2011年12月10日土曜日

14年 ライオンvsイーグルス 6回戦


7月15日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 1 0 0 0 1 4 ライオン     18勝23敗4分 0.439 福士勇 菊矢吉男
0 1 0 1 1 0 0 0 0 3 イーグルス 15勝30敗1分 0.333 亀田忠


勝利投手 菊矢吉男 11勝10敗
敗戦投手 亀田忠       6勝11敗


三塁打 (ラ)井筒、玉腰、坪内
本塁打 (イ)亀田 2号

ライオン、三塁打3本


 ライオンは2回、一死後六番西端利郎が四球で歩くと二盗に成功、山本尚敏は三振に倒れるが八番井筒研一が右中間に三塁打を放って1点を先制、九番福士勇が左翼線にタイムリーを放って2-0とする。

 イーグルスは2回裏、高須清が四球を選んで出塁、中河美芳は二塁に内野安打、杉田屋守が三遊間を破り無死満塁、漆原進の遊ゴロが「6-4-3」と渡るダブルプレーとなる間に三走高須が生還して1-2とする。

 イーグルスは4回、一死後高須が四球を選んで出塁、中河が左前打で続いて一死一二塁、辻信夫の二ゴロは「4-6-3」と転送されるがショート山本からの一塁送球が悪送球となる間に高須が生還して2-2とする。

 ライオンは5回、先頭の坪内が中越えに三塁打、玉腰年男の二ゴロで坪内はホームに突っ込む。タイミングはアウトであったがセカンド辻のバックホームをキャッチャー清家忠太郎が落球して3-2と勝ち越す。

 イーグルスは5回裏、一死後亀田忠がレフトスタンドに同点ホームランを叩き込んで3-3に追い付く。

 ライオンは9回、一死後坪内がショートに内野安打、玉腰の二ゴロの間に坪内は二進、水谷則一が四球を選んで二死一二塁、鬼頭数雄が右前に決勝タイムリーを放って4-3としてライオンが接戦を制す。


 ライオンは10安打で長打は三塁打が3本、井筒と坪内の三塁打を得点に絡めた。イーグルスは7安打で長打は亀田のホームランが1本。結局のところ、長打数の差が得点差となったゲームであった。

 ライオンの放った3本の三塁打の内の1本を打った井筒研一は明石中学の出身。ライオン監督の高田勝生は明石中学を10年以上率いて楠本保、中田武雄、山田(浅野)勝三郎を育ててきた関西球界の重鎮であり、その関係でライオン入りしたのでしょう。因みに楠本保は澤村栄治以上と言われた中等球界の剛球投手、中田武雄は中京商業との延長25回を楠本に代わって投げ抜いた左腕、浅野勝三郎はその試合ではセンターを守っており現在阪急で活躍しています。楠本と中田は共に慶應義塾大学にに進み神宮で活躍した後、共に戦死しており戦没日は一日違いだったと言われている。


 翌日の読売新聞には「打者としての杉田屋の存在は頗る異彩を放っている。永いバットの半ばを握って身を挺して打ち気に出ていく所が彼の特徴で・・・この日2回高須の四球、中河の二塁左安打に続いて起った彼はラ軍がバントに備えた裏をかいて遊撃左を抜き・・・」と記述されている。杉田屋守の打撃を伝える貴重な証言です。横浜大洋にやって来たフェリックス・ミヤーンのようなタイプのようですね。因みに杉田屋は早稲田大学卒業後、広島鉄道管理局でプレイングマネージャーをやっていた時に現・ジャイアンツの平山菊二を内野手から外野手にコンバートさせている。平山が後年「塀際の魔術師」と言われる外野守備の名手になる事はご存じの通り。その平山の外野手としての素質を見抜いたのが杉田屋守であった訳です。





       *昭和9年、ベーブ・ルースと対戦した全日本時の杉田屋守のサイン。




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