2010年8月14日土曜日

北井正雄死去

 阪急のエースとして活躍した北井正雄投手は8月7日午前1時20分、入院先の西宮市谷向病院で死去した。この日は1913年8月7日生まれの北井にとって24回目の誕生日となるはずの日であった。

 北井は元々胸に病を抱えていたようです。関西大学卒業後、台湾総督府に就職して野球から足を洗うつもりでいましたが阪急軍に入団しエースとなりました。
 当ブログは昭和12年からの公式戦をお伝えしていますので、昭和11年の北井投手については文献等の資料に頼るしかなく、他に詳しい方も多いと思います。昭和12年春季リーグ戦ではすでにほとんど投げられない状態であったことはこれまでお伝えしてきたとおりです。そんな中で6月12日の対名古屋5回戦では3安打4四球8三振1失点で奇跡的な完投勝利を収めました(2010年6月27日付けブログ参照)。

 その後も主に外野手として出場し続けます。6月15日から7月8日まで(6月24日の対金鯱6回戦のみ5回まで投げて6回からレフト)、15試合に出場して60打数20安打、4得点7打点、二塁打1本、6四球2犠打5三振6盗塁、打率3割3分3厘、出塁率3割9分4厘、長打率3割5分、OPS0.744を記録しました。
 この間先発出場した14試合において三番を3試合、四番を3試合、五番を7試合(6月24日の先発登板日を含む)、六番を1試合務めています(6月15日の対大東京7回戦は4回途中から堀尾に代わりレフトに入る。)。なお、「真説 日本野球史」には最後の試合(7月8日)は七番と書かれているようですが(私が読んでいるのは第1刷、その後訂正されている可能性があります。)、7月8日の対金鯱8回戦は六番レフトで先発出場しています。

 北井投手を伝える「忘れられた名投手 北井正雄と野球のぼせモンたち」によると死因は「肺血腫に腸チフスを併発」となっています。

 最後に、「野球界」昭和12年10月号の「職業野球噂聞書 プロ野球ひろいばなし」に書かれている記事をご紹介します。原文のまま(一部現代表記に変えています)お伝えしますので不適切な表現が含まれている可能性がありますのでご注意ください。また、真実であるかどうかは確認しようもありませんのでご注意ください。
 「北井君死亡の原因 ・・・春のシーズン終り頃から腸チブスにかかって加療を加えていたが遂に起たず、都市対抗酣(たけな=筆者注)はの八月初日帰らぬ旅に立ってしまった。
 『北井君死亡』は当然阪急の選手のところへとんだ。・・・(中略)・・・北井君が或る日の或る時、のどがかわいて堪らなかったので、あんまり行ったこともないビヤーホールに入って、生ビールを一ぱい飲んだ。ところがその生ビールがどうも日の経った・・・・らしく、その翌日から北井君の腸チブスがはじまったのである。・・・」

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