2010年10月24日日曜日

12年秋 金鯱vsイーグルス 4回戦

10月28日 (木) 西宮


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 1  1    金鯱           16勝17敗        0.485  塩田猪年男 松元三彦
5 4 0 0 1 2 0 1 X 13  イーグルス  18勝16敗1分  0.529  畑福俊英


勝利投手 畑福俊英 9勝10敗
敗戦投手 松元三彦 0勝4敗


二塁打 (金)小林茂2
三塁打 (イ)高橋
本塁打 (イ)畑福 3号、高橋 4号


杉田屋守、4打点の活躍


 イーグルスは初回、先頭の寺内一隆は三振に倒れるも中河美芳死球、バッキー・ハリス四球、サム高橋吉雄四球で一死満塁、小島利男が左前にタイムリーして1点を先制、杉田屋守の左翼線タイムリーで3-0、この間に小島は三塁に走りなお一死一三塁となり金鯱先発の塩田猪年男は早くもKO(当時の読売新聞では旧字で「鹽田」と表記されています。)、二番手に松元三彦が登場する。畑福俊英の一ゴロをファースト安永正四郎が失する間に小島が還り4-0、更に安永は杉田屋を刺さんと二塁に送球するがこれが悪送球となるダブルエラーで一死二三塁、辻信夫はセカンド前にプッシュバント、三走杉田屋はこれを見てからスタートを切り鮮やかにセーフティ・スクイズが成功して5-0、二走畑福はこの高度なプレーについていけず二塁にくぎ付け、辻には犠打と打点が記録されている。続く漆原進の左前打で畑福は二塁からホームを突くがレフト黒澤俊夫の好返球に刺されてチェンジ。今日は圧勝したから良いものの、負けていたら畑福の走塁はボーンヘッドとして歴史に残っていたはずである。因みにダブルエラーの安永は2回の守備からベンチに下げられています。

 イーグルスは2回、先頭の寺内投ゴロ後、中河左前打、ハリス右前打と流し打って一死一二塁、高橋四球、小島押出し四球、杉田屋中前に2点タイムリーを放ち8-0としてなお一三塁、畑福の遊ゴロの間に小島が還って9-0とする。辻が中前打で続くが漆原が三振に倒れてこの回も打者9人で攻撃を終わる。

 3回、4回は一転三者凡退のイーグルスは5回、先頭の畑福俊英が左翼スタンドに第3号ホームランを叩き込んで10-0。投手部門のシルバースラッガー賞にはスタルヒン、野口明、伊藤次郎など候補が目白押しであるが長打力では畑福が一歩抜きん出ている。更に6回、ハリスが左前にヒットを放つが「1-4」(ピッチャーから二塁手への送球)でアウト、何かトリックプレーを試みたが失敗したのではないか。直後、高橋が左翼スタンドに第4号ホームラン、小島が左前打を放ち遊失で還って12-0。8回にも高橋の三塁打を杉田屋が今日4打点目となる中前タイムリーで還して13-0。

 金鯱は最終回、佐々木常助の四球と島秀之助のピッチャー強襲ヒットで一二塁とし、ショート辻のエラーで1点を返し完封を免れるも焼け石に水。

 畑福俊英は10安打を許すも4四球4三振自責点ゼロの完投で9勝目、イーグルスは守っても4-6-3と6-4-3の二つの併殺を決めて五連勝。高橋をセカンドに固定できていることがイーグルス好調の原因となっている。


 辻信夫に関しては、春季リーグ戦デビュー間もない時に、守備のセンスが感じられることを書かせていただきました(2010年4月30日付けブログ:4月19日洲崎「12年春 イーグルスvs大東京2回戦」参照)。本日のセーフティスクイズもセカンド前へのプッシュバントで、三走が名手杉田屋守だったからこその判断であり、二走畑福はこの高度なプレーについていけず二塁ベースから動いていません。春季リーグ戦におけるイーグルス大敗の原因はショートサム高橋吉雄の守備にあることは再三指摘させていただきましたが、秋季リーグ戦では高橋をセカンドに固定して好成績につなげています。このところショートには辻信夫を起用して成功しています。辻信夫は打力には劣りますが、打力には目をつぶってでも使い続けていく価値がありそうです。

 1975年、太平洋クラブライオンズは各チームから主力打者を集めて「山賊打線」と呼ばれる強力打線を形成しましたが、江藤慎一監督はショートには打力に目をつぶって梅田邦三を使い続けました。当時のパ・リーグのショートは阪急の大橋がダイヤモンドグラブ賞を独占していましたが、肩では負けますがフィールディングでは梅田が上でした。梅田の守備ぶりは西鉄時代後楽園球場の東映vs西鉄戦で何度も見ました。巨人時代には全く出番に恵まれませんでしたが、西鉄に移籍してきて張り切っていました。観客のまばらな後楽園球場に梅田の声が響き渡っていたことをはっきりと覚えています。江藤慎一監督の監督としての評価は低かったようですが、私は「梅田だけは打力には目をつぶって使う」と言っていた監督としての慧眼を高く評価していました。監督としての資質は弟の江藤省三が35年後に証明してくれました。東京六大学2010年春季リーグ戦、母校慶應義塾大学の監督に就任して1シーズン目に優勝に導いた手腕は、兄・江藤慎一にも宿っていたDNAのなせる業でしょう。弟・省三の学費は、江藤慎一が出していたものです。


*写真は辻信夫がセカンド前へのプッシュバントスクイズを決めた場面。少し見えにくいですが、杉田屋守が辻信夫(h)の犠打により生還して辻に打点が記録されている(hが丸で囲ってあるのが辻信夫に打点が記録されていることを意味します。)が、畑福俊英は二塁から進塁していない。畑福俊英は続く漆原進(i)の左前打で三塁を回ってホームを突きますがレフトからの返球に刺されてスリーアウトチェンジになっています。単なるサインの見落としの可能性もありますが、普通のスクイズのサインであれば確実に転がす方法を選択するはずであり、ここは辻のプッシュバントによるセーフティスクイズであると考えられる。杉田屋守は辻信夫の意図を瞬時に理解したが、畑福俊英にはついていけなかったのではないか。

 


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