2012年12月27日木曜日

15年 金鯱vs南海 7回戦


7月16日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 1 0 0 1 0 0 0  0   0  2 金鯱 13勝36敗7分 0.265 内藤幸三 古谷倉之助
0 0 0 2 0 0 0 0 0  0   0  2 南海 16勝35敗3分 0.314 政野岩夫

二塁打 (金)柴田2
三塁打 (南)木村2

勝利打点 なし


二塁打伝説

 金鯱は3回、先頭の内藤幸三が中前打、柴田多摩男が左翼線に二塁打を放って無死二三塁、トップに返り五味芳夫の中犠飛で1点を先制する。

 南海は4回、先頭の岩出清が四球を選んで出塁、藤戸逸郎が送って一死二塁、清水秀雄は三振に倒れるが、吉川義次が左翼線に二塁打を放って1-1の同点、木村勉が左中間に三塁打を放って2-1と逆転する。

 金鯱は5回から先発の内藤幸三に代えて古谷倉之助をマウンドに送る。古谷はこのところ怪我で休んでおり7月4日以来の登板となる。

 金鯱は6回、一死後黒澤俊夫が中前打、森田実が右前打を放って一死一三塁、竹林実に代わる代打荒川正嘉の三ゴロをサード藤戸が一塁に悪送球する間に三走黒田が還って2-2の同点に追い付く。

 金鯱は7回、一死後柴田がこの日2本目の二塁打を左中間に放つが五味は中飛、佐々木常助は四球を選ぶが濃人渉は右飛に倒れて無得点。

 南海は7回裏、先頭の木村の当りはセンター佐々木の頭上を越える。木村は駿足を飛ばして三塁ベースを蹴って勝負を賭けるが「8-9-1-2」と中継されてタッチアウト。記録は三塁打となった。翌日の読売新聞によるとホームに突っ込ませた三塁コーチャー国久松一の判断が悪かったとしているが、金鯱の中継プレーを見るとライトの森田実がセンターの中継に入っているので佐々木常助は肩は強くないのか故障している可能性があり、あながち暴走とも言えない。若い木村としてはこのくらいの走塁をやる方が将来楽しみである。

 7回の両軍の若手が放った長打を生かせず、結局延長11回2対2で引き分ける。


 2本の三塁打を放った木村勉はこのところ活躍が目立っており当ブログの常連さんにはもうお馴染みでしょう。木村は戦後昭和33年までプロで活躍し、松竹時代は水爆打線の一番打者としてセ・リーグ初年度制覇に貢献することとなります。昭和25年の松竹ロビンスでは一番スタメンは137試合のうち、金山次郎が69試合、木村勉が65試合、三村勲が3試合となっています。前半戦は木村勉、後半戦は金山次郎が一番を打っています。歴史的には水爆打線の一二番と言えば金山-三村のコンビが有名ではありますが。


 2本の二塁打を放った柴田多摩男は今季の通算安打数は11本に終わりますが二塁打5本、本塁打1本という隠れた強打者です。柴田は長崎・海星中学(現・長崎・海星高校)の出身。海星高校は長崎と三重にもあって両校とも甲子園に出てきますので、両校とも校名には長崎と三重は付きませんが通常は長崎・海星、三重・海星と呼んで区別しているのは高校野球ファンであればご存じでしょう。


 当ブログで活躍した長崎・海星中学出身では阪急の荒木政公がいます。荒木はプロ在籍は昭和14年だけで9勝2敗の好成績を残して兵役に就き戦死することとなります。戦後ではロッテと阪神で活躍した池辺巌、阪神のショート平田勝男、ロッテの堀幸一がいますが、何と言っても“サッシー”こと酒井圭一が有名です。私が見た高校野球投手で江川より速いと感じたのは酒井だけでした。ヤクルトでは結局通算6勝12敗で終わりましたが主に中継ぎとして14年間現役を務めました。ドラフト一位で中継ぎでは契約金とは見合いませんが。

 池辺は昭和42年に27本でこの年のパ・リーグ最多二塁打を記録、平田はバッティングは守備に比べて弱かった印象がありますが通算633安打のうち二塁打はジャスト100本、堀は通算1,827安打のうち二塁打は351本という二塁打打ちの名手。長崎・海星高校出身者の“二塁打伝説”のルーツこそが柴田多摩男だった訳です。









     *柴田多摩男が2本の二塁打を放った金鯱打線。














     *木村勉が2本の三塁打を放った南海打線。













 

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