2013年10月21日月曜日

ボストンvsセントルイス



 2013年のワールドシリーズはボストン・レッドソックスvsセントルイス・カージナルスの争いとなりました。両チームの対戦は4度目となります。2004年にボストンがスウィープしたシリーズは記憶に新しいところで当ブログが取り上げるまでもありませんので、1946年と1967年のシリーズ特集といきましょう。


 1946年のワールドシリーズは4勝3敗でカージナルスがレッドソックスを降しました。ハイライトシーンは“Mad dash”(キチガイじみた走塁)として名高いイノス・スローターの本塁突入です。

 両軍3勝3敗で迎えた10月15日の第七戦は8回表にドミニク・ディマイオ(ジョー・ディマジオの弟)が同点二塁打を放ち3対3となって8回裏カージナルスの攻撃を迎えます。先頭の四番イノス・スローターがヒットで出塁、しかしホワイティ・クラウスキーの送りバントはポップフライとなって失敗、ジョー・ガラジオラも凡飛に倒れて二死一塁となります。続くハリー・ウォーカーのカウントツーボールワンストライクの場面で一走スローターがスタートを切ってヒットエンドランを敢行、ウォーカーの打球は左中間に飛びました。スローターは三塁に向かい、三塁ベースコーチのマイク・ゴンザレスは両手を大きく広げて“ストップ”のサイン、レッドソックスの中堅手レオン・カルバーソンからの返球をカットした遊撃手ジョニー・ペスキーは三塁に送球しようとしました。ここで何とイノス・スローターが三塁ベースコーチの制止を振り切ってホームに走ります。三塁に投げようとしていたペスキーの本塁送球が一瞬遅れてスローターがホームイン、そのままカージナルスが逃げ切りワールドシリーズを制したのです。

 レオン・カルバーソンと共に左中間の打球を追った左翼手はテッド・ウィリアムス、四番スローターの前を打つ三番打者はスタン・ミュージアルでした。40年代~50年代を代表する両リーグのスラッガーがワールドシリーズで対戦したのはこの時だけのことです。


 1967年のワールドシリーズも3勝3敗から第七戦にもつれ込みます。ボストンの先発は2勝0敗のジム・ロンバーグ、セントルイスの先発も2勝0敗のボブ・ギブソン。ロンバーグはこの年のサイ・ヤング賞、ギブソンは翌68年にサイ・ヤング賞を獲得することとなります。ボストンの監督はディック・ウイリアムス、セントルイスの監督はレッド・ショーエンディエンストと、後に殿堂入りする名将対決でもありました。

 この試合はボブ・ギブソンが自らホームランも放ち7対2でカージナルスが優勝しました。カージナルスは翌68年に日米野球で来日します。ボブ・ギブソンの一塁側に大きく倒れ込む大リーグ式ピッチングが話題になりました。「巨人の星」で活躍したアームストロング・オズマもこの時来日した設定になっています。まだ無名時代のスティーブ・カールトンは、ロッテの成田にスライダーを伝授され、フィリーズ移籍後にサイ・ヤング賞を4回獲得することとなります。



 過去のデータを分析すると、接戦となれば勝負強いカージナルス、圧勝するならレッドソックスでしょう。当ブログはレッドソックス有利と見ていますがいかがでしょうか。因みに10月11日付けブログ「経験の差」ではナショナル・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズを予想して「ドジャースはカーショウで落とすと後がなくなる恐れがあります。当ブログは勝負強いカージナルス有利と見ていますがいかがでしょうか。」とズバリ的中させていただきました(笑)。








*1946年のワールドシリーズで“Mad dash”を見せたイノス・スローターの直筆サイン入り写真。











       *1946年のワールドシリーズに出場したドミニク(ドム)・ディマジオのサイン。











                   *同じくボビー・ドーアのサイン。











*同じくジョニー・ペスキーのサイン。「Ted We did it!!」とは、2004年のワールドシリーズをレッドソックスが1918年以来86年ぶりに制して“バンビーノの呪い”を解いたことを天国のテッド・ウィリアムスに報告したものです。この3人は長寿として知られており、ドミニク・ディマジオは2009年に92歳で亡くなり、ジョニー・ペスキーは2012年に92歳で亡くなり、ボビー・ドーアは95歳の現在もお元気のようです。3人の姿はよくフェンウェイ・パークで見ることができましたね。フェンウェイ・パークのライト線ポールは「ペスキーズ・ポール」と呼ばれています。非力なペスキーがライトポール際にホームランを打ったことに由来します。










 

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