2011年12月10日土曜日

14年 南海vsセネタース 5回戦


7月14日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 1 0 0 0 0 0 0 2 南海      17勝24敗2分 0.415 平野正太郎
0 0 0 2 0 3 0 1 X 6 セネタース 24勝19敗2分 0.558 金子裕


勝利投手 金子裕        6勝8敗
敗戦投手 平野正太郎 2勝3敗


二塁打 (セ)家村
三塁打 (南)平井 (セ)野口

「元祖・意外性の男」家村相太郎、4打数3安打3打点


 初回に先頭の平井猪三郎が四球で出ながら小林悟楼の二ゴロ併殺でチャンスの芽をつぶした南海は2回、先頭の岡村俊昭が右前打で出塁、中村金次が中前打で続いて無死一二塁、一死後上田良夫の投ゴロで中村が二封されて二死一三塁、平野正太郎が中前にタイムリーを放って1点を先制する。

 南海は3回、先頭の平井が左中間に三塁打、小林は遊ゴロに倒れて一死三塁、鶴岡一人の遊ゴロで三走平井はホームに突っ込むがショート柳鶴震のバックホームにタッチアウト。柳はフィールディングに難がありエラーは多いが肩は国久松一と並んで双壁である。岡村の二ゴロをセカンド苅田久徳が一塁に悪送球する間に鶴岡は三塁に走り二死一三塁、中村が左翼線にタイムリーを放って2-0とする。

 セネタースは4回、先頭の苅田が四球で出塁、横沢七郎が死球を得て無死一二塁、尾茂田叶は三振に倒れるが、野口二郎が左中間に三塁打を放って2-2の同点に追い付く。

 セネタースは6回、先頭の横沢が左前打で出塁、尾茂田の投ゴロは絶好の併殺コースであったがピッチャー平野が併殺を焦って二塁に悪送球する間に一走横沢は三塁に達して無死一三塁、野口二郎の二ゴロで三走横沢がホームに突っ込むとセカンド上田のバックホームが悪送球となって3-2、小島二男に代わる代打佐藤武夫が送って一死二三塁、柳は投ゴロに倒れて二死二三塁、ここで家村相太郎が中前に2点タイムリーを放って5-2と突き放す。

 セネタースは9回、先頭の柳が遊失に生きるとまたも家村が左中間にタイムリー二塁打を放って6-2とする。

 金子裕は8安打1四球2三振の完投で6勝目をあげる。


 「元祖・意外性の男」家村相太郎が4打数3安打3打点、6回のタイムリーが試合を決めた。

 翌日の読売新聞によると4回の野口二郎の左中間三塁打はワンバウンドでオーバーフェンスしたとのことで、以前にも書いた覚えがありますが当時の後楽園球場のグラウンド・ルールではエンタイトルスリーベースだったようです。

 また、南海投手陣は劉瀬章、政野岩夫、平野正太郎と三人ともアンダースローとのことであり、劉と政野はシンカーを持っているが平野には落ちる球が無く、オーバースローからのドロップも投げるがオーバースローからはドロップと決まっているので打者に読まれており、4回の野口二郎の三塁打はそのドロップを狙い打たれたとのことである。

 この日のセネタースは小島二男がプロ入り初の先発マスクを被って五番に起用されたが第三打席で代打を送られた。

 南海の先発マスクは国久松一が被ってフル出場した。南海のキャッチャーはレギュラーの中田道信と控えの吉川義次であるが、何故かこの日は国久がキャッチャーを務めている。今季の96試合で国久が先発マスクを被るのはこの一試合だけとなる。中田と吉川が怪我で欠場したのか、球界一のバカ肩を買われてのキャッチャー起用であったのであろうか。国久は興國商業(現・興國高校)の出身で球界一の強肩の持主。興国高校は1968年、丸山・丸目のバッテリーを擁して第50回記念大会となった夏の甲子園を初出場で制している。準決勝では応援のため国際通りが無人となったと言われる興南旋風を巻き起こした興南高校を破っている。






*「元祖・意外性の男」家村相太郎が4打数3安打3打点の活躍を見せる。








          *金子裕は8安打1四球2三振の完投で6勝目をあげる。



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