「下手投げの元祖」に関してKwai様から貴重な情報をいただきましたのでこちらから返信します。
日本野球における「下手投げの元祖」が青井鉞男であったことはKwai様から情報提供していただいた「論文」のとおりです。但し、青井を「下手投げの元祖」と認定するのは無理があるでしょう。
名著「野球」は中馬庚の著書ですが、そこに記述されている技術論は青井が書いたものであると考えられます。事実、「野球」には青井鉞男が増補した「増補版」が存在します。私が持っている「増補版」は明治35年10月1日発行の第八版で、初版の5年後に発行されたものです。
この「増補版」で青井は8種類の変化球の投げ方について記述しています。その8種類とは
・Out Curoe :右より左に回転を与える外へのスライダーのことと思われる。
・In Curoe:Out Curoeの逆回転を与えるインシュートのことと思われる。
・Up:浮き上がる変化球のこと。
・Drop:落ちる変化球。
・Out Up:外に浮き上がる変化球。
・In Up:内に食い込み浮き上がる変化球。
・Out Drop:外に落ちる変化球。アウドロのこと。
・In Drop:内に切れ込み落ちる変化球。インドロのこと。
そして、「Up」の投げ方は「腰辺よりOut Curoeの握り方を以て上に向かって投ずる」と記述しています。要するに、アンダーハンドからスライダーの握りで投ずれば浮き上がるような変化をすると説いている訳で、現在の下手投げ投手も投げている変化球と同じものです。
青井の技術論は多くの後輩が参考にしたと考えられ、「論文」にも書かれているように守山恒太朗も「野球の友」で下手からの変化球を解説していますが、守山を「下手投げ投手」とする記述は見られません。
菅瀬一馬が実戦で下手からの変化球を使って成功したことは事実だと思いますが、「論文」中にもあるように広瀬謙三が菅瀬一馬の投球について「オーバースローにアンダースローを交えて投げていた」と記述しているとおり、菅瀬は青井が説いた投球術の一環として下手からの変化球も使っていたのだと考えられます。
結論としては、スピードボールを中心とした正統派の「下手投げの元祖」は、信頼できる著書の記述としては最も古い劉瀬章であると認定せざるを得ないのではないでしょうか。