「満州進出記念東西対抗リーグ」第一日は7月21日、西宮球場で行われた。イーグルスvsライオン戦は4対2でイーグルスの勝ち。イーグルスは長谷川重一、ライオンは井筒研一が先発、イーグルスの二番セカンド宗宮房之助が5打数3安打1打点の活躍であった。金鯱vs南海戦は3対1で南海の勝ち。金鯱は古谷倉之助、南海は天川清三郎が先発。金鯱は8失策で自滅した。阪急vsセネタース戦は7対6で阪急の勝ち。セネタースでは西岡義晴が5打数3安打、柳鶴震が4打数3安打。阪急ではフランク山田伝が5打数3安打4打点の活躍であった。ジャイアンツvsタイガース戦は4対3でタイガースの勝ち。タイガースは1回、2回に2点ずつをあげ、ジャイアンツは8回、9回に2点、1点であった。第一日は西軍が3勝1敗となった。
第二日は公式戦となった阪急vs名古屋戦は既報のとおり阪急が1対0で勝ち。黒田健吾が4打数3安打1打点であった。南海vsイーグルス戦は5対0で南海の勝ち。木村勉が4打数4安打、政野岩夫が4打数3安打であった。タイガースvsセネタース戦は1対0でタイガースの勝ち。宮崎剛が4打数2安打1打点であった。
第三日、ライオンvs金鯱戦は3対0でライオンの勝ち。坪内道則が4打数3安打であった。名古屋vsタイガース戦は2対2の引分け。土井垣武が2打数1安打2打点であった。阪急vsジャイアンツ戦は7対3で阪急の勝ち。浅野勝三郎が4打数2安打2打点であった。
この結果、西軍が8勝1敗1分の圧勝であった。
九球団は7月26日正午、吉林丸に乗船して神戸港を出港し、29日午前8時無事大連港に到着した。上陸後直ちに忠霊塔へ行進し、一同整列して敬慮の祈りを捧げた。その後大連駅から午前10時30分発の列車で奉天に向かい午後四時に到着した。明日30日、奉天 満鉄球場にて入場式が行われる予定である。8月22日まで、奉天 満鉄球場、大連 満倶球場、新京 児玉公園球場、鞍山 昭和製鋼球場にて72試合の公式戦が行われる予定である。その他、撫順、安東、吉林、錦縣等でもオープン戦を18試合行う予定である。我が国野球史上、空前にして絶後となる外地における長期リーグ戦が始まります。
一行が敬慮の祈りを捧げた忠霊塔は全国各地に存在していると考えられます。筆者の地元千葉県市川市でも須和田公園に東郷平八郎碑と共に建立されていました。現在は取り壊されて忠霊碑となっているようです。筆者の小学生時代の草野球の主戦場と言えば、家から歩いて10秒の空き地(現在の国分尼寺跡公園)、須和田公園、くじら湾(ちょっと大きめの空き地)、めだか湾(ちょっと小さめの空き地)でした。同時期に市川の小学生だった方には聞き覚えがあるでしょう。
満州で野球興行など成り立つのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の満州の野球熱は本土よりも熱かった可能性があります。昭和2年に始まった都市対抗野球では第1回~第3回まで大連満州倶楽部、大連実業団、大連満州倶楽部と大連市代表が三連覇しています。当ブログで活躍中の松木謙治郎など多くの選手が満州野球に関わっています。西村幸生も昭和15年には満州野球に身を投じています。当ブログでは年明けから全72試合の模様を遠く満州の地から実況中継させていただきます。それでは皆さん、良いお年を!