2023年4月29日土曜日

下手投げの元祖

 「下手投げの元祖」に関してKwai様から貴重な情報をいただきましたのでこちらから返信します。  

 日本野球における「下手投げの元祖」が青井鉞男であったことはKwai様から情報提供していただいた「論文」のとおりです。但し、青井を「下手投げの元祖」と認定するのは無理があるでしょう。 

 名著「野球」は中馬庚の著書ですが、そこに記述されている技術論は青井が書いたものであると考えられます。事実、「野球」には青井鉞男が増補した「増補版」が存在します。私が持っている「増補版」は明治35年10月1日発行の第八版で、初版の5年後に発行されたものです。

  この「増補版」で青井は8種類の変化球の投げ方について記述しています。その8種類とは

 ・Out Curoe :右より左に回転を与える外へのスライダーのことと思われる。 

・In Curoe:Out Curoeの逆回転を与えるインシュートのことと思われる。 

・Up:浮き上がる変化球のこと。 

・Drop:落ちる変化球。 

・Out Up:外に浮き上がる変化球。 

・In Up:内に食い込み浮き上がる変化球。 

・Out Drop:外に落ちる変化球。アウドロのこと。 

・In Drop:内に切れ込み落ちる変化球。インドロのこと。 

 そして、「Up」の投げ方は「腰辺よりOut Curoeの握り方を以て上に向かって投ずる」と記述しています。要するに、アンダーハンドからスライダーの握りで投ずれば浮き上がるような変化をすると説いている訳で、現在の下手投げ投手も投げている変化球と同じものです。

  青井の技術論は多くの後輩が参考にしたと考えられ、「論文」にも書かれているように守山恒太朗も「野球の友」で下手からの変化球を解説していますが、守山を「下手投げ投手」とする記述は見られません。

  菅瀬一馬が実戦で下手からの変化球を使って成功したことは事実だと思いますが、「論文」中にもあるように広瀬謙三が菅瀬一馬の投球について「オーバースローにアンダースローを交えて投げていた」と記述しているとおり、菅瀬は青井が説いた投球術の一環として下手からの変化球も使っていたのだと考えられます。

  結論としては、スピードボールを中心とした正統派の「下手投げの元祖」は、信頼できる著書の記述としては最も古い劉瀬章であると認定せざるを得ないのではないでしょうか。


22年 金星vs中日 1回戦

4月19日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 1 0 0 0 0 1 3 金星 2勝0敗 重松通雄 
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 中日 1勝1敗 藤本英雄

勝利投手 重松通雄 1勝0敗 
敗戦投手 藤本英雄 0勝1敗

二塁打 (中)杉浦
本塁打 (金)坪内道則 1号、西沢道夫 1号

勝利打点(金)西沢道夫 1

猛打賞 (金)清原初男 1


重松通雄、4年ぶりの勝利

 開幕週2日目、後楽園の第1試合は重松通雄と藤本英雄の先発で午後1時1分、国友球審の右手が上がりプレイボール。

 金星は初回、二死後坪内道則監督がレフトスタンドに先制ホームランを叩き込んで1-0とリードする。

 中日は3回裏、先頭の藤本が三遊間にヒットを放つと二盗に成功、藤原鉄之助の右前打で無死一三塁、トップに返り岩本章の三塁内野安打で三走藤本は動けず無死満塁、金山次郎の投ゴロで藤本は本封、一死満塁から古川清蔵の左犠飛で1-1の同点とする。

 金星は4回表、二死後西沢道夫がレフトスタンドに勝越しのホームランを叩き込んで2-1とリードする。

 金星は9回表、一死後坪内が四球を選んで出塁、西沢の左前打で一二塁、清原初男が中前にタイムリーを放ち3-1とリードを広げる。

 中日は最終回、金山の代打大沢清が四球を選ぶと代走に山本尚敏を起用、古川の三ゴロでランナーが入れ替わり、小鶴誠は右飛に倒れてツーアウト、杉浦清監督が四球を選んで二死一二塁、加藤正二に変わる代打清水秀雄が四球を選んで二死満塁、清水の代走に杉江文二を起用、杉江は4年ぶりの出場、しかし三村勲に代わる代打笠石徳五郎は三邪飛に倒れてゲームセット。

 重松通雄は6安打3四球1三振の完投で戦後初勝利を飾る。

 昭和11年のプロ野球初年度から活躍を続けてきた重松は2度の応召を挟んで4年ぶりのピッチングで完投勝利を飾った。

 重松通雄は「下手投げの元祖」とも言われている。昭和11年のプロ野球元年にアンダースローからの投球を見せていた重松がプロ野球における「下手投げの元祖」であることに異論はないが、当ブログの調べでは「下手投げの元祖」は劉瀬章である。

 劉瀬章のプロ入りは昭和13年なのでプロでは重松の後輩となるが、生年は重松の1916年に対して1911年生まれであることから、劉瀬章が学生野球時代から下手投げで投げていたことが確認できれば劉瀬章こそが「下手投げの元祖」ということになる。

 神奈川県高等学校六十年史「球音」(1978年7月1日発行、神奈川県高等学校野球聯盟)の48ページには昭和5年の第16回神奈川大会についての戦評が書かれており、優勝候補本命は本牧中学であり「アンダースロー、速球で京浜地区にその名の高い劉投手」との記述が認められる。

 すなわち、本牧中学時代の劉瀬章のアンダーハンドからの速球は神奈川球界に鳴り響いていたのであり、この記述が劉瀬章を「下手投げの元祖」とする根拠である。

 また、君島一郎著「日本野球創世記」には、「青井鉞男とその時代」の項で、大正7年に青井が一高グラウンドを訪れた際に、当時のエース内村祐之が青井に「アップカーブを投げてみろ」と言われてアンダースローで浮き上がるカーブを投げたと書かれており、大正時代にはアンダースローが確立されていたことが分かる。内村は普段は上手からの速球派であったことから「下手投げの元祖」ではない。

 したがって、日本球界に於ける「下手投げの元祖」は、確認できる限りにおいては劉瀬章であるものの、「不明」が正解であろう。

野球週報2023 ⑯

4月16日(日) 秋葉原のバッティングセンターで110㌔、130㌔、スライダー。混んでいたので3打席でやめました。

4月17日(月) 出勤日。

4月18日(火) 出勤日。

4月19日(水) 天王洲アイルのグラウンドで品川ビッグスターズの練習。

4月20日(木) 出勤日。

4月21日(金) 出勤日。

4月22日(土) 春季リーグ第5戦は毎回接戦となる対杉並AS戦。2点差を追う6回裏、二死満塁で打席が回ってきて2球目のカーブは芯で捉えながら三塁線のファウル、3球目の速球をセンターに弾き返したと思ったところ、同点の二塁ランナーをくぎ付けにするために二塁ベース寄りに構えていた相手セカンド正面への当りとなって同点はならず。昨秋は同じく2点を追う最終回二死満塁で走者一掃の逆転サヨナラ打を打ったのですが、この日は残念でした。

 

2023年4月26日水曜日

22年 阪急vs太陽 1回戦

4月19日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 2 1 1 0 2 6 阪急 1勝1敗 今西錬太郎 
0 0 0 2 0 0 1 0 0 3 太陽 1勝1敗 スタルヒン

勝利投手 今西錬太郎 1勝0敗 
敗戦投手 スタルヒン 0勝1敗

二塁打 (急)下社 (太)藤井、森下
三塁打 (急)田中 (太)辻井、伊勢川

勝利打点(急)青田昇 1


今西-天保時代の始まり

 開幕週2日目、甲子園の第1試合は今西錬太郎とスタルヒンの先発で午後1時丁度、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、先頭の辻井弘が3球ファウルで粘って右中間に三塁打、しかし後続なく無得点。

 太陽は4回裏、先頭の藤井勇が左中間に二塁打、中谷順次の中前打で無死一三塁、森下重好の打席でダブルスチールを決めて1点を先制、森下も右前打を放って再度無死一三塁、伊勢川真澄の二ゴロの間に三走中谷が還って2-0とする。

 阪急は5回表、先頭の野口明が右前にヒット、坂井豊司も右前打、坂元義一が送りバントを決めて一死二三塁、二死後今西が中前に2点タイムリーを放ち2-2の同点に追い付く。

 阪急は6回表、先頭の田中幸男が左越えに三塁打、一死後青田昇の中犠飛で3-2とリードする。

 阪急は7回表、一死後坂井の当りは三ゴロ、これをサード中谷が一塁に悪送球、5回からレフトの守備に入っている下社邦男がレフト線に二塁打を放って一死二三塁、上田藤夫は死球を受けて一死満塁、今西の二ゴロは「4-6-3」と転送されるが一塁セーフで三走坂井は生還、4-2とする。二走下社は三塁を回ってホームに突っ込むが、ファースト佐竹一雄からの本塁送球にタッチアウト。

 太陽は7回裏、先頭の伊勢川が右中間に三塁打、カウントワンストライクから平野徳松に代わって代打に出た藤村隆男が右前にタイムリーを放ち3-4と1点差に追い上げる。

 阪急は9回表、一死後坂井が中前打で出塁、続く下社が一二塁間を破ると坂井は三塁に向かい、ライト辻井からの三塁送球でタイミングはアウトであったがサード中谷が後逸して三塁セーフ、打者走者の下社も二塁に進んで一死二三塁、二死後今西が右前に2点タイムリーを放ち6-3と突き放す。

 今西錬太郎は最終回の反撃を三者凡退に退け、9安打1四球3三振の完投で今季初勝利を飾る。打っては4打点の活躍を見せた。

 阪急の戦後1リーグ時代は47年、48年が今西、49年は天保が20勝をマークする今西-天保時代を築くことになるが、その起点となったのがこの試合である。

野球週報2023 ⑮

4月9日(日) 休養日。

4月10日(月) 出勤日。

4月11日(火) 出勤日。

4月12日(水) 左膝の痛みが取れないので品川ビッグスターズの練習は休んで秋葉原のバッティングセンターで110㌔、130㌔、カーブ、130㌔、130㌔、スライダーの打込み。

4月13日(木) 出勤日。

4月14日(金) 出勤日。

4月15日(土) ジムでViPR、体幹、筋トレ、有酸素のフルコース。 


22年 近畿vs阪急 1回戦

4月18日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 0 1 0 0 3 6 近畿 1勝0敗 別所昭 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 0勝1敗 天保義夫

勝利投手 別所昭    1勝0敗 
敗戦投手 天保義夫 0勝1敗

二塁打 (近)別所、飯田、田川 (急)坂井、山田
三塁打 (近)朝井、田川

勝利打点(近)別所昭 1


別所昭、球界のエースに飛躍

 開幕週初日、甲子園の第2試合は別所昭と天保義夫の先発で午後3時10分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 昨年チャンピオンの近畿は飯田徳治が加入して五番ファースト。ショートの宮崎仁郎が国民リーグ宇高レッドソックスに移籍したためショーにもルーキー朝井昇が入って九番。阪急から移籍してきた坂田清春が開幕スタメンマスクを被る。

 阪急は大きくメンバーは変わっていないがルーキーの坂元義一が六番レフトに入った。

 近畿は2回表、一死後飯田が三遊間のヒット、チームの今季初ヒットはルーキーが放った。堀井数男の二ゴロをセカンド荒木茂がエラーして無死一二塁、別所のレフト線二塁打が2点タイムリーとなって2-0とリードする。

 近畿は6回表、二死後山本一人監督が四球を選んで出塁、飯田が左越えにタイムリー二塁打を放ち3-0とする。

 近畿は9回表、一死後坂田が中前打で出塁、朝井がライト線にタイムリー三塁打を放ち4-0、一死後河西俊雄が四球から二盗を決めて二三塁、田川豊がセンター右奥に2点タイムリー三塁打を放ち6-0として試合を決める。

 阪急は初回、先頭の田中幸男が中前打で出塁するが二番山田伝は打って出て三ゴロ併殺、直後に青田昇が遊失で出塁するが昨年31試合連続安打の日本記録を作った野口二郎は三飛に倒れて無得点。

 阪急は2回表、先頭の坂井豊司が左中間に二塁打、続く坂元の右前打で坂井は三塁ベースを蹴ってホームに向かうがライト田川からの好返球にタッチアウト、続く日比野武がセンター左にヒット、荒木は四球を選んで一死満塁、天保のセンターへのライナーを河西が落球するが、走者は捕られると思って離塁していなかったため、河西からの返球を受けたセカンド安井亀和が三塁に送球して二走日比野はフォースアウト、安井が二塁に転送して一走荒木もフォースアウト、「8-4-5-4」の併殺が記録された。

 「雑記」欄には天保の当りはヒット性であったため「故意落球」とは認められず併殺が成立したと注記されている。

 阪急は3回も山田の二塁打と青田昇のヒットで一三塁とするが青田の二盗を昨年までのチームメイト坂田が刺し、4回の日比野、荒木の連打も二死からで得点に結びつかず、4回まで8安打を放ちながら無得点。

 別所昭は5回以降別人のような投球で阪急打線を無安打に封じ込め、今季初勝利を完封で飾る。

 近畿は新加入の3人が2安打を放ち合計4打点の活躍、今季も順調のようだ。

 別所は戦前は単なる若手投手、昨年は実質エース的存在であったが勝利数では丸山二三男に次ぐチーム二位。昭和22年から実質的な球界のエースとして君臨することとなるが、この試合がそのスタートとなったのである。
 

野球週報2023 ⑭

4月2日(日) 休養日。

4月3日(月) 出勤日。

4月4日(火) 出勤日。

4月5日(水) 天王洲アイルで品川ビッグスターズの練習。

4月6日(木) 出勤日。

4月7日(金) 出勤日。

4月8日(土) 春季リーグ第4戦は対調布戦。第1打席は四球で出塁して初球から盗塁を狙っていましたが、相手左投手は牽制が上手く逆を突かれて手から帰ってセーフ、それでもスタートを切ったが約3年ぶりの盗塁失敗。第2打席は内野安打で出塁、盗塁せずに自重していたら二番が左中間を破りホームまで全力疾走で生還。第3打席は中前にタイムリー、ここも自重していたら又も二番が左中間を破りホームまで全力疾走で生還。3打数2安打2得点1打点でした。

 

2023年4月13日木曜日

奥さまは魔女

 シーズン1の第14回はクララおば様が主役。

 野球ブログに何で「奥さまは魔女」なの?とお嘆きのそこのあなた、よ~くお聞きください。

 「奥さまは魔女」には結構野球ネタが出てきます。シーズン1の第6回は自信喪失気味の野球少年をサマンサが得意の魔法で勇気づけるというテーマでした。

 第14回は当ブログ得意のメジャーネタが登場します。この回はダーリンの両親が初めてサマンサに会いに来るという設定ですが、そこにクララおば様がやってきます。例によって着地に失敗して煤だらけになって煙突から登場します。お約束のドアノブコレクションも登場しますね。

 クララおば様はダーリンの両親と意気投合し、自分もサマンサも魔女だと公言しますが当然ダーリンの両親は冗談だと笑い飛ばします。そこで・・・

 「2年連続ヤンキースがワールドシリーズで負けたでしょ。」「あなたが魔法をかけたから?」「そうよ」

 ここで爆笑となるシーンが登場します。

 「奥さまは魔女」は1964年9月17日から放映されました。第14回ですからこの年の12月頃に放映された訳で、61年、62年とワールドシリーズを2連覇したヨギ・ベラ、ミッキー・マントル、ロジャー・マリス、ホワイティ・フォードを擁した全盛期のヤンキースが1963年はドン・ドライスデールとサンディ・コーファックスが台頭してきたドジャースにスウィープされ、1964年はボブ・ギブソンのカージナルスに敗れてワールドシリーズ2連敗。

 これはクララおば様が魔法をかけたからだったのです。

 「奥さまは魔女」の舞台はロサンジェルスなので、サマンサは熱狂的ドジャースファンとして描かれています。現在「BS松竹東急」で放映されていますので是非ご覧ください。この後もサマンサのドジャースネタが登場しますので乞うご期待(笑)。 


2023年4月12日水曜日

野球週報2023 ⑬

3月26日(日) 休養日。

3月27日(月) 出勤日。

3月28日(火) 出勤日。

3月29日(水) 有明ガーデンのサルスクリニック有明で血圧の検査。降圧剤の薬をもらったので1か月飲みます。

3月30日(木) 出勤日。

3月31日(金) 出勤日。

4月1日(土) 春季リーグ第3戦は対東京さざんか戦。2週間休んで朝から体が軽く、今日は調子が良さそうだと思って球場に向かいました。第1打席はセンター左に鋭いライナーのヒット、二盗を決めて二番のタイムリーで還りました。第2打席は走者二人を置いてレフトオーバーの2点タイムリー二塁打。第3打席は初めから右を狙って一二塁間にヒット。第4打席は三前ボテボテの内野安打、これで前の試合の最終打席から5打数連続ヒット。第5打席は遊ゴロで5打数4安打2打点3盗塁。ますます血圧が上がりそうです(笑)。 


22年 巨人vs中日 1回戦

4月18日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 巨人 0勝1敗 川崎徳次
2 0 0 0 0 0 0 0 X 2 中日 1勝0敗 松尾幸造 服部受弘

勝利投手 服部受弘 1勝0敗 
敗戦投手 川崎徳次 0勝1敗

本塁打 (巨)川上哲治 1号

勝利打点(中)小鶴誠 1


川上、手向けの一発

 開幕週初日、後楽園の第2試合は川崎徳次と松尾幸造の先発で午後3時5分、島球審の右手が上がりプレイボール。

 中日はチーム呼称が変わっただけで先発メンバーに変動はないが、巨人は大きく変わった。

 先発の川崎は戦場から復帰したばかりの昨年シーズン最終戦に戦後初登板し、5か月置いての2試合連続登板が開幕投手となった。本来であればエースの藤本英雄が開幕投手を務めるところであるが、藤本はこの日の対戦相手中日に移籍したのである。監督を降ろされて1か月サボタージュを続けた藤本の移籍など、戦前の最強チーム巨人は戦後数年に亘りゴタゴタが続き低迷することとなる。

 5番ライトの平山菊二は昭和16年以来6年ぶりの出場。後の「塀際の魔術師」はこの試合ではライトゴロを記録する。

 8番キャッチャー武宮敏明と九番ショート田中資昭は共に熊本工業で吉原と川上の後輩という関係で共にルーキーとして開幕スタメン。田中は、山田潔が国民リーグの大塚アスレチックスに移籍したため急遽補強された。武宮がキャッチャーとして使えたので、多田文久三が藤本の穴を埋めるため投手にコンバートされることとなる。

 中日は初回、先頭の岩本章が四球で出塁、金山次郎は中前打を放ち、一死後小鶴誠の左前タイムリーで1点を先制、二死後加藤正二の右前タイムリーで2-0とする。

 巨人は4回表、川上哲治がレフトスタンドに第1号ホームランを叩き込んで1-2とする。

 川崎徳次は2回から完璧な投球を見せ、8回まで7イニング連続三者凡退のパーフェクトピッチングながら敗戦投手。

 巨人打線は5回から松尾をリリーフした服部受弘を打てず、2対1で中日に軍配が上がった。

 デビュー戦となった武宮敏明は1打数無安打2四球、1打数も敵失で3度出塁した。後に「鬼寮長」として多摩川で巨人軍若手を鍛え上げることとなる。

 昭和11年センバツでは川上、吉原、田中は先発メンバーで、武宮は吉原の控え捕手としてベンチ入りした。昭和12年夏は決勝で野口二郎の中京に敗れたが、一番ショート田中、三番ピッチャー川上、四番キャッチャー吉原であった。武宮が吉原の控えでベンチ入りしていたかは不明(センバツ50年史ではベンチ入りメンバーが紹介されているが、夏の50年史では出場選手しか分からないため)。

 川上としては、還って来られなかった吉原のためにもこの日は後輩の前で下手なプレーはできない。それが第1号本塁打につながった。

野球週報2023 ⑫

3月19日(日) 秋葉原のバッティングセンターで110㌔、130㌔、スライダー、130㌔。

3月20日(月) 風邪のためしののめ内科クリニックで薬を処方してもらいました。処方箋を持ってイオンの薬局に行って血圧を測ったら何と人生初の160を記録。

3月21日(火) 風邪と高血圧のため休養日。

3月22日(水) 品川ビッグスターズの練習は休んで休養日。

3月23日(木) 出勤日。

3月24日(金) 出勤日。

3月25日(土) 休養日。