2011年12月29日木曜日

14年 金鯱vs名古屋 7回戦


8月5日 (土) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 7 0 0 0 0 0 0 1 8 金鯱     20勝33敗1分 0.377 中山正嘉
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 16勝32敗3分 0.333 松尾幸造 西沢道夫


勝利投手 中山正嘉 14勝10敗
敗戦投手 松尾幸造   3勝7敗


二塁打 (金)武笠 (名)三浦

中山正嘉、三試合連続完封で8連勝


 金鯱は2回、先頭の小林茂太が四球を選んで出塁、中山正嘉の投前送りバントをピッチャー松尾幸造がエラー、瀬井清の三ゴロで中山は二封されて一死一三塁、続く長島進はスコアブックの記録では一塁への内野安打であるが翌日の読売新聞によると「長島が突如敢行した奇襲のスクイズは完全に名軍松尾と背後守備を動揺せしめその・・心理的効果は大きかった」とのことである。と言うことで1点を先制、佐々木常助が四球を選んで一死満塁、トップに返り五味芳夫の左前タイムリーで2-0、濃人渉が押出し四球を選んで3-0、野村高義の二ゴロをセカンド中村三郎がファンブル、更にホームに悪送球するダブルエラーを犯して三走佐々木に続いて二走五味も還って5-0としてなお一死二三塁、戦地から戻って来て以降神懸り的な勝負強さを見せている小林利蔵が中前に2点タイムリーを放って7-0とする。

 こうなると金鯱先発の中山正嘉は二試合連続完封と絶好調なだけに試合は決まったも同然。金鯱は9回に小林利蔵四球、武笠茂男が左中間二塁打、瀬井清の左犠飛で1点追加してダメのダメを押す。

 名古屋は7月14日以降の7試合のうち負けた5試合が全て完封負けと極度の打撃不振に陥っている。松尾幸造の乱調はさしおいて二番手の西沢道夫が7回を6安打4四球2三振1失点と使える目途が立ってきたのは収穫か。

 中山正嘉は2回に三浦敏一に中越えの二塁打、9回に加藤正二に右前打を許したのみ、2安打3四球1三振で三試合連続完封、8連勝で14勝目をあげ、ハーラー二位の野口二郎に2勝差まで迫る。中山はこれで29回3分の2連続無失点を継続中、自責点ゼロは36イニングス継続中である。


 中山正嘉は昭和10年第21回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)に優勝した松山商業のエースですが、甲子園優勝投手はピッチャーとしてはプロでは大成しないケースが圧倒的に多い中で例外的な成功事例です。

 これまで当ブログに登場した甲子園優勝投手は宮武三郎(高松商業、大正14年、第11回夏の甲子園)、水原茂(高松商業、昭和2年第13回夏)、中島治康(松本商業、昭和3年第14回夏)、岸本正治(第一神港商業、昭和5年第7回選抜中等学校野球大会(センバツ))、藤村富美男(呉港中学、昭和9年第20回夏)、中山正嘉、野口二郎(中京商業、昭和12年第23回夏、及び、昭和13年第15回センバツ)、天川清三郎(平安中学、昭和13年第24回夏)の8人です。宮武は慶應義塾大学では投手として通算38勝(現在においても慶應義塾大学野球部史上通算最多勝記録)をあげ、打者としても通算本塁打7本(長嶋茂雄に抜かれるまでの新記録)を記録し、阪急入団後は投手としてプレートも踏みましたが主に打者として活躍したことはお伝えしてきたとおりです。水原もマウンドに立ちましたがサードに定着しています。中島は早稲田大学時代から外野手に転向しています。岸本も慶應義塾大学時代に野手に転向、藤村はマウンドにも立ちましたが野手として成功しています。野口二郎は投手として大成功しますが野手との掛け持ちです。したがって純粋に投手としてプロでやって行くのは中山正嘉と天川清三郎だけで、天川は昨日のセネタース戦では延長11回を完投して2対2の引分けに持ち込んでいますが成功したと言える成績は残していません。





            *2安打完封の中山正嘉は三試合連続完封で8連勝を飾る。



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