昨日付けブログ「イーグルスvs金鯱3回戦」でイーグルス3回表の攻撃における「五者連続安打ながら無得点」をお伝えし、島秀之助著「プロ野球審判の眼」(岩波新書)をご紹介しました。同著は二年ほど前にヤフオクかアマゾンで購入したまま読んでおらず、現在読み進めているところなのですが、本日同著の114ページに達したところで偶然にも昨日ご紹介した昭和12年10月27日のイーグルスvs金鯱での「五連続安打ながら無得点」についての回想場面に出くわしました。
同著を転載させていただきますと、「三回表、先攻のイーグルスは八番の辻が右翼線近くに安打を放って二塁を望んだが、右翼手の強肩に刺されてアウト。続く九番漆原、一番寺内が内野安打して一二塁のチャンスを迎えたが、二番中根の中前安打で漆原が一挙本塁を狙い、8-4-2(島ー五味ー中村)の転送球で憤死、二死となる。しかしなお走者が二塁(寺内)・一塁(中根)に残る場面で、三番ハリスが左前に痛打。二塁走者寺内が本塁を突いたのだが、左翼手(故黒澤)の好返球でまたも本塁寸前でタッチアウト。イーグルスは、この回連続五本の安打を放ちながら無得点に終わってしまったわけだが、プロ野球の珍しいプレーとして記録に残っている。」となっており、ほぼ昨日お伝えした通りです。
島秀之助が同著を書いたのは昭和61年なので、上記プレーを全て記憶していたとは考えられません。同著の前書き「はじめに」において、参考文献等を紹介しており「・・・コミッショナー事務局所蔵の「スコア・カード」などを参考にさせていただきました。」と書かれています。島はこの「スコア・カード」=「スコアブック」を見ながら上記のプレーを再現させた(私がやっていることと全く同じ!)のではないでしょうか。
この島が言う「スコア・カード」こそが私が入手して解読作業を進めているスコアブックの原本(あるいは島が見たのも原本のコピーかもしれない)であることは間違いないでしょう。
当ブログ第一回2010年3月22日付けブログ「解読」において、「入手先の神田の古書店店主の話では原本は野球体育博物館に保管されているはず」と書きましたが、実は野球体育博物館図書室の職員と話した時に、同博物館には原本は保管されておらず、あるとしたらコミショナー事務局ではないかというような話を聞いたことがあります。
この点に関しては、秋季リーグ戦終了後に詳述させていただく予定です。
本日の本題ですが、上記島の記述の中に島自身が関わったプレーとして漆原を本塁で刺した中継プレーについて「島ー五味ー中村」としているのは、昨日お伝えした通り「島ー江口ー相原」の間違いです。尤も、中村輝夫は昭和12年に登録名を相原輝夫に改めていますので、ここでいう中村は相原と同一人物であると考えられます(というよりそれ以外にはありえません。)。この試合ではセカンドで先発出場したのは江口行男であり、7回に江口はファーストに回り、五味芳夫がセカンドに入っていますので、3回の中継プレーに参加したのは江口で間違いありません。
島秀之助がスコアブックを間違えて読むとは考えられませんので、基本的にはスコアブックを読みながら書いたのですが、中継プレーの部分だけは自身の記憶に頼ったのではないでしょうか。この年相原輝夫と改名した中村輝夫を「中村」と書いていることからも、この部分は自らの記憶に従ったのだと思います。恐らく他の試合で五味芳夫の中継で二塁走者を刺したことがあったのでしょう。
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