9月5日 (日) 洲崎
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 1勝3敗1分 0.250 木下博喜-田中実-西沢道夫
1 1 0 3 0 5 0 0 X 10 金鯱 3勝2敗 0.600 中山正嘉
勝利投手 中山正嘉 1勝0敗
敗戦投手 木下博喜 0勝1敗
本塁打 (金)瀬井 1号・2号
瀬井清、1試合2本塁打
金鯱は初回、二死後三番矢野槇雄が四球で出塁、小林利蔵の三ゴロをサード倉本信護が失して二死一三塁、ピッチャー木下博喜のワイルドピッチにより1点を先制。金鯱は2回、二死後瀬井清が左翼スタンドにホームランを放ち2-0。
名古屋は3回まで金鯱先発の中山正嘉に無安打に抑えられる。名古屋は4回、一死後高木茂が四球で出塁して二盗を試みるが相原輝夫の強肩に刺されて二死無走者。この直後、桝嘉一内野安打、大沢清相変わらずの右前打と連打が出るが白木一二は中飛に倒れる。
金鯱は4回、この回先頭の黒澤俊夫四球、小林茂太遊失、瀬井四球で一死満塁。相原の二ゴロをセカンド石丸藤吉が失する間に二者が還り4-0として瀬井も三塁に進む。中山正嘉の遊ゴロで瀬井が還って5-0。更に6回、先頭の島秀之助が左前打で出塁、江口の投前バントをピッチャー田中実はセカンドに送球するがこれを再び石丸がエラー、矢野の捕前バントはキャッチャー三浦敏一からサード大沢清に渡って島がフォースアウト、小林利の中前タイムリーで6-0。黒澤が送って小林茂太四球で二死満塁、ここで瀬井清が左翼スタンドに満塁ホームランを叩き込んで10-0とする。
中山正嘉は6回以降名古屋打線を2安打無得点に抑えて結局4安打4四球3三振で完封勝利。
瀬井清が第一打席と第四打席にホームランを放つ。第二、三打席は四球を選んでおり二打数連続ホームランでもあった。恐らくプロ野球史上(初のプロ野球試合は大正12年6月21日に京城で行われた「日本運動協会」vs「天勝野球団」の試合である。後に読売新聞及び巨人軍により、初のプロ野球試合は昭和11年2月9日に鳴海球場で行われた金鯱vsジャイアンツの試合であると歴史が捏造された。)初のマルチホームランではないか。
名古屋では1921年9月1日生まれの西沢道夫が16歳と4日で7回から登板してデビューを飾り、2イニングを投げて3つの四球を与えるが無安打に抑える。西沢は養成選手から本年8月25日に選手登録された。
*写真は公式記録としては日本初のプロ野球試合とされる昭和11年2月9日に鳴海球場で行われた金鯱vsジャイアンツ戦のパンフレット
プロ野球史上初の1試合2本塁打はこの日の瀬井清です。
返信削除面白い事に洲崎球場で2本塁打放ったのは、この瀬井が最初で最後なんですよ。
あとの記録はほとんど後楽園球場で達成されています。戦前から後楽園は本塁打量産で有名な狭い球場だったのですね。
※パンフレットは選手の顔写真やプロフィールまでついていて豪華ですね。とても貴重なものではないでしょうか。
昭和11年の本塁打王が2本なので多分初のマルチホームランではないかと思いましたが、ご教示いただきありがとうございます。洲崎は海からの風がバッターには逆風となりますのでホームランがでにくかったのかもしれません。
返信削除9月12日から後楽園が始まりますのでホームランが多くなりそうです。