2013年10月13日日曜日

16年 南海vs大洋 3回戦


4月26日 (土) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 1 0 0 0 0 0  1 南海 6勝7敗 0.462 石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 大洋 9勝5敗 0.643 三富恒雄 浅岡三郎

勝利投手 石田光彦 1勝0敗
敗戦投手 三富恒雄 1勝3敗

二塁打 (南)村上2

勝利打点 村上一治 1


村上一治、二塁打2発

 南海は戦場から帰還した三谷八郎が高田勝生監督代行に代わって指揮を執っています。昭和16年4月23日付け読売新聞は「南海三谷監督帰還」の見出しで「南海軍監督三谷八郎氏はこのほど帰還、復任した旨22日聯盟から発表された」と伝えている。それでは開幕からの南海の指揮は誰が執っていたのでしょうか。各種資料は南海の昭和16年の監督は「三谷八郎」と伝えていますが、昭和16年4月3日付け読売新聞に掲載されている「日本野球の新陣容」には南海の監督は「監督代・高田勝生」と書かれています。三谷八郎の帰還の予定は分かっていたが開幕には間に合わないので、昭和15年までライオンの監督だった高田勝生が竹内愛一と交代したので三谷八郎の復帰までの間、南海の監督代行に高田勝生が起用されていたようです。

 大洋は初回、先頭の苅田久徳が左前打で出塁、二盗を試みるがキャッチャー木村勉からの送球にタッチアウト、石井豊は四球で出塁、濃人渉のピッチャー強襲ヒットで一死一二塁、黒澤俊夫の二ゴロで濃人が二封されて二死一三塁、黒澤が二盗を決めて二死二三塁、しかしサム高橋吉雄は三振に倒れる。

 南海は2回、一死後村上一治が左翼線に二塁打、木村は遊飛に倒れるが村上が三盗を決めて二死三塁、しかし岡村俊昭は三振に倒れてスリーアウトチェンジ。

 南海は4回、先頭の岩本義行が左前打で出塁、鬼頭数雄が四球を選んで無死一二塁、大洋ベンチはここで先発の三富恒雄を下げて浅岡三郎をマウンドに送るが、村上が浅岡の代わりばなを捕えて右中間に2打席連続の二塁打を放ち二走岩本が生還して1点を先制、一走鬼頭も三塁ベースを蹴ってホームに突入するがセンター森田実からの返球をカットしたセカンド苅田久徳のバックホームにタッチアウト、「8-4-2」の中継プレーが決まる。続く木村の三ゴロの間に二走村上は三進、岡村が四球を選んで一死一三塁、続く柳鶴震の打球は中前に抜けますが、スコアカードには「8-4-3」のダブルプレーと記録されています。「併殺」の欄にも「森田、苅田、石井」と書かれているので「8-4-3」で間違いありません。この時の大洋はセンター森田実、セカンド苅田久徳、ファースト石井豊の布陣でした。


 今季阪急から移籍してきた石田光彦は不振の極みにあったがこの日は一変、7安打5四球4三振の完封で今季初勝利をあげる。石田は今季これまで5試合に登板し19イニングスを投げて24個の四球を出していた。20日の朝日戦は先発して2回3分の0で5四球、21日の巨人戦も先発して1回3分の0で5四球を出して引っ込められていたが、キレが戻ればこの日のような投球を見せる。


 村上一治が2本の二塁打を放ち、勝利打点を記録した。当然「真の殊勲打」でもあります。村上は昭和9年センバツ決勝で浪華商業の納家米吉からサヨナラ打を放って東邦商業に初出場・初優勝をもたらしたことで知られています。浪華商vs東邦商の決勝戦は0対0のまま延長に突入し、10回表に納家米吉がランニングホームランを放って1点を先制しましたが、10回裏無死二三塁で村上一治が納家から右中間に逆転サヨナラ打を放ちました。浪華商は準決勝の享栄商戦で延長15回0対0の末引分け、翌日の再試合を4対2で勝利して決勝に進みましたが、10回表のランニングホームランで納家米吉の披露はピークに達していた模様です。当時の毎日新聞・湯浅禎夫の論評も「この本塁打に走って疲れた納家に対し・・・」と伝えています。









*2試合連続早期KOの石田光彦はこの日は一変し、7安打完封で今季初勝利を飾る。










      *村上一治が2打席連続二塁打を放った場面。








 

0 件のコメント:

コメントを投稿