ダイユウサク号の訃報が伝えられています。
upset(アップセット)とは「番狂わせ」を意味します。1999年にブラッド・ホースが選出した「20世紀のアメリカ名馬100選」で第一位に選ばれたマンノウォーは21戦20勝の競走成績を残していますが、唯一の敗戦となった1919年のサンフォードメモリアルステークスでマンノウォーを破ったのがアップセットでした。以来、upset(アップセット)は「番狂わせ」を意味することとなったと言われています。
競馬の世界では「番狂わせ」など日常茶飯事ではありますが、1991年有馬記念で圧倒的一番人気のメジロマックイーンを破って単勝万馬券の大穴を開けた十五頭立て十四番人気のダイユウサクは数ある「番狂わせ」事例の中でも代表作となります。
1990年ダービーの「ナカノコール」により競馬バブルは絶頂期を迎えていました。1991年有馬記念はその頂点とも言える時期のことです。日本経済自体はすでにバブルは崩壊していましたがまだ余韻が残っている状況でした。
1988年、4歳(現3歳、以下馬齢は当時にしたがいます)の10月という極めて遅いデビュー戦は11着、初勝利は翌年5歳4月の新潟でした。7歳となった1991年の金杯で重賞初制覇、暮れの有馬記念で大穴を開けるという遅咲きの競走人生でした。
ダイユウサクの晩成はその血統に起因していると考えられます。父ノノアルコは1971年生まれですから1985年生まれのダイユウサクは父の14歳時の仔、ノノアルコはNearctic(ニアークティック)の17歳時の仔、NearcticはNearco(ネアルコ)の19歳時の仔、NearcoはPharos(ファロス)の15歳時の仔と、この血統は遅咲きの運命を背負っているかのように父の晩年の産駒の血が連綿と流れています。
種牡馬の場合、矢張り旬の時期である供用から5年くらいに優良な産駒を出すことが多いのですが、その最晩年に代表産駒を出すことがあるのも事実です。シンザンが最高傑作ミホシンザンを出したのは21歳時、パーソロンが最高傑作シンボリルドルフを輩出したのは23歳時、2002年に16歳で早逝したサンデーサイレンスは偶然ではありますが最高傑作ディープインパクトを輩出したのが死亡した2002年のことです。
Pharos(ファロス)から晩年産駒の血を代々受け継いできたダイユウサクが7歳の有馬記念で大爆発したのも必然であったのかもしれません。22年後に解明しても何の意味もありませんが(笑)。筆者の個人的な思い出としては、仲が良かった2年先輩が有馬記念のダイユウサクの単勝137.9倍を的中させたことです。穴馬列伝には欠かせない名馬でした。
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