2013年8月31日土曜日

16年 名古屋vs阪神 1回戦


4月7日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 3 0 0 0 0 1 0 5 名古屋 2勝1敗 0.667 松尾幸造 森井茂
3 0 0 0 0 0 0 0 1 4 阪神     1勝2敗 0.333 三輪八郎 藤村隆男

勝利投手 森井茂     1勝0敗
敗戦投手 三輪八郎 0勝1敗

二塁打 (名)三浦 (神)宮崎
三塁打 (神)松尾

勝利打点 芳賀直一 1


三浦敏一4打数2安打3打点

 名古屋は初回、先頭の本田親喜が四球で出塁、村瀬一三が左前打で続いて無死一二塁、二走本田がピッチャー三輪八郎からの牽制球に釣り出されて二三塁間でタッチアウト、この間に一走村瀬は二進、桝嘉一の遊ゴロの間に三進、吉田猪佐喜の三飛をサード野口昇が落球する間に三走村瀬が還って1点を先制する。

 阪神は1回裏、先頭の松木謙治郎が四球で出塁、皆川定之も四球を選んで無死一二塁、カイザー田中義雄が送ってジミー堀尾文人も四球で一死満塁、このチャンスに松尾五郎が左中間に走者一掃の三塁打を放って3-1と逆転する。

 阪神は2回、先頭の宮崎剛が四球で出塁、名古屋ベンチはここで先発の松尾幸造から森井茂にスイッチ、松木は三振に倒れるが、皆川が中前打を放って一死一二塁、ここで二走宮崎がキャッチャー服部受弘からの牽制球に釣り出されて二三塁間でタッチアウト、田中は四球、堀尾も四球を選んで二進満塁とするが松尾は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 名古屋は3回、先頭の村瀬の遊ゴロをショート皆川が一塁に悪送球、桝、吉田が連続左前打を放って無死満塁、しかし服部受弘の三ゴロが「5-2-3」と渡ってダブルプレー、二死二三塁となるが三浦敏一が左中間に二塁打を放って3-3の同点、芳賀直一が左前にタイムリーを放って4-3と逆転して阪神先発の三輪八郎をKO、藤村隆男がリリーフのマウンドに上がる。

 名古屋は8回、先頭の吉田が左前打で出塁、服部が送って一死二塁、ここで三浦が中前にタイムリーを放ち貴重な追加点をあげて5-3とする。

 阪神は9回裏、一死後宮崎が右翼線に二塁打、トップに返り松木は四球、皆川も四球を選んで一死満塁、田中が押出しの死球を受けて4-5、ところがここで三走松木がキャッチャー服部からの牽制球にタッチアウト、堀尾に代わる代打若林忠志が左飛に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 勝利打点は3回に決勝打を放った芳賀直一に記録されたが、真の殊勲者は同点に追い付く2点タイムリー二塁打と追撃のタイムリーを放って4打数2安打3打点を記録した三浦敏一であった。






 

地の果て



 トウカイテイオー騎乗の岡部幸雄が「地の果てまで走る」と宣言すれば、メジロマックイーン騎乗の武豊が「天まで昇る」と応じたのは92年・春の天皇賞でした。2006年に天に召されたメジロマックイーン号を追いかけるように、トウカイテイオー号の訃報が伝えられています。


 91年の皐月賞では大本命に推した筆者は、ダービーでトウカイテイオーを無印にしました。パドックで見せる「ひょこっ、ひょこっ」と歩く歩様から、あの脚ではダービー2400mの激闘に耐えられず、レース中骨折・競走中止と読んでいたからです。ダービーを圧勝して二冠を制し、筆者の予想は「大外れ」となりましたが、予想通りレース中に左後肢を骨折していました。繋が柔らかく、これがあの素軽い走りと抜群の切れ味を生む源泉ではありましたが、骨折と復活を繰り返すドラマチックな競走生活の原因ともなりました。


 トウカイテイオーを語るのに、92年のジャパンカップや、93年の劇的な復活劇となった有馬記念を書かない記事は当ブログだけでしょう。筆者にとっては、予想を外しながらもレース中骨折を読み切ったダービーが最も印象に残るレースでした。


 「トウカイテイオー栄光の蹄跡」によると、 岡部幸雄は「やはり何回も怪我して休んだことが、マイナスになったんだろうね。鍛えるべき時に鍛えられなかったことが、一番のネックだったんだと思う」、田原成貴は「バネのある柔らかそうな馬」と語っていたとのことです。実際に騎乗したトップジョッキーの言葉が最も真実に近いものだと考えます。


 ドラマチックな復活劇からトカイテイオーを「底力のある競走馬」と考える方が多くいるかもしれませんが、筆者の評価は180度逆のものでした。父・シンボリルドルフの底力を受け継いでいるとした方がドラマ性を強調できるのかもしれませんが、シンボリルドルフのレースぶりとは全く違うものです。筆者は、ルドルフの父・パーソロンと、母系に入るプリンスリーギフトから受け継いだ「素軽さ」こそがトウカイテイオーの真の姿であったと考えています。ルドルフとは違う「儚さ」がつきまとう競走人生でした。




 

2013年8月29日木曜日

16年 朝日vs阪急 1回戦


4月7日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 0 3 0 0 5 朝日 2勝1敗 0.667 内藤幸三 山本秀雄
2 0 0 0 0 0 2 0 0 4 阪急 1勝2敗 0.333 笠松実 森弘太郎

勝利投手 山本秀雄 2勝0敗
敗戦投手 笠松実     0勝1敗

二塁打 (朝)村上 (急)中島

勝利打点 村上重夫 1

猛打賞 (急)フランク山田伝(4安打) 1

ファインプレー賞 (朝)坪内道則 1


山本秀雄、ロングリリーフで2勝目

 阪急は初回、先頭の中島喬が左翼線に二塁打、フランク山田伝の中前タイムリーで1点を先制、山田はバックホームの間に二塁に進み、上田藤夫の中前打で無死一三塁、新富卯三郎は遊ゴロに倒れるが、黒田健吾の右前タイムリーで2-0とする。

 朝日は初回、一死後村上重夫が四球で出塁、室脇正信は捕邪飛に倒れるが村上が二盗に成功、しかし灰山元章は三ゴロに倒れる。

 朝日は2回、先頭の鬼頭政一が左前打で出塁、五味芳夫が中前打を放って無死一二塁、続くプレーは珍しく、前田諭治の三前送りバントをサード黒田健吾が二塁ベースカバーのショート上田に送球して一走五味がフォースアウトとなって一死一三塁、前田には犠打が記録されているので打って出ての併殺崩れではない。前田が二盗を決めて一死二三塁、しかし伊勢川眞澄は浅い右飛、内藤幸三は二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 朝日は2回から先発の内藤を下げて山本秀雄をマウンドに送る。

 朝日は3回、先頭の坪内道則が四球で出塁、村上が送って一死二塁、室脇が四球を選んで一死一二塁、しかし灰山の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。

 3回まで毎回スコアリングポジションに走者を進めながら無得点の朝日は4回、鬼頭、五味が連続四球、前田は三邪飛に倒れるが伊勢川が四球を選んで一死満塁、山本が押出し四球を選んで1-2、トップに返り坪内の中犠飛で2-2の同点とする。

 朝日は7回、先頭の山本が右前打で出塁、トップに返り坪内の中前打で無死一二塁、村上が右翼線にタイムリー二塁打を放って3-2、二死後鬼頭が四球を選び、五味も押出し四球を選んで4-2、捕逸で三走村上が還って5-2とする。

 阪急は7回裏、先頭の中島が四球で出塁、山田が右前打、上田も右前打を放って無死満塁、ワイルドピッチで三走中島が還って3-5、新富は三振に倒れるが、黒田の三ゴロの間に三走山田が還って4-5と追い上げる。

 2回からリリーフ登板した朝日二番手の山本秀雄は8回、9回の阪急の反撃を無失点に抑え、8イニングを投げて9安打3四球2三振2失点の好投で早くも今季2勝目をあげてハーラートップに立つ。


 フランク山田伝が5打数4安打の猛打賞を記録する。4安打以上の場合は「猛打賞」の欄に安打数を追記します。







 

2013年8月27日火曜日

16年 黒鷲vs大洋 1回戦


4月7日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 黒鷲 0勝3敗 0.000 長谷川重一
0 0 0 0 3 0 0 0 X 3 大洋 2勝1敗 0.667 三富恒雄 古谷倉之助

勝利投手 三富恒雄     1勝1敗
敗戦投手 長谷川重一 0勝2敗
セーブ     古谷倉之助 2

勝利打点 黒澤俊夫 1

ファインプレー賞 (黒)寺内一隆 1、中河美芳 1、2


1安打勝利

 黒鷲は初回、先頭の玉腰忠義が右前打で出塁、寺内一隆は送らずに打って出て右飛に倒れ、小島利男の遊ゴロが濃人渉-苅田久徳-石井豊の「6-4-3」と渡ってダブルプレー。これが新生“大洋”が記録した初めての併殺プレーである。したがって、濃人-苅田のキーストーンコンビによる初めてのゲッツーとなる。

 大洋は1回裏、先頭の苅田が四球から二盗、高橋輝彦が四球を選んで無死一二塁、濃人は一飛に倒れて一死一二塁、黒澤俊夫の中飛に二走苅田はタッチアップから三塁を狙うがセンター寺内一隆からの送球にタッチアウト。

 黒鷲は4回、先頭の玉腰がセンター右にヒット、この打球をセンター森田実が後逸する間に打者走者の玉腰は一気に三塁に進んで無死三塁、寺内が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 大洋は4回、一死後石井が四球で出塁、森田の一ゴロをファースト中河美芳が二塁に送球するがベースカバーに入ったショート山田潔がこれを落球、このプレーを見て黒鷲ベンチはショートの山田を下げてセカンドのサム高橋吉雄をショートに回し。山田に代えて竹内功を入れてセカンド、続く西岡義晴の中直をセンター寺内が好捕、二走石井が飛び出しており寺内はこの試合2個目の補殺を記録する。

 大洋は5回、先頭の佐藤武夫が四球で出塁、三富恒雄の二ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り苅田が四球を選んで一死一二塁、高橋も四球で一死満塁、濃人が左前に同点タイムリーを放って1-1、黒澤俊夫の二ゴロでセカンド竹内功がバックホームするがセーフ、野選が記録されて2-1と逆転、石井の左犠飛で3-1とする。

 2点をリードした大洋は6回から先発の三富に代えて古谷倉之助をマウンドに送る。古谷は4イニングを1安打1四球2三振無失点に抑えて早くも今季2セーブ目をマークする。

 大洋は1安打ながら長谷川重一から10四球を選んで逆転勝利を飾る。








            *三富恒雄は今季初勝利、古谷倉之助は今季2セーブ目を記録する。









     *大洋は1安打で3点をあげて黒鷲を降す。


     











 

2013年8月26日月曜日

三冠への道 2013 ⑭



 今季も押し迫ってきましたので、恒例の年間MVP及びサイ・ヤング賞予想といきましょう。


 まずは最も難解なナショナル・リーグMVPから。当ブログはナ・リーグMVPはアトランタ・ブレーブスのクローザー、クレイグ・キンブレルと予想します。とにかく打撃陣に候補がいない。ブレーブスは総合力の勝利という感じなので打撃陣には候補はいない。心情的には“進め”パイレーツを引っ張るアンドルー・マカッチェンといきたいところですが、8月25日現在3割2分1厘(四位)、17本塁打(二十三位タイ)、73打点(九位)では迫力に欠けるのは否めない。数字的には2割9分8厘(十四位)ながら31本塁打(一位タイ)、101打点(一位)のアリゾナのポール・ゴールドシュミットとなりますが、当ブログはあの軸のぶれるバッティングでは最終的にもう少し打率を落とすと見ていますので、仮に本塁打、打点の二冠を獲ってもこのパターンはMVP投票では得票が集まりにくいのは例年のことです。しかもダイヤモンドバックスは地区優勝はおろかワイルドカードも厳しい状況にありますのでますます得票は望めません。DL入りから戻ってきたセントルイスのヤディア・モリーナは捕手としての首位打者となれば得票が伸びる可能性がありますが10本塁打60打点ではインパクトに欠ける。捕手でのMVPとなると昨年のバスター・ポージーと比較がしやすく、見劣り感は否めません。

 キンブレルが当代随一のクローザーであることに異論を唱える方はいらっしゃらないでしょう。では、MVP投票で本当に得票が集まるのか。あのストレートの軌道を見てください。あれだけ綺麗な軌道を描くストレートはペドロ・マルチネス以来ではないでしょうか。誰しもがスライダーと見紛うナックル・カーブの軌道も見事なものです。打撃陣に候補がいない今年はチャンス大と見ていますがいかがでしょうか。リリーバーでのMVPと言えば1992年のデニス・エカーズリー、1984年のウィリー・ヘルナンデスがいます。決して不可能ではないと考えていますが可能性は0.1%というところでしょうか。今のところ全宇宙を見渡してもキンブレルMVP説を唱えているのは当ブログだけのようですが(笑)。当ブログは、投票権を持つ全米記者諸君の炯眼に賭けてみます。


 ナ・リーグのサイ・ヤング賞はクレイトン・カーショウが2011年に続いて2度目の受賞となるでしょう。8月25日現在198回3分の1(アダム・ウェインライトに3分の1回差で二位)を投げて13勝(五位タイ)7敗、防御率1.72(一位)、奪三振188個(二位)、WHIP0.86(一位)、被打率1割8分2厘(一位)と内容が抜群です。1時の方向から7時の方向に落ちると言われるカーブは凄味を増しています。今季はバッティングでも目立っています。オールスターで先発したメッツのマット・ハービーと筆者お気に入りのアダム・ウェインライトがライバルですが、カーショウの受賞は動きそうにない。


 アメリカン・リーグMVPはミゲール・カブレラの2年連続が濃厚です。と言うより、2年連続三冠王が濃厚となってきたと言うべきでしょうか。クリス・デービスに期待する向きも多いかもしれません。ジョーイ・ボットに似た柔らかいスウィングで左右にホームランを打ち分けるバッティングはMVPに相応しいものであるところは認めますが、終盤にきて勢いが落ちているのも事実です。最終的にはカブレラとは経験の差が出ると見ています。8月25日現在カブレラの首位打者は動かないところ、一時はデービスが追い付いた打点はカブレラ128点に対してデービス118点、本塁打はデービス46本に対してカブレラ42本ですが最終的には逆転するでしょう。昨年我々は歴史の目撃者となっていますので、今年は静かに見守りましょう。まぁ、昨年も騒いでいたのは当ブログだけではありましたが(笑)。


 日本で最も注目を集めるア・リーグのサイ・ヤング賞はマックス・シャーザーと予想します。ライバルのダルビッシュ有は、8月25日現在奪三振225個で、シャーザーの196個に29個の差しか付けていません。当ブログはダルビッシュに対してシャーザーに30個の差を付けることをノルマとして課していますが、いまだに達成していません。これではダルビッシュがサイ・ヤング賞候補であるなどとは恥ずかしくて言えません。178回3分の1(四位)を投げて19勝(一位)1敗、防御率2.73(五位)、奪三振196個(二位)、WHIP0.91(一位)、被打率1割9分0厘(一位)のシャーザーに対して、ダルビッシュは168回3分の0(十四位)を投げて12勝(七位タイ)5敗、防御率2.68(三位)、奪三振225個(一位)、WHIP1.04(三位)、被打率1割9分1厘(二位)なので一騎打ちの争いとはなっています。勝利数は近年のMVP投票では重要視されなくなってきてはいますが、流石に今年のシャーザーの成績はインパクトが強過ぎます。ダルビッシュがシャーザーを逆転するには、奪三振で50個差が必要になってきたと見ています。投球回数にも順位を付けていますが、投球回数は意外と投票動向に影響を与えます。この点でもダルビッシュには減点材料となります。












 

16年 南海vs巨人 1回戦


4月7日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
1 0 0 0 0 0 1 1  2  5 南海 1勝2敗 0.333 川崎徳次
0 4 0 0 0 0 0 0 3X 7 巨人 3勝0敗 1.000 中尾輝三

勝利投手 中尾輝三 1勝0敗
敗戦投手 川崎徳次 0勝2敗

二塁打 (南)村上 (巨)呉
三塁打 (南)安井
本塁打 (南)岩本 1号 (巨)中島 1号

勝利打点 中島治康 1

ファインプレー賞 (南)鬼頭数雄 2


中島治康サヨナラツーラン

 南海は初回、先頭の国久松一が右前打で出塁、安井健太郎が右中間に三塁打を放って1点を先制する。

 巨人は1回裏、先頭の白石敏男が左前打で出塁、水原茂の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー、中島治康の左飛をレフト鬼頭数雄が好捕してスリーアウトチェンジ。

 巨人は2回、一死後千葉茂が四球で出塁、吉原正喜の遊ゴロでランナーが入れ替わり、平山菊二の右前打で一死一三塁、平山が二盗を決めて呉波が四球を選び一死満塁、中尾輝三が押出し四球を選んで1-1、トップに返り白石の右飛をライト岩本義行が落球、一走吉原に続いて二走呉も還って3-1と逆転、一走中尾は三塁に進んで一死一三塁、ここでダブルスチールを決めて4-1とする。

 南海は2回から5回まで四球の走者は出すが無安打で無得点。6回二死後鬼頭が左前打を放つが村上一治は中飛に倒れてこの回も無得点。

 南海は7回、二死後川崎徳次が四球で出塁、柳鶴震も四球、トップに返り国久も四球を選んで二死満塁、安井が押出し四球を選んで2-4、岩本は三振に倒れてスリーアウトチェンジ。

 南海は8回、先頭の鬼頭が右翼線にヒットを放ち捕逸で二進、村上が左中間に二塁打を放って鬼頭を迎え入れて3-4とする。

 南海は9回、一死後国久が四球で出塁、安井は三振に倒れて二死一塁、ここで岩本がレフトに大ホームランを放って5-4と逆転する。

 巨人は9回裏、先頭の呉が左中間に二塁打、中尾に代わる代打林清一が送りバントを決めて一死三塁、トップに返り白石の右犠飛で5-5の同点、水原が四球を選んで二死一塁、中島が右翼にツーランを放って7-5でサヨナラ勝ち。

 巨人に3点をリードされた南海は終盤に一度は逆転、今季の南海はちょっと違うという事を印象付けた試合であった。

 中尾輝三は7安打8四球4三振の完投で今季初勝利をあげる。川崎徳次も8安打8四球5三振と両投手四球を出しあった。


 中島治康が劇的なサヨナラホームランを放った。1972年夏の甲子園、東洋大姫路の九番・セカンドの前原はどんな球もファウルにする「カット打法」を見せて多くのスポーツマスコミはその技術を絶賛していましたが、当時読売新聞でアマチュア野球担当記者となっていた中島治康は読売新聞のコラムに「バッティングとはフェアグラウンドに打つものである。ファウルで逃げるのは邪道である。」と書きました(2013年8月13日付けブログ「当然」参照)。これを契機に「高校野球特別規則」では「カット打法は審判員がバントと判断する場合もある」という規程が設けられましたが、それから41年後の2013年夏の甲子園でも花巻東の二番・センターの千葉がファウルで逃げる「カット打法」を見せて審判団から注意を受けました。天から見守る中島治康が、時空を超えて怒りの打撃を見せたと感じたのは筆者だけでしょうか(笑)。




           *中尾輝三は川崎徳次との四球合戦に投げ勝ち今季初勝利を飾る。





     *中島治康が時空を超えた(?)怒りのサヨナラホームランを放った巨人打線。
























 

2013年8月25日日曜日

犠牲フライの取扱いについて



 犠牲フライについては、1939年にアメリカでルール改正されて公式記録となり、日本では記録改訂作業に手間取り約1カ月程遅れて導入され、シーズン開始約1カ月後の昭和14年4月24日、阪急vsライオン3回戦の6回表阪急の攻撃で山下好一が史上初の公式記録としての犠牲フライとなる右犠飛を放ちました


 当ブログではスコアカードの記載から「犠牲フライ」と認められるケースは当ブログ発足次点から犠飛としてお伝えしてきたところです。昭和14年も3月18日の奈良友夫から4月18日のスタルヒンまで32本の犠牲フライが打ち上げられましたが公式記録では「凡打」扱いとなっているところ、当ブログでは全て「犠飛」として取扱い、レコードも残しております。


 昭和16年から公式記録では再び犠牲フライは「凡打」として取り扱われています。4月3日の小島利男の2本、4月6日の日比野武の「決勝犠飛」もスコアカードには「凡打」として記録されています。



 Wikipediaには「1942年に軍部命令で犠牲フライが打数にカウントされるように規則が改正され、戦後1953年までこの状態が続いた。」と書かれています。昭和16年の「規則改正」には「犠飛の取扱い」については触れられていませんので正式に規則が改訂されるのは昭和17年からの事かもしれませんがこの点については「要調査」の段階です。いずれにしても昭和16年から公式記録では犠牲フライは凡打と記録されていますが、当ブログでは「犠飛」として取扱いさせていただき、レコードも保存していきますのでご了承ください。




 

16年 阪神vs阪急 2回戦


4月6日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 2 0 0 3 阪神 1勝1敗 0.500 木下勇 若林忠志
0 0 0 0 0 3 1 0 X 4 阪急 1勝1敗 0.500 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 1勝0敗
敗戦投手 若林忠志 1勝1敗

三塁打 (急)森田

勝利打点 日比野武 1


森弘太郎、自責点ゼロの完投

 阪神は初回、二死後カイザー田中義雄の遊ゴロをショート上田藤夫がエラー、打者走者の田中は二塁に進み、ジミー堀尾文人が左前にタイムリーを放って1点を先制する。

 阪神先発の木下勇は5回まで伊東甚吉の一塁内野安打1本に抑えて無失点。

 阪急は6回、先頭の伊東がショートにこの日2本目となる内野安打、森弘太郎が送って一死二塁、トップに返り中島喬が左前打を放って一死一三塁、フランク山田伝の投前スクイズを木下がエラー、山田には犠打と打点が記録されて1-1の同点、なお無死一二塁から上田の二ゴロが野選を誘い無死満塁、阪神ベンチはここ木下から若林忠志にスイッチ、しかし新富卯三郎が中前に2点タイムリーを放って3-1とする。

 阪神は7回、先頭の松尾五郎が四球で出塁、野口昇に代わる代打松本貞一の遊ゴロをショート上田がエラーして無死一二塁、若林が送りバントを決めて一死二三塁、平桝敏男に代わる代打松木謙治郎の二ゴロで三走松尾はホームに突っ込む。セカンド伊東がバックホームするがこれが悪送球となって松尾に続いて二走松本も生還、野選とエラーが記録されて3-3の同点とする。

 阪神は7回攻撃で代打攻勢をかけたため、松木がファーストに、松本がライトに入り、ファーストの田中がキャッチャーに回り、キャッチャー土井垣武が下がって小林好雄が入ってサードのシフトをとる。代打を送られたサードの野口昇とライトの平桝敏男は当然ベンチに下がっています。

 阪急は7回裏、先頭の森田定雄が左越えに三塁打、阪神ベンチはここでレフトを松尾から森国五郎に代えて守備を固めるが、日比野武が決勝の右犠飛を放って4-3とする。

 森弘太郎は2安打4四球1死球1三振、3失点ながら自責点ゼロの完投で今季初勝利をあげる。点を取られたのは全てエラー絡みであった。唯一のピンチは4回、先頭の田中に右前打、堀尾にぶつけて土井垣に送られ、松尾を歩かせて一死満塁、ここで野口を三振、木下を三ゴロに打ち取り無失点で切り抜けたことが逆転勝利に結び付いた要因であった。


 勝利打点は決勝犠飛の日比野武に記録されるが、真の殊勲打は日比野の犠飛に結び付けた森田定雄の三塁打であった。森田が「最も無名の最強打者」であることは、当ブログが再三にわたってお伝えしてきているところです。


 日比野武については戦後の西鉄ライオンズ時代のベテラン捕手としてのエピソードが有名です。昭和33年日本シリーズでは3連敗後4連勝した要因として、キャッチャーを若手の和田からベテランの日比野に変えたことにより稲尾の神通力が甦ったとも言われています。戦前の“若手”キャッチャー時代の強打ぶりは当ブログ以外に伝えるソースは皆無です。







                 *森弘太郎は自責点ゼロの完封で今季初勝利を飾る。










     *森田定雄の三塁打を日比野武の決勝犠飛で還した阪急打線。










*日比野武のサイン。左に「西鉄ライオンズ」と書かれており、その左は川崎徳次です。昭和20年代後半の西鉄のチームサインボールと考えられます。






 

2013年8月24日土曜日

16年 名古屋vs朝日 2回戦


4月6日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0  1  2 名古屋 1勝1敗 0.500 河村章
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0  1 朝日     1勝1敗 0.500 福士勇

勝利投手 河村章 1勝0敗
敗戦投手 福士勇 0勝1敗

二塁打 (名)木村、芳賀 (朝)村上、室脇、灰山

勝利打点 桝嘉一 1 


河村章、粘りの完投勝利

 名古屋は初回、先頭の本田親喜が左前打で出塁、村瀬一三は三振に倒れるが、桝嘉一が四球を選んで一死一二塁、吉田猪佐喜の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 名古屋は2回、先頭の服部受弘が四球で出塁、ところが三浦敏一の遊飛に飛び出した服部は戻れず2イニング連続ダブルプレー。

 名古屋は3回、先頭の木村進一が左前打で出塁、トップに返り本田が送って一死二塁、村瀬が四球を選んで一死一二塁、桝は三邪飛に倒れて二死一二塁、吉田の遊ゴロをショート前田諭治が失する間に二走木村が還って1点を先制する。

 5回まで2安打無得点の朝日は6回、先頭の村上重夫が右中間に二塁打、室脇正信が左中間に連続二塁打を放って1-1の同点に追い付く、灰山元章が四球を選んで無死一二塁、五味芳夫の中飛で二走室脇がタッチアップから三塁を狙うが「8-4-5」と転送されてタッチアウト。センターから通常のバックサードであればショートが中継に入るところであるが、センターフライの中継にセカンドが入っているので室脇は山なりの返球を見てスタートを切ったようだ。となるとセカンド木村の好送球が光ったプレーである。翌日の読売新聞には「浅い中飛で三塁に暴走」と書かれているが「暴走と好走は紙一重」なので単なる凡走ではなかった可能性がある。

 朝日先発の福士勇は4回~7回は三者凡退に抑える好投を見せる。8回は先頭の木村に左翼線二塁打を許し、本田に送られて一死三塁のピンチを迎えるが村瀬を三振、桝を捕邪飛に打ち取る。9回は二死後三浦敏一に四球を与えるが三浦の二盗をキャッチャー伊勢川眞澄が刺して4回から9回まで無失点を続ける。

 朝日は8回、二死後灰山が左中間に二塁打を放つが五味に代わる代打鬼頭政一は三振に倒れる。

 朝日は9回、先頭の岩田次男が左前打で出塁、代走に井筒研一を起用、前田の一塁線バントが内野安打となる間に一走井筒は一気に三塁に進み、前田が二盗を決めて無死二三塁、伊勢川が四球を選んで無死満塁、しかし福士は浅い右飛、トップに返り坪内道則も浅い左飛で三走井筒は動けず、村上も右飛に倒れる。ここは名古屋先発の河村章が踏ん張って延長戦に突入する。
 名古屋は10回表、先頭の芳賀直一が左中間に二塁打、河村が送って一死三塁、木村が四球を選んで一死一三塁、本田も四球で一死満塁、ここは満塁策の可能性がある。村瀬の投ゴロで三走芳賀は本封、これはスクイズ失敗の可能性がある。二死満塁から桝が決勝の押出し四球を選んで2-1と勝ち越す。



 河村章は10回裏の朝日の反撃を三者凡退に抑えて8安打3四球4三振の完投で今季初勝利をあげる。内容的には朝日に押されていたが粘りのピッチングを見せた。


 福士勇は10回を完投して5安打7四球5三振、最後に力尽きた。昨年の満州遠征で満州日日新聞の吉田要記者が福士の将来性を高く評価していたが、中盤戦は名古屋打線を寄せ付けず、今季の福士には期待できそうな予感を抱かせるピッチング内容であった。








                *河村章は粘りの完投で今季初勝利をあげる。











 

松本光三郎の謎



 南海でマスクを被る松本光三郎は開幕カードの黒鷲戦で満塁ホームランを放ち4打数3安打5打点、2戦目の大洋戦でもヒットを記録して二試合で8打数4安打5打点と週間MVPも狙えそうな勢いです。ところが不思議なことにこの後ぱったりと使われなくなり、今季の通算成績は7試合で12打数4安打5打点1本塁打に終わることとなります。


 原因は大洋戦の7回に一イニング6盗塁を許したことにありました。翌日の読売新聞が「捕手松本の動作不敏を利し巧みに走者を進めた」と書いているように、キャッチャーとしての動きに機敏さが欠けていたようです。南海のマスクは次の試合から木村勉が被ることとなり、国久松一も時々キャッチャーとして出場することとなります。吉川義次の穴を埋めるのは大変だったようですね。


 松本光三郎は翌17年も4試合で2打数無安打に終わり、プロ通算11打数4安打5打点1本塁打、開幕満塁本塁打1本の記録を残して球界を去ることとなります。




 

16年 南海vs大洋 1回戦


4月4日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 1 0 0 2 南海 1勝1敗 0.500 川崎徳次 石田光彦
0 0 0 0 1 0 2 0 X 3 大洋 1勝1敗 0.500 浅岡三郎 古谷倉之助

勝利投手 浅岡三郎 1勝0敗
敗戦投手 川崎徳次 0勝1敗
セーブ      古谷倉之助 1

二塁打 (南)鬼頭、岡村 (大)森田
本塁打 (大)石井 1号

勝利打点 中村信一 1

猛打賞 (南)岡村俊昭 1

ファインプレー賞 (大)黒澤俊夫 1


足の金鯱に苅田野球

 結論から先に言いますと、今季南海と大洋(セネタース(翼)と金鯱が合併)は大躍進することとなります。南海は大量の応召と退社がありましたが戦力補強が巧くいったこと、大洋は翼と金鯱が合併して戦力を強化したことが要因ですが、応召で戦力が削がれたタイガース王朝の没落と、首脳陣の混乱により下位を低迷することとなる名古屋の不振に助けられる面もあるようです。


 南海は初回、岡村俊昭が中前打を放ち二盗を試みるがキャッチャー柴田多摩男からの送球にタッチアウト。直後に岩本義行が四球で歩くが鬼頭数雄は中飛に倒れる。

 南海は2回、一死後安井健太郎が三塁に内野安打、柳鶴震は二飛に倒れるが、松本光三郎が左前打を放って二死一二塁、しかし川崎徳次は二飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 南海は3回、先頭の国久松一が四球で出塁、岡村が中前打で続いて無死一二塁とするが岩本、鬼頭、村上一治のクリーンナップが倒れて無得点。4回も一死後柳が左前打を放つが得点ならず、4回まで5安打2四球ながら無得点が続く。

 一方、大洋は初回、先頭の苅田久徳が四球で出塁するが高橋輝彦の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。2回も先頭の黒澤俊夫が中前打、石井豊が四球を選んで無死一二塁とするが、森田実の一飛に飛び出した二走黒澤が戻れずダブルプレー。3回、4回は三者凡退に終わり、0対0のまま5回を迎える。

 南海は5回、先頭の国久が四球で出塁、岡村の一ゴロでランナーが入れ替わり、岩本は三邪飛に倒れて二死一塁、鬼頭が左中間を抜いて岡村を還し1点を先制する。

 大洋は5回裏、先頭の石井が左翼スタンドに同点ホームランを叩き込んで1-1とする。更に森田が左中間に二塁打を放って無死二塁、しかし西岡義晴は遊ゴロ、柴田は投ゴロ、浅岡三郎は一邪飛に倒れて追加点はならず。

 南海は7回、二死後岡村が右翼線に二塁打、岩本が左前にタイムリーを放って2-1と勝ち越す。

 大洋は7回裏、先頭の森田が四球に歩くと二盗に成功、西岡が四球を選んで無死一二塁、大洋は柴田に代えて代打に中村信一を起用、南海は先発の川崎を下げて石田光彦を投入、ここでダブルスチールを決めて無死二三塁、中村が期待に応えて右前に逆転の2点タイムリーを放って3-2、これが決勝打となった。浅岡に代わる代打野口二郎は三振、中村が二盗を決めて二死二塁、苅田が四球を選んで二死一二塁、又もダブルスチールを決めて二死二三塁、濃人渉は三振に倒れてスリーアウトチェンジ。大洋はこの回6個の盗塁を成功させた。

 代打の野口はライトに入り、二番手として古谷倉之助がマウンドに上がる。古谷は2イニングをピシャリと抑え、無安打無四球1三振で当ブログルールにより今季初セーブを記録する。


 南海打線は見違えるような迫力のある打線となった。大洋は「足の金鯱」に「苅田野球」が加味されて一イニング6盗塁を記録、両チームの今季の躍進を予感させるゲームであった。




            *古谷倉之助が好リリーフを見せて今季初セーブを記録する。











  *岡村俊昭が猛打賞、岩本義行、鬼頭数雄が打点を記録しするなど迫力が増した南海打線。












     *7回に一イニング6盗塁を記録した大洋打線。








            *一イニング6盗塁の場面。「O’」又は「O”」が盗塁です。
















 

2013年8月23日金曜日

あれよあれよ



 まずは前橋育英高校、優勝おめでとう。


 終わってしまえば何とでも言えますが、大会前に前橋育英の優勝を予想した人は何人いたでしょうか。筆者が印を付けた5校は一つもベスト8に進みませんでした。


 筆者の約50年に及ぶ高校野球観戦歴でも、「あれよあれよ感」では1978年第50回センバツの浜松商業以来です。あの頃はまだ◎や△を付けるような予想はしていませんでしたが、1回戦で益田を3対0で破った試合を見て「次は負けるだろうな」と思ったことは明確に覚えています。その浜松商業が強豪を次々となぎ倒して優勝した時の「あれよあれよ感」と今回は同じような感じでした。川又・阿久根がいた早実、小暮・阿久沢の桐生をそれぞれ1点差で破り、決勝は本日と同様野球強豪県とは言えない福井代表の福井商業を破ったものです。木戸、西田、金石がいて夏を制するPL学園や大会No1と言われた津田恒美(後に「恒実」に改名)を擁する南陽工業までが準々決勝で敗れる番狂わせの連続だった点も似ています。まぁ、35年に一度くらいはこういう展開もあるということでしょう。


 夏の甲子園も終わりましたので「ドラフトへの道 2013」を再開します。当ブログのドラフト1位は桐光学園の松井、2位指名は東海大甲府の渡邉諒で変わりません。甲子園でドラフト候補を見つけようと思いましたが見当たりませんでした。実力者が出てこなかったことも“混戦”となった要因だったのでしょうね







 

2013年8月22日木曜日

16年 黒鷲vs巨人 1回戦


4月4日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 黒鷲 0勝2敗 0.000 長谷川重一
0 0 3 0 0 2 1 0 X  6 巨人 2勝0敗 1.000 澤村栄治

勝利投手 澤村栄治     1勝0敗
敗戦投手 長谷川重一 0勝1敗

二塁打 (巨)川上、水原、吉原
三塁打 (巨)澤村

勝利打点 白石敏男 1

ファインプレー賞 (巨)水原茂 2 (黒)木下政文 1


澤村栄治、復活の完封劇

 巨人は3回、先頭の澤村栄治が右中間に三塁打、トップに返り白石敏男の一塁内野安打がタイムリーとなって1点を先制、水原茂の右前打で無死一二塁、中島治康の二ゴロで水原が二封されて一死一三塁、川上哲治の右中間二塁打で二者還り3-0、千葉茂が四球を選んで一死一三塁、吉原正喜の三ゴロが「5C-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は6回、川上、千葉が連続四球、吉原の三ゴロで川上が三封されて一死一二塁、ここで千葉が三盗に成功、一走吉原も離塁したところにキャッチャー清家忠太郎は一塁に送球、これが悪送球となって千葉が生還して4-0、吉原も三塁に進み、平山菊二の中前タイムリーで5-0、平山が二盗に成功、パスボールで三進、呉波の左飛で三走平山がタッチアップからホームに向かうがレフト玉腰忠義、ピッチャー長谷川重一と中継されて本塁タッチアウト。

 巨人は7回、一死後白石が中前打、水原が左前打、中島も左前打を放って一死満塁、川上が押出し四球を選んで6-0、千葉の一ゴロが「3-6-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人先発の澤村は初回三者凡退、2回は先頭のサム高橋吉雄に左翼線ヒットを許すが吉原が高橋の二盗を刺して三人で攻撃終了、3回~5回も三者凡退に抑える。6回は先頭の木下政文に左前打を許すが併殺で切り抜ける。7回は一死後小島利男に左前打を許すが牽制で釣り出してタッチアウト(記録は盗塁失敗)。8回は先頭の長谷川に左前打、菅利雄に代わる代打中河美芳に四球を与えて無死一二塁、しかし木下を捕邪飛、清家に代わる代打亀田忠も捕邪飛、山田潔を三ゴロに打ち取る。

 澤村栄治は9回も一死後寺内一隆に左前打を許すが小島を遊飛、高橋を三ゴロに抑えて試合終了。5安打2四球6三振の完封で今季初勝利をあげる。


 昨シーズン後半を中国戦線で患ったマラリアの再発により棒に振った澤村は復活を告げる完封勝利を飾った。打っても3回に三塁打を放つ。澤村の三塁打は昭和12年10月6日、12年秋 名古屋vsジャイアンツ3回戦の3回に森井茂から放った右中間三塁打以来となる。








                 *澤村栄治は5安打完封で今季初勝利を飾る。















 

2013年8月21日水曜日

当然



 当初タイトルは「英断」とする予定でしたが、あまりにも当然の対応に対して「英断」としたのではかえって高野連及び審判団に対して失礼になると判断し、タイトルは「当然」とさせていただきました。


 花巻東の156センチ千葉の特徴はカット打法にありましたが、これは明らかにバントであり、ツーストライク後はスリーバント失敗で三振となります。


 8月18日付けブログ「16年 朝日vs名古屋 1回戦 」のコメント欄をご覧ください。「商売人と言われた職業野球」様から「東洋大姫路の前原二塁手が思い浮かびましたが、shokuyakyu様は覚えていらっしゃいますか。」とのコメントをいただきましたので、「72年に甲子園に出てきた前原のカット打法については、各種マスコミは高校野球らしい選手として絶賛していました。ところが中島治康だけは読売新聞のコラムで『バッティングとはフェアグラウンドに打つものである。ファウルで逃げるのは邪道である。』と論破していました。・・・『セットポジション』というサイトの『ルールを変えた男』に詳しく書かれていますね。・・・当時のアサヒグラフで確認すると前原は九番セカンドで出場して3打席2打数無安打1三振1犠打で四球は選んでいません。上記サイトによると、郷司主審に『次はバントファウルと判定する』と注意を受けたそうです。千葉のカット打法を見て、『中島治康が生きていたらどんなコメントをするのかぁ~』と思っていたところです。」と返答させていただきました。


 前原事件を受けて、「高校野球特別規則」に「バントとは、バットをスイングしないで、意識的にバットに投球をミートさせ、内野をゆるくころがるようにした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルにするような、いわゆる“カット打法”は、そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある。(規則6・05(d))」という規程が設けられました。


 nikkansports.comによると、何と、花巻東の部長と監督はこのルールを知らなかったとのことです。1972年に起った東洋大姫路の「前原事件」は当時中学2年生だった筆者でも知っているくらい社会的にも話題になった事件でしたが、こんなことも知らないで何を指導してきたのでしょうか?


 高野連、審判部の判断は41年前の1972年から何ら変わるところはありません。熱闘甲子園の工藤のコメントを聞いても千葉に肯定的なコメントをしていますので、工藤も知らなかったみたいですね。もう一度言いますが、あれはバントです。


 千葉君には、きちんと歴史を勉強して、是非大学野球でも頑張ってもらいたい。ことの是非はともかくとして、あの打法を習得するだけの技術と根性があれば、必ず次の道は開けます。









 

群馬vs宮崎



 決勝戦は群馬vs宮崎という珍しい対決となりました。


 甲子園での初対決は1989年第71回夏の大会1回戦、東農大二高が日向を10対6で破りました。この大会では今大会と同様仙台育英と秋田経法大付の2校が準決勝に進出し、大越基を擁する仙台育英は帝京と決勝で対戦して延長戦の末惜敗しました。


 二度目の対決は1994年第76回夏の大会1回戦、東農大二高が延岡学園を12対4で破りました。佐賀商業が樟南との九州対決を制して優勝した大会です。


 三度目の対決は2007年第79回センバツ1回戦、21世紀枠で出場した都城泉ヶ丘が桐生第一を2対0で破りました。この大会では希望枠で出場した大垣日大が準優勝しています。大阪桐蔭の中田が2本のホームランを放った大会でもありました。


 四度目の対決は2010年第82回センバツ1回戦、宮崎工業が前橋工業を4対0で破りました。島袋を擁する興南は夏も制して春夏連覇を達成することになります。


 筆者の職場の後輩に宮崎日大のエースだった奴がおり、宮崎球界については色々と聞かせてもらっています。筆者が以前勤めていた会社では前橋支店に3年近く勤務していましたので群馬は第四の故郷でもあります。と言うことで、どちらにも地縁血縁(?)がありますのでどちらも応援しています。前橋育英の高橋は外角低めストレートのコントロールがいいので前橋育英有利と見ていますが、延岡学園の打線も侮れません。


 どちらもお世辞にも野球強豪県とは言えないので勝ち進むことが少なく、過去4回の対戦は全て1回戦でした。これまで2勝2敗の互角なので、群馬vs宮崎の決着をつける決勝戦ともなりました。








 

16年 阪急vs阪神 1回戦


4月3日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0   0   0   0   0   0   0   0 阪急 0勝1敗 0.000 浅野勝三郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0   0   0   0   0   0  1X  1 阪神 1勝0敗 1.000 若林忠志

勝利投手 若林忠志     1勝0敗
敗戦投手 浅野勝三郎 0勝1敗

二塁打 (急)黒田 (神)若林、松尾

勝利打点 カイザー田中義雄 1


猛打賞 (神)宮崎剛 1


野球はツーアウトから

 阪神は西宮球場で行われた開会式で選手宣誓を行った若林忠志が先発、阪急は昨シーズン投打にわたって活躍した浅野勝三郎が先発する。

 若林は9回まで阪急打線を3安打無失点、浅野は9回まで阪神打線を7安打無失点に抑える。

 延長戦に入ってからは寧ろ若林の方がピンチの連続であった。すなわち、10回は二死一三塁から一走日比野武の盗塁を強肩土井垣武が刺し、11回は一死二塁から遊飛ゲッツー、13、15、16、17回は何れも先頭打者にヒットで出塁を許すが何とか無失点で切り抜けた。

 浅野は延長に入って快調で、11回こそ先頭の宮崎剛に中前打を許すが投ゴロで入れ替わった一走皆川定之の盗塁をキャッチャー日比野が刺す。12回~16回までは内野安打2本を許したのみで、17回一死後土井垣に中前打を許すが若林を一飛、松尾五郎を三ゴロに打ち取る。

 若林が18回表の阪急の攻撃を三者凡退に退けて試合は18回裏に突入。

 阪神は18回裏、二死後宮崎剛が中前打で出塁、皆川が四球を選んで二死一二塁、カイザー田中義雄が右前にタイムリーを放ってサヨナラ勝ち。野球はツーアウトからの格言どおりであった。

 浅野勝三郎は17回3分の2を投げて13安打3四球5三振であった。

 若林忠志は18回を投げて9安打2四球5三振、今季初勝利を完封で飾った。


 宮崎剛が猛打賞を獲得するが8打数3安打でも猛打賞と認定できるか否かは不明。猛打賞は公式記録ではないので定義は不明です。延長18回の場合は猛打賞には6安打が必要であると言われれば否定する根拠はない。但し、「野球はツーアウトから」の格言は9回であっても延長18回であっても通用します。






         *若林忠志は延長18回を9安打2四球5三振に抑えて今季初勝利を完封で飾る。










     *延長18回を戦い抜いた阪急打線。














     *宮崎剛が8打数3安打で猛打賞を獲得した阪神打線。









 

2013年8月20日火曜日

入営前夜



 開幕戦となる朝日vs名古屋 1回戦に先発した朝日のエース菊矢吉男の昭和16年の成績を見ていただくと、1試合にだけ登板していることが確認できます。と言うことは、この試合が入営前最後の試合であったことになります。


 昭和16年4月4日付け読売新聞は「晴れの入営日を目Oの間に控えて恐らく思い出であろうプレートに立った朝日菊矢は壁頭から・・・」と伝えている。思い出のプレートの割には5回3分の2で10四球ですから読売新聞の記事は大本営発表でしょう。応召を控えてピッチングどころでなかったのか、理不尽に職場を奪われることに対する怒りであったのか。


 応召前に1試合だけ投げたことについては、肯定的に考えれば「最後の試合に思い残すことなく頑張ろうと言う気持から」と書くと読む人にとっても心地の良いものかもしれませんが、現実に当人の立場に立って考えればとてもそんな呑気な事を言っている場合ではないしょう。朝日軍としては、「応召など何でもないことだ」という事をアピールする役を押し付けられ、1試合だけのためにキャンプから菊矢にトレーニングを強いたのでしょうが、こんな状況で身を入れてトレーニングなどできるはずがない事は、競技レベルでスポーツをやったことのある方には簡単に分かることではないでしょうか。


 菊矢吉男の昭和16年の記録を数字だけで見ると1試合に登板して5回3分の2で10四球という惨憺たる成績であったという評価になるかもしれませんが、上記のような経緯を知ればそんな呑気な事を言っている場合ではなかったことが理解できるでしょう。




 

2013年8月18日日曜日

16年 朝日vs名古屋 1回戦


4月3日 (木) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 0 1 3 朝日     1勝0敗 1.000 菊矢吉男 山本秀雄
1 0 0 0 1 0 0 0 0 2 名古屋 0勝1敗 0.000 森井茂 村松幸雄 西沢道夫

勝利投手 山本秀雄 1勝0敗
敗戦投手 西沢道夫 0勝1敗

勝利打点 坪内道則 1


坪内道則、決勝タイムリー

 昭和16年1月18日付け読売新聞は「ラ軍『朝日』と改称」の見出しで「ライオン軍はこの度重役陣を充実させ更に球団名変更を17日発表した。・・・常務取締鈴木龍二、田中勝男両氏が就任、田中氏は総監督を兼ね監督に往年早稲田の名投手竹内愛一氏が坐り、球団名は『朝日』軍と変更されて今後の活躍を期すこととなった。」と伝えている。


 田中勝雄は一般的には「勝雄」と表記されると思います。読売新聞では「勝男」と表記されていますが、当ブログでは「田中勝雄」とさせていただきますのでご了承ください。田中は早稲田大学時代「和製ベーブ」と言われた強打者で、1200グラムのバットを振り回していたと伝えられています。そのバットは千葉県下総中山にある「吉沢野球博物館」に展示されています。1985年に野球殿堂入り、野球殿堂博物館の紹介文では「温厚篤実な人格者で、当時の飛田穂洲監督は『学生選手の範』と激賞した。」と紹介されています。


 飛田穂洲著「熱球三十年」は「平凡な大投手、竹内愛一」の章で竹内を伝える貴重な文献です。同著が伝える田中勝雄の記述と共に、現代に伝わる「竹内像」、「田中像」の基本になっていると言えるでしょう。


 「野球界」昭和15年4月15日号(当時の「野球界」は月2回の発行でした)に「小西監督 一線を引く 総監督に」と言う記述が見られます。名古屋は本田親喜、桝嘉一の二頭体制となりますが、“船頭多くして”の例え通り迷走を続けることとなります。同年8月1日号には「本田を監督に昇格、桝、大沢、芳賀、吉田、三浦を技術指導委員に、桝を委員長に任ずる。」の記述も見られます。15年春季シリーズでは巨人と優勝を争った名古屋が今季期待を裏切って下位に低迷することとなる要因は上層部の混乱にありました。


 名古屋は初回、二死後桝嘉一が四球を選んで出塁、吉田猪佐喜の中前打で二死一二塁、服部受弘が四球を選んで二死満塁、三浦敏一が押出し四球を選んで1点を先制する。

 名古屋は5回、一死後村瀬一三が中前打で出塁するとワイルドピッチで二進、桝が四球を選び、吉田は三邪飛に倒れるが、服部が三打席連続四球で二死満塁、三浦が又も押出し四球を選んで2-0とする。

 名古屋は6回、先頭の森井茂が右前打で出塁するが木村進一の遊ゴロは「6-4-3」と渡ってダブルプレー、ところがここから本田親喜が四球から二盗を決め、村瀬も四球から重盗に成功、桝もこの試合3つ目の四球を選んで二死満塁、朝日ベンチはここで先発の菊矢吉男から山本秀雄にスイッチ、吉田が二ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。菊矢は5回3分の2で10四球を記録した。

 名古屋の開幕投手に指名された森井茂は初回先頭の坪内道則に中前打を許すがその後は6回までに許した走者は4回二死後に五味芳夫に与えた四球のみ、試合は名古屋ペースで7回を迎える。

 朝日は7回、先頭の灰山元章が左前打で出塁、五味芳夫は中飛に倒れるが、前田諭治が四球を選んで一死一二塁、セネタース時代の昭和12年春以来の出場となる岩田次男が中前にタイムリーを放って1-2、一走前田は三塁に進んで一死一三塁、名古屋ベンチはここで先発の森井から村松幸雄にスイッチ、伊勢川眞澄の打球は右前に抜けるがライト吉田が一塁に送球してアウト、ライトゴロが記録されるが三走前田が還って2-2の同点に追い付く。伊勢川には打点が記録される。

 名古屋は9回から三番手として西沢道夫をマウンドに送るがこれが裏目に出た。

 朝日は9回、一死後岩田の三ゴロをサード芳賀直一がエラー、伊勢川が四球を選んで一死一二塁、山本は三飛に倒れて二死一二塁、トップに返り坪内が中前に決勝タイムリーを放って3-2としてチーム名変更初試合を飾る。

 山本秀雄は8回、9回と先頭打者を出すが何れも併殺で切り抜けて今季初勝利をあげる。







                 *好リリーフの山本秀雄は今季初勝利をあげる。















     *ライオンから名前が変わった朝日の開幕オーダー。














     *森井茂が開幕投手に指名された名古屋の開幕オーダー。








 

16年 大洋vs巨人 1回戦


4月3日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 大洋 0勝1敗 0.000 三富恒雄 野口二郎
1 0 0 1 0 0 0 1 X  3 巨人 1勝0敗 1.000 須田博

勝利投手 須田博     1勝0敗
敗戦投手 三富恒雄 0勝1敗

二塁打 (巨)川上、水原、吉原
本塁打 (巨)水原 1号

猛打賞 (巨)水原茂 1

勝利打点 水原茂 1


ファインプレー賞 (巨)水原茂 1、川上哲治 1、須田博 1 (大)森田実 1


水原茂、先制ホームラン

 昭和16年1月14日付け読売新聞は「翼軍と金鯱合併」の見出しで大洋軍の誕生を伝えている。「新球団の名称は翼軍相談役有馬頼寧伯と金鯱軍取締役大宮伍三郎氏の間で協議の結果『太洋』軍と命名され」と書かれています。これは誤植ではありません。小見出しにも「新たに“太洋軍”を構成」と書かれています。「大洋」であるはずが当初は「太洋」であったのか、読売新聞の勘違いであったのかは分かりません。


 戦後も広島カープの創設時は「広島カープス」でした。当初は「広島カープ」でしたが、球団名は複数形が慣例であることから「広島カープス」になりました。ところが、広島大学の学生や教授連から「鯉」は複数形でも「カープ」であるというクレームが来て「広島カープス」から「広島カープ」に再変更されたものです。設立当時の新聞記事には数多く「広島カープス」の活字を見ることができます。


 巨人は初回、一死後水原茂がレフトスタンドに先制ホームランを放ち1-0とする。

 巨人は4回、先頭の川上哲治が左翼線に二塁打、大洋はここで先発の三富恒雄から野口二郎にスイッチ、野口は千葉茂を二ゴロ、吉原正喜を遊飛に打ち取るが、平山菊二が左前にタイムリーを放って2-0とする。

 巨人は8回、先頭の水原が左中間に二塁打、中島治康の中前打で無死一三塁、川上の遊ゴロの間に水原が還って3-0とする。

 須田博は大洋打線を3安打に抑えて今季初勝利を完封で飾る。

 正午から行われた開会式で選手宣誓を行った水原茂が4打数3安打2得点1打点、二塁打1本、本塁打1本の活躍を見せた。








         *須田博は新生・大洋打線を3安打に抑えて今季初勝利を完封で飾る。












     *新生・大洋の開幕オーダー。













     *昨年と変動がない巨人の開幕オーダー。












*広島カープの“カープス”時代を伝える当時の新聞記事(「広島東洋カープ球団史」より転載)。










 

2013年8月17日土曜日

16年 南海vs黒鷲 1回戦


4月3日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 6 0 0 0 1 0 1 1 9 南海 1勝0敗 1.000 神田武夫 石田光彦
0 0 0 0 2 0 1 0 3 6 黒鷲 0勝1敗 0.000 亀田忠 中河美芳

勝利投手 神田武夫 1勝0敗
敗戦投手 亀田忠     0勝1敗

二塁打 (南)国久、安井
三塁打 (南)国久
本塁打 (南)松本 1号

猛打賞 (南)国久松一 1、松本光三郎 1 (黒)玉腰忠義 1

勝利打点 松本光三郎 1

ファインプレー賞 (黒)山田潔 1 (南)鬼頭数雄 1


松本光三郎、開幕満塁ホームラン

 昭和16年ペナントレースが開幕しました。なお、今年度から猛打賞を加えました。


 南海は京都商業から入団した期待のルーキー神田武夫を開幕投手に大抜擢、黒鷲はエース亀田忠を開幕投手に指名した。午後1時3分、倉信雄主審の右手が上がりプレイボール。

 南海は2回、法大から入団したルーキー村上一治が四球で出塁、日大から入団したルーキー安井健太郎の投ゴロをピッチャー亀田忠が二塁に悪送球して無死一二塁、翼から移籍してきた柳鶴震が四球を選んで無死満塁、昭和11年の阪急時代以来の出場となる松本光三郎がワンボールからの第2球をレフトスタンドに叩き込む満塁ホームラン、4-0とする。神田は二ゴロに倒れるが、トップに返り国久松一が左中間に三塁打、黒鷲はここで先発の亀田から中河美芳にスイッチ、岡村俊昭は三振に倒れるが、岩本義行が打撃妨害で出塁して二死一三塁、ライオンから移籍してきた鬼頭数雄が左前にタイムリーを放って5-0、村上が左前にプロ入り初ヒットとなるタイムリーを放って6-0として試合の主導権を握る。

 黒鷲は5回、一死後山田潔が四球で出塁、トップに返り玉腰忠義が中前打、寺内一隆の捕邪飛で二走山田と一走玉腰はタッチアップから進塁して二死二三塁、兵役から帰還復帰してきた小島利男が左前に2点タイムリーを放って2-6と追い上げる。

 南海は6回、一死後国久が左越えに二塁打、岡村に代わる代打木村勉の右飛で国久はタッチアップから三進、岩本義行が左前にタイムリーを放って7-2と突き放す。

 黒鷲は7回、先頭の清家忠太郎が四球で出塁、山田の二ゴロの間に清家は二進、トップに返り玉腰が四球を選んで一死一二塁、南海ベンチはここで神田に代えて阪急から移籍してきた石田光彦をリリーフに送る。谷義夫に代わる代打長谷川重一の右前打で一死満塁、小島の左犠飛で3-7とする。

 南海は8回、先頭の松本が中前打、石田の投ゴロの間に松本は二進、トップに返り国久の左前打で一死一三塁、木村の遊ゴロ併殺崩れの間に松本が還って8-3とする。

 南海は9回、一死後安井がプロ入り初ヒットとなる右翼線二塁打、柳は投ゴロに倒れるが、松本のピッチャー強襲ヒットで安井が還り9-3と突き放す。

 黒鷲は9回裏、清家に代わる代打竹内功が四球で出塁し捕逸で二進、山田に代わる宗宮房之助の遊ゴロをショート柳がお手玉して無死一三塁、トップに返り玉腰の右前タイムリーで4-9、玉腰が二盗を決めて長谷川四球で無死満塁、小島の右犠飛で5-9、二走玉腰もタッチアップから三進して一死一三塁、サム高橋吉雄の遊飛で一走長谷川が飛び出しショート柳が一塁に送球するが、これが悪送球となる間に三走玉腰が還って6-9、しかし中河は投ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 昭和15年12月23日付け読売新聞は松本光三郎が阪急から移籍と伝えている。松本は昭和11年に阪急で8試合に出場して南海でプロに復帰してきた。兵役から帰還してきたのか否かは不明ですが多分そうでしょう。いきなり満塁ホームランを含む4打数3安打5打点を記録したが、不思議なことに松本のプロでの通算ホームランはこの1本だけで、通算打点も5に終わる。


 京都商業から鳴り物入りで入団した神田武夫は6回3分の1を5安打4四球1三振3失点、バックの援護と石田光彦のリリーフを仰いだがプロ入り初勝利を記録する。


 戦地から帰還復帰してきた小島利男が4打点を記録、犠飛が2本あった。今季から犠飛は記録されなくなりますが当ブログではスコアカードの記載から犠飛と認定できるケースでは「犠飛」としてお伝えします。公式記録では「凡打」として記録されています。





                 *プロ入り初登板初勝利を飾った神田武夫。







*大量の応召及び退社により大幅にメンバーが入れ替わった南海の開幕オーダー。スタメンで前年からの在籍者は国久松一、岡村俊昭、岩本義行の3人だけである。













*黒鷲の開幕オーダー。戦地から帰還復帰してきた小島利男が三番に座り4打点を記録した。












 

2013年8月16日金曜日

選抜軍vs次点軍



 この稿を読む前に本日アップした「15年 ベストナイン」とそのコメント欄を必ずお読みください。


 選抜軍である紅軍のオーダーは(四)苅田久徳、(八)フランク山田伝、(七)鬼頭数雄、(三)川上哲治、(九)中島治康、(五)水原茂、(六)上田藤夫、(二)服部受弘、(一)須田博。カイザー田中義雄が欠場した理由は不明です。


 次点軍である白軍のオーダーは(九)桝嘉一、(五)黒田健吾、(四)千葉茂、(七)黒澤俊夫、(八)ジミー堀尾文人、(二)吉原正喜、(三)中河美芳、(一)野口二郎、(六)白石敏男です。空席だったレフトには黒澤俊夫が入って四番でした。


 選抜軍はスタメンの九人で最後まで戦いますが、次点軍は桝嘉一に代打亀田忠が起用されてその後に小林茂太が入り、黒澤俊夫の後には岩本義行が入り、白石敏男の後には皆川定之が出場しています。次点に選出された伊賀上良平は既に応召していますので出場は不可能でした。正式に次点に選ばれている松木謙治郎も出場していません。


 午後1時から行われた表彰式の後、午後1時20分、球審・池田豊、塁審・島秀之助、倉信雄の三氏審判でプレイボール。


 紅軍は初回、一死後山田の遊ゴロをショート白石がエラー、鬼頭数雄の一ゴロをファースト中河が二塁に悪送球して山田は三塁に進み、中島の打席で捕逸があり山田が還って1点を先制、中島も左前にタイムリーを放って2-0とする。

 白軍は2回と4回のピンチを併殺で切り抜けて流れを引き寄せ、7回二死後、吉原が左翼スタンドにホームランを叩き込んで1-2とする。

 白軍は9回、黒田が二塁打、千葉の一塁内野安打で一三塁、堀尾の三ゴロをサード水原が二塁に送球して一走千葉は二封、三走黒田は当然ホームに向かい、セカンド苅田は一塁転送は間に合わずと見てホームに送球するが黒田が服部のタッチをかいくぐりホームイン、2-2の同点に追い付く。


 白軍は延長11回、一死後堀尾が左中間スタンドに大ホームランを叩き込んで3-2で勝利する。



 この試合は公式戦ではありませんが、吉原正喜がスタルヒンからホームランを放ったのはこの試合だけでしょう。


 

 本稿は昭和15年12月16日付け読売新聞の記事を参照させていただいております。









 

15年 講評



 二位阪神を10.5ゲーム引き離して優勝した巨人はスタルヒン→須田博が38勝12敗、中尾輝三が26勝11敗、マラリアの再発により終盤戦を棒に振った澤村栄治が7勝1敗。鬼頭数雄と激しく首位打者の座を争った川上哲治が弾丸ライナーを炸裂させた。レギュラークラスの応召がなかったことが最大の勝因であった。来季もレギュラークラスは戦地に赴かないので優勝するでしょう。


 阪神は三輪八郎(16勝5敗)と木下勇(17勝11敗)の奮闘で阪急との二位争いを制した。満州リーグでは森国五郎が4個の勝利打点を記録した。終盤出てきた藤村隆男は7勝中6試合が完封勝利であった。序盤戦に岡田宗芳が応召、終盤戦で伊賀上良平も応召し、第一期黄金時代のメンバーで残る野手は松木謙治郎だけとなった。来季は更に苦しくなるでしょう。


 阪急は森弘太郎が28勝13敗、コントロールの良さでは当代随一です。12勝7敗の浅野勝三郎は秋季リーグでは一時首位打者でもあり、“二刀流”の活躍であった。ファーストに山下実と新富卯三郎がいるので森田定雄の出番は少ないが、110打数34安打、打率3割9厘をマークした。


 翼は野口二郎が33勝11敗であったが肩を痛めて本来のピッチングではなかった。柳鶴震は75失策で現在まで残る歴代最多失策記録を樹立したが、併せて強打ぶりも発揮した。来季は金鯱と合併して大洋となる。


 名古屋は小西得郎監督の手腕が冴えて春季シリーズでは優勝目前までいった。西沢道夫が20勝9敗、村松幸雄が21勝13敗を記録、13勝13敗の松尾幸造にも20勝する力はある。


 黒鷲は亀田忠が26勝23敗であったが中河美芳が7勝15敗と不振だったのが響いた。来季は岡田福吉、岩垣二郎の一二番コンビが応召するので苦しい展開が予想される。


 金鯱は後半打線が活発であった。18勝29敗の中山正嘉は8セーブを記録してセーブ王に輝いた。濃人渉は満州リーグで首位打者となり8月の月間MVPを獲得した。森田実は第21節殊勲賞、第23節週間MVP、第25節殊勲賞と終盤戦で大活躍し、鈴木惣太郎がその進境ぶりを絶賛している。


 南海は大量の応召で予想通り苦戦した。清水秀雄の投打にわたる奮闘も空しかった。清水秀雄が歴代最高の“二刀流”であることは当ブログの実況中継が証明しています。6月4日のジャイアンツ戦で澤村栄治からプロ入り初ヒットを放った木村勉はこれをきっかけにレギュラーポジションを掴み、戦後も松竹水爆打線に名前を連ねるなど通算1,118安打を記録することとなる。来季は更に大量の応召となり巨人とは対照的に軍部に狙い打ちされることとなる。


 ライオンは鬼頭数雄が川上との争いを制して首位打者に輝いた。その陰に勝負処で川上を封じた近藤久の奮闘があったことは当ブログが発掘した歴史的事実であった。来季は満州日日新聞の吉田要記者がその素質を絶賛する福士勇の活躍が期待される。「ライオン」は日本語であるとしてオーナーの田村駒治郎は最後まで粘ったが、軍部の圧力には抗しきれず来季は球団名を「朝日」に変更する。



 昭和15年最大の話題は満州遠征でした。満州遠征は快挙であったのか、愚挙に過ぎなかったのか。昭和15年12月11日付け都新聞に大和球士が「満州遠征行の功罪論」の見出しで論評している。「遠く満州の野に転戦した事は充分賞賛に値する・・・処が折角の快挙に惜しい瑕があった、何故か、携行したボールが超粗雑品であったのだ・・・諸君は慶大の大投手浜崎真二の名前を忘れはしまい、その浜崎君がプロ野球の来満を喜んで、前売り切符を求め某都市へ一週乃至十日間の泊りがけで現れたそうだ・・・浜崎君は一日見ただけでプイと任地に戻ってしまった。・・・帰り際に漏らした言葉は『あれがプロ野球か』であったそうだ。恐らく浜崎君の持った感想は満州愛球家を代表しているものであろう。」


 都新聞では昭和15年の記事に「職業野球」ではなく「プロ野球」を使っています。







 

千葉vs兵庫



 兵庫県神戸市生まれで千葉県市川市育ちの筆者としてはどっちを応援するべきか最も悩まされる対戦となりました。まぁどっちが勝っても喜べるというメリットもありますが(笑)。


 木更津総合は初回にエース千葉が肩の不調で降板するアクシデントがありましたが、二番手の笈川 は千葉の肩の状態を見抜いており準備を怠っていませんでした。序盤のリードを守り切ったチェンジアップは腕の振りが良かったことから効果的でした。


 甲子園史上、千葉vs兵庫の対決は本日が17回目となります。初対決は1952年夏の準決勝、芦屋が成田を3対0で破りました。大会屈指の投手と言われた植村義信(後に毎日、大毎、ピッチングコーチ歴は約30年に及ぶ)、本屋敷錦吾(立教大学時代は長嶋、杉浦と“立教三羽ガラス”、後に阪急、阪神)を擁する芦屋高校はこの大会を制覇することとなります。この試合では二番セカンドの本屋敷にスクイズを決められました。


 69年春2回戦では銚子商業が三田学園に2対14で大敗しますが、70年春1回戦で千葉商業が滝川を14対3で降して雪辱します。72年夏1回戦は2年生の掛布が四番ショートで出場した習志野が東洋大姫路に3対5で敗れます。掛布も1打点を記録しましたが初回に東洋大姫路の六番山川捕手に満塁ホームランを打たれました。習志野のエース佐藤が外に外すつもりのカーブが中に入ったところを狙い打たれたものです。


 73年春1回戦は千葉vs兵庫の対決史上最も印象に残る試合です。銚子商業が報徳学園に0対16とコテンパンにやられました。2年生の土屋が3年生エースの飯田をリリーフしましたが二人とも打ち込まれました。銚子に帰ったナインには罵声が浴びせられました。しかし、この悔しさをバネに、日本一厳しいと言われた伝統の猛練習で、夏の大会ではエースに成長した土屋の力投で作新学院の江川を破る大金星をあげ、翌年の全国制覇につながります。


 千葉県代表にとっては東洋大姫路が天敵となりました。72年夏以降も、76年春の習志野、77年夏の千葉商業、86年夏の拓大紅陵が東洋大姫路に敗れています。銚子商業(74年夏優勝)と習志野(75年夏優勝)の全盛期であった70年代は東洋大姫路(77年夏優勝)と報徳学園(74年春・81年夏優勝)の全盛期でもありました。80年春1回戦で八千代松陰が2対3で尼崎北に敗れたのも印象に残りますね。


 2000年夏の準決勝は東海大浦安が10対7で育英を破りました。6回を終って9対0で東海大浦安がリードしていましたが、育英が7回に4点、8回に3点をあげる猛反撃を見せます。背番号4の東海大浦安のピッチャー浜名翔はフォークの連投で握力がなくなり限界に来ていました。8回から怪我のエース井上がリリーフに出ましたが1安打2四球で降板、浜名が再登板して何とか逃げ切りました。


 2006年春2回戦では成田が0対2で神港学園に敗れました。評判の好投手だった唐川はロッテではエースになり切れず伸び悩んでいます。


 70年代以前は兵庫が7勝2敗で千葉を圧倒しますが、80年代以降は本日の対戦を含めて4勝4敗の互角、通算成績は11勝6敗で兵庫がリードしています。





 

15年 ベストナイン



 最高殊勲選手と共に、「各位置の最優秀選手」が発表された。

 「Wikipedia」によるとベストナインは1940年に初めて選出が行われ、戦前ではこの年だけとなる。次点は当時の新聞記事を調べないとネットでは分からないでしょうね。


 投手   須田博
 捕手   カイザー田中義雄
 一塁手 川上哲治
 二塁手 苅田久徳
 三塁手 水原茂
 遊撃手 上田藤夫
 左翼手 鬼頭数雄
 中堅手 フランク山田伝
 右翼手 中島治康



 次点は

 投手   野口二郎
 捕手   吉原正喜
 一塁手 中河美芳 松木謙治郎
 二塁手 本堂保次
 三塁手 伊賀上良平
 遊撃手 白石敏男
 左翼手 
 中堅手 ジミー堀尾文人
 右翼手 桝嘉一



 左翼手は鬼頭数雄が満票だったため次点はなしとされた。一塁手の次点は中河と松木の得票が同点で二人が選出されている。


 12月12日付け読売新聞に掲載された鈴木惣太郎による「日本野球総評」ではショートは白石敏男を選んでおり、上田藤夫は「巧いには相違ないが意気が足らず」と論評している。最も大きな違いは中堅手で、鈴木惣太郎は森田実を選んでいる。「金鯱の中堅森田に対しては相当の異論があると思う」とした上で、「森田近来の進歩は洵に目覚ましく断然頭角を現してきている」と書いている。


 当ブログが選出している「週間MVP」でも、森田実は第21節(10月6日~11日)は殊勲賞、第23節(11月1日~5日)は週間MVP、第25節(11月13日~30日)は殊勲賞を獲得しており、「森田近来の進歩」を裏付けている。と言うより、当ブログが選出する「週間MVP」の客観性が、鈴木惣太郎の論評により裏付けられていると言うべきでしょうか。