2013年12月28日土曜日

大戦前夜のベーブ・ルース (二)



 当ブログは「大戦前夜のベーブ・ルース 検証委員会」を立ち上げました。記載内容について、物的証拠に基づき検証作業を進めていきます。


 本日当ブログが提出する証拠品は「昭和9年日米野球 公式パンフレット」(以下「証拠品」)です。表紙には、日本行きを渋っていたベーブ・ルースが一目見て承諾したとされるポスターの図柄が採用されています。


 「大戦前夜のベーブ・ルース」の39ページから50ページにかけて、アメリカチームのメンバー編成の変遷について書かれています。当初はチャック・クラインも予定されていましたがトレードの関係で断られ、8月下旬の予定ではヘイニー・マナッシュもメンバーに加わっていたとされています。


 証拠品のパンフレットがいつ頃作成されたかは不明ですが、証拠品に掲載されている「世界最強軍の横顔」には「華盛頓セネタース」の左翼手「ヘンリー・マナシ」の名前が見られます。ワシントン・セネタースのヘイニー・マナッシュがメンバーに予定されていたことは証拠品によって証明されました。



 「日米野球 公式パンフレット」は宣伝用に昭和9年の秋頃作成されたものと考えられます。「全日本軍の陣容」にも「出場予定選手」として慶大の三宅常堯投手、早大の夫馬勇外野手、慶大の山下好一外野手が掲載されていますが、夫馬は参加しましたが三宅と山下好一は参加していません。また、参加メンバーのうち永沢富士雄、富永時夫、山城健三はパンフレットには掲載されていません。


 アメリカ側の「世界最強軍の横顔」でも上記のとおりヘイニー・マナッシュが掲載されていたり、ジョー・クローニンに代わってショートのメンバーに選ばれたとされるエリック・マクネアは掲載されていることから、パンフレットの作成時期はクローニンが消えてマナッシュは残っていた時期であることが分かります。





       *本日当ブログが提出した証拠品。昭和9年日米野球の公式パンフレットです。






*参加予定選手には「華盛頓セネタース」の左翼手「ヘンリー・マナシ」が掲載されています。ヘイニー・マナッシュは結局来日しませんでした。





*日本ではまずお目に掛かれないヘイニー・マナッシュのサインカード。もしマナッシュが来ていたらルース、ゲーリッグに続く五番をジミー・フォックスと争っていたはずで、草薙で澤村栄治から三振を奪われていたかもしれない。






 

2 件のコメント:

  1. この日米野球のパンフと同じ物が今年、某大手オークションサイトに出品されていました。十万近い値段(それ以上?)で落札されていましたが、とてもそこまでは出せませんねェ(苦笑)。
    数年前までは豊田泰光の旧公式サイトで全ページを読む事ができましたので、私のうろ覚えかもしれませんが、末ページあたりに若林忠志の名前もあったような気がするのですが。記憶違いでしょうかね?

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 法政大学の若林忠志も「出場予定」で掲載されています。野球統制令を無視して強行出場した夫馬勇以外の3人は参加しなかったので永沢、富永、山城が加わったとみるのが妥当でしょう。

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