2011年12月26日月曜日

14年 金鯱vsイーグルス 7回戦


8月3日 (木) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
1 0 0 0 0 0 0 0  0  1 金鯱           19勝33敗1分 0.365 古谷倉之助
0 0 0 0 0 1 0 0 1X 2 イーグルス 16勝32敗1分 0.333 亀田忠


勝利投手 亀田忠        7勝12敗
敗戦投手 古谷倉之助 4勝11敗


二塁打 (イ)木下、太田、寺内


亀田忠、無安打ピッチング


 金鯱は初回、先頭の五味芳夫が四球を選んで出塁、濃人渉が三前に送りバントを決めて更にこの送球をファースト中河美芳がエラーする間に五味は三塁に進む。名手中河は1日の南海戦に続き二試合連続で失策を記録した。野村高義が四球を選んで無死満塁、期待の小林利蔵は三振に倒れ、小林茂太も浅い右飛に倒れて二死満塁、古谷倉之助が押出し四球を選んでノーヒットで1点を先制する。

 ランナーを出しながらも変化球でのらりくらりとかわしていく古谷倉之助は5回までイーグルス打線を無得点に抑える。

 イーグルスは6回、一死後太田健一が右中間に二塁打、寺内一隆も右中間を抜いて太田が還り1-1の同点に追い付く。

 亀田忠は2回以降5回まで1四球のみで無安打ピッチングを続ける。6回は先頭の小林利蔵に四球を出して盗塁を決められ古谷、瀬井清も四球で歩かせるが無失点に切り抜ける。7回も五味を歩かせて盗塁を決められ濃人にも四球を与えるが無失点と、四球で走者を出し金鯱の走塁に悩まされながらも無安打ピッチングを続け、9回まで10四球を出しながらヒットを許さない。

 1対1の同点のまま迎えた9回裏のイーグルスの攻撃は先頭の高須清が四球を選んで出塁、中河が投前に送りバントを決めて一死二塁、亀田忠は敬遠で歩かされて一死一二塁、漆原進に代わる代打菅利雄は三振に倒れて二死一二塁、木下政文の一塁後方の飛球をファースト小林利蔵がファンブルする間に二走高須は三塁ベースを蹴ってホームに突進、ホームインとなってイーグルスがサヨナラ勝ちをおさめる。

 古谷倉之助は6安打3四球1三振で完投するが11敗目を喫す。


 亀田忠は無安打10四球4三振1失点、自責点はゼロであった。亀田忠は1940年と41年にノーヒットノーランを達成して通算2回とされているが、アメリカでは無安打に抑えて失点があってもノーヒッターとして記録される。実際、ボブ・フェラーは1940年の開幕戦でノーヒットノーランを達成し、軍隊生活後の1946年に二度目のノーヒットノーランを達成した。この時は軍隊生活で覚えたスライダーを駆使したと言われている。更に1951年にもノーヒッターを達成して生涯3回のノーヒッターを記録したが、この3度目は1失点であった。アメリカ人の亀田忠としてはこの日のノーヒットワンランもノーヒッターとしてカウントしてくれと言っているのではないでしょうか。そうすると通算3回となって澤村栄治、外木場義郎と並ぶこととなる。





               *亀田忠は10四球4三振で無安打ピッチング。








             *亀田忠にノーヒットに抑えられた金鯱打線





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