2012年12月29日土曜日

訂正のお知らせ


 2012年10月30日付けブログ「15年 南海vs名古屋 6回戦」で、「南海は天川清三郎、名古屋は河村章の両左腕対決」と書いておりましたが、天川清三郎は左腕ではなく右投手です。お詫びして訂正させていただきます。本文は訂正済みです。


 原因は、私が「天川清三郎は左投手」と誤認していたことにあります。左腕の常川助三郎と混同して脳みそにインプットされていたのではないかと考えられます。他の天川清三郎に関する記述も確認しましたが誤記載は見つかりませんでした。しかしながら、私が天川を左投手と誤認していたのは事実なので、どこかに誤記載が残っている可能性があります。



 天川清三郎は昭和13年夏の甲子園優勝投手です。これまで当ブログに登場した甲子園優勝投手は宮武三郎(高松商業、大正14年、第11回夏の甲子園)、水原茂(高松商業、昭和2年第13回夏)、中島治康(松本商業、昭和3年第14回夏)、岸本正治(第一神港商業、昭和5年第7回センバツ)、藤村富美男(呉港中学、昭和9年第20回夏)、中山正嘉(松山商業、昭和10年第21回夏)、村松長太郎(浪華商業、昭和12年第14回センバツ)野口二郎(中京商業、昭和12年第23回夏、及び、昭和13年第15回センバツ)、天川清三郎(平安中学、昭和13年第24回夏)の9人となります。


 昭和13年夏の甲子園でそれまで3回準優勝の平安中学が初優勝を達成します。決勝の岐阜商業戦は8回まで平安・天川清三郎と岐阜商業・大島信雄の投げ合いで0対0のまま進み、9回表に岐阜商業が1点を先制しますが、9回裏に平安が2点を取って逆転サヨナラ勝ちします。この時サヨナラのホームを踏んだのが天川清三郎でした。この試合の模様は大和球士著「真説 日本野球史」昭和篇その三や、神山圭介著「英霊たちの応援歌」に描かれています。

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