2013年12月8日日曜日

ドラフトへの道 2014 ①



 スポニチに掲載されている「名場面プレーバック」では昨日と本日の二日がかりで2013年夏の神奈川県予選準々決勝「桐光学園vs横浜高校」の一戦を特集しています。筆者も今年の高校野球界では甲子園以上の最高の試合であったと考えています。神奈川県予選は通常テレビ神奈川(以下「TVK」)でしか見ることができませんが、今年はTVKがネット中継しましたので佐藤亜樹アナの実況中継をご覧になられた方も多かったのではないでしょうか。


 1年間をかけて桐光学園・松井攻略のための特訓を続けたきた横浜高校・渡辺元智監督のコメントは「あれだけ1人の投手の対策をやったのは、作新学院の江川以来」とのことです。ここで少し、江川の時代の関東高校野球界について振り返ってみましょう。


 江川は一般的には1973年のセンバツから有名になりましたが、作新学院1年生時の1971年から関東では話題になっており、筆者も中学時代にスポーツ新聞で江川の1年秋の記事を読んだ記憶があります。1年生の時から栃木県予選や関東大会で完全試合、無安打無得点を連発していた江川は一学年上の鈴木孝政(成東、72年中日ドラフト1位)、石田真(足利工業、72年阪急ドラフト1位)と共に関東三羽烏と呼ばれていましたが当時の作新学院は打線が弱く甲子園には3年センバツまで顔を見せていません。


 1972年の秋の関東大会では準決勝で銚子商業を1安打20三振に封じ込め、銚子商業・斎藤一之監督が「完全試合をやられると観念した」と振り返っています。決勝では横浜高校から16三振を奪って作新学院が優勝し、翌年のセンバツには作新、横浜、銚商が出場することとなります。銚子商業が「打倒江川」を合言葉に猛特訓を重ね、翌年の夏の甲子園でエース土屋の力投、九番ライト多部田の活躍で江川を破ったのは有名な話ですが、横浜高校も「打倒江川」を目指して猛特訓を重ねた訳です。横浜は江川の作新とは甲子園では対戦していませんが、73年センバツでは剛腕永川(2年生)を擁して、江川を破って決勝に進出してきた広島商業を降して初の全国優勝を飾りました。因みに74年の夏の神奈川県予選準決勝では永川(3年生)の横浜と筆者(1年生)の母校が対戦して惜敗しました。当然横浜が甲子園に行くと思っていたら、決勝で東海大相模が横浜を破る番狂わせを演じました。原辰徳、村中、津末の1年生トリオが登場した年のことです。渡辺監督は何度戦っても勝てない「打倒東海大相模」を胸に逸材・永川栄植を潮田中学から獲得して73年センバツ優勝を果たした訳ですが、本命として挑んだ74年夏の神奈川県予選で又も東海大相模に屈したのです。神奈川県が全国一の激戦区と呼ばれるのは、相模、横浜、桐蔭、桐光の四強が切磋琢磨し合う歴史によるものです。



 昔話が長くなりましたが、今夏の神奈川県予選準々決勝で桐光学園を破った横浜高校のスタメンは2年生が8人でしたので「ドラフトへの道 2014」の第一回は横浜高校のドラフト候補にスポットを当てます。一般的には1年時から四番を打つ高濱祐仁(ロッテ・高濱卓也の弟)がドラフト上位候補と言われていますが、「shokuyakyu球団」の注目は松井から決勝ホームランを放った浅間大基です。全体的なバランスが優れていると評価しているのですが、このタイプはプロでは大成しない可能性があります。駒大三羽烏時代、筆者の評価は二宮、平田、中畑の順でした。中畑はプロでは無理と判断しバランスのいい二宮を買っていたのですが、結果は筆者の評価とは真逆であったのはご存知の通りです。したがって、浅間は上位指名するつもりはなく四位指名候補と考えています。貧乏球団としての現実的選択と言えるでしょうか(笑)。


 阿佐田哲也の傑作ピカレスクロマン「麻雀放浪記」はチンチロリンのシーンから始まります。チンチロリンで勝つには勝負目がないと判断した時「ケン」(=見送り)することが必須となります。上位指名候補が見つからない場合には、2014年ドラフトでは上位指名は「ケン」することも視野に入れています。





 

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