2010年10月18日月曜日

1975年10月15日 広島初優勝!

 スポニチを購読されている方はご存知のとおり、今月の「我が道」は山本浩二です。「我が道」とは、日経を読まれている方には「スポニチ版・私の履歴書」と言えば分かりやすいでしょう。本日はいよいよ広島初優勝の場面でしたので、緊急特別企画として、「当ブログ的広島初優勝」の模様をお伝えいたします。

 私が広島ファンとなったのは1973年からであり、理由は、大ファンだった西鉄ライオンズが消滅したからです。当時の広島は山本浩司、衣笠、三村、水谷が力を付けてきた時期でありましたがまだまだ下位を低迷していました。

 広島を変えたのは、ジョー・ルーツ新監督です。ルーツ監督は4月27日の阪神戦を最後に帰国しましたので公式戦で指揮をとったのは15試合だけです。日本初の外国人監督をこの目で見に行くべく4月最初のヤクルトvs広島戦を神宮球場で観戦しましたので、貴重なルーツ監督の目撃者でもあります。

 この年最も印象に残っている試合は6月19日のヤクルト戦に永本裕章投手で勝った試合です。この年の広島は序盤戦からトップ争いに加わり、例年ですと鯉のぼりの季節までと言われていたのが6月に入っても上位争いに踏み止まっていましたが遂に息切れ、それもそのはず、外木場、佐伯、池谷の三人で回していたのですから。

 この試合はいわゆるローテーションの谷間に当たり、この頃には私も古葉監督になったつもりで毎日ローテーションを考えていたのですが、外木場で強硬突破論が出ていた中、ここは永本を使って三本柱を休ませるべきであると考えていたら本当に永本が先発しました。
 当時の永本はオーバーハンドからのストレートに力があり、期待されながら結果が出ないという状況でした。しかし球の力では佐伯に負けないものを持っていると考えていましたので、ここは思い切って永本先発で行くべきであると結論付けたのです。

 確か5回まで無失点に抑え、6回か7回で降板したと記憶しています。その後は当然渡辺-宮本の阪急からの移籍コンビによる必勝リレーだったはずです。

 後年、古葉監督の著書でもこの日の永本先発に触れており、この試合が優勝への決め手になったと読んだときは感動モノでした。永本裕章投手はその後も成績は上がらなかったのですが、サイドスローに転向して1982年の阪急時代、突然15勝して素質を開花させました。

 続いて登場してもらうのは渡辺、宮本の阪急からの移籍コンビです。この二人がいなかったら広島初優勝はあり得ませんでした。

 とにかく渡辺弘基は毎日投げていました。本当は毎日のようにと書くべきかもしれませんが、私の記憶では間違いなく毎日投げていました。最初は左打者へのワンポイントが多かったのですが、徐々に1イニング、2イニングと投げる回数も増えていきました。

 この年のリリーフエースは金城であったと記憶されている方も多いかもしれません。金城は下手からの快速球で前年20勝しました。オフの交通事故で失明の危機となりましたがシーズン後半復帰して抑えの切り札となり胴上げ投手にもなりました。
 しかし、シーズン序盤から中盤にかけての最も苦しいところで抑えの切り札だったのは宮本幸信です。この年痛む肘を庇いながら10勝10セーブを上げています。私が宮本を最も評価している点は、金城がクローザーとなってからもくさることなくセットアッパーとして任務を全うし切った点にあります。広島ではリリーフ投手であったためあまり打席に立つシーンはあまりありませんでしたが、打者顔負けのスウィングでした。Wikipediaによると阪急時代にはサヨナラホームランを打ったことがあるそうです。

 いよいよ10月15日の優勝決定試合に行きます。この日私は高校の授業をサボって後楽園球場の三塁側スタンドにおりました。下の写真は物的証拠であるこの日後楽園の三塁側スタンドに応援に行った観客に配られた「しゃもじ」です。

 大下の先制点となる二塁打はレフト線に飛んだため私の位置からではフェアかファウルか分からなかったのですが、歓声によりフェアであることを認識しました。

 ホプキンスがスリーランを打った直後、あのおとなしかったホプキンスがガッツポーズをしました。この場面の写真は紙媒体では見たことがなかったのですが、インターネット時代になって某サイトでホプキンスのガッツポーズシーンの写真を見た時に、鮮やかに記憶が甦ってきました。

 柴田のレフトフライを私の目の前で水谷が捕球して優勝が決まりました。古葉監督に続いてインタビューに出てきたのは、私の記憶ではこの日ノーヒットだった山本浩二でした。絶叫と涙で何を言ってるのかあまり分かりませんでした。続いて殊勲のスリーランのホプキンスと誰もが思った瞬間、インタビューが終わりました。一瞬白けた雰囲気の後、球場全体から突如として「ホプキンス・コール」が沸き起こりました。この日のスリーランだけにとどまらず、広島ファンがいかにホプキンスに感謝していたかを如実に物語るシーンでした。優勝の瞬間よりも感動したことを鮮明に覚えています。
 
 以上が私が目撃した広島初優勝の全てです。



*写真は1975年10月15日、後楽園球場三塁側スタンドに駆けつけた観客に配られた応援用の「しゃもじ」。




*日付は私が書き込んだものです。



 

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