2013年10月7日月曜日

16年 阪急vs南海 2回戦


4月25日 (金) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 1 0 0 1 3 阪急 7勝6敗 0.538 浅野勝三郎
0 0 0 1 0 1 0 2 X 4 南海 5勝7敗 0.417 川崎徳次 神田武夫

勝利投手 神田武夫     3勝3敗
敗戦投手 浅野勝三郎 1勝3敗

三塁打 (南)安井

勝利打点 鬼頭数雄 1


鬼頭数雄、決勝タイムリー

 阪急は2回、先頭の森田定雄が右前打で出塁、日比野武の右前打で無死一三塁、伊東甚吉の二ゴロで日比野が二封される間に三走森田が還って1点を先制する。伊東の記録は二ゴロとなっているが、二封された日比野には「4-9-6B」と記録されている。素直に読めばセカンドライナーをセカンドの国久松一が弾いたがライトの岡村俊昭がバックアップしてスタートが遅れた一走日比野を二塁で刺したというところでしょう。二ゴロを弾いたのであればライトが二封できるとは考えられない。但し「4-9-6B」であればライトゴロとも採れる。

 南海は4回、一死後岩本義行が四球で出塁、鬼頭数雄は捕邪飛に倒れるが、村上一治が左前打を放って二死一二塁、木村勉が右前にタイムリーを放ち1-1の同点に追い付く。

 阪急は6回、一死後日比野が左前打で出塁するが二盗に失敗、伊東が四球を選び、浅野勝三郎の中前打で二死一二塁、中島喬が中前にタイムリーを放って2-1とする。

 南海は6回裏、先頭の安井鍵太郎が中越えに三塁打、岩本は浅い左飛に倒れるが、鬼頭が死球を受けて一死一三塁、村上の三ゴロの間に三走安井が還って再度2-2の同点に追い付く。

 南海は8回、先頭の川崎徳次が左前打で出塁、トップに返り国久は投直、安井は左飛に倒れるが、岩本が死球を受けて二死一二塁、鬼頭が中前に決勝タイムリーを放って3-2、村上も右前にタイムリーで続いて4-2とする。

 阪急は9回、一死後フランク山田伝が二塁に内野安打、上田藤夫が四球を選んで一死一二塁、西村正夫に代わる代打田中幸男の右前打で一死満塁、ここで南海ベンチは先発の川崎から神田武夫にスイッチ、森田の遊ゴロ併殺崩れの間に三走山田が生還して3-4、森田の代走に起用された江口行男が二盗を決めて二死二三塁、しかし日比野の代打に起用された井野川利春が遊ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 公式記録では9回にリリーフに出て二者を打ち取った神田武夫に勝利投手が記録されているが、現行ルールに照らせば8回3分の1を投げた先発の川崎徳次に勝利投手が記録されて神田にはセーブが記録されるのは一目瞭然です。但し、川崎は12安打5四球と乱調だったことが、公式記録員が神田を勝利投手とした理由ではないでしょうか。


 阪急9回の攻撃で江口行男が登場したことに気が付いた方は当ブログ通と言えます。江口は昭和13年春を最後に応召し、戦場から帰還して復帰第一戦がこの試合となりました。13年春に盗塁王を獲得した俊足は健在で、いきなり盗塁を記録しました。江口は昭和17年に再度応召し、終戦まで生き延びたが戦後病死したと伝えられています。「戦死」の扱いとはなっていないようで、「鎮魂の碑」にその名は刻まれていません。








*公式記録では神田武夫に勝利投手が記録されていますが現行ルールでは川崎徳次が勝利投手となります。











     *戦場から復帰した江口行男は9回に代走に起用されて盗塁を記録した。













 

2 件のコメント:

  1. 江口行男は応召前に在籍していた金鯱軍が翼軍の合併で消滅していますね。だから、阪急軍に移籍したようですが、当時の雑誌に「まるで浦島太郎のようである」とノンキな風に書かれていました。
    江口の経歴は不明な所がありまして、ベーブ来日時の全日本軍に参加する前は立命館大だとか愛知電鉄(鳴海倶楽部)だとかにいたとしている資料があります。古い資料には稀に名前が"悟人"とされている場合があり、之は江口の筆名だと最近判りました。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 昭和16年4月3日のシーズン開幕日の読売新聞に掲載された「日本野球の新陣容」では江口行男は「移籍」となっています。

      投稿主様のブログ「商売人と言われた職業野球」によると江口は野球選手にして文学青年だったとのことで、「筆名」を持っていたのもうなずけます。戦死した嶋清一も文学青年で新聞記者を目指していたようです。

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