2012年12月31日月曜日

満州リーグ



 「満州進出記念東西対抗リーグ」第一日は7月21日、西宮球場で行われた。イーグルスvsライオン戦は4対2でイーグルスの勝ち。イーグルスは長谷川重一、ライオンは井筒研一が先発、イーグルスの二番セカンド宗宮房之助が5打数3安打1打点の活躍であった。金鯱vs南海戦は3対1で南海の勝ち。金鯱は古谷倉之助、南海は天川清三郎が先発。金鯱は8失策で自滅した。阪急vsセネタース戦は7対6で阪急の勝ち。セネタースでは西岡義晴が5打数3安打、柳鶴震が4打数3安打。阪急ではフランク山田伝が5打数3安打4打点の活躍であった。ジャイアンツvsタイガース戦は4対3でタイガースの勝ち。タイガースは1回、2回に2点ずつをあげ、ジャイアンツは8回、9回に2点、1点であった。第一日は西軍が3勝1敗となった。


 第二日は公式戦となった阪急vs名古屋戦は既報のとおり阪急が1対0で勝ち。黒田健吾が4打数3安打1打点であった。南海vsイーグルス戦は5対0で南海の勝ち。木村勉が4打数4安打、政野岩夫が4打数3安打であった。タイガースvsセネタース戦は1対0でタイガースの勝ち。宮崎剛が4打数2安打1打点であった。


 第三日、ライオンvs金鯱戦は3対0でライオンの勝ち。坪内道則が4打数3安打であった。名古屋vsタイガース戦は2対2の引分け。土井垣武が2打数1安打2打点であった。阪急vsジャイアンツ戦は7対3で阪急の勝ち。浅野勝三郎が4打数2安打2打点であった。


 この結果、西軍が8勝1敗1分の圧勝であった。



 九球団は7月26日正午、吉林丸に乗船して神戸港を出港し、29日午前8時無事大連港に到着した。上陸後直ちに忠霊塔へ行進し、一同整列して敬慮の祈りを捧げた。その後大連駅から午前10時30分発の列車で奉天に向かい午後四時に到着した。明日30日、奉天 満鉄球場にて入場式が行われる予定である。8月22日まで、奉天 満鉄球場、大連 満倶球場、新京 児玉公園球場、鞍山 昭和製鋼球場にて72試合の公式戦が行われる予定である。その他、撫順、安東、吉林、錦縣等でもオープン戦を18試合行う予定である。我が国野球史上、空前にして絶後となる外地における長期リーグ戦が始まります。


 一行が敬慮の祈りを捧げた忠霊塔は全国各地に存在していると考えられます。筆者の地元千葉県市川市でも須和田公園に東郷平八郎碑と共に建立されていました。現在は取り壊されて忠霊碑となっているようです。筆者の小学生時代の草野球の主戦場と言えば、家から歩いて10秒の空き地(現在の国分尼寺跡公園)、須和田公園、くじら湾(ちょっと大きめの空き地)、めだか湾(ちょっと小さめの空き地)でした。同時期に市川の小学生だった方には聞き覚えがあるでしょう。


 満州で野球興行など成り立つのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の満州の野球熱は本土よりも熱かった可能性があります。昭和2年に始まった都市対抗野球では第1回~第3回まで大連満州倶楽部、大連実業団、大連満州倶楽部と大連市代表が三連覇しています。当ブログで活躍中の松木謙治郎など多くの選手が満州野球に関わっています。西村幸生も昭和15年には満州野球に身を投じています。当ブログでは年明けから全72試合の模様を遠く満州の地から実況中継させていただきます。それでは皆さん、良いお年を!







 

訂正のお知らせです



 12月29日付け「阪急vsライオン 7回戦」で近藤久の勝敗を6勝15敗と誤って記載しておりました。正しくは3勝11敗です。お詫びして訂正させていただきます。本文は訂正済みです。

 菊矢吉男の成績と混同してしまったことが原因です。

15年 7月 月間MVP



月間MVP

投手部門

 阪急 森弘太郎 2

 今月8試合に登板して7勝0敗3完封、63回を投げて防御率0.86、WHIP0.65、奪三振率2.29であった。ジャイアンツ戦に1勝0敗、タイガース戦に2勝0敗、名古屋戦に2勝0敗と内容も濃く、5月に続いて2度目の受賞となった。


 次点の中尾輝三は今月5試合に登板して5勝0敗1完封、42回を投げて防御率0.64、WHIP0.71、奪三振率6.64であった。完投した4試合の被安打は2、2、2、3本であったが与四球は4、5、3、5個であった。ジャイアンツはスタルヒンが1勝4敗と勝てなかったがローテーションでは上位チームと当たり、中尾は裏ローテーションとなり相手に恵まれているだけに数字だけでは評価できない。

 野口二郎は今月7試合に登板して5勝1敗、44回3分の2を投げて防御率0.20、WHIP0.67、奪三振率7.98であった。野口は肩を痛めておりリリーフ登板が多いが今月の自責点は1点のみであった。




打撃部門

 阪急 井野川利春 1

 今月12試合に出場して37打数13安打6得点5打点6四球2盗塁、本塁打1本。打率3割5分1厘、出塁率4割4分2厘、長打率4割3分2厘、OPS0.874であった。球質の劣化と夏場の連戦から各打者の成績が落ち込む中、後半の8試合で26打数12安打と猛打を炸裂させた。


 激しい首位打者争いを繰り広げる川上哲治は3割1分8厘、鬼頭数雄は2割2分9厘であった。

 カイザー田中義雄は2割8分6厘、ジミー堀尾文人は2割7分3厘、白石敏男も2割7分3厘、千葉茂は2割7分であった。中島治康は2割3分3厘と調子が上がってこない。




 

2012年12月30日日曜日

15年 第14節 週間MVP



 今節はセネタースが3勝0敗、阪急が5勝1敗、タイガースが3勝2敗、名古屋が2勝2敗、ジャイアンツが1勝2敗、南海が1勝3敗1分、イーグルスが1勝3敗、金鯱が0勝1敗1分、ライオンが0勝2敗であった。



週間MVP

投手部門

 阪急 森弘太郎 2

 今節4勝0敗。満票での選出であった。



打撃部門

 阪急 黒田健吾 1

 今節22打数9安打2得点3打点3四球2盗塁、二塁打2本。勝利打点2個が光る。


 阪急 井野川利春 1

 今節19打数9安打4得点2打点2四球1死球2盗塁。攻走守に活躍して阪急快進撃の立役者となった。


 イーグルス 玉腰忠義 1

 今節9打数5安打1得点4打点6四球。4試合連続打点を記録して4試合でチームの得点8得点のうち4打点を叩き出した。


 タイガース カイザー田中義雄 1

 今節18打数9安打2得点3打点1四球1盗塁、二塁打1本の活躍。





殊勲賞

 南海 木村勉 3

 16日の金鯱戦で2本の三塁打を記録する。木村はこれで3節連続の殊勲賞。現在、玉腰忠義と共に最も動きが目立つ。


 名古屋 松尾幸造 1

 14日のライオン戦で1安打完封。ピッチングに円熟味を増してきた。




敢闘賞

 ジャイアンツ 川上哲治 3

 15日の名古屋戦で2打席連続ホームランを放つ。


 阪急 伊東甚吉 1

 今節12打数5安打1得点4打点3四球、二塁打1本。八番を打つことが多いが週間MVPの黒田吾、井野川利春より打点が多い。


 セネタース 山崎文一 1

 今節12打数2安打であるが1得点4打点、勝利打点を2個記録し、勝負強さが光る。





技能賞

 タイガース 宮崎剛 1

 14日のジャイアンツ戦で決勝スクイズを決める。


 金鯱 柴田多摩男 1

 16日の南海戦で2本の二塁打を放つ。柴田は今季11安打を放つこととなるがその内5本が二塁打である。







 

15年 阪急vs名古屋 7回戦


7月22日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 1 0 0  1 阪急     31勝21敗4分 0.596 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 30勝22敗4分 0.577 松尾幸造

勝利投手 森弘太郎 18勝6敗
敗戦投手 松尾幸造   8勝8敗

二塁打 黒田、伊東

勝利打点 黒田健吾 6


森弘太郎、今季8度目の完封で18勝目

 いよいよ内地での最終戦となりました。この試合は21日から行われている「満州進出記念東西対抗リーグ」に組まれていたものですが、シーズ中のこのカードが雨で順延となっていたことからこの試合だけ公式試合として行われることとなったものです。

 阪急は一昨日のタイガース戦に完投した森弘太郎が連投、名古屋は14日のライオン戦で1安打完封の快投を見せた松尾幸造が満を持しての登板。現在30勝21敗4分で三位に並ぶ両チームによる決戦は午後1時41分、横沢三郎プレートアンパイアの右手が上がり戦いの幕が切って落とされた。

 阪急は初回、好調黒田健吾が左翼線に二塁打、フランク山田伝が三前に送りバントを決めて一死三塁、上田藤夫は浅い右飛に倒れて二死三塁、井野川利春の三塁内野安打に三走黒田は自重して二死一三塁、ここで黒田の判断は難しい。二死なのでスタートを切るべきとも見えるが内野安打のチャンスを潰す可能性もある。目の前のプレーなのでここは黒田の判断を尊重するべきでしょう。ここでダブルスチールを試みるが「2-6-2」と送球されて黒田はタッチアウト。

 阪急は3回、先頭の森が四球を選んで出塁、トップに返り黒田が送って一死二塁、山田の右前打で一死一三塁、しかし上田は二飛、井野川は左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。4回は先頭の山下好一が四球で出塁、浅野勝三郎が三前に送りバントを決めて一死二塁とするが新富卯三郎は一邪飛、伊東甚吉は捕飛に倒れる。5回も一死後黒田が右前打から二盗を決めるが後続なく無得点。6回は先頭の井野川が右前打で出塁するがファースト大沢清の「隠し玉」に引っ掛かった。

 一方、名古屋も初回二死三塁とするが三走大沢がキャッチャー井野川からの牽制球に刺される。6回の隠し玉はそのお返しというところでしょうか。2回は「6-4-3」、3回は「1-6-3」の併殺でチャンスの芽を潰し、両軍6回まで無得点。

 阪急は7回、一死後伊東が左翼線に二塁打、森は右飛に倒れるがトップに返り黒田が二塁に内野安打、二走伊東が好走塁を見せてホームに還り、押し気味に試合を進めてきた阪急がようやく1点を先制する。黒田には打点が記録されてこれが決勝点となり、貴重な勝利打点となった。

 森弘太郎は7回を三者凡退、8回は松尾に四球を与えるが続く村瀬一三は三振、9回も三者凡退で切り抜けて、結局4安打2四球5三振で今季8度目の完封、18勝目をあげてスタルヒンと並びハーラー二位に躍り出る。森は今月7勝0敗6完投3完封であった。阪急は単独三位に浮上した。


 これにて内地での公式戦は夏季シリーズ108戦、春季から通算252戦を全て終了、夏季シリーズの残り72試合を遠く満州の地で戦うこととなる。




     *森弘太郎は今季8度目の完封で18勝目、スタルヒンと並んでハーラー二位に躍り出た。








     *内地での最終戦に快勝した阪急打線。









          *6回表、右前打で出塁した井野川利春は大沢清による隠し玉に引っ掛かった。






 

15年 タイガースvs阪急 7回戦


7月20日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 タイガース 31勝22敗3分 0.585 三輪八郎 若林忠志
0 1 1 0 0 0 0 0 X 2 阪急         30勝21敗4分 0.588 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 17勝6敗
敗戦投手 三輪八郎   9勝2敗

二塁打 (タ)伊賀上

勝利打点 井野川利春 3


阪急、名古屋と並び同率三位に浮上

 タイガースは初回、二死後松木謙治郎が右前打、本堂保次が左前打で続いて二死一二塁、カイザー田中義雄が右前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 阪急は2回、一死後山下好一が四球で出塁、浅野勝三郎が一塁線にドラッグバントを決めて一死一二塁、新富卯三郎は捕邪飛に倒れるが、伊東甚吉が左翼線に同点タイムリーを放って1-1と追い付く。

 阪急は3回、先頭の黒田健吾が四球を選んで出塁、タイガースベンチはここで先発の三輪八郎をあきらめて若林忠志をリリーフに送る。黒田が二盗を決めるがフランク山田伝は中飛、上田藤夫は投ゴロに倒れて二死二塁、ここで井野川利春が左前にタイムリーを放って2-1と逆転する。

 阪急打線は3回以降若林にひねられ黒田の内野安打1本に抑えられて無得点。

 タイガースは同点に追い付くチャンスを逃し続ける。3回、先頭のジミー堀尾文人が左前打から盗塁に成功、皆川定之が送って一死三塁とするが松木の右直で堀尾は還れず、本堂は三振に倒れる。4回、一死後伊賀上良平が左翼線に二塁打、宮崎剛の右前打で一死一三塁、中田金一のスクイズはピッチャー森弘太郎からホームに送球されて三走伊賀上はタッチアウト、若林は遊ゴロに倒れる。5回、一死後皆川が左前打、松木が四球を選んで一死一二塁、しかし本堂の遊直に皆川が飛び出しダブルプレー。

 6回以降タイガース打線は森弘太郎に無安打に抑えられる。7回には一死後四球を選んだ若林が二盗を試みるがキャッチャー井野川からの送球にタッチアウト。8回、9回は三者凡退に抑えられてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 森弘太郎は7安打2四球1三振の完投で17勝目をあげる。森はこれで6連勝となった。


 7回のタイガースの攻撃でピッチャー若林が二盗を試み刺された。若林としては打開策を諮ると共にチームに活を入れる気持ちもあったのでしょう。ピッチャーによる盗塁と言えば昭和34年日本シリーズ、南海の杉浦にやられっぱなしで0勝3敗に追い込まれた巨人のエース藤田が第四戦の6回に二盗に成功しています。鶴岡一人は自伝「御堂筋の凱歌」に「6回、一死後死球で出た藤田君が盗塁した。それは無謀であったかもしれない・・・藤田君の盗塁はなんとか1点の負担をはねかえして、勝利へのきっかけをつかもうとする藤田君の、悲壮な決意の現れであったと思う。」と書いています。本日の若林の盗塁も、悲壮な決意の現れに見えます。なお、今月、野球体育博物館内のシアターで昭和34年日本シリーズの画像が放映されています。杉浦の力投、大沢のファインプレーと共に藤田の盗塁のシーンも見ることができます。


 単独三位だったタイガースは3厘差で五位に転落、阪急は名古屋と同率三位に浮上した。22日に内地での最終戦となる阪急vs名古屋戦が組まれている。










            *森弘太郎はタイガース打線を1点に抑え、完投で17勝目をあげる。














     *タイガース7回の攻撃で四球に出た若林が気魄の盗塁を試みた場面。「2-6B」でアウトになっています。








 

15年 南海vsイーグルス 7回戦


7月20日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 南海         16勝37敗3分 0.302 政野岩夫
0 0 0 0 0 2 0 0 X 2 イーグルス 28勝25敗3分 0.528 亀田忠

勝利投手 亀田忠  15勝12敗
敗戦投手 政野岩夫 5勝9敗

勝利打点 玉腰忠義 1


亀田忠、内野安打2本に抑える

 イーグルス先発・亀田忠の目を見張るような投球が光った。亀田は6回まで一人の走者も出さずパーフェクトピッチング。7回、先頭の岩出清に四球を与えるが藤戸逸郎は打撃妨害、清水秀雄は三振、岩出の二盗をキャッチャー清家忠太郎が刺してスリーアウトチェンジ。ここまで残塁無しの無安打ピッチングを続ける。

 イーグルスは6回、先頭の岡田福吉が四球で出塁、岩垣二郎の一塁線バントはファースト清水が打者走者の岩垣にタッチに行くが空振り、清水にエラーが記録されて無死一二塁、翌日の読売新聞によると「清水がタッチを怠って手許を潜り抜けられる不始末を演じた」とのこと。中河美芳が送りバントを決めて亀田は敬遠で一死満塁、本日五番レフトに起用された玉腰忠義の左犠飛で1点を先制、太田健一が左前にタイムリーを放って2-0とする。得点力の乏しいイーグルスで玉腰は4試合連続打点を記録して本日はプロ入り初の勝利打点も記録した。

 南海は8回、先頭の吉川義次が三塁に内野安打、南海は無安打無得点を免れる。吉川が二盗を決めて木村勉は四球を選び無死一二塁、山尾年加寿の三前バントが内野安打となって無死満塁、前田貞行の遊ゴロで三走吉川は本封されて一死満塁、上田良夫に代わる代打岡村俊昭の左犠飛で1-2、しかし二走前田が亀田からの牽制球に刺されてスリーアウトチェンジ。

 イーグルスは8回も亀田、玉腰、太田の三連打で一死満塁とするがここは無得点。

 亀田忠は9回も1四球無失点で切り抜け、2安打3四球3三振の完投で15勝目をあげる。打たれた2安打は何れも内野安打で、外野に運ばれたのは5本だけというピッチングであった。


 翌日の読売新聞によると「亀田は専ら力をセーブしつつ直球、カーブ、ドロップを適宜に配して・・・」とのこと。当時の記事ではドロップとカーブを使い分けている。これは当時のピッチャーがタテに落とすボールとヨコに曲げるボールを投げていたからでしょう。当時のドロップはいわゆるカーブで、当時のカーブはスライダーに近いボールであった可能性がある。スライダーの元祖は藤本英雄であるとも言われているが、阪急の北井正雄が投げていた「十字架球」はスライダーであったとも言われており、西村幸生を始め多くのピッチャーが同様のボールを投げていたようである。










          *亀田忠は南海打線を2本の内野安打に抑えて15勝目をあげる。
















*亀田忠に内野安打2本に抑えられた南海打線。ヒットの線が二重線の場合内野安打を表します。翌日の読売新聞にも「8回吉川が三塁に内野安打し木村四球の後山尾の巧妙なバントが安打となって満塁」と書かれています。










                     *2本の内野安打の場面の拡大図。










 

2012年12月29日土曜日

15年 南海vsタイガース 7回戦


7月19日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 1 1 0 2  4 南海          16勝36敗3分 0.308 劉瀬章 天川清三郎
0 0 0 0 0 4 1 0 X  5 タイガース 31勝21敗3分 0.596 亀田敏夫 木下勇

勝利投手 木下勇 10勝8敗
敗戦投手 劉瀬章   2勝5敗

二塁打 (南)前田 (タ)田中、木下
三塁打 (南)清水

勝利打点 若林忠志 2


木下勇10勝目

 1回、2回とヒットのランナーを生かせなかった南海は3回、一死後岩出清が中前打、藤戸逸郎も中前打で続いて一死一二塁、清水秀雄が三振に倒れて二死一二塁となったところでタイガースベンチは先発の亀田敏夫から木下勇にスイッチする。左腕の亀田は左の強打者清水までで、最近3試合で11打打数4安打と当っている四番吉川義次にアンダーハンドの木下をぶつけてきた。ところが吉川は中前打、二走岩出は三塁ベースを蹴ってホームを突くがセンター堀尾の強肩にタッチアウト。野球は筋書きのないドラマです。

 南海は6回、清水が右中間に三塁打、吉川は浅い中飛に倒れて一死三塁、木村の一直を捕球したファースト松木謙治郎は三走清水の飛び出しを見て三塁に送球するがこれが悪送球となる間に清水が還って1点を先制する。

 タイガースは6回裏、一死後カイザー田中義雄が一塁に内野安打、松木の右前打で一死一二塁、宮崎剛の当りはピッチャーを襲い劉瀬章が弾いた白球はセカンド上田良夫の目の前に飛んでお誂え向きのゲッツーコースとなり上田が二塁に送球するがこれが悪送球となって白球が転々とする間に二走田中は一気にホームインして1-1の同点とする。翌日の読売新聞には「宮崎の併殺球とも覚しき投触二ゴロを上田が二塁に悪投」と書かれています。一走松木は三塁に、打者走者の宮崎も二塁に進む。森国五郎に代わる代打若林忠志の遊ゴロをショート前田貞行がエラーする間に三走松木が還って2-1と逆転、若林には打点が記録される。木下が左前にタイムリーを放って3-1、南海ベンチはここで劉から天川清三郎にスイッチ、トップに返りジミー堀尾文人も左前にタイムリーを放って4-1と突き放す。

 南海は7回、一死後前田が三塁に内野安打、天川の二ゴロをセカンド宮崎が二塁に送球するがこれをショート皆川定之が落球、トップに返り岩出の一ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、ここで木下がボークを犯して2-4とする。

 タイガースは7回裏、一死後田中が四球から二盗に成功、松木のライトライナーを岩出が落球して一死一三塁、宮崎の三ゴロの間に三走田中が還って5-2とする。

 南海は9回、一死後上田に代わる代打伊藤経盛が四球を選んで出塁、前田が右翼線に二塁打を放って一死二三塁、天川に代わる代打岡村の左飛で三走伊藤はタッチアップからホームに向かう。タイミングはアウトであったがレフト中田金一からのバックホームが逸れて伊藤がホームインし3-5、記録は中田のエラーで岡村には犠飛は記録されない。この間に二走前田も三塁に進んで二死三塁、トップに返り岩出の三ゴロをサード伊賀上良平がエラーする間に前田が還って4-5、しかし藤戸に代わる代打国久松一に二ゴロで岩出が二封されてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 3回途中からロングリリーフの木下勇は6回3分の1を投げて5安打1四球3三振1ボーク、4失点ながら自責点はゼロで10勝目をあげる。タイガースは6回に若林忠志を代打で使ってしまいリリーフには出せないので最終回は苦しいピッチングとなったがギリギリ粘った。


 本日の第一試合は両軍合わせて3安打、第二試合は両軍合わせて7エラーでタイガースの5得点と南海の4得点は全て自責点は記録されていない。身体は内地に残っているが心は既に遠く満州に飛んでいるようです。











              *ロングリリーフとなった木下勇は10勝目をあげる。
















     *木下勇が打っても4打数2安打と活躍したタイガース打線。













*昭和26年西鉄時代の木下勇のサイン。左隣は今久留主淳、右隣は久喜勲、その右は塚本悦郎。木下は戦争を生き延びて戦後は大陽ロビンスから西鉄クリッパースを経て西鉄ライオンズの結成に参加する。プロ野球には1952年まで在籍して通算70勝を記録、その後は山陰高校野球界の指導者として岡本利之と共に山陰高校球界の重鎮となる。戦争を生き延びるとサインも残っているものです。木下と共に昭和15年に活躍した三輪八郎は戦死しましたのでサインは見かけたことがありません。

















 

15年 阪急vsライオン 7回戦


7月19日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 1 0  1 阪急      29勝21敗4分 0.580 浅野勝三郎 石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 ライオン 15勝38敗3分 0.283 近藤久

勝利投手 浅野勝三郎 3勝3敗
敗戦投手 近藤久        3勝11敗
セーブ     石田光彦    2

二塁打 (阪)黒田

勝利打点 黒田健吾 5


黒田健吾決勝二塁打

 阪急先発の浅野勝三郎は7回まで四球1個で無安打無得点のピッチングを続ける。浅野は4月14日のタイガース戦で四球1個の準完全試合を達成しているが今年2度目の快挙達成まであと2イニングとなった。但し味方も無得点が続いている。

 ライオン先発の近藤久も阪急打線を7回まで4回の上田藤夫の中前打1本に抑えている。この時は続くフランク山田伝の一ゴロをファースト広田修三がベースを踏んでから二塁ベースカバーのショート加地健三郎に送球して「3-6B」の併殺で切り抜けた。

 阪急は8回、一死後浅野の一ゴロをファースト広田がエラー、トップに返り黒田健吾が左翼線にタイムリー二塁打を放ち浅野がホームを踏んで均衡を破り1-0とする。

 ライオンは8回、先頭の広田の二ゴロをセカンド上田がエラー、井筒研一がチーム初ヒットを中前に放って無死一二塁、阪急ベンチはここで好投の浅野から石田光彦にスイッチ、前日名古屋からライオンへの移籍が認められた鬼頭政一が送りバントを決めて一死二三塁、しかし伊勢川眞澄は三振、近藤は二直に倒れてスリーアウトチェンジ。

 石田光彦は最終回のライオンの反撃も坪内道則を三直、加地に代わる代打菊矢吉男を三飛、戸川信夫を遊ゴロに打ち取り見事なリリーフで当ブログルールによりセーブが記録される。石田は投球の切れ味や気性からクローザーに向いていると考えられる。

 浅野勝三郎は7回3分の0を投げて1安打1四球3三振無失点で3勝目をあげる。今季二度目の無安打無得点は逃したが、翌日の読売新聞によると「ライオンは浅野のカーブに手が出ず」とのこと。4月14日のタイガース戦でも「見事なコントロールをもって内外角を極めつけるスローカーブ」とのことで、浅野の武器はカーブであることが分かる。

 近藤久も9回を完投して2安打4四球1死球6三振1失点、自責点ゼロのピッチングであった。


 両軍合わせて3安打であったが、阪急は黒田健吾の決勝二塁打で2連勝、三位タイに並ぶ名古屋とタイガースに半ゲーム差と迫った。













               *阪急は浅野勝三郎-石田光彦で1安打完封リレー。



 










     *黒田健吾が決勝二塁打を放った阪急打線。















*1安打に抑えられたライオン打線。首位打者鬼頭数雄と名古屋から移籍してきた鬼頭政一(後の西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター監督;西鉄では休養した中西の代理監督)の兄弟が初めてラインナップに顔を揃えた試合となる。













 

デビュー以来24イニングス連続無失点


 玉腰忠義のデビュー以来の連続無失点記録は24イニングスで途切れました。プロ入り初登板となった7月2日の阪急6回戦で9回を完封、二度目の登板となった12日の阪急7回戦では延長11回を完投して0対0の引分け。三度目の登板の16日のイーグルス戦で4回まで無失点に抑え、5回無死で初の失点を喫し24イニングス連続無失点を記録しました。


 メジャーリーグでは2008年にブラッド・ジーグラーが記録した39回3分の1がデビュー以来の連続無失点記録のようです。但しジーグラーは28歳のリリーフ投手です。ある程度年齢がいった近年のリリーバーであれば短いイニングを積み重ねて連続無失点記録を作り易いかもしれません。ジーグラー以前の記録は101年前の1906年のジョージ・マッキランの25イニングス連続無失点だったようです。日本の記録は不明ですが、1940年に記録した玉腰忠義のデビュー以来24イニングス連続無失点の記録は当時の世界記録であるジョージ・マッキランの25イニングスに迫る空前の大記録である可能性があります。





 

訂正のお知らせ


 2012年10月30日付けブログ「15年 南海vs名古屋 6回戦」で、「南海は天川清三郎、名古屋は河村章の両左腕対決」と書いておりましたが、天川清三郎は左腕ではなく右投手です。お詫びして訂正させていただきます。本文は訂正済みです。


 原因は、私が「天川清三郎は左投手」と誤認していたことにあります。左腕の常川助三郎と混同して脳みそにインプットされていたのではないかと考えられます。他の天川清三郎に関する記述も確認しましたが誤記載は見つかりませんでした。しかしながら、私が天川を左投手と誤認していたのは事実なので、どこかに誤記載が残っている可能性があります。



 天川清三郎は昭和13年夏の甲子園優勝投手です。これまで当ブログに登場した甲子園優勝投手は宮武三郎(高松商業、大正14年、第11回夏の甲子園)、水原茂(高松商業、昭和2年第13回夏)、中島治康(松本商業、昭和3年第14回夏)、岸本正治(第一神港商業、昭和5年第7回センバツ)、藤村富美男(呉港中学、昭和9年第20回夏)、中山正嘉(松山商業、昭和10年第21回夏)、村松長太郎(浪華商業、昭和12年第14回センバツ)野口二郎(中京商業、昭和12年第23回夏、及び、昭和13年第15回センバツ)、天川清三郎(平安中学、昭和13年第24回夏)の9人となります。


 昭和13年夏の甲子園でそれまで3回準優勝の平安中学が初優勝を達成します。決勝の岐阜商業戦は8回まで平安・天川清三郎と岐阜商業・大島信雄の投げ合いで0対0のまま進み、9回表に岐阜商業が1点を先制しますが、9回裏に平安が2点を取って逆転サヨナラ勝ちします。この時サヨナラのホームを踏んだのが天川清三郎でした。この試合の模様は大和球士著「真説 日本野球史」昭和篇その三や、神山圭介著「英霊たちの応援歌」に描かれています。

2012年12月28日金曜日

15年 阪急vsジャイアンツ 7回戦


7月16日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 阪急            28勝21敗4分 0.571 森弘太郎
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 ジャイアンツ 38勝18敗 0.679 スタルヒン

勝利投手 森弘太郎  16勝6敗
敗戦投手 スタルヒン 18勝10敗
二塁打 (阪)山田
本塁打 (ジ)白石 1号

勝利打点 なし


森弘太郎、3安打完投で16勝目

 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男がツーナッシングと追い込まれながらレフトスタンドに先制ホームランを叩き込む。翌日の読売新聞によると「白石の苦手とする内角を攻めて2ストライクを奪い次の一球をアウドロを外角に流して討ち取ろうとしたのが運悪くもドロップが期待したように外に流れずストライク圏内に飛び込んでくるところを白石必至に一振・・・」とのこと。

 阪急先発の森弘太郎は先頭打者白石の一発で目が覚め、以降ジャイアンツ打線を6回のスタルヒンの左前打、7回の千葉茂の中前打の2安打に抑え込む。

 一方、阪急打線は4回を除いて毎回走者を出すがジャイアンツ先発のスタルヒンに要所を締められて7回まで6安打を放ちながら無得点。

 阪急は8回、二死後フランク山田伝が左翼線に二塁打、井野川利春がツーワンと追い込まれながら粘って四球を選び二死一二塁、山下好一が右翼線に同点タイムリーを放って1-1、井野川も三塁に進んで二死一三塁、ここで山下好一がディレードスチール、キャッチャー吉原正喜からの送球がセカンド千葉に送られ山下好一が一二塁間に挟まれる間に三走井野川がホームイン、井野川の本塁到着後に山下好一はタッチアウトとなったため「重盗の片割れアウト」が適用されて井野川には本盗は記録されないが逆転のホームインは認められる。

 2対1とリードを貰った森弘太郎は8回、9回のジャイアンツの反撃を三者凡退に抑えて、3安打無四球4三振の完投で16勝目をあげる。

 スタルヒンはこの日も8安打を打たれて不振から抜け出せない。7月の成績は1勝4敗であり、ジャイアンツは中尾輝三が何とか踏ん張っているが夏季シリーズ首位の座をセネタースに譲ることとなった。

 後楽園シリーズはこの日で終了、国内での戦いは西宮球場での5試合を残すのみとなり、激しさを増してきたジャイアンツとセネタースによる首位争いと鬼頭数雄と川上哲治による首位打者争いは遠く満州の地に持ち越されることとなった。








   *森弘太郎はジャイアンツ打線を3安打に抑える完投で16勝目をあげる。



















 

15年 イーグルスvsセネタース 7回戦


7月16日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 2 0 0 0 0 0 4 イーグルス 27勝25敗3分 0.519 玉腰忠義 亀田忠
0 0 0 0 6 0 0 0 X 6 セネタース 34勝17敗5分 0.667 金子裕 野口二郎

勝利投手 野口二郎 22勝6敗
敗戦投手 亀田忠   14勝12敗

二塁打 (セ)柳

勝利打点 山崎文一 6


大逆転

 イーグルスは初回、先頭の岡田福吉が三塁に内野安打、岩垣二郎が死球を受けて無死一二塁、太田健一は左飛に倒れるが中河美芳の中前打で一死満塁、玉腰忠義の右翼線タイムリーで1点を先制、杉田屋守の三ゴロ併殺崩れの間に三走岡田が還って2-0とする。

 イーグルスは4回、先頭の玉腰忠義が右前打で出塁、 杉田屋の投ゴロの間に玉腰は二進、木下政文の遊失で玉腰は動けず一死一二塁、清家忠太郎の遊ゴロで木下が二封されて二死一三塁、清家が二盗を決めて二死二三塁、山田潔の遊ゴロをファースト石井豊が落球する間に玉腰が還って3-0としてなお二死一三塁、山田がディレードスチールから一二塁間に挟まれ挟殺プレーの間に三走清家がホームイン、清家がホームを踏んだ後に山田がタッチアウトとなり清家には本盗は記録されないが4-0とする。

 プロ入り3度目の登板となったイーグルス先発の玉腰忠義は4回までパーフェクトピッチングを見せてこれでプロ入り通算24イニングス連続無失点を記録する。

 セネタースは5回、先頭の柳鶴震が左翼線に二塁打、佐藤武夫が左前打で続き無死一三塁、横沢七郎が四球を選んで無死満塁、石井豊が押出し四球を選んで1-4、玉腰忠義はプロ入り初失点となったところでレフトに回り、亀田忠と交代する。しかし亀田も金子裕に代わる代打浅岡三郎に押出し四球を許して2-4、織辺由三の三塁内野安打で3-4、トップに返り苅田久徳の三ゴロは石井豊が本封されて一死満塁、村松長太郎の遊ゴロをショート山田がエラーする間に三走浅岡が還って4-4の同点、なお一死満塁から山崎文一が中前に逆転の2点タイムリーを放って6-4と大逆転する。

 2点をリードしたセネタースは6回からすかさず野口二郎を投入、野口は4イニングを2安打1四球4三振無失点に抑えて22勝目をあげる。公式記録では野口二郎に勝利投手が記録されているが、先発の金子裕が5回を投げて5回裏にセネタースが逆転して6回から野口が登板しているので現行ルールでは金子裕に勝利投手が記録されて野口にはセーブが記録されることとなる。


 デビュー以来24イニングス連続無失点を続けた玉腰忠義は5回に初失点を喫して降板したがレフトに回って試合にはフル出場し、4打数3安打を記録した。玉腰は投手としては通算1勝6敗で終わるが戦後は駿足好打の外野手として活躍し、通算469安打を記録することとなる。本日の打撃成績が将来を暗示している。









                 *野口二郎はリリーフで22勝目をあげる。















     *玉腰忠義がピッチャーからレフトに回って4打数3安打を記録したイーグルス打線。











 

満州進出記念東西対抗リーグ


 夏季シリーズも103試合を終えて、内地での試合は7月19日からの西宮球場での5試合を残すのみとなり、いよいよ7月末からは満州シリーズが始まります。7月16日付け読売新聞は「“夏の陣”の内地に於ける最終戦は20日、21日の西宮球場で行う予定であったが日程を繰り上げて19、20日に行い、21日から3日間満州遠征送別特別試合を行うこととなった。」と伝えています。


 また、7月17日付け読売新聞は「満州シリーズ遠征送別試合は既報の通り21日から三日間西宮球場で行われる・・・大会名を“満州進出記念東西対抗リーグ”として・・・」更に、「正式試合のうち名古屋vs阪急戦が降雨延期のままになっているが送別試合第二日(22日)にこの両軍が顔を合わせるのでこれを正式試合として記録することとなった。」と伝えています。



 要するに、満州遠征前の壮行試合のうち名古屋vs阪急戦のみを公式試合とすることになりました。この結果、7月22日で全チーム各7回戦を終了し、今季通算でも全チームが56試合を終了して満州に旅立つこととなる訳です。2012年現在のメジャーリーグでは雨天中止の場合はすぐにダブルヘッダーを行い30チームほぼ同数の試合消化で進行していくように運営されていますが、日本では選手会が「ダブルヘッダーは疲れるからいやだ~」と駄々をこねているため各チームばらばらの試合消化が続いて行き、シーズン終盤の間延びした状況を放置しています。昭和15年当時の運営方法は場当たり的にも見えますが梅雨がある日本では各チームの試合消化数を揃えるための現実的な方策でもあります。参考にしてみてはいかがでしょうか。




 

2012年12月27日木曜日

15年 金鯱vs南海 7回戦


7月16日 (火) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 1 0 0 1 0 0 0  0   0  2 金鯱 13勝36敗7分 0.265 内藤幸三 古谷倉之助
0 0 0 2 0 0 0 0 0  0   0  2 南海 16勝35敗3分 0.314 政野岩夫

二塁打 (金)柴田2
三塁打 (南)木村2

勝利打点 なし


二塁打伝説

 金鯱は3回、先頭の内藤幸三が中前打、柴田多摩男が左翼線に二塁打を放って無死二三塁、トップに返り五味芳夫の中犠飛で1点を先制する。

 南海は4回、先頭の岩出清が四球を選んで出塁、藤戸逸郎が送って一死二塁、清水秀雄は三振に倒れるが、吉川義次が左翼線に二塁打を放って1-1の同点、木村勉が左中間に三塁打を放って2-1と逆転する。

 金鯱は5回から先発の内藤幸三に代えて古谷倉之助をマウンドに送る。古谷はこのところ怪我で休んでおり7月4日以来の登板となる。

 金鯱は6回、一死後黒澤俊夫が中前打、森田実が右前打を放って一死一三塁、竹林実に代わる代打荒川正嘉の三ゴロをサード藤戸が一塁に悪送球する間に三走黒田が還って2-2の同点に追い付く。

 金鯱は7回、一死後柴田がこの日2本目の二塁打を左中間に放つが五味は中飛、佐々木常助は四球を選ぶが濃人渉は右飛に倒れて無得点。

 南海は7回裏、先頭の木村の当りはセンター佐々木の頭上を越える。木村は駿足を飛ばして三塁ベースを蹴って勝負を賭けるが「8-9-1-2」と中継されてタッチアウト。記録は三塁打となった。翌日の読売新聞によるとホームに突っ込ませた三塁コーチャー国久松一の判断が悪かったとしているが、金鯱の中継プレーを見るとライトの森田実がセンターの中継に入っているので佐々木常助は肩は強くないのか故障している可能性があり、あながち暴走とも言えない。若い木村としてはこのくらいの走塁をやる方が将来楽しみである。

 7回の両軍の若手が放った長打を生かせず、結局延長11回2対2で引き分ける。


 2本の三塁打を放った木村勉はこのところ活躍が目立っており当ブログの常連さんにはもうお馴染みでしょう。木村は戦後昭和33年までプロで活躍し、松竹時代は水爆打線の一番打者としてセ・リーグ初年度制覇に貢献することとなります。昭和25年の松竹ロビンスでは一番スタメンは137試合のうち、金山次郎が69試合、木村勉が65試合、三村勲が3試合となっています。前半戦は木村勉、後半戦は金山次郎が一番を打っています。歴史的には水爆打線の一二番と言えば金山-三村のコンビが有名ではありますが。


 2本の二塁打を放った柴田多摩男は今季の通算安打数は11本に終わりますが二塁打5本、本塁打1本という隠れた強打者です。柴田は長崎・海星中学(現・長崎・海星高校)の出身。海星高校は長崎と三重にもあって両校とも甲子園に出てきますので、両校とも校名には長崎と三重は付きませんが通常は長崎・海星、三重・海星と呼んで区別しているのは高校野球ファンであればご存じでしょう。


 当ブログで活躍した長崎・海星中学出身では阪急の荒木政公がいます。荒木はプロ在籍は昭和14年だけで9勝2敗の好成績を残して兵役に就き戦死することとなります。戦後ではロッテと阪神で活躍した池辺巌、阪神のショート平田勝男、ロッテの堀幸一がいますが、何と言っても“サッシー”こと酒井圭一が有名です。私が見た高校野球投手で江川より速いと感じたのは酒井だけでした。ヤクルトでは結局通算6勝12敗で終わりましたが主に中継ぎとして14年間現役を務めました。ドラフト一位で中継ぎでは契約金とは見合いませんが。

 池辺は昭和42年に27本でこの年のパ・リーグ最多二塁打を記録、平田はバッティングは守備に比べて弱かった印象がありますが通算633安打のうち二塁打はジャスト100本、堀は通算1,827安打のうち二塁打は351本という二塁打打ちの名手。長崎・海星高校出身者の“二塁打伝説”のルーツこそが柴田多摩男だった訳です。









     *柴田多摩男が2本の二塁打を放った金鯱打線。














     *木村勉が2本の三塁打を放った南海打線。













 

15年 名古屋vsジャイアンツ 7回戦


7月15日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 名古屋     30勝21敗4分 0.588 村松幸雄 西沢道夫 大沢清
1 0 4 1 3 0 0 0 X 9 ジャイアンツ 38勝17敗 0.691 中尾輝三
 
勝利投手 中尾輝三 14勝5敗
敗戦投手 村松幸雄 12勝7敗

二塁打 (名)吉田 (ジ)白石、呉
本塁打 (ジ)川上5号、6号

勝利打点 川上哲治 10


川上哲治、二打席連続本塁打

 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が左中間に二塁打、吉原正喜は中飛に倒れ、川上哲治の右飛で白石はタッチアップから三進、中島治康が四球を選んで二死一三塁、千葉茂が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 名古屋は2回、先頭の吉田猪佐喜が右中間に二塁打、中村三郎の三ゴロの間に吉田は三進、三浦敏一の左犠飛で1-1の同点に追い付く。

 ジャイアンツは3回、先頭の吉原が中前打で出塁、川上がレフトスタンドにツーランホームランを放って3-1と勝ち越し、中島は遊ゴロに倒れるが千葉が三塁に内野安打、千葉はピッチャー村松幸雄の牽制球に刺されて二死無走者、しかし水原茂が中前打、平山菊二が右前打、中尾輝三が四球を選んで二死満塁、呉波が右中間を破って2点を追加し5-1とする。

 名古屋は4回から先発の村松に代えて二番手として西沢道夫をマウンドに送る。

 ジャイアンツは4回、一死後川上がレフトスタンドに二打席連続ホームランを叩き込んで6-1とする

 ジャイアンツは5回、先頭の水原がセンター左にヒット、平山の遊ゴロでランナーが入れ替わり、中尾はピッチャー強襲ヒット、呉は四球を選んで一死満塁、トップに返り白石が押出し四球を選んで7-1、吉原が左前に2点タイムリーを放って9-1とする。

 名古屋は6回から三番手として大沢清をマウンドに送る。大沢は3イニングを1安打1四球3三振無失点に抑えてようやく試合は落ち付く。

 中尾輝三は3安打5四球8三振の完投で14勝目をあげる。


 川上哲治が二打席連続ホームランを放った。川上は3月21日の神戸球場でも1日2本塁打を記録しているがこの時はダブルヘッダーで1本ずつであった。本日の当りは2本ともレフトスタンドへのものであった。千葉茂は自伝に川上の若い頃はレフトへの当りが強烈であったと書いている。戦後まで続く川上の長いキャリアからみれば昭和15年はまだプロ入り3年目であり「若い頃」でしょう。大和球士が新聞誌上に「弾丸ライナー」と書くのは今年の秋のことです。


 川上はこれで夏季シリーズ88打数32安打3割6分4厘となり、鬼頭数雄87打数32安打3割6分8厘とは安打数は同じで打数が1多く4厘差。今季通算では鬼頭の3割5分7厘に対して3割3分2厘である。











                 *中尾輝三は3安打完投で14勝目をあげる。

















      *川上哲治が第二打席と第三打席で2打席連続ホームランを放った場面。













       *「雑記」欄には『川上二打席続けて本塁打する」と書かれている。











 

2012年12月26日水曜日

15年 イーグルスvsタイガース 7回戦


7月15日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 1 0 0 0 0 0  1 イーグルス 27勝24敗3分 0.529 中河美芳
0 0 0 0 0 0 1 1 X  2 タイガース 30勝21敗3分 0.588 藤村隆男 三輪八郎 若林忠志

勝利投手 三輪八郎 9勝1敗
敗戦投手 中河美芳 5勝9敗
セーブ     若林忠志  3

二塁打 (タ)本堂、堀尾

勝利打点 本堂保次 4


1安打リレー

 イーグルスは3回、一死後清家忠太郎の二ゴロをセカンド宮崎剛がエラー、山田潔の一ゴロの間に清家は二進、トップに返り岡田福吉の二ゴロを又も宮崎がエラー、二走清家は三塁ベースを蹴ってホームを狙うが白球を拾い上げた宮崎からのバックホームにタッチアウト。

 イーグルスは4回、一死後三番太田健一がストレートの四球、四番中河美芳もストレートの四球で一死一二塁、長谷川重一も四球を選んで一死満塁、タイガースベンチは先発の藤村隆男を下げて三輪八郎をリリーフに送る。玉腰忠義が押出し四球を選んで1点を先制、木下政文の三ゴロは「5-4-3」と渡ってダブルプレー。イーグルスはここまで無安打ながら1点を先制する。

 イーグルス先発の中河美芳のスローカーブにタイガース打線は6回まで3安打無四球無得点に抑えられる。

 タイガースは7回、一死後本堂保次が左翼線に二塁打、伊賀上良平が四球を選んで一死一二塁、カイザー田中義雄がセンター右に同点タイムリーを放って1-1とする。

 タイガースは8回、先頭の宮崎が三塁に内野安打、山根実に代わる代打森国五郎の投ゴロでランナーが入れ替わり、三輪に代わる代打若林忠志の一ゴロで再度ランナーが入れ替わって二死一塁、トップに返りジミー堀尾文人が左中間に二塁打を放って二死二三塁、皆川定之が四球を選んで二死満塁、本堂保次が押出し四球を選んで2-1と逆転に成功、これが決勝点となった。

 代打に出た若林はそのままマウンドに上がり、9回表のイーグルスの反撃を三者凡退に抑えて当ブログルールによりセーブが記録される。先発の藤村隆男は3回3分の1を投げて無安打、二番手の三輪八郎は4回3分の2を投げて1安打、若林忠志は1イニングを無安打。


 タイガースは1安打リレー、イーグルスは8回に放った岡田福吉の左前打1本に抑えられた。昭和15年4月21日にもイーグルスが長谷川重一3回3分の1、亀田忠5回3分の2で1安打リレー2失点で金鯱を破っている。

 継投による無安打無得点は戦前は2回記録されており、昭和16年6月22日に黒鷲が中河美芳5回3分の1、石原繁三3回3分の2で名古屋を無安打無得点に抑え、同年8月2日に阪急が江田孝7回3分の2、森弘太郎1回3分の2で名古屋を無安打無得点に抑えている。

 継投による無安打リレーで相手に得点を許した事例は既にお伝えしたとおり昭和14年5月6日に記録されている。南海は阪急とのダブルヘッダー第二試合で宮口美吉が6回、平野正太郎が3回を投げて阪急を無安打に抑えながら宮口が2失点を喫して1対2で敗れている。










           *タイガースは三人のリレーでイーグルス打線を1安打に抑えた。















     *タイガース投手陣に1安打に抑えられたイーグルス打線。









 

15年 セネタースvs南海 7回戦


7月15日 (月) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  2  2 セネタース 33勝17敗5分 0.660 浅岡三郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0  0 南海          16勝35敗2分 0.314 劉瀬章

勝利投手 浅岡三郎 9勝5敗
敗戦投手 劉瀬章     2勝4敗

勝利打点 なし


代打攻勢

 セネタース先発の浅岡三郎、南海先発の劉瀬章、両軟投派の対決は9回まで両軍3安打ずつの無得点で試合は延長戦に突入する。

 セネタースは10回、先頭の織辺由三がセンター左にヒット。トップに返り苅田久徳が送りバントを決めて一死二塁、村松長太郎に代わる代打小島二男が左前打、これをレフト木村勉が後逸する間に織辺が還って1点を先制、小島は三塁に進んで一死三塁、山崎文一に代わる代打野口二郎がセンター右にタイムリーを放って2-0とする。この日は後楽園名物の烈風砂塵を捲き揚げる悪天候で、木村の守備にも影響した可能性がある。

 南海は10回裏、先頭の上田良夫の遊ゴロをショート柳鶴震がエラー、劉瀬章に代わる代打国久松一が左前打を放って無死一二塁、前田貞行が送りバントを決めて一死二三塁、トップに返り岩出清が四球を選んで一死満塁、しかし藤戸逸郎は二飛、清水秀雄は一ゴロに倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 浅岡三郎は135球で10回を投げ抜き4安打4四球4三振、今季5度目の完封で9勝目をあげる。


 セネタース苅田監督の采配が光った。10回は小島二男、野口二郎の代打起用がズバリ的中、セネタースはこの日も野口二郎を休ませていたが一番いいところで代打に起用した。野口二郎は10回裏の守備ではそのままライトに入っていたので、10回裏のピンチは浅岡に代えて野口投入も考えられたが浅岡の続投で逃げ切った。苅田の自伝でもこの頃野口二郎の肩は限界に来ていてだましだまし使っていたことが確認できる。野口二郎の自伝によると「(昭和=筆者注)17年くらいまでは、完投しても、あとに尾を引く、疲れが残る、それがバッティングに影響する、ということはまずなかった。」とのことです。矢張り鉄人です。







          *浅岡三郎は10回を投げ抜き今季5度目の完封で9勝目をあげる。















     *10回表の代打攻勢が成功して南海を振り切ったセネタース打線。











 

2012年12月25日火曜日

15年 ジャイアンツvsタイガース 7回戦


7月14日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 3 0 0 0 0 0 0 0 3 ジャイアンツ 37勝17敗 0.685 スタルヒン
1 2 0 0 0 1 1 0 X 5 タイガース   29勝21敗3分 0.580 木下勇 若林忠志

勝利投手 若林忠志  10勝10敗
敗戦投手 スタルヒン 18勝9敗

二塁打 (ジ)川上 (タ)堀尾
三塁打 (タ)松木
本塁打 (ジ)呉 2号

勝利打点 宮崎剛 2


スクイズで決勝点

 ジャイアンツは水原茂が怪我から復帰して六番サードに入る。

 タイガースは初回、先頭のジミー堀尾文人が中前打で出塁、皆川定之の右前打で無死一二塁、本堂保次は右飛、伊賀上良平は三振に倒れて二死一三塁、カイザー田中義雄がセンター右に先制タイムリーを放って1-0とする。

 ジャイアンツは2回、先頭の千葉茂が右前打で出塁、復帰後初打席の水原が右翼線にヒットを放って無死一三塁、吉原正喜の三ゴロで水原は二封、ところがゲッツーを狙ったセカンド宮崎剛からの一塁転送が悪送球となる間に二走千葉が還って1-1の同点、打者走者の吉原も二塁に進んで一死二塁、スタルヒンの投ゴロで吉原正喜は三塁に走るがピッチャー木下勇から三塁に送球されてタッチアウト、二死一塁から呉波がライトスタンドにツーランホームランを叩き込んで3-1とする。

 タイガースは2回裏、先頭の森国五郎の三ゴロをサード水原が一塁に悪送球、森は二塁に進み、宮崎が中前打を放つと二走森は三塁ベースを蹴ってホームを狙うがセンター呉からのバックホームは「8-1-2」と中継されて本塁タッチアウト。翌日の読売新聞は、この時三塁コーチャーは三輪八郎で三輪の判断が甘かったと指摘している。更に、三輪を三塁コーチャーに出していたタイガースベンチを批判している。木下に代わる代打若林忠志は右飛に倒れるが、トップに返りジミー堀尾文人が左中間に同点タイムリー二塁打を放って3-2、皆川の三塁内野安打で二死一三塁、皆川が二盗を試みるとキャッチャー吉原の二塁送球が悪送球となって三走堀尾が生還、3-3と追い付く。

 タイガースは3回から代打の若林がそのままマウンドに上がる。

 タイガースは6回、先頭の松木謙治郎が右中間に三塁打、宮崎がスクイズを決めて4-3と勝ち越す。このスクイズは「1-2-3」と記録されています。スタルヒンから一度吉原に送球されて本塁はセーフとなったが吉原から川上に転送されて宮崎はアウトとなったようです。宮崎が無理な体勢からバントしてスタートが遅れたか、決まったと思って真面目に走らなかったかでしょう。

 タイガースは7回、一死後皆川の三ゴロをサード水原がこの日2つ目のエラー、本堂の右前打で一死一二塁、伊賀上の遊ゴロをショート白石敏男が二塁に悪送球する間に二走皆川が還って5-3とする。


 ジャイアンツとしては復帰の水原の2失策が痛かった。呉波が第2号ホームランを放った。呉は通算21本塁打を記録することとなるが戦前は6本なので貴重なホームランです。
 タイガースは木下勇-若林忠志による完封リレーで首位ジャイアンツとの差を6ゲームに詰めた。













*タイガースが6回にスクイズで決勝点をあげた場面。宮崎のスクイズは「1.2-3」と記録されている。











 

15年 阪急vsセネタース 7回戦


7月14日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急      27勝21敗4分 0.563 重松通雄
0 0 0 1 0 0 1 4 X  6 セネタース 32勝17敗5分 0.653 三富恒雄 野口二郎

勝利投手 三富恒雄 1勝2敗
敗戦投手 重松通雄 3勝3敗
セーブ     野口二郎  2

二塁打 (セ)苅田2、柳

勝利打点 山崎文一 5


試合巧者

 3回まで三者凡退を続けてきたセネタースは4回、先頭の苅田久徳がファウル2つの後の3球目を左翼線に二塁打、村松長太郎はスリーボールからツースリーまでボールを見て6球目を二ゴロ、見事な進塁打で苅田を三塁に進める。山崎文一の遊ゴロで三走苅田はホームに突っ込み、ショート田中幸男がバックホームするがセーフ、野選となって1点を記録する。山崎には打点が記録され、これが決勝点となったので勝利打点が記録される。

 セネタース先発の三富恒雄は5回まで3安打1四球1死球とランナーを出しながらも何とか踏ん張り無失点。苅田監督は6回から野口二郎をマウンドに送る。

 セネタースは6回、一死後苅田が左翼線に二打席連続の二塁打を放つがここは後続なく無得点。
 セネタースは7回、先頭の柳鶴震が左翼線に二塁打、佐藤武夫が送りバントを決めて一死三塁、石井豊の中犠飛で2-0とする。


 セネタースは8回、先頭の野口二郎が左前打、織辺由三の投前送りバントをピッチャー重松通雄が一塁に悪送球して無死一二塁、記録は犠打エラー、トップに返り苅田の投ゴロを重松は三塁に送球するがセーフ、野選となって無死満塁、村松が押出し四球を選んで3-0、山崎が左前にタイムリーを放って4-0、二走苅田も三塁ベースを蹴ってホームを狙うがここはこの回からレフトに回っていた黒田健吾からのバックホームにタッチアウト、柳の遊ゴロをショート田中が二塁に悪送球する間に二走村松が還って5-0、一走山崎は三塁に進んで一死一三塁、ここで柳がディレードスチール、柳が一二塁間に挟まれる間に三走山崎がスタート、本塁セーフでホームスチールが記録されて6-0。柳の二塁進塁にも盗塁が記録された。

 三富恒雄は5回まで3安打1四球1死球2三振無失点でプロ入り初勝利を飾る。三富は戦後まで投げ続けて通算56勝をマークすることとなるが、その輝かしい第一歩となった。野口二郎は4イニングを3安打1四球4三振無失点で切り抜け当ブログルールによりセーブが記録される。


 セネタースは5安打で6得点、試合経過からも分かるとおり試合巧者ぶりを発揮した。4回の点の取りかたなどは時代を超えて基本でしょう。セネタースは首位を行くジャイアンツに3ゲーム差としぶとく喰らい付いている。












*4回表にセネタースが先制点を記録した場目。先頭の苅田久徳は初球から積極的に打って出て2球ファウルの後左翼線に二塁打(「△」がファウルを表す)、二番の村松長太郎はスリーボールナッシングから2球ストライクを見送って6球目にニゴロを打って苅田を進塁させ、山崎文一の遊ゴロが野選を誘って苅田が生還する。













 

2012年12月24日月曜日

15年 ライオンvs名古屋 7回戦


7月14日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 ライオン 15勝37敗3分 0.288 近藤久 福士勇
0 0 0 2 0 0 2 0 X  4 名古屋  30勝20敗4分 0.600 松尾幸造

勝利投手 松尾幸造 8勝7敗
敗戦投手 近藤久    3勝10敗

三塁打 (ラ)鬼頭

勝利打点 松尾幸造 1


松尾幸造独り舞台

 松尾幸造が快心のピッチングを見せた。3回まで三者凡退、4回一死後加地健三郎にこの日唯一の四球を与えるが好調戸川信夫を三ゴロ、首位打者鬼頭数雄を二ゴロに抑える。5回、6回も三者凡退でここまでノーヒットンーランを続ける。7回も先頭の加地を二ゴロ、戸川を右飛に打ち取るが鬼頭に左中間を抜かれて三塁打、広田修三は三ゴロに抑える。8回、9回も三者凡退で切り抜け、結局1安打1四球1三振で今季4度目の完封、8勝目をあげる。恐らく生涯最高のピッチングでしょう。

 名古屋は4回、一死後吉田猪佐喜の遊ゴロをファースト広田が一塁ベースを踏み忘れて無死一塁、記録は広田のエラー、翌日の読売新聞によると「一塁広田が塁を跨いで吉田の遊ゴロを生かす」とのこと。中村三郎は三振に倒れるが吉田が二盗を決めて、三浦敏一、芳賀直一が連続四球を選んで二死満塁、ここで松尾がレフトに2点タイムリーを放ち2-0とする。

 名古屋は7回、先頭の松尾が中前打、村瀬一三の中前打で無死一三塁、ライオンベンチはここで先発の近藤久から福士勇にスイッチ、村瀬が二盗を決めて無死二三塁、桝嘉一の中犠飛で3-0、二走村瀬もタッチアップから三塁に進み、石田が四球から二盗を決めて一死二三塁、大沢清の二ゴロの間に村瀬が還って4-0として勝負を決める。


 松尾幸造は打撃でも先制&決勝の2点タイムリーに追加点のきっかけとなる中前打で3点目のホームを踏むなど独り舞台の活躍であった。


 翌日の読売新聞によると松尾が鬼頭に打たれた三塁打について「この一打に松尾は惜しくも“無安打無得点”記録を逸したのであるが小西監督がベンチから“緩めるな”と注意しているにもかかわらず球速を減じた配球を痛打されたものである」とのことです。ここは鬼頭数雄のバッティング技術を褒めるべきでしょう。松尾幸造はチェンジ・オブ・ペースを覚えてピッチングが安定してきたことを裏付ける貴重な資料となっています。









         *松尾幸造は1安打1四球1三振で今季4度目の完封、8勝目をあげる。














     *松尾幸造に鬼頭数雄の三塁打1本に抑え込まれたライオン打線。