昭和16年ペナントレースは巨人の優勝で幕を閉じた。巨人は主力打者に応召が無く、ベストメンバーで戦えたことが優勝の原因である。(六)白石敏男、(五)水原茂、(四)千葉茂、(三)川上哲治、(九)中島治康、(二)吉原正喜、(七)平山菊二、(八)呉波、のラインナップはほとんど変わることが無かった。一方で投手陣にはピンチがあった。須田博が肋膜炎のため夏場に離脱、澤村栄治も二度目の応召に取られ、中尾輝三が孤軍奮闘せざるをえなかった。こうした中で、広瀬習一が彗星の如く登場してピンチを救ったのである。
阪急はよく巨人に食らいついたが終盤失速した。森弘太郎が30勝をマーク、笠松実はシュートで巨人キラーとして活躍した。打っては黒田健吾主将が打線を牽引し、秋季は新富卯三郎が打棒を炸裂させて首位打者に輝いた。
大洋はセネタース、翼譲りの試合巧者ぶりで三位に食い込んだ。酷使が続く野口二郎は苦しいピッチングが続いたが、それでも25勝をあげて年間防御率は森弘太郎を0.01抑えて0.88で一位であった。打者では戦場から復帰した濃人渉と中村信一の活躍が目に付いた。
南海は神田武夫の獅子奮迅の活躍で勝越し、終盤は川崎徳次が神田を上回る好投を見せて秋季は巨人をあと一歩まで追い詰めた。四番を務めた村上一治が勝利打点11個と勝負強さを発揮した。数の上では川上哲治が15個で上回るが、巨人は62勝、南海は43勝なので比率では村上が2割5分6厘で川上の2割4分2厘を上回る。
阪神は若林忠志が18勝17敗と伸びきれず、打線が低迷したことにより負越しとなった。
名古屋は昨年21勝した村松幸雄が12勝止り、河村章が14勝と健闘したが打線につながりが見られず6位に終わった。服部受弘がホームラン王に輝いたが、服部の最後の本塁打は8月18日で56試合目のこと、84試合中3分の2の時点であった。
黒鷲は亀田忠と長谷川重一がシーズン途中でハワイに帰国せざるを得なかったことから投手不足に陥り、戦場から帰還した畑福俊英が奮闘したものの7位に終わった。
朝日は福士勇がチームの25勝中17勝と奮闘したが最下位に終わった。坪内道則が26個で盗塁王に輝いた。
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