2011年12月26日月曜日

14年 ライオンvsタイガース 7回戦


8月3日 (木) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 ライオン   18勝28敗4分 0.391 岡本利之
0 0 0 0 2 1 1 0 X 4 タイガース 34勝15敗2分 0.694 西村幸生


勝利投手 西村幸生 10勝5敗
敗戦投手 岡本利之   0勝1敗


二塁打 (タ)皆川、伊賀上
三塁打 (タ)松木


ピッチャー兼キャッチャー


 このところ四連敗と気勢の上がらないライオンは4月11日の金鯱戦でリリーフ登板して2イニングを1安打無失点に抑えて以来のプロ入り二度目の登板となる岡本利之を先発に起用してタイガースにぶつけてきた。なお、翌日の読売新聞には「公式試合に初めてライオンの投手板を守った岡本(利)が一球々々慎重にスピードを抑えて意表を衝く投法をもってタ軍の打棒を凌いだ」と書かれているが、初登板は4月21日の金鯱戦8回途中からのリリーフです。

 初顔合わせとなる岡本利之に4回まで毎回1安打ずつを放ちながら無得点に抑えられてきたタイガースは5回、一死後富松信彦が四球を選んで出塁、本堂保次の三ゴロの間に富松は二進、松木謙治郎が右中間に三塁打を放って1点を先制、景浦将が左前にタイムリーで続いて2-0とする。三巡目にしてようやく岡本を捉えた。

 タイガースは6回、先頭の広田修三が四球を選んで出塁、西村幸生の三前バントが内野安打となり伊賀上良平が投前に送りバントを決めて一死二三塁、トップに返り富松が中犠飛を打ち上げて3-0とする。

 タイガースは7回、先頭の松木が右前打、景浦は中飛に倒れジミー堀尾文人の三ゴロでランナーが入れ替わり皆川定之が左翼線に二塁打を放って二死二三塁、広田の遊ゴロをショート松岡甲二が失する間に三走堀尾が還って4-0とする。

 ライオンは9回、一死後岡本利之が本日3本目のヒットを左前に放って出塁、山本尚敏が四球を選んで一死一二塁、井筒研一に代わる代打近藤久が左翼線にタイムリーを放って一矢を報いるが後続無くゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 キャッチャー登録ながら二度目の登板にして初先発となった岡本利之は8回を完投して12安打を許したが3四球4三振4失点、自責点3と及第点の投球であった。打っても4打数3安打とライオンの6安打中3安打を記録して孤軍奮闘であった。

 西村幸生は6安打5四球3三振といつもながらのランナーを出しながらのピッチング、完投で10勝目をあげる。

 皆川定之が3打数3安打二塁打1本の活躍を見せる。皆川は7月28日のライオン6回戦でも3打数3安打を記録しておりライオン戦では6打数連続安打を継続中。


 キャッチャー登録ながら二度目の登板にして初先発となった岡本利之は8回を完投して12安打を許したが3四球4三振4失点、自責点3と及第点の投球であった。打っても4打数3安打とライオンの6安打中3安打を記録して孤軍奮闘であった。岡本利之は戦後母校・米子東高校の監督として山陰球界史上唯一の甲子園準優勝に導くこととなるのは既報のとおりです。プロでピッチャーとキャッチャーをやった経験が活かされたのでしょう。

 キャッチャーからピッチャーと言えば近年では阪神の久保田智之が有名であり滑川高校時代は甲子園でもマスクとプロテクターをかなぐり捨ててマウンドに上がりましたが、日本野球史では早稲田のキャッチャーだった伊達正男が早慶戦でマウンドに上がり三連投したのが有名です。小川正太郎が胸の病のため投げられなくなったことが原因です。伊達は昭和6年と昭和9年の全日本チームのエースであり、昭和9年にはベーブ・ルースやルー・ゲーリッグ達は無名の澤村栄治ではなく伊達正男をマークしていました。この時は草薙球場での澤村栄治の快投が有名ですが草薙球場は夕刻には外野に太陽が沈む方向に造られていたことから全米チームが打てなかったと言われており、むしろ伊達が好投した二日後の鳴海球場で全日本が6対5で敗れた試合の方が惜しかったと言われています。




*早稲田でキャッチャーをやっていた頃の伊達正男。この逸品は数年前に目白の高級ホテルで有名な一族の先祖のプライベートコレクションがサザビーズに出品された時のものです。英字のサインは伊達の直筆です。昭和初期の東京六大学から全日本vs全米の試合等の極めて貴重な品が大量に出品されて今では世界中に散逸してしまいました。



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