桝嘉一は復帰初戦の昨日はレフトに入っていたが本日はライトに入っており、正に怪我の功名。

 名古屋は8回から11回まで振り逃げと四球の走者を出しただけでリリーフ福士の前に沈黙を続ける。

 ライオンは8回、二死から坪内の左前打と玉腰、水谷の連続四球で満塁とするが鬼頭は中飛に倒れる。9回は三者凡退で延長戦に突入。

 ライオンは10回、先頭の中野が三塁に内野安打、福士の三ゴロでランナーが入れ替わり、坪内が左前打、玉腰が本日5安打目となる左前打を放って一死満塁、水谷のライナーでサヨナラかと思われた瞬間、ショートの芳賀が横っ飛びに抑えてそのまま二塁ベースに入ってダブルプレー。

 ライオンは11回、先頭の鬼頭が左中間に二塁打、代走に岡本利之を起用、室井が中飛に倒れて一死二塁、西端に代わる代打近藤久が思いっきり引っ張って痛烈なライナーを放つがファースト三浦が好捕、最後は山本が三ゴロに倒れて4対4の引分けに終わる。


 名古屋は4安打で5残塁。大沢清が5打数3安打1得点2打点であった。一方、ライオンは16安打で15残塁。一番の坪内道則が4打数3安打2得点、二番の玉腰年男が5打数5安打2得点1打点、二塁打1本、三塁打1本の準サイクル、三番の水谷則一が4打数1安打1打点1犠飛、四番の鬼頭数雄が5打数3安打2打点、二塁打1本。何故これで4点しか入らなかったのでしょうか。

 中村三郎は11回を完投して16安打6四球3三振。完投での最多被安打記録は分かりませんが、完封での最多被安打記録は1989年8月4日、横浜大洋ホエールズの新浦壽夫が巨人戦で記録した13被安打のようです。





     *完封での最多被安打記録を持つ新浦壽夫







     *中村三郎は16安打を打たれながら11回を完投。