2013年12月23日月曜日

左のアンダーハンド



 左の下手投げはプロ野球史上いなかったと言われているようです。


 永射保が最も近かったと考えられますが永射はサイドハンドにカテゴライズされるようです。村田辰美と梶間健一もアンダー気味に投げていた記憶がありますが矢張りサイドに近いスリークウォーターにカテゴライズされています。田村勤もアンダーに近いサイドでした。


 名古屋vs大洋5回戦を伝える昭和16年6月22日付け読売新聞に「先発の投手河村が下手投の武器に威力を増して・・・」という記述が見られます。河村章が左投手であったことは各種資料から確実ですので、読売新聞の記述が正しいとすると河村章は日本プロ野球史上唯一の「左のアンダーハンド」ということになります。



 左の下手投げは星飛雄馬の大リーグボール3号が該当しますが、何と言っても水原勇気でしょう。「野球狂の詩」の水島新司のもう一方の代表作「あぶさん」の連載終了が報じられていますので、かなりこじつけではありますが水原勇気特集といきましょう。


 そもそも「野球狂の詩」はマガジンに不定期連載でした。「北の狼・南の虎」や里中満智子との共作となった「ウォッス10番」「ガッツ10番」「スラッガー10番」などは不定期連載時代の作品です。マガジンで「野球狂の詩」の連載が発表されたのは筆者が高校の時です。連載開始に当たり、スカウトの尻間専太郎が全国を駆け巡って有望選手を探しますが見つからず落胆していてところ、地元の国分寺で有望投手を発見しました。


 東京メッツが75年のドラフトで一位に指名したのが水原勇気でした。各紙が素性を知らない中、東京日日スポーツの山井英司(高校時代は国立玉三郎のライバルとして描かれていました)記者が執念の取材で女の娘であることをすっぱ抜いたところから大騒動が勃発します。


 筆者のクラスでは誰かがマガジンを買ってきて回し読みが流行っていました。必ず誰かが筆者のところにも持ってきてくれていましたので、筆者の野球好きは知れ渡っていたようです。まぁ、当時の高校生であれば誰でも水原勇気に憧れていたとは思いますが。


 映画化される話が出た時は「どうせつまんねぇだろうな~」と思っていましたが、水原勇気を演じた木之内みどりの投球フォームは完璧に「左のアンダーハンド」を表現していました。相当練習したんでしょうね。テレビ版の斎藤由貴バージョンは笑ってしまいますが(笑)。







              *永射の良かった頃は本当にアンダーに見えました。
















              *田村は全盛期は短かったけれど抜群のキレ味でした。












 

2 件のコメント:

  1. 河村章については戦後の資料によりますと、やはり下手投げともサイドハンドとも言われていますね。腕が下がる投法だった事は間違いないでしょう。割れるカーブとインシュートが武器の投手だったようです。

    『野球狂の詩』は全巻(KCスペシャル)読みましたが、イイですねぇ~。『ふたり心太郎』、『コンピューター審判』、『メッツ買います』が特に印象に残っています。
    あと、『野球狂の詩』のパ・リーグ版ともいえる『白球の詩』、こちらも良かったですね。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 「白球の詩」は知りませんでした(笑)。

      野球漫画の話になると世代毎に思い入れがあると思いますが、時空を超えた名作と言えば「野球狂の詩」と「キャプテン」になるのではないでしょうか。まぁ、両方ともリアルタイムで読んでいたので私の世代の思い入れとも言えますが、若い人と話しても「キャプテン」ネタで盛り上がることがあります。

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