11月4日 (木) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 2 3 2 7 ジャイアンツ 25勝13敗 0.658 青柴憲一 澤村栄治
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 ライオン 12勝24敗 0.333 近藤久 菊矢吉男
勝利投手 澤村栄治 6勝5敗
敗戦投手 近藤久 3勝8敗
二塁打 (ジ)水原 (ラ)近藤
三塁打 (ジ)白石、青柴 (ラ)大友
クローザー澤村
ライオンは3回、先頭の近藤久が左中間に二塁打、九番原一朗がレフトスタンドにホームランして2点を先制する。一死後大友一明も中越えに三塁打を放つが後続なし。ここで一気に青柴憲一を崩したいところであった。
ライオン先発の近藤久は6回まで打たれたヒットは水原茂の二本と中島治康の一本だけ、秋季リーグ戦では春季程のピッチングが見られていなかったが久々の好投を見せる。一方、青柴も4回以降立ち直り6回まで無安打、ヒットを打たれたのは3回の長打三本だけであった。
ジャイアンツは7回、ようやく近藤を捉えて、この回先頭の白石敏男がセンター右奥に三塁打、一死後青柴も左翼線に三塁打を放って1-2、更にレフト鬼頭数雄からの返球を6回の守備から藤浪光雄に代わって守備固めに入っていたサード柳澤騰市がエラーする間に青柴が一気にホームに還り2-2の同点とする。
ジャイアンツは7回から満を持して青柴に代えて澤村栄治を投入、先頭の中野隆雄に投じたドロップは切れすぎたのか内堀保も捕球できず三振ナットアウトとなるが一塁に送球されてアウト、記録は三振。近藤には左前打を許すが原を遊ゴロに仕留めて6B-3(ショート白石が自らベースを踏んで一塁に送球)のゲッツー。
ジャイアンツは8回、この回先頭の永澤富士雄が中前打、伊藤健太郎三振後、キャッチャー原の牽制悪送球で永澤は二進、白石の遊ゴロをファースト浅原が落球して一死一三塁、内堀が中前にタイムリーを放って3-2と勝ち越し、その際センター坪内道則のエラーがあり白石は三塁に進んでなお一三塁。ライオンは近藤に代えて菊矢吉男を投入、澤村の遊ゴロで三走白石は動かず、ショート中野は三塁ランナーを牽制してからセカンドに投げるがこれが野選となり一死満塁、トップに返り筒井修が右前に2点タイムリーを放って5-2とする。
ジャイアンツは9回、先頭の中島右前打、永澤中前打、伊藤の遊ゴロで永澤は二封されて一死一三塁、伊藤が走って二三塁、二死後内堀が中前に2点タイムリーを放って7-2と突き放す。
澤村は9回裏のライオンの攻撃を浅原、坪内、代打煤孫伝と三者三振に斬ってとり6勝目をマークする。澤村はクローザーとしても藤川並みの仕事をするようである。
ジャイアンツはこの日の先発では一番センター呉波、二番セカンド前川八郎であったが、病み上がりの呉に第三打席で筒井修を代打に送っている。筒井はそのままセカンドに入り、前川が呉に代わってセカンドからセンターに入り、これが結果的に筒井のダメ押し打につながった。文才のあった前川八郎は澤村の優子さんあてラブレターの代筆をしていたことで有名であるが、不思議と澤村の投げる時に活躍している(本日は4打数無安打であるが間接的に筒井のダメ押し打に関わる。)。また、本日先発の青柴憲一は立命館大学時代快速球投手として名高く、京都商業時代の澤村の憧れの存在であったことで知られている。澤村は戦死、青柴は終戦後間もなく平壌で病死、筒井は戦争で指を飛ばされたが戦後長く審判として活躍し、1990年に亡くなられた翌年野球殿堂入り、前川八郎氏は本年3月に亡くなられています。
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