2011年12月13日火曜日

14年 ジャイアンツvsセネタース 6回戦


7月15日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 2 0 0 0 0 1 0 5 ジャイアンツ 33勝13敗1分 0.717 中尾輝三 スタルヒン
0 0 2 1 0 0 0 0 1 4 セネタース   24勝20敗2分 0.545 野口二郎



勝利投手 スタルヒン 21勝7敗
敗戦投手 野口二郎  15勝10敗


二塁打 (ジ)吉原、川上 (セ)織辺
三塁打 (ジ)平山
本塁打 (ジ)中島 3号 (セ)浅岡 1号

ジャイアンツ、接戦を制す


 ジャイアンツは前日のライオン戦で連続エラーを犯した不動の三番打者千葉茂を外してセカンドには井上康弘を起用、中島治康が三番に入り四番には川上哲治が座る。

 ジャイアンツは2回、一死後平山菊二が右中間に三塁打、アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)が左前にタイムリーを放って1点を先制、二死後吉原正喜が右翼線にタイムリー二塁打を放ちリベラを迎え入れて2-0とする。

 ジャイアンツは3回、先頭の白石敏男が死球を受けて出塁、水原茂は二飛、中島は右飛に倒れて二死一塁、四番川上の当りはセンター前にポトリと落ちてセンター尾茂田叶が得意の回転レシーブを見せるが後逸して二塁打となる間に白石が一塁から一気にホームを駆け抜け3-0、平山が左前にタイムリーを放って4-0とリードを広げる。

 セネタースは3回裏、先頭の柳鶴震が四球を選んで出塁、一死後苅田も四球、二死後吉原がパスボールを犯して二死二三塁、尾茂田が右前に2点タイムリーを放って2-4とする。

 セネタースは4回、一死後浅岡三郎がレフトスタンドにホームランを叩き込んで3-4と追い上げる。
 ジャイアンツ先発の中尾輝三はこの日も6回まで4安打5四球と荒れ模様、7回、先頭の織部由三に6個目の四球を与えたところでスタルヒンがリリーフに登場する。ここで吉原が一走織辺を牽制で刺して一死無走者、二死後横沢七郎、尾茂田に連続中前打が出るが期待の四番ピッチャー野口二郎は投ゴロに倒れてセネタースは無得点。

 ジャイアンツは8回、先頭の中島がレフトスタンドに第三号ホームランを叩き込んで5-3とする。

 セネタースは9回、一死後織辺が左翼線に二塁打、二死後横沢が左前にタイムリーを放って4-5とするが尾茂田が二ゴロに倒れて万事休す。

 野口二郎は完投するも12安打を許し1四球7三振5失点であった。前半の失点や終盤に中島治康に許した本塁打など、球は速いがまだルーキーであり、単調なところもあるとの指摘もある。


 中尾をリリーフしたスタルヒンは3イニングを4安打無四球3三振1失点に抑える。中尾はジャイアンツがリードしたままスタルヒンにマウンドを譲っておりスタルヒンもリードを保ったまま終了しているので現行ルールでは中尾に勝利投手が記録されてスタルヒンにはセーブが記録されるところであるが、公式記録ではスタルヒンに勝利投手が記録されている。本日の中尾の出来ではとても勝利投手を記録する訳にはいかないという判断があったのであろうか。戦後になって山内以九士氏による戦前の記録の洗い直しが行われてスタルヒンの42勝が二つ減じられて一時40勝に訂正されたことは有名な事実ですが、5月9日の名古屋4回戦と本日がその二試合のようです。シーズン終了までにまだ見つかるかもしれませんが。

 なお、スタルヒンの記録は昭和36年に稲尾が42勝した際、改めてコミッショナー裁定により記録された当時の記録が尊重されることとなり、正式に42勝と認められて最多勝記録はスタルヒンと稲尾の42勝となっていることはご存じの通りです。但し昭和36年当時、稲尾が年間最多勝記録は40勝と認識していたのも事実であり、スタルヒンと並びと分かっていたらもう1勝上乗せしていたかもしれません。





*現行ルールでは中尾輝三が勝利投手となるが公式記録ではスタルヒンに勝利投手が記録されて21勝目をあげる。




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