2010年7月21日水曜日

山本栄一郎と三原脩

 6月27日のジャイアンツvsタイガース8回戦は稀にみる名勝負となり、延長12回表、四球に歩いた内堀保に代わって山本栄一郎が代走に起用され、三原脩の右中間二塁打で山本がホームを踏み、この貴重な1点を澤村栄治が守り切りジャイアンツが1対0でタイガースを破り半ゲーム差で首位に躍り出ることとなりました。


 山本栄一郎は何度かご紹介しているように日本運動協会からのプロ野球選手であり、昭和11年の澤村の一度目のノーヒットノーラン試合では決勝の代打タイムリーを放つなど、勝負強いバッティングと俊足により貴重な戦力となっています。


 その生涯は「もうひとつのプロ野球  山本栄一郎の数奇な生涯」に詳しく、山本栄一郎に関するWikipediaの記述はほとんど同著に書かれている内容が転載されています。


 同著205ページ及びWikipediaの最後には山本の死の直前について、「昭和54年12月15日、山本栄一郎は77歳で亡くなった。死の寸前、混濁した意識の中で、しきりに「車を呼べ。成城の三原(脩)の家へ行くんだ」といい張った。三原に伝えなければならない、どんな大事な用があったのだろう。」と記述されている。

 戦後は不遇な人生であった山本が、功なり名を遂げた三原と交流があったとは考えにくい(同著によると山本はジャイアンツのOB会に一度出席したが、何か厭なことでもあったのかその後は出席していないとのこと)。

 恐らく山本は死の直前、野球史に残る名勝負に参加して三原の二塁打により決勝のホームを踏んだ場面が甦り、三原に会いに行くと言い張ったのではないだろうか。

 同著を読むにつれ、少ない出場場面をスコアブックから解読していくにつれ、山本栄一郎が野球に懸けてきた執念がひしひしと伝わってくる。


*写真左は昭和29年頃西鉄ライオンズ時代の三原のサイン。
  写真右は昭和9年全日本時代の山本のサイン(右端・再掲載)





2 件のコメント:

  1. 『もうひとつのプロ野球』は探しているのですが、発行部数が少ないせいか中々見つかりませんね。

    山本栄一郎は当時の巨人軍でチーム最年長(監督の藤本定義よりも年上です)。
    三塁ベースコーチや若手への指導など戦前の巨人軍にとってなくてはならない選手だったと思います。

    一度しかジャイアンツのOB会に出てないのはやはり厭な事があったからでしょう。そのOB会の記念写真に写っている山本は一番端っこに、それも隣とだいぶ間隔を空けていて、仕方なくカメラに入っているようでした。

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  2. 山本栄一郎については、当ブログを始めるまでは名前を知っている程度でしたが、極めて興味深い人物であり再評価が必要だと思います。当時の選手の多くが歴史に埋もれている中で、一冊の本が残されているだけでも大したものです。

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