2011年12月28日水曜日

14年 南海vsセネタース 7回戦


8月4日 (金) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 0 0 1 0 1  0   0   2 南海          21勝27敗3分 0.438 天川清三郎
0 0 0 0 1 1 0 0 0  0   0   2 セネタース 25勝23敗3分 0.521 金子裕 野口二郎


二塁打 (南)国久
三塁打 (セ)森口

平井猪三郎の2補殺、南海を救う


 南海打線はセネタース先発の金子裕に抑えられて4回までノーヒット。5回、先頭の国久松一が右中間に初ヒットとなる二塁打を放ち岡村俊昭がセカンド前にバントを転がすが苅田が巧く捌いて結果は送りバントとなって一死三塁、しかし栗生信夫は二ゴロ、中田道信は遊ゴロに倒れて得点無し。

 セネタースは初回、先頭の横沢七郎が左前打を放ちすかさず二盗に成功、しかし家村相太郎は三ゴロ、尾茂田叶も三ゴロに倒れてランナーを進めることもできず野口二郎も一ゴロに倒れ、この後は4回までノーヒットに終わる。

 セネタースは5回、先頭の五番苅田久徳が四球を選んで出塁、一死後柳鶴震の右前打で苅田が三塁に進み一死一三塁、金子の一ゴロ併殺崩れの間に苅田が還って1点を先制する。

 セネタースは6回、一死後家村に代わる代打森口次郎が右越えに三塁打、尾茂田の左犠飛で2-0とする。

 南海は7回、先頭の小林悟楼が左前打で出塁、二盗に成功して鶴岡一人の右飛で小林は三塁に進み、四番国久の左翼線タイムリーで1-2とする。

 南海は9回、先頭の平井が四球を選んで出塁、セネタースベンチはここで金子裕をベンチに下げてファーストの野口二郎をマウンドに送り込む。小林が送って一死二塁、次の場面を翌日の読売新聞は「鶴岡は(カウント=筆者注)ツースリー後小さく落ちるドロップを鮮やかに中堅へ叩いて平井を迎え・・・」と伝えている。と言うことで2-2の同点。

 セネタースは9回裏、一死後尾茂田が中前ヒットで出塁、野口二郎の遊ゴロをショート小林が併殺を焦って二塁に悪送球して一死一二塁、ここで苅田が左前にヒットを放ち二走尾茂田はサヨナラを狙い三塁ベースを蹴ってホームに突進するがレフト平井からのバックホームにタッチアウト。続く佐藤武夫は三ゴロに倒れて延長戦に突入する。

 南海は10回表、二死後中田が右前打、天川清三郎が左前打を放って二死一二塁とするが岩出清に代わる代打伊藤経盛が二飛に倒れて得点はならず。

 セネタースは10回裏、先頭の柳が四球を選んで出塁、浅岡三郎は中飛に倒れ、織辺由三の三ゴロをサード鶴岡が珍しくエラーして一死一二塁、トップに返り横沢は捕邪飛に倒れ、森口が四球を選んで二死満塁、しかし尾茂田は中飛に倒れて得点はならず。南海の11回表は1四球のみで無得点。

 セネタースは11回裏、二死後佐藤が左翼にヒットを放ち二塁に向かうがレフト平井からの送球にタッチアウトとなってゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響き引き分く。


 試合はセネタースが押し気味に進めていたが平井猪三郎の2つの補殺がチームを救った。

 天川清三郎は延長11回を完投して6安打4四球1死球2三振と好投を見せた。翌日の読売新聞によるとシュートのコントロールが良かったとのことである。天川は平安中学時代は昭和13年夏の甲子園の優勝投手である。決勝では大島信雄の岐阜商業を破って平安に初優勝をもたらした。因みにその2年前の昭和11年も決勝は平安中学vs岐阜商業であったが岐阜商業が松井栄造、加藤三郎のバッテリーで優勝している。松井は昭和18年に中国戦線にて、加藤は昭和20年に神風特別攻撃隊として共に戦死しているが、生きていれば戦後の日本球界を背負うこととなる逸材であったことを多くの方が語り継いでいる。この年の岐阜商業優勝ナインのうち5人が戦死している。






                 *天川清三郎は延長11回を完投する。







        *平井猪三郎の二つの補殺の場面。9回の「7-2」と11回の「7-4」


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