昭和20年8月23日、別当薫が復員。早速日吉の合宿所に出向き野球部長の浅井清教授と再会し、慶大野球部は復活に向けて動き出した。
早大野球部も飛田穂州の指揮の下、10月には戸塚球場で練習を開始し、昭和20年10月28日、ステートサイドパークで六大学OBによる紅白戦が行われた。この試合は午後2時開始予定であったが、午前中から野球ファンが詰めかけてスタンドは満員となり、午前中に予定していた運動記者vs超OBの前座試合を後回しにして、午前11時半プレイボール。紅軍は白木(慶大出)-松永(慶大出)、白軍は高橋(早稲田出)-室井(明大出)のバッテリー、11対3で白軍が勝利した。
昭和20年11月18日、ステートサイドパークで全早慶戦が行われ(早稲田大学野球部史には10月28日と書かれているが間違い)、4万5千の観衆が集まった。試合は現役6名の早稲田に対して慶應は別当、大島の2名だけ。白木の好投で慶大が延長11回シーソーゲームを制した。
全慶應vs全早稲田
11月18日 (日) ステートサイドパーク
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 1 0 1 0 0 0 1 0 0 3 6 全慶應 1勝0敗 白木
0 0 0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 全早稲田 0勝1敗 若原 岡本
勝利投手 白木義一郎
敗戦投手 若原又は岡本
勝利打点 別当薫
(勝利打点は慶大野球部史の記述から当ブログの推測)
猛打賞 白木(全慶應)、笠原(全早稲田)
*参照「慶応義塾大学野球部史」、「早稲田大学野球部史」、「体育週報」。