2013年8月16日金曜日

15年 ベストナイン



 最高殊勲選手と共に、「各位置の最優秀選手」が発表された。

 「Wikipedia」によるとベストナインは1940年に初めて選出が行われ、戦前ではこの年だけとなる。次点は当時の新聞記事を調べないとネットでは分からないでしょうね。


 投手   須田博
 捕手   カイザー田中義雄
 一塁手 川上哲治
 二塁手 苅田久徳
 三塁手 水原茂
 遊撃手 上田藤夫
 左翼手 鬼頭数雄
 中堅手 フランク山田伝
 右翼手 中島治康



 次点は

 投手   野口二郎
 捕手   吉原正喜
 一塁手 中河美芳 松木謙治郎
 二塁手 本堂保次
 三塁手 伊賀上良平
 遊撃手 白石敏男
 左翼手 
 中堅手 ジミー堀尾文人
 右翼手 桝嘉一



 左翼手は鬼頭数雄が満票だったため次点はなしとされた。一塁手の次点は中河と松木の得票が同点で二人が選出されている。


 12月12日付け読売新聞に掲載された鈴木惣太郎による「日本野球総評」ではショートは白石敏男を選んでおり、上田藤夫は「巧いには相違ないが意気が足らず」と論評している。最も大きな違いは中堅手で、鈴木惣太郎は森田実を選んでいる。「金鯱の中堅森田に対しては相当の異論があると思う」とした上で、「森田近来の進歩は洵に目覚ましく断然頭角を現してきている」と書いている。


 当ブログが選出している「週間MVP」でも、森田実は第21節(10月6日~11日)は殊勲賞、第23節(11月1日~5日)は週間MVP、第25節(11月13日~30日)は殊勲賞を獲得しており、「森田近来の進歩」を裏付けている。と言うより、当ブログが選出する「週間MVP」の客観性が、鈴木惣太郎の論評により裏付けられていると言うべきでしょうか。










 

2 件のコメント:

  1. shokuyakyu様は御存じかもしれませんが、ベストナインと次点の選手が試合をした事はもっと知られていないでしょう(笑)。

    まず、面白い事に捕手、遊撃手、中堅手が東西の記者投票で大きく分かれています。選考委員は東側は12委員、西側は11委員でした。
    捕手は吉原正喜が東側が11票、西側はカイザー田中に全票投じたのに東側の1票を足して、田中がベストナインに選出され、同じく遊撃手も白石敏男が東側の11票に対して、上田藤夫が西側の全票+東側1票で上田がベストナインに。中堅手は東側のジミー堀尾に対し西側全票のフランク山田が選ばれました。

    試合は1940(昭和15)年12月15日(後楽園)に次点軍の先攻で行われ、ベストナイン軍はカイザー田中が欠場し服部受弘が代理出場、次点軍は伊賀上良平が欠場し、黒田健吾が代理出場しました。
    結果は2対2の同点の延長11回表一死からジミー堀尾が決勝本塁打を放ち、次点軍がベストナイン軍を負かしました。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

    返信削除
    返信
    1. 12月15日午後1時から後楽園球場で最高殊勲選手、ベストナインの表彰式が行われ、式後選抜軍(紅軍)と次点軍(白軍)との間で行われた紅白戦の模様もアップさせていただきます。

      カイザー田中の欠場理由は分かりませんが、伊賀上良平は既に応召しており出場不可能でした。

      須田博は吉原と堀尾に打たれましたが、翌日の読売新聞には「投票の不備によって理由なく次点者となったこの両選手の大活躍で次点チームが勝ったのは一寸皮肉である」という山口幸一記者による署名記事が掲載されています。投票結果がおかしいというのも話題になっていたようです。

      しかしよくご存知ですね(笑)。

      削除